トリニティのマーケティング論(pdf)

リレーションシップ・マーケティングのエッセンスは、「顧客と良好な人間関係を保つ」というシンプルなものですが、その事業的なパワー(すなわち、事業における人間関係の重要性)は著しく過小評価されていると思います。例えば、単純に考えて、新規顧客の獲得が「100件に1件」の作業だとすると、既存の顧客と2倍の期間付き合うことができれば100回、5倍の期間では400回分の営業行為が不要になることを意味します。この事業効率のイメージを「経営の多面体パズル」に組み込んで全体の経営バランスをとることに成功すると、莫大な成果を生み出すことが可能になるでしょう*(1)

新規開拓のマーケティング
1980年代後半のバブルの時期は、リレーションシップ・マーケティングとは対極の市場環境を体験するという意味では最高の時代だったかもしれません。僕が社会に出たのは1989年(平成元年)で、激烈な(非常識な?)バブル市場を直接経験した最後の世代に該当します。この年に大学を卒業して野村證券に入社し(当時の入社ハードルは、今よりも随分低かったと思います。)岐阜支店営業課に配属されました。この時期、雑誌『TIME』のカバーストーリーで野村證券が特集され、国際的な注目を浴びていましたし、チャーリー・シーンとマイケル・ダグラスが出演した、オリバー・ストーン監督の『ウォール街』が封切られ、就職活動の帰り道に銀座かどこかの映画館に観に行き、大興奮した記憶があります。この映画はその後何10回見たか分かりません。金融業界では、この映画の台詞を今だに暗記している人もいるくらいです。この年に卒業していなかったら、そもそも就職先に証券会社を選んでいなかった筈で、あと一年入社年次が遅れていたら、僕の社会経験は全く異なったものになっていたと思います。

当時の野村證券の新規開拓力は相当なものでした。体力の有り余っている新入社員に強烈なプレッシャーを与え、激しい競争意識を植え付けながら、義理人情浪花節で新人の脆い心の琴線をしっかり支える営業部隊の人間関係は、その渦中にありながらも本当に良くできているなと感心したものです。入社式の翌日から、来る日も来る日も飛び込み営業を繰り返す、野村名物の「名刺集め」が始まります。「名刺集めが営業の基本」「同期との一日一枚の差は、今後絶対に縮まらない人生の差になる」「新人時代に最も名刺を集めた社員が社長になる(・・・そんな訳ないのですが)」と支店のスター・セールスマンの先輩に言われると、純真な若者(?)は本当に自分の人生が一枚一枚の名刺や一本一本の電話にかかっていると信じて疑わなくなるのです。名刺の「質」にもよりますが(「社長」の名刺が一般に質の高い名刺とされていました)、丸一日飛び込みを繰り返すと150件くらいの会社や店舗に飛び込むことができます。大体1日8時間、3分おきに1件絶えず飛び込み続ける計算です。これで、40枚から80枚くらいの名刺が集まり、これを約半年間延々と続けると5000枚を超える名刺が集まります。その後は「100本ノック」と呼ばれている電話営業。この名刺と営業名簿で延々と電話営業をかけます。大体丸一日で300~400件くらいの電話をかけていたと思います。新人当時は「サボる」などということは考えもしませんでした。

これほどのエネルギーを、バブルで浮かれた市場に放出すると、入社まで全く株式や経済に関する知識が皆無かつ世間知らずの大学生が、見ず知らずの土地で顧客ゼロの段階から、僅か1年後には200件の顧客から10億円の資金をお預かりし、月間1000万円の手数料を稼ぐ「証券マン」になるのです。これは地方中核支店という位置付けだった岐阜支店での水準ですので、東京・大阪などで上場会社の運用子会社や小型の銀行を顧客にした新人セールスは一桁上の成績を上げていました。当時は野村證券の経常利益が5000億円を超え、トヨタ自動車を抜いて日本一になり、相当鼻息の荒い時期でした。

顧客の「ライフタイム」
この時期の特徴は、本当にお客様が長く続きませんでした。イメージとしては全体の顧客の10%以下が稼ぎの90%以上を占める感じで、200件の顧客がいても常にコンタクトして売り買いする顧客は5~20件くらいだったでしょうか。しかし一件のお客様が2年を超えて取引を続けるケースは稀で、早ければ数ヶ月でいわゆる「スリープ顧客」になってしまいます。取引が始めの数回限りというお客様も少なからず居ました。どんなに新規の顧客を開拓しても、1年後にはその大半が実質的に顧客でなくなってしまう状況は、やはり何かがおかしいと感じていましたが、ではどうしたら良いのかという回答があるわけではありませんでした。株式市場が活況を呈し、資本市場と投資家層が拡大している市場環境では、新規の顧客を開拓し続けることで収益を上げる手法は効果的だと考えることが「常識」だったと思います。

これらの顧客を長期間、例えば現在までの20年間維持する方法はなかったのだろうか、もしこれだけの期間、顧客との関係を維持することができていたら、野村證券の現在の預り資産と経常利益はどれほどになっただろうか、と考えることがあります。当時の市場環境はそのような試みを許しはしなかったと思いますし、これを確かめる方法はありません。その代わりに、近い将来顧客との人間関係を最優先した証券会社を是非経営してみたいと思っています。その会社の事業結果が、ある意味この答えになるのかもしれません。

顧客と永遠に付き合う
顧客との関係が長期間継続するほど加速的に事業効率が増加することは冒頭に述べました。リレーションシップ・マーケティングの究極の姿は、顧客と永遠に付き合うことだとも言えるのですが、顧客との長期の関係を生み出す要素は何でしょうか。そのヒントになるのが、学生時代の友人たちとの関係でしょう。人間関係の中で一般に最も長期間継続する関係は、肉親を除くと幼馴染みや学生時代の友人です。もちろん、学生時代の友人も、現実には付き合いのなくなってしまっている人が大半だと思いますし、相性の良し悪しもあるため、その関係の全てが継続性を持つものではないのですが、反対に顧客とは学生時代の友人のような長期の関係になることはまずあり得ません。

顧客との関係も友人との関係も同じ人間関係なのですが、なぜ顧客とは学生時代の友人のような人間関係を構築することができないのでしょうか。なぜ学生時代の友人に会うときは「いらっしゃいませ」と言わなくても良好な人間関係が構築できるのに、顧客に対してこれをしないと一瞬にして関係が破綻するのでしょうか。この二者の間には何かが決定的に異なる要素があると考えるのが自然だと思います。僕の仮説では、学生時代の友人関係には、一般に、人間関係において、①隠れた意図がない、②利害がない、ことが大きく異なる点ではないかと思っています。更に、逆の発想による仮説ですが、ひょっとすると、隠れた意図を持ち、利害がある人間関係を構築しようとするとき(つまり一般的な商売をしようとするとき)、「いらっしゃいませ」に代表されるように、人間関係には本来全く不必要な「サービス」を提供する必要が生じ、これに莫大な労力を費やすことで人間関係をバランスする必要が生じているのではないでしょうか。つまり、一般的に「サービス」と呼ばれている莫大な労力と費用は、もともと不要なものかもしれないのです。そして仮に、①隠れた意図がないこと、と②利害がないこと、が人間関係を長期に継続するための必要条件だとしたら、この要素を顧客との間で応用することで事業性が生れるのではないでしょうか。

この仮説があながち突飛ではないことの一例として、ネットワークビジネスがあると思います。もちろん色んなケースがありますので一般化することは難しいのですが、よく、「ネットワークビジネスを始めると友人をなくすよ」と言われることがあります。実際ネットワークビジネスに熱中し始めると、友人関係が大きく変化することを経験する人は少なくないのではないでしょうか。人間関係に、①隠れた意図と、②利害が介在することで、その関係が根本的に変化する実例と言えないでしょうか。

世の中には、人間関係をお金に替え、不安と恐れを動機付けに利用する営業形態と、人間関係を優先して(結果として)お金を呼び込み、愛を動機とする事業形態の二種類が存在すると思うのですが、本当に皮肉なもので、後者の方が遥かに事業効率が高いのです。ただし、後者の事業性を生み出すためには、特定の「経営バランス」を体得することが必要で、「待ち」のマーケティングを試行錯誤したり、顧客を経営者の鏡と考えて自らを見つめる作業は、このバランスを理解するための非常に良いトレーニングになると思います。

営業することは非効率
以上が示唆することは、・・・これも冗談みたいに聞こえますが・・・、営業行為、マーケティング行為はリレーションシップ・マーケティングの観点(すなわち長期的な人間関係を継続する観点)から、あるいはサービス業の運営という観点からも、非常に非効率な事業行為である可能性があるのです。現実には、①隠れた意図、と②利害、を顧客との人間関係でどんどん排除していくと、長期的な人間関係が生む顧客の生涯価値が、営業行為が生み出す付加価値を上回るポイント(すなわち営業をしない方が逆に企業収益が高まるポイント)がどこかに存在するはずで、その経営バランスを発見することができれば、飛躍的に事業効率が高まることになるのだと思います。このように表現すると手品のようですが、現実には、一切営業をせずに成立している事業は意外に多いものです。これは特殊な事例や特定の業種で成り立つだけではなく、そのエッセンスは一定の経営バランスを前提に、どのような事業にも応用可能だというのが僕の体験による仮説です。

【2007.3.14 樋口耕太郎】

*『トリニティのマーケティング論』は本稿で終了です。

*(1) 事業経営における「バランス」は、恐らく経営的優先順位の一、二を争うほど重要な要素だと感じるのですが、その重要度の割りに殆ど認知されていない経営概念でもあります。事業経営はルービックキューブと似ているところがあり、パズルの一面を動かすと必ずその他の面にも何らかの影響を与えるため、パズル全体(事業の生態系)の立体的なイメージを常に捉えながら経営に当る必要があるという考え方です。社団法人金融財政事情(きんざい)が発行する季刊誌で、事業再生の分野では注目度の高い『事業再生と債権管理』の2007年1月5日号に「沖縄事業再生通信:ホテルという生態系」と題して、経営におけるバランスの重要性をテーマに樋口が寄稿しています。ご関心のある方はご一読頂けると幸甚です。

企業や経営者の「本心」が、同じ気持ちの顧客を惹きつける、という考え方は非科学的で根拠がないと考える人も少なくないと思いますが、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、生活の知恵として昔から人々が直感的に感じていることでもあります。トリニティ経営理論の考え方は、「理論の構成と内容が正しい(証明できる)か」どうかよりも、「実際の経営で機能する考え方(現実認識)は何か」を重要視するものです。この例では、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」という「現実」を前提として経営行動を起こす、という意味ですが、このような前提が「正しい」かどうかは必ずしも重要だとは考えません。これが「正しい」ということを証明することは不要ですし、そもそも不可能です。「企業は、企業の『本心』と同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことが事実かどうかを証明する方法はありません。

経営において重要なテーマは、ある「現実認識」を前提とした時に、どのような事業行為が合理的かを明らかにし、それを実行し、その結果を観察することです。事業的な成果が生じる場合、このような現実認識は「正しかった」と推測することができますが、このような経営的行動が汎用性を持つ限り、実質的な経営手法として機能することは明らかです。つまり、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことの証明は不可能であり、理屈の上で否定することもできますが、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつけることを『現実』として経営行動を起こす」ことで事業的な結果が生れる場合、その利益と合理性を否定することはできません。別の言葉では「経営者の現実認識がそのまま事業の現実になる」、「事業の現実は経営者の数と同じだけ存在する」という意味でもあります。

このような発想を僕は勝手に「量子論的経営観」と呼んでいて、トリニティ経営理論のひとつの特徴でもあるのですが、本稿のテーマから逸れてしまうため、詳細は別の稿でご紹介いたします。少なくとも、この発想が示唆することのマーケティングにおける意味合いは、このような現実認識(価値観)には実体があり、特定の現実認識自体が経営の目的のひとつであるというものです。

顧客は企業の鏡(再び)
不思議なものですが、「感じること」を意識しながらホテルやレストランなどを数多く利用すると、お店を利用するだけで経営者の「本心」や気持ちの変化がだんだんと理解できるようになってきます。ホテルやレストランの経営者の方と直接お会いして人となりを知ったり、その経営者の右腕や現場のリーダーや主要な従業員の性質を理解したり、それ以降も何度かお会いしながら、経営者の意識の変化を「定点観測」したり、グループの同一または複数のホテルやレストランを定期的に利用しながら観察すると更に効果的です。

自分で商売(特に小さな商売)をなされている方はより恵まれた環境にあります。自分の気持ちとお客様の様子をじっくり観察することを一定期間辛抱強く続けると、自分の気持ちや意識の変化に合わせて、顧客層や顧客の反応がはっきり変化するのが感じられるようになります。更に、この現象を応用して、「今、自分がどのような意識で『在る』のか」、「今、お客様にどのような気持ちで接しているのか」、「今、お客様はどのような気持ちか」を意識するように努め、自分とお客様を知るための試行錯誤を一定期間行います。すると、自分が集めたいイメージのお客様を呼び込むために必要な自分の意識と、必要なお客様への接し方が分かるようになります。このような努力を継続すると、実際に、来店する顧客層をある意味「コントロール」することができるようになってくるのです。・・・このように表現すると、とても特別なことのようですが、長く続いているお店の中には、このような原理を直感的に理解している店主や経営者が散見されます。ただし、これは顧客を選り好みすると言う意味ではありません。特定のお客様がいらっしゃった時にいやな顔をしたり、「来なければ良いのに」と念じる、などと言ったこととは根本的に異なります。

「従業員は経営者の鏡、顧客は企業の鏡」とよく言われます。鏡の中に映っているものに満足できないとき、鏡を叩いてもこすってもそれを変えることはできません。自分が変わることでのみ鏡の中を変化させることができるということだと思います。この原理を体験するためには、大企業での経験よりも、店主一人で仕切る小さな接客商売を経験したり、そのようなお店を長期間じっくり観察し理解することの方が遥かに有益です。企業の事業再生が社会的な課題になり、ターンアラウンド・マネジャー(事業再生を担当する経営者)の不足が業界で語られるようになっていますが、僕は(i)大企業の経営力と、(ii)先端金融と、(iii)一人で仕切っているおでん屋さんの経営バランス、この三つの要素を理解する人材が理想的ではないかと思っているのです。現状は三つ目の要素を兼ね備え、あるいは経験している人材が最も不足している印象です。ひょっとしたら事業再生能力を身につけるためには、ビジネススクールに留学したり、ファンドで働いたりするよりも、個人で飲み屋さんや焼き鳥屋さんを経営してみる方が本質的に近道かも知れないと思うことがあります。お店を始めることが現実的でないビジネスマンの方でも、仕事帰りにどうせ飲みに行くなら、個人経営の、長く続いている個性的なお店に長期間通い詰めることで、非常に有益な経営感覚を学ぶことができると思います。

サービス業の運営が破綻するとき
以上を意識的に理解することができるようになると、売上などの財務に現れる前から、事業の本質的な変化や従業員や顧客の変化を察知することができます。反対に、自分の気持ちと従業員の気持ちと顧客の気持ちに無関心なまま、売上や財務諸表や顧客満足度(パーセンテージや変化率)などの数値に頼り過ぎた経営(つまり、ビジネススクールで教えている経営ですが・・・)を行うと、事業の現場における重要な変化を見失うことに繋がりかねません。この原理を利用して、サービス業が破綻するパターンを非常に良く説明することができます。例えば・・・

① 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→広告宣伝、キャンペーン、タレント起用、特典の発行、資本投下による店舗デザインの変更や改装など、事業の本質(人間関係)とは異なる販促を行う→目新しいこと、「得」なこと、ミーハーなことを好む顧客層(流動顧客)を大量に呼び込む→顧客満足度の上昇→この商売が好きだった顧客が離れる→広告宣伝費等の増加による損益分岐点の上昇→売上増により販促費の増加を吸収し一時的に利益が増加する→財務的に好調になり事業の危機が去ったように感じられる→流行の変化や競合他社の登場により、流動顧客が離れる→より大きな危機感とあせりと自信喪失→より大規模かつ効果の少ない販促→破綻への悪循環。

② 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→価格のディスカウントや特典による販促→単価の低い顧客層(商売自体よりも「得」なものに強い関心がある顧客層)を大量に呼び込む→もともとの商売に愛着を持つ顧客が離れる→回転率の増加によって一時的に売上と利益が増加する→回転率の増加に伴い従業員の実質負担が増加→「業績好調」である限り従業員は何らかの納得感を持つことが一般的→競合他社の登場により、流動顧客が離れる→売上の減少に伴い利益率の大幅低下→従業員のモラルの低下→破綻への悪循環。

③ 優れた商品(例えばうまい料理)の開発や好調な売上→経営者の慢心とおごり→顧客に対して「売ってやる」という意識の芽生え→自尊心の低い顧客を多く呼び込む→顧客満足度の上昇(世の中には失礼な店主に怒られながら食事をすることが好きな人もいるのです)→この商品や店主の純粋な熱意が好きだった顧客が離れる→自尊心の低い顧客が口コミで同様タイプの顧客を連れてくる→顧客属性の変化により店に活力と「華」がなくなる→緩やかな売上と単価の落ち込み→破綻への悪循環。

以上のように、経営者がサービス業の運営を「把握」する際、財務諸表や顧客満足度などの係数データに頼りすぎることは非常に危険である場合があるのです。後者については、現場で多くの時間を使い、現場を良く理解する努力はもちろんですが、それに加え、単なる「大変満足」のパーセンテージだけではなく、コメントの量の変化、コメントの質(場合によってはお客様の筆跡なども含む)から示唆される事業的な意味を、感性によって補いながら現場を把握・理解することが有効です。同様に、「どの商品が売れるか」、「どのような販促が効果的か」、「どのような内装が顧客に受けるか」に意識を注力し過ぎるよりも「自分の気持ち(本心)はなにか」、「顧客が誰か」、そして「自分の在り方と顧客との人間関係はどのようなものか」に深く向き合う方がより本質的な「マーケティング」のテーマと言えるのではないかと思います。

【2007.3.9 樋口耕太郎】

およそ3年前に沖縄に来て以来、多くの物事をそれ以前とは全く逆の価値観で考える機会が非常に増えました。仕事の内容やパターンや人間関係も大きく変化したために、それまで溜まりに溜まった名刺を整理したことがあったのですが、約4年間でお会いした方々の名刺を集めると、段ボール箱に一杯になったことが印象的でした。この名刺の方々にお会いするために費やされた時間はざっと「名刺の枚数÷2×1時間」くらいでしょうか(お会いするときは複数の方がご一緒されることが少なくないので2で割り、それぞれのミーティングは平均1時間という想定です)。細かく計算はしませんでしたが本当に膨大な時間です。4年間でこの名刺の山からおよそ10の案件をクロージングしたわけですが、以前は「このような努力と人脈の積み重ねがあって初めて10の案件にたどり着くことができた」、と当たり前のように考えていて、その前提を疑ったことは一度もありませんでした。でも、このとき段ボール箱を見ながら感じたのは、「本当に同じ成果をあげるためにこれだけの時間が必要だったのだろうか」ということでした。嘘みたいに聞こえるかも知れませんが、現在は、全く異なった発想と、一定の原理を理解することで、ダンボール一箱の人にお会いしなくても、初めから10枚の「当たり名刺」に巡り合うことができると思っています。もしそれが可能になった場合の効率は、少なくとも100倍くらい違うのではないかと思いますが、これはトリニティのマーケティング論が応用されたときに高まる事業効率のイメージと非常に重なるのです。

また、いわゆる「攻め」の業態の営業は「千三つ」の世界だと言われることがあります。千件のお客様に断られて、三つ案件が成約するという意味です。業態によっては、この千に三つの顧客が事業の売上げの100%をもたらしているので、この意味で非常に「効果的な」事業行為と言えなくもないのですが、その反面、997人の顧客が無用の電話や訪問を受け(その中には腹立たしい思いをする人も少なくありません)、997人に営業を行うための人件費やその他の費用は商品価格に転嫁され顧客となる3人が負担することになります。また、997人は、世の中に無数に存在する営業会社から、時には同じ会社の別の営業マンから繰り返し無用の営業をかけられるということが必然として生じます。営業会社の立場では、それこそが事業行為であり、現実に(時には莫大な)事業性があり、この行為が従業員の生活と、企業成長の糧であると考えるのは当然のことですが、企業が発するメッセージという観点では、毎日何百という地域の人たち(の大半)が望まない行為を延々と繰り返しながら、一方では多大な広告宣伝費をかけ、「私たちはお客様のことを第一に考えています」と語りかけることは、何かが根本的に非効率なのではないかと思うことがあります。以上を、「メッセージ伝達の法則」に当てはめると(2007年1月25日のエントリー「伝えるということ」をご参照下さい)、「行動と言葉が矛盾するとき、行動によるメッセージが優先して伝わる。同時に『メッセンジャーの言葉にはうそがある』、というメッセージが同時に伝わる。」という現象が生じると思います(過去のエントリーでも繰り返し強調している点ですが、以上は非難でも中傷でも、批判ですらありません。経営的な観点からマーケティング、営業の事業効率を観察するにあたっての、現状認識のアプローチのひとつです)。

「待ち」のマーケティングとリレーションシップ・マーケティングのツボ
さて、「トリニティのマーケティング論《その1》 《その2》」では、①デジタル情報ネットワークの環境においては、顧客に企業を見つけてもらう「待ち」のマーケティングの効率が著しく高まる。このとき、企業がすべきことは、基本的にメッセージを掲げることだけだが、そのメッセージの内容と企業のあり方によって効果が著しく異なる。②新たな顧客を獲得するよりも、良好な人間関係を通じて、既存の顧客を失わないことの方が、圧倒的に事業効率が高い。これを達成するために最も重要な点は、企業のあり方と企業と顧客の人間関係のあり方である。という趣旨を述べました。

「待ち」のマーケティングと、リレーションシップ・マーケティングをうまく活用することができれば、いずれも爆発的な事業効率を生み出すことが可能で、今後の市場環境では重要な事業戦略のポイントになるでしょう。両者は別々の概念ですが、事業効率を生み出すためには独特ツボを理解する必要があるということ、そしてそのツボが「いかに在るか、そしていかに嘘なく表現するか」ということであることが共通しています。すなわち、「自分のあり方、正直な表現」というひとつのツボをおさえることで、二つの概念による事業効果が相乗して生まれるため、経営的にも一石二鳥のイメージです。事業をシンプルに経営するほど事業効果が高まることの一例とも言えそうです。経営論の分野で多大な功績のある故ピーター・ドラッカーの有名な言葉のひとつに、「マーケティングの究極の目的は販売行為をなくすことである」というものがありますが、もし上記の手法が成り立つのであれば、ドラッカーのいう究極のマーケティングを具体的な事業環境で実現する有効な方法と言えるかも知れません。

「待ち」のマーケティングは自分磨き
少々突飛な例ですが、女性が理想の男性との出会いを求めながら(男性が・・・でも同じことです。念のため)、「なかなか良い出会いがない」と悩むことがよくあります。正確には「出会いがない」のではなく、「自分がどんな人間であるかは別にして、自分の理想を満たし、かつ誠実なひとが自分に対して強い関心を持ってくれない」という意味だと思うのですが、これは「攻め」のマーケティングを前提としている発想で、これまでの議論を前提とすると、理想的な相手を見つけるためには必ずしも効率が高い方法とはいえません。「待ち」のマーケティングの発想に切り替えると、まず、世の中には理想の男性が溢れているという事実が現実になります(日本だけでも何千万人の未婚者がいることを考えれば、やはりその中には沢山いると考えるべきでしょう)。ただし、その数多くの理想の男性は、その女性のことを知らないかもしれないし、その女性を知り得たとしても女性の「あり方」に嘘を感じるかもしれませんし、その女性「あり方」自体に魅力を感じないかもしれません。このハードルを越える作業が「待ち」のマーケティングにおけるテーマであり、「いかに在るか、いかに正直に表現するか」という100%自己完結する作業が意味をもつのです。・・・要は「相手を探し回るより、自分磨き」ということなのですが、この考え方と行動は、正しく努力・実行すると、マーケティング的にも、人生においても非常に高い成果を生むということだと思います。

顧客は企業の鏡、従業員は経営者の鏡
では、どのような「あり方」に対してどのような顧客が惹きつけられるものでしょうか。「トリニティのマーケティング論《その1》」では、出会い系サイトの事例において、①掲示するメッセージによって返信する女性の属性が変化する、②メッセージに対する返信は、「文字通りの内容」に反応するというよりも、メッセンジャーの本心に反応する傾向がある点を指摘しましたが、これは企業の「あり方」と、惹きつけられる顧客の関係にそのまま当てはまると思います。つまり、企業の「本心」と同じ性向をもつ顧客を惹きつけるのです。

ここで言う「本心」とは、企業が意識しているかどうかには関わらず、企業の行動が伝達する、企業の本当の(多くの場合隠れた)目的を意味するという点がポイントです。例えば、企業が「どうしたら単価の高い顧客を呼ぶことができるか」、ということを強く意識して経営を行うと、高級な顧客を呼び込むことにはならず、高級を求める顧客を呼び込むことにもならず、単価が高いものに価値を見出す顧客を呼び込むことになります。非常に高価かつ似合っていない(つまり趣味の悪い?)ものを身に着けているような顧客のイメージです。単価の高いものが高級だと考えている人は少なくありませんが、高級なものと単価の高いものは本質的に異なる概念です。高級とは何かを理解できないお金持ちは、単に単価の高いものに惹かれるという傾向があると思います。同様に、企業がどうしたら高級な顧客を呼ぶことができるか、ということを強く意識して経営を行うと、高級な顧客を呼び込むことにはならず、高級を求める(いわゆるミーハーな)顧客を呼び込むことになります。そして、企業が自ら高級になろうと強く心がけて行動すると、高級になろうと努力して生活を送っている顧客を惹きつけることになります。

以上の関係は、経営者と従業員の関係にも当てはまります。高級になろうと努力する経営者には高級な従業員が惹きつけられ、高級な従業員は高級な顧客を惹きつけます。仮にこれが事実だとすると、高級な顧客をひきつけるためには、経営者自身が高級な人間になろうと自ら努力することが事業的に効果的であり、企業のマーケティングは経営者の個人的なあり方というテーマと重なることになります。

【2007.2.24 樋口耕太郎】

最近のマーケティング理論の中で、実務的な観点から優れていると思うのは、「リレーションシップ・マーケティング」の概念です。従来、マーケティングの発想は「新規顧客を獲得する」というテーマに偏重していたように思いますが、新規顧客の獲得は既存顧客の維持よりも圧倒的にコストがかかる(5倍程度のコストがかかるという説もあるそうです)という非常に明快な理由で、既存顧客の離反率を下げることが非常に有効なマーケティング戦略として見直されており、これに関連する一連の概念が、一般に「リレーションシップ・マーケティング」と呼ばれているようです。リレーションシップ・マーケティングの事業効果を計る概念として、現在マーケティング研究の第一人者とされるノースウェスタン大学のフィリップ・コトラー教授は、顧客の「生涯価値」という考え方を提唱しています。すなわち、顧客が企業と取引を継続する期間中に生まれる合計収益を、マーケティングの成果として評価する考え方です。(さらに顧客の生涯価値から、企業が顧客を獲得・維持するための総費用を差し引いた概念を「顧客価値」と呼び、これを最大化することが企業の目的であるべきだという考え方をするようです)。

もっとも、「リレーションシップ・マーケティング」と表現すると、何かしら複雑な経営理論のようですが、要は「(顧客との)人間関係を大事にする」という当たり前のことで、逆に、これが「先端理論」とされていること自体、マーケティング理論がいかに現場から乖離しているかということかも知れません。例えば30年前、僕が子供の頃の盛岡の、地元の商店のおばちゃんはこの原則をきちんと理解してお店を経営していました。むしろこの概念が、長期間の経済成長の中でサービスの質の低下と共に退化の一途を辿り、今ようやく再び見直されてきたと考えるべきでしょう。

矮小化されているリレーションシップ・マーケティングの運用
リレーションシップ・マーケティングの発想は良好な人間関係の維持を重視した普遍性の高い概念だと思うのですが、その概念を現実の経営に応用する手法は、本来の「人間関係」から離れ、「しくみ」の議論に相当矮小化されているという印象を持ちます。その代表例が「ロイヤルティ・マーケティング(マイレージやポイントカードによる囲い込みなど)」や「データベース・マーケティング(顧客の属性データを集め、それに対応した商品の提供などをおこなう)」と呼ばれる「最先端」のマーケティング手法です。

ロイヤルティ・マーケティングは導入に多大なコストがかかりがちな反面、他社が追随しやすく、差別化にいたらない傾向と、結局「他がやっているから」という消極的な理由で運用されざるを得ない宿命があるような気がするのですが、本当に事業的な効果が生まれているのか不思議です。更に、ポイントカードでもマイレージでも、結局のところ、このしくみの導入によって企業が顧客に提供するものは、継続利用に対する実質的なボリューム・ディスカウントです。つまり、「顧客としっかり向き合って、良好な人間関係をいかに構築するか」という、事業にとっても、従業員個人個人にとっても極めて重要な、リレーションシップ・マーケティング本来のテーマが、「沢山買ってくれたお客様におまけする」というだけのことに矮小化されているわけで、このような考え方は、何か根本的なところで経営のあり方を却って非効率なものにしてしまっているように感じます。その他、これに比べれば小さい点ですが、顧客の立場では、沢山買っても得点がもらえず「なんとなく損をしたな」という気持ちになりたくない人は、財布の中がポイントカードだらけになることを覚悟しなければなりません。いつの間にかたまっていく山のようなポイントカードを見る度に、「このしくみは何かがおかしい」と思うのです。そもそも「沢山買ってくれたお客様におまけする」というだけのことに、なぜこれほどシステム投資が必要なのか、という素朴な疑問もあります。

データベース・マーケティングについても、顧客の立場からすると、例えば、3年前の引越しのときに少しだけ関心を持ったことがある家具の広告がいまだに送られてくるのを見ると非常にしらけた気分になるのは僕だけでしょうか。顧客の過去のある時点における購買行動や関心ごとが顧客の属性を決めるという考え方は一見合理的なようですが、顧客の価値観をあまりに矮小化しているように思え、このような前提からどれだけの事業性が生まれるのか疑問を感じます。また、インターネットの発達で、顧客へのアクセス(つまりはメールですが)が容易かつ安価になるということで、多大なシステム投資が正当化されるのですが、顧客にしてみれば、その他の大量のジャンクメールに混じって広告メールが届いたところで、本当に意識を割くものでしょうか。データベース・マーケティングはこの手法によって「適切な顧客へアクセスする効率を高める」という考え方が基本にありますが、インターネットに代表されるとデジタル情報ネットワーク環境の変化によって、そもそも企業が顧客にアクセスするという行為自体が非常に非効率になりつつあります(顧客は自分が関心を持つものには自らゼロコストでアクセス可能な環境では、「待ち」のマーケティングが有効なのではないか、という考え方は前回のエントリーでコメントしたとおりです)。…「最先端」のマーケティング理論に基づき、企業が多大な時間と資本と「専門家」を投下して構築しようとしているマーケティング・インフラは、既に出会い系サイトでほぼ実現していますので、そのインフラの効果を実感してみるのは非常に有益だと思います。「攻め」のマーケティングをいかに効率化しても、最先端理論が示唆するような効果はないということを実感されるかもしれません。

そして何よりも、以上のようなしくみと運用の最大の問題点は、顧客の気持ちが中心にない点ではないでしょうか。例えばですが、企業の意図は別にして、企業の「行動によるメッセージ」を素直に解釈すると、顧客は、欲しくもないカードを常に携帯しなければ、損した気持ちにさせられるという点で、企業から軽く脅されている状態に等しいと思います。

顧客を維持することのパワー
しかしながら、顧客との関係をより良いものにするというリレーションシップ・マーケティング本来の概念が極めて有効なものであることに変わりはありません。リレーションシップ・マーケティングや生涯価値の概念を経営に応用すること、すなわち顧客を維持することの事業的なパワーは相当なものです。経営論的に表現すると、米国の通信事業者は毎年25%の携帯電話加入者を失っており、これを金額に換算すると20億~40億ドルの損失が出ているといいます。また、平均的な企業は毎年顧客の10%を失っており、業種によっても異なりますが、離反率を5%減らせば、利益は25%~85%上昇するそうです(25%~125%という調査もあります)。

従来のマーケティングが重視している新規顧客の獲得は、あくまで一回の購買に関する概念ですが、リレーションシップ・マーケティングの概念では、例えば年間5回ある商品を買う顧客を2年間維持できれば10回の購買、10年維持できれば50回の購買(すなわち50倍の生涯価値/事業性)を生むことになります。50倍の数の顧客を獲得するよりも、10年顧客と付き合う方法を考えるほうが遥かに事業効率が高いことは容易に理解できることと思います。別の言葉では顧客を得ることよりも失わないことの方が数十倍の事業効果を持つ可能性があり、遥かに重要なマーケティング上の課題であるといえます。

マーケティングは「企業のあり方」
実のところ、「リレーションシップ・マーケティング」という言葉自体が、概念の本質を見にくくしている面があると思います。この概念は、「顧客との(長期の)人間関係を重要視する」ということでしょう。そして、効率的なリレーションシップ・マーケティングを突き詰めていくと、「マーケティング」というカテゴリーは消滅し、「企業のあり方」「人間関係のあり方」というテーマと同一のものになるのではないでしょうか。本当に継続する関係は、「出会い方」よりも、自分の「あり方」と人間関係に依拠するからです。その意味で、一般的な人間関係で、最も長期的に継続する関係は、肉親を別にすると同級生や幼馴染みですが、この人間関係がリレーションシップ・マーケティングの究極のイメージに近いと考えることはできないでしょうか。このような人間関係を顧客と構築することは不可能なことでしょうか。このような考え方をビジネスに応用することはできないでしょうか。

【2007.2.10 樋口耕太郎】

本稿は、「デジタル情報革命と企業経営」「マーケティングはどうなる?」に関連するテーマを、マーケティング理論の観点からより体系的に構成したものです。合わせてご覧いただけるとイメージが伝わりやすいかもしれません。前二稿の基本的な論旨は、

『デジタル情報革命後の次世代マーケティング環境では ①企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、②顧客は企業がどう見てもらいたいかとは全く異なる情報によってありのままの企業を知る、という現象が常態化する。同時に、③デジタル情報革命など、環境の変化によって対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。従って、(i)顧客を知る、顧客に自らを知らせる、というマーケティングは非効率になる、(ii)企業のあり方、特にうそのないあり方が最大の「マーケティング効果」を発揮する、(iii)企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』

というものでした。

冗談ぽく聞こえるかも知れませんが、このような市場環境をとてもよく実感できる仕組みがインターネットの出会い系サイトです。この話題を提供することで自分の恥をさらすような感がありますが、出会い系サイトを実際に経験してみることは、デジタル情報革命後のマーケティング環境を体験する極めて有効な方法であるため、恥を忍んでも紹介したいという意識が勝りました。社会的にはなにやらいかがわしいイメージが付きまといますが、内容は玉石混交です。仕組みに問題があるのではなく、運用する各人の問題だと考えるべきでしょう。人を傷つけるような利用方法は決してすべきではないという前提で、マーケティングや経営に関心がある方は是非一定期間試行錯誤されてみることをお勧めします。

「理想的」なマーケティング環境
ご存じない方のために、出会い系サイトの基本的な構成を説明します。もちろんサイトごとに相当なバリエーションがありますし、僕の知識と経験も限定されていますが…、基本的に男性掲示板と女性掲示板の二種類が用意され、女性であれば女性掲示板に男性へのメッセージ、男性であれば男性掲示板に女性へのメッセージを掲載することができます。サイトによってはメッセージを掲示する際に、住居地、年齢、学歴、職業カテゴリー、年収、趣味などの属性を登録することができます。男性は女性掲示板にある多くの女性のメッセージを、女性は男性掲示板にある多くの男性メッセージを、属性ごとに検索・閲覧でき、関心がある相手に対してメールなどでメッセージを送付することができる、といったシンプルなものです。

出会い系サイトの男性と女性の関係は、デジタル情報革命後の企業(男性)と顧客(女性)の関係に非常に似ていると思います。女性の掲示に対しては一日で100通をゆうに超えるメールが集中する反面、男性の掲示に対しては1週間で1通の返信があれば良い方ですので、単純にイメージしても1000:1くらいのアクセス数の差があります。デジタル・ネットワーク環境でのマーケティングは、出会い系サイトで男性が如何にして女性からの連絡を獲得しようかと考えている状態と似ています。

男性は、自分の目的に適ったサイトを選択し、本人の自己申告によって構成される女性のプロフィールを絞込み(セグメンテーション)ます。男性はメッセージを可能な限りパーソナライズして送付します。学歴、年齢、住居地域、職業、趣味、その他個人的な嗜好がこと細かく特定されているサイトも珍しくありませんので、男性は女性の属性を相当程度把握し、サイトの種類、すなわち属性群、を自由に選択し、殆ど費用をかけずに、無制限にアクセスすることができます。一般企業がこのような「マーケティング・インフラ」を整備するためにどれだけの投資や整備を行っているかを考えると、出会い系サイトの男性は、「最先端」のマーケティングに必要な環境をただ同然のコストで利用でき、企業からすれば夢のようなマーケティング環境、ということになります。

マーケティング効率に関する問題点
このように、出会い系サイトでは、マーケティング理論的に理想的なマーケティング・インフラが提供されている筈なのですが、男性から女性にアクセスを試みる上で、いくつかの構造上の問題が存在しています。第一に、顧客属性の絞込みによってマーケティング効率が上がるという幻想です。有効返信は男性が送付したメッセージ100通に対して多くても1通くらいでしょうから1000通出して数通の返信があるというイメージで、メッセージを大量に送付します。メッセージの送付にはコストが殆どかかりませんので、理論的には送付すればするだけ効果が上がるはずです。ところが、女性の属性を利用して返信効果を挙げようと、「有効な対象属性」に対象先を絞れば絞るほど、急速に対象数が減少し、そのためより多くの新規サイトを徘徊しなければならなくなってしまいます。単純に考えて10分の1に対象を絞ると、対象数を10倍に増やさなければならなくなります。企業のマーケティングになぞると、属性が特定された顧客データを入手・構築して利用する戦略においては、そのデータを絞り込むほど、更に何倍もの多くのデータが必要となり、マーケティングそのものよりもデータの入手・構築にかかる労力がどんどん増加するといった、本末転倒の作業に時間と費用が費やされがちです。

第二の問題点は、同報メールなどのマス・メッセージとパーソナライズド・メッセージの伝達効率の大きな格差です。不思議なものですが、メッセージを受け取る女性は、それが本当にパーソナルなものか、大量にコピーして送付されるものかをしっかり感じるものです。ダイレクトメールの宛名だけ替えて送付されるメッセージでは、受信者に何の感動も共感も与えることはできません。このため男性は、女性の属性や掲示されたメッセージごとに、それらしくパーソナライズされたメッセージを書き分けることにします。この作業はある程度効果的なのですが、もともと何百も送付しなければ返信がない確率の中での作業ですので、メッセージの書き分けは全体の作業効率を著しく低下させます。

第三の問題点は、属性情報の根本的な価値についてです。例えばある時点で「音楽が趣味」とデータが示している人がいたとしても、来年も、あるいは極端な話、明日音楽に関心があるとは限りません。個人的な経験を振り返っても、車の種類、出張の頻度、音楽の好み、ライフスタイルなどは比較的短期間で相当な変遷をたどっています。少々大げさに表現すると、数年前に答えたアンケートの内容が自分とは思えない程です。男性・女性の別など、根本的なものを除けば、マーケティングの観点からは平均的な顧客(属性)は5年もたてば別人、と考えて差し支えないのではないでしょうか。僕が経営者としてデータベース・マーケティング(続編で後述します)に投資を考えるとしたら、どんなに甘い想定でもデータの効果は5年で償却されるという前提で収支を計算するとおもいます(実際は2年くらいの想定にするでしょう)。

第四の問題は、対象が「メッセージを掲示している女性」に限定されるということです。これは想像ですが、実際掲示板にメッセージの登録をする女性の数は、このサイトを閲覧する女性の1~10%くらいなのではないでしょうか。仮にこれが事実だとすると、女性の掲示板を見て対象を絞り込むという手法は、絞込みを開始する以前から10~100倍の対象女性を無視してしまっている可能性があるのです*(1)

「待ち」のマーケティング
では、以上のような、男性が女性にメッセージを送付する「攻め」のマーケティングに対して、正反対の発想をしてみたらどうでしょう。女性のメッセージを閲覧したり、属性を絞り込んだり、ダイレクト・メールを送ることを一切止めて、自分のメッセージを男性掲示板に掲載し、後はただ女性からメッセージが届くのを待つのです。このように発想した瞬間、出会い系サイトのインフラは次のような性質を持つことになります。

第一に、対象女性のデータを検索・収集したり、属性を検証・絞り込みなどの作業が一切不要になります。第二に、大量のメッセージの送付作業やパーソナライズしたメッセージを作成する手間、つまりメールを100通出しても一通返信があるかどうか、という環境で、それぞれメッセージをパーソナライズする労力は相当なものですが、この一切が不要になります。第三に、前述の理由から、掲示されている属性が現在も有効であるかどうかは非常に曖昧である可能性があります。これに対して、男性の掲示するメッセージの内容に女性がアクセスする「待ち」の手法においては、逆説的ですが、そのメッセージの内容次第で特定の属性の女性をかなり有効に呼び込むことが可能で、このため女性の属性を誤る可能性が低下します(詳細は後述します)。第四に、メッセージを掲示する女性が、前述の通り仮にサイトを閲覧する全女性数の1~10%だとすると、「待ち」の手法によって男性が掲示したメッセージを受け取る可能性が生じる対象女性数が、10~100倍に増加することになります。

本稿の冒頭で、『デジタル情報社会における次世代マーケティング環境において、企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、という現象が常態化すると同時に、対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。』と表現しました。更に、このような環境においては、『顧客を知る、顧客に自らを宣伝するマーケティングは非効率になり、企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』とも。これは出会い系サイトの「待ち」の環境と非常に似ているのです。

同じ文章を出会い系サイトの「待ち」の男性に置き換えてみると、『出会い系サイトにおいて、男性はメッセージを送付してくれる女性の存在を知らないが、女性は男性の存在を知っています。そしてメッセージを送付してくれる可能性を持つ女性の範囲は「攻め」の利用方法と比較して飛躍的に拡大します。』。更に、このような環境においては、『対象女性を絞り込む努力、女性に自らを売り込む作業、男性が女性の嗜好を理解(推測)し、女性のフィーリングに合うメッセージをカスタマイズして送付するという行為は非効率』ということになります。

「待ち」が機能するための要素
出会い系サイトの「待ち」の手法で、効果的に女性からメッセージを受け取れるようになるコツの習得は、次世代マーケティング環境で高い効果を生む手法に繋がります。「待ち」の手法で物理的にすべきことは、メッセージを掲げて待つだけですので、「攻め」のマーケティングと比べると、その効率の高さは比較になりません。一部サイトを除き、写真や音声の掲示もありませんし、使える文字のフォントや色や大きさも大方特定されています。すなわち、視覚効果、デザイン、その他の演出では差別化する手段はなく、基本的にメッセージの内容だけが男性掲示板のその他多数のメッセージと差別化する唯一の手段であり、この作業に必要な資本は「知性」と「心」だけです*(2)。男性掲示板には自分以外のメッセージも多数掲載されていますので、どんなメッセージでも効果があるというわけではありません。むしろ、試行錯誤の初期においては、殆ど効果が出ずに諦めてしまう人が少なくないのではないでしょうか。恐らく本当に効果が出るメッセージがどのようなものかを理解するまでに、早くて3ヶ月から半年くらいはかかるような気がします。

掲示するメッセージと返信の関係で非常に興味深い事実がいくつかあります。第一に、ある意味当たり前なのかもしれませんが、掲示するメッセージによって返信する女性の属性が変化するということです。これは単にピアノが趣味だと掲示するとピアノが好きな女性が返信する、といった形式的な属性に加えて、以心伝心がネットの世界でも可能だと感じる時があります。イメージで表現すると、必ずしもメッセージで「ピアノ」に言及しなくても、「ピアノが本当に好きだ」という気持ちでメッセージを作成すると、音楽を心から愛する人が返信してくる、という感じです。

僕が駆け出しの証券マンだったころ、「儲かる株があります」というトーンのセールストークでお客様になって頂けた方と、「僕の将来を買ってください」というメッセージに共感してくれたお客様は、全く異なるタイプのお客様だったという経験がありますが、これも同じ現象だと思います。よく「顧客は企業の鏡」「従業員は経営者の鏡」といわれますが、出会い系サイトでも、本当にその通りだということをはっきり実感することができるのです。

第二に、メッセージに対する返信は、「文字通りの内容」に反応するというよりも、メッセンジャーの気持ち(本心)に反応する傾向があると思われる点です。例えば、メッセージで「高級車」に言及すると、「高級な人」ではなく、「高級に憧れる人」(あるいは大体同じ意味ですが、「高級なものをエゴの表現として利用する人」)が返信する、といった感じです。僕の推測ですが、これは高級車に言及する人の本当の気持ちが、返信者に伝わるためではないかと思います。本当に高級な人は、短いメッセージの中でわざわざ高級車に言及するようなことはしないものです。

この現象が仮に事実だとすると、メッセージを受け取る人(すなわち、誰でも、ということですが)の感じる力は相当なもので、本当は顧客に対して殆どごまかしが効かないかも知れないのです。僕がサンマリーナで経験した顧客の反応は、まさにこのような感覚と符号します。「顧客は企業が想像するよりも遥かに正確に企業の本当の意図を感じる力がある」という前提で事業を行うほうが、よほど現実的な結果が生まれるというのが僕の経験です。

なお、上の例で、「高級車」に言及する人の一定数は、それが本当は「高級なものをエゴの表現として利用する」意味だということを自覚していません。そして、このような表現が「高級だ」と感じる人、つまり「高級に憧れる人」を大量に惹きつけ、返信が目に見えて増加するため、それが本当に高級なことだと誤解してしまうケースが少なくないのではないでしょうか。つまり「目に見える表現」と「反応という結果」が強い相関を伴ってメッセンジャーの経験となるため、「成果を生むマーケティング手法」と理解されがちなのです(この論点に関する詳細も、続編で言及します)。

以上を前提にすると、企業の気持ち(すなわち、経営者と従業員の気持ち)が変わると、顧客の属性が変化する、ということが示唆されるのですが、これが仮に事実だとすると、非常に効率の高いマーケティング手法として応用可能なのです。

【2007.2.5 樋口耕太郎】

*(1) もちろん、積極的に掲示を行う女性は、単に閲覧するだけの女性よりも非常にマーケティング属性が高いという考え方もある程度成り立ちますが、その分対象属性の母集団として偏っているとも考えられます。

*(2) これはすなわち、人の本来の力が、資本や単純労働に圧倒的に勝る、ということを具体化した事業モデルでもあります。そして、人とその潜在能力をこのような意味で事業的に活かす手法では、(金銭的)資本を全く必要としないため、極めて高い収益(無限大の投資効率)を生むという特徴があります。資本主導の事業環境の中で、「人を自由にしながら活かす」経営手法のひとつとして非常に有効だと考えています。

一般的なマーケティングの目的は、突き詰めると「顧客を見つけることと、顧客に自分を知らせること」ではないかと僕なりに解釈しています。

マーケティングが重要視される理由
殆どのビジネススクールでマーケティングが基礎科目とされていることや、世の中でマーケティングを業としている専門家の数の多さや手法の多様さから明らかなように、マーケティングが重要な経営課題であるというのは非常に一般的な認識だと思います。そして、現代経営の理論や実践においてこれほどマーケティングが重要視されていることの裏返しとして、「企業は顧客を知らない」「顧客は企業を知らない」という事実があると思います。企業は顧客を知らないからこそいかに効率的に顧客を知り、顧客にアクセスし、最終的な販売にたどり着くかという技術が価値を持ちます。同様に、現在までは顧客も企業を良く知りませんでした。顧客の立場で企業について理解しようとしても会社案内などを取り寄せる、などの手段があったかもしれませんが、これは非常に例外的で、コストも時間もかかるため消費者でそんな手間をかける人はめったにいません。結果として、企業側が莫大な費用をかけて提供する広告やブランドのようなマスメディアを通じてしか企業を知りえなかったと思います。別の表現では、企業が顧客を知るためのコストと顧客が企業を知るためのコスト(いずれのコストも企業側が負担していました)が非常に大きかったため、この費用負担を効率化するためにも、論理的、経営科学的な分析やアプローチが重要視されていたということだと思います。

マーケティングに関する素朴な疑問
このような従来型のマーケティング理論や手法に関して以前から疑問に思っていたことがあります。いずれもマーケティングやマーケティング・リサーチの前提に関する、人から笑われそうなくらい基本的な疑問なのですが、次世代のマーケティングについて自分が考え、経営方針を策定するための重要なヒントとなっているものです。なお、このような疑問を発したからといって僕は「マーケティングかくあるべし」と考えているわけではありません。たまたま自分はこういう考えを前提として経営を行っているということに過ぎず、その他のいろいろな考え方や手法がそれぞれ意味を持つ可能性は常にあると思います。

マーケティングでは顧客のニーズを分析し、顧客を特定し、そのような顧客のニーズに合ったサービスを提供する、というアプローチがとられることが一般的だと思います。しかしながら僕の疑問は…

第一に、そもそも顧客は自分のニーズを理解しているのだろうか?
第二に、そもそも顧客を特定することに意味があるのだろうか?
第三に、そもそも顧客のニーズに合うサービスや商品を提供することは意味のあることだろうか?

第一の疑問: 顧客のニーズについて
僕の理解では、マーケティングの主要作業のひとつは「顧客(群)の特定」だと思うのですが、ここでいう顧客とは主に自社商品を購入する意思(顕在的なニーズ)を持っている消費者を意味します。

これに対して、僕の疑問の第一は、マーケット・リサーチが対象とする顧客の「顕在的ニーズ」は、顧客ニーズのほんの一部に過ぎないのではないか、つまり顧客は自分のニーズのほんの一部しか自覚していないのではないか、ということです。僕の仮説では、顧客には自分で欲しいものをはっきり自覚している「顕在的ニーズ」と、商品を体験して初めて「ああ、これが欲しかった」と自覚する「潜在的ニーズ」が存在すると思います。後者(潜在需要)の典型は例えば発売当時のソニーのウォークマンなどです。録音機能のついていないテープレコーダーは当時世の中に存在していませんでしたので、当然にして消費者はウォークマンに対するニーズを顕在的に自覚することはなかったと思います。

マーケティング・リサーチにおいて顕在的ニーズ、すなわち数量的に評価できるものを主な分析対象とするのはある意味当然のアプローチです。そしてこのような顕在的ニーズの分析に際してマーケティング手法は非常に有効である可能性は高いと思います。しかし、素朴な疑問の第一を感じた根拠でもあるのですが、僕には「潜在的ニーズが顕在的ニーズに比較して破格に大きいのではないか」、また「破格に大きいが目に見えない潜在的ニーズに対して、汎用的にアクセスする手法が存在するのではないか」と思えるのです。この仮説が双方ともに真実であるとするならば、顕在的ニーズを中心とする分析やそれを前提とした事業的な対応は経営的に見て著しく効率を欠いてしまう可能性があります。

第二の疑問: 顧客の特定について
第二の疑問は、マーケティングの考え方というよりも手法に対する疑問かもしれません。マーケット・リサーチの一般的な手法として、過去のデータやアンケートなどを通じて、自社商品に対してニーズをもつ顧客(群)を特定する作業があると思いますが、これは「バックミラーを見ながら車を運転する」イメージに少し重なります。この考え方は、雪山にウサギ狩りに出たときに、ウサギの足跡を追うことで獲物を見つける可能性が高まるという考え方で、非常に合理的であるように思えます。しかしながら、この手法においては「足跡を残さないウサギは存在しない」という処理をせざるを得ません。ひょっとしたら少し麓(ふもと)に下りた雪のない場所にウサギの大群が存在するかもしれないということは全く無視されてしまいます。

もちろん足跡を残さないウサギを特定する方法があれば、誰も苦労はしないのかもしれませんが、これも第一の疑問と同様に、「足跡を残すウサギよりも足跡を残さないウサギよりの方が破格に大きな規模で存在する」、「足跡を残さないウサギに汎用的にアクセスする方法が存在する」という二つの仮説が真実であるとき、ウサギの足跡を追いかける方法は効率のよい狩りとはいえません。

第三の疑問: 顧客のニーズに合わせて商品を提供するということ
第三の疑問は、事業のあり方に関する根本的な疑問といえます。マーケティング・リサーチの手法は「顧客のニーズを特定しそのニーズにあった商品を提供する」、というのが常識的な考え方だと思います。これに対して、素朴な疑問の第三は、「顧客のニーズにあった商品を企業が提供する行為を顧客はどれだけ望んでいるのだろうか」というものです。例えば、沖縄のホテルの新規開発や「リポジショニング」に当たって顧客の属性やニーズを分析してそれに「合う」コンセプトを構築し、そのテーマにあった事業を行うことが一応のパターンといえると思いますが、その結果沖縄らしいホテルがほとんど存在しないという状態が生じているような気がしてなりません。ことの良し悪しではなく、より大きな市場という意味合いにおいて、これは本当に顧客が望むことなのだろうか、という疑問です。

例えば、長期にわたり成長を続け一大産業となったファミリーレストランも、顧客のニーズを非常によく捉えた典型的な業態だと思います。顧客の利用状態から、顧客ニーズに合致した業態であることは明らかですが、これは顧客がもっとも望んでいる業態なのでしょうか。もちろん、顧客がこれ以上のものを望むとも望まずとも、これだけの市場を獲得しているのであれば実質的なマーケティング手法として全く問題がない、という考え方は全く合理的なものです。しかし、三度同様の発想に戻りますが、それ以外の顧客の潜在的ニーズがこの事業規模と比較しても破格に大きな規模で存在しているとしたら、また、その潜在的ニーズに汎用的にアクセスする手法が存在するとしたら、現在のマーケティングとは全く異なる発想によって事業戦略を構築することの合理性が非常に高まると思います。

次世代マーケティング
つまり、現在のマーケティングの手法は、市場を科学的に分析しようとしているというよりも、合理的、科学的に説明、分析、数量化できる範囲を、逆に「市場」と定義しているように見えるのです。ところが、以上のようなマーケティング手法が威力を発揮した市場環境が、ここ10年くらいから次第に、そして昨年ぐらいから急激に変化しているように感じます。もう既に、現在の顧客は企業が提供する広告などに頼らず、ただ同然の多様な情報源によって企業を非常によく知るようになっています。このため、企業が顧客を知るためのコスト(マーケット・リサーチや顧客データベースの構築費用)や顧客に企業を知ってもらうためのコスト(広告宣伝費・販売促進費)は事業的に意味を失う可能性が高まっています。「企業が顧客を知らない」という状況には依然として変化がありませんが、ネットなどを通して顧客が企業を知るためのコストがほぼゼロになっているため、企業が顧客を知るために費用をかけるよりも、顧客に企業を見つけてもらう方が格段に効率的になりつつあるのです。すなわち、次世代マーケティング環境では ①企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、②顧客は企業がどう見てもらいたいかとは全く異なる情報によってありのままの企業を知る、という現象が常態化するのではないかと思います。

最大のポイントは、次世代のマーケティング環境において企業は「足跡を残さない大量のウサギ」にほとんどコストをかけずにアクセスする機会を得るということです。より正確には、足跡を残さない大量のウサギは誰か、どこにいるか、ということを企業が全く知らなくても、大量のウサギがほとんどただ同然のコストで企業を積極的に見つけてくれるようになるのです。

以上の変化はきわめて革命的な意味を持ちます。すなわち、①従来のマーケティングが認識する市場の概念が根本的に変化し、対象範囲が飛躍的に拡大します、②企業は顧客を知る必要がなくなります、また同様の意味ですが、顧客を知るための努力は事業的に非効率になります、③企業は自分を顧客に知ってもらう努力をする必要がなくなります、また裏腹の現象として、企業が顧客に伝えたいように自分のイメージを伝えることは、それが真実でない限り事実上できなくなります。

以上が次世代のマーケティング戦略を検討する上での前提条件ではないかと思っています。このような事業環境が仮に訪れるとして(僕は既に訪れていると思っているのですが)、あなたが経営者だったら、どのような「マーケティング戦略」を構築するでしょうか?

【2006.12.8 樋口耕太郎】

サーチエンジン、掲示板、アップローダ、動画掲示板、SNS、携帯電話とメール、ブログ、eメール、ウェブサイトなどは現在進行中のデジタル情報革命の代表選手たちです。20年くらい前まではITという言葉もなく、コンピューター・ネットワーキングといえばなんとなくサブカルチャー的な扱いを受けていた面影は今どこにもありません。現在のデジタル情報革命は文字通り革命と呼ぶにふさわしい影響をごく一般的な人たちの生活と社会に広範囲に生み出しています。まだ一般的な認識になっているとは言えませんが、この現象が今後経営、特にサービス事業に対して与える影響は想像を絶するインパクトとなるでしょう。この革命的な現象と多大な影響を勘案せずに事業戦略を検討することはほとんど意味がなくなるのではないでしょうか。

情報のフラット化
その中でも特筆すべき現象は、ブログ、SNS、アップローダや掲示板などの広がりによって、一次情報(編集されていない情報)の量、伝達コストの安さ、拡散性、スピードが著しく高まっていることだと思います(デジタル情報革命がもたらすこれらの現象を仮に「情報のフラット化」と表現することにします)。フラット化現象における大きな特徴は、①「真実の情報」と、「広告情報」(いわば飾った情報)では、その伝達範囲、スピード、コストに著しく格差が生じる、すなわち情報の質によって拡散性が大きく異なること、②「俯瞰的な真実」や「状況証拠」によって情報の真偽が評価される。また「証明されない真実」によってより深い真実が伝播する(以下に説明を試みます)、ということだと思います。

真実は光速で伝播する
前者(①)については僕のイメージでは少なくとも数十倍、ひょっとしたら100倍くらいの効率差があるような気がします。飾らない真実は誰もが積極的に伝えようとするものです。広告は費用を払う人しか伝達する人がいない(誰も広告の意図に沿った噂はしません)ということもひとつの構造的な要因かもしれません。別の表現では、「真実は本質的に拡散するものである」+「デジタル情報革命はその真実のもつ本質を、極めて効率的かつテクニカルにサポートする」という二つの原理が重なった現象と理解することができるかもしれません。

そして、情報が大きな拡散性を持つかどうかは、その情報が真実かどうかだけがポイントとなり、その情報が会社(情報元)にとって都合がよいものかどうかという点は全く勘案されません。また「真実」であってもどこか飾られていたり(要は厳密な意味で真実ではないということですが)、「ウソだと知らなかったふり」をしてもあまり効果がありません。集合体としてのネット利用者がこの辺の虚飾を見抜く力は驚異的だと思うことがあります。よかれ悪しかれ、掲示板、顧客コメント、口コミ情報、社員のブログでのコメントなどから伝わる情報がどんどん増えていますしこの傾向は増加する一方だと思います。個人の名前で検索すると本人すら知らないさまざまな情報がヒットしたりもします。もちろんこのような情報は断片的なものですが、俯瞰的に見ると意外なくらい真実を伝える可能性があります。

ホテルなどサービス業の利用顧客の評判はリアルタイムで誰もが知るようになっています。現場での真実が伝わるコストが激減し伝達のスピードと範囲が著しく高まっているため、ごまかし、誇張広告、うそ、不誠実、その場しのぎはマイナスどころか、事業の存続そのものを脅かし始めています。後を絶たず報道されている多くの不祥事も、事業上の過失よりもそれらの隠蔽が明らかになることで決定的なダメージを生んでいるケースがあまりに多く見られます。逆に考えると、真実はあっという間に伝わるので、誠実できちんとした事業であれば、実に安価に、広告もいらずに事業が爆発的に伸びるということになるでしょう。

より深い真実が伝播する
後者(②)については、例えば「証拠とするには足りないが、状況やニュアンスにより真実だと多くの人が直感できる」現象が更に意味を持ち始めるということです。例えば(あまりいい例が思いつかなかったのですが)、社内で不倫している男女が実際に不倫していると証明されるためには現場を目撃されるなどが必要ですが、二人の雰囲気をなんとなく感じたり、いつも同じ時間に二人がいなくなることを知っている同僚は、目撃写真がなくても真実を知ることができます。奥さんの方はそれこそ女の直感で、証拠があろうとなかろうと真実を知る力が厳然と備わっています。これと似たイメージで、ネットの世界での真実は、法廷での証拠には事欠きますが十分に真実を伝える威力があります。冷静に考えてみると証明できるということと、それが真実であるということは全く別の問題で、証明できない真実は世の中に山ほど存在しますし、人と争うことを前提にさえしなければそもそも証明する必要はどこにもないのです。逆の面では、「ウソだと証明されなければ構わない」という事業姿勢は今後致命的になるということでしょう。

この現象によって、多くの人が真実そのものを深く正確に理解するという効果が生まれます。逆説的ですが、論理的な実証を積み上げてたどりつく証明可能な「真実」と、複合的な視点と俯瞰的な視点から直感的に認識できる「真実」とでは、後者の方がよほど深い真実にたどり着くことになると思います。例えば先般のライブドア事件でも、ネットで取得できる多様な情報(無論玉石混交ですが、それでも複眼的に見ると真実が見えてきます)に関心を払うだけでも、その政治的、経済的、アンダーグランド的背景に何が起こっているかが立体的に理解できる人には理解できると思うのですが、実際の法廷の現場で「真実」が明らかにされるまでには何年かかるか想像できないくらいです(それどころか明らかにされないことが大半でしょう)。つまり「人を裁く」という目的を手放しさえすれば、真実はより深く正確に早く認識できるということかもしれません。「人を裁かない」ことによって経営効率が著しく上がる、ということの一現象だと思います。

フラットな情報環境が経営に与える影響
現実的には、このような現象に対して経営が具体的に対応する必要が生じるということです。いまのところ、情報管理や社内規定などのテクニカルな作業やしくみによって対応しようとする経営者が一般的だと思いますが、このようないわば対処療法的な対応では遠からず限界に達することになり、近い将来自分自身と会社の成り立ちそのものを変化させなければ結局解決しないという認識に至ることでしょう。つまり「いかに臭いものに蓋をするか」(世の中では「情報管理」と呼ばれています)、あるいは「問題が起こっても言い訳できる体制をいかに構築するか」(同様に、世の中では「危機管理」と呼ばれているみたいです)という発想から、「勇気を持って臭いの根元をキレイにするしか解決方法は存在しない」という認識へと変化してくると思います。リーダーが会社の中の真実をどんどん吸い上げて開放していかなければ企業の存続自体が困難になり、会社が自浄作用としてクローズ情報を開放する現象が起こってくるような気がします。なお、このときもっとも抵抗を示すのは経営者自身である可能性が高く、この問題は経営者個人の非常にパーソナルな問題に振り代わるでしょう。

具体的な影響の第二は、非常に突飛な発想に聞こえるかもしれませんが、企業(少なくとも一部業種)において、販売行為・マーケティング・広告宣伝が消滅する(すくなくともその重要度が著しく低下する)可能性です。企業のうそのない「あり方」そのものが最大の広告・営業機能を果たすようになるためです。僕が経営を担当していた時期のサンマリーナホテルでは、社内に「うそ」が少なくなり、社員と顧客の間に真実の関係が増えると同時に、広告宣伝費用が全く不要になるという「非常識な」現象が起こっています。

そして第三に、正直でうそのない事業とサービスが、企業にとって成長(あるいは存続)の必要条件になるということです。ところが、いざ「うそのないサービス」を実行しようとしても、「企業方針の決定」、「指示伝達」、「進捗管理」など、今までの経営作業によって達成することはできないのです。組織というものは、「うそをつかないようにしましょう」という指示を出すだけでは全く機能しません。今までの一般的な経営者は、会社のすべてを変えることはあっても、自分を変えることなど考えもしなかった人ばかりですし、取締役会や株主もこのような経営者の価値観を評価する傾向が強かったと思います。このような経営者はこれからの経営環境の変化に直面し、経営という職務を果たしながら非常に個人的な問題に向き合う機会が提供されることと思います。

【2006.11.29 樋口耕太郎】