トレーディング収益を構成する第三の要素、請求権の拡大*(1) は、例えば、前述の地方君(『次世代金融論《その9》』参照下さい)のように担保掛目70%の保守的なローンを融資するよりも、プロ君のようにレバレッジを駆使して95%まで目いっぱい貸し付けた方が、より多くの請求権を生み出しトレーディング収益が最大化する、というイメージです。

ジャンクボンドの帝王といわれ、80年代後半のウォール街を席巻したカリスマトレーダー、ドレクセル・バーナム・ランベール証券のマイケル・ミルケンは、例えば100億円の資金調達を希望する企業に対して、120億円のファイナンスを提案することが常でした。ファイナンスの増額によってドレクセルはより多くの手数料収入を得、一方、この企業が余分にに調達した差額の20億円は、ドレクセルが取りまとめる他のジャンク債への投資に振り向けられます。・・・投資銀行が請求権の増加を収益化するプロセスと、その過程でバブルが発生するメカニズムがよく分かる事例です。

このように、トレーディングビジネスの本質として、レバレッジの極大化と同様に、請求権を拡大させようとする強いインセンティブが働きます。サブプライム問題が表面化して以降、皮肉たっぷりに「金融工学は、本来お金を貸し手はいけない者にお金を貸す技術」と揶揄されていますが、トレーディングに大きく依存した投資銀行事業の本質を的確に捉えています。

証券化が生み出す請求権
請求権の拡大とは、市場創造と信用創造によって金融資産を新たに生み出すこと、・・・例えば新しい担保資産を見つけて証券化する、あるいは流動化するということ・・・、をおおよそ意味します。この方法によってトレーディング収益が極大化することが金融専門家の間で認知されると、「金融工学」のプロセスは、適切な事業に対して適切な信用を供与するという本来の金融機能から逸脱し、次第に、信用創造の裏づけとなる(≒証券化可能な)キャッシュフローを次々と開拓すること、更に、極小のキャッシュフローを裏づけとして、最大の信用を供与するという本末転倒行為に変質し、やがてバブルを生み出すことになります。

このような「悪い請求権」を創造するということは、裏づけとなるキャッシュフローが不十分である(かも知れない)にも拘らず、大量の与信をする、・・・まさに「貸してはいけない人にお金を貸す」という行為です。逆に、「悪い請求権」が成立するためには、本当はリスクが高い(かも知れない)請求権を、リスクが少ない投資であると投資家に説得できなれければなりません。これにはいくつかの方法がありますが、その中でもエクイティ金融資産をデットとして流通させることが典型で、このときにもレバレッジがよく活用されます。

前述の地方君は、100億円の不動産を担保に70億円の融資を行い、掛け目70%の請求権70億円を創造しました。残りの30億円はエクイティ(資本)と呼ばれ、将来不動産価値が下落した場合は、真っ先に損失を被るリスクの高い金融資産です。プロ君は、地方君よりも25億円多い95億円を貸し付け、この95億円の債権をまるごと証券化することで、30億円のエクイティ部分の大半をデット(債権)として機関投資家に転売します。お金を借りる方は、借り入れ額が増えて不動産投資に必要な自己資金(エクイティ)を30億円から5億円へ、25億円も減らすことができので、喜んでプロ君の提案を承認しますが、もちろん25億円のエクイティは消えてなくなった訳ではありません。プロ君得意の「金融工学」のプロセスを経て、25億円の「ミドルリスクのデット」として証券化市場で流通することになります。金融市場の大きな特徴として、エクイティを対象とする投資家よりもデットを対象とする投資家の方が圧倒的に運用額が大きく、かつ要求リターンが低いため、それが本質的には同じ金融資産であっても、エクイティとしてよりもデットとして販売する方が(もちろん、それが可能であれば、ですが)低コストかつ容易に販売することができ、大きな利益を生むのです。

プロ君は、掛け目70%から95%に相当するリスクの高い25億円の請求権(「Bピース」証券と呼ばれることがあります)を、できるだけ「安全な」デット証券として販売するために、一つの不動産を担保にした25億円のBピースではなく、例えば10都市に分散された10件の不動産を担保にした、2.5億円のBピースを10件集めて25億円の証券化を行います。Bピースばかりを集めるため、そこから生まれた証券の格付もBクラスになりそうなものですが、分散効果の理論によると、例えば過去30年間のデータに基づくと、ニューヨークとダラスとアトランタとシアトルなど、異なる産業構造を持つ異なる都市の、異なる不動産が、同じタイミングで同じように価格変動する可能性は低い、とされるのです。10都市に分散して存在する10件の不動産価格が一度に下落する可能性が低ければ、これらの不動産を担保としたBピースを集めて作られた優先証券も「安全」と考えられ、例えば25億円のうち優先部分20億円について、AAAの格付けを取得して販売することができるのです。すなわち、担保不動産の質は同じでありながら、資産を分散するだけで、掛け目70%の債権70億円と掛け目90%の債権90億円のリスクが(ほぼ)同等という趣旨の格付が付されることを意味します。これがサブプライム危機で注目された、リパッケージCDO(Collateralized Debt Obligation)の基本構造です。これは事業というよりも、道端に落ちている石を磨いて宝石として販売するようなものでしょう。証券化などを通じて請求権、特に「悪い請求権」を拡大するほど、「容易に」「多額の利益」を得ることができ、トレーディングが高収益「事業」として脚光を浴びるようになるのです。

リスクの高いリスク管理
バブルがはじけて宴の酔いが醒めると、さすがの金融専門家も「質の悪いものを集めて、高品質なものを生み出す」というCDOの理屈には無理があることに気が付きます。確かに過去例えば30年間、10件の異なる都市の不動産価格が同時に変動したことはなかったかもしれませんが、この理屈が本当に正しければ、過去破綻したことがない企業に対しては、無条件にお金を貸し付けて構わないということになります。そもそもリスクというものは、過去の経験やデータでは計り知れない不測な事象を示すものでしょう。過去を振り返ってみると、1929年の大恐慌、太平洋戦争、プラザ合意、ブラックマンデー、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、インターネットバブル、グーグルの登場などなど、社会の重要な出来事の大半(・・・というよりも、おそらく殆ど)は、その時点で全く過去に事例がないものばかりです。このような、重要な出来事ほど予測不能であるという世界観*(2) を前提とすると、過去のデータ分析や統計理論による「先端的な」リスク管理は、却って事業リスクを高める可能性があります。この環境で真に効果的なリスク管理は、社会の生態系と市場の本質を深く理解し、将来を大胆に予測し、戦略的な経営を実行する以外にありません。

反面、「リスクとは不測であるがゆえにリスクである」という単純な原理は、金融専門家の常識ではないようです。過去のデータと正規分布に基づく統計確率理論、効率的市場仮説、分散理論に依拠した巨大金融機関のリスクマネジメントが、大きな市場変動のたびに破綻していますが、そもそも「リスクは予測できる」という前提自体が、最大のリスクを生み出しているように思えてなりません。リスクマネジメントが「進んでいる」といわれるアメリカの金融機関から真っ先に、それも頻繁に破綻するのは偶然ではないと思います。

【2008.11.4 樋口耕太郎】

*(1) このような表現はそれほど一般的ではありませんが、金融資産の実体は請求権であり、与信行為は請求権の創造と考えることができるため、本稿ではその本質に即した表現を使用しています。

なお、本稿ではトレーディングの三つの要素を概念的に別けてコメントしていますが、現実には「同じ現象の異なる側面」といえるほど密接不可分です。裁定収益はレバレッジに よって拡大し、請求権を拡大するためにレバレッジが利用され、レバレッジが増加することで請求権が増大し、更には、請求権が増加することで新たな裁定機会 が生まれる、という関係にあります。

*(2) Nassim Nicholas Taleb, “The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable” (邦訳未刊), Random House Inc. 2007.4.

経済学や金融リスクマネジメントの基本原則は、ほとんどが統計学の正規分布曲線で表現される標準的な確率論を前提としています。これに対して、トレーダーにしてマサチューセッツ大学教授でもある著者(ナシーム・ニコラス・タレブ博士)は、現実に世界を動かしているのは、伝統的な確率論では予測ができない極端な出来事、「Black Swan」であり、社会において、実はそれ程重要ではない一般的出来事が過大評価されていると指摘しています。

本書中の印象的な挿話ですが、フランスは第一次大戦でドイツ軍に一時蹂躙された経験を踏まえ、ドイツ軍が進軍してきた経路を精緻に調査し、国境沿いに防御壁を構築したそうです。第二次大戦が勃発すると、ナチス軍は当然のように、そして軽々と、これらの防御壁を迂回した進軍ルートによってフランスを占領します。・・・これを笑い話とするのは簡単ですが、フランス政府は当時、祖国と国民を守るために、大変な労力と資金をかけて、大真面目に防御壁を構築したに違いありません。「先端」金融会社が「先端」金融工学を駆使して構築・運用している「先端」リスクマネジメントは、フランス軍が構築した防御壁と本質的には同じものかも知れないのです。

正規分布において、±2標準偏差の範囲内にデータの95.45%が含まれるとされています。一般的な金融リスクマネジメントでは、過去の市場変動のデータを元に、自己資金のリスクポジションを±2標準偏差に収まるように管理する、などのように運用され、95.45%の事例に収まらない極端な出来事は、現実的には殆ど発生し得ないという前提に立ちます。しかし、例えば全世界の個人金融資産を正規分布で配布すると、ビル・ゲイツは±2標準偏差(すなわち95.45%のデータ)に収まらないのと同様、社会にインパクトを与える重要な要素は、むしろこのような標準偏差を逸脱したところにしか存在し得ず、残りの4.55%(100%-95.45%)にこそ、リスクマネジメントの本質が存在するという考え方です。

Black Swanが生じる確率分布は未知であり、これを予測する理論は存在しません。したがって、Black Swanは従来の「リスク管理」で対応することはできず、逆に、そのような正規分布と数理統計学に依拠した大半の「先端的」金融会社が、サブプライム危機のようなBlack Swanにおいてことごとく破綻に瀕しているのは偶然ではないと思います。結局、Black Swanがもたらす不確実性は経営者の決断によって解決するしかありませんし、それがリスク管理の本質といえるのです。