お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。

このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。
冬至の日、昼が一番短くなりますが、この日を境に光はまた徐々に
復活していきます。この光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうため。
またこのころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、
目を向けてみてはどうでしょう?

さて。
今年も残すところ10日となりました。
あなたにとってどんな一年でしたでしょうか。

この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと御苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定な世の中の今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、心を配り、
そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間をお過ごしいただこうかと深く考えながら、
大きく反省をしながら、お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで
ありたいと麗王を続けさせていただいて今年で20年が過ぎました。

今年のクリスマスプレゼントに、シビル・F・パートリッジという人が書いた
「今日だけは 十箇条」という有名な詩を、あなたにお贈りしたいと思います。

1.今日だけは、幸せでいよう。
2.今日だけは、自分自身をその場の状況に順応させて、
自分の家族も仕事も運もあるがままに受け入れて、
自分が周りに合わせよう。
3.今日だけは、健康に気を付けよう。運動をし、身体を大切に思いやり
栄養を摂ろう。
4.今日だけは、素直になって、人の話を聞いて、
精神を鍛えるために自分が必要とするものを読んで、
いろいろなことを学ぼう。
5.今日だけは、人に正直に、親切になろう。
6.今日だけは、機嫌よく、愛想よくしよう。できるかぎり晴れやかな顔をし、
穏やかな口調で話し、礼儀正しくふるまい、惜しげなく人を褒めよう。
7.今日だけは、今日一日だけを生き抜くことにして、人生のあらゆる問題に
誠実に取り組もう。
8.今日だけは、一日の計画を立てよう。予定通りにはいかないかも
しれないが、ともかくやってみよう。
9.今日だけは、一人でくつろぐ時間を30分だけでも生み出そう。
10 今日だけは、どんなことにも恐れないようにしよう。周りの人を愛そう。
笑顔で一日を過ごそう。

この「今日だけは」というのは、今日だけでよい、という意味ではありません。
毎日、新しい気持ちになって、今日という一日を、一生懸命に生きること。
そうすることで生まれる今日は、明日という未来へとつながり、新しい今日が
やってくるのだ、ということだと思います。

こんなふうに、私は、毎日「今日だけは」という心持ちで、麗王で、
人に向き合うことを、心から大切にしています。

あなたが麗王にいらしてくださった時にお話させていただいている自分が、
全てこの「今日だけは」の表れでありたい。
どうかこの言葉が、気持ちが、あなたの心に伝わりますように。

みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

* 年内は30日(水)まで、新年は4日(月)から営業させていただきます。

* 今月BS朝日で放送された沖縄大学・樋口先生出演の
田原総一朗さん司会「激論!クロスファイアー」を見逃した方は
このサイトから御覧になることができますよ~。

.。・:*:‘★、.。・:*:・‘☆、.。・:*:・‘
麗王
トリニティ株式会社
末金典子

だんだん涼しくはなっているものの、まだまだ夏かのような暑さも残る毎日、
もうすぐ師走だなんてウソのようですね~! 月日のたつのは早いものです。

そして明後日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日。
さて、今年のワインの出来具合はどうでしょうか。
あなたはどんな親しい方と秋の夜長に初物のワインをじっくり楽しまれますか?

とても親しい仲の人というと、友人やパートナー、家族の顔が
浮かんできますよね。私の場合、麗王で知り合うことができたあの方この方の
お顔も浮かんできます。
あまりに当たり前なようですが、親しき仲の人が、一人でも自分にいると
いうことは、とても幸せなことであるし、どれだけ心の支えになっていることかしらと
つくづく思うのです。

ではその親しき仲の人に、自分はどのように接しているかしら、どんなふうに
付き合っているかしらと、ふと考えてみると、それはまあ、わがままをしてばかりで
申し訳ないなあという負い目のようなものを感じ、わがままばかりを
押し付けるのではなく、もっと相手の気持ちを思いやらないといけないなと
反省の気持ちが湧いてきます。

また、その反対もあって、例えば、私には姉妹がいないからか年下の素敵な
女性と知り合った時には、ついつい想いが入ってしまい、
アドバイスを求められたり、助けを乞われたら、あれこれとお世話してみたり、
熱く応えてしまったりするのですが、そのうちに相手がどんどん依存してきたり、
何でも与えてもらって、してもらってあたりまえというようになってきてしまい、
こちらが重荷になってくるというようなこともあります。
そこで今度は、彼女を褒めたり励ましたり支えたりするだけではなくて、
よくない点を怒るのではなく叱ってみたりするのですが、そうなると
サッと離れていってしまったり、恨まれたりということになってしまうことがあります。

つまりは、親しき仲だからこそ、ついつい甘えてしまうのです。
まあ、お互い様と言ってしまえば、それでよいのかもしれないけれど、
甘えあったり、わがままを言いあったりするのが、親しき仲かというと、
それは少し違うようです。
人に愛情と思いやりを持って真剣に接するとはどういうことでしょうか?

琉球新報の「南風」に今連載中の、歴代の書き手の中でもピカイチの
法務省沖縄少年院・法務教官の武藤杜夫さんが以下のように
書いておられます。

最近は、叱るより、褒めて伸ばすのが子育ての主流に
なっているようだ。書店に立ち寄り、教育関連の本棚をのぞいても、
そんな方法を勧める書籍が目立つ。こういった子育て論の
煽(あお)りを受けてか、少年院に収容されるのは、叱るばかりの
誤った教育を受けてきた子どもたちだと主張する外部の方が、
ちらほら見られるようになった。本当に、そうなのだろうか?
子どもたちと対話し、生育歴を確認すると、見えてくるものがある。
確かに、叱られっぱなしの幼少期を送った者は存在する。しかし、
非行を繰り返していたにもかかわらず、長所ばかりを褒められて
育った者も多く存在する。やはり、褒めてさえおけばよいと
いうものではないのだ。保護者と面談すると、叱るか褒めるか、
どちらがよいのかという質問を頻繁に受ける。ただ、僕に関しては、
どちらもあまりしないため、両方ともお勧めできないと答えている。
今思えば、少年院に赴任した頃の僕は、よく叱り、よく褒める
法務教官だった。それが、子どもに対する思いやりだと
信じていたからだ。そのことに疑問を持ったのは、
僕になついていたある子どもが「叱ったり褒めたりしてくれるのは、
武藤先生だけ」と愚痴っているのを耳にしたからだ。彼が社会に
帰ったとき、真剣に叱り、褒めてくれる大人が周囲に存在するとは
限らない。僕は彼を、「叱られ、褒められなければ動けない人間に
してしまったのでは」と煩悶(はんもん)した。現在は、叱ったり
褒めたりする代わりに、自分の感情を伝えることを大切にしている。
信頼関係を築いた上で「嬉(うれ)しい」「悲しい」といった
思いを細やかに伝え、相手が感じ、考え、自ら動くのを待つのだ。
時間がかかり過ぎる? 当然だ。子どもたちは、大人の都合で
動かしてよいロボットではないのだから。

なるほど。
私も以前そのような考えに至り、感情を伝え続けてみたのですが、
相手が大人ということもあるのか、伝え方が下手なのか、
なにかどこか機能しない想いを抱え続けてきました。
そして次にふと思い浮かんだ言葉があります。
「寄り添う」ということ。
いつも寄り添う。何があろうと寄り添う。ずっと寄り添う。
親しき仲において、一番すてきな心がけであり、嬉しいことが、寄り添うと
いうことかもしれないなと思ったのです。

例えば、暮らしや仕事において、孤独を感じたり、もしくはとても疲れたり、
その苦痛の状態を説明したくてもできないとき、親しき仲の人に
どうしてもらいたいでしょうか。
そのときは何も聞かず、何も語らずに、ただただ寄り添うということが、どれほど
嬉しくて、どれほど助けられるものかと思うのです。
もちろん、伝えあったり、語りあったり、感じあったりというシェアは大切だけど、
それが出来ないときもあります。そういう時、自分にいつも寄り添ってくれる人が
いるというのは、なんて幸せなんだろうと思うのです。

そして、自分に寄り添ってくれる人が欲しいなら、まずは自分から寄り添うことを
大事にしなければいけません。そういうことを考えていくと、親しき仲というのは、
寄り添いあう、という関係が理想なように思えてきます。
相手に寂しさを感じさせない関係。それは一番嬉しいことではないでしょうか。
そして、そこに留まるのではなく、寄り添って歩くということができたら、
なんて素敵なんでしょう。

あなたには、寄り添うあう人はいますか。
寄り添って歩いている人はいますか。

木曜日はぜひその人と麗王でボジョレーヌーボーを。

*****************

* 麗王で毎年御用意しているボジョレーヌーボーは、
ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ(シュブラン家)のワイン。
シュブラン家はボジョレー地区南西部で5世代前から続くぶどう農家。
現当主のフランソワさんは元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する
友人のワインに感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が土を耕します。
醸造は、昔ながらの製法でマセラシオンセミカルボニックを実践。
25℃を超えない低温でゆっくりと仕上げます。
そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の畑の特長を生かしたミネラル感と
きれいな酸味を楽しむことができる味わいです。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりください。

*************

麗王便りバックナンバー

弊社ホームページ・アップデイトのコーナー

【末金典子】

ここ沖縄でも随分秋の気配が濃くなりつつあり、クーラーも控えめとなって、
身体に優しい感じがいたしますね。
でもその分、酷暑だった夏の疲れが今頃出てきたりしますので、
充分お身体のケアをなさってくださいね。

さて、1970年代に、ローマクラブというヨーロッパのシンクタンクが、
「成長の限界」というレポートを発表し、世界的に大きな話題になった、
というお話を、年配の方からうかがったことがあります。
日本では、バブル経済の崩壊後、地に足の着いた暮らしを見直そうという
気運が高まりました。東日本大震災、ことに福島第一原発事故を契機に、
いま再び、「このまま物質的な豊かさを求める生活でよいのか」という問題が
注目されています。

最近、「歴史の巨大な曲がり角を私達は生きている」という
社会学者の見田宗介さんのお話を新聞記事で読みました。
深刻な環境問題を抱えつつも経済成長を求め続けるべきなのでしょうか。
「生きる歓びは、必ずしも大量の自然破壊も他者からの収奪も必要としない。
禁欲ではなく、感受性の解放という方向です。」と見田さんは言います。

原発事故の直後は、エネルギーの使い方、あり方を含め、私達一人一人の
生活のあり方を見直す時期だと言われました。4年以上経ったいま、
いわゆるパラダイムシフトは起きたと言うことができるでしょうか。脱原発か否か。

原発は一つの例ですが、例えば、普天間基地は辺野古に移設か否か。
大切な問題であるほど、賛成/反対の意見に大きく分かれます。
相容れない意見、異なる立場の人々が、どう折り合いをつけて
共生するべきでしょうか。
否定したり封じ込めるのではなく、ていねいな合意形成を目指す、
そうしたことが必要なのだと思います。

さて。
週末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。

私達もたまには童心に戻って、子供の頃に感じていた単純な「生きる歓び」に
浸ってみるのも大切なことかもしれませんね。

麗王でもかぼちゃ料理や、パンプキンビールをご用意しておりますよ~。
「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

*********************

10月18日に那覇青年会議所(JC)の主催で開かれたパネルディスカッション
「沖縄経済ミッション2015〜現状から考える沖縄の未来〜」において
麗王でもお馴染みの沖縄大学・樋口先生が以下のテーマで話され、
沖縄タイムス・デジタル版で掲載され話題となっています。ぜひ御一読くださいね。
1. 県内格差の問題について
2. 基地返還後の跡地利用について
3. 沖縄振興一括交付金の使い道について

パネリストは元沖縄県副知事の上原良幸さん、
経済博士で評論家の篠原章さん、沖縄国際大学教授の前泊博盛さんと
沖縄大学准教授の樋口さんでした。
http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=329&p=1

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麗王便りバックナンバー
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まだクーラーを必要とする暑さではありますが、風や日差しは、
確実に秋の訪れを知らせてくれている今日この頃ですね。

トマトやなす、冬瓜、そら豆、桃やスイカ…と、今年の夏も、
みずみずしくておいしい旬のものをたくさんお料理していただきました。
夏は、シンプルに、素材の力強い持ち味をそのままいただくのも
おいしい時季。さっと焼いたり、冷やしたり、薬味やスパイスもよく合い、
いただき方も多彩です。季節の恵みの豊かさに、ありがたみを
感じました。
弊社のHPのアップデイトでは我が家で作って食べているものを毎日
アップしたり、季節ごとの行事やエピソードや想い、社会で今起こっている
出来事に対する考えなどを綴っているのですが、先日も
「なんで食べているものを毎日載せたりしているんですか?」と
問われました。
これからも変わらずに続けていこうと思っていることですのでこの機会に
お答えしておこうと思います。

戦後70年という今、考えてみるとこうしたあたり前の日常生活も、
すべて、平和な世の中があってこそ、その上に成り立っているものだと
あらためて気づきます。

先日、琉球新報さんの主催でノルウェーの平和学者、
ヨハン・ガルトゥング博士の講演会が開かれていましたが、
私は以前にこのヨハン・ガルトゥング博士の考えに触れたことが
ありましたので、戦後70年の節目の時ということもあって、ここのところ
よく雑誌などでも取り上げられたりして
やはり注目される考え方なのだなと思っておりました。
そうしたところに、麗王にもいらしてくださった日本政策学校・代表理事の
金野さまから、
「ノルウェーから来日中のヨハン・ガルトゥング博士が
(戦後の平和学の創始者、紛争解決の世界的パイオニア)、
六本木での田原総一朗氏との対談で、
「東アジアの共同体を作り、その首都は沖縄にすべし」と
熱弁されていました。
というメールをいただき、ますますその感を強くした次第です。

ヨハン・ガルトゥング博士は、戦争のない状態を、「消極的平和」とし、
それに加えて、貧困や抑圧、差別などがない状態を「積極的平和」として
唱え、本当の平和の意味、未来への道すじを示しました。

高度経済成長、バブル景気と崩壊、大震災、大災害などを経た現在、
「平和」とは、とても広く深いものであると思い至ります。
だれもが住みやすく、あたたかい世の中にするためには、どうしたら
よいでしょうか。
それには、私達の暮らしのあり方そのものが問われているように思うのです。
戦争や紛争だけでなく、自然環境やエネルギー問題、格差や貧困など、
いまあるさまざまな課題は、「暮らしの問題」です。
だからこそ私は毎日の生活の質や、季節や行事の細かなことや、
社会で人々の間で今起こっていることなどを、さまざまな主義の枠組みを
超えて、私達自身の我が事として考えたいという思いから始めました。

特に、その暮らしの中で大事なことが、「心身ともに健康であること」
なのだと思います。そのためには質の良い食は欠かせません。
今の世の中は、便利さ、手軽さ、安さなどが追い求められているために、
流通のため日持ちするよう保存料が加えられ、
見た目の良さのため着色料が加えられ、
材料のコストを抑えるため化学調味料が加えられ…と
いろいろと余計な添加物が加えられ、成人男性で年間5キロもの
化学性の合成添加物を摂っているといわれています。
そしてそれを消化するために身体は余計な労力を必要としますし
体外に排出されず体にどんどん溜まっていく添加物もあります。

当たり前のことですが、私達の身体は毎日の食べるものから
できています。
つまり、私達の身体は工場のようなもので、食べたものを材料に、
燃やして形を変え、新しい肉体となり、身体と心の健康に大きな
影響を与えているのです。

そして私達の肉体は新陳代謝という形で、常に新しく生まれ変わって
います。3ヶ月経つと体内の細胞がほとんど入れ替わるそうです。
健康的な肉体を保つには、
① いかによい材料を入れるか?
② いかに消化・吸収するか?
③ いかに不要なものを排出するか?
この3つが大切です。
つまりは自分の身体の材料を選ぶつもりで、食べるものを
選びたいものですね。

そして私達個々人が毎日を健やかに、小さな幸せを積み重ねて
丁寧に暮らしていく、そんななかから平和も生まれていくのではないでしょうか。

来週は秋分の日。
あなたにとっての秋は食欲の秋?読書の秋?スポーツの秋?…
どんな秋でしょうか。
私にとっては色気のない話ですが、やはり食欲の秋かしら。
だって、食べるということは、お腹がいっぱいになるだけじゃなくて、
暮らしの歓びそのものなのですから。

【末金典子】

この間の台風も過ぎ、これから夏本番の沖縄。
この海の日の連休はあいにくの雨模様でしたが
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか?

過日の沖縄の新聞社に対する百田発言もきっかけとして、
ネット文化の急速な普及などもあり、
マスコミ、ジャーナリズムのあり方といったことに注目が集まっていますね。

ちょっと過激に言うと、
ジャーナリズムというものが、今のこの世の中にあるのでしょうか。
いろいろなインタビュー記事を読む時など、
インタビューを受けている方の立場に立つとなんだか虚しくなってしまうのです。
アングルはマンネリになり、同じようなことを繰り返し聞いている。
これでは答える側は馬鹿馬鹿しい気分になり最後には呆れてしまうのでは
ないかと思うのです。

インタビューする側に覚悟はあるのでしょうか。
引き出し方をどれだけもち、相手を理解しているのでしょうか。

それがないと、答える方は正直、その浅薄なやりとりに飽きてしまうのでは
ないかと思うのです。
「マス」コミュニケーションの性なのでしょうか。

最近、よく思い出す言葉があります。
「虚実皮膜」
芸の真実は虚構と現実とのはざまにあるとする、近松門左衛門の言葉です。
皮と膜の間、物質としては存在しないけれど、真実はそこにある、というのです。
真実がそこにあると感じ取ること、あるいは真実らしきものを感じ取る、
そんな見方にこそ力があるのではないでしょうか。
そして、それを言葉というものに置き換える。
それこそが、人間に残された力なのだと思います。

私も麗王であなたとお話させていただく時には、傾聴しつつ、
虚実皮膜な見方でうかがいたいなと、昨日の海の日の雨の合間に
海辺をランニングしながら思ったことでした。

今週もまた一日一日を丁寧に。

週末には雷が激しく鳴り随分大雨が降りましたが、昨日は青空が広がり、
今日は1年で最も昼が長くなる夏至ですね。
お変わりございませんか?

昨日は父の日でしたね。
母の日に比べるとなんだか盛り上がりに欠ける父の日。
プレゼント選びもいつも迷いがちです。今年は父の方から
「野球帽が古くなったので送ってくれるとうれしい」と
リクエストしてくれましたのですんなり決まってほっとしました。

私の父は、子供達には叩いたりするほどとても厳しい人でしたが
母に対しては、昭和8年生まれにしては、
「行ってくるよ、チュッ」「愛してるよ、チュッ」、などと言葉やチュウを贈ったり、
ちょこちょことプレゼントを贈ったりするような人でした。

ところで。
「プレゼント仮説」という考え方を、ご存知ですか?
私はこの仮説を知った時、なんだか心があったかくなりました。

果物や木の実をとり、それを運搬することで、私達の祖先は、
直立二足歩行になったという話ですが、それはオスがメスに
自分を気に入ってもらうために、食料をプレゼントするためであり、
いわば人類は、恋愛がしたいがために直立二足歩行をしたということです。

それまでは、他のオスと争って自分のものにしていたメスを、
食べ物をプレゼントすることで気を引くという、まさに愛のはじまりが
そこにはありました。

それまで直立二足歩行などしたことがなかったのに、
プレゼントを両手で持って、メスのところに行きたいがために、
立って歩きはじめたというのが、なんだか人間らしくていいなあ。
その先に今の私達がいるんですから。メスを自分のものにしたいという下心が、
人類の大きな進化を生んだというのがすてきです。誰かのために何かをする、
この気持ちが人類を進行させたのが嬉しいですよね。

あなたはプレゼントするのが好きですか?
私はプレゼントするのが大好きです。
もしかしたらプレゼントするのが好きな人は、人よりも祖先に近い何かが、
頭なのか身体のどこかに残っているのかもしれませんね。
直立二足歩行をするようになった理由は、食料をたくさん持つためとか、
道具を持つようになったからとか、諸説あるけれど、私は「プレゼント仮説」を
信じようと思った父の日でした。

【末金典子】

GWはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私はと言いますと、大阪の母が入院しているため10年ぶりに帰省しました。
随分久しぶりの大阪は、もうおのぼりさん状態で、見知らぬ商業ビルが
ガンガン建ち、どこの飲食店もいっぱい!
道行く街の人々の会話も漫才を聞いているかの如く。
飲み食いに、会話に、買い物にと、生きることに旺盛な大阪人が
なかなか新鮮でした。

さて、昨日は母の日でしたね。
毎年この日には母との想い出を書いているのですが、
あれは、いつのことだったでしょうか。
私が小学校の4年生ぐらいのことだったと思います。

朝、学校に着いて、給食袋を忘れてきたことに気づきました。
給食袋というのは、給食の時間に着る白衣のスモックと、白い三角巾帽子を
入れた巾着袋で、一週間使い、金曜日になると持ち帰ってお洗濯してもらい、
月曜日にまた持ってくるのが、たしか決まりだったと思います。

そのある月曜日の出来事です。
給食袋を忘れたことに気づいた私は職員室に行って電話を借り、
家に連絡を入れました。母は一駅離れた代々実家で経営している
洋食レストランに出勤しようとあまり慣れていない自転車をこいだ、
まさにそのときに家の中で電話が鳴ったようです。携帯電話などない時代。
借りてまでする電話はいまよりずっとおおごとで、何が起きたかと
震えたことでしょう。
「これから持っていくから。1時間目が終わったら門のところにいなさいね。」
ほっとした私は、アイロンのかかった清潔な白衣を思いながら
少し楽しい気持ちで授業を受け、終わるやいなや門まですっとんで、
母が来るのを待っていました。
考えてみれば、教科書でもないし、たいした忘れ物ではないのです。
白衣などなくても何とかなったでしょうに、真面目一筋の両親に育てられた
子どもにしてみれば、学校の決まりを破るなんてもってのほかだったように
思います。

小さく、道の彼方に危なっかしく自転車こぐ母の姿が見えてきました。
小さいけれど必死な様子が伝わってきます。
その姿が次第に大きくなるにつれ、母が血だらけになっているのがわかりました。
額や手や、レストランでいつも着ている白衣の上着に赤い血がこびりついています。
でも顔は、いつものようににこにこと笑っていて、私は意味がわからず、
呆然と立ちつくしていました。
あわてすぎて自転車ごと転び、車道で顔を強く打ったのです。
「そやけど、典子の休み時間にまにあうようにと必死やったから全然痛なかったよ。
あれまあ、すごい血やねえ。」
おでこをぬぐった自分の手を見て驚いた顔をしながらも、「ほら。」と給食袋を
さしだし、私がそれを抱えたときの母は心から安堵したようにまたにっこりと
笑ったのでした。

愛とは何かとは大げさですが、私は「愛」という言葉を聞くと、いまもこのときの
血まみれの母の笑顔を思い出すのです。
思い出し、そしてちょっと泣きたくなるのです。
今年80の母には、随分前に一度だけ、この思い出を話したことがありますが、
本人はまるでおぼえていませんでした。
母親として、それはあまりにあたりまえのことだったのでしょう。
そう思うとまた、胸の奥に小さな灯りがともるようなのです。

今回帰省することができて本当によかったなと思った昨日の母の日でした。

もう台風が迫ってきているようです。どうぞお気をつけくださいね。

【末金典子】

春爛漫となり、沖縄県最大のショッピングモールもオープンするなど
なんだか気分華やぐ今日この頃ですね。
そしていよいよゴールデンウイーク! あなたは何か計画がおありでしょうか。

今日の麗王便りは少し長めになりますので、どうぞのんびり気分で
お読みくださいね。

いまから80年ほど前、ヨーロッパの一角に、人々の期待を一身に集めた
政治家が登場したことがあります。第一次世界大戦のあとの荒廃した世の中、
そこに米国で始まった世界恐慌がかさなって、街には物乞いとホームレスが
あふれ、誰もが、いつ自分がそうなるかとびくびくしながら暮らしていた時期です。

彼と彼の政党は言いました。
「貧困問題の解決は最優先課題である。人々に仕事がなく、
累計すれば数10億時間もが無為に浪費されているとは、
考えるだに恐ろしいことだ。若者たちよ、街に出て、困っている人たちのための
募金を始めよう。心ある人たちよ、食費を倹約し、募金に応じよう。
仕事のある人たちはサラリーの一部を寄付しよう。われわれも個人の資産と
零細農家と中小企業を守るため、最大限の努力をする。」

そろそろ自動車が普及し始めた時代でした。彼は言いました。
「クルマが金持ち階級のものであるうちは、国民を貧富の二つに
分裂させるものでしかない。この国を支えている真の国民大衆のための
クルマこそ文明の利器であり、すばらしい生活を約束してくれるものだ。
われわれは国民のためのクルマを開発しよう。」

こうスピーチした直後、彼は国産自動車会社を立ち上げ、高性能で安価な
乗用車の設計を進める一方、全国をカバーする高速自動車道路の
建設にも乗り出します。

さらに言いました。
「国民は国内外の旅行を楽しんだり、すばらしい音楽や映画やスポーツを
享受する権利がある。そういう余暇がなければ、明日を創造する労働意欲も
湧いてこない。」

そして実際、各地にリゾート地やスポーツ施設を次々に作っていきます。
また巨大な豪華クルーズ船3隻を建造し、多くの国民を格安の海外旅行に
送り出しました。実施にあたったのは7万人を超えるボランティアたちです。

不景気によって荒れ放題の山野についても、こう言っています。
「みんなで母なる自然を守ろう。針葉樹だけでなく、広葉樹も植えて、
豊かな森を再生させようではないか。野生動物の命を守るため、
その生活環境の茂みや雑木林を勝手に伐採すること、残忍なワナを
仕掛けて殺生することも禁止されなければならない。」

こうした政策はいまふうに言えば「弱者救済」「景気回復」「環境保護」です。
しかもそこにはクルマやスポーツや文化芸術の享受という、国民一人一人が
世の中の好転を実感できるような具体策も備わっています。
不景気に打ちのめされ、それまでの中央政府の無能ぶりに
苛立っていた人々は、やっと頼りになる政治家が現れた、と熱狂しました。
その熱狂的支持を追い風に、彼は権力への頂点へと登り詰めていきます。

さて、この指導者は誰なのでしょうか?

じつは彼こそ、20世紀最悪の政治家と言われるアドルフ・ヒトラーその人です。
ドイツ・ファシズムの立役者であり、600万人のユダヤ人と、ドイツ人であっても
政敵と見なした人物や心身障碍者などを次々にガス室に送り、
世界じゅうを第二次大戦に引きずり込んだ張本人です。
戦前の日本は彼と同盟を結び、敗戦のどん底へと転げ落ちていきました。

そういう悪行が明らかになった現代の目から見ると、当時のドイツ人たちが
どうしてあんな最悪の独裁者にコロッと騙されたのか不思議です。
でも、彼が国民の支持を集めていった1930年代の過程を時間順に
たどってみると、その秘密がよくわかります。

弱者救済は人々の心をとらえました。
景気回復はみんなが望んでいました。
環境保護の大切さは誰もが感じていました。
当初はドイツの地方都市で活動していた彼は、国民の心に響く
これらの政策をストレートに叫び、熱烈な支持を全国に
広げていったのでした。

政治って怖いなと思います。

昔のドイツ人たちが失敗したのは、ヒトラーの口当たりの良い政策に
熱狂したことでした。
我を忘れて興奮すると、政治を変えようというエネルギーを
すべて政治権力にからめとられてしみます。その結果、その指導者と
その政治手法に依存し、万歳することしかできなくなります。
そして、危険な人物に政治を乗っ取られた、と気づいた時は
もう手遅れでした。

琉球新報の金口木舌でも取り上げ書いておられた
心理学者フランク・パブロフの100万部のベストセラー「茶色の朝」は
こう始まります。

始まりは猫だった。茶色以外のペットを禁止する法律ができて、
主人公は白黒の飼い猫を処分した。友人も黒い犬を始末した。
法律に反対した新聞は廃刊になり、続いて本、ラジオ、酒、政党も
茶色以外は追放される。茶色が世の中をひたひたと支配していく。

違和感を覚えながらも、主人公は「流れに逆らわなければ安心だ。」
と思っていますが、やがて法律が変わり、過去の茶色以外の飼い主まで
国家反逆罪となります。「あの時、抵抗すべきだった」と悔やむ主人公に
なっていくのですがもう手遅れでした。

茶色はナチス初期の制服の色で、欧州ではファシズムの象徴です。
これは寓話ですが、私達に大きな警鐘を鳴らしてくれるように思うのです。

集団的自衛権の行使、憲法9条の骨抜き、武器輸出解禁、
自衛隊の全世界派遣…と歯止めが次々に外されていきます。
変だなと思いつつ、忙しいからとやり過ごしていると、
後戻りできなくなってしまいます。
東京でオリンピックだ~!と浮かれ騒いでいるうちに
なんだか国が変な方向に?なんてことになりかねません。
片や倒産、自殺、生活保護世帯の増加、犯罪などが
相次いでいるというこのチグハグさ。
こういう世相は世界史を読むと「ローマの崩壊」のところと酷似しています。
ローマの闘技場で、人間とライオンの死闘に熱狂しているうちに、
ローマは蛮族に打ち負かされてしまったのです。
歴史は繰り返すと言いますが、なぜか、今の日本を見ていると、
「ローマ興亡史」が目の前にちらつきます。
日本はまだ、国を失うという悲劇にあったことがありませんから、
国民は呑気ですが、歴史的に不幸にして国を失したことのある民族なら、
安閑とはしていないでしょう。

ではどうしたらよいのでしょうか?

哲学者の高橋哲哉氏は、誰もが持つ怠慢、臆病、自己保身、
無関心の積み重ねがファシズムを生むと指摘されています。
「思考停止をやめ、考え続けること。」と。
いやなことは考えない思考停止、不安だけどぬるま湯から出ない惰性、
誰かやってよという依存…。この国がはまり込んでしまった停滞現象から
「そろそろ目を覚ませ」と神が放った警鐘が
今の日本の政治かもしれません。

普段は忙しさでいっぱいいっぱいであっても、こんなちょっとまとまった
お休みの時にはじっくり世の中を考えてみたり、本をひも解いてみたり
ネットでいろいろ調べてみたりするのも大事なことだと思います。
そしてもちろんうんとうんと楽しんでくださいね。
どうぞ充実したゴールデンウイークを。

* 麗王はカレンダー通りの営業です。(日・祝祭日お休み)

【末金典子】

少~しですがなにやら春の香りがしてまいりましたね~。
寒い2月もお元気に乗り切られたことと存じます。

私は滅多にテレビを観ることはないのですが、
随分前に、観たかった番組が終わってなんとなくテレビをそのまま
観続けていた時のこと。
何の番組だったかもう忘れましたが芸能人の出産を伝えていました。
夫妻の結婚式から始まって、妊娠中に海辺でたたずむシーンも盛り込んだ
ストーリー仕立てです。二人が迎えた生まれたばかりの赤ちゃんは可愛くて、
それはそれで微笑ましいものでしたが、「出産」が、そこにいたるプロセスも
含めて、いよいよ「究極の商品」になってきた、とも思うことができるような
内容でもありました。

今、モノがあまり売れていないそうです。
だから、「こどもの誕生」とか、その前段階の「恋愛」とか「結婚」とか、
ベタなプライバシーを夢仕立てのストーリーにしないと、広告で成り立っている
マスメディアももたないと言われています。
でも、人間の営みって、商品なのでしょうか。

もう他界した私の大正生まれのお祖母ちゃんの姉は、戦前の
「産めよ殖やせよ」時代の、大家族の長姉に生まれた人でした。
母親を早くに亡くした一家には、この大叔母の下に5人の弟妹がいて
(私のお祖母ちゃんもその一人)、彼女はごく当然のように
母親代わりとなって、生涯を独身で過ごしました。
沖縄でもこういう話を幾度か聞いたことがあります。

小さかった私の記憶に残っているのは、予告もなく、さぁ~と家にやってきて、
ジュースやらお菓子やら、食べ物やらお小遣いやらを置いて、また、さぁ~と
出かけていく姿です。「お茶でも」と引き留めても、腰もおろしません。
「次があるから」と、豆タンクのような体で、それぞれ家庭を持った弟妹達の家を、
順番に回っていくのです。

そのいつも明るい大叔母は、ほっぺたがりんごのようにつやつやとしていました。
気ままで、ちょっと自分勝手なところもある人だったので、その明るさは、
ムリして、とか、強がって、とかいうのではなかったようです。
いつも健康で、大正生まれらしくとてもモダンな人でもあり、海外旅行にだって
出かけていました。弟妹達にはいつも「私はいつも幸せやわ~」と楽しそうに
笑って言っていたそうです。

大叔母の好奇心の発露は、一人で出かける旅にありました。
そして、小さな旅を予定していた朝に、ぽっくりと亡くなりました。
傍らには、簡単な支度をまとめた旅行かばんがあったそうです。

大叔母の人生には、結婚、出産はおろか、恋愛なんていうものの欠片も
なかったように聞いています。マスメディアからの情報も、世の中の流行も、
まったく縁がありませんでした。でも、いつも元気で幸せな女性だったのです。

マスメディアと、それから新たに登場したネットメディアは、今日も毎瞬間、
「人生を充実させましょう」「そのためにこれをしましょう」と、
さまざまなメッセージを送ってきます。さすが商売だけあって、
「あなたの人生にはこれが欠けています」というメッセージを送られると、
つい惑わされそうになりますが、でも、それらはしょせん他人の欲望なのです。
だから、そういうものは、いったん、すべて無視したいものです。
普通に生まれて、普通に生きて、普通に楽しい。
そういう人生が、私達にはあらかじめ約束されていると思うのです。

明日は桃のお節句、おひな祭り。
女性の生き方や幸せについて想いを馳せたことでした。
いえ、男性も同じことかもしれませんね。
あなたにはあなただけの幸せが必ず用意されているはずです。
そのあなただけの幸せを、どうぞゆっくり、じっくりと生きてくださいね。

明日は麗王で、有機酒かすから作った手作りの白酒や、桜餅、
天使のえびと無添加いくらの手作り海鮮ちらしずし、無添加ひなあられ、
菜の花のおひたしなどで古式ゆかしくお祝いしようと思っています。
あなたもどうぞ御一緒くださいね。

【末金典子】

さすがに2月ともなるとこの沖縄でも寒~い毎日が続いておりますね~!
カゼなど体調を崩しておられませんか?

この週末は寒さも吹き飛ばす心熱きバレンタインデーですよ~。
麗王は若い女性や男性のお客様も多くいらしてくださるのですが、
どの方にも彼氏彼女がいて今ラブラブかというと、意外にそうでもなく、よく
「出会いがないんです~」
「婚活中です~」
なんてお話になるのです。
特にバレンタインデーやクリスマスなどのイベントの時には
ちょっぴり淋しい想いも抱えて麗王にいらしてくださる方もいて、
そんな時に必ずお話するのが、
「恋愛をしていない時間も、大切にしてくださいね。」
ということ。

相手に届かない気持ち。
すれ違うお互いの気持ち。
どんなに想っていても、うまくいかない「恋愛」もありますね。

自信をなくして落ち込んだり、寂しさに戸惑うこともあるでしょう。
でも、そんな時だからこそ、持つことができる時間があります。

今まで、相手のことばかり考えていた毎日が、
自分のことを見つめる時間になる。
その時になって初めて、自分の弱さや、周りの優しさに気付くのです。

1つの恋愛を終えたばかりの人も、恋愛に後ろ向きになっている人も、
今が、あなたにとって大切な時。

自分自身と正面から向き合うことができる、素敵な時間なのです。

人は必ず同じレベルの人と愛し合う、と言われます。
高いレベルの人と愛し合いたかったら、自分も高いレベルの人にならなくては。
だからこそ、一人でいる時の時間が貴重なのです。
恋愛中はお互いのことに時間を取られてしまいますが、
一人の時なら時間は全部自分の物。
映画を観たり、本を読んだり、友達と楽しい会話をしたり、
美味しいお食事を楽しんだりと、自分磨きのために自分自身に
時間や労力やお金をどんどん投資し、毎日を楽しみましょう。
そうしているうちに、うつむきがちなオーラが消えて、
あなた自身が光りだし、素晴らしい相手があなたに気付いてくれるはずです。

週末のバレンタインデーに誰もいないという方はぜひ麗王で楽しいお酒とチョコを
御一緒に。
ラブラブだよ~、という方は心ほっこりの温かな一日をパートナーと御一緒に
幸せいっぱいにお過ごしくださいね。

【2015.2.12 末金典子】

1月も早や終わり、明日はもう節分ですね。
節分というのは、平安時代の宮中儀式「追儺(ついな)」が始まりと
いわれていて、この日は立春の前日で文字通り季節を分ける境目。
旧暦でいう大晦日なんです。それで前年の悪疫邪気払いの行事として
この「追儺」が行われていました。

では、なぜ「豆」を投げるのでしょう?
実は鬼の目「魔目」に豆を投げれば「魔滅」するからだとか。

また煎った豆でないといけないのはどうしてでしょう?
生の豆は芽が出てくるため、そこから鬼が芽を出という説や、
豆(魔目)を煎ることにより鬼を退治するという説もあるそうです。
つまり豆自体が鬼なので、外に投げ「鬼は外!」、あるいは
食べてやっつけろ!というわけですね。

さて。
あなたは、「マスターズ甲子園」という大会を御存知ですか?
私は野球のことは全然詳しくなくって、以前、藤田設計・所長代理の
玉代勢さんが麗王にいらしてくださっていた時にお話をうかがいして
初めて知ったんです。
(この玉ちゃん、高校野球の審判をボランティアで20年近くも
続けておられる方で、麗王では数限りない高校野球のエピソードを
お話してくださり、高校野球といったら玉ちゃんの右に出る人はいない
という方なんですよ~。)
この「マスターズ甲子園」。
かつて高校野球に出場した元・高校球児たちが甲子園球場を舞台に
世代を超えたOBチームを結成して再び甲子園を目指し、
野球を通しての同窓会を行いそれを生涯スポーツとし発展させ
また次世代の子供たちに野球の素晴らしさを伝えていくことを目的に
2004年から創設された大会で、別名「秋の甲子園」とも呼ばれているんです。

この「マスターズ甲子園」を舞台に、「アゲイン 28年目の甲子園」という
映画が作られ今公開されています。
http://www.again-movie.jp/

再び夢を追う不器用な父親たちの物語で、野球を通して生きる喜びを
再認識し、人生と向き合っていく姿が描かれています。
原作は直木賞作家であり、2006年から、「マスターズ甲子園」の応援団長も
つとめておられる重松清さん。主演は中井貴一さん。
主題歌が浜田省吾さんです。

元高校球児だった影もなく、バツイチで一人娘とも絶縁状態の
サビついたオヤジが主人公。そんな彼のもとに、
「元高校球児達が再び甲子園を目指すマスターズに参加しませんか?」と
一人の女子大生が訪ねてきたことから、オヤジ達の心が揺れ始めます…。

社会的には、元気がないと言われる40代、50代。
だけど、私自身、50歳を迎えた時に思ったんです。
ああ、やっと50歳になることができたな、と。
40代、50代は、親の介護を経験したり、人の生き方というものを一番
体感する時でもあり、会社の中や、社会でも自分の意見が通るように
なってきたり、いろいろな人とも繋がりやすい世代です。

だけど、男性は特にそうだと思うのですが、55歳、60歳で定年を迎える
今の日本の社会だと、男として最も脂ののっている時期に、あと何年…と
終わり方を考えなくてはなりません。40代後半、50代がなんだか
前を向くことができない社会。
人間、歳を重ねると涙もろくなると言うけれど、それはいろいろな経験を
重ねたからこそ、痛みがわかり、泣くことができるようになる、ということだと
思うのです。本来なら、40代、50代は人としてそんなふうに
いい時期なのに…。

そういうオヤジ達が再び挑む甲子園への道のりの中で、たびたび耳にするのが、
「ちゃんと負ける」という言葉です。確かに、真剣に挑んだ後の、オヤジ達の顔は
勝ち負けなんかに関係なくすがすがしい。きちんと負けることの大切さ
というものも伝わってきました。
人生の中では「勝つこと」以上に「負けること」も大切だと思います。
「勝つこと」は自信になるけれど、「負けること」は成長に繋がります。
次に勝つために負けるのです。
言い換えると、負けを知るからこそ勝つことができる。
負けを知ることで、もっと大きな何かを得るという価値観。
負けたことから逃げないという自覚。
負けっぱなしではなく次は勝つようにしようという精神性。
大切なのは闘い続ける勇気を持つことなのだと思います。

またこの映画では登場人物たちが10代の頃の後悔と向き合うのですが、
「あの時やっておけば」っていう悔いって、その頃からあるんですよね。
30代、40代も結局その繰り返し。
なので私は学習しました。
やりたいこと、やるべきことはとにかく今やろうと。
50歳から80歳まで30年。0歳から30歳までの30年を思えば、
いろんな経験を積むことができると思うのです。
年齢なんて関係ないとずっと思っていたけれど、50歳の扉って意外と重いもの。
50歳を迎えた途端、人生の終わりについてもちらりと考えてしまったり…。
以前は先を見てばかりいたけど、これからは今をしっかり生きたい、
そう思うようになりました。今をしっかり生きることが、悔いなく生きる人生に
つながるのではないでしょうか。

麗王には30代40代の方も多くいらっしゃるのですが、
20代のころに比べたら30代40代なんて何をするにも遅すぎると
思っているかもしれません。
でも、今からいろんなことができるということを忘れないでほしい。
夢なんて今さらと思わないで。
歳を重ねてから叶う夢だってあるんだから。
つらいことや大変なこともあるけれど、経験を重ねてこそ得ることができる喜びが
あるんです。
歳を取るのも決して悪くないですよ~。
山に登るように、登ってみると初めて見えてくる景色があるんです。

あなたには、再び挑みたい「アゲイン」ってありますか?

さぁ、明日は節分。
新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいアゲインやトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれませんね。

私にとってのアゲインってあるかなぁ…。
実はないかも…。
だって、後悔のないように常に挑戦し続けている気持ちでいるから。
ただ、ちゃんと負けて次に勝つことは学びたいですし、
今をしっかり生きて、悔いなく生きる人生にしたいと思っています。

火曜日はあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は~外、福は~内!」
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
私も邪気を払うべく、もっと元気になるべく豆を今までより少し多めに撒き、
しっかりと数え歳プラス1個のお豆さんをいただくことにいたします。
そして今年の恵方の西南西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりするぞ~!
あなたと私の今年一年の幸せを、今日を元気に生きていることの幸せを、
心から願って。

* 麗王でも明日は「手作り恵方巻き」を御用意いたしておりますよ~。

【2015.2.2 末金典子】

新しい年が始まりましたね!
あなたはどんな2015年の始まりをお迎えでしたでしょうか。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でしたよ~。

昨年中も麗王でいろいろな方々とお話させていただきました。
当然のことなのですが、以前のお客さまは私よりも年上の方々が圧倒的に
多かったものですが、私も50代ともなりますと、今や年下の方々が
とても多くなりました。(それはすごくありがたいことでもあります。)
さて、そうなりますと、みなさんが今悩んでおられることなどをよくお話くださいます。
それは私がみなさんの悩みにアドバイスするなどという烏滸がましいことではなく
お話なさることによって御自分の考えを整理なさり、向き合っておられる
という感じです。
その多くの悩みが、
「自分は何をして生きていきたいのか、何をしたいのかがわからない」
「自分はこれでいいのだろうか、この仕事のままで、この職場のままで
いいのだろうか」
「自分が好きになれないんです」……といったことでした。

そこで年の始めに私が感じたことをお話したいと思います。
少し長くなりますがあなたのために心を込めて書いてみます。

自分なりに考えて人生を選ぶには勇気がいります。その勇気はどうやって
見つけたらいいのでしょう。

まずは、自分を信じること。あなたには、あなただけの素質があり、
それを世界が求め、必要としています。世界があなたを必要としているなんて
言うと、「そんな~」と思うかもしれないけれど、とにかく、そう考えることが大切。

自分の才能や能力を人に認めてもらいたいなら、まず自分で、
それを認めてあげる。人に言う必要はありません。自分のことを「大切な人間」と
感じることが目的なのですから。

音楽でも美術でも文学でも、名作を生み出した人の多くは、若いころみんな、
あなたとおなじような不安を抱えていました。
大発明をした人、革命を起こした人もおなじこと。でも彼らは、認めてくれる人が
いないときでも、自分を信じ、目的に向かってまっすぐに進んだのです。
そんな生き方は、人から理解されないこともあります。だけど、あなたの努力は
世界を豊かにするかもしれません。

目の前の仕事をする、周りの人と話す、気になることを調べてみる、映画を観る、
本を読む、写真を撮る。なんでもいい。すべてを忘れて打ち込んでみましょう。
そしていつでも自分自身を信じていること。

たいていの人の頭は、矛盾だらけの情報や意見でいっぱいになっています。
きっとあなたの頭のなかにも、いろいろな人の、いろいろな声がぎっしりつまって
いることでしょう。その声は、あなたが大事な選択をしようとするときになると、
きまっていっせいに話しはじめます。まるでラジオのチャンネルが、ぜんぶ同時に
鳴っているような感じ。

その声は、上司や家族、友達や専門家の声です。だれもが「ああしなさい」
「こうしなさい」と叫んでいます。なかには、まるで正反対の意見を言う人だって
います。彼らの声に耳を傾けていたら、それこそ頭が変になりそう。

子供のころから、いつも問題にされてきたのは、あなたの頭でした。
身体はいつも乱暴に扱われ、「じっとしていなさい」とか「しゃんとしなさい」
とか、そんなことばっかり。

そのせいで、あなたは自分の身体に注意を向けることができなくなりました。
あなたは、身体の声を聞いたり感じたりする能力を失ってしまったのです。

身体には、味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚という五感が備わっています。
そこから入ってくる情報によって、あなたの身体は、緊張したり、疲れたり、
痛がったり、苦しがったりします。リラックスしたり、興奮したり、うれしくて
踊りだしたくなったりもします。気づいていないかもしれないけれど、
あなたの身体は、あなたを幸せに導く「誘導システム」なのです。

あなたの身体は、五感からどのような情報が入ってきたときに、
幸せを感じているでしょうか。

個人的な悩みがあるときは、あなたの話を黙って聞いてくれる人に
話をしましょう。解決策を教えてもらおうなんて思わない方がいいのです。
あなたには、自分にとって一番いい、的確な決断をくだす知恵が
備わっているのです。ただ、自分の気持ちを言葉にしたり、
確かめたりするために、人に話してみる必要があるだけなのです。
麗王もそういう店で場でありたいと思っています。

せっかくの人生なんだから、すばらしい人生にしたい。
心温まる友情やロマンス、出会いや旅行。美しいものでいっぱいの
人生にしたい。
そのためには、自分が必要としているものを、ためらわず自分自身に
与えましょう。ただ待ち続けているだけではだめ。積極的に自分で行動を
起こしましょう。

働きすぎないように、ストレスになることはできるだけしないように
気をつけましょう。疲れたら休んで、いつでも身体の声に耳を傾けましょう。
そして、自分のことをいたわりましょう。あなたのいちばんの財産は、
あなたなのだから。

自己愛というものがあります。愛を外に向けたがる人が多いのですが、
私は自分へ向ける愛こそが裏切りのない崇高な愛の一つの形であると
信じてやみません。人間は孤独なものです。天国へは誰もがみんなひとりで
旅立ちます。愛する人ともいずれ別れないとなりません。「さよなら」を常に
自分の傍に用意しておく必要があります。「さよならいつか」、これは人間の
掟なのです。どんなに幸福な人であろうと、死から免れる者などいません。
この絶対の孤独を前にして、それでも人間は幸せを目指す生き物なのです。
死後の世界へも連れて行くことのできる愛が、自己愛なのかもしれません。
決して裏切らない自分自身を創造する過程こそが自己愛なのです。

仮に自分を好きになることができればこんなに楽しい人生はありません。
自分をなおざりにして他人を愛したり思いやったり、美しく生きることなど
できません。輝いている人は、結局、自分遊びの上手な人、自分の中に
可能性を見つけ大いに自分をイキイキと転がしている人なのです。
自分を励ましましょう。
自分自身で遊びましょう。
自分の可能性を信じましょう。
自分が自分であることを誇りに思いましょう。

鏡をまっすぐにのぞいて、自分の名前を10回、
はっきりと声に出してみてください。誇りが蘇ります。

愛は人間の孤独の上に成り立っています。そのことを人が知るとき、愛は、
自分の中にささやかな灯りをともします。「共に生きよう最期の時まで」と
自分自身に言うことができる今でありたいものです。自分のなかにこそ、愛、の
一つの崇高な形があるのです。そして自分を愛することができるからこそ、
他の人も思いっきり愛することができるのです。

ほかの人にふりまわされるだけの人生を送ってはいけません。
いつでも前向きに考えるよう心がけましょう。つらいことがあったら、
がまんするのではなくて、自分で行動してなんとかすること。

幸せになるんだと決めて、心のなかにイメージを持ち続けていれば、
夢は必ず実現できるものなのです。

どうぞ今年はあなたらしく生きてくださいね。

そんなあなたに寄り添い、麗王でのひとときを優しさや楽しさで包むことが
できますように。
私もそんな想いで今日からスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

***

7日の水曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
麗王では今日明日はおせち料理を、7日はこの七草粥を御用意しておりますので
ぜひ召し上がってみてくださいね。なお10日には「鏡開き」のおぜんざいも
ご用意いたしておりますよ~。

【2015.1.5 末金典子】