一般的なマーケティングの目的は、突き詰めると「顧客を見つけることと、顧客に自分を知らせること」ではないかと僕なりに解釈しています。

マーケティングが重要視される理由
殆どのビジネススクールでマーケティングが基礎科目とされていることや、世の中でマーケティングを業としている専門家の数の多さや手法の多様さから明らかなように、マーケティングが重要な経営課題であるというのは非常に一般的な認識だと思います。そして、現代経営の理論や実践においてこれほどマーケティングが重要視されていることの裏返しとして、「企業は顧客を知らない」「顧客は企業を知らない」という事実があると思います。企業は顧客を知らないからこそいかに効率的に顧客を知り、顧客にアクセスし、最終的な販売にたどり着くかという技術が価値を持ちます。同様に、現在までは顧客も企業を良く知りませんでした。顧客の立場で企業について理解しようとしても会社案内などを取り寄せる、などの手段があったかもしれませんが、これは非常に例外的で、コストも時間もかかるため消費者でそんな手間をかける人はめったにいません。結果として、企業側が莫大な費用をかけて提供する広告やブランドのようなマスメディアを通じてしか企業を知りえなかったと思います。別の表現では、企業が顧客を知るためのコストと顧客が企業を知るためのコスト(いずれのコストも企業側が負担していました)が非常に大きかったため、この費用負担を効率化するためにも、論理的、経営科学的な分析やアプローチが重要視されていたということだと思います。

マーケティングに関する素朴な疑問
このような従来型のマーケティング理論や手法に関して以前から疑問に思っていたことがあります。いずれもマーケティングやマーケティング・リサーチの前提に関する、人から笑われそうなくらい基本的な疑問なのですが、次世代のマーケティングについて自分が考え、経営方針を策定するための重要なヒントとなっているものです。なお、このような疑問を発したからといって僕は「マーケティングかくあるべし」と考えているわけではありません。たまたま自分はこういう考えを前提として経営を行っているということに過ぎず、その他のいろいろな考え方や手法がそれぞれ意味を持つ可能性は常にあると思います。

マーケティングでは顧客のニーズを分析し、顧客を特定し、そのような顧客のニーズに合ったサービスを提供する、というアプローチがとられることが一般的だと思います。しかしながら僕の疑問は…

第一に、そもそも顧客は自分のニーズを理解しているのだろうか?
第二に、そもそも顧客を特定することに意味があるのだろうか?
第三に、そもそも顧客のニーズに合うサービスや商品を提供することは意味のあることだろうか?

第一の疑問: 顧客のニーズについて
僕の理解では、マーケティングの主要作業のひとつは「顧客(群)の特定」だと思うのですが、ここでいう顧客とは主に自社商品を購入する意思(顕在的なニーズ)を持っている消費者を意味します。

これに対して、僕の疑問の第一は、マーケット・リサーチが対象とする顧客の「顕在的ニーズ」は、顧客ニーズのほんの一部に過ぎないのではないか、つまり顧客は自分のニーズのほんの一部しか自覚していないのではないか、ということです。僕の仮説では、顧客には自分で欲しいものをはっきり自覚している「顕在的ニーズ」と、商品を体験して初めて「ああ、これが欲しかった」と自覚する「潜在的ニーズ」が存在すると思います。後者(潜在需要)の典型は例えば発売当時のソニーのウォークマンなどです。録音機能のついていないテープレコーダーは当時世の中に存在していませんでしたので、当然にして消費者はウォークマンに対するニーズを顕在的に自覚することはなかったと思います。

マーケティング・リサーチにおいて顕在的ニーズ、すなわち数量的に評価できるものを主な分析対象とするのはある意味当然のアプローチです。そしてこのような顕在的ニーズの分析に際してマーケティング手法は非常に有効である可能性は高いと思います。しかし、素朴な疑問の第一を感じた根拠でもあるのですが、僕には「潜在的ニーズが顕在的ニーズに比較して破格に大きいのではないか」、また「破格に大きいが目に見えない潜在的ニーズに対して、汎用的にアクセスする手法が存在するのではないか」と思えるのです。この仮説が双方ともに真実であるとするならば、顕在的ニーズを中心とする分析やそれを前提とした事業的な対応は経営的に見て著しく効率を欠いてしまう可能性があります。

第二の疑問: 顧客の特定について
第二の疑問は、マーケティングの考え方というよりも手法に対する疑問かもしれません。マーケット・リサーチの一般的な手法として、過去のデータやアンケートなどを通じて、自社商品に対してニーズをもつ顧客(群)を特定する作業があると思いますが、これは「バックミラーを見ながら車を運転する」イメージに少し重なります。この考え方は、雪山にウサギ狩りに出たときに、ウサギの足跡を追うことで獲物を見つける可能性が高まるという考え方で、非常に合理的であるように思えます。しかしながら、この手法においては「足跡を残さないウサギは存在しない」という処理をせざるを得ません。ひょっとしたら少し麓(ふもと)に下りた雪のない場所にウサギの大群が存在するかもしれないということは全く無視されてしまいます。

もちろん足跡を残さないウサギを特定する方法があれば、誰も苦労はしないのかもしれませんが、これも第一の疑問と同様に、「足跡を残すウサギよりも足跡を残さないウサギよりの方が破格に大きな規模で存在する」、「足跡を残さないウサギに汎用的にアクセスする方法が存在する」という二つの仮説が真実であるとき、ウサギの足跡を追いかける方法は効率のよい狩りとはいえません。

第三の疑問: 顧客のニーズに合わせて商品を提供するということ
第三の疑問は、事業のあり方に関する根本的な疑問といえます。マーケティング・リサーチの手法は「顧客のニーズを特定しそのニーズにあった商品を提供する」、というのが常識的な考え方だと思います。これに対して、素朴な疑問の第三は、「顧客のニーズにあった商品を企業が提供する行為を顧客はどれだけ望んでいるのだろうか」というものです。例えば、沖縄のホテルの新規開発や「リポジショニング」に当たって顧客の属性やニーズを分析してそれに「合う」コンセプトを構築し、そのテーマにあった事業を行うことが一応のパターンといえると思いますが、その結果沖縄らしいホテルがほとんど存在しないという状態が生じているような気がしてなりません。ことの良し悪しではなく、より大きな市場という意味合いにおいて、これは本当に顧客が望むことなのだろうか、という疑問です。

例えば、長期にわたり成長を続け一大産業となったファミリーレストランも、顧客のニーズを非常によく捉えた典型的な業態だと思います。顧客の利用状態から、顧客ニーズに合致した業態であることは明らかですが、これは顧客がもっとも望んでいる業態なのでしょうか。もちろん、顧客がこれ以上のものを望むとも望まずとも、これだけの市場を獲得しているのであれば実質的なマーケティング手法として全く問題がない、という考え方は全く合理的なものです。しかし、三度同様の発想に戻りますが、それ以外の顧客の潜在的ニーズがこの事業規模と比較しても破格に大きな規模で存在しているとしたら、また、その潜在的ニーズに汎用的にアクセスする手法が存在するとしたら、現在のマーケティングとは全く異なる発想によって事業戦略を構築することの合理性が非常に高まると思います。

次世代マーケティング
つまり、現在のマーケティングの手法は、市場を科学的に分析しようとしているというよりも、合理的、科学的に説明、分析、数量化できる範囲を、逆に「市場」と定義しているように見えるのです。ところが、以上のようなマーケティング手法が威力を発揮した市場環境が、ここ10年くらいから次第に、そして昨年ぐらいから急激に変化しているように感じます。もう既に、現在の顧客は企業が提供する広告などに頼らず、ただ同然の多様な情報源によって企業を非常によく知るようになっています。このため、企業が顧客を知るためのコスト(マーケット・リサーチや顧客データベースの構築費用)や顧客に企業を知ってもらうためのコスト(広告宣伝費・販売促進費)は事業的に意味を失う可能性が高まっています。「企業が顧客を知らない」という状況には依然として変化がありませんが、ネットなどを通して顧客が企業を知るためのコストがほぼゼロになっているため、企業が顧客を知るために費用をかけるよりも、顧客に企業を見つけてもらう方が格段に効率的になりつつあるのです。すなわち、次世代マーケティング環境では ①企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、②顧客は企業がどう見てもらいたいかとは全く異なる情報によってありのままの企業を知る、という現象が常態化するのではないかと思います。

最大のポイントは、次世代のマーケティング環境において企業は「足跡を残さない大量のウサギ」にほとんどコストをかけずにアクセスする機会を得るということです。より正確には、足跡を残さない大量のウサギは誰か、どこにいるか、ということを企業が全く知らなくても、大量のウサギがほとんどただ同然のコストで企業を積極的に見つけてくれるようになるのです。

以上の変化はきわめて革命的な意味を持ちます。すなわち、①従来のマーケティングが認識する市場の概念が根本的に変化し、対象範囲が飛躍的に拡大します、②企業は顧客を知る必要がなくなります、また同様の意味ですが、顧客を知るための努力は事業的に非効率になります、③企業は自分を顧客に知ってもらう努力をする必要がなくなります、また裏腹の現象として、企業が顧客に伝えたいように自分のイメージを伝えることは、それが真実でない限り事実上できなくなります。

以上が次世代のマーケティング戦略を検討する上での前提条件ではないかと思っています。このような事業環境が仮に訪れるとして(僕は既に訪れていると思っているのですが)、あなたが経営者だったら、どのような「マーケティング戦略」を構築するでしょうか?

【2006.12.8 樋口耕太郎】