浦添市のコミュニティFM(FM21・76.8MHz.)で沖縄選出の参議院議員・島尻安伊子さんがホストするラジオ番組「あい子のチャレンジラジオ」、3月7日放送分のバックナンバーがアップされています。

http://www.stickam.jp/video/182416538

3月7日の放送(2月22日収録)にゲストとしてお招き頂き、1時間弱沖縄について、事業再生について、有機農業について、南西航空についてお話させて頂きました。

沖縄を人生の本拠とすることを心に決めてから10年になりますが、この地で起こった一連のできことを通じて、人生における優先順位が180度変わってしまい(あるいは、元に戻ったというべきでしょうか)、それまで持っていたものを文字通りすべて捨てさせられたような気がします。本当に大事なものを見つけるということは、それを探し求めるのではなく、余計なものを捨てるということなのだと、今では理解しているところです。

後半話題になっている南西航空の再生は、こちらもご参考頂けます。

http://www.trinityinc.jp/updated/?p=3145

ホスト:
参議院議員
島尻あい子

ゲスト:
沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授
トリニティ株式会社 代表取締役社長
樋口耕太郎

【樋口耕太郎】

毎週水曜日、農場で泥まみれになってハタラク援農プロジェクトを始めてから約5ヶ月が経過した。毎週畑でハタラクたび、大きな気付きやインスピレーションや学びを得ることにいつも驚かされる。私の先週のインスピレーションは生産性ということについて。今までで最も生産性の高い一日だったからだ。

僅か4名、実労5時間、延べ20時間の労働で、実に1000坪(1/3ha)をゆうに超えるジャガイモ畑の植え付けを完了した。ひと畝に400個の種イモを植え付け、それが約30畝、1万2000個の種イモだ。4ヶ月後の収穫までに、これが仮に5倍に増えると6万個のジャガイモになる。

収穫したジャガイモ、一個平均200グラム、卸への売値が40円だとすると、20時間相当の労働で、実に240万円前後の売上を作ったことになる。単純に計算して時給12万円、年間2000時間労働に換算すると、一人あたり2億4000万円の所得になる。

もちろん、誰もこのようなペースで働き続けることは不可能だし、畑のコンディションや耕作面積の制約や天候や作業の段取りやチームワークの問題などなど、単純計算のとおりにはならないのだが、それにしても、この生産性の異様な高さはなんだろう?

一般に、農業は生産性の低い産業だと理解されている。毎週畑に出て、知力と体力を総動員して全力で農作業の試行錯誤をしながら、私はこの常識はまったく根拠がないものだと確信するようになっている。

日本の農業は弱いから保護しなければならない、補助金を与えなければならない、自由競争経済から保護しなければならない・・・。政治経済のすべてはこの前提によって立つのだが、仮に、その前提がまったく恣意的なものだとしたらどうだろう。

例えば、現在大きな議論となっているTPPの問題も、まったく異なる前提で、まったく異なる合理性に従った、まったく異なる議論が可能かも知れない。それどころか、日本の政治経済の前提が根源から転回する可能性を秘めているのだが、そのヒントは、毎週訪れる畑の中にある。

着眼大局、着手小局。日本の政治経済やマスメディアの表舞台で農業を語るよりも、心の通った仲間と畑に出て、自分自身の知力と体力の限界に挑みながら生産性を追求する方が、本当の解に近いような気がしてならない。

農業の現場に深く関わって分かったことは、農業とは驚くほどの生産性をもった業態だと言うことだ。考えてみれば、種を蒔いて4ヶ月で収穫。初期投資を殆ど必要とせず、僅か4ヶ月後に現金で回収、しかも、一粒の種から(作物によるが)100倍以上に増える産業など他に存在しない。

一般的な農家は経営学を学んでいる訳でもない、財務に明るい訳でもない、しかし、何十年もその業を営むことができる。裏を返せばそれほど事業的に安定し、生産性が高く、運営が容易な産業なのだ。

どんなハイテクIT企業、金融工学、投資、製造業、サービス業を見ても、これに比するだけの恵まれた事業形態を探すことは容易ではない。そういう目で見ると、確かに飲食業など、毎日のように廃業する業態と比べると、農家の廃業率は非常に低いと言えるだろう。

最大の問題は、農家であれ、農協であれ、行政マンであれ、政治家であれ、農業に関わる殆どすべての人たちが、「農業の生産性は低い」という世界観を持っているということではないか?

先のジャガイモの植え付けの莫大な生産性を見て、端で見ていた農家や「農業の専門家」たちはただただ驚愕していたが、私に言わせれば、いわゆるきちんとした大手企業や、市場で先端を走るビジネスの世界で、当然になされている原理と知性とチームワークを発揮しただけの話なのだ。

本来は、生産性の著しく高い農業に対して、生産性が低いという常識(世界観)を持って対処すれば、著しい余剰価値が生まれて、逆に誰も働かなくなる。結果として、現場(農家)の生産性が著しく低下するのは当然の原理なのだ。

こんなことを言えば、批判を受けるかも知れないが、農業の生産性が低い(ように見える)のは、農業そのもののせいではなく、農家の(世界観の)せいだ。農業の生産性が低いという世界観で仕事に向かえば、そのイメージは現実になり、確かに「生産性の低い農業」が生まれる。

その「現実」を所与として、社会の枠組みを構築すると、現代農業と現在の我々の社会のようになる。次世代農業の解が、既存社会のパラダイムの外に存在すると私が考える所以である。

ダイハチマルシェ便り「躍進を遂げるじゃがいも隊」http://t.co/EjuEO6GJ|たかが植え付けと思うなかれ。農業生産の大原則は、植え付けの量を決して上回ることはできないということ。植え付けをどこまでも追求するということは農業生産の本質のひとつでもある。

【樋口耕太郎】 (2011年11月6日のツイッターより)

1.背景

有機農業はもともと生産が安定せず、膨大な手間がかかる上に、生産物の売買市場が未成熟で、国や公共団体からの支えも事実上存在せず、社会からは異端扱いされて孤立するなど、強い情熱を持った有機農家であっても、生活を成り立たせることは容易ではありません。沖縄県の農業生産920億円のうち、野菜、果実、穀類の生産額は200億円。これに対して有機生産額は推定2億円、全生産額の1%に過ぎません。安売りが最優先され、品質が殆ど評価されてこなかったこれまでの市場で、割高な有機野菜を販売する努力は並大抵のことではありませんでした。沖縄の有機農家も、公務員などを定年し、年金を受け取りながら生産活動を行うのが一つの典型で、純粋に有機農業だけで採算が取れる農家は少数です。これまでの有機農業は、①生産者数も生産量も僅かで、②市場が値段だけを見て質を評価してこなかったため、流通・換金が困難で採算が取れず、③社会的な理解と認知が少なかったために、孤立した、極めてマイナーな産業でした。

一方で、資本原則と競争原理によって経済成長だけを追い続ける現代社会のあり方が、人間の体と生理機能を蝕んでいることは周知となりつつあります。スーパーなどで流通している大半の食材の生産・加工過程では、大量の農薬と添加物が複合的に利用されていますが、その殆ど唯一の理由は、企業や生産者が利益を確保するためであり、消費者の健康には「問題ない」の一言で全てが片付けられています。昔は殆ど聞かれなかった、花粉症、アトピー性皮膚炎、精神疾患、生活習慣病などが無視できないほどに広がりを見せていますが、その主因が食事を中心とした社会のあり方そのものにあるのではないかと疑う人は確実に増加しています。医療の進歩によって、世界一の高齢化社会を実現した日本ですが、その約半数は病人です。病院通い、薬漬けの老後を送る人生が社会の平均的な姿となり、医療と福祉によって国家財政は破綻に瀕しています。国民を健康にすることが真の医療であるならば、それはすなわち、「心からやりたい仕事」を優先して、「やらねばならない」労働時間を減らし、大家族と共同体を復活し、社会に人間性を取り戻すこと。そして、環境を正常化し、化石燃料に過度に頼らない自然な作物の地産地消を進め、「便利」な添加物食品の代わりに毎日自分で料理を作り、愛する人と一緒に、心から味わって食事をすることこそが、医療と呼ぶに相応しいと言えるでしょう。

僅か数年前には考えられないことですが、有機農産物や安心安全で美味しい食材が、近年急速に注目されています。これは、単に食の問題だけではなく、自然な農産物には、社会の重大問題の多くを改善する力があるからだと思います。生活の一切を見直して質の高い食材に切り替えると体調が良くなり、生活習慣病を含む多くの症状に改善が見られることあります。なによりも美味しい食事によって、食卓を囲む家族や仲間の会話が増え、人間関係が豊かになり、食事がさらに美味しくなる、という循環が生まれます。一度このような質の高い生活を体験した人は、普通の(薬漬けの)食事に戻ることは少ないので、需要は増加する一方です。今では、主要な女性誌を始め、各種イベントや催事、スーパーマーケット、ホテル、レストランなど、至る所でオーガニックがメインテーマとして取り上げられ、有機専門のインターネット宅配業者は急速に業績を伸ばしています。それでも日本は相当遅れている方で、世界的なトレンドでは、高級なサービスを提供する企業ほど安全で高品質な食材と食事を著しく重要視しています。まだ僅かな生産量しかない(そして、現時点では生産量を大きく増やす手段が存在しない)有機農産物に対して、社会全体の需要が集中することは恐らく時間の問題で、遠からず、消費者がいくらお金を積んでも、特別なルートがなければ入手できない状態になるでしょう。有機農業生産と流通・販売業は、社会再生の最大のボトルネックであり、成熟市場における数少ない超・成長分野なのです。

自然な農業が社会に広がることのメリットは計り知れません。ほんの一例ですが、(1)援農を通じて自然な農業と社会の接点が増えると、鬱の解消、精神医療などの精神の健康に大きな効果があり、(2)激しいインフレーション時には、農産物が実質的な地域通貨として機能し、(3)自然な農作業は、地位や階級が無意味な世界で、人をコントロールしない次世代型のリーダーシップを学ぶ良い機会となり、人間中心の組織運営が組織や社会に広まり、(4)農作業を通じた共同体の復活によって自殺、虐待、孤独死などが減少し、(5)栄養価が高く自然な食を社会がとりもどし、(6)自然な農業は高度に知的かつ楽しい労働であり、生きがいを社会に提供し、(7)自然の移り変わりと社会の接点を取り戻す効果があり、(8)生活の損益分岐点が下がるため、「稼ぐため・お金のため」の労働を大幅に縮小する効果があり、(9)食生活が豊かになることで、家族の接点が高まり、ひいては教育、介護などのコストが減少し、(10)共同体が再構築され、人間関係が豊かになることで疾病率が大幅に減少し、介護保険、社会保険、医療保険などの社会費用が削減され、そして何よりも、社会が健康になります。今まで分断されていた社会と農業の繋がりが再構築されれば、他にも多くの効果が複合的に生まれると思われ、社会全体のコストを著しく下げながら、大きな生産性が生じるのです。

過去60年以上継続してきた、「経済成長によって百難隠す」ような、資本主義的な社会運営が不可能になろうとしています。その代わり、社会全体のバランスを再構築して、良好な共同体と人間関係によってコストを下げ、経済成長によらずに直接国民の幸福度を上げる社会になる。そのときに最も力を発揮するのが自然な農業です。


2. 問題の本質

有機農業の生産性を高め、生産額を飛躍的に向上させるためには、単に有機農家を増やすだけでは全く成り立ちません。採算の取れない農家の数をいくら増やしても、マイナスの上塗りになるだけです。政治・行政が行って来たように、農家に補助金を投下しても、生産性の向上には寄与せず、社会コストが増加するだけに終わることは、過去の無数の事例によって明らかですし、現在の政府にはそもそも多くの補助金を投下する余裕はありません。結局、有機農業そのものの生産性を高める以外の方法は存在しないのですが、その最大の「コーナー」が人手なのです。有機農業生産の現場で汗を流しながら、農業生産の特性と一連の作業を詳細に分析すれば、採算であれ、生産量であれ、単位収量であれ、品質であれ、安全性であれ、労働の質であれ、有機農業生産の問題は、十分な労働力がありさえすればその殆どが解消するということがはっきり理解できます。

それほど簡単なことが、今まで解消されてこなかった最大の理由の第一は、報酬の支払い(すなわち金融の問題)でしょう。農家にとっては、労働力が必要な時期と報酬を支払うことができる収穫のタイミングが数ヶ月、場合によっては1年以上ずれることが一般的です。ただでさえ現金収入に乏しく、赤字の農家も多い中、人を雇う資金がなければ、結局自分一人の労働力の範囲で小規模生産を行わざるを得ません。

収穫期に人手を雇う農家は多いのですが、これは、収穫物が短期間で換金され、日当の支払いがそれほど負担なく行えるからです。逆に考えれば、農家はそれ以外の作業について、それがどれほど重要性の高い仕事であっても、人の手を借りることができず、どんどん作業が後手に回り、生産がジリ貧に陥り、補助金が尽きた段階で立ち行かなくなるのです。

借り入れによって、そのギャップを埋めることは理屈上可能ですが、一般的な農家が提供できる担保は限られていますし、特に有機農家であれば、多くの土地は(担保価値のない)借地です。地域で異端扱いされている有機農家が農協からの融資を受けることも事実上不可能です。そしてなにより、自然を相手にする有機農業は、生産量が不安定で、虫や病気の制御を誤ったり、台風が直撃したりすれば、ほぼ全滅の憂き目に遭うことは所与の条件であり、収穫が確実にできるという保証は全くありません。更に、農産物の取引価格は大きく変動し、特に有機農産物の市場はまだまだ小さいため、需給バランスが少しでも崩れると、折角苦労して収穫した野菜を十分に売却・換金できずに、捨て値で処分せざるを得ないこともあります。つまり、借り入れを行う際のリスクが個人で負担できる範囲を超えているのです。

リスクが高すぎて借り入れができず、人件費を賄えず、労働力が慢性的に不足し、生産規模が最小限に留まれば、膨大な労働量の割に十分な収入が生まれず、将来の展望がないまま、縮小均衡の生活を続けざるを得ず、台風などで大きなダメージを受けると廃業、というのがそれほど珍しくないパターンになっています。

一方、自然な農業生産は、十分な人手があれば問題の殆どが解消するだけでなく、莫大な生産性が生まれるという重大な特質があります。例えば、1,000坪(1/3ha)を耕作し、年間売上300万円、収入50万円、廃業寸前の実質的な赤字農家に対して、1週間に一回、10人の援農部隊が手を貸せば、あっという間に10,000坪以上が耕作可能で、農薬や化学肥料に頼らなくても、10倍の生産量(売上3,000万円)を容易に実現することができるのです。

自然を相手にする農業は、①1人が10時間働くよりも、10人が1時間働く方が生産性を生む作業が多く、また、②労働力が必要とされるタイミングに大きくムラがある、という、二つの重要な特性があるため、年間を通じて1人を雇うよりも、1週間に1日、10人の援農部隊の力を借りる方が、遥かに高い生産性を発揮します。10人に支払う報酬額の合計は、日当5,000円としても年間僅か260万円足らずで、これは一人分の人件費と大きく変わりませんが、生産額は10倍になるという、手品のようなメカニズムが現実に機能するのです。


3. 次世代援農プロジェクト

労働というボトルネックを解消するだけで、これほどの生産性を生み出すことができる業界は、製造業、サービス業においても稀で、これは自然な農業生産が秘めている莫大な潜在力の一例です。自然な農業が手間ばかりかかる辛い労働ではなく、人間的で豊かな産業になれば、社会全体へ及ぼす波及効果は計り知れないものになるでしょう。加えて、極めて高い生産性を秘めた自然な農業を、質の高い流通業が支えるとき、本来相性の良いハイエンドの観光産業と融合的に経営されるとき、また、それが次世代の金融事業と一体化するとき、これらの生産性は乗数的に増加し、社会全体を変えるほどの力を持つことになるでしょう。

次世代援農プロジェクトは、有機農業生産の根源的な問題を解消し、数年以内に、現在の生産額を10倍、100倍にする試みです。およそ農業に縁がなかった人たちを含め、幅広い方々に援農してもらい、日当相当額(例えば5,000円)を、事業者が運営する有機無農薬野菜のネットショップのポイントとして付与するものですが、この一見シンプルな仕組みは、以下のように革新的な意味を持ちます。

現金を一切介さない物々交換によって
・ 質の高い無制限の労働力を有機農家に提供し
・ 援農者はいつでも好きな有機産品を取得することができ
・ 大八産業が有機農家に対して人件費相当額を無担保、無保証、無利息で(実質的に)貸付け
・ 有機農家は、収穫後の「あるとき払い」で弁済する

援農者、有機農家、大八産業は三様の役割を果たしながら、それぞれ大きなメリットを受け取ります。

【援農者】は、例えば収穫したインゲン5キロを貰うよりも、実質的に現金同等物(ネットショップのポイント)が報酬として提供され、貰った野菜を腐らせることもなく、必要なときに、必要なだけ、必要な野菜・果物を入手することができます。援農に参加すれば誰もが実感すると思いますが、大勢で参加する楽しみ、汗を流す爽快感、自然の中で時間を過ごす贅沢さ、食事と水の美味しさと会話の楽しさ、自分のペースでハタラク自由な時間は格別な経験です。既に毎週参加することを決めて仕事のスケジュールをやり繰りしている方も多く、日常の気分転換としても、精神的な休息としても、会社の研修プログラムとしても有効だという意見が多く聞かれます。

【有機農家】は大八産業に対して、日当相当額と同等の農産物を(将来)納品します。農家は現金を一切必要とせず、借り入れを行うこともなく、したがって、担保提供も、連帯保証も、契約書類作成も、利息を払うこともなく、パート募集の公告費用や労務管理の一切を必要とせず、援農者の協力を無制限に得ることができ、その「支払い」は文字通り、収穫後のあるとき払いです。農家は金融リスクを取らず、煩わしい労務管理をせずに農業生産に集中することができ、人手が増え、収入が増え、精神的にも、時間的にも、作業的にも余裕が生まれます。

【事業者】は、援農者にポイントを即日付与する一方、農家から野菜が納品されるのが数ヶ月〜1年後です。事業者はこの期間中、農家に対して、実質的に「無担保、無利息、無保証、あるとき払いによる金融機能」を提供するのですが、農家からの納品は仕入れ単価で、援農者に対しては小売価格でポイントを付与するため、無利息であっても十分な利益が生まれます。援農を通じて、有機農家が必要な労働力をいつでも提供でき、農家の十分な生産性を確保することができるため、無担保、無保証であっても貸し倒れが生じることはありません。もちろん、農家の生産額が増加することで、事業者の取り扱い高が大きくのびることになります。


4. 援農と次世代社会

援農プロジェクトは農業生産の分野を超え、社会全体に重要な影響を及ぼす可能性があります。

i 飛躍的な有機農業生産: 援農プロジェクトによって人手の問題がひとたび解消されれば、有機農業の生産性は飛躍的に高まり、沖縄県における有機農産物の生産高が、確実に、著しく、増加します。今後急激に増加する自然な農産物に対する需要に対応し、広く社会に大量供給するための現実的な方法は他に考えられません。このプロジェクトは、小規模農家の経営支援だけでなく、大農場の大規模経営に向いているのですが、沖縄は、100万人規模の都市圏からそれほど遠くない場所に、まとまった農地を大量に確保できる、日本の中でも稀な地域です。この、シンプルかつパワフルな、次世代共同体による有機農業生産の仕組みが沖縄で広まることによって、日本全体の有機農業生産のあり方にも大きな影響を及ぼす可能性があります。

ii 環境の再生: 有機農業の生産性が飛躍的に高まることで、地域における自然な農地面積が大幅に拡大します。日本の農薬使用料は世界一で、散布された農薬の約40%〜50%は大気中へ気化して地球温暖化の重大な原因になっていると指摘されており、農業そのものが重大な環境問題を引き起こしています。有機・無農薬による農業生産は、農薬・除草剤・化学肥料などを散布しないため、土壌や地下水を汚染しないことはもちろん、その畑で働く労働者の健康を守り、最も広い意味で環境を保全するものです。近年問題になっている沖縄近海の珊瑚白化現象も、海ではなく陸が原因ではないかと考える向きもあります。広大な土壌を自然な環境に戻すことで、沖縄の重要な資源である海に、劇的な改善が見られる可能性は高いと思います。

iii 観光の再生: 有機農業の地域的な盛り上がりは、沖縄の観光業の質を著しく高めます。食事のまずい観光地が繁栄することはあり得ません。沖縄の食事情のままでは、現在のB級リゾート地としての壁を破ることは不可能でしょう。沖縄がB級リゾート地であり続ける限り、高品質高単価のビジネスは成り立たず、ホテルの従業員はいつまでたっても手取り10万円前後の労働を強いられることになります。地域のリゾートやレストランに高品質の食材がふんだんに供給されることで、観光地としての質を高め、食文化が深まり、質の高い顧客層を引き寄せることになるでしょう。沖縄全土に有機生産が広がれば、例えばオーガニック・アイランドとして、沖縄全体のブランディング戦略を構築することも現実的です。

iv 食と健康と医療: 我々が日常的に口にする食材は添加物を複合的かつ大量に含んでいます。食品添加物など、体に摂取された「異物」を分解するためには、ビタミンやミネラルが必要ですが、一般的な小売店に並んでいる野菜には、これらの栄養素が不足しているため、現代人は慢性的なカロリー過多の栄養失調状態で生活していると言われています。自然な農産物は、農薬と化学肥料で育てた野菜に比べて、ミネラルやビタミンが5倍前後含まれ、消化の負担が少なく、免疫力を高めると言われています。我々の社会で一般的になってしまった劣悪な食事情を、本来あるべき自然な状態に近づけるだけで、健康状態が改善し、疾病率が低下し、ひいては医療費が大幅に低下することが、はっきりとした傾向として明らかになるでしょう。

v 共同体の再生: 共同体が成立するためには、①生産性を生み、②個人の生活を支え、③共同の目的のためにハタラク(傍が楽になるために働く)、という三つの基本要件が必要ではないかと思います。近年沖縄でも共同体の崩壊が問題視され、地域の自治会加入率の低下に歯止めをかけようと種々の対策が講じられていますが、形式をいくら整えても、三つの基本要件が備わっていなければ実効性はありません。大八産業の援農プロジェクトはその全ての要素を再生することで、人間関係を緊密にし、沖縄が古くから重要視してきたゆいまーる(助け合い)精神を、現代的な共同体で再構築する効果があります。共同体が再生することの社会的なインパクトは計り知れません。緊密な共同体と、健康・長寿の強い相関関係は、医学会でも「ロゼト効果」として知られていますし、何よりも生活の質、教育の質、家庭の質、人間関係の質が向上することで、個人と社会の幸福度に大きく寄与します。

vi 精神の健康: 自然な農業には本当に不思議な力があります。精神的な疾患を抱えていたり、対人関係に問題があったり、軽度の鬱に悩んでいる方々が援農に参加し、自然の中で思い切り汗を流し、共同で働きながら、生気を取り戻し、みるみる元気になって行く事例が少なからず見受けられます。また、一般に健康者と言われている人たちであっても、援農を通じて意識が前向きになり、小さなこだわりが消え、人への気遣いが増え、エゴが縮小して、自分に正直になって行く傾向が見られます。援農プロジェクトには、名だたる企業の経営者を始め、社会的に地位の高い方々も多く参加されていますが、自社の社員を援農に誘ったり、またその仕事ぶりを見たりしながら、企業経営、人事、研修に応用が利くと考える方も少なくないようです。恐らく、援農に参加する社員が増えるほどその企業の業績が上向くという事例も、生まれてくるでしょう。

vii 次世代金融: 援農プロジェクトは、資本主義社会の常識と正反対の、「次世代金融」事業でもあります。事業者は、有機農家に対して労働力をアレンジすることで、有機農家に対して実質的に、無担保、無保証、無金利、しかも、あるとき払いの返済による「貸し付け」を行っていることになりますが、そこにはお金が介在していません。また、金融の常識で、このようなファイナンスを行えば、貸し倒れが続出し、利益も得られず、元本も戻らないのですが、現実には、すべてが全く逆の結果を生んでいるのです。資本主義社会の金融は、実体経済が生み出す付加価値の「上前をはねる」ことによって収益を獲得してきました。これに対して、大八産業の次世代金融は、農業生産の現場に全く負荷をかけず、現金負担なしで労働力を提供し、生産性を飛躍的に向上させ、その収益からの配分を受け取るものです。

将来的には、労働力だけでなく、有機農家のハウス・耕作機械などへの投資資金、有機農家の借金の借り換えなどの資金(現金)を、が有機農家に対して提供する予定ですが、もちろん、無担保、無保証、無利息、返済は農産物によるあるとき払いです。実体経済を搾取する資本主義的金融から、実体経済に力を与える次世代金融へ、周回遅れでトップを走る沖縄から発信する、世界最先端の金融事業です。

viii 次世代地域通貨: 世界中に地域通貨は星の数ほど存在していますが、現実的に機能しているものは殆どありません。地域通貨が機能するための要件は、①誰にとっても価値のある実物資産を裏付けとしていること、②現実に生産性を生んだ労働の対価として地域通貨が発行されること、ではないかと思うのですが、殆どの地域通貨がこの要件を満たしていないことが原因かも知れません。例えば、地域通貨がドルと等価交換(裏付け)できるとしても、地域通貨自体に価値の裏付けがなければ、やがて大半がドルに換金されて流通量が減少してしまいますし、反対に、基軸通貨が崩壊すれば、地域通貨も同時に機能を失ってしまいます。また、地域通貨が労働と生産性と実物(例えば農産物)の裏付けとして発行されなければ、本来無価値の「紙切れ」を流通させることになり、それほど広がるものではありません。

援農プロジェクトで、援農者は日当相当額を大八産業が運営する有機無農薬野菜のネットショップのポイントで受け取ります。例えば週に1回援農すれば、毎日食べる有機野菜を購入する必要がなくなります。生活の損益分岐点が下がり、食べるために「しなければならない」仕事が減り、日常に余裕が生まれ、有機野菜の購入はお金持ちだけの特権ではなくなり、援農者の多くはネットショップの継続的な顧客になり、有機野菜がさらに社会に広がる原動力になります。

このポイントは、ネットショップで販売される全ての商品を購入することができる「現物」であり、将来デジタルキャッシュカードが発行されればポイントのままでも、あるいは単に、ポイントを裏付けとした「ポイント券」が発行されても、地域通貨として機能します。いつでも新鮮な有機野菜と交換可能であるため、インフレもデフレも生じないばかりか、仮にドル基軸通貨が崩壊し、それに連鎖して日本円が機能を停止したとしても、十分価値を維持し続けるでしょう。生産性を伴った労働を裏付けとしているために、通貨発行によって得られる利益(シニョリッジ)が存在せず、逆に、誰でも農作業で健康になりながら、たとえ生活保護者であっても、ホームレスであっても労働の対価として紙幣を「創造」することができ、社会格差の是正に大きく寄与します。

ネットショップのポイントは、本質的に物々交換であるために、金利が生じず、競争原理を生まず、社会格差を生まず、社会を豊かにする優れた価値交換機能です。同時に、ネットを利用することで、従来の物々交換の欠点が全て解消しています。すなわち、実物資産の価値が減価せず、常に新鮮で価値のある資産と自由に交換可能で、物々交換特有のニーズのマッチング欠如がありません。このポイントや「ポイント券」を、例えば那覇空港ビルディング、地域のスーパー、ガソリンスタンドなど、他の事業体が受け付けるようになれば、世界でもユニークな地域通貨として、基軸通貨崩壊時には極めて有効に機能するでしょう。近い将来、新・南西航空のマイレッジポイントと互換性が生まれれば、「援農すれば南西航空で海外を見に行ける」時代が到来し、海外旅行もお金持ちだけのものではなくなるかも知れません。さらに、「ダイハチマルシェ」を物々交換サイトへと展開することで、必要なものは全て物々交換で瞬時に入手可能な社会が実現します。

この地域通貨のプログラムに参加するためには、実質的に沖縄在住でなければなりませんが、沖縄に住むということ、自ら汗を流すこと、そして助け合う生き方をすることが、豊かな人間関係と人生を手に入れるためのパスポートになるでしょう。それによって、沖縄の価値、沖縄の人間関係の価値、沖縄の共同体の価値が大きく見直されることになります。

そして何よりもこの地域通貨プログラムが最も優れているところは、地域通貨の流通量が拡大するほど、有機農産物が増加し、環境が保全され、観光地の質が高まり、食が安全に豊かになり、共同体が再生し、精神の健康が促進され、人が健康で長寿になり、社会に生産性を促す次世代金融が広まる、ことです。すなわち、この地域通貨は、幸福で豊かな社会そのものを裏付けに発行されるのです。


5. ビジョン

援農プロジェクトでは、有機農産物の生産額を、3年で10倍にする目線(いわゆる目標ではありません。無理をせず実現する規模のイメージです)を維持しています。これは、今後急速に拡大する有機農産物の想定需要と、我々が現実的に対応可能な供給量をやや保守的にバランスした水準ですが、現実の需要量、供給量は、これよりも更に多くなるのではないかと思います。一見アグレッシブな水準のようですが、既に大八産業の現場では品不足の産品が続出しており、市場における需要増加はこの水準を遥かに上回ると考えていますし、供給側は、援農プロジェクトが機能するという前提で、生産現場の人手問題が解消することの、生産へのインパクトはこれほど大きいものなのです。

3年で10倍の供給量の実現は2倍+、4倍+、8倍+と、1年ごとに倍の生産を実現することでおおよそ可能です。大八産業が事務局を務める沖縄最大の有機生産グループ「しまぬくんち」の農地総面積約5万坪のうち、耕作面積は約2万坪。始めは、「しまぬくんち」の中でも、特に採算の苦しい農家を優先し、今年は年末までに大宜味村伊芸農園の2万坪弱を耕すことで、「しまぬくんち」の耕作面積を4万坪(約2倍)にすることの目処は、おおよそ3ヶ月前倒しで立っています。現在、毎週の援農者は10人に達し、既に伊芸農園だけではなく、糸満の中村農園(約3,000坪)へと対象を広げていますので、現実にはこの水準を上回る可能性が少なくありません。2年目の2013年度(2012年4月〜2013年3月)には約5万坪+、3年目の2014年度は約10万坪+耕作面積を増やすイメージに従って、対象農地の確保を同時進行しています。

以上の目線が現実になれば、大八産業の沖縄県産野菜の出荷額(現在約1億円)は、3年後に約10億円へ拡大します。沖縄県産の野菜、果実、穀類の生産額約200億円に対する有機野菜のシェアは、約1%から5%まで増加することになります。この水準の生産額は、観光客および沖縄で質の高い生活をする属性の高い顧客を取り敢えずカバーする規模となり、沖縄全体の地域再生に寄与することが現実的になります。

このときまでに各有機農家の売上は3倍、労働時間1/2に近くなると思われ、自然な農業は、楽しく、美しく、健康で、ゆったりした休暇が取れる、社会で最も豊かな産業のひとつへと変貌することでしょう。余裕ある時間や収入を使って、例えば農家はもっともっと世界を見るべきではないでしょうか。質の高い消費者が何を、どのような水準で求めているかを体験することは、高品質な農産物の生産現場にきっと大きく役に立つ筈です。豊かな共同体に支えられ、家族と友人とで過ごす時間が増え、世界中で特別な経験を共有する、「世界で最も豊かな沖縄の有機農家」を実現することで、社会全体の再生に大きく寄与することになるでしょう。

おおよそ3年後に20万坪の耕作地が稼働するということは、概算で、毎週100〜200名が援農に参加し、(1人あたりの日当を例えば5,000円として)年間2,600万円〜5,200万円の「地域通貨」が流通することになります。流通量の確保が最大の課題となっているその他の地域通貨と決定的に異なる点は、継続的に農業生産が行われ、かつ、少なくとも暫くの間は耕作面積が相当な比率で成長し続けるため、「地域通貨」の流通量が累積的に増加し続ける基本構造を持っている点です。このため、殆どの地域通貨の運営者が苦労している、流通量を増やすための営業やプロモーション活動、そしてその費用負担が全く不要であり、非常に効率の高い運用が可能です。仮に、自然な有機農業生産が全体の20%程度のシェア(40億円)を確保した世界を想像すると、常時数億円の流通量となる筈で、その現実味と社会へのインパクトがイメージできると思います。まして、そのようなタイミングで基軸通貨が崩壊し、主要通貨が機能を停止し、ブロック経済ごとに自給自足を強いられる世界が生じることを想定すれば、その重要度は計り知れないものがあるのです。

かつての自然な農業は、1人の働き手が10人の人口を支えていました。日本の高度成長政策に呼応して、農薬、化学肥料、除草剤などが大量に利用されるようになって「生産性」が著しく向上し、農業は1人が100人を支える「食料製造」産業に変質しました。仮に、共同体の崩壊、労働の崩壊、教育の崩壊、食の崩壊、健康の崩壊、医療の崩壊、福祉の崩壊、エネルギー危機、金銭経済の崩壊などなど、人間の生理的な限界を超えようとしている社会を再生するための、最も有効な答えのひとつが自然な農業であるならば、農業に人手が最大10倍必要となる時代が到来する可能性があるのです。援農のメカニズムを利用すれば、10人が1週間に1度援農することで有機農業の生産量が10倍になります。すなわち、単純計算では、全ての人口が1週間に1度援農に参加するだけで、全人口が有機農産物だけで暮らすことができるのです。自然な農業に人手を戻すことは、社会が存続するための必然です。残された問題はその方法だけでしょう。最も優れたモデルを実現したものが、次世代社会をリードすることになるでしょう。


6. ハタラクということ

最後に、そして最も重要な問いは、そもそも援農者がなぜハタラクのかということでしょう。援農プロジェクトは、埼玉県に住む一人のサラリーマンから始まりました。

豊田くんは上場企業の品質管理部門で働く平社員。純粋な心を持ちながら、社会や組織に対して器用に立ち回ることができず、会社では決して厚遇されていませんでした。人付き合いも得意な方ではなく、一人で居ることが多い週末のために、農地を借りて自然農を始めました。あるときネットで自然農と金融を一つのものとして唱える、変わり者の事業家を見つけて興味を引かれた豊田くんは、その事業家が遠く沖縄で主催する「金融講座」を受講することにしたのです。講座の会場では、銀行員、会計士、投資家、企業経営者、コールセンターのマネージャーらの面々に混じって、ひとりだけ有機農家が受講していました。沖縄の有機農業のホープ、中村農園の中村くんです。

中村くんは大農家の家系の異端児で、親戚はおろか、地元農村地域の中でたった一人の有機生産者です。伝統的な農業地域では、有機農業に対する偏見がいまだに強く、中村くんは孤独な戦いを強いられていました。理想の農業への熱い気持ちと、有機農業では生活が成り立たない現実、周囲からの無理解、・・・農業をやめてしまおうかとまで思い詰め、相談相手がいなかった中村くんの話を、偏見や批判なく真っすぐに聞き、彼の生き方を肯定してくれたのが、豊田くんでした。中村くんの飾らない心の話を聞くうちに、自然と「中村くんの農作業を手伝ってあげたい」という言葉が豊田くんの口をついて出たのでした。以後、前日の夜に沖縄に入り、中村くんの農園に泊めてもらい、翌日農作業をしてから一緒に「金融講座」に参加する、というパターンが定着したのです。

殆ど見ず知らずの自分を自宅に泊めてくれるという、中村くんの申し出に驚き、感激しながら、本土では対人関係にぎくしゃくしていた豊田くんも、朴訥とした心の優しい中村くんと自然な農園で働くと不安が薄らいで行くのを感じました。そんな奇妙なパターンが始まってから約半年が経過し、無償でハタラクことの不思議な爽快感を、少しずつ人に語るようになった豊田くんの言葉に、はっとした人物がいます。同じく「金融講座」を受講していた大城くんです。

大城くんはコールセンターの要職に付きながら、この業界がいかに従業員の犠牲の上に成り立っているか、同時に、自分はいかに中途半端な地位の、中途半端な生き方に甘んじているのか、深く悩んでいたところでした。自分を変えるきっかけを探していた大城くんの耳に、豊田くんの「援農」という言葉が飛び込んできました。理屈ではうまく説明できないのですが、援農が自分を変える重大なきっかけになると直感した大城くんは、翌日中村くんにいきなり電話をかけて、農作業を手伝いたいと申し出たのです。

おおよそ時を同じくして樋口は、有機生産グループ「しまぬくんち」の生産者を一人一人訪問し、農業の悩み、事業採算の問題、人間関係や将来のビジョンなどについて、数時間かけてじっくり耳を傾ける取り組みを行っていました。農地面積6ha(2万坪)、沖縄最大の有機農場伊芸農園を経営する伊芸さん夫婦のところに足を運んだときです。広大な農園を経営するためにもともと多額の借金があり、毎回の利払いが経営を大きく圧迫していましたが、最近は経営のバランスを崩して資金繰りが特に苦しくなり、農作業の手助けを人にお願いするだけの現金が準備できません。人手がなければ、2万坪の有機農場はあっという間に雑草に覆われ、無残な状況で放置されざるを得ません。打つ手のない伊芸さんは無力感に押しつぶされ、現実から逃げ、毎日畑に出ることが怖くなっていたのです。そのうえ、最後の望みだった700坪のインゲン畑が5月の台風2号で全滅し、心が折れて座り込んでしまいました。もう経営が全く立ち行かないので、土地を全て売り払って農業を廃業し、あとは年金で細々と暮らして行こうかと、真剣に考えていたところだったのです。

経営の現状を包み隠さず話してくれた伊芸さんと、再生への処方を話し合いました。「現実に向き合い、今できることを、合理的に、冷静に考えれば、どんな問題であっても必ず打開策が見つかります。結局、①単年度が赤字ではない、②次の年は今年よりも確実に良くなる状態を作る、という2点が確保できれば、どんなに多額な借金でも必ず返すことができるのです。後は決断と、何があってもやり遂げる情熱がさえあればいいのです。問題は状況の悪さではなく、再生のビジョンを見失っていることです。皆で知恵を出し合って、今、この場で、解決方法を特定し、それのすべてを一緒に実行しましょう。」

「単年度黒字を確保するための目先の運転資金は400坪のオクラ畑に集中して、それ以外のことは意識から一切捨てて下さい。借金の返済、最低限の運転資金、生活費を確保するために、7・8・9月は毎日400パックを出荷して月額最低60万円の現金収入を確保することが生命線であり、どんなに辛くても安定的に400パックを出荷する覚悟がなければ、破綻は免れないという現状を理解して下さい。どんなに有機農業の夢を語っても、今日400パックのオクラを出荷する以上に重要なことはありません。現実(オクラ)から逃げずに、雨が降っても、台風が来ても、なんとしても出荷は続け、言い訳をしないで下さい。」

「1,000坪のパイナップル畑は作付けした後で人手が足りずに放置され、雑草が腰まで生い茂ってこのままでは全滅です。来週早々に私たちが草刈りを手伝いますので、これを来年に繋げましょう。」

早速次の週、伊芸農園で汗を流した樋口らは、想定外の爽快感にすっかり魅せられてしまいました。農家にとっては大変な「重労働」なのですが、たまの作業であれば、炎天下腰まで生い茂った雑草の草刈りが意外に楽しく、農薬が一切使われていない自然の畑でハタラクことが、これほど気持ち良いものだとは思いませんでした。仕事そのものの楽しみに加えて、草刈り鎌で皮をむいて食べる無農薬のパインの信じられない甘さ、休憩の合間に飲む有機・無農薬の冷たいお茶、朝取りの有機・無農薬野菜たっぷりのお昼ご飯、大汗をかいた後で大宜味の大自然を眺めながら、冷えたグラスで飲み干すビール、風通しの良い大部屋で食後の昼寝・・・。困っている伊芸さんをなんとか助けようという気持ちで始めた援農ですが、とてつもなく大きな可能性に目を開かされた瞬間でした。それからは毎週畑で働くことが皆の楽しみになり、伊芸農園の2万坪全てを年内に耕す援農プロジェクトが始動したのです。

有機農場での作業がこれほど楽しいものであれば、他にも多くの人が力を貸したいと思う筈です。先の大城くんが一人で中村農園に援農に行ったのが、正にこのタイミングだったのです。伊芸農園での援農の話を聞いた大城くんは、伊芸農園の援農にも大喜びで申し出てくれたのです。それどころか、コールセンターの同僚を連れて参加するなど、パイン畑の援農隊はあっという間に10名弱の「小隊」に増殖しました。さらに驚いたことに、中村農園の中村くんも援農隊に加わったのです。採算ぎりぎりの有機農業をしていて、彼こそが誰よりも手助けを必要としている筈なのに、「自分の農場には豊田くんや、大城くんが手伝いに来てくれたから」、といって、その気持ちに報いるためにも、誰かの手伝いができないか、と考えてのことでした。もちろん、中村くんの気持ちを汲んだ伊芸さんが、次回の中村農園での援農で、相当な重労働のリーダーシップをとって大活躍してくれたのでした。「人のために、社会のために、自分には何ができるだろう?」という気持ちの連鎖は、どんどん大きくなっていきます。誰を誘っている訳でもないのに、毎週のように増えて行く新メンバーの中には、投資家、企業経営者、政治家秘書など、それぞれの業界で大活躍され、それぞれの組織や業界では大きな影響力を持つ方もいらっしゃいます。一様に、援農でハタラクことの素晴らしさ、自然が人を癒す力の凄さ、農業の底知れない力、都市部では絶対に味わえないビールの味、皆で力を合わせる楽しさ、階級の一切ない正直な人間関係・・・に大いに心を動かされ、何度も繰り返し、援農に参加するようになっています。

ひとりひとりが楽しみながら全力で汗を流す援農プロジェクトは、農作業以上の重大な意味があります。参加者がひとり増えればひとり分だけ、有機農産物が増加し、環境が保全され、観光地の質が高まり、食が安全に豊かになり、共同体が再生し、精神の健康が促進され、人が健康で長寿になり、社会に生産性を促す次世代金融が広まる、ということなのです。すなわち、援農プロジェクトは、幸福で豊かな社会そのものを裏付けに成り立っているのです。そのすべては人のため、そして、すべては自分のため。「はたらくという言葉は、はた(傍)がらく(楽)になるということ」だと言われます。人が楽しく幸せになるために、自分ができることを、喜んでさせて貰うのがハタラクということでしょう。誰一人としてお金のためにハタラク人はいないのですが、結果として、物質的にも精神的にもお互いがどんどん豊かになっていく。そんなプロジェクトが誕生しました。

援農プロジェクトに参加する人たちの動機が、通常の労働と異なるということは、今後、有機農家として成功するための重要なクオリティが大幅に変化することを示唆しています。今までは、農業を知り、土を知り、生産に向き合って成果を上げることが農家の「実力」でした。今後は農業技術も然ることながら、それ以上に人に誠実な関心を払い、自分が人のために何ができるか、という意識で生きなければ、十分な生産量を確保することができない時代になるでしょう。社会においても、農業経営においても、愛と人間力が何よりも重要な資産になるのです。

気持ちで繋がる援農プロジェクトは、労働の対価を報酬で支払う「雇用者と労働者」の関係ではなく、「主人と客人」の関係に近いものです。大事な客人を迎えるときに、相手にお金を支払うだけで済ませる人はいません。質の高い食材で、心のこもった食事を提供し、滞在を楽しんでもらえるために心を配り、訪れてくれた気持ちに応えるためにお土産を用意します。一方客人は、主人の心のこもった配慮に感謝の意を表すために、なにか自分が役に立つことを探し、それが適わなければ、恩義に感じていつかそのお返しをしようと心に定めます。このような、心で繋がる人間関係を生み出すことができなければ、人の心は次第に離れ、一時は農家がどれだけの野菜を収穫したとしても長く繁栄することはないでしょう。

質の高いおもてなしをするために、何よりも重要なことは、自分自身が質の高い生活をし、豊かな生活とは何か、質の高い食材とは何か、本当に美味しい食事とは何かを深く理解し、自分自身に嘘をつかず、人の心に報いる人生とはなにか、を実践する必要があるのです。

【2011.8.8 樋口耕太郎】

私は、5年くらい前から、農産物と食品の実体について調査を続けているのですが、我々の社会の食事情は、本当に惨憺たる状態で、現実を知れば知るほど、愕然とするばかりです。

余りの酷さに驚き、随分以前から有機無農薬野菜を食べるようになり、醤油や油を始めとした調味料、その他食材の一切を見直したところ、短期間で体がびっくりするほど変化する経験をしました。以来、4年近く、私の医療費はゼロですし、体に力がみなぎり(回復し)、疲れなくなり、夜は深く眠り、朝は溌剌と起きる人生を送っています。

以下は私たちのごく一般的な食事情の現状についてとても分かりやすいまとめです。私のパートナーの末金典子が友人に宛てたメールからの抜粋などです。

*   *   *   *   *   *   *

先日樋口が、貧しくて人を雇えない有機農家さんの畑に
玉城さん下地くんと一緒に援農に行ってあげた時のことなのですが、
農家さんがお昼ごはんにとカレーライスを作って
ふるまってくださったそうです。
ところが食べたすぐ後、樋口はお手洗いで便器を抱え込んで
ゲーゲーともどしてしまったそうです。
お台所を見るとどの調味料も油もカレールーも
添加物がたっぷりのスーパーで最も安い食材ばかり。
折角オーガニック野菜を使ってお料理してもこれでは
台無しですよね。
樋口もいただいておきながら大変申し訳ない思いで
いっぱいだったそうなのですが、
こればかりはどうすることもできません。
そこで誠意として以下のようなメールをお送りしたようです。

私も偶然同じ日に樋口との待ち合わせ場所のコーヒーショップで
おなかがすいてきたので「これぐらいなら大丈夫かな」と
「蒸し鶏とハニーマスタードのパニーニサンド」なるものを
注文して食べたところ、家へ帰ってから、やはり便器を抱え込むわ、
痙攣であわや救急車!?というところまでいくという
ひどい状態になってしまいました。
体がしっかり拒否してくれているのはありがたいことなのですが。
世の中の人達は毎日毎日こういうものを取り続けているんですよね。
本当に恐ろしいことだと思います。
スーパーで並ぶ人達のカゴの中身を見てもぞっとするような物ばかり。
外食や、パンやスイーツを買って食べることもままなりません。

(樋口が農家に宛てたメールから引用・加筆)

先日はカレーをごちそうになりながら大変失礼致しましたが、質の高い食生活に切り替えた状態で添加物が大量に含まれていたり、酸化しやすく安価な油などを取り込むと、禁酒後の一気飲みのように急激に体調を崩し、体が受け付けず、一旦食したものを戻してしまったり、酷い場合には激しいアレルギー症状や、寝込んでしまうこともあるのです。

中には私の食生活がストイックだという人もいますが、私は逆に、一般的な人たちが劣悪な食品と薬物を日常的に取り込む生活を強いられていることの方が大問題だと思っています。私たちの食生活は、極めて劣悪な状態に慣らされてしまっているのです。これだけ酷いものを毎日体に取り込んでいれば、病気にならない方が不思議でしょう。高齢化社会と言いますが、結果として、病人だらけの長寿社会が生まれています。

私たちの仕事は、有機無農薬野菜を生産し、必要とする方々に届けることですが、お客様がどのような気持ちや理由で有機野菜を必要としているかを知るためには、私たちもそのような食生活をし、それがどれだけ人生を豊かにするか、われわれ自身が実感する必要があるのではないでしょうか。

とても重要なことですが、質の良い食品は、質の良い調味料、質の良い油、質の良いだし・・・すなわち、たった一つでも劣悪な食材が混じると、農家が手塩にかけて野菜を育てた努力、流通する者の努力、料理人の努力も含め、それまでの一切が無意味になるのです。折角、最高品質の有機野菜を生産しても、劣悪な食材で調理すれば、有機農家の苦労は報われません。

以下は、私のパートナーが、添加物や劣悪な食品事情についてまとめたものです。これは、決して誇張ではなく、世の中のごく一般的な現実なのです。

*   *   *   *   *   *   *

40代になってから心身を酷使していることに気付き始めていた
3年前のこと。
有名老舗店○○○のパンを食べ、気を失って倒れてしまうほどの激しい食中毒に
なってしまいました。全身が赤く腫れ上がり「いぼガエル」状態でお医者様の所に
行くと、原因は材料の古さなどであたったのではなく、化学合成添加物による
食中毒だということがわかりました。
そのことをきっかけとして、人が普通に年間五キロ、一日にして20グラムもの
化学合成添加物を食べ物から摂取していることなどを知り、私達が日頃、口から
食べているもの、皮膚から入ってくるもの、鼻から吸いこんでいるもののことについて、
猛烈に勉強し始めました。

またその頃、お風呂をおそうじする時の洗剤で手指が荒れてしまったことを
きっかけに、食器洗い洗剤や、シャンプー、リンス、ボディシャンプー、化粧品などで
肌がかぶれ、荒れ始め、指紋も無くなってしまうほどになってしまいました。
もうしつこく痒いの痛いのなんのって! お肌もぼろぼろになってしまいました。
それが石鹸成分を液体化するための合成界面活性剤の恐ろしさだということも
わかりました。

〈食品事情〉

世の中は大変便利になりました。
何時でもすぐに食べられるコンビニのお弁当、いつまでも腐らないスーパーの
お惣菜、まっすぐのきゅうり、スナック菓子、ファーストフード、
何年でも常温でいたまない化粧品、苺が一切入っていない苺味のお菓子…
もうキリがありません。
流通にのせるためには、たくさんの人の嗜好に合わせるためには、
お弁当やファーストフードなどに保存料や着色料などの化学合成添加物を
50種類も入れなければならなくなりました。
また、その添加物入りの残り物の残飯を餌として与えられている牛や豚や鶏が
また私達の口に入ってくるという仕組みも出来上がりました。
コンビニのおにぎりの味と、おかあさんが握ってくれたおにぎりの味は
全く違うのも当然です。
私達は、合理性・利便性を追求するあまり、自分達の身体を
破壊してしまっているといっても過言ではありません。

そういうことにだんだん気づき始めた人たちが、少しお値段が高くとも、
オーガニック、無添加調味料、無農薬野菜や無農薬米を取り入れようという
風潮にようやくなってきました。

〈洗剤・シャンプー・リンス〉

でも、口から入ってくるものについては気をつけている人でも、
見落とされがちなのが、皮膚から入ってくるものについては、味もしないためか
ノーマークの人が多いのです。
さっきの私の経験のように、皮膚から化学合成界面活性剤などを取り入れて
しまうことを、「経皮毒」というのですが、頭痛や肩こりなどを引き起こしたり、
肌がボロボロに荒れたり、かぶれたりとひどい症状を引き起こします。
特にお風呂で使うものについては、全身から入り込んでくるため最も恐いのです。
ボディーシャンプー・シャンプー・リンス・入浴剤の裏の表示をご覧になれば
おわかりかと思うのですが、ラウレル硫酸ナトリウムなどの化学合成界面活性剤が
使われています。

例えば、シャンプーがどうなっているかといえば、髪の毛についている埃や、
汚れなどを洗い落とすとともに、髪の毛の栄養分やキューティクルなどの
よい成分も一緒にごっそりとこそぎ落としてしまうわけです。
しかも、シャンプーというのは髪の毛を洗う成分なため、
頭皮は洗うことができず、時間が経つと、髪の毛はいい香りがしていても、
頭皮はなんだか油汗臭い、なんてことになり、頭皮の毛穴には化学成分が溜まり、
汚れはどんどん溜まっていく状態です。
そして、シャンプーでごっそり洗い落とした髪の毛の上に、リンスや
コンディショナーといった化学成分をコテコテと貼り付け、なんとなく
しなやかにふわふわした状態に仕立て上げるわけです。
こういう化学製品を使い続けていると、髪の毛はどんどん細く、
コシがなくなり、無防備で痛みやすくなります。

これを解決するには、純石鹸成分で洗うしかないのです。
ところが今まで売られていたそういう純石鹸成分のシャンプーは泡立ちも悪く
使いにくいものばかりで、私も最初はずいぶん閉口したものです。
そしてとうとう巡り合ったのが、今でこそ普通に使われていますが、
アメリカのセレブ達が火付け役になった、ドクター・ブロナーが
開発した「オーガニック・マジックソープ」なんです。
これはボディーシャンプーとしても、シャンプーとしても、クレンジング、
歯磨き、洗剤、ペットにも使えます。
私は、「回復」と「浄化」は同じことだと考えていますが、
このシャンプーを使った時はまさにそれを実感しました。
洗った後もしっとり潤っているからです。
当然髪の毛と頭皮を同時にも洗えるため、頭皮の臭いもしなくなりました。
どころか、タバコなどの臭い髪につかなくなったほどです。

ブロナーは今9種類のフレーバーが発売されていますが、私もシトラスが
一番好きで、周囲でも一番人気です。
髪の毛は絶対これで洗ってくださいね。樋口のように濃くなること間違い
ありません。頭皮にはかなり化学性の界面活性剤がたまっているはずですから。
こういう添加物を肌から取ることを「経皮毒」といって、
脂肪分に溜まりやすいため(頭だとつまり脳ですよね)アルツハイマーなどの
要因になっているとされています。
私もシャンプーをこれにしてから様々なトラブルが解消され、20年以上パーマを
かけ続けていますが、痛みは全くありませんし、さらさらふわふわのままなんですよ~。
ドクターブロナーの価格は正価は950MLの大が3990円ですが、ネットだと
だいたい安くて2500円ぐらいになっているようです。

シャンプーのあとはそのままでもよいのですが、
石鹸成分は髪の毛をアルカリ性にするので、中和するために酸性リンスをします。
私の哲学は、お肌に使うものも、口から入れられるようなもので作る、
ですので、ヨーグルト、クエン酸、といろいろ試してみました。
一番素晴らしかったのが、前田京子さんも本で書かれていますが、
お酢のリンスです。「お酢~?!」とギョッとされたと思うのですが、
匂いは消えますのでご安心ください。

私の場合は、純穀物酢800ccに好きな乾燥ハーブ(ラベンダーやバラ
やカモミールなど)を2週間漬け込み、ハーブを取り出し、植物性グリセリンを
20cc入れ、ピュアエッセンシャルオイル(ラベンダーやローズなど)を40滴入れ
混ぜたものを、シャンプーした後、洗面器8分目のお湯に100cc入れ混ぜてリンスします。

ハーブを漬け込んだりが面倒な場合やお急ぎの時は、
りんご酢やきいちご酢(ただし食塩やアルコールなど一切入っていない
ピュアなもの)に先ほどと同じように、植物性グリセリンを20cc入、
ピュアエッセンシャルオイル(ラベンダーやローズなど)を40滴入れて混ぜます。

洗面器いっぱいのお湯に
お酢リンス原液を100CCを混ぜたものを、ブロナーでシャンプーした後の髪に
浸したりかけたりして中和し、その後お湯で2度ほど洗い流します。
この方法だと頭皮の地肌に詰まっていた添加物の汚れや髪の毛もきれいに
洗うことができ、頭皮の汗くさい匂いなど全くなくなり、天使の輪が蘇ります。
匂いが強かったようなので今日試行錯誤していたら、
ベルガモットとパルマローザのエッセンシャルオイルのミックスで作ると
お酢の匂いがかなりしなくなりましたので一度試してみてください。

リンス直後はバリバリしていて、タオルドライする頃もまだゴワっと
していますが、時間が経つにつれ、中和されふんわりしなやかになってきます。
15年通っている私の美容師さんがびっくりしたほど、コシがしっかりし、
つやつやになり、フケもカユミも全くなくなり、髪の毛が健康そのものになりました。
そして、今まで傷め続けていたのに、新しいサイクルで回復してくれた
自分の髪に心から感謝を捧げました。
本当に本当にお薦めします。どうか一日も早く化学製品で傷め続けるのは
おやめください。

お酢のリンスは、乾かしてしまうとお酢の匂いは消えてしまって
ハーブの香りだけが残るとはいえ、最初はみなさん使用時の匂いが気になるようです。
クエン酸のリンスはそういう方のためにレシピを考えられたものです。
アメリカのオーガニックシャンプーのさきがけで有名な美容室の
「ジョンマスターズオーガニックシャンプー」など各オーガニックメーカーは
市販するとなるとリンスの方に苦心したそうで
(お酢だと匂いに抵抗がある人が多いため)、樋口も自分のホテルに
ドクターブロナーをアメニティグッズとしてバスルームなどに置くのはいいが、
はてリンスはどうしようとなった経緯もあります。
そこで匂いのしないクエン酸となったのですが、やはりお酢と比べると
中和力が弱く、結局はクエン酸という少し化学的なものになってしまうのです。
慣れることができないようであればクエン酸でもよいと思いますが、
私はあくまでもお酢の方をお勧めします。
ただ、こういうのって楽しくないと続かないものなので、
あくまでもお好きな方法でおためしくださいね。

前田京子さんの著書『お風呂の愉しみ』(1999年11月、飛鳥新社)や
小幡有樹子さんの著書『キッチンで作る自然化粧品』(2001年4月、ブロンズ新社)
などはとってもお勧めですので是非参考になさってみてください。

〈歯磨き・入浴剤〉

余談ですが、歯磨きやデンタルリンスも化学合成界面活性剤が
入っていますのでご注意ください。少量ずつでも毎日確実に口から
取り入れてしまっていますので。
「オーロメア」などの純天然製品がおすすめです。
入浴剤や化粧品なども、お台所にあるお塩やオリーブオイルやハーブやハチミツ
果物などを是非お使いくださいね。
人も自然の一部なのですから。

〈スキンケア〉

顔を洗顔した後のお勧めは東大病院の先生に教えていただいた
「お塩パック」が効きます! 樋口はこれを全身に使いアトピーも
治ってしまいました。ちょっとした肌荒れも全て治りますよ~。私はもう20年も
愛用しています。作り方は、

海水塩(泡瀬の塩など)300グラム
エクストラバージンオリーブオイル(食用)大さじ1
卵白 2個分

この3つをフードプロセッサーで1分間攪拌しタッパーに入れお風呂に常備します。
真夏でも腐りません。これを顔を洗った後に、こぶしに軽く1ぱい取り、顔に
塗りこみ洗い流すだけで、すべすべになります。

ブロナーは原液で使うとお化粧落としのクレンジングになります。

化粧水はこれも大学の先生が処方して一大ブームになった「美肌水」が一番の
お勧めです。保湿作用のある尿素水溶液に、これも古来から保湿効果
が知られているグリセリンを溶かしただけの極めて単純な液です。作り方は、

肥料用尿素50グラム
グリセリン小さじ1
水道水200ml

ペットボトルなどの空き容器を利用して、尿素を水道水に溶かし、
グリセリンを加えるだけで「美肌水」の原液が完成します。

美肌水原液の尿素濃度は20%は高めに設定されているため、
使う部位ごとに水道水で薄めて使います

原液:    手のひら、かかとなど、角質が厚い部分しっしんなど、皮膚に傷がある場合は、刺激がない濃度まで薄めて使います
2倍:    ひじ、ひざ頭
5倍:    顔以外の、角質が厚くない部分
10倍:    顔 濃度が薄くなると、グリセリンも薄くなるため、しっとり感が必要な場合は適宜グリセリンを追加します

以上は標準で、各自の肌に合わせて最適な濃度を見つけて下さい。以上今井龍弥著『3日で効く美肌スキンケア』(2003年5月、マキノ出版)を参照しています。

クリームはなんといっても「エジプシャンマジッククリーム」です!
これもブロナーと同じく、マドンナなどオーガニック命のアメリカのセレブが
使って話題になり、エミー賞の引き出物にまでなりました。
全て天然の素材でできているクリームで食べても問題ありません。
顔から身体全てに使え、用途も肌荒れからリップクリーム、虫さされなど
何十種類にものぼります。正価は1個10500円ですが、毎日たっぷり使って1年でも
使いきれません。5000円くらいで手に入りますしとってもお得なんですよ。

*   *   *   *   *   *   *

〈食材など〉

さて、以下は自然派生活を試してみたい方に、ぜひおすすめしたい食材などのリストです。

醤油: 裏の成分表示を見て、大豆、小麦、塩、以外のもの(例えば醸造アルコール、アミノ酸、タンパク加水分解物など)が混入されているモノは避けてください。有機大豆、有機小麦などを利用した「有機しょうゆ」をお勧めします。注意が必要なのは、折角「有機」の表示があっても、アルコールなどを混入しているものがあります。

塩: それほど高価なモノを利用する必要はありませんが、「食塩」ではなく、海水から作られたモノが好ましいと思います。私は、伊平屋島の塩を愛用しています。

砂糖: 「白糖」は精製過程でミネラル分を全て飛ばしてしまい、甘さだけを残したモノです。「工業的」というか「攻撃的」な甘さで、料理が乱暴になる気がします。沖縄産の有機砂糖は市販されているものはありませんが、そのかわり、茶色い「粗糖」が、砂糖の香りが残っており、味も優しく、おすすめです。私は料理に砂糖を使うときには「粗糖」だけをつかっており、とてもいい感じです。香ばしい茶色い砂糖で、裏の成分表示に「粗糖」と表記されているものです。スーパーには「三温糖」という茶色い砂糖が売っていますが、これの茶色は加熱によるもので、白糖とあまり変わらないモノです。

油: 非常に重要な食材です。サラダ油はネーミングは美しく、安くて便利なようですが、その実体は質が劣悪で工業的に合成されているモノが多く、到底お勧めできません。油は質の低いモノを利用すると、酸化しやすく、体に非常に毒であるだけでなく、料理全体が台無しになってしまいます。オリーブオイルは、「エキストラ・バージン」のできればオーガニック(有機)表示のあるもの、そのなかでもラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイルは最高峰だと思います。ごま油はマルホンの太香ごま油が古くから有名でおすすめです、揚げ物はムソーの純正なたね油(一番搾り)、またはオーサワの一番搾り菜種油が一番良いようです。

カレールー: カレールーは添加物の固まりと言って良いくらいで、食材として余りおすすめできません。スパイスをブレンドしたり、カレー粉を買って来て自前で作ることが好ましいのですが、それが手間であれば、泣く泣く添加物の少ない高級品を選んでください。

ケチャップ: デルモンテ有機トマトケチャップを利用することが多いです。サンエーやコープの大型店には有機食材コーナーが設置されていることが一般的で、比較的容易に入手可能です。

マヨネーズ: 有精卵から作った自然系の無添加有精卵マヨネーズなどが大手スーパーなどで販売されています。(沖縄の大手スーパーでは、サンエーの大店/久茂地とおもろまちのリウボウ、生協の大店、イオンライカムなど自然派の商品・食材を取り揃えている印象があります。)低カロリーを謳ったものが売れ筋のようですが、カロリーを下げるために、味付けなどに余計な添加物が入れられていることがあり、お勧めできません。

ソース: 沖縄定番のA-1ソースは、残念ながらお勧めできません(添加物)。有機トンカツソースなどが大手スーパーなどで販売されています。ウスターソースは創健社の製品が無添加です。

粉末だし: 本当はだしをとることに勝るものはありませんが、それが難しければ、無添加のものが大手スーパーなどで販売されています。

香辛料: 最近は大手スーパーなどで、有機粗挽きこしょう、有機唐辛子など、有機無農薬のスパイスが入手しやすくなりました。香辛料やハーブは特に有機無農薬が生きると思います。同様に、にんにく、しょうが、わさびなど香味もの野菜は、どんなに価格差があっても国産有機無農薬をお勧めします。料理全体の味と深みがぐっと高まります。

野菜: 野菜は常に、国産有機無農薬野菜をお勧めします。特に、きゃべつなどの葉もの、きゅうりなどは大量に農薬をかけて育てられていることが一般的です。

ビール: 麦とホップだけで作られているもの。国産の方がやはり鮮度が良く、おいしいと思います。やはり、ヱビスかサントリーのプレミアムモルツではないでしょうか。発泡酒やノンアルコールは避けてください。沖縄が誇るオリオンビールは、原材料費を下げるためにコーンスターチが使われています。コーンスターチはトウモロコシから作られますが、その殆どはアメリカ産であり、アメリカ産のトウモロコシの大半は、遺伝子組み換えの農作物であり、したがって、オリオンビールにそのような材料が混入している可能性が高いという事実があります。

肉: 豚肉は抗生物質・殺菌剤・ワクチン・ホルモン剤・駆虫剤などを一切使わずに育てられた藤井ファームのあんしん豚、鶏は完全無投薬で育てられた秋川牧園の若鶏など。牛肉は宮﨑産の無投薬尾崎牛が最高においしいと思います。高価なので細切れを中心に購入しています。メニューによってはタスマニアビーフを使い分けることが多いです。ミンチ肉が必要な場合は、こま切れ、もも肉などを自分でフードプロセッサーでひいて利用することも良いです。

世の中の食品事情、すなわち皆さんが普段食しているモノの実体を理解するためにぜひお読み頂きたいのが、安部司著『食品の裏側』(2005年10月、東洋経済新報社)です。5年ほど前に沖縄で、安部さんが食品事情について講演されたのですが、私は講演会場でこの書籍を購入し、直ぐに一気に読みました。安部さんはもと添加物メーカーのトップセールスでしたが、ある日自分が販売しているモノが社会にもたらすことの意味に気がつき、その問題を啓発していらっしゃる方です。

最近は自然な食材を仕入れるには、インターネットほど役に立つモノはありません。お薦めのサイトはなんといってもビオマルシェ!数あるネットショップの中でも特に質が高く私もとても重宝しています。ぜひのぞいてみてください。

【2011.7.18 樋口 耕太郎】

「世界を豊かにするのは、大量生産ではなくて、大衆による生産である」
マハトマ・ガンジー

資本主義以前の日本では、農業が地政学、政治・経済学、社会学的に極めて大きな影響を有していたため、当時の経済学者でも、政治家でも、事業家でも、農業という産業の現場と本質と性質を良く理解していました。日本の代表的な度量衡の各単位がお米を基準に発展してきたことはとても象徴的です。

度量衡
面積の単位である1反(≒10アール)=300坪は、(太閤検地の時代の農業生産水準で)大人一人の1年分の食糧、すなわち1石を生産する田んぼに相当する面積です。1石は、一人1食1合(180cc)のお米を食するとして、1日3食×365日=1,095合≒1,000合(=100升=10斗=1石)=180リットル=2.5俵≒150kg、のお米の生産量を示します。幕末のインフレ期までは、1石のお米がおよそ1両で取引されていましたので、江戸時代の通貨は「お米本位制度」であるとも言え、お米が通貨として通用していたことは自然なことだったのでしょう。ちなみに、1升瓶は1.8リットル、1斗樽は18リットル、1俵は4斗、10反=3,000坪=1町(≒1ヘクタール)です。現在の農業技術では、1反あたり8~10俵、すなわち、1俵=60kgとして、480kg~600kgのお米を収穫することが標準的に可能ですので、16世紀の安土桃山時代から400年かけて、単位あたりの農業(お米)生産は約3~4倍になったと推測できます。

度量衡に示されているように、米俵2.5俵が一人1年分の食糧だとすると、私の出身地岩手県南部藩10万石(後に20万石)は、毎年25万俵のお米を収穫し、10万人の人口を養うことができる行政単位ということになります。石高数は人口の単位であると同時に、大名が養える家来の人数(家族を含む)すなわち軍事力の単位でもありました。現代の日本でも100万人都市は大都会ですが、幕末日本の人口が3,000万人といわれる中、江戸幕府時代の外様大名最大の加賀(金沢)100万石、第二位の薩摩90万石、あるいは豊臣家の5大老時代にピークを迎えた会津上杉家の120万石がいかに大きな藩であったかが想像できます。このように、資本主義以前の日本社会は、稲作農業を社会の基本として、政治、経済、金融、軍事、社会の一切が一体となっていました。江戸時代の「士農工商」とは、単なる身分制度ではなく、農業および自然の生態系と一体化した日本社会構造の根源的な理念でもあったと思います*(1)

「農業」の生産性
日本の農村が機械・農薬・化学肥料で「近代化」する前、1960年頃までの農業は、生態系とバランスの取れた循環的な農業が中心でした。当時の栽培方式では、ひとりが1反耕作するために要していた時間は173時間*(2)。 年間1,000時間労働を前提とすると、単純計算では6反弱が耕作可能ということになりますが、機械や薬品を使わない生身の労働であることを勘案すると、現実には3反~5反程度が限度でしょうか。1食1合、1日3食、1年365日に食するお米を約1,000合とすると、1反あたり7俵(≒2,800合)のお米が生産されれば2.8人分の食糧になり、4反では11.2人を養うことができます。すなわち、大型機械・大量の農薬・化学肥料へ依存せず、食糧輸入もそれ程なされていなかったこの時代、大掴みに、4反耕作する農家の働き手一人で11人強の人口を支える姿が、持続的な社会の生産・消費バランスでした*(3)。・・・仮に、太陽エネルギーを食物に転換する産業を「農業」と呼ぶ場合、これが恐らく「農業」の生産性によって立つ社会構造の基本イメージであるともいえるでしょう。

「食糧生産業」
1960年以降、日本は高度経済成長期に向かい、当時の豊富な農村の労働力を、第二次・第三次産業へ充当する必要が生じます。そのために、石油エネルギーを大量に消費することによって、・・・すなわち、農業を機械化・化学化・工業化することで・・・ 農民の労働時間を短縮し、一人あたり耕作面積を飛躍的に高め、少数の農民が大量生産を行う「近代的」な農業へと変化してきた訳です。大型機械・農薬・化学肥料に依拠した現代の慣行農業(稲作)は、一人が1反耕作するための年間労働時間が、2000年には僅か34時間*(2) にまで短縮、1960年の水準と比較すると5分の1の労働時間、可能耕作面積は5倍になりました。上記と同様に年間1,000時間労働を前提とすると、おおよそ30反(3ha)耕作できる計算です。1反あたり収量を9俵(≒3,600合)とすると3.6人の人口が養えます。すなわち、一人が30反(3ヘクタール)を耕作できる慣行稲作では、単純計算で農家一人あたり108人の人口を支えることが可能で、現代社会の就農人口も大掴みにそのような比率になっています*(3)。以後、日本の農業は石油(とそれを購入するための外貨)なしには成立たなくなり、太陽エネルギーを食物に転換する「農業」は、石油エネルギーを食物に転換する、いわば「食糧生産業」へと急速に変質して行きますが、その見返りとして飛躍的な「生産性」を手にしました。1961年に成立した農業基本法で意図された通り、これによって農村で不要になった次男・三男以下の労働人口が大量に都市部へ移住 し、日本の高度成長を支え、都市集中が進み、現代社会の基本構造が作られました。

資本主義の「発展」と歩みを共にした、「農業の工業化」の本質は、自然と社会の中でバランスしていた日本の農業を、生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業だったといえるでしょう。農業は自然の生態系のみならず、その他の社会から切り離され*(4)、国民の殆どにとって社会における農業の意味を知る必要性が消滅してしまいました。現代社会では、農業がどのような産業であり、どのような性質を持つものかをそれ程理解しなくとも、農業従事者または直接の関係者でない限り生活に支障が生じる人は殆どいないと思います。

ここでどうしても気になる問題は、石油エネルギーに依拠し、薬品付けで、環境を痛め続けている現代の工業的な慣行農業が持続可能かどうか、そしてその農業生産方式に完全に依拠している我々の社会に死角はないのかという点です。あくまで仮定の話ですが、サブプライムの次の“Black Swan”が、現在の農業生産方式に持続性がないことであったとしたら、そして、その限界がそれ程遠くではないとしたら、あるいは、例えば、遠からず世界の基軸通貨であるドルの価値が大きく崩れること、などをきっかけとして、食糧自給を前提とした地域ブロック経済が世界中で著しく重要性を高めるとしたら・・・。我々にとって、農業と農業生産の本質、そしてその性質が社会に与える影響を深く理解する必要が急速に生じることにはならないでしょうか。そのような社会環境の変化が生じた場合、・・・沖縄で言えば、沖縄振興特別措置法、本土からの補助金、基地問題、本土観光客を中心とした観光収入・・・など、現在多くの人が熱中している議論の大半は殆ど意味を失い、食糧や物資などの基本的な資源を確保することが何よりも重要にならないでしょうか。現代農業の生産方式を支える社会・経済の前提が大きく変化すれば、1960年以降加速してきた、上記のような「農業の工業化」のプロセスが「逆転」せざるを得ません。現在の農業生産量を維持するためには、これも単純計算で、農民一人に対して10人の援農者が必要となり、必然的に第二次、第三次産業から労働力が提供される以外の選択肢は存在せず、・・・すなわち、農業とその他の産業が今までとは異なった価値観で「融合」するという社会変容が、急激に生じるかも知れません。

キューバ!
・・・こんなシナリオは到底ありえないことだと感じられるかも知れませんが、似た事例は歴史に溢れています。例えば、誰が1989年のベルリンの壁、そしてソ連崩壊を想像したでしょうか。あたかも、現在の沖縄が日本財政の健全さを信じているほどの感覚で、或いは日本経済が、グローバル金融経済の継続を前提としている感覚で、当時の世界中の社会主義国はソ連の存続と発展を信じていたに違いありません。沖縄と地政学的にも、風土的にも、経済的にも類似点の多いキューバは、1980年代まではそのような典型的な国家のひとつでした。理想国家建設を目指す清廉な指導者と役人からなる革命政府(キューバの刑法では、同じ犯罪を犯しても、役人などの公僕には2倍の罪が課せられるそうです)。保育園から大学までの無料の教育、虫歯の治療から心臓移植まで一銭もかからない福祉制度。カストロは発展途上国の中では飛びぬけた高度福祉国家、平等社会を築き上げたといえるでしょう。

しかしながら、当時のキューバ経済の実態は自立からは程遠く、アメリカの喉元に存在するという、冷戦時代の地政学的優位性を梃子に、共産圏と極めて有利な貿易関係を取り結び、莫大な海外援助を受け続けることができたという裏事情があります(沖縄とよく似ていませんか?)。ソ連は政治的な思惑もあってキューバ産の砂糖を世界価格の5倍以上の価格で購入し、石油も廉価で提供し続けました。外貨獲得用に再輸出できたほどの優遇価格です。キューバはどの発展途上国と比べても格段に有利な貿易協定が結ばれていたため、石鹸、トイレットペーパーといった日常生活物資から、石油、農業機械、自動車、テレビなどの電化製品に至るまで殆ど全てを海外から輸入していました。そしてその輸入元の84%はソ連でした。木材98%、各種原材料86%、機械類80%、化学製品57%、食糧も総カロリーベースで57%(自給率43%)、脂肪・タンパクでは80%以上、豆類99%、食用油・ラード94%、穀類79%を海外(主にソ連)に頼っていました。「物資に不足があれば、ソ連に電報を一本打ちさえすれば、問題は直ぐに解決した」という状態であったようです。

キューバは基本的に農業国なのですが、社会主義経済圏で砂糖やタバコなどの換金作物を生産する役割を果すために、輸出向けの、まるでプランテーションのような単一栽培・大規模農園形態を採用していました。国営農場の平均規模は、畜産25,000ヘクタール、サトウキビ13,000ヘクタール、柑橘類10,000ヘクタール、一般作物4,000ヘクタールというように、日本はもちろん、世界的にも想像を絶する規模で運用されていました。資本主義圏と比較しても当時の世界の先端を行くこれほどの大規模農業は、大型機械と大量の化学肥料・農薬なしには成立ちません。しかしながら、この「近代農業」を支える農業資材もことごとく輸入に頼っていました。農薬98%、化学肥料94%、家畜飼料97%をはじめ、種子からトラクターとその燃料に至るまでソ連圏が供給していました。産出された農産物の大半を受け入れていたのもやはり社会主義圏で、コントロールされた価格で大量の「出口」が保証されていたのです。1989年には牧草地を除く農地の60%にサトウキビが作付けされ、砂糖とその加工品が外貨収入の75%を占めていました。

キューバの指導者の凄いところは、これだけの富を目の前にしながら、私利私欲に依って生きなかったところで、以上のような経済的な繁栄を享受しながら、その利益を平等に遍く国民に還元し、格差を作らなかったことでしょう。食糧、衣料、生活必需品は誰もが常に廉価で入手でき、教育も医療も世界的に高度でありながら基本的に無料でした。国際的に貢献する強い意識を持つリーダーシップによって、人口1,100万人に過ぎないキューバは国際舞台でも世界的に活躍します。一流の医療制度を運営し、常時2,000人もの医師がアフリカを初めとする国々で活動し、一時期はキューバ一国でWHOを上回る数の技術者や医師を派遣していました。

そのキューバが! 1989年のベルリンの壁、次いでソ連の崩壊を経験することになります*(5)。輸入額は80%減少し、農業生産を支えていた農薬や化学肥料の生産資材が失われたことで砂糖生産が激減し、その輸出量が80%以上下落したうえに、ソ連の買い支えを失った砂糖価格は暴落し、外貨獲得の75%をサトウキビの輸出に頼ってきたキューバは、外貨を全く獲得することができなくなります。国内経済は1991年に25%、1992年に14%低下、1989年をピークに、1993年までにGDPは実に48%縮小し、僅か3年足らずのうちに経済規模が半分になります(現実の実体経済の落ち込みは60%以上だったのではないかという推定もあります)。外貨不足でエネルギーが輸入できなくなり、動力不足で80%の工場が閉鎖され、失業率は40%に及びました。1日の半分以上は停電していました。しかし、それにも増して最も深刻だったのが食糧不足で、1991年の必要量に対して、米はゼロ、豆は50%、植物油は16%、ラード7%、コンデンスミルク11%、バター47%、缶詰肉18%、粉ミルク22%しか確保できない状態でした。食糧輸入が半減したと同時に、食糧生産に欠かせない農薬、化学肥料、トラクター燃料などの生産資材の大半を失ったため、あれほど近代的かつ大規模な既存農地が全く機能せず、1994年までに農業生産は45%落ち込みます。冷蔵貯蔵、配送などの流通システムもその殆どを石油に依存していたため、人口の80%が居住していた都市部では交通輸送手段が麻痺し、都市へ食糧を輸送したくてもその手段がなくなります。農村でいくらか残っていた収穫物も、消費者に届く前に畑で腐ったのです。国民のカロリー摂取量は40%落ち込み、国民全体の平均で9キロ体重が減少し、深刻な医療、健康、衛生上の問題が蔓延します。

次世代社会の青写真
・・・以上は、これからの社会がこうなると占っているわけでも、この予測が正しいとも、まして日本がキューバになるという意味でもありません。私が個人的に、このような社会の変化を将来の変数の一つとして捉えているということに過ぎません。この予想が実現するかどうかということもさることながら、より重要な点は、このような社会変動が仮に生じた場合、我々に何ができるかということでしょう。その実現性は別にして、少なくとも我々の社会は、外貨または石油エネルギーがなければ、食糧の60%(輸入分)と、農業生産の90%を失う可能性があるということです。この事態においては、農業の労働力が恐らく90%不足するため、その他の産業から充当しなければなりません。・・・なにも手を打たなければ、例えば工場や会社を閉鎖して労働者が農業をする必要が生じ、労働力の大半が農業に従事するそれこそ現在のキューバのような農業国になり、やがて超低物価社会として安定するでしょう。しかし、この場合、内向きの生活は「豊かさ」を回復するかも知れませんが、国内労働で貯めたお金で海外旅行、などということは夢のまた夢となり、現代の国際社会からは完全に切り離されることになります。これを防ぐためのひとつの選択肢は、①第二次・第三次産業の生産性を飛躍的に高め、②その剰余利益を、特に「時間的な」労働分配に充当し、③第二次産業・第三次産業に従事しながら、負担と抵抗なく援農ができる労働環境を生み出し、④その剰余利益を配当として収奪しない、新たな価値観を持つ資本が整備されること、となるでしょう。結果として、次世代社会に生じるかも知れない農業生産の質的変容は、我々の社会において根源的なパラダイムシフト*(6) を要求する可能性があるのです。

【2010.1.25 樋口耕太郎】

*(1) 「士農工商」は江戸時代の身分制度として知られていますが、この制度の本質は、人間と社会と自然を持続的にバランスするための社会設計にあったのではないかと思うときがあります。お金を追わずに道と倫理の精神によって社会の舵取りを行う武士、持続可能な農業を支える農民、ものづくりの職人、流通と金融を司る商人。これは私の仮説に過ぎませんが、江戸時代が長期間に亘って社会を安定的に維持することができたのは、自然の生態系と人間社会を一致させる構造(すなわち「士農工商」)にあったのではないかと思います。これに対して、現代社会は、金融-製造業-農業-倫理、の順に優先されているように見えます。我々が100年近く追求してきた資本主義社会は、ちょうど「士農工商」と反対の社会的価値観によって運営されているように思えるのは、私だけでしょうか。

*(2) 大野和興著『日本の農業を考える』2004年、岩波ジュニア新書49p。

*(3) 日本の農業就業人口は、1960年の1,312万人(対人口比で30%)から2000年に299万人(同じく5%)に激減しています。農林水産省の定義では、農業就業人口とは農業に従事した「世帯員」の数を言いますので、実際の耕作者(お父さん?)と非生産者の比率は、ここでの計算、それぞれ1:11、1:108におおよそ一致すると考えて差し支えないと思います。

*(4) 「農業の工業化」の本質は、自然の中でバランスしていた日本の農業を生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業であり、①自然の生態系、土壌の豊かさ、農産物の安全とおいしさを経済的な生産性と引き換え、②日本の農業の経済生産性の飛躍的な向上から生まれる富を、重化学工業を中心とする国内の経済成長と、食糧輸入を通じて海外生産者と穀物メジャーに移転する、という二つの重大な効果を生み出すことになります。単純に表現すると、世界的にも稀な豊かさを持つ日本の農業資源を、重化学工業とアメリカに移転する壮大な構造変革が農業基本法の本質だったのだと思います。

*(5) 舵取りを誤れば大量の餓死者を出しかねない危機的状況の中で、ハバナ市民が選択したのは、「首都を耕す」という非常手段でした。そして飢死者も出さずにハバナは完全有機での野菜自給を達成しました。なぜ、わずか10年という短期間でこれほどの変革を成し遂げることができたのか。 続きはぜひ、吉田太郎著『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』-都市農業大国キューバ・リポート-などを参照下さい。本稿のキューバに関するデータは本書を参照しています。吉田太郎さんのその他の著作も魅力的なものが多くお勧めです。キューバにとってのソ連は、沖縄にとっての日本の姿に重なりますが、同時に、日本にとってのアメリカという二重構造になっています。過去60年以上に亘ってアメリカが牽引してきたドルを基軸通貨とするグローバル経済の傘が仮に消失した場合、我々の社会に、世界経済に、一体何が起こり得るのか、そして、沖縄と日本の将来の舵取りに関して有意義なインスピレーションを得ることができるのではないかと思います。

*(6) 仮に、このような社会の構造変化が生じた場合、社会における、生産性労働金融の3つ分野にパラダイムシフトが生じる可能性があります。そのイメージを掴むことが次世代社会を描き、有益な戦略を構築するための合理的なプロセスになるかも知れません。その詳細は本稿の範囲を超えますので、別の稿にてまとめたいと思います。

「問題は、その問題を生み出した考え方と同じ考え方をしているうちは解けない」
アルバート・アインシュタイン

本稿は、日本の農業に関して、「I. 問題の本質」を特定し、その問題を「II. 治癒」するためのプランを明らかにします。現代の農業問題を混乱させている最大の原因は、その根源的な原因が特定されていないこと、そして、その根源的な問題を治癒するための具体的かつ実行可能な計画が存在しないこと、であり、この二点を明らかにすることこそが問題解決であるためです。

I. 問題の本質
根源的な原因を理解せずに行う「問題解決」は全て対症療法に過ぎず、長期的には病状を治癒するどころか却って悪化させることが珍しくありません。逆に、根源的な原因とは、「これが治癒されれば全体が健全さを取り戻す」、という波及効果の観点から特定されるべきであり、農業問題の本質は以下の二点に集約すると思います。

①  持続性がないこと
②  事業性がないこと

第一は、現在の農業生産方式は持続性がないこと*(1)、すなわち、過去60年間、農業が資本主義社会に組み込まれることによって実質的に工業化し、化学肥料、農薬、(遺伝子組み換え作物)、食糧の大量輸出入、家畜糞尿、などによって、土壌汚染、砂漠化、水質汚染を含む生態系のバランスが崩れ、農業が最大の環境問題のひとつとなりつつあること、そして、長期間に亘って食品の質が著しく低下し、栄養素を失った農薬漬けの作物を取り続けることによって、人間の生理的限界が近づいているように思えることです。平たく言えば、「農業がわれわれの環境と肉体を蝕んでいる」という問題です。第二は、農業が事業性を持たないこと、すなわち、一般的な農業は独立した事業として採算が取れず、国際競争力を失い、補助金や政治的な保護なしでは存続しえず、人財を引きつける魅力を失っていることです。これも平たく言えば、「農業が儲からない」という問題です。

しがって、農業の問題は、持続的な方式で生産される、質の高い農作物が、十分な収益を生み出すことで、その大半が解決します。持続的で環境に優しく、高品質で体に優れた農産物であっても、事業性がなければ社会に広まることはありませんし、事業性を優先した第一次産業の行き着く先は、環境破壊と疾病の蔓延であることは疑いがありません。重要な点は、農業問題の本質が第一次産業内部だけで生じたものではないため、従来の発想によって解決することが不可能だということです。具体的かつ実効性ある手順は、①上記の条件(バランス)を満たす社会のプロトタイプを実現し、②その収益性を梃子に、次第に社会全体へ広める、というプロセス以外にないと思われます。

「持続的な生産方式」、「高品質の農産物」、「事業性のある農業」、がバランスする社会は、環境問題、耕作放棄地の問題、後継者不足の問題、食糧自給率の問題を解消し、安全で栄養価の高い農産物を復活させ、そして、中長期的にはわれわれが健康になることによって、恐らく、花粉症やアレルギー、化学物質過敏症、生活習慣病の改善、ひいては社会全体の疾病率と医療費の削減、高齢者のライフスタイルと幸福度の向上に至るまで、広範囲な影響をもたらすでしょう。

II. 治癒
有機無農薬栽培*(2) は、ほんの数年前まで非現実的な理想論という見方が農業界の常識でしたが、現在では有機・特別栽培による野菜がプレミアムで取引され、インターネットを通じた直接販売はもちろん、スーパーなどの小売店舗でも当たり前のように販売されるようになりました。この急速な変化をもたらした理由のひとつは、有機無農薬栽培の事業採算が取れるようになったためであり、安全で質の良い農産物であれば、多少割高であっても消費者が積極的に選好するようになったこと、すなわち、「質の高い商品の単価が上昇したこと」によると思います。この現象は、「持続的な農業生産」、「高品質な農産物」、「農業の事業性」が農業問題の鍵であるという前項の仮説を裏付けています。逆に考えると、この業界においては、採算の取れない生産方式が「非常識」とされていた(る)に過ぎず、事業性を生み出すことで、農業の常識(パラダイム)が変化することはむしろ当然といえます。

しかしながら、有機無農薬栽培と云えども、持続的な農業生産とは言えない可能性があり(*(2)参照下さい)、本当の意味で「持続的な農業生産」、「高品質な農産物」を実現するためには、自然農*(3)による、という農業生産第二のパラダイムシフトが待たれるかも知れません。語弊を怖れずに大掴みに表現すると、(i)化学肥料と農薬を使う慣行栽培、(ii)有機無農薬栽培、(iii)自然栽培、の順に、生態系に近い自然な農業生産方式であり、持続性が高く、高品質な農産物を収穫する栽培方法と言えます。反面、(単位あたりの収量にはそれ程の差はないものの)自然な農業ほど労働集約的で、一人あたりの耕作可能面積が急速に減少するため、商業的に成立するためのハードルが高くなります。実際に、商業的に成り立っている自然農家は、現状では日本に数えるほどしか存在していません。

以上の裏返しは、自然栽培で高い事業性を生み出すことができれば、農業問題を完全に解決するためのプロトタイプが誕生することを意味します。そして、自然栽培が高収益事業として成り立つためには、次の四点を満たすことで足ります。第一に、農産物を可能な限り高い単価で売却できる「出口」が存在すること。イメージとしては慣行栽培の2~3倍の実質単価で取引される感覚です。重要な点は、単に割り増し価格で販売するのではなく、質の高い顧客層にアクセスし、付加価値の高い事業性を生み出す経営力によって、これを実現する必要があります。なお、実質単価を決定する要素は、売却価格だけではなく、流通や小売によるロス・廃棄の水準も重要です。例えば、3割ロスを減らすことができれば、単価を3割増にしたと同様の経済効果が生じるため、多少不揃いな生産物であっても柔軟に取引ができるというようなことが有効です。第二に、消費・販売に合わせて農業生産を管理するのではなく、自然な農業生産に合わせて消費・販売がなされること。すなわち、第三次産業に食材を提供する、という従来の関係から、自然な形の第一次産業を第三次産業が支える、という産業バランスへの変容を意味します。第三に、労働集約的な自然栽培に対して、特に農繁期には(例えば、隣接するリゾートホテルなどの第三次産業から)援農のための労働力が提供されること。そして、この点が恐らく最も重要なポイントとなりますが、その前提として、日常的な援農を可能にするために、第三次産業の経営・人事・労働の根源的なあり方そのものが、人間関係を中心とした柔軟なものへと見直されることです。第四に、このような労働力のやり取りを可能にするためには、高付加価値、高品質、高単価事業が実現し、第三次産業における労働の概念が大きく変わり、労働生産性が飛躍的に向上した状態で事業全体の採算を取るという、新たな(「非常識」な?)経営バランスを必要とします*(4)。・・・すなわち、農業問題の解決は、以上のバランスを理解した、第三次産業の経営者にかかっているとも言えるのです。

【2009.7.7 樋口耕太郎】

*(1) この分野について知れば知るほど、現代農業の現状に対して根源的な疑問を抱かざるを得ません。この議論は、20世紀の前半で既に解決済みと考えられていた農業生産の問題が、社会の大問題として再浮上するという大事件であり、石油化学と動力に依拠して世界の人口を支えている、工業的な大規模農業のあり方が根本的に見直される可能性を示唆します。現代の農業生産を持続的な産業に変化させるためには、農業分野だけの変革では到底不可能です。資本主義が長い年月をかけて作り上げてきた現在の産業社会は、工業的な農業生産を前提として構築されているため、農業問題に向き合う一連のプロセスは、社会全体の産業構造、企業と経営のあり方、労働のパターン、社会インフラ、都市構造など、人々の生活と社会の全てにおいて革命的な変化をもたらします。特に、自給率が先進国中最低水準、農薬消費量が世界的に高く、農産物の(すなわち、窒素と水の)最大輸入国である日本は、世界で一番始めに、かつ最も大きな衝撃を伴って向き合う必要が生じます。

先進国の食糧が農薬・化学肥料など、実質的に石油によって生産されるようになってから約60年。現代の子供たちは母子間の生体濃縮の第三世代にあたります。最近急増している、生まれながらのアトピー、花粉アレルギー、化学物質過敏症、若年化する認知証、増加する鬱などの原因は「不明」とされており、近い将来も原因が特定されることはないと思いますが、我々が近年急速に体を害していることの重要な一因が食事 ・・・すなわち、農産物の生産・流通・保存に際して利用される大量の農薬、化学物質で汚染されている有機肥料、土壌と作物の自然の力を弱める化学肥料に加え、食品の加工生産過程、流通過程で大量に混入される食品添加物の数・・・、にあると疑い始めている人は少なくないと思います。今後、生体濃縮の第四世代、第五世代と進むにつれて、食と健康の問題は深刻さを増すことは確実であるように思われます。近い将来、子供たちの、例えば10%が化学物質過敏症や重度アレルギー体質生まれてくるような社会現象などをきっかけとして、世界中の慣行農業(化学肥料や農薬を使う、現在一般的な農業)が大きく見直される可能性はないでしょうか。それともミツバチの大量失踪と大量死現象(蜂群崩壊症候群: Colony Collapse Disorder*)など、もっと早い「引き金」が我々の資本主義社会に向けて引かれるのでしょうか。もし、現実になった場合、我々は代替する社会を構築することができるのでしょうか。

*Colony Collapse Disorder: ローワン・ジェイコブセン著『ハチはなぜ大量死したのか』中里京子訳、2009年1月、文藝春秋 (原題: “Fruitless Fall: The Collapse of the Bee and the Coming Agriculture Crisis”)などを参照しています。地球上に存在する約25万種の植物のうち、75%は花粉媒介者の手を借りて繁殖を行っていますが、巣箱一箱分のミツバチが、一日に2,500万個の花を受粉させることができるような、セイヨウミツバチの働きはその中でも突出しています。この受粉効率の高さ故、アメリカの大半のミツバチは、トラックの荷台に乗せられて一年中全国を駆け巡り、商業農作物の花粉交配を行っています。現代農業は、このような商業的季節労働ミツバチに大きく依存しており、一つの蜂群が、カリフォルニアのアーモンド(二月)、ワシントンのりんご園(三月)、サウスダコタのひまわりと菜種(五月)、ペンシルバニアのかぼちゃ(七月)などを回る強行軍を繰り返しています。その他、ブルーベリー、さくらんぼ、メロン、コーヒー、牛の飼料となるクローバーとアルファルファ、きゅうり、ズッキーニ、スクワッシュなどのウリ科植物、カカオ、マンゴーを始めとするトロピカルフルーツ、なし、プラム、桃、かんきつ類、キウィ、マカダミアナッツ、アボガド、キャロットシード、オニオンシード、ブロッコリー、綿花など、私たちが口にする食物や商業的に利用する植物の、実に80%が多かれ少なかれミツバチなどの花粉媒介者の手助けを必要としています。

ここ数年世界の大問題になりつつある蜂群崩壊症候群(「CCD」)は、世界の農業生産の根源的な矛盾が暴力的に顕在化することの引き金かも知れません。2006年冬、全米のミツバチのコロニー240万群のうち80万群が崩壊し、30億匹が死んだと推定・報告されています。2007年カナダではオンタリオ州のミツバチの35%、欧州ではフランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、ドイツ、ポーランド、スイス、スウェーデン、ウクライナ、ロシアのミツバチの40%近くが死滅、南米は壊滅状態、タイと中国も大きな被害に見舞われています(同期間に世界の食糧価格は37%上昇しています)。

死んだ蜂を調べると、どの蜂もただ一つの病気ではなく、山のような病気を抱えていました。蜂の免疫系が崩壊し、あたかもエイズのようなものに侵されていたことを示しています。CCDの原因と病原体の正体はなお明らかではありませんが、当事者はその「原因は一つではない」という重大な事実に気が付きはじめています。すなわち、CCDは、大量の農薬散布、毒物遺伝子の組み込まれた食物、商業的な受粉作業、環境汚染など、商業化、工業化、化学化された現代農業の構造そのものが生み出した社会の「生活習慣病」であり、対症療法による治癒は不可能であり、農業のあり方そのものを再考し、社会と生態系の根源的なバランスを取り戻すことでしか解決できないように思われます。

なお、約45年前、アメリカの生物学者レイチェル・カーソン(1907~1964)は、世界的に有名となった1962年の著書『沈黙の春』で、ミツバチにとどまらず、野生のあらゆる受粉昆虫が消滅し、「花粉交配が行われず、果実の実らない秋」が来る可能性を警告していました。

農業生産の持続性に関わる第一の問題は、現代農業が大量の農薬に依存している点です。日本において、1950年には100億円足らずであった農薬生産額は、1990年代には4,000億円を超え、耕作面積あたりの消費量(1K㎡あたり1.27t)は韓国についで世界第2位、イタリアの2倍弱、フランスの3倍強の水準に達しています。例えば、北海道で一般的なじゃがいもの栽培方法では、①種イモの消毒、②雑草を枯らすための除草剤、③殺菌剤(10数回)、④殺虫剤(10数回)、⑤収穫期には機械で収穫しやすくするために枯凋剤がそれぞれ利用されていますし、宮崎県の農作物栽培「慣行基準」に基づく農薬散布回数は、多い作物から順に、ナス74回、トマト62回、ピーマン62回、いちご60回、きゅうり50回(以上、促成栽培)、という水準です。促成栽培とは、ビニールハウスや温室などを利用して温度や日照量を操作することで、出荷時期を早める栽培法です。これに対して、露地栽培・雨除け栽培では、ナス36回、トマト46回、ピーマン32回、きゅうり42回と、半減までは行きませんが減少します。旬をはずした作物が高いだけでなく、栄養価が低いだけでなく、農薬の面からもマイナス点が多いという現状が分かります(河名秀郎著『自然の野菜は腐らない』、2009年2月、朝日出版社、などを参照しています)。

反面、一般的な慣行農業に関わる殆どの人は、農薬なしで作物を育てることが事業的に成り立つとは考えていません。有機農法はまだしも、不施肥、不耕起、不除草を基本とする自然農などは、異端であるだけでなく、危険思想と捉える向きがこの業界の常識といえるでしょう。実際、近年根強い広がりを見せている、自然栽培の実践者の大半は自給農家に過ぎず、つまり産業として殆ど成立しておらず、社会の食糧生産を担うなどという議論は、完全に絵空事として片付けられているのも無理はありません。

第一の問題と不可分な第二の問題は、化学肥料の大量消費による土壌の衰退です。日本は農薬に加えて、肥料の消費量でも世界のトップクラスですが、農薬と肥料の使用量に強い相関があるのは偶然ではありません。現代農業の基本的な考え方において、畑の作物を収穫するということは、その分土壌から栄養分が減るということであり、収穫を続ければ次第に土地が痩せ、いずれは作物が育たなくなります。それを避けるために、肥料という形で畑に栄養素を人為的に戻す必要があります。肥料を投与して作物を栽培すると、始めのうちは収量が激増し、野菜の状態も抜群によくなります。しかし、土壌に栄養が豊富になりすぎるため、植物は根を深く広く伸ばす努力を放棄します。やがて土壌が固くなり、バクテリアなどの土壌生態系が衰退して土壌が痩せ、作物の根伸びが益々悪くなります。生命の根源である、根を張る力を失った植物は、自力で養分を吸収する力を失い、生育が悪く、害虫や病原菌に犯されやすくなり、これに対処するための農薬が大量に必要になるという、悪循環が生じるためです。農薬は、害虫や病原菌を殺しますが、同時に、作物にとって有益な虫や微生物も死んでしまいます。あたかも、畑が無菌室のようになるのですが、このような環境で育つ作物は、病原菌への抵抗力をなくしてしまいます。農薬を繰り返し投与すると、害虫や病原菌は農薬に対する耐性を獲得するために、さらにより強い農薬が必要になる、というサイクルを生んでいますが、この循環は、作物から栄養分が失われ、人体が薬品漬けで健康を害し、環境が後戻りできないところまで破壊尽くされるまで、必然的に継続する性質のものです。

恐らく以上の結果として、野菜のミネラルや栄養素が驚くほど減少しています。例えば、ほうれん草の可食部100gあたりのビタミンC含有量は、1950年に150mgであったものが2000年には35mgと、50年間で5分の1(-77%)になってしまいました。同じく、この50年間で減少した栄養素は、ほうれん草のビタミンA:-71%、鉄分:-85%、にんじんのビタミンA:-63%、ビタミンC:-60%、トマトのビタミンA:-26%、ビタミンC:-25%、大根のビタミンC:-40%、キャベツのビタミンB1:-50%、ビタミンB2:-90%と、かつての野菜とは実質的に別の作物になってしまいました(河名秀郎前掲書)。

第三の問題は、昆虫を寄せ付けない「毒性」遺伝子を混入させた、いわゆる遺伝子組み換え作物の浸透です。例えば、遺伝子組み換えトウモロコシのDNAには、したがって、その全ての細胞には、「バチルス・チューリンゲンシス(Bt)」という土壌細菌が組み込まれています。Btは昆虫にとって毒性があり、ちょうど植物全体を天然の殺虫剤に浸したようなものでしょう。確かにひとつの考え方としては、作物に農薬を噴霧して土壌や地下水を汚染するよりも、「合理的」な方法なのかも知れませんが、反面、我々は、Btが自然界に存在する天然の農薬成分だとはいえ、洗い落とすことができない「有毒」成分が隅々まで混入したトウモロコシを食べることになるのです(前掲ジェイコブセン)。現在、遺伝子組み換え「技術」は、トウモロコシ、ナタネ、大豆、綿などで実用化され、2007年における遺伝子組み換え作物の世界の栽培面積は、日本国土面積の3倍に匹敵する、1億1430万haに達しています。

日本においては未だ「対岸の火事」という扱いですが、米農務省2007年の推計によると、栽培面積ベースで、トウモロコシの73%、大豆の91%が遺伝子組み換え作物であり、日本で消費するトウモロコシの約97%、大豆の75%が米国産である以上、相当量の遺伝子組み換え作物が既に日本で消費されているのは明らかでありながら、その事実や詳細は一般的に知らされていません。現に、醤油や食用油などには表示義務がなく、消費者はどのような原料が使用されているかを知る方法はありませんし、例え表示されていたとしても、法律上、5%までの混入は「不使用」の表示が認められています。また、2006年、9都道府県の大手スーパーで売られている「遺伝子組み換え大豆不使用」とされる豆腐のサンプリング調査では、約41%から遺伝子組み換え大豆が検出されたそうです。

なお、現在、遺伝子組み換え作物は人体に「全く悪影響はない」、とされています。

第四の問題は、今のところ殆ど問題にされていませんが、いずれ大問題となる可能性の高い「種苗」です。かつて農家では、収穫した野菜のうち性質の良いものを選別して種を取り、翌年その種を蒔いていました(「自家採取」といいます。)。自家採取が繰り返されて、地域の環境と土壌に適応した種子は「在来種」または「固定種」と呼ばれ、例えば「京野菜」や「沖縄の島野菜」のような、地域ごとに特色のある野菜を生み出してきました。基本的に、農作物は種と土壌と環境の産物で、種子には、その地域の風土に合わせて淘汰されることで、その土地に適した品種に変わっていく力があります。本来、野菜の味は土によって大きく異なり、その土地ならではの個性的で、独特な味わいが生まれるものです。

現代農業において、恐らく1960年代頃から、殆どの農家では自家採取によって種を取ることをしなくなりました。地産地消を前提とした産地中心の生産から、大消費地に農産物を提供する消費者中心の生産へと農業の機能が変化したためです。流通上の都合から、「(消費者にとって)おいしいか」「たくさん収穫できるか」「病気に罹りにくいか」「いかに効率よく遠くへ運べるか」が、農業生産における重要な要素になりました。発芽のタイミングが揃う品種を開発することで出荷にあわせた収穫が可能になり、トマトの皮を厚くし、きゅうりのとげを丸くすることで、輸送の段階で傷みにくくなり、形が均一であると、箱詰めが効率的になります。こうした消費者と流通主導の要求に応えるために、人工的な掛け合わせによる、「F1種」または「ハイブリッド種」と呼ばれる種が主流になり、現在の農業における大半の種子はF1種となっています。F1種は遺伝的に離れた種同士を掛け合わせることで生じる「雑種強勢」というしくみによって、両者の良い性質を受け継ぐ、強い種子を採取する手法です。例えば、収穫量が多い大根と病気に強い大根を掛け合わせて、収穫量が多く病気に強い大根の種を生産するイメージです。しかしながら、このF1種から育った作物の種を採取して翌年畑に植えると、メンデルの法則に基づいて、逆に両者の悪い性質だけを受け継いだ作物が育ち、とても商品にはなりません。F1種の採取は、資本、開発力、技術力、労働力が必要な大事業で、普通の農家がF1種を作ることは事実上不可能です。このため、市場で競争力のある野菜を作るために、農家は一代限りのF1種子を買い続けなければならなくなりました。同時に、市場原理においては「非効率」な伝統野菜や無農薬野菜の固定種は衰退・消滅し、現在では入手することも困難になってしまいました。

農業から自家採取の固定種が事実上消滅し、大半の農家は種子会社が生産するF1種子に依存している現実は、農業の根幹が種子会社の販売戦略と資本の論理によってコントロールされているということでもあります。仮に、種子会社の事業戦略によって、近い将来遺伝子組み換え作物の種子が中心になった場合、他に種子の生産手段を持たない農家がこれを拒むことは事実上不可能です。これらF1種子の生産に際しては、当然農薬・化学肥料が大量に使用されている可能性が高く、流通過程においてあらかじめ殺虫・殺菌処理がなされているものが大半です。さらに、大半の種は海外で生産されているため、食糧安全保障の観点からも、実質的な食糧自給率を大きく引き下げていることになります。

自然農(後述参照)は、自家採取による固定種を復活させ得る、恐らく唯一の現実的な方法です。この問題に対処するためには、現代の農業産業のあり方そのものを再構築する必要があり、逆に、現在とは質の異なる農業経営を実現することなしには、解決し得ない性質のものです。

*(2) 有機無農薬栽培による農産物が注目され始めています。私は有機無農薬栽培が社会で急速に普及している現状を心から喜んでいる一人でもあるのですが、持続性ある農業生産の観点から、いくつかの問題点が考えられるという事実を直視せざるを得ません。第一に、有機栽培であれば安全だとは限らない点です。有機肥料は牛糞、鶏糞、などの厩肥と植物性の堆肥などを混ぜて作られますが、この原料が汚染されている可能性があります。現在の日本の畜産業で利用されている一般的な飼料には、残留農薬、遺伝子操作作物、成長ホルモン剤などの残留薬物などが混入している可能性が高いと考えられるためです。これらの厩肥が産業廃棄物として処分に困っていたものを、有機農業に利用できないかと考えたという側面もあります。植物性の堆肥も、農作物の収穫後に残る葉や茎(農業残滓)を原料としていることがありますが、これにも残留農薬の心配があります。なお、「有機」という表示があれば無農薬であるとは全く限りません。現在の有機JAS法では、マシン油やボルドー液など29種類の農薬が認められ、「有機・無農薬」として表示されています。第二に、仮に安全な厩肥・堆肥を利用した有機農業であっても、肥料の使い過ぎは毒性を持つという点です。余剰分の肥料は土中に残留し土壌が窒素過多になり、窒素過多の土壌で育った野菜は毒性を持つ硝酸塩を多く含むことがあります。第三は、恐らくこれが最も重要な点だと思います。有機農業にも本当に多くの種類があり、農家の数だけ農業がある、といえるほどですが敢えて一般化すると、「経済生産性を優先した現代の工業的農業を、無農薬・無化学肥料の有機環境で行っている」、と表現すべき有機農業が一般的ではないかと思う点です。この場合、農薬などを多用する一般の「工業的農業」と比べると、圧倒的に安全な作物が生産されるとは言えるのですが、必ずしも循環的ではなく「自然の生態系から切り離された」という農業の枠組みは変わりません。害虫や雑草を敵とし、自然をコントロールする努力を通じて、市場で評価されるタイミングと規格に合致した農産物を生産することが主目的であり、効率を目指した単一栽培、農地の有効利用を目指した連作、ハウス栽培などによる市場対応、などの価値観は「工業的農業」とそれ程大きな差はありません。これは主観的なものですが、自然の生態系が生み出す土壌で栽培されるものではないため、安全でおいしいながらも、やはりハッとするほどの味の濃さに出会うことはないのです。

*(3) 「自然農」は他のどの農法よりも豊かな土壌で農業を営むため、「最高品質」の農産物を生産することが可能で、有機無農薬栽培の野菜などと比較してもその違いがはっきり分かります。「自然農」の基本的な手法は無農薬、無化学肥料であることはもちろん、害虫や雑草を敵とせず、最小限の除草、不耕起(ふこうき)、不施肥を基本とした少量多品目栽培を特徴とするため、農地は一見「草ぼうぼう」状態です。より重要なのはその価値観で、農業であると同時に「哲学」あるいは「生き方」と表現した方が適当かもしれません。農業が有史以来試みてきた、いかに自然をコントロールし効率的に生産するか、という考え方とは対極の発想により、自然の営みに寄り添い、害虫や雑草を敵とせず、自然がもともと有するありのままの力を肯定して生態系からの果実を収穫するものです。

自然農は、一般的な農業の価値観からは「非常識」と評価されがちですが、実際には科学的な根拠と合理性があります。自然農の農家は、自然をコントロールすることを止め、自然の営みを注意深く観察しサポートする役割を担うことになります。豊かな生態系と強い地力を持つ土壌で作物が育つため、高品質で健康的な農産物を生産し、環境に対して持続可能で、そして何よりも生産者と消費者にとって完全に安全であるため、最近では高学歴の知識層や元ビジネスマンなど、若手の新規知的就農者や、化学化・工業化した現代農業の合理性に疑問を持つ農家などの間で広まりつつあります。自然農で栽培された野菜や穀物は、完全有機無農薬であることはもちろん、「おいしい」以上に「迫力がある」という表現が適当です。甘いものは甘く、からいものはからく、同じ品種の野菜でも一つ一つが個性的でエネルギーに溢れ、ブランド品種が最もおいしいとされている常識を覆す迫力です。

これだけ高品質の作物を生産する手法でありながら、自然農の農産物が全くと言っていいほど流通していないのは、収量と労働効率の水準が生産・販売事業として成り立たないためです。不耕起栽培であるために、農地に機械を入れることが出来ず、基本的に作業の大半が手仕事となり、一般的な成人一人が3反から5反を耕作することが限度です。この程度の耕作面積では、家族の自給分+αの生産量に留まるため、現在自然農を実践する農家の大半が自給農家となっている現実があります。

このジレンマは、例えば、200名を越えるリゾートホテル従業員が必要に応じて農作業を手伝うなど、第一次産業と第三次産業の業態を組み合わせることで嘘のように解消するのですが、このようなプランが次世代農業のプロトタイプとして実現すれば、農業問題の解決に端緒をつけると同時に、日本と言わず恐らく世界的にも、商業的に殆ど入手不可能な最高品質の農作物が食材として必要なだけ供給されるリゾートが誕生し、世界最高の顧客層に対して新しい農業のあり方を広める絶好の「ショールーム」として機能することになります。

上記のように、農業生産における労働力のジレンマの解消方法は至ってシンプルですが、この「農作業助け合い」のシステムは、成果主義人事考課を採用する企業組織と組み合わせて機能させることは事実上不可能です。リゾートホテルなどの第三次産業従業員が農作業を頻繁かつストレスなく手伝うことができるための組織は、成果主義、部門主義、責任主義、収益主義の一切を放棄した人事方式を採用していることが実質的な要件となるかも知れません。

*(4) 最後に残る重大な問いは、第一に、熾烈な資本主義社会の競争に晒されている第三次産業が、自然農に対して余剰労働力を提供するだけの事業的付加価値と労働生産性を生みだすことは現実に可能か、という点です。例えば、一日6時間労働、週休二日制、一般的なホテル業の2倍の給与(といっても、沖縄を基準にすると500万円程度です)、という水準がこれを可能にする労働生産性の私のイメージですが、このため には労働生産性を一般的なホテルのおよそ2倍+α にする必要があります。・・・「常識的」には一笑に付されて議論にさえならない、と言ったところでしょうか。結論だけ申し上げると、私は十分に、というよりも容易に実現可能と考えているのですが、実際これほどの生産性はどのようにして実現可能か、という議論は本稿のテーマを超え、本ウェブサイトに関わるほぼすべての議論(未発表の稿を含みます)が正に該当することになります。残る問いの第二は、以上のような飛躍的な生産性が仮に実現したとして、そこから生まれる莫大な営業利益から多額の労働分配を行うということは、株主との大きな利益相反をほぼ確実に生じるため、資本主義社会のフレームワークにおいてそもそもそんなことが可能か、という点です。嘘のように聞こえるのは承知ですが、この問題の解決もそれほど困難ではありません。重要な点は、次世代社会への移行過程において、農業の変容が既存金融の根源的な枠組みに大きな影響を与える可能性があるということでしょう。同じく、この議論の詳細は本稿の範囲を超えており、「次世代金融論」の今後の議論にてその「解」をまとめる予定です(シリーズ原稿の完成までにはまだ暫くかかりそうです)。

ところで、現実には、近い将来慣行農業の機能不全が顕在化し、自然な農業の産業化が重大な社会的課題になるに従って、第三次産業のあり方そのものが上記のような「融合モデル」に適応せざるを得ない、という社会変容が同時並行的に生じるような気がします。その際、いち早くこの「融合モデル」によって採算を上げている事業体、その事業概念、地域経済が、次世代社会をリードすることになることになるでしょう。・・・農業問題の本質とは、現代社会と経営のあり方の根源を問う問題であるのです。以上を実現するプロトタイプの具体事例として、①自然農に最も適した、太陽光が豊富な南西(沖縄)地区において、②最も単価の高い「出口」を有するハイエ ンド・リゾートと自然農を経営的に組合せ、③同じく、豊富な労働力を有するリゾートの従業員が必要に応じていつでも援農を行う事業形態を有し、④人間関係 中心の、新しい労働観・事業観によって経営される事業が有効な一歩となるでしょう。詳細は、『トリニティリゾート事業計画』を参照下さい。別途、高単価「出口」の可能性としては、那覇空港ビルディングなどの施設も有力です。