加速度成長モデルと経営(pdf)

経営科学の分野ではあまり注目されていない概念でありながら、経営の現場ではとてつもなく重要な要素のひとつに「予測」という作業があります。予測は経営判断の一部を構成しますので、(同様の意味ですが)全ての経営判断には前提となる予測が含まれており、また予測を含まない経営判断はバックミラーを見ながら車を運転するようなもので、意味がありません。これほど重要な概念なのですが、例えば経営分析の一連の作業などでは、過去と現状の分析に膨大な時間と手間をかけながら、予測に関しては単純に過去のトレンドを採用する、などの比較的機械的な扱いを受けていることが少なくないような気がします。

成長予測の重要性
予測の概念の中でも、企業の中長期戦略やプロジェクトの売上予測など、経営の根幹に大きく関わる「成長の予測」は特に重要性が高いと言えます。単純に発想すると、企業活動は対外的な売上と、社内的な費用から成り立っていますが、一般に、費用の中には売上に連動する変動費が含まれているということもあり、収益を生んでいる企業においては費用の額よりも売上の額の方が大きいということもあり、売上の成長率の方が費用の成長率に比べて収益に与えるインパクトが遥かに大きいのです。したがって、これも単純化した発想ですが、社内に関連する、すなわち費用に関連する全ての予測よりも、対外的な、すなわち売上や戦略に関連する予測、すなわち成長予測が特に重要性を持つと考えます。

一般的な成長予測は「年%成長」と表現されるように、単純に「計算上の成長率の想定」と認識されることが多いのではないでしょうか。しかし、成長予測の本質は「近くの公園の野良猫は1年後、5年後に何匹になるだろうか。」「全国のサッカーのクラブチームは1年後、5年後にいくつになるだろうか。」「この街の人口は1年後、5年後、10年後どのような推移になるだろうか。」「インターネットの利用者数は1年後、5年後に何人になるだろうか。」などの質問について、現象を深く理解した上で導かれる社会的な洞察ではないかと思います。そして、一見雑多に見える多様な社会現象にも、ある一定の条件の下で特定の成長パターン、つまり「加速度成長モデル」が存在するのではないか、更にそのモデルは一般的に考えられているより相当一般的な現象なのではないか、と思うのです。

加速度成長モデル
一般的な成長イメージ、つまり経済成長のような「等速度成長モデル」と一般的な認識ではないが、意外に事例の多い「加速度成長モデル」。一見小さな相違のようですが、この二つのモデルは驚くほど異なる結果を生み出します。特に加速度成長モデルは次のようなイメージに近いと思います。

『ここに大きな紙があります。それを1回折りたたみ、更にそれをまた折りたたみ、最終的に50回折りたたむとします。こうして折りたたまれた紙はどれくらいの高さになるでしょう?…答えは、ほぼ太陽までの距離に相当する高さになるそうです。そして、更に重要なのは、ある意味当然ですが、49回折りたたんだ時点では太陽までの距離の半分のところまでしか積みあがっていないのです。』

実は成功といえる現象の多く、ひょっとしたら大半は、加速度を伴って実現することの方が一般的なのではないか、そしてその傾向自体も年々加速しているのではないかと思います。もしこの想定が正しければ、このようなイメージを持って行う経営とそうでない場合は、結果におのずと大きな差が生じることになります。

過小評価される成長イメージ
反面、経営戦略、シンクタンクなどの調査機関、あるいはSF作家のイマジネーションでさえ、未来のシナリオを描く際に想定する発展の速度は現在とほぼ同じ、あるいは少し速まるくらいと想定されることが一般的です。1950年代前半、権威ある科学者達は人間が月に到達するには少なくともまだ50年を要するだろうと予測しました。必要な科学技術の進歩はそれだけの時間を必要とすると考えたためです。実際はわずか15年、1969年7月20日にアポロ11号のニール・アームストロング船長が月に降り立ちます。彼らは科学技術の進歩が加速する効果を十分に勘案していなかったのです。

1950年にユニバック社が行った市場分析では、「予見できる未来」においてコンピューターが世界中で5台あればすべての需要を満たせるだろう、と結論付けています。数年後、IBM(当時はインターナショナル・ビジネス・マシーン社と呼ばれていました。)の創業者トム・ワトソンが成長しつつあったコンピューター市場を調査し、「市場が小さすぎて参入する価値がない」と判断した話は有名です(もちろん、その後この考えを修正し、現在のIBMがあります)。

その他、金融市場の発展(?)による企業上場の加速化、インターネットの爆発的成長、商品のライフサイクルの短期化、学校崩壊のスピード、M&A による企業統合のスピード、不動産流動化市場の加速度、などなど、加速度成長モデルが当てはまる現象の方がむしろ一般的なのではないかと思えるくらいです。

加速度成長モデルにおける臨界点と爆発的拡散現象
成果が大きく花開くとき、成し遂げようとするエネルギーと同じペースで結果がもたらされるとは全く限りません。よく「ブレイクする」という表現が使われますが、物事の成果は一見「ある日突然」「理由も分からずに」「爆発的に」生じることが少なくないのです。

1980年代から90年代初頭にかけてのニューヨークは犯罪が溢れていました。1990年が犯罪のピークで、僕が野村證券のニューヨークオフィスに赴任した1992年のニューヨーク市では2,154件の殺人事件、626,812件の重罪事件が発生しています。それが突然「何の前触れもなく」収束したのです。この後の5年間で殺人事件は64.3%減少し770件に、重罪事件は355,893件にほぼ半減しました。地下鉄では、1990年代の初めと終わりでは重罪事件の発生は75%も少なくなっています。もちろん市の治安対策や景気の向上など、要因となる社会的な変化は存在しましたが、状況が改善されるにつれて犯罪が徐々に減っていったわけではありません。激減したのです。この時期他の都市でも犯罪件数は減っています。しかし、これほど大きな落下現象を示した都市は他にありません。

シャープがアメリカで汎用ファクシミリを発売したのは1984年です。初年度の売上は全米で80,000台でした。それからファクスはビジネスの世界にじわじわ浸透し、1987年に1,000,000台の販売を記録し「ブレイク」、1989年には2,000,000台が販売されました。

最近注目度の高い北海道旭川市の旭山動物園では閉園の危機にさらされた1996年の入場者数は260,822人、その翌年から革新的な新規施設が徐々に追加され着実に入場者数を伸ばしますが、7年後の2003年には823,896人の入場者数で全国的に「ブレイク」。その後1,449,474人(2004年)、2,067,684人(2005年)、今年2006年には2,520,302人(約9ヶ月終了時点)で入場者数日本一の上野動物園を抜くと思われます。

セブン-イレブンの有名な高密度多店舗出店(ドミナント)戦略はこの現象を経営に応用している一例だと思います。セブン-イレブンの新しい地域への出店開始直後は、一店舗あたりの平均日販はあまり伸びません。その地域での店舗数が一定レベルまで増えると顧客の認知度や心理的な距離感がにわかに縮まり、日販のカーブが急速に立ち上がるようになります。セブン-イレブンがドミナント戦略を創業以来続けているのは、ひとつにはそうした現象を理解しているためです。1995年のセブン-イレブン大阪進出はこのよい事例です。大阪はダイエー系だったローソン(現在は三菱商事系)の地盤で圧倒的な強さを持っていました。大阪府内800店舗の陣容の前にセブン-イレブンも進出当時は業績が中々伸びず苦戦しましたが、その後300店舗を越えたあたりから集客力が急激に伸び始め、ついには関西地域でも一店舗あたり平均日販でトップになりました。

加速度成長モデルに基づく経営
このような加速度成長モデルが一般的な現象だという前提で、より合理的な企業経営は次のようなものだと考えられます。

第一に、従来の発想による進捗管理が意味を持たなくなるという可能性です。例えば、明らかなことですが、加速度成長を前提とするとき、10ヶ月で10の目標に対して毎月1/10づつ進捗を管理することには合理性がありません。もしも前述の「折り紙モデル」による成長率が達成されるときは、9ヶ月目5.0、8ヶ月目2.5、7ヶ月目1.25の進捗でしかないのです。

第二に、特に初期におけるプロジェクトの事業規模は殆ど問題ではなくなる可能性があります。イメージで言えば新たな加速度成長プロジェクトや事業を2人で開始することは、そのやり方次第で100人の事業に匹敵するという感じでしょうか。例えば、加速度成長モデルのプロジェクトが生み出すインパクトを、特に初期における事業規模で判断することは全く意味がありません。前述の等速度成長プロジェクトとの比較事例では、例えば5ヶ月終了時点で、等速度成長プロジェクト5に対して、加速度成長プロジェクトは僅か0.3125の進捗でしかなく、10ヵ月後には同等の成果、11ヵ月後にはその倍の成果を生じる可能性を秘めているにも拘らず、等速度成長プロジェクトに対して1/16の成果しか生んでいないと判断されることになります。逆に考えると、加速度成長プロジェクトが5ヶ月目終了時点で目標の1/32の事業規模であったとしても、等速成長プロジェクトよりも遥かに事業価値を持つ可能性があるのです。

第三に、新たな事業やプロジェクトにおいて、その規模や資本力よりも、加速度成長が生じるための「要素」を有しているかが重要なポイントになる可能性があります。そして、加速度成長が達成されるためには「要素の全てが揃っている」のではなく「余計な要素がないこと」が重要ではないかという気がしています。プロジェクトに要素を沢山付加することはその純度を低めてしまうため、本当に必要なものだけを残しその他を切り捨てる作業が重要性をもつのではないかと思います。このイメージはオセロゲームに似ています。コーナーを取得することができれば、ゲームの初期には圧倒的に負けているように見えても後半から猛烈に追い上げることができます。このためには、どれだけ多くコマを取るかよりも、どのコマを取るかが極めて重要になるのです。

第四に、これが最も重要な点だと思うのですが、大成功を前提として初期の事業やプロジェクトを構成することが非常に合理性を持つ可能性があります。もちろん100倍の売上を想定して初めから資本投下を行うという意味ではありません。例えば、非常に初期の頃から爆発的な成功を想定して資本構成を考えたり、税務申告や会計を整備したり、取締役の構成を十分に検討したりするイメージです。これは「成功のためのポジティブシンキング」という趣旨ではなく、加速成長モデルの事業環境を前提とした経営合理性の議論であると思います。

【2006.12.31 樋口耕太郎】

参考文献:
ピーター・ラッセル著『ホワイト・ホール・イン・タイム』。月面着陸やIBMの事例などはこの書籍からの引用です。人類と宇宙の進化についての本ですが、物理学とスピリチュアリティを進化という超長時間軸で融合させた、分析的かつインスピレーション溢れる内容です。今年僕が読んだ約250冊の本の中でブック・オブ・ザ・イヤーというべき一冊です。

マルコム・グラッドウェル著『なぜ、あの商品は急に売れ出したのか』。ニューヨークの犯罪、や米国シャープの事例はこの書籍からの引用です。爆発的な拡散現象がどのようなメカニズムによって生じるかの分析もなされています。

勝見明著『鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」』。セブンイ-レブンのドミナント戦略に関する引用はこの書籍によります。