【インターネット放送】

ポリタスTV 激動の県知事選から2年
変わる沖縄人の意識と貧困がなくならない本当の理由

6/17(水)19:00〜
ゲスト:樋口耕太郎

[YouTube]→ https://youtu.be/2Su1VGfevPY
[ニコ生]→ https://live2.nicovideo.jp/watch/lv326532456
https://www.pscp.tv/w/1OwxWLloLNjKQ?t=68

本日発売の「新潮45」に、沖縄の貧困問題についての論稿を寄稿いたしました。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/newest/

特集のタイトルが「沖縄の嘘」というのは直前まで知りませんでしたし、「最貧困県はいかに『維持』されているか」というタイトルは編集長が決められたので、表紙だけをご覧になる方々には随分ミスリーディングだと思います。これでは何だか沖縄批判を目的としているみたいです。

さはさりながら、新潮の編集部の方々は極めて優秀な方々でしたし、編集過程では本当にお世話になりました。原稿自体は政治的なものではまったくなく、沖縄の社会問題を解決する一助となるために、問題の基本構造を私なりの視点で解析したものです。

沖縄の経済問題といえば、本土との経済格差の問題というのが「定番」でしたが、2015年くらいからようやく県内格差に目が向けられるようになってきました。少々唐突すぎるくらいの勢いで沖縄タイムス、琉球新報の沖縄2大紙が沖縄県内の貧困問題を本格的に取り上げるようになり、議論が急速に広がりをみせています。

しかしながら、社会問題への対応が検討されると、ほぼ確実に陥るパターンが存在します。それは、問題の根源を特定して治癒するよりも、対症療法が圧倒的に優先されるということです。沖縄の子どもの貧困問題で現在までに提案されている「問題解決」は、例えば、教育費用の援助、学習支援員の確保、給食費の無料化、ソーシャルワーカーの充実、母子家庭についての生活支援施設の設置や公共住宅への優先入居制度、子どもの居場所作りのための児童館の設置、子ども医療費助成、そして所得保障などでしょうか。

そのすべては重要なものであり、これらの対応が進むことで助けられる人たちが多数存在しますので、その意義は決して軽んじられるべきではありません。しかし同時に、これらのいずれもが貧困問題の対症療法にすぎず、貧困という症状を緩和する短期的な効果でしかないのです。私たちが直視しなければならないのは、例えば給食費や教育費や医療費がすべて無料化されても、あるいは仮に所得が完全に保証されたとしても、それは貧困を緩和するだけであって、決して解決しないという事実です。それどころか、対症療法には副作用が伴うために、長い目で見れば物事を悪化させる可能性が高いのです。

それにも関わらず対症療法が重要視されるのは、そのわかりやすさ故でしょう。問題がわかりやすく定義されていれば、県民からの賛同も得やすく、「実績」 を視覚化しやすい。加えて、対症療法が好まれるおそらく最大の理由は、それが大量に補助金を引き出す手段として有効だからです。

もちろん、ひとりひとりは善意で考え、意見し、行動していると思うのですが、行政を動かすのは政治であり、政治家は良くも悪くも票を意識して行動せざるを得ません。補助金が票を獲得する有効な手法であることは誰も否めないでしょう。予算が動かなければ行政も動けない。貧困問題の「識者」たちもその意を汲んで、行政活動をバックアップする発言をすれば、必然的に対症療法になるのです(逆に、そのような発言をしなければ、「識者」として行政の現場には呼ばれにくいという現実があります)。行政でもボランティアでも教育関係でも、現場で尽力されている多くの方々は、目の前で苦しんでいる人たちに資金を提供できるため、心情的に強く共感できます。手を差し伸べられる貧困家庭にとってのメリットはいうまでもありません。

すなわち、補助金を大量に投下する対症療法は、(少なくとも短期的には)ほとんどすべての人の利害に叶うのです。これが貧困問題の隠れた最大の問題です。結果として、これらの対症療法は、貧困世帯の自立を促すどころか、さらなる依存を招いて、長期的には貧困状態をさらに悪化させることになります。そして、より本質的な問題として、ほとんどの人の意識が対症療法に向けられるため、この問題のほんとうの原因に対する認識が深まらないのです。

本稿は、沖縄の貧困問題の根源的な原因を特定して、対症療法を超える問題解決の道筋を模索するためのものです。ぜひご一読ください。

私はいまだに政治にはそれほどの関心がないのですが、それでも沖縄とのご縁の中から、政治に関連する様々なコメントを求められることが増えてきまし た。私の発言は、右翼からは左翼だと解釈され、左翼からは右翼だと思われることが多いようで、何かを発信するたびに双方からご批判を受けます。同時に、 「樋口は右なのか、左なのか」と質問される方も多いので、私の見解を簡単にお伝えしようと思います。

私の考える左派、つまり真の意味での革新派は、政治観とは無関係です。おそらく世の中の1%以下(多分1万人に1人くらい)の比率で存在し、その一人一人のまったくパーソナルな生き方が、既存世界に新しいパラダイムを提供するイノベーターたちのことです。

例えば、ピカソ、ビートルズ、ジョブズ、ガンジー、ディズニー、ゲバラ、野茂英雄、マザーテレサ、佐藤初女・・・が私の思う左派です。

この人たちの共通点は、徹底的に「自分を生きている」ことでしょう。真に自分を生きていれば、社会が後からついてくるというか、居場所を探さなくても、自分の進むところがそのまま居場所になるというか、そんな現象が生まれるのだと思います。だから、左派として生きる人たちは、今の社会が自分を必要とするかどうかはあまり関係ありません。明日の社会が「その人なしではいられない」と感じるような自分を生きているからです。

沖縄は政治的に左と言われていますが、私に言わせれば、沖縄ほど左派が生まれにくい地域はなく、メディアに登場する一般的な左翼はどちらかといえば強固な現状維持派(つまり行動原理的には右派)でしょう。私には沖縄の99%以上は右派に見えます。政治論的な保守から見れば、沖縄の左翼が「問題」だ、ということになるのだと思いますが、私はむしろ、沖縄に(そして日本に)真の左派が存在しないことの方が問題だと思うのです。

明治維新は3000名の革命だったと言われているそうです。社会の大転換を図った志士たちのおおよその人数がそれです。その当時の日本の人口は約3000万人。社会の中で1万人に一人の割合で左派が息吹くと社会が生まれ変わるという法則があるのかもしれません。

沖縄の人口は約140万人。徹底的に自分を生きる140人がどのようにして覚醒に至るかが沖縄社会の将来を決めるのだと思います。

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The Crazy Ones

1997年、アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが展開したキャンペーン広告、”The Crazy Ones”では、20世紀に活躍した「極左」たちを取り上げている。登場順にアルベルト・アインシュタイン、ボブ・ディラン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、リチャード・ブランソン、ジョン・レノンとヨーコ・オノ、バックミンスター・フラー、トーマス・エジソン、モハメド・アリ、テッド・ターナー、マリア・カラス、マハトマ・ガンジー、アメリア・イアハート、アルフレッド・ヒッチコック、マーサ・グレアム、ジム・ヘンソン、フランク・ロイド・ライト、パブロ・ピカソ。

「ギノワンチュー、ウシェーテー、ナイビランドー」

意外な一言を、沖縄県の宜野湾市長選挙から4日ほど経った宜野湾市での現地取材で、市民の一人から「こんな風に私らは今回の選挙のことを言っていたんですよ」と聞かされた。どこかで聞き覚えのある言葉なのだが、最初は何を言っているのかよく分からず、少し考えて、ハッとした。


Rodrigo Reyes Marin/アフロ

これは琉球語で「宜野湾の人を、ばかにしては、いけません」という意味である。

同時に思い起こしたのが2015年5月、那覇市のセルラースタジアム。反辺野古新基地建設のための県民集会で、集まった3万人の人々に、翁長雄志知事が吐き出した言葉は「ウチナンチュー、ウシェーテー、ナイビランドー(沖縄の人を、ばかにしては、いけません)」だった。このとき、安倍首相に向けて放たれた翁長知事の一言に会場がぐらりと揺れた感覚は、きっと生涯忘れないだろう。おそらくは沖縄政治史に刻まれる一言である。

それから1年と経たないいま、ところを変えて、今度は、翁長知事に向けて、ブーメランのように、この言葉が語られていたとすれば、あまりにも皮肉な話である。しかし、今回の宜野湾市長選における「オール沖縄」陣営の立てた志村恵一郎候補が喫した予想外の大敗を説明するには、辺野古問題を強引に争点にしようとしたオール沖縄陣営に対する「宜野湾の人を、ばかにするな」という市民の感情抜きには、どうしてもうまく説明がつかない。

宜野湾市には、辺野古移設問題の原点である海兵隊の普天間飛行場がある。人口はおよそ10万人。その市長選で、志村恵一郎候補は、自民・公明が推す佐喜真淳候補に、得票率で10ポイント以上、票数で6千票近い差をつけられた。事前の「接戦」予測を大きく裏切る惨敗だった。

翁長知事と「オール沖縄」陣営が、宜野湾市民にここまで拒否された理由は決して複雑なものではない。それは「戦うべきではない選挙で、戦えない候補を持ち出し、戦えない戦略で戦った」からだった。

(以下略)

宜野湾市長選の敗北「翁長時代」終わりの始まりか
(2016年02月04日 Wedge Report )野嶋剛より転記。

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先日野嶋さんと会話していて再認識させられたことは、「オール沖縄」とって宜野湾市ほど部の悪い選挙区はないということだ。

沖縄ではとても口にしにくいことだが、「オール沖縄」と宜野湾市は構造的に重大な利益相反関係にある。明らかな因果関係として、「オール沖縄」が辺野古移設を阻止すれば、宜野湾市にとって20年近く戦ってきた「危険性除去」をほとんど振り出しに戻すことになるからだ。これが、「オール沖縄」の最大の矛盾点であり、この問題に対してどのように向き合うかが、「オール沖縄」の理念と哲学を示すことになる。

これが形として現れたのが今回の宜野湾市長選挙だったろう。選挙結果のことではない。どちらが「勝った」から「正しい」とか「民意」だとか、それぞれの陣営の利害に沿った後付けの議論ではなく、選挙という行動に表れる人間と組織の理念の問題だ。こちらの方が、選挙結果よりもよほど重要だと思うのだ。

もともと、宜野湾市において、市政最大の争点で重大な利益相反を抱える「オール沖縄」が候補者を出すということ自体、極めて難しい決断であったはずだ。志村氏が辺野古移設阻止を最大の争点にして選挙を戦うということは、(少なくとも一部の宜野湾市民からは)「オール沖縄」が辺野古移設阻止という自身の目的を実現するために、宜野湾市に「基地を押し付ける」選択をし、その実現のために「落下傘のような」候補者を擁立した、と映るからだ。

この気持ちが「ギノワンチュー、ウシェーテー、ナイビランドー」という先の発言に現れたのだろう。ショッキングな言葉である。多くのメディアで「ウシェーテー」は「ないがしろにしてはいけません」と穏やかな日本語に翻訳されているが、沖縄方言のニュアンスはもっと激しい語感がある。英語的に言えば 「Don’t fuck with me」に近いだろうか。「オール沖縄」がこれほどまでに戦っている「日本政府が沖縄に基地を押し付けている」理不尽な構造が、そのまま宜野湾市に対する 「オール沖縄」の選挙行動に現れてしまっていたとしたら、これほど悲劇的なことはない。

これが理念の重要性なのだ。理念なき反対運動は決して持続しない。「オール沖縄」とはいったい何のための戦いなのだろう。市民のための戦いなのだろうか、市民とは誰のことなのだろうか、何を勝ち取ろうとしているのだろうか。「オール沖縄」が沖縄のアイデンティティを体現する運動であるならば、理念に向き合う重大な転機なのではないだろうか。

【樋口耕太郎】

2016年の沖縄は選挙イヤーだといわれている。6月には沖縄県議選、糸満市長選、7月の任期満了にともなう参院選は衆院と同時選挙の可能性もあるその皮切りが1月17日に告示され、24日に投開票された宜野湾市長選である。大接戦が予想されていたが、蓋を開けてみれば5857票差で現職の佐喜真淳氏(51)が新人の志村恵一郎氏(63)を圧勝したと言えるだろう。宜野湾市長選挙で5000票以上の差がついたのは15年ぶりだ。

いち自治体の選挙でありながら、今回の宜野湾市長選挙は県内外から注目された。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を推進する政府が佐喜真氏を、移設反対の翁長雄志知事が志村氏を支援したために、政府と翁長知事の「代理戦争」の様相を呈したからだ。

保守陣営のジレンマ

連日の報道を見ていると、菅官房長官の危機感が伝わって来るようだった。長選挙は一般的に「期目を目指す現職が最もい」といわれるが、「オール沖縄」の潮流は強く、一昨年の名長選沖縄県知事衆議院選と自民は3連敗中。政権内部では「沖縄の選挙に弱い菅氏」という声(政府関係者)もあり、宜野湾市長選で敗北すれば、官邸の求心力にも影響が生じる可能性があった。

特に先の知事選では、普天間飛行場の「危険性除去」を望むはずの宜野湾市で、辺野古移設反対を訴える翁長氏が仲井真氏の得票を約3000票上回った。宜野湾市民は、普天間飛行場の返還が大幅に遅れる、あるいは最悪の場合固定化してしまう可能性を容認したとも解釈できる。

政府の「焦り」が最も現れていたのは、普天間周辺へのディズニーリゾート誘致構想だろう。菅氏は「市長からの強い要望」を強調して佐喜真氏の「実績」をアピールするが、「政府関係者によると、実際は構想を最初に提案したのは菅氏」(12月20日 毎日新聞)という見方も根強い。事の真偽は別にしても、普天間飛行場跡地へのディズニーリゾート誘致計画は、ウチナーンチュ(沖縄人)にはいかにも「政府くさい」と映る。

地元意識の高いウチナーンチュに対して、政府との連携は諸刃の剣になる。2014年1月の名護市長選挙で自民党の石破茂幹事長(当時)が500億円の振興基金構想を提示して、名護市民に反発が一気に広がったのは記憶に新しい。「金で票を買う」ように映る「支援」は沖縄では大いにマイナスだ。さらに、名護市本部(もとぶ)町への誘致が進行中と報道されているユニバーサル・スタジオ・ジャパンに対してウチナーンチュがことのほか冷静であるようにも感じられ、本当に宜野湾市民がディズニーリゾートを望んでいるかどうかは疑わしい。

さらに、これが実現したとしても早くて10年先だろう。佐喜真氏の任期中に実現する可能性の方が低い。降ってわいたようにディズニーを連呼しても選挙対策のリップサービスだとしか受け止められないのではないだろうか。

しかしながら、保守陣営最大の矛盾点は、「危険性除去」を主張することができても、必然的な因果関係である「辺野古移設推進」を口にできなかったことだ。応援演説に参加したある議員は、「保守陣営の選挙対策本部からは、辺野古について一言も言うな、と釘を刺された」と打ち明けてくれた。佐喜真氏が主張する「普天間飛行場の危険性除去」は、明らかに辺野古移設を前提としている。「移設先なくして危険性除去は不可能なはずなのに、正々堂々と移設先を語らないのは、有権者に嘘をついているような気分になった」という。

また、公明党本は2015年5月16日、那市のパレットくもじ前で「普天間飛野古移に反し、外、国外移を求める演会」いていた(5月17日琉球新報ホームページ)。佐喜真氏は今回の選挙で自民党、公明党の推薦を受けており、公明党の手前辺野古移設を口にできない。しかし公明党も佐喜真氏が辺野古移設を推進する自民党に歩調を合わせていることを知らないはずはない。

このような事情によって佐喜真陣営は、「普天間飛行場の危険性除去、固定化絶対阻止」を強く訴え、ただし「移設先は言及しない」という選挙戦術を選択した。

「オール沖縄」のジレンマ

翁長氏は選挙に強い政治家で、今まで実質的に負け戦を戦ったことはない。24日の宜野湾市長選挙では、その翁長氏が先頭に立った。「オール沖縄」を支持母体とする翁長知事が米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を主張する最大の根拠は、先の知事選で「民意」が示されたということ。選挙は民意を知る最大のバロメーターであり、宜野湾市長選挙に勝つことが「オール沖縄」が主張する「民意」を裏付ける、という位置付けでもあった。逆に、「オール沖縄」に支持を受けた志村氏が敗れれば、政府に「沖縄の民意は辺野古移設反対ではない」と反撃の余地が生まれる、という危機感の裏返しもある。選挙期間中は翁長知事をはじめ、糸数慶子参議院議員、照屋寛徳衆議院議員、城間幹子那覇市長、稲嶺進名護市長ら「オール沖縄」系議員たちが、本人たちの選挙かと思うほどに連日宜野湾市で熱弁をふるった。

このような「オール沖縄」側の事情によって、志村氏は「オール沖縄」の主張に沿った論陣を展開した。「普天間飛行場の辺野古移設断固反対」である。沖縄タイムス社が主催した座談会でも、志村氏は「新基地を作らせないという県民の総意を宜野湾市民が支え、日米政府に新基地建設を断念させる」ことを重要な争点としている。

「オール沖縄」にとって辺野古移設断固反対は最も重要な主張だが、宜野湾市民の思いはもう少し複雑だ。「新基地を作らせないという県民の総意を宜野湾市民が支える」という志村氏のメッセージは、宜野湾市のためというよりも、「オール沖縄」の別動部隊のようにも聞こえる。それが宜野湾市民にとって、どこか他人事に感じられたということはないだろうか。

そもそも志村氏が宜野湾市長候補者として擁立されたのは、父親が自民党県連会長を務めた沖縄政界の大物であったということが大きい。「保守系の票を切り崩せる」候補者として、選考にあたっては翁長知事が深く関与したとの報道もある。一方で、志村氏は沖縄県の元幹部と言っても中間管理職である統括監に過ぎない。「オール沖縄」から市政運営に実績豊富な人材を探しきれずに家柄重視で選んだという印象は拭えない。票を取るという点において、あるいは有効な選択になり得たかもしれないが、「オール沖縄」の組織色が強いからか、志村氏個人の実績や人柄や政策が弱いからか、市長候補の人柄が霞んでしまった印象がある。実際、公開討論や報道などを見る限り、当選した後に本当に市政運営を任せられる人物かどうかという視点で考えると、志村氏に具体的かつ説得力のある政策やビジョンやプロセスがあったとは言い難い。

ただでさえ革新市政の欠点は政策の実効性に欠けることだ。普天間飛行場を擁する宜野湾市は1985年の桃原正賢市長以来、2012年に現職の佐喜真市長が当選するまでの間、実に27年間に渡って革新市政が実質的に継続してきた地盤であるが、その間に、東シナ海に面して商業的にも環境的にも価値ある西海岸の開発地域は、倉庫とラブホテルとパチンコ店が連なる凡庸な地域になってしまった。コンベンションセンター前の戦略的な開発用地も、計画が何度も修正された後に一貫性のない雑然としたB級商業施設群に決着した。

2012年の前回の選挙で、27年ぶりに保守系佐喜真氏が宜野湾市政を奪還したのは、長期間にわたる革新市政の実効性のなさに宜野湾市民がNOという意思を示した結果ではなかったかと思うのだが、その状況において、「オール沖縄」色が強く出過ぎれば、宜野湾市の市政が置き去りにされるという印象が生まれることは想像に難くない。

しかしながら、志村氏の最大の矛盾点は、最大の論点である普天間飛行場の移設問題だろう。「オール沖縄」に歩調を合わせて、普天間飛行場の辺野古移設反対を強く主張するほど、宜野湾市民に対しては、「普天間飛行場をどうするのか」という具体的な説明が求められる。辺野古移設反対は必然的に普天間飛行場の危険性除去を(少なくとも一時的に、最悪の場合は長期にわたって)遠ざけるという決断を伴うからだ。そして、「オール沖縄」もこの点については今までそれほど明確に議論をしてこなかった。あるいは、宜野湾市長選挙までは「しなくても済んできた」と言えるかもしれない。翁長知事は「沖縄の過重負担軽減」が最大の主張であり、日米同盟の弱体化には賛成していないため、辺野古移設を阻止した後の普天間飛行場については、県外移設などの可能性が漠然とイメージされていたにすぎない。ところが、普天間飛行場を擁する宜野湾市ではこの曖昧さが命取りになる。結果として、志村氏と「オール沖縄」が選んだ答えは、「普天間飛行場の無条件閉鎖・即時撤去」である。もちろん移設先はない。

宜野湾市長選挙から考える

普天間飛行場を擁する宜野湾市の選挙は、保革を問わず基地問題の矛盾が表出するという独特な特殊性を帯びている。保守系佐喜真氏は、「危険性除去」を主張できても、その必然的帰結である「辺野古への移設」は口にできない。一方、「オール沖縄」と志村氏は、宜野湾市で「辺野古移設反対」を争点にするためには、普天間飛行場の「危険性除去」を望む地元の声に配慮して、「普天間飛行場の無条件閉鎖」を口にせざるを得ないのだが、これは普天間飛行場の移設問題を20年前に戻すことにもなりかねず、現実味は乏しいと言わざるをえない。この実現には日本政府の安全保障に対する考え方や、米政府と海兵隊の考え方(予算、軍人の待遇など)が変わらなければならないからだ。

佐喜真氏が移設先を語らずに危険性除去を主張するのも、志村氏が普天間飛行場の無条件閉鎖を主張するのもまったく自由だが、それぞれのプランに実効性があるかどうかは、政治家として仕事をする上でとても重要な要素であるはずだ。

結果として、保守、「オール沖縄」いずれも、現実的にほとんど起こりえないことを選挙の「争点」にしてしまっていないだろうか。実質的に不可能なことを「約束」する姿勢によって、主張に矛盾を抱え、選挙戦術を優先し、県民、市民を置き去りしてはいないだろうか? 選挙の票を稼ぐための議論だけが存在し、社会がどうなることが幸福であるか、といった本質は選挙の争点から完全に取り残されているように見える。

宜野湾市に限らず、沖縄社会の問題は基地だけではない。貧困問題がようやく語られるようになっても、それを解決するためには、補助金に頼らず市民の所得を増やさなければならないのだが、そのための具体的な方策はほとんど存在しない。待機児童の解消が政治課題だという認識は生まれても、女性の社会進出を阻んでいる沖縄の特殊要因については議論すらなされていない。給食の無料化が選挙公約に上がるようになっても、子供たちの食事の質を高めることの重要性に気がついている政治家は少数派だ。

それにもかかわらず、相変わらず基地問題と経済振興が沖縄のありとあらゆる選挙の最大の争点であり続けるのは、それが最も票を集めやすいからだろう。悪意があるとは思えないのだが、それでも要は、政治家の都合なのだ。選挙で勝つための基地論争はいつも盛り上がりを見せるが、例えば、貧困問題では票を取りにくい。結果として市民は常に置き去りだ。その結果が社会問題の数々ではないのだろうか。貧困を解決するはずの政治が、貧困の原因になっているとしたら、私たちは何のために選挙をしているのだろう? 政治が拾いあげるべき声なき声とは、このような現状に失望し、投票に出向かなかったサイレント・マジョリティではないのだろうか。

「マシなもの」を選ぶのが選挙だろうか?

今回の選挙では、佐喜真氏が志村氏に勝利したが、これで宜野湾市は「良い社会」になるだろうか?私のこのような疑問について、先の保守系議員はこう答えてくれた。

「保守政治にも問題はたくさんあります。決して理想的なことばかりではありません。しかし、政権運営能力に乏しい左派に比べたら良い選択だと言えるでしょう」

そしておそらく「オール沖縄」の議員に同じ質問をすれば、「革新も理想的とは言えないが、保守より良い選択だ」との答えが返ってくるだろう。これらの議論には、「AとBどちらがマシか、という選択を繰り返すと、社会はより良いものになる」という前提が含まれている。しかし、この推論は本当に成り立つのだろうか。現に、沖縄はどちらがマシか、という二者択一を復帰以来43年間続けてきた。その結果、沖縄社会は県民の理想に近づいているだろうか?それとも遠ざかっているだろうか?

確かにインフラが整備されて、便利な社会になったとは言える。だからと言って、理想に近づいているという実感はあるだろうか? 例えば、最近の子どもの貧困の悪化はもの凄い勢いだ。貧困率が37%を超えるという報道もなされているが、それが事実ならば、沖縄社会はすでに壊れているのかもしれない。この選挙の後、市民の所得は増加するのだろうか?非正規雇用者は減少するのだろうか?貧困問題は改善に向かうのだろうか?シングルマザーは暮らしやすくなるのだろうか?教育水準は向上するだろうか?イノベーターは生まれるのだろうか?

私たちが、選挙で「マシなもの」を選び続けるという行為そのものが、良き社会の実現を遠ざけているということはないだろうか。

私のこのような意見について、先の議員がさらに反論をしてくれた。

「おっしゃっていることは分かりますが、政治は票を獲得しなければ何も始まりません。時には矛盾が生じても、色々な人の意向を反映させなければならないという現実があります」

それでは、仮に、政治とはそのようなものだとしよう。社会をどれだけよくしたいと思っても、当選しなければ何も始まらないのだ、と。当選するための手段として選挙の争点を絞るという考え方はもちろん理解できる。しかし、それを「マシな選択」で終わらせないためには、手段としての選挙を勝ち取った後で、本質的により良い社会を実現するために、本当に社会が望む民意とは何か、そして、それ以上に重要なことだが、その現実的な実現方法を具体的かつ真剣に考え、あるいは「こうすれば社会は理想に向かう」という方向を示すことができる人を発掘・育成・登用し、理想に向けての政治的な行動力を発揮する必要がある。

ビジョンと、それ以上に重要なことだが、ビジョンを実現するための具体的なプロセスが政治機能の本質だろう。決して選挙に勝つことではない。つまり、理想社会にたどり着くためのビジョンなくして、政治は世の中を良くする機能を持たないし、そのビジョンとプロセスなしに、本質的な意味で世の中を良くする政治家たり得ない。

選挙結果は民意だろうか?

民意と選挙結果は似て非なる概念である。顧客が手作りの「おにぎり」を食べたいと思って買い物に出かけても、店頭に添加物の入った「カレーパン」と「インスタントラーメン」しか並んでいなければ、どちらかを買う以外に空腹を満たす方法はない。インスタントラーメンを選んだからと言って、それが顧客の好み(民意)だと言えるのだろうか?

店頭にカレーパンとインスタントラーメンだけを置き、選挙の争点を極端に絞るのは、政治家が票を取るために有効だからだろう。どの候補者も選挙に勝つために必死であることは理解できるが、だからといってこの方法を続けるということは、政治が社会を理想に近づけることを永遠に放棄しているということではないのだろうか?日本では1996年に施行された小選挙区制度が重大な転換点となり、小泉首相の頃からこのようなやり方が一般化したように思える。争点を絞って選挙を戦うのは、幅広い層から票を集めることができるが、民意を矮小化して有権者から白紙手形を受け取る行為に近くなる。政治家にとって魅力的であることは想像できるが、選挙戦術が民主主義の精神からどんどん遠ざかる構造になっている。

以上の理由から、「マシなもの」を選ぶ選挙結果に、真の民意が反映されているとはまったく限らないのだ。真剣に民意を政治に反映させようと考えるのであれば、「マシな社会」ではなく、青臭くも「理想の社会」を語らなければならない。たとえば、ディズニーリゾート誘致はマシな議論に過ぎないが、ディズニーリゾートの実現がいかに労働者の所得を増加させるかを説明できた時、そして実現までの道筋に具体性が生まれた時に理想の議論に近づく。辺野古移設断固反対は(言葉は悪いが)やはりマシな議論であり、辺野古移設を阻止した後でどのような社会を作るかの具体的な青写真が描かれ、それを実現する人材が育ち始めるときに理想の議論に近づく。

世界的なベストセラー「7つの習慣」で、著者のスティーブン・コヴィー博士は、「すべてのものは二度作られる」と述べている。第一のビジョンの創造と、第二の現実の創造である。それが商品でもサービスでも法律でも社会制度でも、この世界に存在するすべてのものは、いったんは誰かの頭の中で描かれたものだ。私たちの心の中で描けない社会は実現することができない、とも言える。

コヴィー博士はまた、組織が失敗するのは、ほとんどの場合第一の創造においてであるという。「マシな選択」を続けながら、理想の社会に近づくことはできないのだ。

サイレント・マジョリティ

私は、沖縄のサイレント・マジョリティとは、基本的な社会の方向性、つまり、沖縄が本土並みを目指して進んできた振興計画のあり方と、それが生み出した環境問題、格差・貧困問題、共同体の分裂など、社会の現状に疑問を持っている層ではないかと感じている。選挙において、そのような民意に最も近いものは、「非投票率」ではないか。店頭に並んでいる「カレーパン」も「インスタントラーメン」も、自分たちが望むものではない、という意思表示は「無投票」という行為に少なからず現れている。

その証拠に、例えば1997年12月21日、普天間飛行場の受け入れの可否を決する際の名護市の市民投票の投票率は82%だった。そこに関心のある論点が存在すれば、市民は投票へと動くのだ。国民市民が政治に無関心だというが、より正確には、「カレーパン」や「インスタントラーメン」に関心がないということなのではないか。

選挙権を行使することはいいことだという。みんな選挙に行こうと呼びかける。しかし、本当は、国民のほぼ全員が、すべての選挙に、実質的に投票を行っているとことはないだろうか。「おにぎり」が店頭に並んでいなければ、お店(選挙)に出向かない、という声なき投票行為だ。

この話を私の友人としていた時に、彼がふと興味深いアイディアをつぶやいた。「無投票も候補者の一人として計算するのはどうだろう?」 もし、「1—投票率」(投票しなかった率)が「当選者」の得票率を上回った時には、民意に叶う候補者が存在しなかったとして、その任期中は首長なしで行政運営を役人たちに任せるのだ。数年であれば首長がいなくても行政は回る可能性は高いし、誤った方向性を示すくらいならなら、政治機能をいったん停止する方が有効な社会運営となるかもしれない。選挙戦術のための争点ではなく、ほんとうに社会が必要とする政策を検討する候補者が増えると思う。

その現実味はともかくとしても、「選挙結果」とは異なる、本当の民意が存在するというメッセージは重要な提起である。政治の目的は選挙に勝つことではない。幸福な社会の実現である。政治家の仕事は、国民と市民を幸せにすることだろう。ほんとうの政治が広がるために私に何ができるか、宜野湾市長選挙をきっかけに、もう一度考えてみようと思う。

2016年1月28日沖縄タイムス+プラスに掲載された。

人は本能的につながりを求める存在です。社会から切り離されることは人生における最悪の出来事のひとつであり、人は何よりも孤立を恐れ、必死に自分の居場所を見つけようとして「戦って」います。

沖縄社会(に限りませんが)におけるつながりが希薄化するほど、多くの人のつながりを求めたいという気持ちが高まるのは自然なことでしょう。これ対して最も効果的に応える、典型的なパターンの一つが、「敵」に対峙してまとまることで、これが沖縄ナショナリズム(本土から見ると左派になります)高揚の一因になっているような気がします。

この場合、つながることが一義的な目的ですので、「敵」は恣意的に決定されます。一般的には、(辺野古のように)最も「分かりやすい」ものが選択されます。これが、基地問題としては本質的にはるかに重要であるはずの浦添新軍港にまったく議論が向かない理由ではないでしょうか。

もし人々の関心の矛先が、お互いつながることを優先に決められているとするならば、社会における議論は、その問題が本質的に最重要かどうかという基準で選ばれにくいということになります。むしろ県民の「関心」に応えるのが民主主義であり、メディアの役割であるがゆえに、本当に重要な問題、たとえば貧困などが、政治や報道の主要なテーマとして置き去りにされてきたようにも見えます。

この仮説に異議のある人はいらっしゃると思いますが、仮にこれが正しかったとするならば、私たちが最もしなければならないことは、沖縄社会に前向きで生産的な意味でのつながりを復活させることであり、そのためには、どうしても自立生産的な産業が必要だと思うのです。

私が考える基地問題の最大の問題は、仮にそれが解決しても、沖縄県民を不幸から解消するに過ぎず、それだけでは決して県民を幸福にしないということです。基地がなくなって幸福になるのであれば、本土の多くの県はとても幸せに暮らしているはずです。

基地が沖縄県民を不幸にしているという側面は大いにありますが、逆に、(つながりを失うなど)沖縄県民が不幸だからこそ基地問題が拡大しているという因果関係はないでしょうか?基地に反対する気持ちは私も全く同じですが、私たちは県民を本当に幸福にするために、より深く思考し、活動すべきではないかと思うのです。

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本稿は、2015年10月18日に、那覇青年会議所(JC)の主催で開かれたパネルディスカッション「沖縄経済ミッション2015」 〜現状から考える沖縄の未来〜 における樋口の発言を加筆修正したものである。取り上げられたテーマは3つ。

. 県内格差の問題について
. 基地返還後の跡地利用について
. 沖縄振興一括交付金の使い道について

パネリストは、元沖縄県副知事の上原良幸さん、経済博士で評論家の篠原章さん、沖縄国際大学教授の前泊博盛さんと樋口である。

1. 県内格差の問題について

沖縄で格差と貧困がなぜ生じているかについては、複雑な理由が存在するが、一口で言えば、沖縄の事業者に生産性を上げる力がないからだと思っている。こういうと、反論されるかも知れない。沖縄の自立経済を語る上で、私が多くの人と議論が噛み合わないのは、「生産性の定義」が大きく異なっているからだ。私が言う、生産性を上げるということの意味は、規制のない、補助金のない、参入障壁のない、独占形態のない自由市場で、体一つで、努力と、知恵と、経験と、チームワークで外貨を稼ぐという意味である。大変失礼ながら、その意味で、沖縄に実業はほとんど存在しないのではないかと思っている。

もちろん沖縄に何がない、という話をしたいのではない。私たちの経済的自立を語る上で、何が自立かを定義し、そのためにどのような水準の変化が必要かを明らかにする必要があると思うのだ。

実業の本質の一つはプロセス力である。プロセスはもっとも地味で、もっとも退屈で、もっとも努力が必要とされる。それゆえに、プロセス力は社会で最も軽視され、もっとも不足している。プロセスが自分の仕事だと認識している経営者は驚くほど少ない。

アップルコンピューターを創業したスティーブ・ジョブズがプロセス力についてとてもわかりやすい説明をしている。ジョブズは30歳の時、自身が創業した会社をクビになり、ペプシコの経営者だったジョン・スカリーが彼の後を引き継いだ。ジョブズは後にインタビューに答えて次のように言っている。

私がアップルを去った後、スカリーは深刻な病に侵された。同じ病気にかかった人を何人も見てきたが、彼らはアイディアを出せば作業の9割は完成だと考える。そして考えを伝えさえすれば、社員が具体化してくれると思い込む。

しかし、凄いアイディアから優れた製品を生み出すには、大変な職人技の積み重ねが必要だ。それに製品に発展させる中でアイディアは変容し、成長する。細部を詰める過程で多くを学ぶし、妥協も必要になってくる。電子、プラスチック、ガラス、それぞれ不可能なことがある。工場やロボットもそうだ。だから製品をデザインするときには、5000のことを一度に考えることになる。大量のコンセプトを試行錯誤しながら組み換え、新たな方法で繋ぎ望みのものを生み出す。そして未知の発見や問題が現れるたびに、全体を組み直す。そういったプロセスがマジックを起こす。

成功を信じて突き進むチームを見て思い出すのは、子どもの頃、近所に住んでいた老人のことだ。妻に先立たれた80代の男性で、見た目が少し怖かった。私は芝刈りのバイトかなにかで彼と知り合うようになった。ある時彼のガレージでモーターとコーヒー缶をバンドで繋げた古い研磨機を見せられた。それから裏庭に出て一緒に何の変哲もない石をたくさん集めた。彼は石を缶に入れ液体と砂粒を加えた。そしてモーターを動かすと、「明日また来い」という。缶は激しく音を立てていた。翌日彼を訪ね、缶を開けてみると、驚くほど美しく磨かれた石が出てきた。こすれ合うことで摩擦や騒音を生じながら、ありふれた石が美しく磨き上がる。私にとって、この体験こそが情熱を持って働くチームのインスピレーションになっている。ずば抜けた才能を持つものが集まって、ぶつかり合い、議論を戦わせ、喧嘩して怒鳴り散らす。そうやってお互いを磨き合い、アイディアを磨き上げて美しい石を創り出す。(「スティーブ・ジョブズ1995 ロスト・インタビュー」より)

積み重ねられた努力とチームワークがあって、1万もの問題を乗り越える創意工夫があって、何回もの試行錯誤を重ねるプロセスがあって、生産性が生まれる。そのプロセス力が事業力の本質の一つである。

先ほど会の冒頭でコーディネータの平良理事長が、この会の運営について樋口から「お叱りを受けた」とおっしゃっていたのにはいくつか背景があるのだが、たとえば、本会のチラシ、パンフレット上の私のプロフィールが「盛岡県」出身になっている。JCの問題を議論したいのではない。あくまでプロセスの問題として考えると、あれは、ゲラを一回注意深く校正すればいいだけの話なのだ。

また、今回のシンポジウムは6つのテーマが設定されている。6つはそれぞれとても深いテーマで、その中には私がそれほど明るくない分野も含まれているから、自分の言葉に責任を持つためにも、事前にできるだけ調べたい。他の先生方もおそらく同じ感覚をお持ちではないだろうか。

しかしこの会の進め方は、6つのテーマのうちから3つを当日来場者に選んでもらい、残りの3つを捨てるというのだ。私たちが発言の一つ一つに責任を持とうと思って調べようとするものに対して、3つしか取り上げられない。東京からいらっしゃっている先生をはじめ、みなさんご多忙の中で、そのような会の運営方法はどうなのだ、と私が文句を言ったのだ。「それは失礼じゃないのか」と。多少至らないことがあろうと突っ走る、若い人たちのパワーは良い。問題は、その後のプロセスである。私がこれを指摘したのは2日前である。運営側にとっては大問題であろう。実質的に「シンポジウムの基本的な枠組みを組み替えろ」と、間際になって樋口から指摘されたことになるからだ。

ちょっとした危機対応である。臨時で理事会を開くなり、アイディアを根本的に練り直すなり、時間が限られている中で、理念との整合性を保ちながら、最小限の変更で最大限の効果を生み出すためになにをするべきか。たった二日間しかない中、すでに99%の構成と根回しが出来上がっているにもかかわらず、最後の1%の詰めに50%の労力を割く。そのために徹夜でもして、悪戦苦闘しながら、最後の最後まであきらめずに良いものを仕上げる。そのプロセス力が商品力の正体であり、経済の本質であり、事業力であり、自由市場における生産性の源なのだ。

沖縄の未来の経済力とは、つまりJCのプロセス力である。30代以下の君たちが、自由市場において、このようなプロセスを通じて生産性を獲得しなければ、結局沖縄は誰かのお荷物にならざるを得ない。一方で、たとえば東京のビジネスパーソンたちは、このような危機的状況におかれると、何度も原稿を見直したり、最後に「組み替えろ」と誰かから重要な指摘をされたら、何日か徹夜をしてでも帳尻を合わせたり、最後の1%で最大の成果を上げる産みの苦しみを通じて、より良い商品を生み出し、顧客を獲得し、外貨を稼ぎ、彼らが稼いだ外貨の中から私たちは大量の補助金という形で補助を受け、沖縄経済圏では「盛岡県」というクオリティでも事業が成立している。

日本政府は過去43年間「それでいい」と言っている。問題は、私たち沖縄はそれでいいのか?ということだろう。現実を直視して、私たちの事業力をもう一度問い直すべきではないだろうか?自立経済を考えるということは、そういう意味ではないのだろうか?

私がなぜJCに呼ばれたのかということをずっと考えていたのだが、せっかく頂いたこの貴重な機会に、若いみなさんに対して、こういう生意気なことを提案するのも一考だと思った。自由市場のもとで、自分の体一つで、沖縄県民のために外貨を稼いでくる。そういう事業をあなたたちは、今日、やっているだろうか?それは夜中の1時2時を過ぎても最後のゲラに細かく目を通すことであり、結果として「盛岡県」と書かないということであり、あるいは、遠方からいらっしゃる方の気持ちになって、思いやりを示して、それがどんなに間際であっても、絶望的に面倒に思えても、シンポジウムの構成を組み替えるということだ。

私は経済は思いやりだと思っている。今日のシンポジウムのように、沖縄を大好きで、沖縄のためになろうとして本土から沖縄に来てくれる方々が、沖縄の事業家の思いやりとプロセス力に乏しい対応に接して、落胆して帰っていく。この繰り返しが本当に沖縄のためになるのだろうか?これまでと同じ水準の生産性で、今後沖縄経済は持続性を保つことができるのだろうか?

覚悟を持って経営を見直し、真のプロセス力を身につけて、生産性を上げ、そこから従業員に給与を払う。生産性がなければ労働分配を増やすことは不可能である。そのようなプロセス力が貧困と格差の問題を解消するのだと思う。

2. 基地返還跡地の利用方法について

基地返還跡地に限らず、沖縄は多くの土地が「生まれて」いる地域だ。国土地理院沖支所(昭和63年~平成25年の沖県面積の推移)によると、沖縄は1988年から2013年までの25年間で、東京ドーム300個分弱(13.91㎢)の埋め立てをしている。これも新しい開発用地である。これに今後返還される大量の基地が加わる。

この状況で重要なことは、バックミラーを見ないということ。戦後70年間、バックミラーに写っていた後ろの道、社会は、ある程度未来を予測していた。しかし、今後の社会は、今までとは全く異なった道が待ち構えている。だからバックミラーを見ながら運転したらどこかで必ず事故を起こす。その最大の変数は人口動態である。

たとえば、日本の年金制度は時間の問題で大きな修正を余儀なくされるだろう。少人数の若者が多数の高齢者を支えるようになれば、現在65歳の年金支給年限が近い将来70歳、ひょっとしたら75歳まで引き上げられることはほぼ間違いない。私たちの世代は70歳、75歳まで現役で働くことが当たり前になるだろう。それは、孫に小遣いを渡す程度の収入ではなく、私たちの普通の生活を支える、携帯を使う、インターネットを使う、車の維持費を払う、豊かな食材を買う、そいういう水準の収入のことを言っている。必然的にそれを可能にする労働環境が存在しなければならない。ところが、「70歳の私」がおもろまちで働く場所を探しても、どこにも適当な居場所がない。これが基地返還の最大の問題である。私たちが将来働けない街を作っているということだ。

那覇市では生活保護の問題が拡大し続けている。被生活保護者は2000年から2014年までの14年間で、70%以上増加して1万1千人を超え、2014年予算で209億円の税金を使っている(データは2015年1月5日沖タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。増加分のおよそ9割弱は50歳以上だ。生活保護増加の問題は、50歳以上の再雇用の問題である可能性が高い。私は50歳になったので、おもろまちでは働けない体になってしまった。このような、全然違う将来がこれから先に待ち受けている。

特に年齢が20歳から39歳までの出産可能な女性の人口が、これから25年間で半分以下に減少する市町村が、日本全国で900弱存在すると推定されている(増田寛也著『地方消滅』)。地方が消滅に向かうときに何が起こるかといえば、働き手がいなくなる。今年オープンしたライカムのイオンモールではすでにそのことが起こっている。巨大なショッピングセンターを開発すれば、どうやって顧客を獲得するかという以前に、そこで働く人が大量に必要だ。しかし、人がなかなか集まらない。期間限定とはいえ、バイトの時給といえば最低賃金が当たり前だったこの沖縄で、時給1500円で募集しても人が十分に集まらない。

基地返還跡地で、広大な埋立地で、開発をしようとする、ショッピングセンターをオープンしようとする、医療施設を作ろうとする。しかし、そもそも若者がいない。だからといって、高齢者と女性が働ける環境は存在しない。こういった社会設計の根源的な間違いが生じているが、過去70年間のバックミラーを見て都市計画すると、まさにこのような街ができるのだ。

70歳の私たちが働ける街を作るためには、発想の転換が必要である。あと数年たてば団塊の世代が70歳に突入して、介護される立場になる。介護するのは団塊の世代ジュニアである。彼らは40代の働き盛りで、課長だったり、部長だったり。その人たちが、「すみません、介護のために、今週午前中は休みを取ります」という働き方が普通にでき、それでもなお、2割、3割の高い生産性を持続的に産まなければならない。そのためには、全く異なった働き方のパラダイムが必要になる。ところが、沖縄は長年労働者が日本で一番虐げられてきた地域である。彼らに豊かな労働環境を提供できなければ、単に事業で利益を上げるという問題を超えて、私たちの社会がそもそも成り立たないのだ。

しかも、人口動態は、多くの経済予測と比較して正確な将来推定が可能である。だからこそ、私たちは今すぐ対応しなければならない。それにもかかわらず、私たちは違う問題を議論し過ぎてはいないだろうか。この対応が後手に回ることで最も割を食うのが、若者であり、シングルマザーであり、年収100万円台で働く非正規雇用者である。教育問題、DVの問題、依存症の問題、子育ての問題、こどもの貧困の問題、深夜徘徊の問題、自殺の問題、生活習慣病の問題、就職の問題。若者をはじめとする、「弱者」の本当の問題を、大人は誰も真剣に考えていないのではないか。私は学生と接していて、そういう失望感が、若者の間に広がっているような気がする。

自分の人生を前に進めたいのだが、バックミラーを見て設計された固定的な社会構造が目前に立ちはだかる。大人は現状維持を望んでいて、若者の問題を真剣に考えていない。私たちはこういう、沖縄の将来を担う、しかし現在は弱い立場にいる人のために真剣に考えなければならない。

本土との格差を縮めるために、振興開発計画を中心に大量の補助金が投下され、実際格差は縮小しつつある。しかし、補助金が不均等に配分されてきたために、結果として県内に大きな格差を生んでしまった。この格差は、現状維持を求める大人と、未来を切り開きたい若者の格差でもある。既得権を維持したい保守層と、社会的弱者の格差でもある。

バックミラーに映っている量の事業、量の開発ではなく、社会を固定化し、既得権を維持するだけの事業ではなく、もっと質を勘案する、ひとりひとりが月曜日が楽しくなるような職場はどこにあるのだ?そういった職場を作ることができる実業家は、誰なのだ?沖縄の事業家の中で誰が明日から従業員の給料を3割増やせるのだ?あるいは1年後から3割増やせるのだ?休みを2割増やせるのだ?70歳の高齢者を20人採用できるのだ?そのためには、現在の商品ではダメだから、サービスではダメだから、営業じゃダメだから、マーケティングじゃダメだから、経営のやり方を変えなければならない。そういう順番で事業の全てを見直さなければならない。しかもこの自由市場で成果を上げなければならない。補助金に頼らず、参入障壁に頼らず、独占形態に頼らず、である。

これから沖縄はどんどん補助金が削がれていく中で、不可逆的に自由市場にさらされていく。その先端で、生産性を上げ続けなけばならないが、その生産性を上げる環境は今までとは全く異なるということを認識しなければならない。

そして、このような事業が必要とするインフラは何だろう?都市機能とはなんだろう?交通は何が適当だろう?そのような企業で働く従業員にふさわしい住環境とはどのようなものだろう?そういう順番で、未来に必要なものから逆算して、基地返還跡地の利用方法を考えるべきだろう。

3. 沖縄振興一括交付金の使い道について

お金は劇薬である。人間を天国にも地獄にも追いやる魔法の薬だ。私たちはその魔法の薬をたくさんもらっているのだが、その薬をどう使うか、処方箋が存在しないのだ。薬屋さんに行って、劇薬をもらって、処方箋がどこにもない様子を想像してもらいたい。しかもこの薬は砂糖に包んであって、口当たりが良く、即効性と中毒性があり、みんなこぞって服用するものだから、社会のいたるところで、激烈な副作用が生じている。現代社会、本土復帰以降の沖縄は、このような状態に置かれている。政治や行政に頼らず、私たちが自分たちの手で処方箋を書かなければならない。

本土復帰以来43年、振興開発計画に基づいて、本土に追いつくことを目標に、つまり本土の平均を目指して経済成長を重視してきた。その結果、本土との経済格差は多少縮まった。しかし、その過程で、振興開発計画によって投下された大量の補助金が、沖縄県に不均等に分配され続け、県内に大きな格差を生んで、貧困の問題をはじめとする、数々の社会問題を生み出しているというのが、私の認識である。

例えば、酒税の減免措置。沖縄振興開発特別措置法に基づいて、沖縄で製造販売される泡盛に関して、35%の減免措置が本土復帰以降43年経過してもなお継続している。現在泡盛の蔵元は県内47。ただし、この減免措置を受けることができるのは、復帰時に蔵元だったこの47社だけだ。新規参入が事実上認められていない。既得権を持つ蔵元は、税金の減免措置のために、安価に商品を販売できるため売り上げを伸ばし、大手蔵元は特に巨額の利益を得ている。

だからといって彼らが新しい事業展開をできるかといえば、沖縄社会ではあまり目立つことができない。業界の序列を変えるような新規事業はまったく歓迎されないし、ある蔵元がいくら儲かっているからといって、従業員一人あたりの給与を700万、800万円にすれば、「なんでお前だけそんなに給与を払っているのだ?」と周囲から声なき圧力を受けて、浮き上がってしまう。結果として、イノベーティブな事業に投資もできず、従業員に多くを分配することも叶わず、バランスシートの中に現金がたまっていく。お金の使い道がないものだから、ある蔵元のように4人の同族経営者に4年間で19億4千万の報酬が支払われる(2014年11月2日朝日新聞デジタル)。県内格差の象徴的な事例である。

私たちの創意工夫とプロセス力で新しいものを生み出すことができるような、文化的、経済的、社会的土壌を生み出さなければならない。沖縄では二次産業が育たない、私たちは島国だから工場を作れない、と良く言われるが、世界で最も時価総額が高いメーカーはアップルである。彼らの製造拠点は中国である。世界で最も価値の高いメーカーは、実は地元で製造していない。それにもかかわらず、製造収益を地元に取り込んでいる。なぜそれが可能かといえば、制度でも補助でもないお金でもない、人の発想と情熱とプロセス力による。

いかに人を生かすようにお金を使うか。今までの発想を転換させるようなお金の使い方を見つけなければならない。子供に多額の小遣いを渡せば、人を潰してしまう。それとは全く違った、人を生かすような使い方をしなければならない。

そのヒントのひとつは「外貨」だと思う。沖縄が戦後まとまって県外からお金を稼いだ時代は2回しかないと思う。1945年終戦後から7年間の密貿易の時代。米軍の資材を流して、与那国経由で台湾、香港とつながり、当時のお金で、個人で100億円の収入を得た人がいたくらい。散々外貨を稼いだが、7年間で終わった。

もう一つはベトナム戦争のコザロックである。一晩でドラム缶にドル札がいっぱいになるくらいの外貨を稼いだ。どちらの時代も、とても個性的な人材を大量に輩出した。外貨を稼ぐ過程で生まれてくる創意工夫とダイナミズムが、大いに人を育てるのだ。しかし、それ以来、沖縄は集中的に外貨を稼いだことはない。

沖縄の自立経済とイノベーティブな人材育成のカギは外需にある。周囲とのバランスを取らなければならない沖縄社会において、沖縄の事業家の中で、外需型の事業家は個性的な方が多いように見える。これを事例に出したら本人に怒られるかもしれないが、お菓子のポルシェの経営者沢岻カズ子さんは、紅芋色のポルシェに乗っている。普通の経営者であれば、「レクサスに乗りにくいから、クラウンにしようかな」、という配慮が必要な沖縄社会で、彼女は堂々とポルシェに乗っている。それは彼女が外貨を稼いでいることと無関係ではないと思う。経済的に自立し、社会に胸を張って、自分を生きている。

また、70歳以上のウチナーンチュと話すと、これが同じ県民かと思うくらい率直に発言する人が多い。「おまえ、それはおかしい」と。普通のウチナーンチュだったら、口にしないようなことも、はっきり口にする。自分の意見を公言して憚らない。私は、それは復帰後の補助金経済が始まる前に社会に出た経験のある世代だからではないかと思っている。外需と自立経済は人を育てるのだ。

だから私たちは視線を外に向けなければならない。このような条件に該当する、外貨を稼ぐことができる企業が沖縄を見渡して、どこにあるかと考えてみると、私は、南西航空を買い戻して、沖縄のフラッグシップとして、人を育てて、腰が抜けるほど外貨を稼ぎ、自力で稼いだ収益をトップではなく、ボトムに幅広く、社会全体に再配分する事業再生を実現するべきだと思っている

向社会的な投資で収益を生み出す、インパクト投資という概念が世界で広がり始めている。これは政治に頼る必要がない。行政に頼ることもない。たった一人の事業家が、株式の譲渡と経営力でできることだ。私たちが実現すべき経営のイメージを伝える象徴的な事業になるだろう。オレンジの翼が沖縄に戻ってきて、飛行機が一回発着するたびに、その収益が県民のために使われる。そのお金を教育に使っても、農業に使ってもいい。

現在日本トランスオーシャン航空(旧南西航空)の売上は約400億円。東アジアと日本の地方都市にルートを広げ、アジアのダイナミズムを取り込み、売り上げを1000億円に伸ばし、その経常利益率が2割だとしても、毎年税引後で100億円くらいのキャッシュを生み出す事業を実現することは容易なことだ。そして、他人のお金ではない、自分が稼いだそのお金を社会のためにどう使うかを真剣に考える。

とても突飛なことのように聞こえるかもしれないが、自由市場で稼いでいる人たちは、普通にこういうことをしているのだ。それを沖縄でやろうじゃないか。そうすれば、日本全体が、「沖縄はすごいな」、「事業で社会が変わるんだ」、と感じるようになる。

日本の地方都市から見ると、東アジアの観光客や経済が、沖縄を経由してどんどんやってくる。「沖縄の南西航空が地方に経済を運んできてくれた」、ということを目の当たりにすれば、全国的に沖縄のことをもっと真剣に考えようという気持ちが生まれるのは当然のことだろう。本土と対立するのではなく、沖縄が沖縄以外の人の役に立つ。その姿勢が、心でつながる沖縄ファンを全国に増やし、結果として沖縄の発展をもたらす。そういう事業を作ろうじゃないか。そういう発想を持つ人が、事業が、お金を活用すれば、とても豊かな社会になる。そういう会社では70歳の人が普通に働いているはずだ。シングルマザーが出産後、普通に1年間有給休暇をもらえるはずだ。

そのような企業が沖縄から生まれるためには、どういう都市開発がふさわしいのか、基地返還をどう設計するべきなのか、そういう順番でものを考えるべきだろう。

4. 質疑応答: 自由市場での競争について

Q生産性を飛躍的に増加させる方法について、自由市場の激しい競争環境を前提として考えるべきなのだろうか?新自由主義経済の枠組みが格差を生んでいるということではないのか?

樋口: とても良い質問をいただいた。「自由市場で生産性を上げる」と表現すると、規制緩和、自由競争を主な手法とする新自由主義的な激しい競争環境を想起させる。そのイメージで「自由市場」を捉えれば、さらに格差にドライブをかけるような印象を与えてしまったかもしれない。

私はまさにこの世界に10数年いたため、この環境がどれだけ過酷なものかよくわかっているつもりである。それを沖縄のような地方で再現しようとしても、みんな心臓発作を起こしてしまう。そんなことに持続性はないし、そのような経済原理を私たちの社会に取り込む必要は全くないと思う。

ただ、素晴らしいことに(というべきか)、この新自由主義経済が機能しなくなり始めている。それにはいろいろな理由があるが、その一つはやはり人口動態である。どれだけ顧客が来ても、どれだけ売り上げがあっても、どれだけ利益が確保されていても、商品が優れていようが、マーケティングがうまくいっていようが、働く人がいなくなって黒字で倒産という事例が出始めている。今の時点でもこの状態なので、5年後、10年後、新自由主義経済は根源的に激しい修正を余儀なくされるだろう。

先に、沖縄では労働者が虐げられてきたと申し上げたが、これは世界的な現象でもある。労働者を叩けば叩くほど企業収益が上がるという発想で、新自由主義経済は「成長」してきたのだが、肝心の労働者が疲弊しきってしまっている。若者がたくさんいた時はそれでも良かったが、今はもう労働者の絶対数が不足している。どれだけ補助金を獲得しても、中国からどれだけ観光客が来てくれても、ほんとうに真剣に人のことを考えなければ、そもそも事業が成り立たない。単に給料を倍にしたからといって人が集まってくれるとは限らない環境で、生きるとはなんだろう?働くとはなんだろう?楽しい月曜日にするために何をしたらいいのだろう?このような、人の心と思いやりを経済活動に取り込まなければ、事業活動そのものが自由市場で戦えないという時代が到来しつつある。

それに呼応するように、経営者の意識が変わり始めている。今までは従業員の給与を減らして、叩けば叩くほど収益が上がるという、企業収益と労働分配はトレードオフの関係にあると考えられてきたのだが、今後は決定的に変化する。従業員を幸せにするほど、彼らが元気になればなるほど、結果として事業収益が上がるのだ。このことを、ポップなセミナーではなく、ハードな科学者が証明しはじめている。この事実が、心理科学、社会科学のレベルから経営に浸透し始めると、それを実証しながら大いに事業を伸ばす経営者が実際に生まれてくる。従業員をとことん大切にすることで、今までとは全く異なる水準の生産性を生む事業モデルが仮に沖縄から生まれたら、今までとは全く異なる労働環境で、豊かな収益を生みながら、楽しく幸福に働けるのだという、次世代の経済原則をみんなが沖縄から学ぶことになる。

そういう会社には人が集まる。幸福な従業員が働いている会社は、幸福な顧客を引きつける。そして、幸福な顧客は財布が緩む。お金を使う。さらに、収益が地域に還元されることがわかっていれば、南西航空を利用すれば、この会社の商品を購入すれば、きっと自分の売り上げは、地域をよくするために使われるのだという、今までとは全く違った信頼関係が企業と消費者の間で生まれる。そうすれば、単に飛行機を利用する、商品を購入するという意味を超えて、社会全体のために、消費者が慈善家として機能するようになる。経営者のパラダイムシフトによって事業の発想が変わりさえすれば、70億人の消費者を慈善家に変えることも可能である。

これは時間の問題で生まれる。世界のどこかで。どうせならばこれを沖縄から生み出そうじゃないか。その1社が、2社が、10社が生まれると、世界から見た沖縄ということの意味が変わる。沖縄社会が異なったパラダイムで世界から見られる。沖縄の問題は、日本全体の問題である。日本の問題はやがて中国の問題になる。中国ではもう、労働人口が減り始めている。人件費が高くて、中国から生産拠点が流出する時代になっている。次にはインドへ広がる。この沖縄モデルが東アジアに拡散する。私たち沖縄がその中心で活動するべきではないか。その沖縄がどの社会よりも優しくて豊かで、75歳が、若者が、シングルマザーが普通に、幸せに働いている。沖縄の真の21世紀ビジョンはこのようにあるべきだろう。

(以上)

*本稿は2015年10月26日、沖縄タイムスデジタル版に掲載された

沖縄では今までなかった、ちょっと異色の取り合わせによる「沖縄経済ミッション2015」が開催されます。

10月18日(日曜日)午後1時より、沖縄大学にて。ニコ生で全国同時配信もなされるようです。

沖縄の問題は「辺野古」米軍基地移設だけではないのは当たり前だが、内在化している問題はほとんどメディアにのることはない。日本政府と対立する政治性だけがクローズアップされがちで、米軍占領下から「ヤマト世」へ移行し、現在に至るまで沖縄が抱え込まざるを得なかった構造的な問題性は腫れ物に触るかのように扱われてきた。そういった問題のいくつかを、金融の専門家にして沖縄大学人文学部准教授、トリニティ株式会社代表取締役をつとめる、沖縄に移住して10年の樋口耕太郎さんに意見をうかがった。

■沖縄で繁栄するモールができれば廃れる町もある■

藤井:沖縄の北中城村に巨大ショッピングモール「ライカム」が2015年4月にオープンしました。イオンのショピングモールです。米軍基地の返還地ですが、もともとは米兵のゴルフ場として使われてきた。その前は沖縄のアメリカ統治下の司令部の名前です。それをそのまま流用するのがある意味で沖縄的だなあと思いつつ、ぼくも見に行ってきました。周囲の道路は大渋滞でしたが、施設の中は広いし、衣食住関連のショップの数はすごい。沖縄の人たちはもちろん、内地や中国、韓国などアジアや世界中から観光客が押し寄せていましたし、米軍基地関係の家族連れも多くて、すごくカオスなかんじがしました。

しかし、近くのコザ(沖縄市)に目を転じると、コザの商店街という商店街は壊滅状態のありさまです。繁栄する町があれば、廃れる町もあるというセットで考えないと何も見えないということを痛感します。コザの夜の飲食店街の「中の町」も含めて、コザのアーケード街は中央パークアベニュー(かつてのセンター通り)やそれに連なるアーケード商店街は、見るも無残です。もっとも、ライカムは町ではなくショッピングモールですが、これからライカムの影響でコザや他の街の商店街も、もう息の根を止められるのではないかと思ってしまいます。

樋口:コザは見ていて苦しい気持ちになります。今は誰も打つ手が無いという感じで放置されているかのようです。多くの方々がたくさんのことを試みてきたと思いますが、対処方法そのものよりも、発想の仕方が問題を悪化させているのではないでしょうか。「基本的にはコザには価値のあるものなどないから、だから何かを作らなければいけない」という前提で発想をすると、一等地の地上げをしてコザミュージックタウンをつくるという結論になる。心臓が悪くなったので外科手術で新しい臓器と取り替えようというイメージでしょうか。その発想を変えてみるということです。「コザは寂れたとはいえ、まだ本島で一番魅力的だし、此処しかないものがまだまだある街だ」という前提で考えると、外科手術よりも、体に栄養を行き渡らせるために血流を良くする方法が適当かもしれない。傷口を開いて、心臓移植をするような、一等地を地上げして箱ものを造るようなやり方じゃない。鍼灸治療のように、そこには面白いものがたくさんあるのだから、血流を回してそこに栄養分を行き渡らせようじゃないかと。例えばの話ですが、幹線道路を除いたすべての道路で路上駐車を解禁するとか。そうすると、コストもかからずに人が街にもどって来る。一番少ないコストで、味のあるコザのコンテンツを活性化出来るのではないか。「この街には良いものがあるんだ」という発想で プロジェクトを進めることが、よいメッセージを広めると思う。ミュージックタウンの何が気になるかと言えば、コザ市民が「今の自分には自信がない」と言っているかのように感じられることです。

藤井:コザは戦後に米軍が基地をつくるために土地を強制接収することによってできた街です。それにともなって基地と共存してきた歴史もあり、たとえば「デイゴホテル」はオーナーは最近亡くなり、いまは新しく建てかえられてしまいましたが、90年代に何度か泊まってしたけれど、こんなに歴史を感じられる所があるのだと思いました。もっと中央パークアベニューも賑やかでした。ところが今は名店だったニューヨークレストランすらつぶれてしまいました。

樋口:なくなったんだ・・・。

藤井:数年前に行ったときに閉店してました。窓ガラスも割られてひどい状態です。「チャーリー多幸寿」だけが営業しています。地元で昔からやっているのは、BCスポーツと照屋楽器店など数軒だけです。通りを上がっていった所にあるテナントビルの「コリンザ」もいまひどい状況です。たしかむかしは大型電器店が入ってた。一階にテーブルがいくつかあって、人がつっぷして寝ていました。コザは独自の歴史があり、それを観光のウリにしてはいますが、沖縄フリークや、歴史好きにはいいかもしれないけれど、もうそういった資源では多くの人を呼ぶのは限界なのかなあという気にもなりました。ミュージックタウンもそうだけれど、コザロックで町おこしをやろうとしたわけで、いまはエイサー会館を造ろうとしているのです。確かにエイサーのさかんな地域だからそういう発想はあるだろうと は思うのですが・・・。

樋口:僕が言っているのは多分10年前だったら機能するプランであって、今はもう手遅れかもしれない。10年前とは言わなくても、5年前だったらまだ面白い店はあった。ここ2 ~3 年で急速に寂れたかな。

藤井:たしかに急速にゴーストタウン化したのはここ2~3 年ですね。

樋口:もう手遅れになっちゃったのかな。

藤井:コザ十字路の銀天街なんて見る影もないですよ。戦後あそこは一番にぎやかな所だったのですけれど、現在は道路を拡張して道路に面した建物の壁に、コザの歴史が絵巻のようにした壁画が描いてある。

樋口:街ってこんなに簡単に変わっちゃうのだね。

■沖縄で50歳以上の生活保護受給者が増えている状況をどう考えるか■

藤井:コザのあちこちには昔の街の面影が残っているスナックとかクラブをリニューアルしてやっている店がごくわずかあるけれど、まち全体の魅力につながっていない。街づくりは一朝一夕でできるものではないけれど、基地に付随して発展してきた街や、米軍基地の返還地はまとめてでかい箱ものをつくるか、ショッピングモールをつくるパターンが目立ちます。もちろん、そうではない例も浦添の港川の米軍住宅をそのまま再利用したショップが立ち並んだ区域(港川ステイツサイドタウン)など一部にはあります。この間行ってきたら、ケーキ屋やカフェ、古着屋に中国から若い女性たちがたくさん来ていました。ところで、樋口さんの金融の専門家の視点から見ると、経済をまわす意味では箱ものをつくるほうが楽なんですか。

樋口:ハコモノは時間的に早く出来上がるし、お金さえ払えば人が作ってくれるものだから、よりよい商品やサービスを生み出したり、苦労して人材を育てたり、頭を使 う必要も汗を流す必要もない。安易というか、その方が楽だと考える人は多い。大きなお金も動くし、街づくりを手がける当事者の実績にもなりやすい。自分たちが世界中のモノを見て、文化的なものを経験して、膨大な資料に目を通して、たくさん勉強して、そのうえで地元にある資源を生かしてやっていきたいとい う、時間や手間のかかる街づくりは敬遠されちゃうのではないかな。

藤井:樋口さんは沖縄では50代以上の生活保護者がすごく増えていて、それは仕事が無いからだという指摘をされています。一方で、ライカムが出来て、以前のゴルフ場の時の従業員は80人くらいだけど、今は3千人位になっている。雇用が増えたから若い人たちはすごくいいことなわけですが、樋口さんは『週刊金融財政事情』(2015.5.25 号)にこう書いておられます。すこし長くなりますが、抜粋させていただきます。

現在人口約30万人の那覇市では、1万1809人(2014年10月現在)の被生活保護者が存在する。最低値5788人を記録した1993年から20年間増加を続け、倍増した。これら保護世帯にかかる2014年度予算が約209億円。54億円弱が一般財源から支出され、市財政を強く圧迫している。80年から長きにわたって減少傾向にあった被生活保護者数は、2000年前後を起点に急上昇に転じている。2000年に6870人だった被生活保護者数は、2014年度には1万1809人となり、72%増加した。2000年から2014年は、翁長雄志知事が那覇市長を勤めた期間でもある(データは2015年1月5日沖縄タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。(中略)

たとえば、人口約260万人の大阪市には他都道府県から日中1000万人の流入があるが、島嶼圏の沖縄はこのような広域経済圏をもたない。島国で経済のパイが変わらないため、競合する事業が生まれれば他の地域の顧客が奪われることになる。顕著な事例は、北谷美浜地区のアメリカンビレッジ再開発によって崩壊状 態に瀕している隣町のコザだろう。基地返還のモデルケースといわれている北谷美浜地区の評価は、コザの衰退とセットで考えなければ実態をとらえることはで きない。

琉球イオン、サンエーの大手2社が2000年から2014年までの間に1000億円近く売上げを増やしたということは、地元の小売店や自営業者の売上げがそれだけの規模で奪われた可能性があるということだ。個人事業主で廃業した人も少なくないだろう。地域を支えていた共同体も変化したに違いない。

ショッピングセンターの開業や再開発に伴って新たな雇用が生まれる一方で、新たな雇用の「受け皿」から漏れる人たちが少なからず存在する。50歳以上の労働者だ。地元に根づいた商売が成り立たなくなれば、転職を考えなければならないが、50歳を超えて再就職先をみつけることは容易ではない。これが2000年以降、50歳以上を中心に被生活保護者数が急増し続けている基本構造ではないだろうか。

実際、2000年からの14年間で増加した4939人の被生活保護者のうち、50歳以上が実に9割弱(4325人)を占めている。50歳以上だけでみると、同期間114%の増加率である。2000年以降の被生活保護者数急増は、シニアの再雇用問題である可能性が高い。

しかし、被生活保護者数増加の一因がショッピングセンターの急増だったとしても、イオンやサンエーを批判することはお門違いだ。彼らの立場で株主に対して 責任を果たそうと思えば、それ以外の選択肢は事実上存在しない。ダイナミズムあふれるグローバル社会において、地域の変化は避けられないことであり、悪いことばかりではない。大手企業が新たな雇用を生むこと自体は地域にとって明らかなメリットであり、生産性の低い業態が淘汰され、新たな産業が生まれる構造変化は社会の活力源でもある。1990年以降、伝統的な製造業の雇用が大幅に減少するなかで、シリコンバレーの新興企業が大量に雇用を創出して、アメリカの国力を支えているのは典型的な事例だ。

問題の本質は、ショッピングセンターの増加ではない。古い産 業が淘汰されることでもない。(語弊があるが)古い共同体が崩壊したことでもない。これらの変化は避けられないことであり、私たちは変化を前提に未来を創造せざるをえないのだ。本当の問題は、「私たちが現在生み出している産業のなかに、将来の自分たちが健康で幸福に働ける場所が存在しない」ということ、そして「再開発で街並みが変わったあとに新たな人のつながり(共同体)が生まれにくい社会設計を放置している」ことにある。

樋口:オープンしたてのイオンライカムでは、始めの数ヶ月という条件付きですが、時給1500円くらいで募集している。沖縄で一番時給が高いから若い世代には飛びつく人もいる。確かに雇用は増える。絶対数で失業率は下がる。とりあえず彼らの購買意欲も生まれるし、経済的にはプラスしかない様に見えるけれど、その影で社会は確実に壊れている。質的な変化は目に見えにくいので、見逃されがちです。すぐに は問題にならないのですが、放置しておくとボディーブローのように後から効いてくる。目に見えないものは、想像力を働かせないと認識出来ない。社会政策や経営を未来志向で捉えると、その時点では証明されていないものであっても、ときには直感を信じて行動しなければならない。社会も同じだと思います。50代以上の生活保護の増加も、ショッピングセンターとの因果関係が必ずしも明確だとは言えませんが、生活保護という症状に現れている以上、必ず「身体」のどこかに異変が生じているはずです。それが「内蔵」なのか、「神経」なのか、「血液」なのか、身体の内部を常に意識しながら社会を捉えないといけないと思うんですよ。そのためには多少大胆な仮説も必要です。

藤井:事象と事象を関連づけて想像力を働かせて見ていかないと本質はわかりにくいということですね。こちらを立てればこちらが立たないというように、そうした沖縄の急速な「変化」も視野に入れながら議論をする必要がある。辺野古に反対するのはもちろん賛成なのですけれど、樋口さんも指摘されていますが、他の海岸に目を転じると埋め立てだらけで、皮肉なことに立入禁止の米軍基地の海岸が一番綺麗だったりする。どんどん護岸工事をしてきた。辺野古の海も大切ですが、一方で開発振興ということで自然を壊してきたこともきちんと視野に入れるべきじゃないかと私はいつも思うのです。だって護岸工事された浜は観光資源にはならない。

樋口:ほんとうにそう思います。複眼でものを見る必要がありますね。

■幻の政策アドバイザー■

樋口:じつは僕、一昨年浦添市の副市長になりかかった事があるんです。副市長は民間からでも、どこから登用されてもいいのですけれど、さすがに内地出身の副市長はないだろうということで、政策アドバイザーに内定したのです。話の発端は、2013年2月に松本哲治氏が当選して浦添市長になった時のことです。元々、彼は「浦添新軍港受け入れ容認」という立場で候補になりました。ところが、自民党県連から支持されたもうひとりの対立候補の西原さんが、当時の儀間市長(軍港容認派)に対抗する為に、翁長那覇市長(当時)のバックアップを受けた形で「軍港受け入れ反対」を主張したのです。このため、選挙直前に松本さんも「軍港受け入れ反対」へと立場を切り替えた。あの一瞬だけ翁長さんは実質的に「浦添への新軍港移設反対」の立場にまわったともいえます。

形勢不利だった松本さんでしたが、蓋を開けてみれば、保革相乗りの「オール沖縄」的な票が想像以上に広がり、「軍港受け入れ反対」の公約を背負ったまま勝っちゃった訳です。儀間さんにとっても、自民党にとっても想定外だった。松本さんの後の説明によると、松本市長が誕生した後で、翁長さん(当時・那覇市 長)は、「(自分が推薦した西原さんではなく)松本さんが通ったのだったらいいや」、と言わんばかりに、受け入れ容認派に逆戻りしてしまった、と。

その結果、たった一人、沖縄で松本市長だけが「軍港受け入れ反対」という立場になってしまった。軍港受け入れ反対という姿勢がどれだけ周りから反発されるか、松本さんは後になってその意味を実感したと思うのです。浦添新軍港を含む浦添西海岸の埋め立て工事では8千億円のカネが落ちると言われていますから、 計画が前に進めば「20年間は食える」と経済界は考えていた。実際に軍港受け入れを表明した儀間市政では、2002年以降てだこホールや浦添美術館がオープンし、小中学校の整備が進むなど、多くのお金が落ちて、儀間さんの票に繋がり、長期に市政が安定していたわけです。

それらの勢力が全部松本市長の敵になってしまったわけです。「ふざけるな、松本」という経済界やらの声がデカくなって、あまりに反対が激しいものだから、 彼は困ってしまった。誰かこの風当たりから守ってくれる人は居ないだろうかとさがしたところ、沖縄大学に樋口という変な奴がいて埋め立て反対だということを青臭く言っている、とぼくに話が来たわけです。西海岸の問題は樋口さんやってくれない?全部任せるから、というかんじで投げられた。信任して任せても らったというよりは、ともかく自分の盾になってくれという意味だったように思います。それは後から気付いたのですけれど。

藤井:樋口さんが絡んでおられたとは知りませんでした。地元に地縁血縁や利権の絡みのないシマナイチャーにそこに入って貰うという意味もあったのですか。

樋口:僕は必ずしも悪い意味だとは思っていないのですが、ともかくいつ切り捨てても、クビにしてもよさそうな人間。沖縄社会とはしがらみの無いナイチャーだし、悪者になってくれそうな人という事で、彼はぼくをアドバイザーに内定したのではないかな。僕もキンザーを活かすことができるならと、喜んでその役目を 引き受けた。そうしたら、松本さんにとって裏目に出た訳です。「ヒグチって誰だ?」、「ナイチャーだろ」、「埋め立て反対だと?」、しかも(ポーズだけじゃなくて)本当に反対しそうだと、経済界からの反発に火に油を注いでしまうかっこうになり、松本さんに対する圧力が倍増したのです。

■補助金を必要とする人たち■

藤井:そのあたりは沖縄らしいというと叱られるかもしれませんが、狭い共同体の中で外来者を徹底的に裏でつぶすやり方ですね。

樋口:誰が僕の人事を止めたのかはだいたい分かっています。狭い沖縄で、いろんな話が筒抜けですから。浦添市役所はいまだに前市長の儀間さんの影響が強く、新しい松本市長が「こうやってくれ」と言っても、すぐには動かない。長い間に築かれた多様な関係がきっとあるのでしょう。そんな訳で僕の人事は半年くらい内定状態のままで放置された。松本市長も僕と接触するとさらに不都合になるという状況だったのでしょう。お忍びに近い形で何度か会いにきて頂きましたが、 会話がまったく煮え切らない。松本市長にはきちんとしたビジョンがなかったことも原因のひとつなのですが、僕が彼を困らせているような気がしたので、最終的にはぼくのほうから辞退した訳です

一連のそういった経験の中で、何故埋め立てが止まらないのか、肌身で理解したところがあります。先程も言ったように、8 千億円という大事業がかかっていたら、樋口がどう言っている、松本市長がどう言っている、なんて小さな話なんです。彼らがどんな意見で、どんな立場であろうと知った事か、とにかく彼らを止めろ、という発想になるのは当然でしょう。埋め立てさえ進めば、街のクオリティにはそれほどこだわらない。綺麗な海を残すよりも、ともかく新たな土地を作るのだ、という考えが中心にものごとが動くわけです。その為に彼らは彼らで全力を出して戦っている訳ですから。この人達は例えば「20年後に社会が求める街づくり」というような発想はほとんど持っていない、というよりも周囲との関係で持てないのではないでしょうか。とにかく埋立て事業を進めることが最優先なのだなということがわかりました。

しかも沖縄では、土木建築事業の最大95パーセントは沖縄振興予算で賄われますから、自治体の懐はあまり痛まない。浦添新軍港受け入れは、振興のための補助金を獲得する手段としては絶好といえます。 「長い時間をかけて埋め立て計画を進めてきて、ようやくこれから金になるという時に潰すのか」という怒りも起きる。その気持ちは理解できます。

藤井:松本市長の「変節」は内地ではかなり報道されました。最終的に今年(2014年)になってから、翁長県政がスタートしてから内地でもニュースは流れましたけれど、松本市長は軍港受け入れを正式に表明しましたね。松本市長は苦渋の選択をしたということを言っていましたが、利権絡みの圧力がそうとうあったということは予想できたことです。

樋口:松本市長の特徴は、浦添新軍港の受け入れか反対かについて、自分自身の強い意見や信念がないということでしょう。「沖縄県知事だった仲井眞さんや翁長市長が軍港は浦添でなくても構わないという姿勢をとったから、僕も軍港受け入れに反対した」、と繰り返し発言しています。それなのに当選した瞬間に彼らは 「手のひらを返しちゃった」から、梯子を外されて困っているのは私の方なのだという説明をしている訳です。

藤井:このあたりの経緯は「ポリタス」で樋口さんが書かれています。当選後、少しずつ公約を撤回するかたちで自民党寄りになっていくところまで樋口さんはお書きになっていましたが、翁長さんもこうなる可能性もゼロではないという、ただ手放しで喜んでいるだけではいけないという冷静なメッセージでした。

■浦添市長は浦添新軍港について何の決定権もじつはなかった■

樋口:沖縄は今、辺野古基地建設反対の強い風が吹いています。翁長さんの皆の心を動かしている言葉は、「沖縄に基地を作らせない」、「ウチナンチュは今まで自ら進んで基地のために土地を提供した事は無いのだ」という二つ。こういったフレーズがものすごく人の心を打っている。

僕は、翁長知事は浦添新軍港の建設について、遠からず明確に反対だと言わざるを得なくなると思います。今のところ、「沖縄タイムス」も「琉球新報」もこの問題を積極的に取り上げない。翁長さんが十数年前から浦添新軍港への移設を推進してきたこれまでのことはいいとしても、今現在に至っても、推進の立場を変えていないにもかかわらず、です。それに関して彼もほとんどコメントしないし、メディアも県議会の野党もほとんど沈黙していて、表面化していないので、こ の問題の存在自体に気付いていない人がほとんどではないでしょうか。

藤井:地元記者と何人か懇談したのですけれど、触らないようにしているようです。

樋口:これもあまり知られていないことですが、あの那覇軍港の浦添地先への移転、つまり浦添新軍港を決める当事者というのは、那覇市ではないのです。浦添市でも、沖縄県でもありません。

藤井:別の組織があるのですね。

樋口:那覇市、浦添市、沖縄県とはまた別に、「那覇港管理組合」という名称を聞いた事はひょっとしたらあるかも知れないけれど、あそこの海岸沿いから海にかけては、いわばもう一つの「海の自治体」があるのです。首長がいて議会がある、ガバナンスも自治体そのもの。「管理組合」の議会は10票から成っていて、5票が沖縄県、3票が那覇市、2票が浦添市のそれぞれ選出の県議、市議が議員になって、那覇と浦添の海岸から海にかけて、政府と相談しながら、開発、運営の全てを決めている訳です。だから那覇市も浦添市も沖縄県も直接の意味では権限がありません。松本さんも軍港受け入れ反対を目玉の公約にして当選したのは良いのだけれど、この人は当事者ではないのです。

藤井:決定権がない訳ですね。じゃあ、なぜ軍港受け入れ反対を公約にしちゃったのか。松本さんが意見を言う事は出来るけれど、公約にするのもおかしな話です。

樋口:松本さんはそういう事を知らずに、軍港受け入れ反対の立場を取ってしまったのではないかな。たぶん市長になった後で、「実は自分は何も出来ないじゃないか」と気がついた。だから、公約を守って進むのも困難、退くのも困難という状態になってしまった。福祉事業出身の松本さんにそういう行政知識はなかったと思います。

「那覇港管理組合」という「海の自治体」の評決権は県が5、那覇市が3。すなわち翁長さんが実質的に8割の票を持っているに等しいのです。那覇市の3票は翁長さんの「後継者」である城間幹子市長が持っていますので。なおかつこの組織上のトップ、いわゆる「首長」に該当する人間は翁長さん自身なのです。あとは常勤の管理者として、実務のトップに該当するのは、沖縄県の土木畑の金城勉さんという方がなっていま す。これも沖縄県の方。

藤井:金城勉さんは公明党ですね。政府では与党ですがウェブサイトを見ると、与党的ではない意見を表明されていて、翁長さんと近いですね。翁長さんは事実上、辺野古反対でやっているけれど、那覇新軍港はオーケーの立場なのだから、というか、那覇軍港には明確にノーと言っていないから、ある意味でダブルスタンダードをやっているということなのですね。

樋口:浦添新軍港に関しては翁長さんが事実上一人で決められる、というより、この軍港の話を進めているのは、彼が当事者そのものなのです。誰と相談しなきゃいけないとか、権限が曖昧なのではなくて、とてつもなくはっきりした権限者なのです。

■那覇軍港の移転と辺野古基地■

藤井:翁長さんはどう説明をされるかわかりませんが、彼は日米安保の重要性は認めている。沖縄から基地はもっと割合を減らして内地も負担せよということですね。ということは辺野古は許せないけれど、那覇の軍港は仕方がないという理屈なのかな。

樋口:翁長さんが辺野古新基地の建設に反対するのと、浦添新軍港に反対するのとでは、経済的にも、政治的にも後者の方がはるかに難しいはずです。沖縄の保守政治家としてのバランス感覚はすごくある方だろうから、辺野古の5千億の工事を捨てる代わりに、軍港の8千億はとっておくということかもしれない。彼の意見とはまた別に、彼の支持者の意図も複雑に絡み合っているはずです。

藤井:那覇軍港の方が落ちるおカネはデカいのですね。

樋口:浦添西海岸は外海だから、軍港の先に3キロメートルの堤防を造る必要があって、1メートルについて1億円かかるそうです。堤防だけで3千億円です。莫大なおカネが落ちます。しかも名護市辺野古に落ちるおカネと浦添市に落ちるおカネを比較すると、沖縄経済全体からしたらどちらが得かは明らかでしょう。しかも彼の票田である那覇市のお膝下に大量にお金が落ちるとなれば、政治的にも遥かに価値があるのじゃないでしょうか。

藤井:ぼくも沖縄で土建関係のわりと裏社会ともつながりがある人に取材すると、反翁長の人が多いんですが、辺野古はダメでも浦添の方でという判断もあるようですね。

樋口:沖縄の裏社会だって、経済的には保守でしょう。辺野古(に反対するの)は仕方ないけれど、知事になったのだから浦添は分かっているのだろうな、という暗黙の圧力があってもおかしくない。保守系の政治家としての翁長さんを支えてきた経済界も、黙ってはいないでしょう。辺野古に加えて浦添もNOと翁長さんが言ったら、そういう意味でも苦しい立場になるかも知れない。一方で、彼が浦添新軍港に賛成の立場である事、しかも事実上の権限者である事が衆知なったとき、「絶対に新基地はつくらせない」という旗印のもとで集まった「オール沖縄」、反基地の人たち、あるいは沖縄の苦境に同情して辺野古基金の7割を寄付した方々のような本土世論に対してどう説明をするのか。

藤井:どっちにも転べない状態ですね。だから問題にならないように棚上げしておくようなかんじでしょうか。ぼくは先日、「沖縄報道の温度差」というテーマで地元紙の沖縄タイムス、琉球新報の幹部、自民党県連幹事長、保守派の元知事などに会ってインタビューをしたのです。今回、反辺野古の県民集会で初めて自民党がコメントを出さなかったのです。幹事長に会って「なぜコメントを出さなかったんですか」と質問したら、もう我慢ならんと険しい顔をしてました。つまり反辺野古のことばかりで、こちら側のことをまったく触れないことに。別に社説があるのはいい、けれど、それだと本来の権力監視ではないじゃないかと自民党の幹事長が言っていました。でも、軍港のことは翁長さんの古巣、もとの盟友たちはよく知っているはずですから、そのうちに翁長さんはそのあたりをつつかれる可能性はあります。

樋口:「オール沖縄」の勢いを止めない為には、翁長さんは新軍港建設にもいずれ反対せざるを得ないはずです。ところがその決断は、彼の今までの支持者を「裏切り」、既得権者を脅かす、ひょっとしたら裏の世界の反感を買うかもしれない。相当重大な決断だと思うけれど、彼が今やろうとしている事を貫く為には避けて通れないと思います。

藤井:翁長さんが朝日新聞のインタビューでも答えていましたけれど、国からの補助金などカネは一切要らないから、全て自己決定にさせてくれと。だから、軍港の8千億も要らないというのも筋としては合っている。

樋口:意外な展開にも見えますが、今まで放っておいても良かったものを、放っておけなくしたのが松本哲治市長なんです。軍港受け入れを今年になってから正式に発表した後に、松本哲治市長は官邸の菅さんの所に呼ばれています。浦添新軍港受け入れで、浦添市民から公約違反と批判されている松本さんとしては、政府のど真ん中で官房長官から握手を求められて歓待されたら、心強いでしょう。松本市長が公約を撤回して、軍港受け入れに賛成し、彼がこの問題を舞台に上げてしまったがゆえに、「じゃあこの軍港の話ってどうなっているの」と再燃する可能性が生まれている。「浦添新軍港はもともと翁長さんが進めてきたプロジェクトなのではないの」、というふうに疑念が広まるのは時間の問題じゃないでしょうか。

藤井:翁長さんと仲井真さんのときに5つの首長が仲井真さんについているから、すでにオール沖縄ではないですが、翁長さんの政治的な立ち振る舞い方に注目したいですね。

■辺野古以外の軍事施設の新設や移転を知事はどう判断するか■

樋口:さらに問題があって、浦添市は今まで10年以上進めてきた浦添新軍港の位置を移す新提案をしています。浦添案というやつです。昨今の合意通り進めるということであれば、翁長さんは軍港の事を積極的に議論しなくても良かったのですけれど、松本市長が軍港を移す事を提案してしまったので、軍港をどうするかという議論をせざるを得なくなってしまった。そのままだったら、何となく慣性の法則も働いていたのだけれど。先程も言いましたけれど、決定は翁長さんの権限なわけです。軍港の修正案を議論するという事は、賛成か反対かを明らかにせざるを得ないということです。那覇軍港の移設と浦添新軍港受け入れおよび関連する港湾の開発計画は10年ごとに見直されることになっていて、第一次計画の10年が終わるのがちょうど今年の8月です。見直し期限が多少延長される可能性もあるけれど、いずれ、ここで決める次のプランはここから10年続くわけです。今年の見直しで浦添新軍港の受け入れを翁長さんが承認すれば、浦添新軍港はほぼ完成することになるでしょう。

藤井:今、新軍港があまり話題になっていないから進んでいるんでしょうか。とうぜん翁長さんや周囲もそのことは知っているわけで、そのカードをどういうふうに使うかということを考えているのではないですか。メディアもまったく無視していられるわけがないし、これは市長時代に決めたことで、彼は政治的な立場を変えたのだから、それもすぐに結論を出せというのも酷な話だという同情論もあるでしょう。

樋口:善意的に解釈すれば、翁長さんはいまタイミングを計っていて、辺野古の問題にすこし目処がついたら、浦添への移設反対を切り出そうというのかもしれない。あるいは、このまま放置して殆どコメントをしないまま(こっそり)承認と言うことなのかも知れません。でも、いったん判子を押したら、将来のどこかの時点で必ず、それこそ県民の中から「えっ?そうだったの?」と言う声が上がる事になるわけです。いつか本格的に浦添新軍港の話が認知されはじめた時に、「誰が進めていたんだっけ?」と今年の見直し決定内容に遡り、翁長さんの承認だという事がいずれ何処かで明らかにならざるを得ない。翁長さんがこれからこの数か月の間に浦添新軍港に対してどういう態度を取るかが、実は「オール沖縄」の行方を決めるのではないでしょうか。

■基地「関連」収入を少なく見積もってはいけない■

藤井:普天間の基地の地権者の会合を取材したことがあります。今は二世代目、三世代目になっています。地権者は3千人以上いて、宜野湾市役所の担当部署が取りまとめています。宜野湾市の数字をいろいろ見せてもらったのですが、かつてに比べてたしかに基地関連収入は減っています。働く人口も少し減っていたり、 あとは米兵が街で落とす金も減っています。米兵は自分たちが起こす事件のせいで外出禁止令で外に出られないので、米兵相手の飲み屋はやっていけない。県全体で見ると現在は2~3パーセントと言います。

しかし、一括交付金も含めて、たとえば泡盛などの酒類などの税制優遇なども、やはり米軍基地負担の見返りとしてのおカネと考えていいと思います。軍の職員の給料と地代だけではない。地代だけでもめちゃくちゃでかいですが、それの何十倍の金が回っているという現実も見る必要がありますね。

樋口:観光客は那覇空港の着陸料が安くなってから倍増しています。それも形を変えた沖縄振興策です。この優遇措置なくなったら観光客は半減とは言わないけれど、2~3割は平気で減るんじゃないでしょうか。観光収入が4千億から3千5百億ぐらいになってしまうイメージです。酒税の優遇措置も、もしなくなったらオリオンビールは経営的に危機を迎えるかもしれない。オリオンビールは沖縄では大きな広告費を出しているから、多くの広告代理店もきびしくなる。こういったことも広い意味では基地経済と関連しているはずなのだけれど、基地関連収入 「5パーセント」の枠外にとらえられています。問題は、それが特別な事だと思わない程に麻痺しちゃっていることです。翁長さんは補助金は要らないと言っている。「5パーセント」が無くなっても良いという話なら沖縄経済にそれほどのダメージは生じないけれど、現実的にあり得ない。沖縄県のGDP の2~3割、ひょっとしたら5割減に関わってしまうことにもなりかねない。その代わりに東アジアとの貿易で埋め合わせが出来るのか。いずれそういう事を考えないといけない。これまでと全然違った付加価値を生み出す事を、沖縄自身が考えなければならない。これまで政治や行政が補助金を使って振興を進めてきましたが、新しいことを始めようとするたびに、いつも最後は人材がいない、という結論にたどり着きます。補助金がありすぎて人材が育たず、情熱が失われ、想像力が喪失されているからだと思います。

藤井:ごく一部の話だと思いますが、たとえば音楽の領域では、ライブハウスで客がゼロでも損をしないという話を聞いたことがたまにあります。たしかにミュージシャンとかに取材をしたら、 芸術にも補助金が出る仕組みがありました。それはそれでいいことだと思いますが、一方で競争力を削ぐことにもなります。描いたり、良い音楽をしたり、良いアートを創る事をしなくても、例えばライブをして、客がゼロでもお金が貰えることが、アートのためにいいのかどうか。それから居酒屋の出店率と閉店率が日本一ですが、それも補助金が出やすいから出店して、客が入らないとすぐに閉店してしまう。で、借金だけが残る。県民一人当たりの居酒屋数が日本一で、「沖縄の人 は泡盛好きだね」「沖縄は夜が長い」というステレオタイプの紹介をされるでしょう。最近は「居酒屋にちいさな子どもを連れて行くのが当たり前の沖縄」というネガティブなかんじで話題にもなりましたが、そういう仕組みがあって、自然に若い世代の仲間うちの集合場所になっているからという面もあります。若い人 たちの起業のアイディアがそっちに偏ってしまっている傾向は否めないと思う。

樋口:翁長さんも繰り返し、基地は経済発展の阻害要因であると言っています。僕はそれに反対はしません。もちろん、基地がなくなった方が発展の画は描ける。 だからと言って、黙って基地が還って来て、那覇の新都心の「おもろまち」のようになったからといって、本当に持続的な発展を遂げる社会になっていくのでしょうか。おもろまちは、親泊前市長が手がけ、翁長さんが完成した街です。翁長さんは基地問題に対して、政治的な流れをつくる力は確かにあると思う。オー ル沖縄が今後も実体として社会を動かしていくかどうかはまだ未知数なところがありますが、一つの流れをつくってきた演出家としての腕は見事と言うほかはない。それを街づくりのほうにも生かして、今までとは異なる社会をデザインして欲しい。

藤井:沖縄の基地のあとにどういう町をデザインするかというのは、どういう付加価値の高い社会をつくるかということにもつながります。観光立県をいうならば、そういうことにもっとあらゆるアイディアや知力を注ぎ込んだほうがいいですね。

■共同体の中で声が上げにくい沖縄■

樋口:酷い言い方に聞こえるかもしれませんが、何にでも補助金が出るのは、経済的には形を変えた生活保護のようなものです。今、生活保護者数の急増が問題になっていますが、「実質的な生活保護」という見方で考えたら、実際に問題視されている額よりもはるかに金額が大きい。見かけ上は仕事があるし、収入があるし、家庭があるから、本人も含めて、誰も「生活保護」だとは思わないかもしれないけれど。補助金に頼って売り上げをつくり、それが商売だと言えるのだったら、多くの人はその方が気楽でいいと思うけれど、そんな事業は結局続かない。

藤井:格差問題も最大の問題だと樋口さんは指摘されているけれど、僕もそう思っています。8月に出す『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)の取材で、沖縄の売買春街の戦後史を取材して、現代ではどうなっているのかを取材しましたが百パーセントシングルマザーで、ほぼ間違いなく夫の暴力や、仕事放棄があり、高リスクの家庭の問題もあります。男尊女卑的な社会も感じました。

樋口:男が働かないことにあまり文句を言われない。女性が支えているのに、すごく男性優位社会。

藤井:門中制度が機能していて皆で子どもを育て合う文化が残っていると指摘する「沖縄通」の論者も少なくないのですが、ほんとうにそうなのかなと思います。離婚率は日本一高いですが、子どもはシングルマザーが引き取って、アパートで一人で育てています。門中や親戚関係からパージされているケースはめずらしくない。共働き家庭が大半だから、老人を地域や家で爺さん婆さんを抱えることは無理で、核家族も進んでいます。古き良き沖縄のイメージとはかけ離れた実態があると思います。そして経済格差もすごいものがある。とくに公務員や元公務員と民間の差が激しいですね。

樋口:ぼくが経営をしていたサンマリーナホテルの副料理長が「食えない」と言って、週末にタクシーの運転手をしていたことがあるそうです。ホテルの副料理長でそれですよ。沖縄で、仕事を2つ3つ掛け持つのは当然なんです。ぼくの(本土的な)感覚で、従業員が他の仕事を持っているなんて、はじめは何ふざけているんだろうと思ったけれど、彼らはそうしないと生活が出来ないわけです。

藤井:沖縄は労働組合もきわめて少ない。沖縄の友人たちの言い分を聞いていると、給料をもう少し上げてくれという事すら、皆まとまって言う事が出来ないのです。文句を言うと白い目で見られるという意識がすごく強い。

樋口:独占企業が安価な雇用で経営を安定させる。悪意のない搾取が構造化している社会です。それを文化的に強化しているのは、「シージャー権力」だと思う。年長主義。ここまで年長主義が残っている地域って日本では珍しいと思うのです。

藤井:年寄りを大事にする文化だとポジティブに捉えられているけれど。

樋口:この文化は権力を固定化するにはとても都合がいい。反面、社会を向上させたり、物事を変化させようとする人に対して、強力な逆風が吹きます。沖縄は、何もしない人に対してはとても優しいけれど、何か新しいことをしようとする人に対しては、表面上は穏やかに、しかし獰猛に潰しにかかるようなところがあります。サンマリーナの従業員組合は、ぼくが買収する前に解散したのだけど労働組合の元委員長に色々話を聞いたことがあります。彼は本当に擦り切れていて、「もう二度とこんな仕事をしたくない」と言っていた。なぜかと言うと、委員長が矢面に立っても、残りの従業員は誰も付いて来ないから。沖縄は連絡ごとの返事をもらうにも一苦労する文化です。全て彼が引っ被らないとものごとが前に進まない。人と違う事をしたり、新しいことに取り組むのはタブーだから、委員長だけではなく、委員長のサポートをする人も、「いいかっこをしている」と思われたりして、そのとばっちりを受けるわけです。新しい事を試みたり、その活動に加担しているのを周りに見られると、周囲から人が遠のいて、いつの間にか自分の居場所を失う。このような人間関係が経済と社会に与える影響は大きいと思います。

■「ゆいまーる」精神とはなんだろうか疑問に思った事件■

藤井:まったく私事の一つの「経験」をお話しします。ぼくは沖縄が好きが高じて、10年前ぐらいに那覇の中心部に中古マンションを購入して「半移住」のような生活をしていますが、マンションの所有者の理事会が紛糾した事件がありました。30数世帯が入っています。あるとき、管理人として20代前半の男の子が雇われたのですが、積み立て金の管理費の800万を騙して銀行から引き出して持って逃げたのです。その管理人が雇われた理由は、理事長のバツイチの娘の彼氏だったからなのです。深夜はスーパーで働いていたから、昼間の管理人の仕事は寝ていることが多くてできるはずもない。その雇い入れ方もどうかと言う話になるのですが、800万を持って逃げて、名護で仲間と強制わいせつ事件を起こした。被害者は中学生の女子です。行方不明になった時から、ぼくは警察に強く言わなきゃだめだと理事会で主張して、個人的に告発状を出したりしました。

しかし、理事会では事件が起きるまでは、そのうち返せばいい、それがユイマール精神という人までいて驚きました。聞けば、そういう事件は過去に二度あって、そうやって返させてきたと。元管理人の青年は重大な刑事事件を起こしたから、裁判員裁判になった。ぼくが各世帯に裁判傍聴に誘っても誰も来ない。ぼくは集中審理に通い、公判を報告する手作り新聞をつくり、全ポストに毎日入れました。法廷レポートを書いて、記者クラブの友達から資料を貰って、かなり詳細な事件を伝えました。管理費が盗まれて、強制わいせつ事件が起き、裁判で実刑が確定するまで2~3年かかったのですが、ぼくは事件担当理事になりました。 その過程で2~3世帯は協力してくれるようになったのですが、ヘンなナイチャーが騒いでいるぐらいにしか思われてなかったと思います。そもそもマンションの理事会は声のデカい男性前の方に陣取ってワーワーと文句を言うだけだったのですが、その事件が起きて、ぼくが理事会の危機感のなさや、理事会の記録開示やいろいろな手続きの問題を指摘し始めたら、そういう人たちはぼくを嫌ってだんだん来なくなり、女性が発言できるような雰囲気にはなりました。夜になると声のデカい人からぼくに電話が掛かってきて、懐柔しようとするわけです。そういう出来事はうちのマンションだけかち思っていたら、同じような「解決」の方法をあちこちで耳にしました。共同体性の強い地域では、だいたいそうかもしれませんが、何か裏で手をまわして物事を進めていく空気をあらわしているように思い、それまでに僕が勝手に思い描いていた「沖縄イメージ」が少し変わりました。まあ、月に一度しか沖縄に来ない外来者の勝手な言い分ですが(笑)。

樋口:沖縄って誰もクラクションを鳴らさないじゃないですか。本土だったら、不用意に右折をしようとする車がいたら、パーッと鳴らして、周りの人間は「いいぞ、ふざけた運転をするな。もっと鳴らせ」となると思うのです。ところが沖縄でクラクションを鳴らすと、違法運転を した人を誰も責めないのですね。逆に鳴らした人間をパッと見るわけです。誰、こんな(クラクションを鳴らすような)怖い事をしているのは」と。社会的に制裁を加えられるのは、声を上げた人間のほうなんです。正しい事であれ、社会的にプラスの事であれ、ともかく良い悪いではないのです。声を上げた人間から は、人がどんどん離れていき、やがて周りに誰もいなくなる。

ぼくがもし商売をしていたら、お客さんがひとりまたひとりといなくなり、生活が成り立たなくなる。そんなぼくに関わる人も、ぼくと同類に見られるから、その人の生活も成り立たなくなる。新しい事をする、あるいは正しい事をする、ものを変えるというのが沖縄の最大のタブーの一つではないですかね。例えば、上司と部下の関係で、部下がダラダラ働いているのを見て、「お前、これはこうじゃないか」と上司が指摘をすると、「上司さん怖いね」となる。

藤井:「クラクション」の今のお話は、僕は感じたことがなくて、むしろクラクションを鳴らすタクシーとか多いなぁと印象なんですが(笑)。

沖縄のさまざまな社会の仕組みの中に、利害関係のない人が外から人がどんどん入ってくる事が重要なんじゃないかと思う事が多いです。たとえば、さきほどのように、利権がもろに絡むようなところには、樋口さんが政策アドバイサーで入るみたいな。大学は県外からも教員がかなり来ていますが、市議会も県議会も、全部沖縄の人です。それでは利権構造や地縁血縁に縛られてしまう。

樋口:問題を指摘する人間を、ゆるやかに、しかし強力に排除する仕組みが社会の中に組み込まれている。声をあげた人がいると、言われた人は「責められた」というふうに振る舞って「被害者」になる。声をあげた人が「加害者」になる。事情に関係なく、事の善し悪しに関係なく、声を上げた加害者が悪いということになります。そして最終的には人間関係の「制裁」が加わる。沖縄のルールとして、ともかく声をあげて目立った瞬間に社会から浮くわけです。このルールは本土には分からないですね。本土ってどちらかと言うと、出来ない人が苛められるけれど、沖縄は逆で、出来る人が苛められるの です。「なんで、お前だけ働くの」、「どうして良い格好しているの」、「やめておけよ」、という声なき声です。

藤井:観光客などで流行っている街に行くと、この辺で儲けているのはヤマトの人だけで皆お金儲けが上手いねーという陰口みたいなのを聞きます。たしかに大資本が吸い上げていく構造は問題かもしれないけれど、カネもうけはあたかもヤマトからきた人の特権で、それは良くないことで、沖縄の人は被害者的な文脈になっちゃう。このトーンで皆に話が伝わる。樋口さんがおっしゃる同調圧力がしみついている構造もあるし、ヤマト嫌いという空気もそれに複雑に絡んできますね。さきほどのマンションの問題ふくめて、ぼくはいろいろなところで、揉め事に関わったことがあるけれど、ふた言目には「だからヤマトは信用できん」ということになることが多かった。それまでの話はぜんぶ吹っ飛んでしまって唖然とするしかないことが何度もありました。さすがに「くされナイチャー」とは言われないけど。

■沖縄に住み続ける理由■

藤井:ところで、樋口さんはどうして沖縄にいらっしゃるのですか。もちろん仕事があるということだろうけれど、沖縄をなんとかしたいという気持ちがあるのですか。通いではなく、居を構えたという事も含めて。

樋口:ぼくは一生沖縄にいる事を10年前に決めています。すべてはその覚悟から始まっているのですけれど、なぜかと言われれば、直観によるものです。あまり論理的に説明できません。ただ、ずいぶん以前から、一所懸命という言葉が大好きで、自分の居場所は自分で決めるべきではないと感じているのです。沖縄に来たのも私の意志ではなく偶然に近いものですし、その前に住んでいた東京もニューヨークも私が望んだわけではありません。縁がある一所で命を懸けるという生き方に意味があると思っているのです。同じように、自分が仕事を求めるよりも、仕事に必要とされるような自分の価値を積み上げたいと思っています。

あえて沖縄にいる必然性を言葉で説明しようと試みると、一つの例としては、東京で何か社会のイノベーションが起こって、「これは上手く社会の問題を解決出来る」というものが生まれたとしても、それを沖縄に持って来ても全然上手くいかないわけです。だけれど沖縄でこの社会の問題を根本的に解決出来る仕組みが生まれたら、ずっと幅広い人たちの役にたつことが可能だと思うのです。これからの社会の問題は基本的に地方の問題です。中央はこれに答えを出せないのです。地方が潰れたら、どうせ日本も潰れるから、日本を再生するイノベーションというか、何か新しいものを創ろうと思ったら、地方で考えて実践するしかない。いろいろな問題が山積している沖縄だけれど、じつは同じ問題が日本の地方の至る所にある。その問題が超デフォルメされているこの沖縄社会だった ら、その本質を見つけやすいかもしれない。

藤井:福島は沖縄は、日本の周縁化されて基地と原発を押しつけられて、それなしでは生きていけなくさせられてしまったという意味ではとよく似ていると言われますけれど、それが復興というものを通じて変えられるかもしれなくて移住した人も居ます。そういう様な、ある種実験的なもので、自分自身の経済専門家として、何かモデルが創れるのではないかとそういう様な形ですか。

樋口:そんなイメージはありますね。沖縄はすごく発信力がある地域なのです。ここで起こったものは宣伝をしなくてもあっという間に全国に広がる訳です。僕は岩手県の出身だけれど、岩手で起こったことが日本全体に影響を与えるとは考え辛い。

増田寛也さんの『地方消滅』が売れていますが、高齢者が増えているという時代がもう終わりかけていて、高齢者そのものが減りはじめている。医療や介 護関係の雇用、あるいは年金による消費など、高齢者がいるから地方はもっていたわけで、地方経済のかなりの部分は、実は高齢者がいないと成り立たない。彼らがいなくなると、地方の生活が保たれなくなって、一気に若い世代が都市に流れる。

そうなると、ぼくの想像ですけれど、どれだけいい商品を開発しても、どれだけ売り上げがあっても、どれだけサービスが良くても、人がいないから黒字倒産する会社が生まれてくると思う。それこそライカムじゃないけれど、給料を倍にしたからって、それだけでは人を惹きつけることが困難になる。今までの労働概念と全く違った深さと発想で、「人が働くって何だろう」、「人が本当に豊かに生きるって何だろう」ということを考えていかざるを得なくなる。人間の心の奥底まで掘り下げて、本当の幸せを考えている企業しか存在し得ないのではないかなと。

藤井:なるほど。それが沖縄で出来る可能性がある。人口も東京に次いで増えている県でもある。人口の流動性が高い。潜在的な文化も含め、土地の持っている力があると見ているのですね。

樋口:すごくあります。今までの世界はお金、マーケティング、資金力、経済力などが人の生き方を決めてきたけれど、これからは全然違った社会、つまり本当に人の事を考えている企業が物凄く伸びる。

藤井:若い人にも大学教育を通じて、そういう事を伝えていきたいと。

樋口:彼らが本当に活き活きとした人生を送るためにどういう手助けができるのか、どういう接し方をしたら彼らがインスピレーションを感じるのかという事を、毎日、試行錯誤しながら実証的に観察・研究しているのです。それが次世代社会の人間再生のモデルになり、将来、事業でも地域再生でも教育でも良いけれど応用していけばいいと思うのです。

■若い人たちが夢を持てる沖縄に■

藤井:あるインターネットのトーク番組で沖縄の予備校でかなり偏差値の高い子たちに「皆さんの夢は?」と質問すると、シーンとした後、沖縄電力などの大企業に入る事や、公務員になる事という答えしか返ってこなくて、困ったことがありました。ぼくとしてはもっと沖縄の独自性を見据えたような起業のアイディアなどを期待していたのですが、違ってた。そのうほうが親が喜ぶし、周りが喜ぶからです。そういう人生の目標をもちろんあれこれ言えないけど、どこか自分を抑えているかんじがしたんですよ。

樋口:やりたいことを皆の前ではっきり口にすると、不都合が生じる可能性がある。目立ってはいけないのですよ。言った瞬間にだれかに邪魔される可能性がある。沖縄の中でちょっと尖がっている人間、ちょっと個性のある人間はたたかれやすい傾向があると思います。この実態を知りたいと思って、学生にかなり細かくインタビューをしています。彼らが小学校から大学に至るまで、社会から、親から、兄弟から、友達からどんなプレッシャーを受けてきたか。本人が気付いていなかったものも含めて、どんな人生を送っているのかという事をいろいろ聞いていると、びっくりするくらいプレッシャーを受けている。がんじがらめで自分の人生を生きることが難しい。本心から意見をいいにくい。これを言ってしまったら関係が壊れるかもと思ってしまう。だから、ウチナンチュが人の心を読む力は抜群です。自分の居場所を作る為に、人の気持ちがどう変化したのか、鋭く捉える力が研ぎすまされている。自分の居場所を微妙に調整するために。だから学生に「何か質問は?」と言っても、誰も手を上げないのは何も考えていないというわけではなく、周りにどのような影響を与えるのかが気になるからです。

藤井:沖縄で新しい仕事をつくるという発想ってすごく夢があると思うし、じっさいにうまく言っている個人や会社もあります。沖縄の人もいれば、内地や海外から来た人を含て、おもしろいことをやって、それは世界的に発信力を持っていますよね。

樋口:沖縄社会を変える原動力となり得るのは、内需型ではなくて、自分独自に外貨(県外からの売上)を稼げる、しがらみが少なく経済的に独立出来る人間です。彼らが「自分」を生きられない大きな理由は経済なのです。本当に正直にものを言っても、自分の生活が保たれるくらいの、強力な経済エンジンがあったらいいのです。これは補助金ではだめです。実際、私の見るかぎり、外需型の事業家はこの沖縄社会にあってもずいぶん個性的な人が多い。やはり沖縄社会から経済的に自立しているからでしょう。そう考えると、人が自分らしく生きられるかどうかは、自分とお金との戦いのようなところがある。ですから、補助金の多い地域ほど自分を生きにくいのは当然。ぼくが経済にこだわるのはそういう理由もあります。

藤井:沖縄ではとくに米軍基地の問題は賛成や反対が日常のなかで言えないじゃないですか。基地の賛成と反対で亀裂が入ってしまった親戚や友人関係もよくありますが、そうならないように触れないようにしている。辺野古だって取材で条件付きではあっても「賛成派」の人や誘致活動している議員に話を聞くと、同じ地域での住民の中で口に出さないだけで心の中の対立はすごいものがあると感じてしまいます。日本各地でも原発のある地域もそうですが、地域を二分ような「政治」問題があるとき、押し黙ることは処世術としてあるとも思います。

樋口:相手を傷つけちゃうかもしれないという心のブレーキがすごくかかる。そういう文化的なものが、経済や政治、社会にも影響を与えていると思っていて、この事を理解せずには沖縄での新しい社会変革は成り立たないと思うのです。子どもの頃から言いたい事が言えない。親の為に諦めた事はごまんとある。ぼくがつきあいのある若いウチナンチュが言っていましたけれど、「僕達はともかく誰かと一緒にいるけれど、いなきゃいけないようなところもある。踏み込んだ深い話 は出来ない。本当に自分の事を理解出来る友達は少なくて、ぼくたちは孤独なのです」って。

藤井:樋口さんはほぼ毎夜、那覇の繁華街・松山のバーでハーブティーを飲んでおられる。客が一日7人としても、年間2000人、これまで10年間で2万人を超える人となんらかの言葉を交わしておられることになるわけですよね。このインタビューもそのお店でやらせていただているわけですが、ここはウチナンチュの方もこれば、ナイチャーの方も来るし、いろいろな属性の方がくる。そうやって定点観測的に樋口さんは沖縄の内側を観察してこられたわけですが、そうやって膨大な人を通じて吸収、蓄積されてきた樋口さんのデータベースはすごいなと思います。大学では沖縄の子どもたちとも接点がある。それらを樋口さんのフィルターを通じて、今後も発信されていってください。今回はありがとうございました。

(終わり)

*2015年5月25日に行われた、ノンフィクションライターの藤井誠二さんとのインタビュー記事に、樋口が加筆修正しました。

2015年7月15日午後9時放送、フジテレビの報道番組「ホウドウキョク」、三浦瑠麗さんがキャスターをつとめる「あしたのコンパス」に電話出演させて頂いた際のアーカイブです。

この日の2日前(13日)に、辺野古新基地開発に対する実質的な対抗措置として、沖縄県議会で土砂規制条例が可決されたことを受けてのインタビューでした。

http://www.houdoukyoku.jp/pc/archive_play/00042015071501/6/

クラクションという「地雷」

沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。世界中どこの都市でも街の音と言えばクラクション。那覇市は人口あたりの街の騒音が最も低い都市のひとつではないかと思うくらいだ。ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。

車を運転している私が、往来の激しい国道で、違法に右折しようとしている車を見つけてクラクションを鳴らすと、周囲は違法運転している前の車ではな く、一斉に私のことを見る。違法運転している者を咎めるのではなく、それに対して声を上げた者に対して暗黙の批判が向けられるのだ。「今鳴らしたのは誰だ!」という無言のメッセージが私に突き刺さる。この瞬間、私は違法運転に迷惑を被った「被害者」ではなく、クラクションを鳴らした「加害者」なのだ。沖縄社会で「加害者」のレッテルを貼られることほど最悪なことはない。

ある本土人が、沖縄人(ウチナンチュ)の友人を乗せて車を運転したときの話をしてくれた。その本土人が迷惑な車に対し、何気なくクラクションを鳴ら したとき、そのウチナンチュの友人が慌てて「あぃ、いま、なんで鳴らす!」と指摘してきて、その慌てぶりに驚いたのだという。なぜそのウチナンチュが、とても迷惑そうな、居心地の悪そうな態度を取ったのか。それは、自分もクラクションを鳴らす本土人と同じだと周囲から思われてしまうと、「加害者」の共犯とみなされ、さまざまな不都合が生じるからだ。

もし私が毎日クラクションを鳴らしながら生活すれば、プライバシーが事実上存在しない沖縄社会でそのことはやがて周知となり、「樋口さんは怖い人 さーねー」という噂、あるいは言葉にならないニュアンスがなんとなく広まっていくだろう。そして、私の商売からお客さんが一人減りまた一人減りして、やがて生活基盤が失われる。

このルールは、本土人の目には見えない地雷(?)のようなもので、「沖縄の空気」を読めずにいると大怪我をする。この原則に抵触する人は、沖縄で長期間存続することができない。ウチナンチュは、「地雷」の怖さをよく理解しているので、それを避けるための直感力が抜群に研ぎすまされている。人の心の変化を敏感に察知することにかけては、ウチナンチュの右に出るものはいないのではないか。彼らに噓は通用しない。

「NO」と言えないウチナンチュ

クラクションを鳴らすことができない沖縄社会では、人と異なる態度を取ることは難しい。人からのちょっとした誘いに対しても、面と向かって断ることはできない。少々大げさに表現すれば、そこには人間関係に対する絶縁状のような感覚が含まれていて、断られた方は「裏切られた」と解釈しかねない。「横のつながり」が緊密な沖縄では、小さなクラクションが思わぬ波及効果を生む。

ある学生が私に自分の体験を語ってくれた。「大学4年生になって将来の事を考えるようになり、少しは勉強する時間を確保しようと思って、いつもは断らない飲み会の誘いを断ったら、別々の友人10人から連絡が来なくなった」という。沖縄のような狭い島社会で、人間関係を分断してしまえば、あっという間に居場所を失ってしまう。

沖縄の学力が「低い」というデータを持ち出して、子供に対して、「なぜもっと勉強しないのか?」と苛立つ大人がいる。しかし、学生にとって「ひとりで勉強する」という単純な行為が、実際にはそれほど単純ではないことを理解しなければ、沖縄では「教育」問題ひとつ解決しない。

本土的な価値観からすると一見些細なこと——例えば、車に乗ってクラクションを鳴らすこと、誘いを断ること、人に反論すること、集団の中で真っ先に 意見を述べること、割り込んだ相手にひとこと注意するといったことにも、公然と人間関係にNOを突きつけるニュアンスが含まれていて、これが周囲の人を慌てさせることになるのだ。

だから沖縄人は、あらゆる手段を用いてNOと言うことを避けようとする。沖縄では相手に直接NOと言うくらいならば、空手形を切ったり、約束をすっぽかしたり、曖昧に引き延ばしたり、返事をしないで放置する方が、人間関係のダメージが少ない。よく沖縄人は「テーゲー(いいかげん)」だと言われるが、そこには一定の沖縄ならではの社会的合理性があるのではないか。テーゲーであることは、本土的な価値観から見ればまったく理解しがたい、無責任な行動に映りがちだ。しかし、この「ダブルスタンダード」が、沖縄社会においては人間関係に不要な摩擦を生まないための、積極的な社会的機能を果たし得るのだ。したがって、社会通念上も、テーゲーであることがおおいに許容される。というより、テーゲーでなければ人間関係がうまくバランスしないところがある。

「個性」を発揮することを拒む沖縄社会

NOと言ってはいけない沖縄社会では、必然的に、自分の意志に反することでも、理不尽なことでも、受け入れなければならない。沖縄には「模合(もあい)」という頼母子講が根強く残っているが、中には「学生時代から30年間続いている」といったものも珍しくない。典型的には月に1回、同級生が経営するレストランに10数名が集まり、食事をしながら毎回変わらず30年前の話をする、というような会だ。それは、単なる親睦のみならず、レストランを経営する同級生への経済援助といった役割も果たしている。 そのような模合メンバーのひとりが私に「いつも同じメニューで、正直なところあまり美味しいとも感じない。だから人知れず自宅で食事をしてから参加するんです」と語ってくれたことがある。しかし、だからといって模合から脱会すれば、30年来の友人に対する「裏切り」となり、彼との信頼関係を壊すだけでな く、模合を通じて複雑につながっている無数の人間関係に同様のメッセージを発することになる。この場合もむろん、脱会した方が「加害者」であり、裏切られたレストランオーナーは「被害者」である。

あるいは、沖縄社会の年長(シージャー)主義は絶対で、それがどれだけ理不尽なものでも、親の言うことに背けば、親類縁者全員に対する「裏切り」とみなされることを覚悟しなければならない。長男であればその「罪」は特に重い。男性が優位な沖縄社会の長男は、なにかにつけて優遇されて、甘やかされるが、その一方で一族からがんじがらめにされる。それゆえ彼らは声を上げようにも上げられず、自分らしく生きることが難しくなる。結果として個性を発揮することができず、打たれ弱い。

別の、30年来の模合仲間3人が連れ立って飲んでいたとき、会話に加えてもらったことがある。私が時間をかけて彼らの話に耳を傾けると、やがてその中のひとりの女性が、現在隣人とのトラブルで深刻な悩みを抱えていて、多額の費用をかけてまで引っ越ししようかどうかを思案中だという。隣のアパートに数年前から住んでいる母子家庭で、毎晩のように子供が虐待されているというのだ。アパートの薄い壁は音が筒抜けで、聞いていて辛いし、子供にとっても悪影響 だ。私が「通報はされないのですか?」と訊ねると、「自分が通報したことが知られてしまうリスクを考えたら、とても怖くてそんなことはできない」という。

印象的だったのは、この話を聞いていた彼女の30年来の男友達が、「おまえ、こんなふうに考えるヤツだったのか?」「こんな話は、今まで一度も聞い たことがなかった」と驚いていたことだ。この発言を聞いて、私の方が驚いた。過去30年、毎月顔を合わせて何時間も会話する旧友たちが、お互いのことを本質的な意味で何も知らないのだ。逆に考えれば、人間関係を30年間続けるためには、相手に踏み込んではいけないし、人生の重要な悩みに向き合うことも避けなければならないのかもしれない。

私が後日この話を別のウチナンチュにしたら、彼は神妙な顔つきで頷きながらこういった。

「このお話の方々のことがよくわかるような気がします。沖縄では、親密な人間関係を壊すことが絶対にできないので、結局お互いを傷つけない、表面的 な付き合いしかできないような気がします。相手に踏み込むのも踏み込まれるのも怖くて、心を開くことが難しい。私たちは、いつも誰かと一緒にいるけれど、 実はとても孤独なんです」

不用意に声を上げてしまえば「悪気がなかった」では済まされない。自分が意図していなくても、人の気分を害してしまえば厳しい結果を招く。このため、沖縄社会に生きる人たちは、発言するときに、自分の考えを表明するよりも、他人がどう感じるかについて、慎重に間合いを取る傾向が強い。全国を回って講演をしているあるセミナー講師が、「講演会でも、イベントでも、沖縄は全国的にもっとも笑いやウケを取りにくい地域のひとつだ」と語ったことがあった。それはウチナンチュが感情に乏しいからではなく、周囲から浮き上がることを恐れるからだろう。

また別の学生たちはこんなことも語ってくれた。

「授業で先生に聞きたいことがあっても、ほかの学生から『あいつばかり良いカッコしている』と思われるリスクを考えると、何も言えなくなる」

「バイト先でやりたい仕事があったのだが、『アイツ調子に乗っている』と思われそうで、あまりやりたくない係に手を挙げた」

はっきりとした物言いをする人に対しては、表面上はやんわりながら、あるいは、ほとんど目には見えないほどの微妙さで、その発言を取り消せと言わんばかりの強い圧力がかかる。自分の意見は常に他人の出方を見てから言う。自分の意見が際立つくらいなら、いっそ意見など持たない方がいい。うかつに意見を述べると、クラクションを鳴らして、自分が「加害者」になってしまうかもしれないからだ。

「できるものいじめ」の社会

この社会習慣は、人をいたずらに傷つけることがないという、明らかな利点がある。間違いを犯した人、失敗した人にも居場所を提供し、少なくとも表面上では人を追いつめない。沖縄のご当地ヒーロー・琉神マブヤーは、最後は敵を抹殺するのではなく、赦すところで終わるのもこの美しい文化を象徴している。

一方でこのルールは、人がもっとも個性を発揮しづらく、おたがい切磋琢磨できず、この社会で成長しようとする若者から挑戦と成長と失敗の機会を奪うという、重大な弊害を生んでいる。善意を持って注意すること、学生に厳しく叱ること、部下に社会の基本動作を教えること、友人に欠点を指摘すること、将来のために現実的な議論を戦わせることなどの多くは、沖縄では最も困難なことのひとつだ。

少々乱暴な一般化を試みると、本土のいじめは弱いものいじめである。仕事のできないもの、いつまでも学ばないもの、やる気のない者に強い圧力がかかる。これに対して、沖縄のいじめは「できるものいじめ」だ。少し個性的な人物、一所懸命でまわりが見えていない人物、ちょっと生意気なタイプがターゲットになりやすい。

大胆なアイディア、売上を飛躍的に増加させる営業努力、経営を別次元に進めるイノベーションなどは、沖縄のタブーである。周囲が「できない人」だらけであれば、問題は生じない。グループに1人でも「できる人」が加わると、ものごとを変えることになる。これを避けるために、組織内に「できるもの」を排除する圧力がかかる。本土で成功したウチナンチュは少なくないが、その実績が見込まれて沖縄の支社にUターンしてきた優秀な人材が社内で浮きまくり、協力者を獲得できず、短期間で鬱になっていく事例を私は何人も見てきた。

教育の現場では、文章がしっかり書ける学生でも、授業中ほとんど質問が出ない。思考していない訳ではない、意見がない訳でもない、時間をかけて一対 一で話せば個性が光る。しかし、周囲の反応を考慮しなければ発言できないため、結果として、議論の機会が失われ、思考と論理が磨かれない。学ぶことの意味が深まらなければ情熱が湧かず、学力は上がらない。

企業の人材育成の現場でも、先輩が後輩を注意できず、人を育てることができない。上司が愛情を持って厳しく注意すると、若者は「いじめられた」という態度を取りがちで、いつのまにか上司である自分が「加害者」にさせられてしまっている。エリート社員ほど叱られず、厳しさを経験せず、十分な実力を身につけることができず、目的を失って離職する。沖縄では、就職後3年以内の離職率がおよそ2人に1人、全国的に圧倒的なトップである。

沖縄は女性登用が遅れていると指摘されているが、そもそも女性が管理職になりたがらない、パートが正社員になりたがらないという傾向がある。責任ある立場におかれて人から目立ってしまったり、これまでの同僚に注意・指摘しなければならない立場に置かれることは、沖縄社会では極めてリスクが高い。これだけ能力のある女性の進出が進まず、正規雇用比率が全国最低である理由は、社会的な要因が大きい

同様に、沖縄社会でリーダーシップを発揮することは茨の道だ。人をまとめようにも、反応がない。行動を強制すれば人が離れて「加害者」にさせられる。以前私が経営していたホテルの組合委員長は、従業員のためによかれと思って一所懸命努力しても、協力者は少なく、仕事が大量に押し付けられ、感謝もされずに相当傷ついていた。

業界の間でも、例えば社員の給与を業界水準以上に上げるなど、目立つことをすると強力に妨害される。「ひとりだけいいかっこをすると、まわりが迷惑する」という、声なき声だ。

ウチナンチュは本当に多才で有能だ。多岐にわたる業界で、沖縄出身者の活躍は目覚ましい。成功するウチナンチュの多くは県外、国外で能力を開花させる。しかし、外で成功したウチナンチュも、沖縄に戻るとつぶされて居場所を失ってしまう。結果として、沖縄社会は深刻な人材不足に直面している。これまで沖縄社会が永きにわたって個性を阻害してきたことの弊害だ。こうしたことを繰り返すことで、沖縄社会はイノベーションを生み出す力をすっかり失ってしまったように見える。世界や日本で通用するオンリーワン企業はほとんど生まれない。産業の生産性が上がらなければ、雇用の質も低下し、十分な収入がなければ県民の生活の質も低下する。結果、数々の社会問題が拡大する。

「オール沖縄」の本質

つまり、戦後70年間でつくりあげられた沖縄社会の基本的なルールは、「物事を変えてはいけない」ということと、「新しいものを生み出してはいけない」ということだ。 この重大なルールは、人間関係のみならず、教育やビジネス、行政、社会運営の基本動作、そして「オール沖縄」の運動にも大きな影響を及ぼしている。それどころか、「オール沖縄」は、この社会規範が動かしていると言っても差し支えないかもしれない。「オール沖縄」を中心とする現在の沖縄の政治的潮流を、このような沖縄の社会的、文化的な背景と重ねて理解すると、意外な側面が見えてくる。

先日、沖縄から放送されたテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」(沖縄では琉球朝日放送で放送された)で、パネラーの恵隆之介氏が、稲嶺進名護市長の要望書について指摘していたことが印象的だった。2011年と2013年の2度に渡って、キャンプハンセンの名護市の部分約162ヘクタールについて、返還期限が経過したにもかかわらず、その期限を延長するよう、防衛局に要望書を提出していた件だ。

また、日本記者クラブ沖縄取材団が6月12日に名護市で開いた会見において、稲嶺進名護市長は、「辺野古新基地反対」の立場をとりながら、同時に「日米安保支持」「現状のキャンプシュワブであれば容認」と発言している。

翁長知事も、「辺野古に新基地はつくらせない」と繰り返し発言する一方で、浦添新軍港の開発については2001年那覇市長時代からの計画を推進する立場を変えていない。特に、現在沖縄県知事となった翁長氏は、浦添新軍港開発の当事者である那覇港管理組合のトップを兼任し、同軍港開発の直接の決定権者であるにも関わらず、である。

翁長知事の政策は、辺野古新基地反対であることを除けば、ほとんど前仲井真県政時代と同じだと指摘されている。この現象を素直に解釈すると、「オール沖縄」とは、基地反対運動と言うよりも、壮大な現状維持運動と言うべきではないだろうか。「物事を変えてはいけない」「新しいものを生み出してはいけない」という沖縄社会の重要2大ルールに完全にのっとって政策を進めているように見えるのだ。

翻って考えると、「オール沖縄」は新しいものを生み出す活動ではないように見える。ひとりひとりの個性を尊重して、多様性を受け入れるというよりも、同調圧力で他の意見を許さないという傾向の方が強くないだろうか。

戦後先人から引き継がれた沖縄社会は、若者の個性を抑圧し、新しいものを生み出すことを避けてきた。私たちは、いまだにその流れを変えることはできないのだろうか。

ひとりひとりの自由な生き方に挑戦すること、勇気を持って自分の声で語ること、異論を恐れずに心を開くこと、人間関係の摩擦を恐れずに信念を貫くこと――私が信じる本来のウチナンチュとは、このような人たちだ。魂を持った人材を沖縄から生み出さなければ、結局どれだけ基地が返ってきても、社会は成り立たない。

終戦の傷跡がまだ残るかつての沖縄で、このようなウチナンチュの魂に触れた岡本太郎は、名著『沖縄文化論』の中で、「沖縄が日本に復帰するのではない、日本が沖縄に復帰するのだ」と表現した。日本が経済大国に突き進む過程で忘れかけている魂が、当時の沖縄にはまだ残っているのだという。日本人が復帰すべき魂がここにあるのだ、と。

慰霊の日に、私たちが成すべき真の鎮魂は、後の世代を引き継ぐ私たちが、自分自身を生きることではないだろうか。

*本稿は「ポリタス」(2015年7月12日)に掲載された。

6月17日に参議院で開催された、沖縄及び北方問題に関する特別委員会(沖縄北方委員会)において、沖縄振興に関する参考人として意見陳述を行ってきました。映像はこちらからご覧いただけます。以下は、私の発言に関連する議事録です。口語的に意味が通じにくい箇所、小さな言い間違い、意味がわかりにくいところなどを微修正していますので、公的な議事録の内容とは一部異なるところがあります。

*   *   *

第189回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会会議録第7号
平成27年6月17日(水曜日)午後1時開会。出席者は下のとおり。

委員長 風間直樹君

理事 石田昌宏君
、末松信介君
、藤田幸久君
、河野義博君

委員 江島潔君、鴻池祥肇君、島尻安伊子君、野村哲郎君、長谷川岳君、橋本聖子君、三宅伸吾君、山本一太君、石上俊雄君、藤本祐司君
、牧山ひろみ君
、竹谷とし子君
、儀間光男君
、大門実紀史君
、吉田忠智君

事務局側 第一特別調査室長    松井一彦君

参考人 宜野湾市長 佐喜眞淳君、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授 小川和久君、沖縄大学人文学部准教授・トリニティ株式会社代表取締役社長 樋口耕太郎君、沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君

*   *

委員長(風間直樹君) 沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査のうち、沖縄振興及び在沖縄米軍基地問題に関する件を議題といたします。

(中略)

○参考人(樋口耕太郎君) 沖縄から参りました樋口耕太郎です。経済と振興の話をさせていただきたいと思います。

沖縄復帰以来43年、沖縄振興開発計画等々、非常に目覚ましい成果が上げられたと思います。本当に多くの方が尽力されています。振興予算だけでも15兆円近くの累積額が投下されていて、件経済の規模は復帰から約8倍。観光産業も振興が目覚ましく、振興計画のみならず、例えば1997年に那覇空港を発着する空港の着陸料、施設料、燃料税、大幅に減免され、あるいは、美ら海水族館の新館、首里城公園世界遺産登録、あるいは二千円札の裏に守礼の門、沖縄を支えてくれる日本国のサポートが本当に感じられるようで、1997年から15年間で観光客は倍増しております。

また、2000年に九州・沖縄サミット、あるいは2010年から中国人の副次ビザ、沖縄で一泊する中国人に関しては、複数回のビザが発行されるという特典。そして、現在は那覇空港の第二滑走路が進行中です。結果、沖縄を訪れる観光客は毎年700万人の声を聞く来訪者数になり、観光収入は4000億円。

観光だけではありません。情報産業、通信産業も目覚ましく、過去10年で、これは2002年から2012年のデータですけど、情報通信関連企業数は5倍以上、コールセンターなどを中心に大量の雇用が生まれ、過去10年間で雇用も5倍弱になっています。

おかげでというべきなのか分かりませんけれども、人口増加も、流入と相まって少なくとも現時点において人口が増えている数少ない地方都市であり、経済成長だけではなく、それに規模の深みが加わって、日本で最も景気の良い地方都市の一つになっています。これは皆さんご案内の通りだと思います。

*   *

ところが、観光の質、労働の質、社会の質。これについては非常に問題が山積どころか悪化しているんじゃないだろうか。観光の質も、一人当たりの観光収入の低下が止まらない。観光客一人当たりの滞在日数も低下傾向。観光客はどんどん沖縄本島を離れて離党にばかり行っているように見える。あるいは、観光立県と言われながら、ホテルで働く従業員の給料は全く上がらず、若者の給料は200万円いけばいい方だ。長年勤めても給料は上がらない。子供を作ることも難しい。日本最低の収入であることも依然として変わらず、情報通信産業がこれほどまで増えているのに、なぜ沖縄はまだ最下位の所得のままなんだろう。

あるいは、経済的なものだけではありません。教育問題、大学、高校とも進学率はいまだに最低水準。大学卒業後の無業者は全国一位、就職率全国最低、就職後の離職率も残念ながら全国一位。

あるいは、社会的な問題としては、いわゆるでき婚率、全国一位であり、若い結婚は生涯年収が低くなる傾向があって離婚率が高く、シングルマザーを大量に生み出す可能性があり、例えば花街で働く女性、ホステスの大多数はシングルマザーです。そうなると家庭の問題が生じる。子供の深夜徘徊、不眠、睡眠不足。早稲田大学のレポートによりますと、1歳から6歳まで、年端もいかない幼児の7割強が睡眠不足という調査があります。

あるいは、死亡率、死亡者数当たりの自殺、これも全国トップ。長寿県から転落し、65歳以上の死亡率は全国の高水準レベルを推移している。メタボ率もトップ。あるいは糖尿病、高血圧、生活習慣病が広がっている。幼児虐待、DV、性的虐待、これも高水準だというふうに報告されています。

*   *

数量的な成果を実現する陰で、産業、労働、生活の質が著しく低下し続けている。これは非常に問題というか、とっても痛ましいことであって、我々の振興計画に何か足りないものがあったに違いない。この点に関して我々は深く向き合って考える時期に来ているんじゃないだろうか。多大な方々の今までの努力を無駄にしないためにも、今ここで発想を変えて、全然違ったアプローチでこの生活と社会の質を上げるような方法はないんだろうかというようなことを考えて、随分長い間たちます。

沖縄は低所得県と言われますが、それ以上に日本最大の格差社会だというエビデンスもあります。振興計画が本土との格差を縮めることを目的として長年実行されてきましたが、それゆえに県内に格差を生み、多くの社会問題の原因となっているのではないだろうか。我々が沖縄にとって良かれと思った補助金が傾斜的に配分され、社会の格差を生み、生活の質を痛めているとするならば、アプローチを変えるべきではないだろうか。

私は沖縄に来て10年、岩手県盛岡市の出身なので、沖縄にとってはよそ者。この地域の社会、文化を知るために、毎晩、松山という那覇の町で、1日5時間、夜の9時半から朝の3時まで、女の子もいない、カラオケもないところで、人の話を聞くために、内外の知識人が集まると言われている店に過去10年通っています。毎日7人のお客さんがいらっしゃって、年間僕300日その店にいますので、年間延べ2100名、10年間やっていますので2万1000人の話を聞き続けて、何かそこから沖縄の社会のような、文化のような、構造のような、問題を解く道筋がないかということをずっと自分なりに考えてきました

*   *

この振興計画は、文化に対する深い理解なしでは無理だというのが私の今の結論でございます。沖縄は本土とは全くと言っていいくらい異なる文化を持つ社会で、よそ者の私だから逆に言えるのかも分かりません。あるテレビ番組でこういうことを申し上げました。沖縄はクラクションを鳴らさないんだと。本土だったら、違法運転とか不届きな運転をしている人間に対してクラクションを鳴らすと、いいぞ樋口、もっと鳴らせというかも知れないけれど、沖縄は、鳴らした樋口の方をさっと見て、なんで鳴らすのかなと僕の方が責められるんです。声を上げた人間の方が問題視される、あるいは加害者だというふうな扱いを受けて、結局のところ、声を上げる人間がなかなか存在しない。

これは言葉で言うだけでは難しいですが、本土の感覚とは随分違うので、なかなか理解することは難しいと思います。声を上げられない社会、ちょっとでも他人と違うことをすると物すごく目立ってしまう。ミダサー、これは物を乱すという意味ですけど、と非難される。

ある有名なミュージシャンが、私はとってもワインが好きなんだ、ウチナーンチュです。でも、これはひた隠しに隠している。自分がワインが好きだということが暴露というか知られると、ウチナーンチュどうしの人間関係がこじれる。

私は大学で教えていますけど、教育の現場でも、文章はしっかり書ける学生でも質問を全然してくれない。声を上げて質問するという行為が、やっぱり周囲の目を気にするということが非常に多いんだと思います。頭のいい子でも、賢い子でも、思考をしている子でも、やっぱり声を上げることが非常に難しい。

人材でも、会社の現場では部下を注意できない。注意をすると、逆にミダサーと言われて、何で、あの先輩怖いよねと、むしろ何か先輩の方が非難されるような雰囲気になる。

雇用でもそうです。例えば経営者が、従業員の給料を上げよう、業界水準以上に上げようと思って努力すると、周りの業界の人たちから、そんなに頑張らないでもねと無言の圧力がかかる。

この手の微妙な感情な動きを物すごい鋭い感覚で感じるセンサーをウチナーンチュは持っているわけです。自分の居場所を確保するための死活問題といってもいいと思います。

*   *

補助金を管理する人間が社会全体に公平に分配しようと思っても、やっぱり親類縁者あるいは自分の側近たちが、そんなことをなぜするんですかと。自分の血縁、あるいは自分の身近なグループを優先して配分しなければ、その人自身が居場所を失うという現象があるかもしれない。補助金が不均等に分配されるのを知っていても、社会全体に対してフェアに振る舞おうとしても、身内が反対することには非常に困難で、ある意味の同調圧力にあらがうことは難しい。

あるいは、既得権益の企業の多くは、複雑な株式の持ち合いなどを通じてお互いを縛りあっているという、こういう環境にあります。

ですから、このような方々に、別に彼らを悪者にしようと言っている意味はないんですが、補助金を投下しても、格差は拡大するばかりではないだろうか。

大原則と言っていいと思いますけれど、沖縄は物を変えてはいけない、声を上げてはいけない、こういった無言のルールがあるように感じています。

結果として、人材が育たない、新しいことをやろうとしている人間、イノベーションを起こそうという人間に対して無言の圧力が掛かって頭抜けることができない。沖縄出身者というのは非常に才能があるんだけれども、結局、活躍している人はほとんど県外あるいは国外です。成功した人間も沖縄に戻ってくるとまた潰される。したがって、社会の中からイノベーションが起こらない、創業者が生まれない、オンリーワン企業がほとんど生じない。結果として、産業の質が低下し、雇用の質が低下し、生活の質が低下し、数々の社会問題が生じているんではないだろうか。

*   *

この分析が仮に正しいとして、さあ、なにをするべきか。社会的、文化的な制約を受けずに実業として成り立つ選択肢、とっぴに思われるかもしれないですけれども、私は、JALの子会社、日本トランスオーシャン航空、かつて南西航空という飛行機会社を沖縄に買い戻して、社会的、文化的圧力から抜けるような独自の経営をして沖縄の人材を育成する、活性化する、そういったドラスチックな方法がこれからの振興に必要なんではないかと思います。

地方創生は、人の創生であり、人が生きないと社会は生きない。人を殺さない事業体が必ず必要で、人を殺さない事業体というのはそれなりの条件が必要だ。それは文化的なものであり、社会的なものと深く関連している、と。

失礼しました。時間が長くなりました。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 格差の解消についてですが、沖縄の一つの難しさは、格差を解消しようとして給料を上げると社会的な圧力がかかるという見えない力があると思います。その力にかかわらずに、実際にどんどん給料を上げていく、従業員たちにどんどんイノベーティブなことをやってもらうためには、外需型の産業じゃないと成り立たないと私は思っています。内需型では、お互い人間関係があり、縁故があり、取引業者があり、その中で株の持ち合いがあった場合、自分は独立して歩むんだということは非常にいいにくい。ところが、東アジアあるいは県外から外資を稼げる事業体であれば独自の経営ができるんじゃないかなと思っています。

また、南西航空というふうに私は呼んでいますが、この会社を沖縄に買い戻して、沖縄は今まで、那覇空港、石垣空港のような「点」ではなくて、離島便をたくさん飛ばすことによって「面」で売る。そうすれば、観光客は滞在日数が当然延びる。那覇に来たらあと与那国に行ってみようかなと。3日、4日延びる。今平均で2泊しかしないお客さんが仮に平均で4泊するみたいなことになれば、すごく単純な算出ですけど、観光収入は4000億円から8000億円になるイメージができる可能性があるというぐらい、一社で物すごく経済的なインパクトをもたらす可能性があるわけです。

伸びるビジネスには人が付きます。人を育てるためにはビジネスが伸びなきゃいけない、新しいことをしなきゃいけない、イノベーションを起こして初めて人が強くなるんだと。イノベーションが起こらない産業からは人が育たないので、会社自体を伸ばすために、内需型、内側に向かうのではなくて、外側に伸びる可能性を探すとなると、消去法でこの会社しか残らないじゃないか。

あるいは、人の心に火がともるというんですかね、俺たちもできるんじゃかないかというふうにインスピレーションを受けることが非常に重要で、変な話ですけど、野茂英雄が近鉄を首になってロサンゼルスで新人王を取った。あのときまで日本人で大リーグで野球できるなんて誰も思わなかったんだけど、あれからあれよあれよと言う間に日本人大リーガーが続出して、あっという間に日本人なしでは大リーグが成り立たないぐらいになっていると。これがインスピレーションの強さであり、このメッセージ性の強さというのがウチナーンチュに向けられて発せられたときに、もうどれだけのパワーが出るかということを非常に楽しみにしたいな、そういう社会性のある沖縄県民だと私は思っています。

南西航空は一民間企業ですが、2010年1月27日、琉球新報の報道によりますと、JTAが合弁会社の南西航空としてスタートした1967年5月、JALと沖縄側の提携先企業が交わした合弁会社契約第7条において、日航は将来適当な時期に新会社の実質的経営権の主体を沖縄企業に移管すると明記されているというふうに報道されています。つまり、創業以来、いずれ沖縄に経営権を渡すということが前提としてスタートした会社であり、現在、JALの子会社として経営されていますが、大量の公的資金が投入され、一民間企業の利益ではなくて、社会全体に寄与するかどうかという非常に公的な視点から今この会社の将来を決めるべきじゃないかなと私は思っています。

ありがとうございます。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 文化的、社会的な制約を受けない外需型のイスピレーショナルな企業というふうに申し上げましたが、だからといって沖縄に全く異物を持ち込んでも成り立たないと思います。ウチナーンチュの心に響くものでなきゃいけない。だから、単に本土企業の子会社という意味では全く成り立たないと思っている。これは、あくまで、とことん、究極的に、沖縄のためでなきゃいけない。

ただ、私は本土の人間として沖縄に10年住んでいて、これよく言われるんです。樋口さん、沖縄のために頑張ってくださいって。正直言って、私、この言葉に多少違和感を覚えるんですね。私、岩手県の出身ですが、岩手にお客さんが来たら、岩手県が何かできますかと、多分そういうふうに申し上げると思うんです。

ですから、沖縄が本当に栄えるためには、沖縄のため何かをするんではなくて、日本の地方、東アジアのために沖縄がお役に立てる方法を模索するべきであって、今、地方経済で衰退をしている各地、沖縄だけじゃない、本当にいろんなところに問題があります。そこに飛行機を飛ばして東アジアにつなぐ、この成長著しい経済を日本に持ち込む、沖縄があるからこそ経済がやってきたというふうに感謝されて初めて沖縄と本土の関係が本当の意味で良くなるんじゃないのかなと。沖縄以外のために沖縄が尽くして、結果として沖縄のためになる、そのためには沖縄内部の制約から解き放たれなければならないと、こういう図式になっていると私は理解しています。

(中略)

沖縄でのカジノ事業についての質問を受けて

◯参考人(樋口耕太郎君) 個人的な感覚的な話になると思うんですが、私、アメリカに暮らしていたことがありまして、カジノをいろいろ見て回ったことがあります。不動産金融をやっていましたので。まず思ったのは、数量的な経済の規模に比べて視覚的な経済の範囲が非常に狭いということですね。ラスベガスも本当に大きな経済規模を持っていますけど、上から見たら、このストリップだけでこれだけ稼いでいるのかと。一歩外れたら、社会的な乱れというのかな、非常に印象が悪くて、僕は個人的には非常に納得感がない。

カジノがどうこうという議論もあるんですけれども、そもそも我々、少子高齢化社会に突入して人口動態が大きく傾斜する中で、70歳、75歳まで小遣い稼ぎじゃなくて普通に働かなきゃいけない。そういうふうな職場としてふさわしいかという観点がとっても必要だと思うんですね。

その意味では、何をつくるかというよりも、どのように経営するのか、どのように運営するのかというふうな観点がとっても重要で、特に地方の議論からすれば、増田寛也さんのレポートじゃないですけれども、これから25年間で出産可能な女性人口が半分以下になる地方自治体が日本で800以上と。それは、どれだけ給料を上げても、どれだけ福利厚生しても、それだけでは人が来ない時代が来るかもしれない。人が働くということの良さを真に追求した企業でなければ、どれだけ給料を渡しても、売り上げがあっても、利幅があっても、黒字で倒産するということが起こるんじゃないだろうかと。労働の概念そのものを変えるような議論につなげればいいんじゃないかなと私は思っています。

6月21日(日)のイベントです。ニコ生で全国配信されて1400名を超える方々が視聴されました。お見逃しの方はタイムシフト視聴(有料)が可能です。

番組では、17日の国会・沖縄及び北方問題に関する特別委員会(沖縄北方特別委員会)で樋口が行った参考人意見陳述と質疑応答の内容と趣旨についても、より詳しく説明させて頂きました。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv225129539#1:37:06

私が一番嬉しかったことは、今回の企画が、東京に住むウチナンチュ島袋寛之くんの発案・行動によるものだということです。まったくどの大手メディアにも属さないひとりの若者が、ジャーナリストの津田さんと、熊本先生の心を動かし、沖縄の言論に一石を投じました。ご両人にとっても、ある意味でリスクのあるイベントであることを承知で、沖縄の若手のために一肌脱がれた事と思います。資産も、組織もないけれど、沖縄への愛情と社会への問題意識と、それを行動に結 びつける情熱があれば、誰でも沖縄と日本の将来を、すこしだけよりよいものにすることができるのだと思います。

以下は、トークイベントについての琉球新報の記事です。津田さんと熊本先生のコメントについては、少々的を外した箇所を引用しているような気がします。

*   *   *   *   *

【琉球新報】分断から共感へ 「オール沖縄は可能か」3氏が議論 2015年6月23日 10:21


登壇した(左から)津田大介氏、樋口耕太郎氏、熊本博之氏=21日夜、那覇市

米軍普天間飛行場の移設計画に伴う名護市辺野古での新基地建設について議論する催し「『オール沖縄』は可能か―辺野古・沖縄・日本の不連続性」が21日、 那覇市であった。ジャーナリストの津田大介氏(41)、明星大准教授の熊本博之氏(40)、沖縄大准教授の樋口耕太郎氏(50)が名護市辺野古での基地建 設について議論した。会場から質問や意見も飛び交った。那覇市出身でライターの島袋寛之氏(38)が主催した。

名護市辺野古での基地建設について、津田氏は「辺野古の住民とゲート前で反対している人たちが交わっていない」と述べ、「(米軍キャンプ・シュワブの) ゲート前の運動は重要だ。辺野古基金で地元にスーパーを造るなど新たな案が出れば、地元の共感が得られるのではないか」と述べた。

辺野古で聞き取り調査を続ける熊本氏は「ゲート前の運動に参加する辺野古住民は数えられる。だからといってよそ者ばかりで駄目だということではない」と 語り、「辺野古で反対の住民は『ゲート前で止めてくれているから、行く必要がない』と感じている。だからこそ内部で地元を変える(別の)働き掛けに集中し ている」と説明した。

樋口氏は「日本本土から沖縄のためだとして投入される多額の補助金が結果として沖縄社会の分断を招いている」と指摘し、沖縄の経済が自立するには「変革する情熱を持つ若者が必要だ。沖縄にはそういう人を真っ先につぶす雰囲気があるのではないか」と訴えた。

国会にて、沖縄経済振興についての参考人意見陳述を行ってきました。

本土復帰以来43年間で沖縄経済は8倍に拡大しました。
補助金を大量に投下して本土との格差は縮小しましたが、
そのお金が不均等に配分されてきたために、
沖縄社会の内部に激しい格差を生んでしまいました。
これを解消するためには、今までとは全く異なる発想が必要です。

6月17日参議院沖縄北方特別委員会にて、参考人意見陳述。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?ssp=21483&type=recorded

私の発言時間は:

樋口参考人意見陳述: 23:00〜34:18
島尻安伊子委員からの質問に対する回答: 50:17〜53:25
河野義博委員からの質問に対する回答: 1:10:10〜1:11:38
吉田忠智委員からの質問に対する回答: 1:45:30〜1:47:10

よりクリアな動画は、参議院のインターネット審議中継のサイトより
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」☞「2015年6月17日」を検索して視聴下さい。

あるいは、上記の私の発言箇所は以下の「発言者一覧」に対応していますので、
クリックするとそれぞれのやり取りの始めから視聴できます。

樋口耕太郎(参考人 沖縄大学人文学部准教授 トリニティ株式会社代表取締役社長)
島尻安伊子(自由民主党)
河野義博(公明党)
吉田忠智(社会民主党・護憲連合)

高齢者を排除しない雇用とスローシティの構築を
トリニティ社長/沖縄大学人文学部准教授 
樋口耕太郎

沖縄県那覇市では2000年以降、被生活保護が増加を続けており、その9割以上が50歳以上の中高齢者である。これは沖縄でショッピングセンターが急増し始めた時期と重なっており、それによって中高齢者の雇用が奪われた結果である可能性がある。 日本全体が同じ問題に直面していると考えられるが、米軍基地の返還、跡地の再開発が進む沖縄ではそれが先鋭的に表われているともいえる。高齢者が排除され ない質の高い雇用を生み出すこと、そのためのインフラを整備することは、少子高齢化時代の必然的な要請である。

1万人の生活保護

現在人口約30万人の那覇市では、1万1809人(2014年10月現在)の被生活保護者が存在する。最低値5788人を記録した1993年から20年間増加を続け、倍増した。これら保護世帯にかかる2014年度予算が約209億円。54億円弱が一般財源から支出され、市財政を強く圧迫している。

80年から長きにわたって減少傾向にあった被生活保護者数は、00年前後を起点に急上昇に転じている。00年に6870人だった被生活保護者数は、14年度には1万1809人となり、72%増加した。00年から14年は、翁長雄志知事が那覇市長を勤めた期間でもある(データは2015年1月5日沖縄タイムス、那覇市健康福祉概要、那覇市統計書による)。

ショッピングセンターの島

00年を境に社会のバランスが崩れたと考えるべきだが、この年は沖縄のショッピングセンター開発競争に火がついた年と重なっている。99年に地元の大手スーパー、プリマートと沖縄ジャスコが合併して琉球ジャスコ(現イオン琉球)が誕生した。その後20店のマックスバリュが次々と開店し、00年には大型店舗のイオン具志川、03年にイオン名護、04年にイオン南風原、そして08年に返還された約48ヘクタールの米軍アワセゴルフ場跡地には、先月、巨大なイオンモール沖縄ライカムが鳴り物入りでオープンした。

巨大資本イオンの沖縄本格進出に対抗を迫られた地元のサンエーは、00年ジャスダック市場に株式を上場。上場で調達した多額の資金を利用して02年に巨大基幹店那覇メインプレイスをオープンさせ、以後、03年西原シティ、04年具志川メインシティ(増築)、05年大山シティ、06年しおざきシティ、08年経塚シティ、12年宜野湾コンベンションシティと、猛烈な勢いで大型店舗を増やしながら、多数の小型食品館を展開している。

00年にイオン琉球の売上げは455億4100万円、サンエー826億5100万円であったが、14年にはそれぞれ676億400万円、1575億6500万円に達し、この期間この2社だけで実に969億7700万円売上げを増やした。

わずか15年間で、沖縄はショッピングセンターの島になってしまったかのようだ。09年のデータでは沖縄県のスーパーマーケットの店舗数は対人口比で全国1位である(売上げデータは00年5月2日、7月31日、14年4月8日の琉球新報、14年5月21日沖縄タイムス、店舗数は総務省統計局平成21年経済センサス-基礎調査・統計表における「各種食料品小売業」の事業所数による)。

仕事を失ったシニア

たとえば、人口約260万人の大阪市には他都道府県から日中1000万人の流入があるが、島嶼圏の沖縄はこのような広域経済圏をもたない。島国で経済のパイが変わらないため、競合する事業が生まれれば他の地域の顧客が奪われることになる。顕著な事例は、北谷美浜地区のアメリカンビレッジ再開発によって崩壊状態に瀕している隣町のコザだろう。基地返還のモデルケースといわれている北谷美浜地区の評価は、コザの衰退とセットで考えなければ実態をとらえることはできない。

琉球イオン、サンエーの大手2社が00年から14年までの間に1000億円近く売上げを増やしたということは、地元の小売店や自営業者の売上げがそれだけの規模で奪われた可能性があるということだ。個人事業主で廃業した人も少なくないだろう。地域を支えていた共同体も変化したに違いない。

ショッピングセンターの開業や再開発に伴って新たな雇用が生まれる一方で、新たな雇用の「受け皿」から漏れる人たちが少なからず存在する。50歳以上の労働者だ。地元に根づいた商売が成り立たなくなれば、転職を考えなければならないが、50歳を超えて再就職先をみつけることは容易ではない。これが00年以降、50歳以上を中心に被生活保護者数が急増し続けている基本構造ではないだろうか。

実際、00年からの14年間で増加した4939人の被生活保護者のうち、50歳以上が実に9割弱(4325人)を占めている。50歳以上だけでみると、同期間114%の増加率である。00年以降の被生活保護者数急増は、シニアの再雇用問題である可能性が高い。

しかし、被生活保護者数増加の一因がショッピングセンターの急増だったとしても、イオンやサンエーを批判することはお門違いだ。彼らの立場で株主に対して責任を果たそうと思えば、それ以外の選択肢は事実上存在しない。ダイナミズムあふれるグローバル社会において、地域の変化は避けられないことであり、悪いことばかりではない。大手企業が新たな雇用を生むこと自体は地域にとって明らかなメリットであり、生産性の低い業態が淘汰され、新たな産業が生まれる構造 変化は社会の活力源でもある。90年以降、伝統的な製造業の雇用が大幅に減少するなかで、シリコンバレーの新興企業が大量に雇用を創出して、アメリカの国力を支えているのは典型的な事例だ。

問題の本質は、ショッピングセンターの増加ではない。古い産業が淘汰されることでもない。(語弊があるが)古い共同体が崩壊したことでもない。これらの変化は避けられないことであり、私たちは変化を前提に未来を創造せざるをえないのだ。本当の問題は、「私たちが現在生み出している産業のなかに、将来の自分たちが健康で幸福に働ける場所が存在しない」ということ、そして「再開発で街並みが変わったあとに新たな人のつながり(共同体)が生まれにくい社会設計を放置している」ことにある。

おもろまち再考

87年に返還された192ヘクタールの米軍牧港住宅地区の再開発によって誕生した那覇新都心おもろまちは、基地返還後の経済波及効果のモデルケースとして取り上げられることが多いが、その街並みは減歩率が不足して道路面積が十分に確保できず、日中は渋滞で車では出ることも入ることもままならない。目抜き通り、沖縄県の顔ともいうべき県立博物館・美術館の正面に、パチンコ店と量販店と低価格のビジネスホテル、日銀那覇支店の正面にショッピングセンターが連なる街並みをみて無念と感じる県民は少なくない。

おもろまちの最大の問題は、まさに50歳以上が働けない街をつくってしまったことだろう。その原因は、街づくりの理念よりも目先の収益を優先したことにある。

沖縄の基地返還後の再開発のあり方は、利益主導、消費主導、雇用の(質よりも)数優先、住民税(人口)優先でなされてきた。基地が返ってくるたびに利益優先で土地利用を決め、街を区画整理すれば、賃料、地代、買収価格を最も高く提示できるショッピングセンター、家電量販店、パチンコ・スロット店、コールセ ンター、安価なホテル、コンビニが目抜き通りを占めるのは当然だ。現在のおもろまちはこの通りの雑然とした街並みとなっている。

これらの業態は商品やサービスを低価格で提供する傾向が強く、利益に敏感で、労働者の報酬は低く抑えられ、非正規雇用が一般的。退職金制度も未整備で、長時間労働が求められる企業も多い。人件費が安いという理由で沖縄に進出してきた企業で、従業員の給与が上がるはずはない。こうした企業がどれほど増えても、雇用の質の向上、ひいては50歳以上の雇用につながらない。未来志向に乏しい「街づくり」が共同体を散逸させ、仕事やつながりを失った人たちの一定数が被生活保護者へ転落を続けている。

基地返還の衝撃

この問題は、日本のどの地域にも存在する問題ではある。00年前後を境に被生活保護者数が増加しているのは、那覇市に限らず全国的な傾向だ。しかしながら、沖縄においてとくに深刻といえるのは、なんといっても膨大な面積の埋立て計画と圧倒的な量の基地返還が進行中だからだ。

沖縄は復帰以来、海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史をもつ。国土地理院沖縄支所(昭和63年~平成25年の沖縄県面積値の推移)によると、1988年から2013年までの25年間に、沖縄県の面積は東京ドーム約296個分に相当する13・91平方㌔㍍増加している(東京ドームの面積は0・047平方㌔㍍)。

宜野湾市の1980年代の西海岸埋立て地は、ラブホテルとパチンコ店とショッピングセンターと倉庫が連なる街に変わった。豊見城市豊崎、糸満市西崎・潮崎、与那原町東浜もおおよそ同時期の埋立てだが、収益優先の無個性な街が量産されている。浦添市では昨年、1㌔㍍近くもあるキャンプ・キンザーの美しい自然の西海岸をコンクリートで埋めてしまったが、その後どのような開発をするべきかの青写真がないまま、埋立て地の競争入札が進行中だ。

沖縄では土木工事に伴う高率の補助金(工事代金の最大95%)を獲得することが目的化し、目先の利益を最優先する埋立てのための埋立てが止まらない。よい街をつくり、質の高い雇用を生み出すなどということは、はじめから埋め立ての目的ではないのだ。

96年の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告に基づいて、5000㌶を超える米軍基地の返還が進行中であるが、昨年から開発が始まっている北谷町キャンプ桑江返還跡地北側地区38ヘクタールは、あっという間に雑然とした街並みに変化した。今後南側68ヘクタールの返還を控えているが、その変化を見届けるのが不安になる。会話をしていたある沖縄人(ウチナンチュ)の言葉が心に刺さった。「どれだけ基地が返還されても悲しい街ができるだけ、基地返還が怖い」と。今後、都市部では、牧港補給地区(キャンプキンザー)274ヘクタール、普天間飛行場480ヘク タール、那覇軍港57ヘクタールなどの返還が予定されているが、このまま放っておけば、何倍もの「おもろまち」が誕生するだろう。

雇用の未来

戦前、日本の年金支給開始年齢は55歳だった。それが段階的に引き上げられ、現在は原則として65歳になるまで年金の支給を受けることができない。若者人口が減少して高齢化社会が進むことが確実である以上、支給開始年齢が今後も引き上げられることは間違いない。ほとんどの労働者が70歳、75歳まで健康で働くことができなければ、社会が1日も成り立たない時代が目前に控えている。

少子高齢化社会では労働力が圧倒的に不足する時代が到来し、どれだけ売上げがあっても、商品が優れていても、顧客が列をなしていても、どれだけ給与を払っても人が集まらずに企業が倒産するような事態が生じるかもしれない。そのときに企業存続のカギになるのは、すべての人が幸福になる、人間的な雇用である。人をつなげながら、やりがいがあって、社会に寄与することができ、同時に自分の人生を豊かにするような、幸福で質の高い雇用を社会に浸透させるということ だ。基地返還後の再開発は、このような企業、産業を支えるために必要なインフラを整備するためのものであるべきなのだ。

質の高い雇用が実現すれば、70歳を超えて働くことは、不幸なことどころか幸福な人生を送るためのカギになる。そもそも現代社会で60代、70代は高齢者でもなんでもない。知識も経験も豊富で、物事に対して幅広い視点で発想できる、体力的にもまだまだ頑強な、社会の重要な戦力だ。世論調査大手のギャラップ社がアメリカで58年に実施した調査で、何百人もの95歳以上のアメリカ人にインタビューした結果、95歳以上長生きした人は平均80歳まで働いていたという。そのうち93%は「仕事に非常に満足」、86%は「仕事がとても楽しかった」と回答している。

キャンプ・キンザー

以上のビジョンは理想論ではなく、少子高齢化社会の必然であり、社会存続のための必要条件だ。沖縄でそのビジョンを現実に構築する最大のチャンスが、牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の返還予定地274ヘクタールである。この地で「おもろまち」の失敗を繰り返してはならない。

辺野古新基地の反対運動、那覇軍港の移設・返還と浦添新軍港の建設問題、浦添地先西海岸開発・埋立て計画など、現在沖縄で注目されている問題はそれぞれ重要だ。しかし、沖縄の将来にとって最も重要なことは、質の高い雇用で高い生産性をあげるスローシティのモデルを生み出すことであり、私たちの社会を本質的 な意味で豊かにすることではないだろうか。キャンプ・キンザーの返還地で私たちが描く青写真が、今後50年の沖縄社会の明暗を分けると思うのだ。

ひぐち こうたろう
65年生まれ、岩手県盛岡市出身。89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年レーサムリサーチ。04年グランドオーシャンホテルズ社長兼サンマリーナホテル社長。06年トリニティ設立。12年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」などを担当。専門は事業再生および地域再生の実践。09年度より沖縄経済同友会常任幹事。内閣府・沖縄県主催『金融人財育成講座』講師。

【本稿は、週刊・金融財政事情 2015年5月25日号に掲載された】

浦添市のコミュニティFM(FM21・76.8MHz.)で沖縄選出の参議院議員・島尻安伊子さんがホストするラジオ番組「あい子のチャレンジラジオ」、3月7日放送分のバックナンバーがアップされています。

http://www.stickam.jp/video/182416538

3月7日の放送(2月22日収録)にゲストとしてお招き頂き、1時間弱沖縄について、事業再生について、有機農業について、南西航空についてお話させて頂きました。

沖縄を人生の本拠とすることを心に決めてから10年になりますが、この地で起こった一連のできことを通じて、人生における優先順位が180度変わってしまい(あるいは、元に戻ったというべきでしょうか)、それまで持っていたものを文字通りすべて捨てさせられたような気がします。本当に大事なものを見つけるということは、それを探し求めるのではなく、余計なものを捨てるということなのだと、今では理解しているところです。

後半話題になっている南西航空の再生は、こちらもご参考頂けます。

http://www.trinityinc.jp/updated/?p=3145

ホスト:
参議院議員
島尻あい子

ゲスト:
沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授
トリニティ株式会社 代表取締役社長
樋口耕太郎

【樋口耕太郎】

今月投開票された衆議院選挙において、沖縄選挙区で自民党が全敗した。知事選や衆院選での辺野古移設への反対派の勝利は、どのような沖縄県民の民意を代表しているのか、多くの人はその意味を量りかねているように見える。

沖縄選挙区の特徴であり問題点は、常に「基地撤去」か 「経済発展」かという二者択一に論点が矮小化してしまうことだろう。論点が常に単純化されてしまうのは、政治家が票を取るためであり民意とは無関係だ。かくして選挙のたびに、沖縄にはあたかもそれ以外の民意が存在しないかの様相となってしまうのだが、これは誤りだ。選択肢が二つしかないもののひとつを選んだからと言って、それが選択者の望みとは限らない。争点の支持・不支持は有権者の「表現のひとつ」 に過ぎず、往々にして民意は争点とは別のところにある。

一般に、「革新系」に票が投じられるのは、現県政に対する不満による。どれだけ「経済発展」を遂げても、一括交付金を獲得しても、基地返還跡地を開発しても、沖縄の社会問題は悪化する一方だ。一向に所得が上がらず、共同体は解体し、労働環境が悪化し、教育が劣化し、健康が悪化し、環境が破壊され、街並が美しさを失い、沖縄らしさが失われ、閉塞感は増し、県内格差は拡大し続けている。今回の選挙結果は、社会に対して漠然と違和感を持つサイレント・マジョリティが辺野古移設反対の流れに合流したことの結果ではないかと思う。

象徴的なのは、先の知事選で普天間飛行場を擁する宜野湾市の投票結果が翁長氏21,995票、仲井真氏19,066票であったこと。宜野湾市にとって普天間飛行場の「危険性除去」よりも重要なことが他に存在したということになる。大半の沖縄県民が基地返還を望んでいるのは当然だが、どのように返還を望むか、そして返還ということの優先順位はけっして一枚岩ではない。・・・争点が単純化されすぎることで見失われがちな民意を理解するためには、このような現象を冷静に見つめることが有効だ。

辺野古移転の推進派(前知事、自民党ら)の敗北の主な理由は、彼らが宜野湾市の、そして沖縄県民の民意を読み違えたことだろう。本当に社会を良くするための真っ当な政策を望んでいたサイレント・マジョリティ(民意)が、「危険性除去」という選挙スローガンに嫌気がさしたとも言えそうだ。

単純な二者択一の視点から離れ、保守革新の立場と政策を超え、普天間移設問題には何らかの発想の転換が必要だろう。「辺野古移設撤回」が実現しても「経済発展」を遂げても、それだけで県民は幸せにならないからだ。むしろ県民が幸せでないからこそ、基地反対運動が高まっているのではないか?

例えばよく選挙公約に上げられる、経済成長、安定した仕事、生活費の確保、待機児童ゼロなどの実現は不幸の解消には役立つが、県民を幸福にすることはない。「人の不幸を解消することと、人を幸福にすることは、 まったく別の要素である」。経営心理学の世界ではフレデリック・ハーズバーグが唱えた「二要因理論」という概念がそれで、人間の不幸を解消しても、それだけで人を幸福にすることはできないのだ。

不幸を解消することの最右翼が「お金」である。経済成長で貧困を脱して豊かになれば、不幸は解消するが、決してそれだけで社会は幸福にならない。政治や行政に関わる方々は、この心理学的社会学的事実をぜひ理解してもらいたいと思う。

県民の幸福とは、ひとりひとりの生きがいに関わる変化から生まれる。例えば月曜日が楽しみな仕事であり、柔軟な労働時間であり、家族とのより長い時間であり、家族が一緒に食べる健康的で安全な食事であり、人の役に立つ役割を持つことだ。

一見無関係のようだが、単なるスローガンでない県民の幸せを、具体的かつ徹底的に追及することが、沖縄の基地問題を含む、多くの問題を解消することに繋がるだろう。

*本稿は、沖縄タイムスデジタル版に掲載された。【2014.12.24 樋口耕太郎】

撮影:初沢亜利

はじめに

本稿では、2014年の衆議院選挙に関する細かな分析は完全に割愛した。選挙において私たちがどのような行動をとるかは、私たちが社会をどのように解釈するか次第だ。このため、本稿は沖縄社会の基本的な構造についてのモデルを提示する構成となっている。沖縄選挙区に関心のない読者には適さないようにも見えるが、「沖縄問題はそのまま日本問題の縮図であり、日本と沖縄は入れ子構造になっている」、という前提で捉える場合は一定の意味を持つだろう。本稿は、提示した社会モデルが正しいと主張するためのものではなく、仮にこの社会モデルによって沖縄が直面する問題の多くを説明できるのであれば、読者はどのような意見を持つだろうか、どのような行動をとるだろうか、と問いかけるためのものだ。


サイレント・マジョリティ

2014年の沖縄県知事選挙は翁長雄志氏の圧勝で幕を閉じた。現職仲井真弘多氏との実質的な一騎打ちは、翁長氏が優勢と予想されていたが、ふたを開ければ、投票終了時刻と同時と思えるほどのタイミングで翁長氏が当選確実とし、二期務めた現職仲井真知事に10万票以上の差で圧勝した。最大の争点となったのは、米軍普天間飛行場の返還・移設問題だ。仲井真氏は、普天間飛行場の「危険性除去」をアピールし、一方の翁長氏は「辺野古の埋め立て阻止」に焦点を当てて選挙を戦った

投開票日の夜遅く、自民党の議員から電話があった。「今回の選挙でともかくショックだったのは宜野湾市で負けたこと。普天間飛行場を地域住民に取り戻すために、ここまで努力してきたのに……」お膝元の宜野湾市民が翁長氏を支持したことで、自分たちの努力が否定されたように感じたのだろう。仲井真氏と自民党は「民意」を読み違えたのだろうか? そうだとするならば、宜野湾市の民意とは、ひいては沖縄の民意とは何だったのだろう?

辺野古以外の移設先は現時点において存在しないため、「辺野古移設反対」というカードの裏側には、「普天間飛行場の返還を(実質的に)行わない」、という判断が不可分に結びついている。翁長氏を支持した有権者の多くが辺野古移設に反対しているのは明らかだが、翁長氏はそれ以外にも、基地返還に対して冷静な層を多く取り込んだ可能性がある。辺野古移設反対の熱気に包まれた選挙だったが、実は、基地返還にクールなサイレント・マジョリティが、翁長氏躍進の原動力となっていたとしたらどうだろう。沖縄県民にとって、普天間飛行場の返還を行わないという判断は、苦渋の選択ではなく、なんらかの積極的な意思表示であるという可能性だ。そうだとすると、普天間飛行場の危険性除去を訴えて選挙を戦った自民党は、民意から外れた戦略によって敗北を喫したことになる。

撮影:初沢亜利

それを示唆する根拠の第一は、宜野湾市の投票結果だ。有権者7万1000人に対して、翁長氏2万2000票、仲井真氏1万9000票であり、今回の知事選挙で宜野湾市は普天間飛行場の返還を(実質的に)望まなかった*(注)と言わざるを得ない。宜野湾市が基地返還を望んでいないのであれば、沖縄県全体では推して知るべしではないか。

*(注)宜野湾市が普天間飛行場の返還に積極的でない理由として指摘される点は、基地が戻ってきたら多額の軍用地代が消失し、多数の地主が困るというもの。しかし、普天間飛行場の3000人の地主は宜野湾市の有権者数7.2万人の4%強に過ぎず、これだけで今回の選挙結果を説明することは難しい。

第二は、辺野古移設に伴う「埋め立て申請の承認撤回または取り消し」を確約した候補者が喜納昌吉氏だけだったという点だ。翁長氏は「承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地を造らせません」と述べるにとどめ、最後まで「撤回または取り消し」を公約にしなかった。その結果は、翁長氏の得票36万に対して喜納氏7800票沖縄の民意が辺野古移設断固反対、埋め立て絶対阻止であるならば、喜納氏の票が翁長氏の僅か2%という選挙結果は説明しにくいように思われる。

第三は、辺野古移設撤回のそもそもの可能性だ。2009年に政権を奪取した民主党鳩山由紀夫首相は「最低でも県外」と発言して、本人の地位どころか政権を揺るがせる遠因をつくってしまった。一国の首相が実現できなかったことを一県の知事ができるとは思いづらい。翁長氏が埋め立て申請の承認撤回を確約していないのは、その難しさを良く知っているからだ。有権者の中にもそう考えている者は多く、必ずしも辺野古撤回を目的としていなかった層が翁長票の中に相当数含まれていると考えるべきだろう。

撮影:初沢亜利

選挙後も多くの有識者、候補者、市民と会話を続けているが、私が会話した沖縄人たちの多くは、驚くほど基地問題に関してクールだ。「沖縄の問題は基地だけじゃない」、「中部の方々には気の毒だが、都市部で生まれ育った私の中に基地問題は存在しない」、「沖縄の社会問題は、経済発展によって減るどころか増加している」、「本土復帰以来、沖縄がどんどん沖縄ではなくなっていくような気がする」などなど……。彼らの言葉を聞きながら、私は、沖縄のサイレント・マジョリティとは、基本的な社会の方向性、つまり、沖縄が本土並みを目指して進んできた振興計画のあり方と、それが生み出した環境問題格差問題共同体の分裂など、今の社会の現状に疑問を持っている層ではないかと感じた。積極的な翁長票というよりも反仲井真・反自民票の流れが顕在化したのではないか。サイレント・マジョリティの望みは、辺野古反対でも、経済成長でも、一括交付金でもない、もっと素朴な沖縄社会を求めているのではないだろうか。その意味で、今回の知事選での勝利者は存在しないのかもしれない


社会は「豊かに」なったか?

これまでの沖縄の「発展」のあり方を、虚心坦懐に見直してみよう。沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった。選挙では辺野古の埋め立てに伴う環境破壊が問題になったが、沖縄は復帰以来海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史を持つ。結果として現在の沖縄本島で、嘉手納以南に自然のビーチは事実上残されていない。

宜野湾市では1980年代の西海岸埋め立て事業で、もっとも経済価値のある海岸線をコンクリートの護岸で固め尽くしている。現在の街並は倉庫とラブホテルとパチンコ店とショッピングセンターが連なる様相だ。宜野湾市民が普天間返還後のイメージに重ねあわせたとしても不思議はない。

豊見城市豊崎糸満市西崎・潮崎与那原町東浜もおおよそ同時期の埋め立てだが、美しい海岸線を個性のない街で塗り替えてきた。浦添市では昨年1キロ近くもあるキャンプキンザーの美しい自然の西海岸をコンクリートで埋めてしまったが、その後どのような開発をするべきかの青写真はまだない。沖縄では土木工事に伴う高率の補助金(工事代金の最大95%)を獲得することが目的化し、埋め立てのための埋め立てが止まらない。良い街を造るということは、はじめから埋め立ての目的ではないのだ

せっかく返還された基地の再開発も同様だ。1987年に返還された200haを超える米軍牧港住宅地区の再開発によって誕生した那覇新都心おもろまちは、基地返還後の経済波及効果のモデルケースとして取り上げられることが多いが、その街並は減歩率が不足して道路面積が十分に確保できず、日中は渋滞で車では出ることも入ることもままならない。目抜き通り、沖縄県の顔とも言うべき県立博物館・美術館の正面に、パチンコ店と量販店と低価格のビジネスホテルが連なる街並を見て無念と感じる県民は少なくない。長年基地返還のために戦って、県民が手に入れようとしていたものはこんな街なのだろうか。

撮影:初沢亜利

今年から開発が始まっている北谷町キャンプ桑江返還跡地北側地区38haは、あっという間に雑然とした街並に変化した。今後南側68haの返還を控えているが、その変化を見届けるのが不安になる。会話をしていたある沖縄人の言葉が心に刺さった。「どれだけ基地が返還されても悲しい街ができるだけ、基地返還が怖い」と。

発展を遂げていると言われている沖縄の観光産業も、来訪客数と観光収入は増加しているが、観光客一人当たりの滞在日数と消費額の低下に歯止めがかからない。沖縄本島の魅力はどんどん褪せて観光事業者の利益率は低下を続ける。沖縄の観光産業は今やもっとも低所得で、もっとも臨時職員比率が高く、もっとも労働者の流動性が高い業種の代表格になってしまっている。従業員が幸せでなければ、思いやりで顧客に接することはできない。観光立県を支える観光産業の現場には夢がなく、疲弊している

成長著しいとされる「IT産業」も、その実体は大半がコールセンターなどのBPO(外出し事業)であり、人件費が安いという理由で沖縄が選ばれている業態の典型だ。本土大手企業が低価格の沖縄子会社に単純作業を投げ、東京本社では付加価値の高い業務を行う分担が出来上がっている。沖縄の従業員は、将来上がる見込みのない低賃金で働き続けるだけでなく、発展性のない単純作業をくり返すことが求められているため、十分な学習機会が得られず、やる気を失い、人材が育たず、マネージャーはいつまでたっても本土からの派遣で賄われる

沖縄は豊かになったか?答えは、あなたがどの階級に属するかによってまったく異なる。復帰以来40年を経過した沖縄振興計画は、土木事業を中心に経済の「量」的拡大を見事に達成したものの、「質」を置き去りにして環境を毀損し、美しい街を奪い、観光資源を消費し、拡大する一方の格差社会の中で県民の大半は低賃金に喘いでいる。沖縄振興のなにかが間違っていたのだろうか?


基地経済「5%」の謎

今後ますますアジア経済圏が成長する中で、 人件費の安さではなく、人材とイノベーションと産業の付加価値によって社会を支えなければならないのだが、沖縄はこの流れに逆行することで自らの付加価値を低下させている。それにも関わらず沖縄経済が日本の地方都市の中でも絶好調であるように見えるのは、基地関連の莫大な補助金が存在するからだ。

沖縄の基地経済を語る上で、沖縄の「基地関連収入」は県民総所得の「5%」程度まで縮小し、現在の沖縄経済はほとんど米軍基地に依存していないという議論が存在する。沖縄県庁、学識者、マスコミなどが一貫してこれを支持し、先の知事選では仲井真、翁長両氏がくり返し引用するなど、沖縄ではこの論旨がほとんど無批判に受け入れられている。

「沖縄は基地経済に依存していない」と主張できれば基地反対の声が強くなりやすいため、この数字は政治的に利用されてきた。しかしながら、この「基地関連収入」は沖縄経済の補助金依存度を計る指標としてはミスリーディングで、ほとんど事実ではないとすら言える。「5%」の根拠となる「基地関連収入」は一般に、 (1)軍用地料 (2)軍雇用者所得 (3)軍人・軍属消費支出(米軍などへの財・サービス) の合計額と定義されているが、沖縄に米軍基地が集中していることの「見返り」として提供されてきた有形無形の補助金、税制優遇、観光プロモーションなどの一切はこの中にカウントされていない

顕著な例では、辺野古移設への事実上のバーターとして沖縄に提供される一括交付金など、年間3000億円を超える沖縄関連予算あくまで沖縄「振興」予算であって、「基地」関連経済ではないという解釈だ。よって先の計算からはまるまる除外されている

沖縄自立経済の代表格とされる観光産業においても、那覇空港を発着する国内便の着陸料、空港施設利用料、燃料税が1997年から大幅に減額され、この年から沖縄への観光客数は急カーブを描くように上昇して15年間で倍増したこの税制優遇措置が観光客の増加に寄与したことは明らかだが、この効果も先の計算には入っていない

ビールや泡盛など、沖縄で生産・販売される酒類には酒税の減免措置があり、軽減分は復帰から2009年までの累計で約1060億円であるこの優遇措置によって支えられている酒造産業が地域に及ぼす経済効果、雇用で支えられる生活、教育、消費支出なども計算外だ。 その他、沖縄経済の隅々に浸透している補助金経済のほとんどは、この「5%」にカウントされていない。このように考えた場合の基地依存型経済の規模は 「5%」どころか、県民総所得の相当規模を占めると考えるべきだろう。正確な統計は存在しないが、私の感覚では少なく見積もっても県民総所得の25%、恐らくは50%前後が順当な水準ではないか。そうだとすると沖縄県庁が主張する「5%」の10倍である。

撮影:初沢亜利

県内格差の構造

大量の補助金がこれほど狭い地域に投下されているにも関わらず、沖縄では最低賃金で働く労働者数、非正規社員数、平均所得、平均家計収入、完全失業率いずれも全国最低水準である。いったいぜんたいこれだけの補助金はどこに消えているのだろう? 回答のひとつが県内格差である。沖縄の平均所得は日本で最低水準だが、年収1000万円以上の対人口比は全国第9位だ。沖縄は一般に言われているような単純な「貧乏県」ではなく、日本最大の「超・格差県」なのだ。沖縄と本土の格差はよく議論に上るが、沖縄問題の本質はこの県内格差にこそある。沖縄県内において、補助金の「川上」に位置する保守層が補助金経済の多くを享受する構造が存在する。県内格差を生み出し、維持しているメカニズムは沖縄の内部にあるのだ。

例えば先月、沖縄県内の有名泡盛メーカーが役員4名に4年間で20億円近くの報酬を支払い、沖縄国税事務所から申告漏れを指摘されていたという報道があった。 この泡盛メーカーは戦後間もなく創業した老舗で、従業員40人弱の中堅企業である。先にも述べたように、沖縄で製造・販売される泡盛は、沖縄振興特別措置法によって酒税が35%減免されているために安価で求めやすい。この減免措置によって沖縄の酒造メーカーは大いに潤っているのだが、内実はそれだけの補助金が激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄全体の振興が目的であるはずの補助金や税制優遇措置が、一部の保守層に傾斜的に配分されている典型的な事例だ

酒税軽減の特別措置は過去8回延長されているが、その延長運動はオリオンビールと県酒造組合連合会で組織する県酒類製造業連絡協議会が中心となり、 日本政府に対しては沖縄県知事が交渉を行ってきた。酒税軽減措置は、本土復帰の激変緩和策および沖縄振興政策の一環ではあるものの、現実的には沖縄側が基地反対を唱えることで更新が続けられてきた面があることは否めない。例えば先に示した「基地依存度5%」という数字が県民の基地反対の声を高め、政府に対して酒税などの特別措置を継続する圧力となり、沖縄の保守層が既得権を維持することにつながる。「5%」が政治的に利用されてきたとはそういう意味だ

基地反対の精神はまったく正しいことだし、米軍基地が沖縄に集中している現状はどのような論理によっても正当化できるものではないが、一方で、沖縄で基地反対の声が強くなるほど、政府は躍起になって補助金を増額し、その多くが県内の保守層に集中して、格差がさらに拡大し、経済的にも精神的にも真の自立から遠のき、基地経済への依存をさらに深めるという皮肉な連鎖が続いている。

そう考えると、「5%」という数字は、沖縄の自立の象徴というよりもむしろ、本土への経済的依存を促すマジックワードとして機能している。同様に、辺野古移設問題のように基地反対の声が高まるほど、補助金が増額され、結果として保守層が富み、格差が拡大するが、これは基地の固定化を目指す日本政府の意図とも一致する。

撮影:初沢亜利

悪意なき独占

とても酷い言い方に聞こえると思うのだが、沖縄の保守層は(必ずしもそれを意図としなくても、結果的に)多額の補助金を不均等に分配する役割を果たすことで、沖縄内部に激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄の労働者は全国でもっとも低い賃金で働いているが、彼らは保守層が経営する事業に安価な労働力を提供することで、結果として保守層の既得権を支えている。保守層の立場では、自分たちが富を蓄え、県内格差が拡大するほど安い労働力が手に入り、自分たちの経営がさらに安定するという皮肉な図式だ

——私は、沖縄の社会構造と米軍基地が復帰以来40年間を経過してもいまだに維持されている理由を正確に理解したいと望んでいるのであって、特定の誰かを批難したいわけではない。実際のところ、保守層が従業員や地域に資本を還元しようと思っても、独特の人間関係のバランスで成り立っている沖縄社会において、それほど事は単純ではないのだ。

例えば、先日私の友人の医師が開業することになった。経営に関して相談を受けたので、私は、何よりも従業員の働きやすさを優先するようにとアドバイスした。可能であれば正社員だけで運営し、業界水準以上の給与を支払い、労働時間や福利厚生を手厚くすることを勧め、彼らの声に注意深く、頻繁に耳を傾 け、従業員の自主性と成長を重んじることが、莫大な生産性を生み出すことを説明した。社会はこれから大きく変化する。今はきれいごとに聞こえるかもしれな いが、人を何よりも大切にする経営が遠からず報われるようになる。その方向に経営の舵を切るのは、重要な経営戦略である、と。

私のアドバイスに納得した友人医師が手厚い待遇で従業員を募集したところ、同業者から様々な妨害を受けた、と私に語ってくれた。沖縄では革新者に対してやんわりと、曖昧な言葉で、ときには無言で、目には見えない暴力的な圧力がかかることが珍しくない。「おまえのところだけ従業員に高い給料を払っていいカッコすれば周りが迷惑する。沖縄社会のバランスを乱すものは悪である」といった声だ。

恐らくこのようなことも理由のひとつだと思うのだが、沖縄は企業経営者の大半が2代目、3代目であり、成功した創業者が非常に少ない地域だ。それが悪平等であったとしても、競争の芽を潰し、新しいものの誕生を妨げる社会風土が根強く存在する。ひとりで事を起こすことは難しく、親しい間柄、特に血縁内の「承諾」なしで強行すれば、重要な人間関係を壊すことになる。緊密な血縁者から十分な協力が得られなければ、小さな沖縄のマーケットで事業は成り立たない

血縁社会沖縄では、自分の身内に忠誠を誓うのは重大なルールである。多くの人は仕事よりも、友人関係よりも、親戚同士の関係を優先し、本土で暮らしている沖縄人が沖縄に戻ってくる理由はたいてい家庭の事情だ。血縁を大事にしているということももちろんあるが、それ以上に、このルールを破れば沖縄社会で居場所を失ってしまう。沖縄には模合(もあい)という頼母子講が根強く存在するが、30年間毎月続いているような模合も珍しくない。親密さの現れということ以上に、続けなければやはり人間関係に重大な亀裂が入る可能性がある。沖縄人が常に身内を優先することで、外部から見れば筋が通らない振る舞いをしたとしても、他に仕様がないのだ。同様に、沖縄の保守層が自分たちの身内の利害を何よりも優先させることは当然の行動原理であり、逆に、そのように振る舞わなければ、彼ら自身も居場所をなくすことになる。

敢えて先の泡盛メーカーの経営者の立場を代弁するならば、仮に従業員に十分な報酬を与えると「あそこはやたら羽振りが良い」と噂になって、経営上さまざまな不都合が生じる可能性がある。 経営者のご都合のようにも見えるが、周囲とのバランスが崩れれば経営そのものが成り立たないというジレンマが存在する。かくして沖縄の賃金は全国最低水準で相場が形成される。ただでさえ事業収益の確保を最優先する経営者が、相場以上の給与を積極的に支払うインセンティブは生まれない。沖縄の企業で働く従業員の給与が一向に上がらないのは、事業的な理由も然ることながら、そもそも報酬を積極的に上げようと考えている、あるいは、上げることができると考えている経営者がほとんど存在しないことが原因だろう。

復帰以来40年以上沖縄県政が様々な政策を試みているにもかかわらず沖縄県民の所得がいつまでも上がらないのは、このような社会構造を見落としているか、あるいは看過しているためではないか。いずれにしても、誰かが積極的な悪意を持ってこのような構造を引き起こしている訳ではない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」というが、誰もが自分が守るべきもののために、目の前の利害を積み重ねた結果なのだ。

撮影:初沢亜利

現状維持の社会

沖縄の保守層は、補助金経済が継続し、県内格差の勝ち組として独占的な地位を獲得している現状に痛痒を感じないため、現状維持を図ろうとするインセンティブがどうしても生じる。変化が少ないほど好都合で、新たな取り組みに消極的であり、外部からの参入を嫌う。企業内部でも英断派は出世しづらく、敵を作らない決断の少ない穏やかな人物が経営を引き継いでゆく。保守層にとっては現状を守ることが重要だから、おもろまちも、宜野湾西海岸も、北谷町桑江も、泡瀬干潟も、浦添西海岸も、過去のやり方で問題にならない。むしろ、異なる発想で開発を試みたり、より良いものを生み出そうと奔走したりすると、周囲から無言の圧力が加わって社会から浮き上がってしまうどれだけ基地が返還されても、いつも通りの雑然とした街になっていくのはこのような理由による。繰り返しになるが、沖縄の保守層も血縁組織の内部に生きている。一人が「このやり方はおかしい」と感じたとしても、緊密な人間関係の輪を乱すリスクをとって単独行動を起こすことは極めて難しい。

結果として、沖縄経済はイノベーションを生み出す力を失ってしまった。創業社長またはそれに匹敵する新規事業分野を開拓し、本土市場でも競争力を持ち、補助金に頼らず、オンリーワン企業として活躍していける沖縄企業はほとんど存在しない。生産性を生み出すことができなければ補助金に頼るほかはなく、創造的な仕事がなければ人材は育たず、大半の県民が低所得で生活し、生活の質が低下し、依存の構図が深まり、教育が劣化し、社会問題の数々が広がり、県内格差が深まる。

このような沖縄の社会問題が生み出された原因は、沖縄の政治が過去40年間にわたって、人材の「質」を高めるよりも、補助金による「量」的な経済成長を何よりも優先してきたからである。経済成長優先、補助金中心の沖縄振興計画は、保守層の基盤を安定させる一方で、基地の固定化を望む日本政府の意図に適っている。そのような明確な意図はないかもしれないのだが、保守層にとっての基地問題とは、解決を目的とするものではなく、社会の現状維持のための手段になってしまっている。

一方で、革新と呼ばれている人たちの基本的な世界観は、沖縄の社会問題のほとんどは本土との対立構造に起因するという認識に基づいているために、沖縄の内部に現状維持を望む強い動機が存在すると言う真実にたどり着かない。 対本土あるいは反基地に対する感情が高まるほど、日本政府からは「火消し」としての補助金増額がなされて基地依存の基本構造が強化されると同時に、本土 vs沖縄という分りやすい対立構造の中に本当の問題が隠されてしまうため、結果として保守層を利して現状維持に力を貸してしまっている。

真に革新するべきは、沖縄内部の格差であり、個人の創造性を殺してしまう社会圧力であり、人を育てきれない風土であり、有能な人材を活かすことができない組織のあり方である。

撮影:初沢亜利

動機の高さで選ぶリーダー

先の知事選では、サイレント・マジョリティが動いた。彼らが本当に突きつけたNOは、現状維持を目的としてきたこれまでのリーダーシップに対してだったのではないか

あと数年もすれば団塊の世代が70代に突入し、就労人口の減少と相まって日本の労働環境は劇的に変化する。介護問題、年金問題、医療問題など大問題の数々があらゆる産業を直撃するとき、県内格差が進みすぎた沖縄でこれまでの社会構造を維持することは難しいだろう。そのときに何よりも必要とされるのが、新たなリーダー像である。

沖縄は社会全体のために奉仕するリーダーを輩出しにくい社会だ。社会の全体最適を優先すると自分の血縁組織からは「裏切り」に映るため、どうしても身内を優先せざるを得ない。その結果が今の沖縄の姿である。自分にとって大切な人のために働くことは容易なことである。可哀想だと思う人に優しくすること、自分を評価してくれる人のために尽くすこと、気心の知れた人に思いやりを示すことも別段難しいことではない。しかしながら、自分と利害が対立する人を助けること、自分の主義主張と異なる人のために働くことこそが、リーダーのリーダーたる所以なのだ

沖縄から基地がすべてなくなっても、それだけで私たちの社会は決して豊かにならない。補助金をどれだけ獲得しても、天に届くまで経済成長を成し遂げても、である。社会のために心を尽くす人材、高い動機に突き動かされて生きるリーダーをこの沖縄社会で発掘し、育てることができるかどうかに未来がかかっている。

撮影:初沢亜利

*本稿は、ポリタス に掲載された。 【2014.12.14 樋口耕太郎】

“プレ県知事選”としての2013年浦添市長選挙

2013年2月10日に行われた浦添市長選挙で、無党派の松本哲治氏が当選した。現職の儀間光男氏、元教育長の西原廣美氏を破っての当選である。この選挙の論点のひとつに、もう一つの基地問題があったことはあまり知られていない。沖縄の本土復帰早々、1974年に返還が決まったはずの那覇軍港である。日米で返還が合意されてから40年が経過する今もほとんど進展がないのは、那覇軍港返還が「移設条件付き」だからだ。移設先が見つからなければ返還されることはない。そして長らく移設先の調整は沖縄県政の懸案事項だった。

那覇軍港の移設推進は、1998年に知事に初当選した稲嶺恵一氏の公約でもあった。稲嶺氏の支持を得て2001年に浦添市長選挙に初当選した儀間光男氏(現参議院議員)は、選挙期間中から、浦添市西海岸を埋め立てて、那覇軍港代替施設を受け入れることを明言していた。儀間氏が、移設反対派の革新系現職宮城健一を破ったことによって、那覇軍港移設計画がようやく具体的な進展を見せる。沖縄県(稲嶺恵一知事)、那覇市(翁長雄志市長)、浦添市(儀間光男市長)の意向が一致し、翌2002年、移設手続きを進めるための那覇港管理組合が三者共同で設立され、現在に至っている。現段階では、那覇軍港の返還と浦添西海岸埋め立て地への移設はワンセットなのである。

このような背景の中、松本氏が西海岸埋め立て及び那覇軍港移設受け入れ反対、を公約にして「まさかの」当選を果たしたのだ。長らく続いた現職儀間市長への批判票を取り込み、公開選考(公募)で選ばれた松本氏ならば、利権中心ではなく、地域を守り、環境に配慮した、市民目線の政治が実現するのではないかと期待した幅広い層から票を集めた。松本陣営の選挙スローガンは「浦添リニューアル」。結果として革新色の強い市政が誕生した。

しがらみを「改革」できなかった松本市長

ところが、革新色と言っても、松本市長の支持層はひとつの哲学でまとまっている訳ではない。共産党から保守系まで、平時であれば到底理念が一致し得ない者たちが「統一」市長を誕生させたのは、反現職、そして、基地移設受け入れ反対、という点においてである。当の松本氏自身すら、初めから那覇軍港移設受け入れに反対だったわけではなく、現職との争点を明らかにするという意図から選挙直前になって態度を変えたくらいだ。少々クールに表現すれば、松本陣営は「現職儀間氏を打倒し、松本市長を誕生させる」ということ以外、政治哲学、将来社会のビジョン、市政の運営戦略いずれにおいても、曖昧な点が多かったと言わざるを得ないだろう。

松本氏は、当選が決まった直後、「嬉しいという気持ちがまったく湧いてこなかった」と言う。「選挙に勝つために精一杯で、その後のことを十分に考えていなかった。当選から一夜明けて市長という重責を担うことが現実となり、これから具体的に何をすべきかを考えれば考えるほど途方に暮れて、たまらなく落ち込んだ」とも。

その後の松本市政は、彼が懸念したとおりの迷走状態となる。「支持者の本当の意図は、選挙で実際に勝って見るまでまったくわからない……」——松本市長の言葉が印象的だった。選挙であまりに幅広い支持層を取り込んでしまったため、市政を前に進めようとするほどに、支持議員は割れ、支持者の利害調整は難航し、後援会は空中分解した。松本市長が提案した副市長人事は議会で否決され、紆余曲折を経て就任した名護副市長は短期間で辞任に追い込まれ池原寛安教育長への辞職勧告が議会で可決され、議会は連日空転した。それに加えて、那覇軍港移設受け入れ反対、西海岸埋め立て反対という公約の重さが、松本市長の双肩にのしかかる。実際の運用において、ここまで埋め立て推進派からの圧力が強く、一旦動き出した国家プロジェクトを覆すことがどれだけ困難か、松本市長は後になってことの重大さに気がついたに違いない。

辺野古と那覇軍港の違いはどこにあるのか

その結果、信じられないことが起こった。2013年の年末頃から、松本市長が自ら革新色を払拭して、自民党と完全に歩調を合わせる方針へと実質的に完全転換したのだ。自民党の後ろ盾で後援会を再結成すると同時に自民党議員との連絡会を設立した。やがて西海岸の埋め立てどころか、那覇軍港の移設受け入れにも肯定的な発言が報道されるようになり今回の県知事選挙ではすっかり「自民党員」として普天間基地の辺野古移設を支持し、仲井真知事の選挙応援に日々奮闘している

その松本市長が、最近彼のブログで興味深いコメントをつぶやいていた

・・・オナガ候補者は「これ以上の基地負担は差別である」「新基地建設は許さない」「美しい海を埋め立てさせない」ことを理由に辺野古基地建設はあ らゆる手段を使って絶対阻止すると明言しています。しかしながら同時に、儀間前浦添市長との合意事項であることを理由に、那覇港湾施設(通称・那覇軍港) の浦添西海岸への移設計画を進めるとも明言しています。辺野古新基地建設は絶対ダメと言いつつ、その一方で、浦添への新基地建設は推進するのは、なぜでしょうか。辺野古と浦添との違いは何なのでしょうか。・・・

「那覇軍港移設受け入れ反対」の公約を実質的に翻した松本市長が問いかけるという、ブラックユーモアのような納まりの悪さは別にして、松本市長の発言自体は、無視できない論点を提起している。翁長氏は信念の人なのか、それとも機を見るに敏な政治家に過ぎないのか、という問いだ。

「オール沖縄」は茨の道を切り開けるのか

仮に翁長新知事が誕生したとして、試練はその後だろう。リーダーの信念がこれほど試される立場もないと思うからだ。選挙前の「オール沖縄」は、選挙後「共通理念に乏しい多数の利害調整」作業に変わる。「辺野古移設反対の盛り上がり」は、攻守交代して「埋め立て推進派からの強力な圧力」という逆風に転じる。「新基地建設を許さない」という選挙スローガンは、国家プロジェクトを一地方自治体がひっくり返すという困難極まりない法務作業に引き継がれる。

私が浦添市の埋め立て手続きについて調べたときにアドバイスをしてくれた専門家によると、日本では国の開発計画が動き出した後で、自治体がそれを覆した事例は(ほとんど)存在しないそうだ。翁長氏は「埋め立て申請手続きに法務上の瑕疵があれば、作業の停止を求めることができる」と発言しているが、これは裏を返せば「法律に基づいて瑕疵がなければなす術がない」という意味にも取れる。法治国家日本で、県知事にできることはそれ以外のものではないのだが、県民はそれで納得するだろうか。仮に辺野古移設を阻止することができない、という事態が生じれば、選挙で翁長氏を情熱的に支持した革新系の失望は別のエネルギーに転じるかも知れない。

沖縄の革新県政は茨の道だ。その道を敢えて選んだ翁長氏には敬意を表したいが、選挙のゴールは当選ではない、良い社会の実現である。そのゴールに到達するために重要なことは、右折か左折かを決めること以上に、そもそも車を動かすということ。最後は一人のリーダーの生き方にかかっている。そんなリーダーが沖縄には存在するのか? 沖縄は信念に生きる人材を生み出す地域力があるのか? 今回の選挙で本当に問われていることは、そういうことではないかと思うのだ。

*本稿は、ポリタス に掲載された。【2014.11.13 樋口耕太郎】