トリニティのホテル金融論(pdf)

「トリニティのホテル金融論《前編》」では、「ホテルを破綻させないための運営の最低水準は、総投資額を物件の残存耐用年数で割った額に等しい単年度事業収益を税引き後で生み出すこと(事業収益は金利支払前、減価償却費差引き後)」である、とコメントしました。ホテル運営者の立場からは一見突飛な発想に感じられる可能性が高いのですが、不動産金融の世界ではむしろ常識に近い発想だといえます。これは資産売買が想定されない事業環境から、売買市場が生まれ金融メカニズムが機能し始める過渡期にはどの業界にも一様に生じる認識のギャップです。不動産流動化のマーケットでは90年代のアメリカ、2000年代の日本でも同様のことが起こっています。

不動産金融の考え方
金融的な見方が一般化しているオフィスなどの収益不動産物件では、築年が経過している中古物件は取引に際してどんどんキャップレート*(1) が上昇するなど、実質的に前述の「理論」と同様の市場原理が機能しています。「あと5年で取り壊しだろう」、と思われる老朽物件でも年間キャッシュフローの5倍までの価格で買うことができれば(キャップレート20%ということになります)、少なくとも物件が朽ち果てるまでに元本は回収でき、実際に不動産売買市場ではこのような考え方を基本にして値段が決まります。

ホテルがオフィスなどの不動産物件と異なる点は、①従業員が大量に存在すること、②躯体が物理的に維持されたとしても機能の陳腐化によって資産価値が大きく減価する可能性があること、③不動産などと比べて売上高利益率が非常に低く事業リスクが高いこと(「運営レバレッジが高い」と表現されることもあります)、④資産の所有形態についても不動産というよりも事業としての特性が強く法人税等の負担がかかりやすいこと、という性質がありこのため資産評価に対するプレミアムは不動産以上に要求されるはずです。

日本のホテル金融の特殊性
この考え方において、ホテルがその他の不動産と最も異なるのは従業員の存在です。残存耐用年数5年の不動産であれば、5年で投資資金を回収してしまえば不動産が朽ちても投資は完了しますが、ホテルの場合は従業員が存在するため、原則として建物を建て直して事業を継続しなければなりません。この物件建て直しと事業の再開が実現できなければ事業はその時点で破綻してしまいます。したがって、ホテル事業ではこの再開発の資金調達を前提に単年度の収支を逆算しなければならない点が、単純な不動産金融と決定的に異なるというのが僕の考えです。

このような考え方をする人は現状殆ど存在しないのではないかと思うのですが、恐らくその理由は、①日本ではホテルが現在まで一般的な売買の対象とされていなかったこと、②アメリカの考え方をそのまま適用していること、によるのではないかと思います。前者については、収益物件として第三者に売却された(第一号とは言いませんが)事実上の幕開けとなった案件は2000年のリーガロイヤルホテル成田(現成田ヒルトン)の案件以来だと思います。したがって近年急速に増加しているとはいえ、まだ5・6年分の事例しかありません。後者については、ホテル金融理論が生まれたアメリカでは従業員の解雇が(日本と比較して相対的に)一般的な現象であり、ホテルの建物が老朽化して廃業・取り壊しとなってもこのような問題はそれほど深刻な問題を引き起こさないという考え方から、アメリカ型の金融理論のフレームワークには勘案されていないのではないかと推測しています。

金融的に表現すると、不動産投資は将来のどこかで元本の価値が消滅するワラント投資に似ていますが、日本のホテル資産に関して言えば、従業員の存在と事業継続の原則のために、将来ワラントの元本が消滅する不動産的な性質のみならず、満期時に新たな追加投資を行う義務が投資家に(実質的に)課せられている、というイメージです。ただし、ここでの「追加投資」すなわち物件の再開発は投資家の法的な義務ではありません。事業の継続と従業員の雇用を前提とした場合、「実質的に」必要であるという性質に過ぎないため、あとは経営者と投資家の価値観によります。そして、経営者が事業の継続と従業員の雇用と生活を尊重するという選択をするのであれば、単年度事業の課題として対処されるべきで、トリニティのホテル経営論に沿った事業運営が重要になってくるという考え方です。

前回の質問への回答
なぜ外資系に代表される投資家はこれほど大量に高い簿価で資産を取得し続けるのでしょうか?また、現実には上記の運営水準を単体でクリアしていないホテルが少なくないと思うのですが、なぜそれでもホテル事業が成り立っているのでしょう?というのが前回の質問でした。答えは簡単で、単独のホテル収益以外からその差額の埋め合わせがなされている、つまり将来の資産の実質的な転売や収支の補填などによって他の投資家や事業が実質的に負担しているからです。

そのいわば利益「付け替え」の手法はいずれも金融によるもので、いくつかのパターンがあります。第一に、親会社が実質的に負担する。第二に、継続的な追加資産の買収やM&Aによって資金調達を可能にする。第三に、上場などの外部資金調達(つまり実質的な転売)によって充当する、が代表的なものです。

第一の、親会社などが負担するパターンの典型は、大手エアライン系、電鉄系、旅行会社系、かつての建設会社系などのホテルチェーンにおいて、単独ホテルの収益が前述の理論的なガイドラインに満たない場合でも、資本力のある親会社からの潤沢な出資・貸付・債務保証などによって資金提供がなされるものです。単独資産での収支が合わないことはあまり議論されず、「事業シナジー」という概念で説明されることが多いのではないでしょうか。確かに考え方としては、単独ホテルの収益力の不足分を超える「事業シナジー」が生まれる場合、合理的な経営判断になりえるのですが・・・。「シナジー」って結局なんでしょう?

第二の、継続的な資産買収やM&A は、良きにつけ悪しきにつけ最近特に注目度の高い手法です。このメカニズムはホテルなどの資産買収であろうと企業のM&Aであろうと基本的に同じです。例えば、売上20億円、理論的な企業存続の収益ガイドラインが年間4億円で、実際には2億円の収益しかないホテル会社があったとします。これでは将来のどこかの時点で破綻する可能性が高いので、この経営者は対応策として新しいホテル投資案件を探すことにします。程よく見つかった新規案件もやはり同様の規模で買収価格40億円、売上20億円、収益ガイドライン4億円に対して、実際の収益が2億円だったとします。

冷静に考えれば、この投資を実行することはマイナスの上塗りになりそうなものですが、金融市場が理性的に機能することを期待してはいけません(少なくとも僕の印象はそうです)。新規案件のファイナンスにおいて、買収価格40億円を全額借入金で賄い、40億円に対して3%、1.2億円の金利支払が生じるとして、売上は20億円から40億円に倍増すると同時に、この追加負担が年間2億円以下で済む場合一株あたりの利益も確実に増加します。そうすると、企業が発表する事業のシナリオ次第では、「急成長企業」ということになり株価が上がり、より高い株価で資金調達・・・という循環が出来上がる可能性があります。このとき借入金も同様に急増するのですが、「資産(事業)の急拡大」と見られるか、「有利子負債の膨張」と見られるかは(この場合両者は同じことなのですが)、みんなの雰囲気というか、アナリストの気分次第というか、IR のイメージと会社の雰囲気次第みたいなところがあります。

マイナスにマイナスを加えてもどこかで破綻する可能性は減少するどころか増加するだけなので、必ずどこかの時点で立ち行かなくなることは明らかでありながら、金融市場では全く逆の評価がなされ、「注目の成長企業」といったイメージが少なくとも一定期間継続します。「金融」に強い関心を持つ多くのベンチャー企業家はこのメカニズムを理解しており、IT、急成長市場のイメージとこのメカニズムを重ねて、市場から大量の資本を調達します。どこかで破綻する可能性が高い構造でありながら、その際にババをつかむのは一般の株式投資家ということになります(ライブドアへの株式投資で実感した方は少なくないのでは?)。このような「成長企業」は収益力の実態がなくとも増資や株式公開で投資家から集めた現金の内部留保があればとりあえず企業の破綻は避けられますので、ひとつの事業手法?として少なくとも今のところ機能しています。このためこのような事業ならぬ「お金集め」を事実上の本業とする企業は増える一方です。その結果、実質的な事業付加価値を生まず、利益と現金しかない「成長企業」と(中には利益すらない会社もありますが)、短期間で「成功」した経営者が大量生産される・・・といったら皮肉が過ぎるでしょうか。逆に考えると米国を起源に、現在これほどM&A が活発になっている理由の相当比率はこのメカニズムに起因します。

第三のパターンは、投資銀行や投資ファンドが得意とする金融手法です。金融の世界も酒屋さんと同じで小売と卸売りが存在します。突き詰めて考えると問屋さんの目的は転売することですが、不動産金融の場合も同様です。金融の世界の問屋さんは投資ファンド(プライベート・エクイティといいます)が代表的で、この事業の目的はやはり転売することです。例えば不動産やホテルを大量に仕入れ、これをREIT(リート:不動産投資信託)などにまとめて株式市場などに上場しますが、これは一般投資家(リテール)に株式という形で不動産を転売する事業です。より高い価格で転売することが目的であれば、「単独ホテルを破綻させないための収支ガイドライン」はあまり関心ごとにはならないのです。そして上場した後は、上記第二のパターンを活用することが可能ですので、なかなか息の長い「成長」を遂げることができます。

補足とまとめ: トリニティのホテル金融論の使い方
トリニティのホテル金融論では、投資家の資本的な制約(投資簿価)を基準として、単体のホテル事業を破綻させないための最低運営水準を明確にし、運営的なガイドラインとして表現しなおしました。これは、ホテル投資家と運営者の業務分担の中で、ホテル運営者が最低限果たすべき運営上のガイドラインを規定したもの、あるいは、投資家の資本的な制約を運営的な指標で表現し直したもの、という意味でもあります。したがって、正確に表現するならば、「理論」というよりも合理的かつ実質的な経営のガイドラインというべきものです。

例えば、このようなガイドライン収益を運営者が達成しても、投資家が資金を内部留保しなければ再開発は実現しない可能性が高いことからも分かるように、このガイドラインは投資家と運営者のルールではなく、ひとつの財務的な分担基準です。運営者がこのガイドライン収益を達成できなければ、単独で事業を存続することはどこかの時点で不可能になる可能性が高い反面、その差額について投資家が別途資金の調達を行うなど、必要な役割分担が明らかになります。あるいは、一般的な運営水準をはるかに超える投資条件(高い投資簿価)で案件をスタートした場合でも同様ですが、このような状況は、先に説明した三つの「利益付け替え」スパイラルに踏み込んでいるということをお互いに確認することができますので、自制を働かせたり、運営サイドと投資サイドの現実的な責任分担や対策を再確認する目的にも利用できるのではないかと思います。

現在のホテル業界においては運営者と投資家それぞれの事業分野に関する専門的な相互理解が十分ではないという印象があります。双方の専門家はそれぞれに学習と経験を積んでいるからこそ、その協力関係において相乗効果が生まれるのであり、双方がお互いのことを一から学習しなければならないとしたら、これは非効率ですしお互いの価値を高めることにもならないと思います。このようなガイドラインによって、実質的かつ効果的に、双方の人材が事業の価値観を共有し、しかし異なる専門性を分担するための橋渡しになるのではないかと考えています。

【2006.12.14 樋口耕太郎】

*(1) キャップレート(Cap Rate): 不動産の資産評価において、物件が生み出す収益を基準にして資産評価を行う方法(収益還元法)で広く利用される「収益還元率」。投資家が不動産投資に際して要求する単年度利回りと考えることもできる。「物件からのキャッシュフロー(減価償却前、金利支払前、税前の営業利益)÷キャップレート=資産価格」の関係にあり、収益倍率の逆数でもある。例えば、年間1億円のキャッシュフローを生む物件が20億円で取引されたとき、この物件のキャップレートは5%(1億円÷20億円)であり、この投資家はこの不動産物件を投資するに当たり、投資額に対して5%の収益が妥当と評価した、というおおよその意味を持つ。キャッシュフロー(フロー)を資産評価額(ストック)に変換する、すなわち収益をキャピタライズ(資産化)するという意味において、Capitalization Rateが語源。

「ホテル事業という生態系」では、経営上の課題を個別に捉えて対処するよりも、事業という生態系を理解し全体のバランスをとりながら対処することが経営効率を著しく高める、という趣旨のコメントをしました。これに加えて、ホテルのように資本集約的な事業では、資本の回収サイクルと事業収益のバランスをとること(建物・基本設備・什器備品投資の回収サイクルと単年度ごとの事業収支や資金繰りのバランスをとること)が劣らず重要だと思います。資本コストとキャッシュフローのバランスと表現することもでき、これは金融的なテーマでもあります。これらのイメージをかっこよく表現すると、事業の生態系(「空間」)と資本の回収サイクル(「時間」)のいわば「時空バランス」をとりながら最適解を求め続ける四次元パズル、という感じでしょうか。

破綻させない経営
僕はホテル金融においてなによりも重要なことは、「事業を破綻させない」ということだと思っています。そして企業が破綻に至る時の「金融的な分岐点」の把握が必要だと感じました。すなわち、ホテルはどのようにして破綻するのか、その原因は何か、ホテル事業の最大のリスクは何か、どのようにしたら回避できるのか、という問いに対して自分なりの明確な回答を出す作業です。不思議なもので、「破綻しない経営」をしっかり心がけていると、非常に収益力の高い事業経営が実現できるような気がします。

ホテルの破綻事例や運営が行き詰って資産を手放すケースの多くはこの金融バランスの見誤りに起因しているのではないでしょうか。不動産投資・運用事業の最大のリスクは借換えにあると言われていますが、ホテル事業の場合はそれに加えて、有限な建物の耐用年数と永続すべき事業のバランスをいかにとるか、という特殊なテーマが加わります。これらの金融バランスは事業の命運を分けるテーマだと思うのですが、一般的なホテル運営の現場ではそれ程の認識はないように思いますし、金融のメカニズムをよく理解して運営を行っている総支配人も今のところあまり多くはなさそうです。

トリニティのホテル金融論
だからといって、現場で活躍するべきリーダーが小難しい金融理論を一から勉強する必要はありません。僕がホテル会社の社長だったら、総支配人に最低限望む金融的理解は基本的に一点だけです。

「ホテルを破綻させないための運営の最低水準は、総投資額を物件の残存耐用年数で割った額に等しい単年度事業収益を税引き後で生み出すこと。」 ここでいう事業収益は金利支払前、減価償却費差引き後です。なお、この額に支払法人税と減価償却費を足したものがGOP*(1)です。

そして、この考え方のポイントは三つです。①例えば、40年で回収しなければならない資本は、各年度でその1/40を回収できなければ、会社が破綻に一歩近づくということ、②全ての資本コストは税引き後で負担するということ、③全ての資本コストは運営によってのみ賄われること。

この点を十分に認識しながら経営をするだけで、破綻を回避することができるホテルは驚くほどの数になると思います。このポイントを絞っているのは、おいしい料理と同じで、効果的な金融を実行する際に最も重要なものは、テクノロジーや手法ではなく素材、つまり事業収益とキャッシュフローだと思うからです。これをしっかり生み出し正直な経営を行っていれば、技術の進歩した現代金融において資金調達に不自由することは考えづらいという考え方がベースにあります。

例えば土地の取得簿価10億円、建築コスト30億円(総投資額40億円)、年間売上20億円の新築ホテルで、建物の実質耐用年数が40年だとすると、単純に考えて年間1億円(40億円÷40年)の税引き後現金を生み出さなければ、いずれどこかの時点で破綻するという前提で各年度の事業を計画・実行するのです。計算の際、減価償却分は同額を追加投資・修繕維持に充てる想定として、この計算からは除外します。つまり、この例では経常利益2億円(減価償却後、金利支払前、法人税前)=法人税1億円*(2)+資本コスト1億円という水準、すなわち単年度の経常利益が最低2億円なければいずれどこかの時点で破綻する、つまりこの水準が会社を破綻させない最低限度の運営水準であるという認識で経営を行うということです。

ちなみに、この会社の減価償却費が年間1億円だとすると、税前営業キャッシュフローは3億円、税引き後のフリーキャッシュフローは2億円、ホテル運営者が重要視するGOP は3億円、GOP比率は15%(3億円÷20億円)という計算になります。なお、この運営水準では投資家が受け取る余剰利益は実質的にないという考え方ですので、事業的に価値を生むためには、この水準を運営実績がどれだけ上回るかが評価対象となります。

なお、この原則はホテル事業が賃貸によるものであろうと、自社所有によるものであろうと同様に適用します。この資本コストはホテル事業に付随するものであり、誰が負担するかどうかは別として運営利益を原資として負担せざるを得ないためです。

非常識?
このルールは、ホテル経営の具体的なイメージを持たない方が聞くと「そんなものか」と思われる程度かもしれませんが、総支配人などホテル運営経験をお持ちの方にとっては奇異に感じられるのではないでしょうか。第一に、資本回収にかかる資本コストを税引き後で計算する点。第二に、これと関連して、減価償却費が損金として(税引き後扱いで)計上され、それに対応する現金が企業に内部留保されるのに、なぜわざわざ税引き後の資本コストが別途必要と考えるのか。第三に、土地なども合わせた総投資額を物件の残存耐用年数で割るのか、なぜ減価しない土地の取得額も含めるのか、そしてなぜ簿価や再調達価格ではなく総投資額を基準にするのか。第四に、同様の計算であればなぜ単にGOP15%を目指す、というガイドラインではいけないのか、が代表的な疑問ではないでしょうか。

資本コストを税引き後で計算する理由
第一の疑問について、経営者が土地取得費用と建設コストを全額借入金で賄いホテルを開発した、と想定すると分かりやすいと思います。前出の例では借入金40億円を返済するための資産(つまりホテル)の実質的な耐用年数が40年であれば、この年限内で返済しなければ債務不履行が生じるのは明らかです(建物が老朽化してなくなってしまった後では返済原資を生むことができません)。そして当然のことながら、借入金の元本は税引き後のキャッシュフローから充当しなければなりません(税務署は借入金元本の返済を損金扱いにしてくれませんので)。

また、上記のように借入をする必要がない程の大富豪が、全額自己資金で同様のプロジェクトを行ったとしても、基本的に考え方は変わりません。投資家が全額自己資金で40億円の投資を行い、税金を支払った後の資本コスト(年間1億円)を40年間で回収したとして、投資家の投資収益は0%であり(投資額と同額を40年で回収しただけですから)、これなら国債か定期預金をしていた方がよっぽど賢い投資ということになりそうです。投資収益0%以下で資本を提供する投資家は基本的に存在しないという考え方に基づくと、やはりこの水準が事業存続の最低水準になるのではないでしょうか。

なお、以上の計算において、投資家が土地建物の総額を借り入れるために差し入れるであろう債務保証のコストや借入金利などは除外して計算していますので、まさに破綻に至らないための最低水準の目安であるということがお分かり頂けるのではないでしょうか。

減価償却費を資本コストの計算から除外する理由
第二の疑問について、建物を必要とするホテル業の宿命として資産の営業価値が毎年減価することは避けられません。減価償却費はこの営業価値を維持する目的で支出されるべきで、この費用は建物躯体の回復費用というよりも運営費用の一部として常に見積もられるべきだと思います。現実には、単に資産の維持・回復だけではなく、施設・備品の機能が陳腐化するため、グレードアップを含む継続的な追加投資によって始めて営業価値の現状維持が可能であるという状態がむしろ一般的で、減価償却費の範囲内でこのような追加投資を成功させるのはそれほど容易ではありません。

なお、その実質的な営業価値の減価が税務・会計的な減価償却額と同等であるとは全く限らないのですが、いたずらに前提を増やして経営的に直感しづらい複雑な推定額を算出するよりも、これらを便宜上同等のものとして計算するものです。また、概念的には、40年目終了時点には減価償却の範囲内で追加投資してきた資産価値が物件に付随すると考えられますが、躯体の取り壊しを想定したときにはやはり除却扱いせざるを得ないという一応の考え方をしています。

総投資額を基準に考える理由
第三の疑問について、土地の取得費なども合わせた総投資額を(建物の残存耐用年数の期間内で)回収すべき資本の額とする根拠ですが、残存耐用年数、つまりプロジェクトが収益を上げることができる期間内に、土地・建物の取得に要した資本を全額回収すると想定するためです。この場合、耐用年数が経過し、建物が取り壊された時点では担保設定のない(担保余力のある)土地が残り、これによって再開発の資金調達余力が生まれるという想定によります。

GOPを基準にしない理由
第四の疑問について、トリニティのホテル金融理論の計算式で求められる最低事業収益とGOPは似て非なるものです。シンプルな例として、このホテルが開業20年後に売却され、新たな投資家の手に渡ったケースを想定します。売買価格が開発時の簿価と全く変わらないと仮定したとき、このホテルは新しい投資家にとっても総投資額40億円というプロジェクトになりますが、建物の築年数は既に20年が経過しています。

実質的な耐用年数は残り20年ですので、上記の計算によって、経常利益4億円-法人税2億円=資本コスト2億円(40億円÷20年)、すなわち最低4億円の税前、償却後、金利前営業利益を生む必要が生じます。前例と同様に減価償却を便宜上年間1億円とすると(中古物件については税務・会計上加速償却が認められていますが、ここでは無視します)、GOPは5億円、GOP比率25%という水準が新たな企業存続の最低ラインということになります。

その他、GOPを基準にする欠点は売上高にリンクしているという点です。資本の回収という長期的な事業の存続に関する概念は単年度の売上高ではなく、資産の取得簿価にリンクしたものであるべきだと思いますし、GOP比率は売上が上昇すると下がってしまう可能性もあります。

サンマリーナホテルの事例
僕が経営を担当していたサンマリーナホテルは、総投資総額約28億円、建物残存耐用年数20年、年間売上20億円でしたので、年間1.4億円(28億円÷20年)の税引き後、金利支払前、減価償却後の事業収益が早急にクリアすべきひとつのターゲットと考えていました。実際には繰越欠損金を利用したこともあり、2年目で約1.3億円の税引き後利益(税前相当では約2.5億円に相当します)を達成し、短期間で最低ラインをおおよそクリアすることができ、余裕を持って成長イメージを構想できるようになりました。

ちなみに、個人的には残念なことですが、その直後サンマリーナホテルは親会社の方針転換によって推定約57億円という高値であっさり売却されてしまいました。企業存続の最低ラインをクリアする経営を実行することで、大きな企業価値が生まれることを計らずも証明してしまった形です。反面、これによって新しい投資家がクリアすべき運営水準は年間2.9億円(57億円÷20年)と倍増したことになります。更に推定10億円以上の追加投資を検討しているとされていますので、これを加えると当初の約250%の予算、年間3.4億円(67億円÷20年)の事業収益が(いずれも、税引き後、金利支払前、減価償却後)破綻を回避するための最低ラインとして現場に降りかかることになります。

このように、ホテル資産は売買時において資本家と従業員の間に最大のコンフリクトが生じるのですが、資本家はこのメカニズムを従業員に対して明らかにしていないように思えます。僕はこのような理由でホテルは可能な限り売買するべきではない、特に高い簿価で取得するべきではないと思っています。

全ての資本コストは運営によってまかなわれる
以上の考え方は一般的なホテル運営者から見れば甚だしく非常識に思えるかも知れません。先出の投資額40億円の例では昨日までGOPの最低目標は3億円15%であったのが、21年目に入り、オーナーが代わったというだけで、その水準が一夜にして5億円25%に跳ね上がるのですから。しかし現実には、新築のホテルと築20年のホテルで運営目標が同じということの方が理屈に合わないような気がします。

結局、(その他の条件に全く変化がない場合)築21年目のホテルを開業当時と同じ額で取得した新しい投資家がそのような投資/収益構造を自ら招いているのです。そのような投資家の事情は運営者とは無関係という考え方が一般的であることは理解できます。しかしながら、考えれば当たり前のことなのですが、資本家の投下資本は資産の売却を行わない限り、運営によってしか、それも税引き後の運営収益によってしか回収することはできないのです。したがって、それが運営上どんなに理不尽に見えるものであれ、資本家が下した決断は運営によってしか帳尻を合わせることはできないという現実を運営の前提条件として認識することが、事業を破綻から回避する有効な方法だと思います。

次回?に続く…
では、以上が事実だとして、なぜ外資系に代表される投資家はこれほど大量に高い簿価で資産を取得し続けるのでしょうか?また、現実には上記の運営水準を単体でクリアしていないホテルが少なくないと思うのですが、なぜそれでもホテル事業が成り立っているのでしょう?これは広い意味で金融的なメカニズムが働いているためです。詳細については別の稿で解説したいと思います。

【2006.12.11 樋口耕太郎】

*(1) GOP: Gross Operating Profitの略称。営業利益(税前・金利支払前)に資本コスト(地代家賃+法人税+減価償却費)を足し戻して計算されます。ホテル運営会社とオーナーの間で運営手数料を設定する際にこの指標を基準に決められることが多く、一般的にホテル運営者がオーナーに対して「責任を持つ」指標と考えられています。

*(2) 法人実効税率: 資本コストの算出において、実際にはもう少し少ない率が適用するのですが(実効税率は法人ごとに異なります)、日本内国法人の実効税率を50%として計算することにしています。日本の債務残高、地方公共団体その他隠れ債務の額とそれぞれの財政事情をみれば、(特に40年間の見積もりにおいて)将来の増税の可能性を無視するほうがむしろ不自然だと思うからです。

事業経営はルービックキューブと似ていると思うことがよくあります。短期目標と長期目標、収益、ファイナンス、税務会計、投下資本と回収、営業、運営、エンジニアリング、人材、販管費と変動費、顧客層と評判、単価と稼働率、市場環境などの多面体をバランスよく組み合わせて、もっとも大きな企業価値に導くイメージです。難しさでありおもしろさは、パズルの一面を動かすと必ずその他の面にも何らかの影響を与えるため、パズル全体の立体的なイメージを常に捉えながら経営に当る必要があるという点です。例えばどんな優れた企画を導入しても、見事な改装投資をしても、バランスが崩れると思うように効果(収益)が現れません。

ボルネオ島のお話
労働集約的サービス業で売上高利益率の低いホテルなどの業態では個別の経営判断の可否よりも全体のバランスを保つほうが企業価値に与える影響が特に大きく、個別の「正しい」経営判断の集積が必ずしも企業価値の最大化をもたらさないという性質が顕著ではないかと思います。この点は重要度の割にはあまり一般的な認識になっていないと以前から感じていて、この重要性のイメージをうまく伝える表現方法はないものかと考えていたところ、ドネラ・メドウズ+デニス・メドウズ著「地球のなおし方」という本(すばらしい本です!)の中でいいお話を見つけましたので引用します。1950年代のボルネオ島で実際にあった話だそうです。

『ある村でマラリアが大流行しました。マラリアは蚊が媒介する病気なので、世界保健機構(WHO)がDDTを大量に撒きました。蚊はみんな死んでマラリアの流行は終焉しました。ところがその後、民家の屋根がぼろぼろと落ち始めたのです。DDTを撒いたので、民家の屋根に住んでいたスズメバチがみんな死んでしまい、イモムシを食料源としていたスズメバチがいなくなったため、イモムシが大繁殖して茅葺きの屋根を食べ、それで屋根が壊れてしまったのです。困った植民地政府はトタンの板を配って屋根を葺くよう指導しました。トタン屋根は確かにイモムシには強いのですが、ボルネオ島は熱帯なので毎日のように猛烈なスコールが降ります。この雨がトタン板の屋根に当たるすごい音のために村の人々が不眠症になってしまいました。

また、DDTを撒いたことで、蚊と一緒にたくさんの虫も死にました。死んだ虫をヤモリが食べ、今度は大量のヤモリが死にました。そのヤモリをネコが食べました。こうして食物連鎖に伴ってDDTが濃縮され(生物濃縮といいます)、高濃度のDDTを摂取したネコがどんどん死んでいきました。ネコがいなくなって今度はネズミが大繁殖を始めました。ネズミが増えると今度は別の伝染病が流行しそうになりました。まさにWHOが「自分でまいた種」といったところですが、これを刈り取るためにWHOはなんと・・・、14,000匹のネコにパラシュートをつけて空から撒いたそうです。』

ほとんどの経営判断は個別に正しい
このお話をすると誰もが大笑いします。お話として出来事を俯瞰的にイメージすると面白いことになっているので当然です(それに14,000匹のネコがパラシュートで降りてくるところを想像してもかなり楽しいです)。でも、重要な点は、個別の対策を実行する立場まで視点を狭めるとWHOや植民地政府の対策は全て正しいと言えるのです。「ほとんどの経営判断は個別に正しい」というのがポイントで、このため俯瞰的には笑い話としか思えないような経営判断が事業再生の現場では個別大量になされがちです(私も経営者としてかなりDDTを撒いた経験があります)。

このイメージで企業経営を素直に解釈すると、個別の経営判断の可否と企業価値の間に必ずしも意味のある相関性がないという可能性が生じます。生態系としての事業を理解しないでなされる経営判断は企業価値に悪影響(時には非常に大きな悪影響)を与える可能性が高く、反対に、個別の判断が事業の生態系にどのような影響を与えるかを注意深く認識しながらなされるとき経営効率は非常に高まるのではないでしょうか。

例えば、沖縄のホテルでは資本投下がうまく企業価値の増加につながらない事例が少なからず存在します(というより珍しくありません)。あるホテルでは4年間にわたって6億円もの改装資金を投下しながらイールド(RevPAR)が全く上昇しなかったケースがありました。常識的に考えると6億円もの新規投資を行えば企業価値が上昇するのは当然であるべきなのですが、このケースでは6億円が(収益を生む)投資ではなく(経済的な見返りがない)費用として消費されたことを意味します。この事例は経営のバランスのとり方しだいで企業価値にどれだけのインパクトが生じるか(あるいは生じないか)を理解するよいヒントになると思います。

「DDTの被害」を受けやすいホテル業
ホテルの経営は一見個別の判断がしやすいという特質があるかもしれません。誰でもホテルを利用したことはありますし、そのときに顧客の立場で感じる改善点にはそれぞれ真実が含まれているものです。ホテル経営に関する基本的な手法は体系が比較的整然としていて理解、実行しやすいため、「改善」のために実行すべきことは明らかであるようにも見えます。また、ホテルは経営者不在のまま運営者によって実質的に経営されているケースも多く、運営者としての立場で個別判断がなされる傾向もあると思います。

このような個別の判断は、生態系全体としてみたときに価値を生むとは限らないのですが、経営者の個別判断は往々にして具体的でかつ単独では「正しい」ことが多いため、現場の職員はこのような対応が別の問題を引き起こす可能性を直感的に感じていたとしても反論することが困難です。ホテルの組織がはっきりとしたピラミッド型であることが一般的であるため、現場からの反論をより難しくしている面もあると思います。

バランスすることのパワー
天秤棒でもヤジロベエでも、バランスする前に必要なパワーといったんバランスした後に必要な力の差は相当なものです。私の個人的な経験ですが、沖縄で事業再生を開始した当初はよく言えば「ハンズオン・マネジメント」、現実は「DDTの大量撒布」で経営的な効果を上げようと相当の試行錯誤と悪戦苦闘を経験し、金融業界仕込みの一日16時間労働で大量のエネルギーを浪費することになります。細部にわたり現場を理解し、即断即決で大量の問題に対処しながら長時間働く姿は、東京ではなにかしら「デキル男」のイメージと重なりますが、あいにく沖縄ではこんなマネジャーを誰もかっこいいとは思わないのです。

そんな沖縄で事業再生を経験することができたのは非常に幸運だったと思います。私のようなやり方には誰も共感しない事業環境で、過去の自分の常識が役に立たなかったため、全く異なる発想を強いられたからです。紙面の関係でその「超非常識」な発想による事業再生の詳細はご紹介しきれないのですが(もしよろしければ弊社ウェブサイトwww.trinityinc.jp をご覧いただければと思います)、結果は驚くべきものでした。方針を180度転換してから3ヶ月もたたないうちに、私のみならず主要な幹部社員たちは従業員に対してほとんど指示を出す必要がなくなってしまいました。私の業務時間もかつての16時間から一日3時間もあれば足りるようになり、一方で顧客の評判、代理店からの評判、地元の評判が急上昇。そしてついには売上と利益も順調に伸び始めたのです。これは個別の問題への対処よりも全体のバランスを優先することで非常に大きな事業効率が生まれた可能性を示唆しています。10倍の成果を生むためには10倍楽をしなければならないということが真実であれば、一つの経営手法として非常に有効な事例となるかもしれません。

おわりに
事業を生態系として捉え、その全体のバランスをとりながら企業価値を高めていくことが、従来型のマイクロ・マネジメントやハンズオン・マネジメント手法と比較して非常に効率が高いということを実証し始めている経営者が世界的に少しずつ現れているように思いますが、これらの経営者が概して地球の生態系にも事業的な関心を払っていることは偶然ではないような気がします。

『季刊 事業再生と債権管理』2007年1月号(115号)掲載 【樋口耕太郎】