一時の寒さも少し和らぎましたね。
あなたはいかがお過ごしでしょうか。
今年もこうしてあなたに、一年最後のお便りをお届けできることを
心より嬉しく思います。ありがとうございます。
今年もなんとか一年を乗り越えられました。一歩一歩ゆっくり歩むこと。
このような歩みが麗王にいらしてくださるあなたと共にあることを
心からお祈りいたします。

去年の最後にお便りを書かせていただいた日からあっという間に
もう一年が経とうとしているんだなと、今日はことさらに感慨を深くしました。
大地震と津波、それに原発事故のことなど誰も思いだにしていなかった平和な
昨年の暮れの日々が確かにあったのです。

1970年代にオイルショックというものがありました。
そのとき、トイレットペーパーや洗剤などの物資不足、省エネ対策、節電など
今と変わらない現象が起きました。当時も社会のいろいろな仕組みに対しての
戒めだと感じました。けれど、そのときの気持ちを私達は忘れてしまって
いたのではないでしょうか。神様は、人の行くべき方向が間違っていると、
バランスをとるかのように向かう道を変えさせるのでしょう。
ですから、神様からの試練のような出来事に直面したら、とにかく知恵を
働かせて何か行動することが大切です。誰かが助けてくれることを
待っているだけでは何も始まりません。今いる場所から少しでも前へ。
たとえ失敗したとしても、いつか次のステージにたどりつくことができると
思います。そしてそれがきっと美しい未来につながるのだと信じています。

私の場合の何か行動することとは、「食を守る」いうことでした。
農薬、化学性の添加物、放射能など私達の体を作る食がどんどん劣悪なものに
なっていっているなか、ご縁あって立ち上げた有機無農薬野菜を生産・販売する
会社が「ダイハチマルシェ」でした。大八産業さんの事業再生も無事終えた今、
この会社は来年から玉城勉さんにバトンタッチされ運営されることになります。
その会社の入社式にお招きした大城さん御夫妻から記念のプレゼントとして
サボテンをいただきました。
ほんの少し前まで、私の最も好きなお花といえば白バラでした。
真っ白な凛とした美しさが大好きでした。ところがこの日以来、サボテンの
存在感に心を奪われるようになりました。
サボテンは健気です。人の手をわずらわせることなく、たとえ水分が少なくても
自力で生き、雨が降ればきっちり水分を蓄え、ときにはきれいな花だって
咲かせてしまう。実に力強く、一生懸命な感じがしませんか?
人からいろんな面倒を見てもらわないと生きていけないような華麗な花は、
今の私の気分にフィットしないのです。生き方だってそう。
誰かをあてにして頼って生きていくような生き方は少しも素敵ではありません。
誰もが自分のことは自分で守る。そして周りの人をも助けられる人に
なりたいものです。

自然災害、経済恐慌、国際紛争、テロ…何が起こるかわからない今、この時代に、
私達はどう生きるかを問われているのではないでしょうか。何が起ころうと、
覚悟を決めて生き抜かなくてはなりません。
なぜなら、それは今私達が生かされているから。なぜ自分が生かされているのか、
どう生きるべきなのか、それを一生懸命考えることです。
生き物としての緊張感を持って生き、何が自分にはできるのかを問うこと。
生きにくい時代ですが、それを社会のせいや政治のせい、誰かのせいにしても
何も生まれないし、答は出ないのです。自分ができる範囲のことから、
まず何か行動を起こすことです。
私は、何事も前倒しに行い、すべきこと、できることは後回しにせず、
何かあっても後悔しないように生きようと思っています。

さて、今年の初め、「麗王」という店がいらしてくださる方々にとって、
どのようなものでありたいかをあらためて考えました。
ひとつはお話をじっくりと心で聞いてさしあげること。
小さな心の機微にも気づいてあげることができること。
少し肩を押してあげることができるように。
そして、なによりも愛を持ってあなたの心をあたためられるように。
いらしてくださればくださるほど、安らぎとあたたかさを感じられる場所で
ありますように。
今は人の集う場所はたくさんあります。そういった中での「麗王」の役割は、
日々のちょっとした折にいらしてくださったときに、ほっとするような、
少しだけでも世の中の騒音を忘れさせてくれるような空間でありたい。
あなたの心をあたためられる場所でありたい。
そのような想いをこめて、今年一年「麗王」で立ってまいりました。
今年も本当にありがとうございました。
会社設立などいろいろとバタバタしオープンが遅くなったり大変御迷惑を
おかけしてしまいました。それでもなお今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、来年はまた軌道修正しがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

来年こそ平穏な年でありますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2011.12.21 末金典子】

え~~っ、今年ももうはや忘年会シーズン!?
なんと一年が過ぎるのの早いことったら!
わたくし的にもこの11月はネットショップ「ダイハチマルシェ」をオープンし、
先週末は米空軍とのファーマーズマーケット開催と、
コザでの「空中タウン」出店が連日続き随分とドタバタしておりましたので、
明日の勤労感謝の日の祝日はほっと一息でなんだかうれしい感じです。

そのファーマーズマーケットの日はあいにくの雨模様でしたが、
米軍内で前もって大きく宣伝してくださっていたおかげで
たくさんのアメリカ人の方達がいらしてくださいました。
エアフォースのアメリカンはオーガニックに対する意識がとても高く、
お野菜の価格も見ずにお買い物カゴにばんばん入れて購入してくださり、
1個410円する有機無農薬りんごが飛ぶように売れました。
私の「プレミアム紅豚しょうが焼きお弁当」も好評で、ある御夫婦などは
「ごはんはいいからしょうが焼きだけおかわりください」
「このソースはどうやって作るの?」「じゃあ、そのしょうがも買いたい」
などと言ってくださりとてもうれしかったです。

また、次の日は麗王でもお馴染みの沖縄美少女図鑑を立ち上げた西原くん達の
プロデュースによる「コザ空中タウン」がパルミラ通りであり、これまた
すごくたくさんの方達がいらしてくださいました。沖縄テクスファームさんの
御尽力には本当に頭が下がる想いでした。
こちらでもお野菜はたくさん売れたのですが、私のお弁当がわずか2時間で
限定32食分売り切れてしまい、急遽自宅に戻り追加の仕込みをし、また2時間で
完売してしまうほどの好評をいただきました!
お休みの日にわざわざ寒いなかをいらしてくださったみなさんの
温かいお気持ちに胸が熱くなりました。
本当に本当にありがとうございました。
初めての街頭での調理や販売でしたが、いつもの仕事では味わえない「働く」
ということのとても大きな学びや気づきをいただくことができました。

さて、明日は勤労感謝の日ですね。
一昔前は、「親の決めたレールにのるなんて絶対イヤ!」という言葉にまだ
リアリティがありました。とくに世襲制の仕事が多く残る関西で生まれ育った
私にとっては若いころ、この言葉を叫んでいたお友達が何人もいます。
かくいう私だって母が大阪で老舗のレストランを家業としていたために
子供の頃からいつも家に帰るとお手伝いばかりさせられて
「私は大きくなったら絶対商売人になんてならない!」と決めていたものです。
今から考えてみると、なんと幸福な時代だったのかしらと思います。
要は、まだ子供の人生の「レール」を親の世代が決めることができると
信じられていて、反抗することもできたのですから。
それが今は終身雇用制もアテにならず、伝統的な産業を支える産業構造も、
がらりと変わっていて、親が考えるような安定した「レール」など
存在しなくなっています。
つまり、好むと好まざるとにかかわらず、一人一人が自分自身のキャリアを選び、
進んでいかなければならない、そんな時代になった、ということなのでしょう。
キャリアとは生涯の仕事とか経歴というような意味ですが、
その語源をさかのぼると「車輪のついた乗り物」という意味があるそうです。
これは、とても面白いなぁと思うのです。
人の運命とは車輪のついた乗り物に乗って運ばれて、
浮き沈みを繰り返すのだなぁと。
日本語の運命という言葉をみても、「命を運ぶ」のが運命ということに
なっていますよね。
前の世代がひいてくれるレールなど存在しなくなった今、私達のキャリアを
導いてゆく運命の車は、列車や高速道路のようなものではなく、むしろ、
海を進む船のようなものなのかもしれません。一度一度の舵取りは大変かも
しれないけれど、それだけに私達は自由に、そして思い切った方向へと自分の
キャリアを進めてゆくことができるのです。

ただ、自由になったらなったで、何をしたらいいのかわからないという人達が
増えてきてもいます。
大学教授であり「日本はなぜここまで壊れたのか」を書かれた作家の
マークス寿子さんはこう警告なさっています。

地方の高校を卒業して東京や都会の大学へ入ろうという子供の数が
減っているという。特に勉強のできる子供達が、高校を卒業したら
大して勉強しなくても入ることのできる地方の大学に入ればいいと考える子が
多いという。親元を離れて、知らない大都会で暮らそうという意気込みが
なくなっている。無理しなくてもいいよ、楽にやろうよ、と考えている。
若い時の冒険心や向上心を刺激するものが生活から失われてしまったことも
理由にある。東京にあるものは何でも地方にある、テレビかケータイで
何でもわかる、見える。「便利」を基準にする限り、親元を離れる理由も、
独立する理由もない。
また親の方も概して「放任」で、子供に「自由にやらせます」
「好きなことをやらせます」ということもあり、勉強しなくても入ることが
できる大学に入り、楽に単位をとることができる授業をとって卒業して、
そのあとの就職は地方でするわけで、フリーターや派遣の人もいる。
親の家があり、車も買ってもらえて別に食うに困るわけじゃない、
そんな生ぬるさの中で何かをしようなどという意気込みや好奇心はどこから
生まれるのだろう。生まれるわけがない。
がんばって、苦しくても負けずに、歯を食いしばってやりなさい、などと
親や先生に言われる子供はラッキーな子供なのだ。多くの子供はぬくぬくと
育てられ、お腹いっぱい食べて、何の努力も要らない生活に慣れて、
そんな生活を失うことは恐い。それでいて、心は、気持ちは満たされずに、
もっと何かあるはずだ、興奮してワクワクすることがあるはずだと思っている。
それがプロ野球やサッカーチームの応援であるうちはいいが、
そこに落ち着くのはもっとあきらめが積もってからだ。
東京にはふるさとがないとかつて人は言った。人々がふるさとをすてて
東京へ働きに出た時代、そんな時代はとうに終わった。今や、地方にも田舎にも、
ふるさとがない時代になった。愛する村、田圃、山、川が失われた。
「愛する場所」がなくなっただけでなく、「愛する人」「愛する家族」も
なくなったようである。自分の家族のことを「唯一愛する人々」
と言えない人間が増えて、居場所と人間の絆とするべきことを失ってバラバラに
流動していく人が増え続けている。

折角レールなんかない時代に好きなことをできるのだもの、
がむしゃらに、がんばって、努力して、精いっぱい自分の道に邁進しなければ!
ふにゃふにゃのわびしい人生になってしまいますよ~。
レールがないのだからお手本がないのは当たり前。
自分自身の人生を創造的に生きるのみ!なのです。
疲れたらたまに休憩すればいいんだから。
不安と創造性は背中合わせ。
あなた自身の運命のキャリアを大胆に築いていっていただきたいと思います。

そして。
「働く」とは、はた(周りの人々)が、らく(楽)になるということ。
労働だけにならず「はた・らく」気持ちを忘れたくないものですね。

少し寒くなってまいりましたがどうぞお身体御大切に――。

【2011.11.22 末金典子】

爽やかな秋晴れの毎日ですね。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

週明けはハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

さて、この童心に戻るということは、初心に帰ることにも繋がります。
私はいつも自分のモットーである「初心の気持ちを忘れずに」仕事をしている
つもりでいたのですが、先日とても大きな学びの機会を得ることができました。

沖縄一のクラブである「絹」のナンバーワンと評判の高い、私のお友達でもある
郁子さんはよくお仕事が終わった後に麗王にお顔を見せてくださいますので
御存知の方も多いのではないでしょうか。
その郁子さんが先週お誕生日を迎えられました。
いつもお世話になっている私としてはこんな時ぐらいにせめてもの感謝の
気持ちをと想い、この日は郁子さんに何十もの花束が届くのですが、
その中でも一番大きく品のある花束を贈ろうと、昨年は沖縄一のお花屋さんと
呼び声が高い「ディテイルフル」さんからお贈りさせていただきました。
でも今年は、麗王のお客さまで親御さんのお花屋さんを継がなければ
ならないことになった女性に、彼女への応援の意味も込めてお願いすることに
したのです。
その女性は初めての特大の花束を作製するということで、プロの方にアレンジを
相談されたり、郁子さんのイメージを実際会われた印象やお写真などから
膨らませ、旦那さまと一緒に仕入れに出向き、一生懸命花束を作って
届けてくださいました。
ところが私への領収書は贈りたかった金額よりも5000円安い金額。
訳をおうかがいすると、私への思いやりのお気持ちから少し少なめに作製し
おまけに値引きまでしてくださったとのこと。ありがたいなという気持ちの半面、
郁子さんへの想いの表現が小さく届いてしまったな、どうしようという気持ちが
半面でした。そこでその女性に感謝の気持ちと共に、残念の気持ちも正直に
お伝えしました。するとその女性は怒るどころか私の説明を冷静に
受け止めてくださり、
「典子さんへの感謝の気持ちを優先して考えてしまい、その先にある典子さんが
感謝したい郁子さんへの思いやりにまで考えが及んでいなかったと思います。
申し訳ありませんでした。」
との大変意識の高いメールまでくださり、逆に私もまた自分のコミュニケーション
不足を反省しお詫びをしたことでした。
すると、お花を贈った次の日のこと。
郁子さんが「典子さん、昨日はお誕生日のお花をありがとうございました」と
メールもくださっていたのにわざわざ麗王に5人でいらしてくださいました。
私は正直にお伝えしようと思い、
「郁ちゃん、昨日はごめんなさい。いつもの感謝の気持ちを特大の花束で
表したかったのに、善意の気持ちの行き違いから小さめの花束に
なってしまいました。本当にごめんなさい。」
と謝りました。すると郁子さんがこう言ってくださったのです。
「とんでもないことです。典子さんのイメージより小さくとも、充分に大きな
花束でしたし、何より、今回のお花、何故だかすごく感動してしまいました。
ありがとうございました。」と。
つまりは、いつもの一流店なら値段どおりの手馴れたプロらしいものを
作ってくださったのでしょうが、今回お願いした女性は不慣れではあっても、
一生懸命郁子さんをイメージし、仕入れも郁子さんのためにわざわざ出向き、
思いを込めて作製し、その工程をずっと見守っていた旦那さまが届けてくださった。
その想いが花束にプラスアルファとなって郁子さんに届いたのではないかと
思うのです。
私もつい想いの表現を値段で、と安易に考えていたのです。
このお花屋さんの女性のように「想いを込めて仕事をすること」の大事さを
改めて学んだ出来事となりました。

仕事には、「勤め」と「努め」という二つの意味があるとおもいます。
「勤め」とは、いわゆる会社や、何かしらの団体や組織との契約によって
与えられる仕事を、一生懸命やりとげること。
ここには必ず契約というやりとりがあるので、金銭が発生します。
わかりやすくいえば、社会との関わりのなかで、お金のために健全に働くことが
「勤め」ということ。一般的にいわれている職が「勤め」です。
「努め」とは、日々の暮らしと仕事を支えるべくして、自分から創造し、
精いっぱい果たすこと。
金銭は一つも発生しない行為です。たとえば、家庭の主婦の育児、家事などは
「努め」です。また、社会の一員の役割として、健やかであること、
いろいろなことを面白がったり、しっかり休息をとること、すなおで勤勉で
あること、見返りを求めず人をおもいやるといった心の働きも「努め」
でしょう。
つまりは、誰にとっても「勤め」と「努め」があるのです。

でも、人それぞれで「勤め」と「努め」のバランスは違うもの。
一般的なサラリーマンは「勤め」が7割、「努め」が3割くらいでしょうか。
専業主婦なら「努め」がほとんどで、「勤め」はわずかかもしれません。
そしてこの二つは、均等にはなかなかできません。
ただ、大切なのは、「つとめ」の空白を作らないことではないでしょうか。
たとえば「勤め」が5割で、「努め」が1割、どちらでもない空白が4割
というのはよくありません。やることがひとつもない。うっかりすると
そうなりがちだから恐いのです。

たとえば、今、職を失っている人もたくさんいらっしゃいます。
そんなふうに「勤め」がおもうままにいかなくても、「努め」はあるでしょう。
そこで自分の「努め」とは何だろうかとしっかり考える。
そんな自分の「努め」を大切にして一生懸命に果たしていれば、
今はなかなかうまくいかない「勤め」の補いができますし、
いつかまた来るであろう「勤め」の時のために何かを学ぶこともまた
「努め」なのだということになるのだと思います。

もしくは逆に、必要に迫られて仕事漬けになってしまい、
家庭や自分の暮らしを犠牲にせざるを得ない人もいらっしゃいます。
「努め」が果たせなくても、今は「勤め」の時なのでしょう。
そういう時期は誰にでもあるものです。休日に、少しでも「努め」を果たそうと
すればいいのではないでしょうか。

自分にとっての「勤め」とは何か。「努め」とは何か。
それを一度考えてみましょう。
そして、今の自分の「勤め」と「努め」のバランスを冷静に自覚することが大事
ではないでしょうか。
「勤め」と「努め」。どちらも生きてゆく上で大切な「つとめ」です。
何があろうとも元気を出して「つとめ」ていきたいものです。
しっかりと「勤め」、ていねいに「努め」を果たしたいと、今回の花束の一件で
初心に帰ったことでした。

さぁ、週明けのハロウィンの日には、子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょう!
私も魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

【2011.10.27 末金典子】

折角の連休でしたのに、なんだか中途半端な台風がちょろちょろしていて
計画がだいなしになってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
とにもかくにもあなたはのんびりお過ごしになられましたでしょうか?

ここのところは暑さも随分マシになりようやく秋の気配がしてきましたね。
私の住む北谷のアラハビーチ前のアパートメントは、真夏以外なら冷房いらず、
扇風機いらず。海側の西の窓とベッドルームのドアを開け、
東側にあるリビングルームの窓を開けると、気持ちのよい風が、サーッと一気に
吹き抜けます。風通しのよさは快適性に欠かせないものです。
圧迫感のあるものをなくし、風の通り道をつくると一気に風が通り抜けて行きます。
片方の窓だけ開けても風は入りません。
どんなことでも出口を作らないと入り口から入ってこないのです。
道をつくってあげることが風を感じる第一歩。

そこでふと思い出したのは、水泳のレッスンを受けていたときのこと。
昔私が泳げなかったのは、息継ぎが上手にできなかったからなのですが、それは、
息を吸うことばかり考えていたせいでした。
息継ぎのポイントは顔を水面に上げると同時に口で息をふっと吐くこと。
そうすると自然と息を吸うことができます。息継ぎは吐くことだけを考えれば
できるようになる。これは大きな発見でした。
これもまた風と同じ、何事も出口がないと入って来ないのです。

手に入れることばかり考えていては何も手に入らない。
きっと何でもそうだと思います。
私がよく使う喩えなのですが、
両手に荷物を持っていては、次なる新しい荷物は拾えない、と。
つかんでいるものがあったら手放してみましょう。
空っぽになった手の中に次のものが入ってきます。
捨てること、出すこと、デトックスをすること…。それはとても大切なこと。
運気もお金も健康も、風通しを良くすることが重要なのだと思います。

またそうなると人生がどんどん変わり始めます。
私はよく思うのですが、人生というものは、突きつめていくと
いつも二者択一の連続だな、と。
どうすべきか迷ったとき、答が見つからないときは、その悩みを分析していくと、
結果、ふたつの選択肢に突き当たるはず。
その何かと何かのどちらかをチョイスすれば前に出られるようにできています。
そのひとつひとつの選択が、パイ生地のようにミルフィーユケーキのように
層になって未来を大きく決定づけていくのです。
すべては自分で決めたことの積み重ね。
そう思うと、やはり大切なのは小さな毎日の決断。そして今この瞬間、なのです。

それから、何事も自分の意思で決めていくこと。
自分の小さなプライドや決め事、他人の視線などにとらわれず、
自分の心がのびのびとできるように、自然体で風通し良く、快適に生きることを
日々大切にして、迷ったときには自分で考えながら選択していきたいものです。
そうすればどんな未来も後悔しないはずです。

明後日は秋分の日。
あなたの心にやさしい秋風を通してみてくださいね。

そして、
今日を人生の最高の日にしてくださいますように。

【2001.9.20 末金典子】

本当に毎日暑いですね~。なんだかまた台風も近づいてきているようですよ~。
あなたはお元気にしておられますか?

10日の日曜日の夜のことなんですが、
自宅前のアラハビーチから北谷公園、ビーチタワーといつものように
ランニングをしていると、ドドーン!とすごい花火の連続。
そうなんです。北谷シーポートカーニバルの花火大会。
海上いっぱいに扇状に広がる花火はけっこう圧巻。
しばしビーチに座って見とれていると、周りの歓声やら拍手やらに混じって
こんな発言が。
「あぁ~、夏の終わりって感じやっさ~。」…
ぐふふふ。夏はこれからですよ~。

さて、
3・11の大震災以降、直接震災に遭われた方でなくとも、
気が滅入ってしまって…という方がとても多いですね。
震災直後はショック状態だったのが、4ヶ月経った今頃になってくると、
自分にどういった援助ができるのか、復興はどうなるのか、
私達への生活への影響はどうなのか、放射能はどういうことになっているのかなど
現実問題としていろいろな事が気になったりして、不安で暗い気分に
陥ってしまうのも無理はありません。
だからなのかはわかりませんが、ここのところいただくメールや皆さんとのお話は、
「すごく悩んでます…」「激しく落ち込んでるんです…」
「無力感でいっぱいなんです…」「自分の道が見つかりません…」といった話題が
よく出てきます。そして聞かれるんです。
「典子さんは、激しく落ち込んだ時、どうしますか?」って。

確かに、
落ち込んだ時、どう落ち込むか?
そこからどう抜け出すか?
あるいは抜け出せないままもがくのかどうか?
それ次第で人生、ずいぶんと変わってきます。

一見、能天気な楽天家に見える私も昔は、じつは「激しく落ち込むタチ」でした。
仕事の小さな失敗でも、その日一日心に重しがついているように、
暗幕がかかっているように、落ち込むだけ落ち込む。
人との関わりでも、ほんのわずかな言葉の行き違いを気に病んだりして、
しっかり落ち込む。
たった一度の不倫を経験した時なんて、ひたすら悩みに悩み、
他のことで気を紛らわすなどということさえできませんでした。
でもそんな狭く小さな自分に気づき、こんなことじゃ人生前に進まないなぁって
強く思った時期でもありました。

そして、私が立ち直る術として行き着いたのは、悩むのじゃなく「考える」こと
だったんです。
多くの人は、それまでの私も含め、悩んでいるだけで考えない。
考えないと、問題はいつまでたっても体から出て行ってはくれません。
つまり、何事も悩んでいるだけだと、問題はずっと胸のあたりに停滞していて、
何も状況は変わらず、延々同じことを悩み続けることになります。
でも、考えるということは、問題を胸から上に引きあげて頭にもっていく
ということで、立ち直るにはこれほどいいことはないんです。
あなたもぜひ試しにやってみてください。
胸から頭へ、問題を引っ張りあげる。
するとおわかりになるはずです。
「悩むのではなく考える」ってどういうことなのかが。
そして、問題はちゃんと頭の中で考えると、頭のてっぺんから外へ抜けていく
のだということにハッキリお気づきになるはずです。
だから私はみなさんにいつもこうお答えしているんです。
「私は落ち込んだりしそうになった時、
心で悩まないんです。頭まで引きあげて、逃げずにじっくり「考える」。
そうすると意外に楽になっちゃいますよ。」って。

じゃあ何を考えるのか?
もちろん「なぜこうなったのか?」。
でも結論はいつも同じ。「すべてのことに意味があるから」ということでした。
この試練は神さまが何かを教えようとしてわざわざもたらしたものなのだと。
また、やがて、本当に、なぜそうなったのかの理由が明らかになるから
不思議なものです。
「あぁ、あの時はこういうことを学ぶ必要があったのだな」
「自分にはこういう至らなさがあったのだな」
というように。
何があっても「必ず意味があること」なのです。そしてつまりは、
「毎日毎日の今ここをしっかりやっていれば、やがてすべて上手く行く」
っていう当たり前の結論に至るわけです。

また、悩みとまではいかなくとも「憂うつ」な気持ちも同じようなことが
言えます。
小さなことでもやらなければいけないことが2つ3つ4つ…と重なってくると
人ってどんどん憂うつになってきてしまうものですよね。
「あれもこれもやらなければ…」「でもこれも今日までにしなければ…」
「あ~、憂うつ!」という具合に。
これも私のモットーなのですが、
心の片隅に憂うつが3つ4つところがっているのなら、
たとえ明日まで延ばすことができる用事でも、今真っ先に目の前に憂うつを
グイっと引っ張ってきて、サッサと片付けてしまうのです。
やってみれば意外と早く終わってしまったり、楽しかったりするものですし、
何よりも憂うつが明日まで持ち越されることがなくなり、時間も有効に使えて
スッキリするものですよ~。とってもお勧めです。

これらの考え方はずっと私の生き方の軸になってくれています。

さあ、週末は海の日の連休ですね。
人間も自然界の一部。ぜひ沖縄の美しい海や自然に抱かれて、その力強さを
ぜひ感じましょう。そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、
きっと思い出す時がくるはずです。そうすればきっと悩みや憂うつなんて
吹っ飛んじゃうはずですよ~。

目を閉じて聴いてみてください――寄せてはかえす波の音。
いのちのリズムを聴いてください。

寄せてはかえし、かえしてはまた打ち寄せる波の音。
そのリズムにすべてを委ねたら
人生にも満ちる時と引く時があるのだと
優しい波は教えてくれるでしょう。

例えば失敗してもいい。
落ちこむ日があってもいい。

ある日幸福が
あなたから離れていくかに見えたとしても
再び波は満ちてくる。
何度も何度も打ち寄せる。

【2011.7.14 末金典子】

いきなり沖縄の夏らしいカンカン照りの暑い毎日がやってきましたね~。
お元気にしていらっしゃいますか?

さて、週末は父の日ですね。
母の日と比べるとなんだか盛り上がりに欠けやすい父の日ですが、
父と母、両方あってこその私達。父の日はしっかり父を想う日に
したいものですね。

私の父は今年78歳で大阪で母や弟と共に元気で暮らしているのですが、
昔からおおらかと言いますか、なんとも、のんきな人なんです。
例えば、私が小学生の頃のこと。
朝学校に持っていくものがないと焦ってドタバタ探し回っている私に、
「物をなくしても落ち込んだり心配しなくていいのになぁ。
必ず地球の上にあるんだから。」とこんな具合なんです。
また、私が会社のことで悩んでいた時によく父が話してくれたたことは、
「今の世の中、恵まれすぎていてみんな贅沢になっているなぁ。
物が“ある”ことが当たり前なんだよねぇ。水道の水がそのまま飲めて、
ケーキが食べたかったらすぐに食べられる。
これって世界の中で見たら、かなりの少数派。
社会では、生きたくても生きられない人もいる。
今、生きていることだけですごいことなんだよ。
つまり生きてるだけでまるもうけ。
だから、お父さんはゴルフでOBをしても、スリーパットを打っても、
ヘコまない。なぜなら、ゴルフができること自体が幸せだから。
逆に、ゴルフをプレーできなければ、OBもスリーパットもできない。
そう考えれば、仕事のグチを言う必要もなくなるんじゃないか?
だって、会社に行くことができて、仕事があるだけでありがたいこと
なんだから。とにかく感謝が大事。“今、この瞬間に生きていることが幸せ”
ということを常に念頭に置いていれば、クヨクヨ悩むこともなくなるはずだよ」
と。
それでもまだ落ち込んだり悩んだりする私に、
「“ひとり偉人ごっこ”をしなさい。」
と言うのです。それは、自分が尊敬する歴史上の人物になりきること。
父の場合は、明治に生きた「日本の体育の父」とも言われる嘉納治五郎さん。
男気があって、心が広くていちいち小さいことにこだわらない。
だから、嫌なことがあった時は「嘉納さんだったら、この時どうする?」と
考えて、自分の小ささを反省するらしいのです。
だいたい偉人っていうのは、気持ちのスケールがものすごく大きくて、
偉業を成し遂げないといけないから、小さな事にいちいちかまっていられない。
だから彼らになりきると、大抵のことは「まぁ、いいか」って
思えるだろう、と。
私の場合は、マザー・テレサやナイチンゲールやヘレン・ケラーや
ジャンヌ・ダルクや青山光子で試してみたものです。
とにかく、一度きりの人生。バカでも、失敗してもいいから、
楽しく生きたもん勝ちだよ、と父はいつも言うわけです。

なるほどね。と思いつつも「生真面目にひたすら頑張る努力家」を
母に持つ私といたしましては、なんだかそんな父をいつもユル~く
感じていたのです。

ところがこの頃では、実は「のんき」でいられるっていうのは
すごい才能じゃないのかしらと秘かに認め始めているのです。
つまり、もっと自分に向いた生活があるんじゃないのかな?とか、
もっと自分らしい人生を送るべきなんじゃないのかな?と、
人は根拠のないことで悩んだりしますよね。
また、そもそもなかったものなのにお金が入ったり、恋人や子どもが
できたりするとそれが長もちし、うまくいくことばかり気になって
不安になったりもします。
だれもが一度限りの人生で、だれもが一度も経験したことのない未来を
送ることになっているので、それはしかたありません。
不安になって当然、暗闇を手探りで歩いているようなものだもの。
未来はだれにもわかりません。わかったところでどうすることも
できません。それでも知りたくなるのは今ある不安から抜け出し、
少しでも安心したいからです。
そもそも安心とは、不安メインの人生の単なる小休止にすぎません。
それでも人生は素晴らしいと言い切ることができる人は、
大概「のんき」なのです。
父のように、「なるようにしかならないんじゃないの」と、
基本どこか大きく人生をあきらめてらっしゃる。
(仏教では「あきらめる」は「明らかに観る」ということなので
なんだか辻褄も合うような…)
努力をしないというのではない。したけりゃ努力もしていいんじゃないと、
あくまで自分のこともひとごとのような。
「たまにいいことがあれば儲けもんじゃない」って感じで、
私も「のんき」にトライしてみようかな。

この感覚、実はうちなんちゅ~にはすんなり受け入れることが
できそうですよね~。
私が尊敬する芸術家の岡本太郎氏が初めて沖縄を訪れたときに感じた
この感覚の衝撃を素晴らしい表現で書いておられるので
引用させていただきます。

はじめて沖縄を訪れたときのことだ。沖縄の友人と約束して
待っていたが、二時間たっても来ない。こちらはセッカチだから、
ジリジリし、カンカンになっているのだが、やがて彼はにこにこ
笑いながら、人のよさそうな顔で、ゆったりとあらわれた。
そのとたんに、私はとても愉快になって思わず笑いだしてしまった。
時間など超越して、まったく悪気のない顔で再会を
喜んでいる彼の方が、人間的に本当ではないのかと
思ってしまったのだ。

近代的時間のシステムにまだまき込まれていない、悠々とした生活が
生きている世界。
その人間的時間を岡本太郎氏は嬉しく理解されたのでしょう。
彼は「沖縄文化論」を書かれたほど深く沖縄を愛し、鋭く観察した人でした。

私は、沖縄が「本土なみ」になったのではなく、
本土がむしろ「沖縄なみ」になるべきだ、と言いたい。
沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界との
ぶつかりあいを、一つのショックとしてつかみ取る。
それは日本人として、人間として、何が本当の生きがいであるかを
つきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。
とざされた日本からひらかれた日本へ。
だから沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰したなんて、
考えるな。本土が沖縄に復帰したのだ、と思うべきである。
そのような人間的プライド、文化的自負をもってほしい。
この時点で沖縄に対して感じる、もの足りなさがある。
とかく本土に何かやってほしい、どうしてくれるのか、と要求し
期待する方にばかり力を置いている人たちが多い。
何をやってくれますか、の前に、自分たちはこう生きる、
こうなるという、みずからの決定、選択が、今こそ緊急課題だ。
それに対して本土はどうなんだ、と問題をぶつけるべきなのである。
私は島ナショナリズムを強調するのではない。
島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという
人間的プライドを持って、豊かに生き抜いてほしいのだ。
沖縄の心の永遠のふくらみとともに、あの美しい透明な風土も
誇らかにひらかれるだろう。
岡本太郎

「岡本太郎生誕100年記念展」がまさに今沖縄県立博物・美術館で開催中です。
父の日に父子で美術鑑賞なんていかがでしょう。
26日までですのでぜひお見逃しなく!

【2011.6.16 末金典子】

お元気ですか?
今年はゴールデンウィークに早々に梅雨に入ってしまい、
じとじととした休日となりましたが、かえっておうちでのんびりできたのでは
ないでしょうか。

さて、日曜日は母の日でしたね。

あなたもそうだと思うのですが、お母さんから学んだことや受け継いだことが
多々あることと思います。
昨年のお便りでは母から学んだ「謝ること」「働くこと」などを書かせて
いただいたのですが、今年は「出し惜しみしないこと」について書こうと思います。

私の母は子供である私が言うのもなんなのですが、いつもすること言うことが
仏さま・観音さまのような人なんです。
例えば、私が子供の頃、母と一緒に一緒にゆうげのお買い物に行く途中、
お乞食さんに出会うということがありました。
すると母は自分のお財布の中の今日使えるお金を
惜しげもなく全部あげてしまうのです。
それも迷うことなく間髪をいれずにさっとあげてしまうのです。
私達の夕食のお買い物にあてるお金を全て、です。
私が「なんでぇ? 今日のお夕食はどうすんの~?」と聞くと、
母は決まって「お家にあるもんですませよね。」と言うのです。
「コロッケ作ってくれるって言うたのに~。」と恨めしく言う私に、
「こういうことを“お布施”って言うねんよ。
考えてごらん。もしもあのお乞食さんが神さまやったらどうすんのん?
それに、お布施はしてあげるんやないよ。させていただくんやで。
させていただくことによって私達の心の中に清々しい気持ちが湧いてきて
その気持ちを逆に恵んでいただいてるんやよ。
そういう世界に私達を導いてくれはるために神さまがお乞食さんの姿に
なってはるのかもしれへんやろ?
あげてるんやなくて、もらっていただいてるんやよ。」 と。

その後、母から繰り返し教わったことは、
「もらおうもらいたいと思うあなたは“無い人”。
でも、求めず与えていくときのあなたは“豊かな人”。」だよと。

そんなことを思い出していた時、どこかで目にする機会があって読んだ
新幹線の座席に置いてある無料雑誌「トランヴェール」の巻頭エッセイ・
脚本家の内館牧子さんの一文を連想しましたので引用させていただきます。

脚本家の橋田壽賀子先生が「おしん」を書かれている最中、
私は先生の熱海の仕事場に通っていた。膨大な資料を整理する程度の
手伝いだが、卵以下の私にとって、一流脚本家のそばにいられるのは、
何ものにも替えがたい幸せだった。
それから約十年後、私はNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」を書くことに
なった。先生は大喜びされ、一席設けてくださった。私は暮色の熱海が
一望できる一室で、たったひとつだけアドバイスを頂いた。
「出し惜しみしちゃダメよ」
これは強烈だった。さらにおっしゃった。
「半年間も続くドラマだから、ついついこの話は後に取っておこうとか、
この展開はもう少ししてから使おうとか考えがちなの。でも、後のことは
考えないで、どんどん投入するの。出し惜しみしない姿勢で向かえば、
後で窮してもまた開けるものよ。」
実はそのとき、私はすでに半年分の大まかなストーリーをつくり終えていた。
出し惜しみと水増しのストーリーだった。熱海から帰った後、私はそれを
全部捨てた。向き合う姿勢が間違っていたと思った。
「出し惜しみしない」という姿勢は、人間の生き方全てに通ずる気がする。

また、私が社会人になりたての頃、スーパーウーマンのように仕事ができる
女性の先輩と一緒に長く仕事をしていたときに彼女の生きる姿勢から
学び取ったこともそうなんです。

彼女は当時の私から見て、何をやらせても何を語らせても広すぎて深すぎる
そんな人でした。彼女の前だと自分が卑小な存在に思えてきたものです。
登るべき山の高さに腰が抜けてしまうという感じ。いや、山と言うより、
もう山脈、といった感じ。あらゆる分野についての彼女の引き出しの多さに
驚愕するどころか、その引き出しすべてにわたってかなり極めているのだから
もう脱帽ものでした。

その彼女の根っこにある姿勢も「出し惜しみしない」だったのです。

例えばなにかを面白いと思ったら文字通り寝食を忘れて没頭する。
普通の人なら「そろそろ寝ないと明日にひびく」とか思って切り上げようと
するところを彼女は切り上げない。ヘタすると何日でも寝ずに没頭する。
そうやっているうちに引き出しが驚異的に増えていき、結果的に様々な分野を
極めているわけです。

こうして私自身の座右の銘は「出し惜しみしない」になっていきました。

私の母も、内館牧子さんが書いた橋田壽賀子さんの言葉も、先輩も同じです。
これは宗教の話や、脚本術の話や、キャリアウーマン成功術の話ではありません。
生き方を語っているのだと思います。

あなたはどうでしょう。「まぁこのへんでいいや」「あまりがんばる姿を
見せるのも格好悪いし」「身体に悪いからいい加減にしておこう」…。
こんな風に少しずつ自分を出し惜しんでないでしょうか?

でも、出し惜しみはあなたの明日を何も変えません。今日と違う明日を
生み出しはしません。あなたなりの、想像できる明日しかやって来ません。

出し惜しみせず生きてみましょうよ。長続きしないかもしれません。
でも挫折してもまたすぐ始めましょう。
思ってもみない明日が、きっと、やってくるはずだから。

よ~し、まず今日は、明日のことなど考えずに飲み明かすぞ~!
ナーンテ、ダメかしら?

【2011.5.11 末金典子】

お元気ですか?
ゴールデンウィークだというのにまだひんやり気味の毎日ですね。

3・11の大地震で被災された方はもちろんのことなのですが、
被災されなかった人までもが、気分が落ち込んだり、体調が悪いなどの
心身の不調を感じておられる方が多いそうですから、
今週から始まるゴールデンウィークであなたも少しのんびりなさってくださいね。

大地震から被災地の様子などのニュースをずっと観ていますと、
東北の方々のめげない頑張る力や、道徳心や、助け合う心などに
本当に胸をうたれます。
また世界中から駆けつけているボランティアの方々、
避難所で無償で働く人々など、みんなが助け合い、いたわりあっている様子には
頭が下がる想いです。

こういう映像や記事を見ていて私が思い出す人が二人いるんです。

まず、アーランド・ウィリアムズさんというアメリカ人です。
お仕事は銀行の監査官で、お亡くなりになられた時は46歳。
1982年1月にワシントンDCで、エア・フロリダの航空機が寒波の悪天候の中で
ポトマック川に墜落したのを覚えておられますか?
衝撃で乗客の大半が落命されましたが、6人が水中に投げ出されました。
ウィリアムズさんもその一人でした。
ヘリコプターが救助に駆けつけ、衰弱の激しい彼のそばにロープを下ろしましたが、
ウィリアムズさんは隣のスチュワーデスに順番を譲りました。
ヘリコプターは少しして戻って、再びロープを下ろしましたが、
彼はまた別の女性に順番を譲りました。
酷寒の夕方で、水面は氷結し始めていました。次にヘリコプターが戻った時、
そこにはもうウィリアムズさんの姿はありませんでした。
水温の低さに耐えきれなかったのです。川に投げ出された6人の内彼がただ一人、
帰らぬ人となったのです。
ウィリアムズさんは死後その行為を讃えられ、事故現場近くの橋は、
「アーランド・ウィリアムズ橋」と改名されました。
その英雄的な行動に世界中の人が感動しました。私ももちろん感動しました。
でも個人的に思うことなのですが、それは英雄的というよりも、
彼にとってはむしろ日常的、習慣的な行為だったのではないでしょうか。
常日頃からマナーというだけではない「お先にどうぞ」という心からの優しさを
示していた人でないと、急に事故に遭っていきなり英雄的に振舞うことなど
きっとできませんよね。

もう一人が、かの有名なアインシュタインです。
アインシュタインが住んでいた場所は、大学の人以外はほとんど
知らなかったそうですが、たまたまその近所にある小学校の先生は
知っていました。そしてある日、自分のクラスの算数があまりできない女の子に、
「あなたの家の隣に算数がよくできる人が住んでいるというのに、
どうしてあなたは、きちんと勉強しないの。」と言ったそうです。
子供はもちろん、それが誰のことなのか知りません。ですから、
「なるほど。隣の家のおじいちゃんに宿題を教えてもらえばいいんだ!」と
思って、早速隣の家のチャイムを鳴らしたのです。
ドアを開けたら小さな女の子が立っているものですから、アインシュタインも
「まあ、どうぞ。」と家に入れました。すると、その子は、
「おじいちゃん、学校の先生が、隣のおじいちゃんは算数が上手だ、
と言ったのよ。だから、これを教えてちょうだい。」と頼んだのです。
アインシュタインはとても忙しい人でしたし、すでにアメリカの国宝のような
存在でしたが、彼女になんのことなくぜんぶ教えてあげました。
しばらくして、その女の子があまりにも算数ができるようになったので、
先生が不思議がって
「あなたは、最近すごく算数ができるようになりましたね。」と言うと、
「先生は言ったでしょう? あのおじいちゃんに聞いて、
教えてもらいなさいって。」と言うのです。
それを聞いた先生は驚いてしまいました。そしてその子の母親に
「たいへんなことになりました。私は別にそういう意味で言ったわけじゃなくて、
ただ、隣にアインシュタイン博士が住んでいることを知っている、ということを
言いたかっただけなのです。」と言いました。これは困ったことになったと
いうことで、先生とお母さんはアインシュタインの家に
「大変、御迷惑をお掛けしました。」と謝りに行きました。
ところがアインシュタインは、
「いいえ、なんのこともないのです。私は何も教えていません。
反対に、いろいろなことを教えてもらいました。
教えてもらったのは、私の方です。」と言ったのだそうです。
相対論を発見した偉大なる人なのだから、この小学生の子供とは比べものに
ならないほど智慧があるはずです。
それなのに、「いろいろなことを教えてもらった」と言うのです。
私は、アインシュタインがウソを言っているとは思いません。
常日頃から、子供のように純粋に学び続けている人だからこそ、
子供からもいろいろなことを学ぶことができるのだと思います。

つまりは、毎日毎日を、心から親切に謙虚に生きていくことが、その積み重ねが
自分のよき人間性や人格を形成することに繋がっていくのだと思うのです。

私にはお二人のようにとてもそこまでの生き方はできそうにないけれど、
でもこうやって文章を書く時には、少しでも読みやすく、
理解しやすい文章にして、できるだけみなさんに対して親切であろうと、
ない智慧をしぼり、力を尽くそうと思いますし、
目の前の方が私の家族だったらという気持ちで、
お話をうかがうのなら、音を耳に当てるのではなく、心でしっかり聞こう。
お話をさせていただくのなら、誠意を持ってちゃんと自分の気持ちを伝えよう。
そういつも心がけています。
でも実際にやってみると、これは決して簡単なことではなくて、
落ち込む気分に陥るときもあります。
そんな時に私はウィリアムズさんのことを考えるのです。
猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に
「お先にどうぞ」と言い続けるウィリアムズさんに比べれば、私のことなど
別に大した問題じゃないよねと。

さぁ、週末からゴールデンウィークが始まります。
人に優しい気持ちになるには自分の気持ちにも余裕がなくては。
いつもの忙しい毎日から、のんびりモードに切り替えて、
まずは自分に優しくしてあげてくださいね。

【2011.4.27 末金典子】

ぐんと暖かくなってきた今日この頃ですが、
お元気にしていらっしゃいますか?

2月のお便りで、急逝なさった沖縄銀行の長松さんのことや、
脚本家の下島先生の亡くなられた弟さんへの想い、
奇跡的に助かられた男性の手記などを御紹介させていただき、
もしも今日が人生で最後の日になるなら今日をどう生きますか、
と書かせていただいたのですが、そのお便りに宛てて、
ユニバーサルスタジオジャパンの立ち上げで社長をなさっておられた
現・EPソリューションズ㈱代表取締役の山本さん(アメリカ在住)から
とても長いメールをいただきました。ぜひあなたとも分かち合いたいと思い
山本さんに了解をいただきここに御紹介させていただきたいと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

末金様、ご無沙汰いたしております。

新年のご丁寧なメッセージはじめ、今回節分の「鬼は外、福は内!」も
テキサスの自宅で1月15日前後に拝見しました。
実に不思議さを感じているのですが、今回去る1月7日の夕刻テキサス州ダラスの自宅で発症した
極めて致死性の高い「大動脈解離」の体験をし、1週間の入院から戻って来て、
この末金さんからのメールを読ませていただいたので、殊更強烈なインパクトを感じるものでありました。
ひょっとして、1月7日あたりが私の人生で最後の日になっていたかもしれないのです。

日本から12月22日にテキサス州ダラスに戻り、翌日車で20時間かけてアリゾナ州
フェニックス郊外のメサに家内と息子の3名(および2匹のボクサー)で義理の母、娘、
義理の妹を訪ねての長旅でした。途中、睡魔が襲えば車をレスト・エリアか
ガソリン・スタンドに止めて1時間2時間と睡眠をとりながらですが、今回のように
日本から戻った翌日の早朝には出発という、今から考えれば「異常な強行軍」で
自分の体も相当に疲労困憊も極限に至っていたのではないでしょうか。
無事クリスマスをアリゾナで終え、29日の早朝にはアリゾナからテキサスへ向かって
1600キロメートルを超える長旅にまた出発したわけです。
さらには、30日午前中には息子の彼女が遊びに来るに加えて、娘と彼氏も31日午前中に
アリゾナから二人で1600キロメートルを踏破して、ダラス(正確にはKeller)まで正月を
一緒に迎えるため戻ってきました。ならば、今年こそは、
「おせち料理を少し真面目に準備しよう」と思い、Plano にある韓国系の
大型ショッピングスーパーHI Martに材料を仕入れに出かけ、30日の午後からは
「黒豆」「なます」「二色卵」「伊達巻」等々、かなりの品目をそろえるべく、料理人に早変わり。
結局は、31日の夜まで掛かって準備完了!
これも、毎年欠かさずに守ってきた「おせち料理」なのです。(なかなかやめられないのですね。)

仕事のほうはというと、昨年はアジア市場の開発をかなり積極的に展開し、
特に台湾、中国、タイ、インドネシア、韓国での事業戦略の再構築と代理店組織、
特約店組織の再組織化を推し図ってきました。特に台湾の元代理店をEPソリューション(EPS)の
中に吸収合併し、二人の若いセールスエンジニアの兄弟(中国語、英語)をEPSの
日本国外のアジア総拠点に変更して、アジア市場でのEPのソリューション販売戦略を
かなり詳細に作成しなおしました。
日本を除くこれらのアジア市場での事業総進捗表を1月5日までには作成して、
これで正月明けからはしっかりした事業開発がすすめられえると、ほっとしていました。
しかし、この作業も毎日早朝まで一人で作業し、睡眠は1日平均3~4時間程度という
過度の睡眠不足状態でした。余りにも自分の体力に過信していた自分が今思えば
情けない限りです。

こうした状況でとうとう7日の夜7時半に仕事をし始めてしばらくすると、
突然右の下腹あたりから「ドクッ!ドクッ!ドクッ!ドクッ!」と左寄りに立ち上がり、
同時に今まで経験したこともない痛みが襲いかかってきました。
そこで、まず、頭に浮かんだのが心筋梗塞ではないか? なら、まず、ニトロを
処方して貰っている家内の寝室に這うようにしてたどり着き「一錠」を
舌下に含みましたが何らの変化がありません。息子に「911」に電話して救急隊を
呼ぶように指示しました。何分経ったでしょうか?5分もたたないうちに救急隊員が
駆けつけ、心電図を撮ったりしましたが、心筋梗塞ではなさそうだが、15分ほど
離れたところに有名なベイラー医大のGrapevine病院があるので、まずはそちらに移送して
CTスキャンをとるという指示が本部から出たようです。私自身は救急車の中での会話、
それにCTスキャンのところまでは意識もありました。このCTスキャンの結果分析の結果
「心臓発作、心筋梗塞」ではなく、「大動脈解離Aortic Dissection」なので、
専門外科医のいる同じベイラー医大のPlano Heart Hospital へ、ヘリコプターで
緊急移送することになり、このヘリに乗せられたところまでで記憶は途絶えています。

それにしても一刻も早く専門医のところへ移送しなければ、「命を落とす」ことに
なったそうです。あとは、翌週の11日(火)の午後、ベッドで目が覚めるまでは
9時間の大手術も、何も記憶がありません。開胸手術だったのと、肺の中の洗浄や
新しい動脈の装着など、かなり細かい手間のかかる手術だったようです。
いずれにせよ、初めて「入院・手術」という体験でしたが、アメリカの病院は
今回のような大手術でも一週間程度しか入院させてもらえません。ご承知の通り、
医療費が莫大な金額掛かることと保険会社側も出来るだけ最小の入院日数で対応を
希望しているので、何にせよ非常に短い入院期間です。後は自宅療養で、2週間後に
執刀医を訪問して更なる診断をしてもらうことになるのです。今回何とか「存命」できたのは
「奇跡」だとしか考えられません! これが、東京であっても今回のように順調に
専門医による手術を手遅れでなく受けることができたかは、分かりません。また、飛行機の中
出張先、いずれにしてもまだ「奇病」と言われる「致死率の高い」「大動脈解離」への対応は
99.999%不可能だったと思います。つまり、とっくに絶命していたに違いありません。

このような体験をした2011年1月が終わり、2月1日節分に末金さんからのお頼りが
届いた時には、本当に「ドキッ」としました!
何故なら、そこには「人生最後の日」の人々の思いが紹介されていたからです。
私の場合は、不思議と「死んでしまうのか?」
という思いがなく、すべてを関係者に託してその結果を甘んじて受け入れようという
気持ちでした。手術直前にいつの段階化は覚えていませんが、誰かが
「Mr. Yamamoto、開胸手術して、心臓周りもメスを入れますよ。良いですね?」と言ったのを
かすかに覚えており、私も「どうぞ、最善の措置をお願いします!」と言ったのを
覚えています。

それにしても、末金さんからのメールを読ませていただいて、今回自分の命といえども
「与えられている命」であることを痛感しました。60歳の誕生日を直前にして、
「新しい命」を授けて頂いたのであり、これからの「生き方」をどのように生きるようにしようか?
今までもっと声をかけて話をしたかった人々に間違いなくお話ししたい。
この会ってうんとお話ししたい人のリストが頭に浮かんできました。
命を与えられている今日一日を大切に精一杯、正直に生きていきたいと思います。
今回のお便りは、偶然ではないと思いますが、私にも非常に貴重なメッセージとして
大事に読ませて頂きました。本当にありがとう!

麗王にお越しになっていらっしゃる色々な方々とももっと仕事を離れてお話ししたいと
思っています。自分なりに構想してきた「沖縄の独自性と10~20年社会経済開発ヴィジョン」
のようなものもお話ししてみたいですね。今は、未だ飛行機に乗っての移動にも医者からの
制限がありそうなのですが、夏ごろには再会をさせて頂きたいと願っています。
今までの人生でやはり「ある力」を頂いたことに感謝しています!
何だか、未だ頭の回転が100%元に戻っていないためか、
メールの内容が理解しづらいかもしれませんが、悪しからず。

ではまた、

山本 洋司

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

山本さんのお誕生日はあさっての3月3日。
今年もまたお祝いの日を迎えられることができた喜びをうんと味わわれることと
思います。心よりお祝い申し上げます。
この山本さんのメールを拝読させていただいて、2月のお便りにも
書きましたように、いつ終わりの日が来ても悔いのないよう、今この時を
大切に精一杯生きよう、そう改めて思いました。

湯船に浸かり、ただこれだけ、と自分の身体を確かめることがあります。
ほら、これが私の手、これが腕、胸。ただ、それだけ。どんなにあがいても、
「今、ここ」にしか在りようがないのです。
あの世へは、お気に入りのスプーン1本持っていくことさえできないのです。
今、ここで、ありのままの自分と、大切な人の笑顔、それだけでいい。
そんな風に感じることができれば、それこそが人生最良の時なのでは
ないでしょうか。
人生は禅の修業のようなもの。一回りして、何気ない日常に還った時に、
初めて生きとし生けるものの慈しみが判り、ごくささいなことでも有り難いという
感謝の気持ちが湧いてくるものなのでしょう。

さあ、あさっては桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。
麗王でも、無添加の白酒や、手作り海鮮ちらしずし、無添加のひなあられ、
菜の花のおひたしなどで、古式ゆかしくひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ一緒にお祝いくださいね。

【2011.3.1 末金典子】

ようやく寒さがゆるんできましたね~。
お元気ですか。
週明けはヴァレンタインデーですね!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

昔、女の人は、恋人からの手紙をきものの帯揚げの間に隠して、肌身離さず
持っていた、ということを読みました。なんて艶やかなことでしょう。
ところで今の男性は、女の人が持ち歩きたくなるようなロマンティックな恋文を
書いてくれる人がいるのかしら?

最近のお客さまはなぜだか女性が圧倒的に多くて、いろいろな恋愛話にも
なるのですが、「パートナーとの間でロマンティックなことが少ない」、
「彼が何もしてくれない」、そんな相談をよく受けます。
でも、ふたりの間のロマンティックというものは、もし彼がロマンティックな
ことをしてくれないのであれば、女性のほうがロマンティックな雰囲気を
つくってあげる、そういうものなのではないかしらと思います。
彼に望んでも無理、今の男の人にはそれだけの余裕も土壌も
ないかもしれませんよ~。(ナーンテ!男性陣ごめんなさい!)

ただ、女性は男性を立てるほうが平和だと思います。これは日本に限らず
どこの国でもそう。絶対にそうです。
私の生まれ育った関西では、まず男性を立てて、実権は女性が持ちます。
おばあちゃんや母がよく言っていたものですが、
「妻が実権をぐっと握っていても、夫を心から尊敬していれば、
男性はいい気持ちであなたに任せてくれるものよ。」と。

また、アメリカ合衆国憲法の基礎を作ったといわれるインディアンの
イロコイ族は、現在でも母系社会で、女性達が会社でいう取締役を固め、
トップの男性の罷免権を持ち、調停者の役割を担う、という社会を、
千年間もの間築き上げています。

例えば、世界中の大統領や総理大臣が全員女性であれば、世の中から戦争は
なくなってしまうかもしれませんよね。

男女の間では、女性は女性なりに、優しさや包容力をもちたいものです。
強くならなくていいんです。賢く、ただし「静かに」賢くなればいいのでしょう。
パートナーに対して、あまり強すぎたり賢すぎたりすると、相手が疲れますよね。
どんな時代でも女性こそ、優しくないといけません。
だって本来は男性のほうが優しいものなのですから。
会ったときにほっとするそんな女性になりたいものだと思います。

まだ運命のパートナーに出会っていなくて、焦っている人もいるでしょう。
でも大丈夫。必ず二枚貝の片割れのような相手がいるのです。
出会うということは、これはもう自分の力だけではありません。「縁」という
日本語には深い意味があるようです。
きっとどの人にも今までにいろいろな恋愛の経験があることと思います。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれた言葉。彼女の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えませんか。
恋愛は面倒なもの。だからこそ、きっと残してくれるものも大きいのでしょう。
それらの出会いによって今の自分が作られているのです。
そしてまた次の自分へと導かれて行くのです。
縁とはそういうものなのかもしれません。

愛するパートナーがいらっしゃる方はその幸せをうんと噛み締めてくださいね。
そしてその愛する気持ちをちゃんと伝えてあげてください。
パートナーの方はきっと幸せな気持ちでいっぱいになられることと思います。
最も身近な人を幸せにすることは、最も難しいことであり、
それ故に最も価値のあることなのだから。

さあ、週明けはヴァレンタインデー。
どうぞあなたが愛いっぱいの、幸せいっぱいの日でありますように。

【2010.2.9 末金典子】

お元気ですか?
今年の冬はなかなか寒いですね~!
体調を崩したりなさっておられませんでしょうか。
インフルエンザも流行っていますのでくれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は10日前に沖縄銀行さんから沖縄県経済同友会に出向しておられた長松さんが
クモ膜下出血でお亡くなりになられました。
仕事を終え帰宅途中のバスの中での出来事だったそうです。まだ44歳。
お亡くなりになる1週間前にいらしてくださった時、
「正直に言うと今の会社のあり方に少し物足りなく思っているところも
あるので私なりに頑張りたいと思います。」
とおっしゃっておられたのが印象的でした。
これからという人生を歩んでおられた途中。心残り幾許であったことでしょう。
心から御冥福をお祈りいたします。

随分前に、ある男性が人生最後の日に書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものを御紹介させていただきましたが、今一度お読みいただければと
思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

また、お正月あけに、脚本家の下島先生から
以下のようなお便りをいただきました。すごく素晴らしい内容でしたので、
先生にお断りをして御紹介させていただこうと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

昨年、1月2日にたった一人の弟が、突然逝ってしまいました。
お正月いつも来る弟一家の中に弟はいませんでした。この1年、ことあるごとに
蘇った弟は、小さい頃だったり、若い頃だったり、家族の中での笑顔だったり。
でも、人は本当に逝ってしまうのですね。
一周忌を昨日、済ませました。弟を大事にし、いつも夫婦で旅を楽しんでいた
義妹も、娘、そして息子の家族と、今も弟を偲び、孫の世話と仕事に
明け暮れています。
人が生きるということ、その大事さと切なさを、今、しみじみと感じます。
その日まで、精一杯生きよう、と、思っています。
寒い日が続きます。お風邪など召さぬ様に。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

もしも、今日が人生で最後の日になるなら、
あなたは、今日をどう生きますか?
周りの人にどんな言葉をかけますか?
会ってうんとお話したい人は誰ですか?

過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。
つまり、両方とも印象であり、実体はないのです。
それなのに私達は、過去に対する後悔と、未来に対する不安を
わざわざつくりだしているのですね。
いつ終わりの日が来ても悔いのないように。
今日を、今この時を、大切に精一杯生きたいものですね。

明後日は節分です。
立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の目標や、新しいトライはこの頃に
幸せな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

一月の内にちゃんと今年の計画を立てられなかった人は、改めてこの節分に
誓いを立てても遅くはありませんよ~。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、健康を、心から願って。

【2011.2.1 末金典子】

あけましておめでとうございます!

温度も10度まで下がって寒くなり、お正月らしい雰囲気になった沖縄でしたが、
あなたはいかがお過ごしでしたか~?

私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、その後なんと23時間も
ぐっすり眠って!初夢も見たお正月でした。

さぁ、新しい年の始まりですね。
年の初め、お正月の松の内、1時間、
今年1年向かう方向について、本気になって考えてみませんか。
今月は1年の計画を考える時でもあるのです。

まずは過去を振り返ってみてください。
人は昔から、愛情を人に捧げる喜びをもっていました。
その喜びを忘れ、近年では、人に与えられる愛ばかりを望むようになったため、
いつも不足を感じ、顔も不機嫌になっている人が多いようです。
前に進むためには、過去を振り返り、そのことに気づくことが大事では
ないでしょうか。

そして自分の今いる立場をよく考えてみてください。
自分の立場を、自分の心が正しく赴くところに見出すのは、
難しいようですがいちばん素直なこと。
正しい、というより、こうありたいという願望でよいのです。
誰しも、今年やりたいこと、自分にとって課題となることがあるはずです。
ない人はないはずです。もしそれがない、という人がいたら、
それは単なる怠惰ですよね。

また、自分のことを客観的に、他人の目になって見てみることも大切です。
でも決して、自分を嫌いになってはいけませんよ~。
自分は最も愛すべきものなのですから。

そして、夜が明けて朝になったら、もう後ろを振り返らず、前へ向かって
歩き出しましょう。
そのとき、歩き出す方向がほんの少し曲がると、1年間がちょっとずつ
変な方向へ向かって行きますよ~。とはいえ、何が正しい方向かは誰にも
わからないのですが。
とにかく、まずは自分が行くべき方向をしっかりと考えてみる。
それが今大事なことなのだと思います。

私は、お正月を迎えるとまたひとつ歳を取った、と感じます。
特に今年は大台の50歳になっちゃうんですもの! キャ~~ッ、こわいっ!
でもね、歳を取るって悪いことじゃないですよ。
登ったから見える景色もあるのだから。
それに50歳の今まで生かされていることを思うと、感謝の気持ちで
何かをせずにはいられません。だから私にとって年の初めは、
「人生のお返しに今年は何をできるか」を考える時間なのです。

まず考えたことは、
「あなたとのひとときを、優しさや楽しさで
包むことができますように。」
ということ。

そんな想いでスタートをきりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、金曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

【2011.1.5 末金典子】