1930年、コーンフレーク製造大手ケロッグ社は、1500名の従業員の大半の労働時間を、これまでの8時間から6時間に変更した。ケロッグの狙いは、ワークシェアリングによる雇用の確保も然ることながら、「大量生産と大量消費による幸福の追求」という価値観に組しない経営を実現することだった。

ケロッグの社員はこの「2時間」を喜んで受け入れた。例えば朝9時出勤して、午後3時以降が自分の時間になる、という毎日を想像してみれば、ハタラクということの意味や人間関係や生活が根本的に変わることがわかる。

ケロッグ社員たちにとっても、家族や友人と共に過ごすことはもちろん、あたかも1日を2度楽しむような人生になる。女性は裁縫やガーデニングを楽しみ、隣人を訪ね、一緒に料理を作るようになった。男性は仲間たちとスポーツや狩りを楽しみ、図書館に行き、趣味に没頭した。

更に、ケロッグの6時間労働によって、社員が幸福になったというだけではない、労働生産性が飛躍的に向上したのだ。時間あたりに箱詰めされるビスケットの数が83箱から96箱になるだけではなく、間接費や事故も減少した。

この偉大な試みは70年前のことである。その後第二次世界大戦が勃発し、8時間労働を復活せざるを得なくなって現在に至るのだが、そもそも、1日の労働時間が8時間であるということの根拠はなんだろう?少なくとも生産性と全く無関係であることは明らかだ。

大戦によって6時間労働が中止された後にケロッグが実施した従業員アンケートでは、男性の77%、女性の87%が、賃金ダウンになるとしても週30時間労働を選ぶと解答した。

8時間労働が復活した後で、ある従業員はこう語ったそうだ「8時間労働になった時には、賃金が増えて皆が金持ちになると思ったけど、結局はそれほど変わらなかった。余分に働いた賃金も何かに消えてしまった。」

Kellog’s Six-Hour Day“, Temple University Press (1996/10/29)

【樋口耕太郎】

在沖米国商工会議所の6月月例会(6月5日金曜日)にて、以下の概要で講演を行います。

acco-colleague-june-2009

Kotaro Higuchi will be the presenter at the American Chamber of Commerce in Okinawa’s monthly General Membership Meeting for June.  Attached is the Japanese version of presentation summary for Japanese audiences.

売上目標がない! 研修制度は全廃! 流行のクレドもない! 顧客満足度も目指さない! 上司の唯一の仕事は「部下の役に立つこと」。社長は1ヶ月間他の仕事をせずに、250人の全従業員と一人30分の面接。また時には、厨房で丸一日仕込みの丁稚奉公(下の写真参照)。人間関係が何よりも(仕事よりも!)優先され、成果主義・収益主義・能力主義の一切が組織から消えた。役員を含む全ての従業員の給与・昇給・昇格・役職を決めるのは、「人間的な成長」、「どれだけ人の役に立ったか」の二項目だけ。夫婦喧嘩が遅刻の理由として認められ、「自分の好きなことだけをしてください」と全従業員に明言する企業が、数年前、沖縄に存在していたことをご存知でしたか?

沖縄県恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し経営を引き継いだ樋口は、ウォール街仕込みの熱血管理経営を始めるが、沖縄の従業員にしてみれば、オーナーが代わるたびに本土からやってくる、毎度の「ナイチャー経営者」。やがて、組織から完全に浮き上がった「ばか殿」社長が、それまでの経営方針と自分の生き方を完全に覆し、資本主義の常識と正反対の経営を試みる。「企業は人間関係」と定義し、人間関係を最優先する方策を次々と実行。人への思いやりを、事業の手段ではなく、目的にするために、東京本社には内緒で、利益目標、売上進捗管理、人事の成果主義・能力主義を完全に廃し、「いま、愛なら何をするだろうか?」を企業理念かつ事業唯一の目的に。

その直後から、顧客満足度が爆発的に上昇し、旅行代理店からは、「最近のサンマリーナはいったい何をしたんですか?」と問い合わせが続き、熱狂した地元のオジーは誰に頼まれもせず、手塩にかけて育てた花木をホテルに持ち込む。10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナが、僅か1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超優良会社へといかに変容したか。そして、「成功しすぎた」サンマリーナが、取得から僅か2年で倍の価格で外資に転売され、それに抵抗した樋口が解任されるまでのお話。

【2009.6.3 樋口耕太郎】


サンマリーナ洋食厨房で一日丁稚奉公
社員が面白がって写真を撮ってくれました

大阪のパン屋さんホットクロスと末金のメールのやり取りを掲載します。この素敵なパン屋さんのように、自然に、嘘がなく、喜んで顧客に純粋な関心を払う少数企業に出会うと素晴らしい気分になります。一般的な「サービス業」の惨憺たる現状(『トリニティのサービス論』参照下さい)と比較すると、日本のメーカーには誠意を持った企業が少なくない印象があります。「サービス」は業務形態の名称ではなく、思いやりの姿勢を示すものです。サービス業界は日本のメーカーから大いに学ぶものがあるのではないでしょうか。

ホットクロスさんの事業姿勢を勝手に『トリニティ経営理論』に当てはめるようで恐縮ですが、彼らの姿勢は「①真実であること、隠し事のないこと、②相手に一切要求せず、ありのままを受入れ裁かないこと、③自分を活かし、相手のためになることを、できることから実行すること」、そのものではないかと思います。ホットクロスの売上の大半は「金色の売上」(『売上論《後編》』参照下さい)に違いありません。

【2007.4.24 樋口耕太郎】

*    *    *    *    *

ホットクロス様

こんにちは。
私は大阪から沖縄県に移り住んで16年になります。
こちら沖縄県のパン屋さん、お店はどんどん増えてはいるものの、
私が大阪に住んでいた時に東大阪市から堀江まで通い詰めて
購入させていただいていたホットクロスさんに適うお店がありません。
ホットクロスさんからの帰り道、車の中で、本物のパンのいい匂いがプンプン
していたことを今でも思い出す始末です。ここのところはネットが普及し、
お取り寄せで食パンを買いまくっていますが、ホットクロスさんの味が私に
とってはかけがえのない最高のおいしさなのです。
そこでお願いがあるのですが、特上食パンだけでもお送りいただけない
ものでしょうか。ご無理を言って申し訳ありません。末金典子

*    *    *    *    *

末金 典子様

始めまして、ホットクロスの海地と申します。
この度はメールを下さり誠にありがとうございます。又弊社 商品に最高の
お褒めの言葉を頂き、工場社員を含め社員一同大変励みになった次第です。
16年前にお買上頂いていた当時と全く同じ製法で現在も焼き続けておりますが、
「特上食パン」は水を一切使用せず牛乳だけで練込んでいる事と、保存材料を一切
使用していない為に日持ち3日となっており、焼き上げた状態でのお送りは難しいか
と思います。そのため本来地方発送はしておりませんが「冷凍」にしての送りは
出来るかと思います。しかし運賃負担等で相当のご負担をお掛けする事になりますの
で心痛する所です。よろしければ又メール頂ければ対処させて頂きます。
ホットクロスを思い出して下さり、本当にありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

*    *    *    *    *

海地さま、

今日は私のわがままなお願いに対して、温かで誠実なご対処を
しかも迅速にいただきまして、本当に本当にありがとうございました。
文章から海地さんの御人柄と、ホットクロスさんのお店のあり方が感じられ、
心から感激いたしました。

私の日曜日の日課は、美味しいパン屋さんを探し訪ねること。
昨日もここのところ評判になっているパン屋さんに車で
小一時間出かけ、5000円分ほど買い求めました。結果、ガックリ!!
運転してくれている私のパートナーに
「あ~、ホットクロスのパンが食べたいな~。いつも言うようだけど、
どんなにどんなに美味しいことか!!」とグチっていたところでした。
このパートナー、私があまりにいつもパンパンうるさく言うので、
先日彼の生まれ故郷の岩手で美味しいと有名な“横澤パン”を、
「僕の小さい頃から、美味しいと有名なパンだよ。」と取り寄せてくれました。
確かに美味しいのですが、ホットクロスさんの美味しさとはまた質の違う、
ハードトースト系のものなのです。
大阪の私の両親に頼もうと思っても、高齢で足が不自由なため堀江までは
出かけられなくて…。
そこへ今日の海地さんからのメール! とてもとてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。
冷凍していただいたり、梱包していただいたりと大変なお手間をおかけしてしまい
申し訳ないのですが、よろしければ、特上食パン1本をお送りくださいませ。
また折角の機会なので、それ以上の食パンや、お奨めのパンがございましたら
取り合わせて、お送りくださいませ。もちろん無理であれば特上食パンのみでも
かまいません。送料・手数料・梱包代・お手間代など含めまして
1万円以下であればおいくらでも結構です。金額やお支払いにつきましてなど
またご面倒ですがご連絡をお待ちします。
このたびは本当にありがとうございました。

*    *    *    *    *

末金 典子様

早々にお返事頂いたのに、こちらからのお返事遅くなり誠に申し訳ございません。
前回も申し上げました様に 地方発送や冷凍でのお届けは今回初めてであり、
自信がありませんのでこの度の送りは「特上食パン」だけにさせて頂きたく
お願いいたします。弊社も一部の商品について冷凍し、ネット販売での企画も
現在試作検討中です製品として出来上がりましたら改めてご案内申し上げたく思い
ます。詰め合わせ出来なくて本当に申し訳けございません。
代金等の件ですが
* 特上食一本(3斤分)  1.110円
* 送料、代引手数料で約 3.000円位との事です。(ヤマトクール便)
よろしければご連絡お願いいたします。
ありがとうございました。

*    *    *    *    *

海地さま

お忙しい中、私の無理なお願いに対して、丁寧な御検討をしてくださり
本当に本当にありがとうございました。海地さんの御提案の通り
お送りくださいませ。この度はたった一人の顧客に対しも誠実に
対処してくださり心から感激いたしましたとともに感謝の気持ちでいっぱいです。
私のようなホットクロスさんのパンを切望する人間がきっと全国に散らばって
いることと思います。いつの日かネット上でも購入できます日を楽しみに
しております。今回関わってくださった海地さんや工場の方々はじめ
ホットクロスの皆さんのお幸せを心からお祈りしつつ、特上食パンを
楽しみに楽しみに待っております。  末金典子

*    *    *    *    *

末金 典子様

最初にメールを頂いてから一週間も経ってしまいましたが 本日やっと手配が調い
工場より出荷させていただきました。弊社の要領が悪く、イライラなされた事と
お察しいたします。堪忍してやって下さい。
あとはお望み通りの状態でお届け出来る事を祈るばかりです。それと現在試作中の
冷凍カレーパン「カリカリミンチカレー」をご賞味頂ければと思いお送りしておりま
すのでご試食いただければ幸いです。(参考市価税込み168円)
商品は22日(日曜日)クールヤマト便でお届けとなります。
料金明細は クール便2.000円
商品 代1.110円
代行手数 315円 の合計 3.425円です。ドライバーが集金します。
また何かございましたら連絡いただければと思います。今後ともどうぞ宜しく
お願いいたします。ありがとうございました。

*    *    *    *    *

海地さん

今日、特上食パン届きました!
毎日のお忙しいお仕事の中での作業、本当にありがとうございました。

待ちかねて、すぐにいただきました。これです、これ!!
本当に美味しい!! 本当にいい香り!! ウソのない味ですね。
一口一口をじっくり味わいました。
私のパートナーは大のカレーパン好き。御同送くださったカレーパンもとても
美味しくて感激しております。しかもこんなにたくさん!!
おまけ、どころか、かえってお手間とお気を使わせてしまっただけで
大変恐縮しております。

今の世の中、ウソだらけです。
食べ物もそう。
食べ物は、私たちの体に直接入ってくる大切で重要な物です。
なのに今はウソの食べ物だらけです。
漂白剤で洗ってから出荷される大根。種無しにするため成長調整剤を使い人工的な
処理をほどこしたブドウ。まっすぐなキュウリ。真夏の白菜。虫を殺すジャガイモ。
腐らないおにぎり。栄養のない野菜。石油から作られた食品。添加物。
人口の香料や甘味料。……
その点、ホットクロスさんのパンは本当に素晴らしい。

こんな想いでありがたく、うれしく、いただきました。
私とパートナーが感じたほんの一部の人間の僅かな想いですが、
どうぞ海地さんはじめ工場の方々お一人お一人の
誇りと励みになさってくださいますように。
大阪を離れ16年経った今でも、遠く沖縄に離れていても、ホットクロスさんの
パンを忘れたことはありません。
どうぞこれからも本物のパンを世に送り出してくださいね。

海地さん、今の世の中本当に世知辛いですね。
沖縄に住んでいて、大阪出身だと言うと、よく言われます。
「大阪の人ってすっごいケチなんでしょ?」
「大阪って犯罪だらけの恐い町なんだってね。」
でも私は、今回の私のお願いについてのホットクロスさんとのやりとりから、
故郷大阪の人々の温かい想いを感じることが出来ました。
やっぱり大阪が大好きだなって思いました。
世の中まだまだ捨てたものではありません。

ただ今どきこのような温かい思いやりを示してくださる企業がはたしてどのくらい
あるのでしょうか。海地さんとのこの感激のやり取りをいろいろな方に
知っていただきたくて、弊社のホームページ上(アップデイト)にて
御紹介させていただきました。機会がございましたらご覧くださいませ。

大阪に戻りました際にはたくさん買いに行かせていただきます。
そしてぜひ沖縄にもおいでくださいね。

この度は私の夢を叶えてくださり本当に本当にありがとうございました。
いつもホットクロスさんのご繁栄をお祈りしております。心から。遠くから。

トリニティ株式会社  取締役 末金典子

*    *    *    *    *

末金 典子様

この度は総てに於て本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
お客様に喜んで、安心して、美味しく召上って頂く為にパンを作り続けていて
「本当に良かった」と工場従業員の励みともなりました。又今後の製品作りに
ついても何が大切かを十分に教えていただきました事、報告をさせて頂きます。
(貴方様から頂いたメールを印刷してこんなお客様がいらっしゃる
事のありがたさを従業員に判ってもらうと同時に製品作りに活かせたらとの
気持ちから回覧をさせて頂いておりました。)

御社のホームページ拝見させていただきました。
御社のお考えは本当に理解し易く、行動に移し易く、人を深く尊重した
「経営理念」に自分自身此処最近忘れがちで有った人間性をあらためて思い
出させて頂き感動した次第です。
貴方様の会社は必ず発展し続けると確信しております。是非大阪でも今後の
活躍をお祈りいたします。(アップデイト欄ですが弊社にしましては有り余る
お言葉を頂き心底恐縮の至りです。ありがとうございます。)

この度の縁を機会として今後とも末長いお付合いが出来ます事を願っております。
遠慮なしに申し付け下さいませ。今後とも宜しくお願い申し上げ
御礼にかえさせていただきます。感謝

旭山動物園で何が起こったか(pdf)

2003年頃から全国的に注目されるようになり、メディアでも良く取り上げられている北海道旭川市の旭山動物園。2006年度の来場者は10ヶ月と20日間終了時点(1月20日)で約263万人。年度末までには280万人を超える勢いで、動物園としては長きに渡って来場者全国一だった上野動物園をついに抜いた感じです。沖縄の主要観光施設と比較すると、最大集客施設である「美ら海水族館」は年間約240万人、「首里城公園」は約250万人前後の来場者数(2005年のデータです)ですから、既にそれらを超える水準です。沖縄の場合この2施設は入場者数では突出していて、その次の主要施設である平和記念資料館は42万人に過ぎません。

北海道第二の都市とはいえ人口36万人に満たない北限の地旭川の、開業30年にして破綻寸前だった市立動物園が、1997年を境に殆ど資本をかけず大変貌を遂げ、日本一の集客数を誇る上野動物園や沖縄の人気施設を集客力で軽々と抜き去ったのです。メディアの作り出す「虚構」的な要素もたぶんに寄与している側面があるとは思いますが、それを大幅に割り引いたとしても、旭山動物園の大現象は「そもそも事業とはなんだろう」、という重大な問題提起であるように思えます。

事業的な大現象
単純な来場者数は既に驚異的ですが、事業性の観点から考えると、とんでもないほどの大現象だと思います。特に、①「施設に対する総資本投下額と来場者数との比率」という投資/収益の観点、②旭山動物園は他地域の動物園や水族館と競合しているというのが一般的な認識でしたが、このような競合の常識が全く当てはまらない現象としての、競合戦略およびマーケティングの観点、③常識的な価格理論や価格戦略の観点が全く当てはまらない点、④ある臨界点(2003年)以降の爆発的な成長のスピードのスケールが常識はずれである点、について非常に大きな経営的示唆を与えてくれる事例だと思います。

①資本投下/収益率の観点について、美ら海水族館や首里城公園へどれ程の資金が投下されたかは知りませんが、ハードから推測する限り双方とも100億円を優に超えるオーダーになるのではないでしょうか。反面、旭山動物園の快進撃の第一歩となった1997年建設の二つの施設(「こども牧場」と「ととりの村」)の開発予算はわずか1億円*(1) に過ぎず、単純に考えても100倍の資本効率が生じている可能性があります。そして、この現象は明らかにハード主導のものではありません。「事業成功のために資本は必要条件ではない」ということを示唆する非常に良い事例だと思います。

②マーケティングの観点では、「旭山動物園はいったい誰と競合しているのか」という問いが生まれます。現象を素直に解釈すると、現在旭山動物園は全く競合状態にないと思えますし、それはすなわち過去においても競合状態は存在しなかったと考えることが可能です。逆の発想では、苦境にあった旭山動物園の経営において、従来のマーケティングの常識を当てはめ、「他の動物園や水族館との競合に勝つ」ための経営を主眼にしていたら、このような現象は決して起こらなかっただろうとも思えるのです。「事業の成功と競合・競争戦略は実は無関係ではないか」という仮説が現実味を帯びます。

③価格戦略の観点では、現在580円の入場料を例えば倍にしようが入場者数に大きな影響があるとは思いづらいですし、逆に価格を下げたとしてもそれが理由で入場者数が増えるとは思えません。現実には本土から飛行機代、宿泊代の合計何万円もかけて旭山動物園を訪れる顧客が多数に存在します。この現象をどのように理解したら良いでしょうか。

④成長のスピードに関する累乗的な加速化の概念はこれだけでひとつの経営的なテーマになります(「加速度成長モデルと経営」を参照ください)。一般的な経営論の分野ではあまり議論されないテーマですが、今後の市場環境では頻繁に見られる現象になると同時に、経営上の重要な概念としての認識が広まると思います。旭山動物園はその非常に典型的な事例として特筆する価値があると思います。

旭山動物園の特徴
旭山動物園の成功の要因として一般に挙げられている点は、第一に、動物たちが元来持っている性質(生態)をどのように顧客に見せるかを重視した「行動展示」の手法だと説明されています。その内容は既に大量のメディアや書籍によって詳細に説明されていますが、例えばペンギンの水槽にチューブ型の通路を通してペンギンがあたかも空を飛んでいるように見せる工夫、高いところに登るヒョウの生態を利用して頭のすぐ上にヒョウが寝ているような演出をする工夫、非常に高い場所を危なげなく移動するオランウータンの生態を利用した地上17mの「うんてい」、大きな深度差をこともなげに上り下りするアザラシが移動する垂直アクリルトンネルなど、どれもが今まで見たこともないユニークな展示方法で実に楽しめます。

反面、旭山動物園には特別に「目玉」動物がいるわけではありません。どこの動物園にもいるアザラシやペンギンが動物園のヒーローであると同時に、地元の動物を中心に展示する方針が採られ、3分の1は北海道産であることも大きな特徴です。

その他に僕が感じた特徴は、第二に、動物が非常にきれいであること。野生の動物を洗うことは不可能ですので、恐らく動物にストレスが少ないことが原因ではないでしょうか。第三に、看板や動物に関する解説分が大量に掲示されていること。その殆どが手書きなどの手作りで、その文面や内容もありきたりのものではなく、動物をよく理解している人が丁寧に構成したものだということが感じられること、などです。

旭山動物園の成功
行動展示の手法と、動物たちの生態を見せるために考え抜かれた施設は確かに際立っていますが、それにしても、なぜこの施設と、手作りの看板がこれだけ人を感動させるのでしょうか。また、仮にこのような施設の設定と運営が成功の秘訣だったとしても、一般的な「組織管理」によってこれを実現することはほぼ不可能という印象を持ちます。旭山動物園の組織と人材にはどのようなパワーが働いているのでしょうか。この二つの問いに決まった答えはないと思いますが、旭山動物園のスタッフと動物園の今までの出来事を理解することで、各人がその答えを導くヒントになると思います。昨年末旭山動物園に訪れ、複数の関連書籍に目を通してみましたが、旭山動物園に特徴的なポイントがあることに気がつきます。関連書籍からの引用とあわせて以下にまとめてみました。

1.自由な従業員
飼育係は担当動物の飼育全般はもちろん、飼育する動物の選択、動物の見せ方、動物の情報をいかにお客さんに伝えるかについても任されています。

『例えば飼育係を決めるとき、動物園によっていろんなやり方があるだろうけど、一番多いのは上司からの命令でしょう。だけど旭山動物園は違う。合議制というか、やりたいもん勝ちというか、とにかく命令は一切ない。意欲のあるやつはどんどん仕事ができるし、やりたくないやつはやらなくてもいいという、厳しい意味での自由な職場だった。上司が責任を持ってくれるなら多少のヘマは許されるかもしれないけれど、旭山動物園は最初から判断も責任も丸投げさ。それが怖い。でも、そのおかげでみんな凄く訓練されたと思う。』

『ほかの人に代えることができない、そういう仕事を私自身もやろうと思うし、それを、ほかの職員にも求めている。わたし(小菅さん)から、ああしなさい、こうしなさいという指示は出しません。各飼育係が責任者として当然の努力をする。旭山動物園にいる動物が幸せに暮らせるか否かはすべて、それぞれの担当飼育係の責任なんです。動物が一日一日を楽しく暮らせて、長生きできるようにするのが飼育係の責任だし、担当動物の情報をお客さんに伝えるのも、すべて各担当飼育係の責任。これは、私たち旭山動物園の飼育係の昔からの伝統ですからね。』

『旭山動物園では、自分の担当している動物をどう飼育し、それをどう見せるかというのは全部、担当者に任せられている。ほかの動物園だったら、上司の許可なくてはできないんでしょうけど、うちにはそんな窮屈な決まりは全くない。もう、やったもん勝ちです。』

2.理想を追い、自分を知り、自分が人の役に立つ方法を理解していること
動物園のあり方、動物園の存在意義、理想の動物園、動物園がどのように人の役に立つか、について非常に長い間語り合い、検討し合い、その具体的なイメージを共有しています。

『平成に入ってからも、入場者数は落ち込み続け、最低限の予算しかつかない旭山動物園の冬の時代は続いていた。そんなある日、菅野(前園長)さんは小菅さん(現園長)を呼び出して、こう切り出した。「お金がないとばかり言っていられない。お金はないけれど、できることから始めようじゃないか。小菅さん、あんたが中心になって、飼育係みんなで考えて、アイディアをまとめてくれないか。」月に1回だった勉強会は、やがて週一回へと増えていった。それでも足らずに、仕事の合間、昼食の時間、仕事が終わってから夜遅くまでと、毎日のように動物園とは何か、動物とは何か、命とは何かという話をしていた。』

『今から比べると時間だけは十分にあった。だから私たちは、魅力的な動物園にするにはどうすればいいのかということを、毎晩のように話し合っていました。特に私(菅野)とあべさん、飼育係の牧田さんは年が近いので、3人で牧田さんの家に集まっては夜中まで話をしました。そうやって議論を重ねていくうちに、最終的に動物園の存在意義とはなんなのかというところに行き着いたんですよ。動物園は人間にとっても自然にとっても存在理由がないといけない。そういうことから、動物園のあり方を毎日話し合うようになっていきました。』

3.できることから実行すること、人と向き合うこと
長い間お金がない時期が続いたにも拘らず、むしろそれゆえに、何にも頼らない自分自身になにができるかを見つめ、少しずつ実行されています。また、これらの小さな行動の積み重ねは、自己満足ではなく、お客さんと向き合う形でなされています。

『そこで飼育係たちは、旭山動物園にいる動物たちの魅力、素晴らしさを伝えるために、自分たちが担当する動物の獣舎の前に立ち、動物たちの魅力を入園者に向かって語り始めた(1986年より)。それが、今でも旭山動物園の「名物」となっている「ワンポイントガイド」だ。「飼育係が直接お客さんに動物の解説をするなんて、当時の動物園業界では考えられないことだった。だけど、園長なんかよりも、その動物の担当者の話の方が絶対に面白いに決まっている。だって毎日見ているんだから。動物の知識は凄いのに人前で話すのが苦手な飼育係もいた。でも、ワンポイントガイドは、飼育係全員がやることに意味があったんだ。」(あべさん) 飼育係同士で約束したのは、雨が降ろうと槍が降ろうとワンポイントガイドは絶対に休まないということだった。それ以来現在までただの1回も休んだことはない。ある雨の強い日、入園者が4人しかいない日もあった。その、たった4人の客を飼育係たちが囲んでガイドしたこともあったという。』

『僕たち飼育係が凄いと思ったことは、お客さんにとっても凄いことだし、僕たちが当たり前だと思っていたことを、へえっと驚いてくれることもあった。お客さんが何を見たいと思っているのか、何が凄いと感じているのかを肌で感じてきたことが、今の仕事の原点になっていったと思います。』

『旭山動物園はもういらないって言う声も強くなってきていたけれど、どんなに市役所が動物園はいらないといったって、多くの市民が味方してくれれば、動物園がなくなることはないわけですから。旭山動物園のオーナーは市役所ではなく市民なんです。その市民を味方につけるために、私たちは、動物の魅力を語らなければならないと必死だったんです。』(小菅さん)

『ワンポイントガイドだけではない。動物園の看板はすべて手書きで、各飼育係が毎日のように更新した。』

4.自分たちのしたいことをする
現状の制約に流されず、自分たちが考える理想の動物園を堂々と長い時間をかけて生み出し、具体的なイメージに描きあげています。

『こんなことを言うと菅野さんに怒られそうですが、僕たち飼育係は、カネがなくても楽しかったんだよ。好きな動物たちの世話ができて、飼育係としての誇りを持って仕事をしていたからね。ないものはない、だったら、ないなりにできる方法が絶対にあるはずだ、と考えるようになったわけ。』(あべさん)

『当時は、確かにカネがなかった。よくその頃は旭山動物園の冬の時代だとか、お金がないことが「負のイメージ」として捉えられているけれど、やっている僕らは全然関係なかった。誇りを持ってできる仕事があるということほど、幸せなことはないからね。小菅さん、牧田さんと毎日のように動物園とは何ぞやという話をしていた。そういう話の中で辿りついたのは、一番大事なことは動物園の哲学を持つということ。』

『そんな頃小菅さんとあべさんのもとに、園長の菅野さんがやってきた。「もう何年かしたら、あなたたちの時代が来るのだから、今のうちに将来の動物園像をまとめておきなさい。」小菅、あべ、牧田、坂東さんが中心となって将来の動物園像をまとめることにした。「それぞれに担当を決めて、じゃあお前はアザラシ、お前はホッキョクグマとか。それで、将来のホッキョクグマ舎はこうだって言うようなアイディアを持ち寄って、話し合ったんだ。それをレポートとしてまとめていったわけ。僕は絵が得意だったから、そのレポートをイラストに起こしていったんだ。」(あべさん)』

『このとき描かれたのが「奇跡を起こした14枚のスケッチ」として有名なイラストだ。「私たちの考える理想の動物園は、動物が幸せに暮らせて、それを見ているお客さんも幸せになれる施設。そして私たち人間が動物への恩返しとして、彼らが地球から絶滅しないようにするための働きをする施設というものでした。そのために動物園が見失ってはいけないものは、動物の魅力を多くの人に伝えるということです。動物の素晴らしさをお客さんに伝えることによって、その価値をみんなで共有し、地球の野生動物をいかに守るかということを訴えることができるのは、動物園だけなんですよ。だから動物園の存在意義はそこにある。動物がいるからこそ、私たちは心豊かに過ごしていけるんだとか、動物がいるからこそ自分たち人間も生きていけるんだということを、少しでも多くの人たちが考えてくれるようになることが、動物園の最大の存在意義だと考えた。この考えをベースに、私たちはいかに動物たちが快適に、そして幸せに暮らしていけるか、そして、生き生きとした動物たちをお客さんに見てもらえるかを具体的に考えていった。魅力的な動物園にするには、それぞれの施設を、こう配置して変えなければいけない。そのためにはどうすべきかと、延々とスケッチを描いていったんです。」(小菅さん)』

『画用紙の上には次々と「夢の動物園」が描かれていった。それは楽しい作業だったと、当時のメンバーはみんなそう振り返る。とはいえ、展示施設を新設するどころか補修のための予算さえ認められない現状では、文字通り「夢物語」でしかなかった。』

『スケッチに描いた理想の施設は予算など度外視していたよ。いつ現実のものになるかという確約もないからね。でも、だからこそ純粋に理想を追求できたんだと思う。そして、これまで頭の中で考えてきた理想像を、レポートやイラストなどで具体化して持つことによって、自分たちに飼育係としての誇りや仕事に対する自信がますます強くなったような気がする。北の果ての小さな、カネのない動物園だけれど、目指す動物園はどこにも負けないっていう自信がね。』(あべさん)

5.真実を語ること、隠しごとのないこと
廃園のリスクを負いながら、市民を裏切らないことを優先し、伝染病の現状を公開し、逃げずにその対処を行った歴史があります。

『1993年からの1996年までの4年間は、旭山動物園が閉園に最も近づいた年である。キタキツネによって媒介され、人間にも伝染するエキノコックス症によって人気者のゴリラとワオキツネザルが死亡。この事実を公表することは、動物園唯一の味方である市民を動揺させ、最低入場者数を更新している旭山動物園に致命的なダメージを与える可能性がありました。しかし菅野さんと小菅さんは公表を決断し、記者会見に臨んだ。2人は事実を何一つ隠すことなく伝えた。「確かに危険な病気ではあるが、正確な知識と適切な対応を取れば人に感染する危険性は殆どないということ。早期診断で治療法があること。事実を隠すと市民は裏切られたと思うでしょうからね。せっかく動物園の味方になってくれ始めた市民の信頼を裏切るようなことは絶対にしたくなかったんです。」』

『結局新聞社は人にもすぐ感染するといイメージでいたずらに不安を煽る記事を1面トップに掲載。旭山動物園に行けばエキノコックスに感染する、という風評が広がった。会見後、旭山動物園の事務所には問い合わせや苦情の電話が殺到。子供の体調がおかしいと、泣きながら訴える母親もいた。結局その年は、通常の冬季閉園より2ヶ月早い8月末に、旭山動物園の歴史上初の早期途中閉園となる。』

『あの時は菅野さんと小菅さんを改めて見直した。だって、普通は逃げるよ。隠す事だってできたんだから。実際にそういう動物園もあったしね。それをあえて、正直に話して、袋叩きにあって、それでも戦い抜いた。加えて、前代未聞の大事件の渦中にあっても、飼育係たちが動物園本来の仕事をしっかりこなしていたからこそ、2人も心配しないで戦えたんだと思う。』(あべさん)

6.行動展示の哲学:演出のないありのままの凄さ
人間が動物の価値を決めない。動物本来の魅力をありのまま伝える努力。地元の普通種を中心に展示。3分の1は北海道産。

『アザラシは確かに珍しい動物ではないけれど、表情豊かで本当に面白い動物なんですよ。こんなに面白いのに、何でその魅力がわかってもらえないんだろうと悔しかったんです。客寄せパンダという言葉がありますが、その言葉通り、動物園はこれまでパンダやコアラ、ラッコなどの話題動物を飼育して客を呼ぼうとしてきた。でも、それは人間が勝手に動物の価値を決めるということです。その結果、日本の動物園は行き詰ってしまった。どんな動物でも、みんな素晴らしい生き物です。それは飼育係である僕たちが一番よく知っている。だからブームを追いかける、これまでの日本の動物園の姿勢への反省もこめて、あえて地元の動物である普通種のアザラシをやりたいと思ったんです。』(坂東さん)

『考え方は至ってシンプル。動物には面白い側面が沢山ありますが、従来の展示方法ではそれが伝わらなかった。それは博物館のように動物の「姿」を見せていただけだからです。僕たちは動物の持っている習性や能力を伝えたかった。アザラシ館も彼らが水平だけではなく垂直に泳ぐ修正を知っていたから生まれた発想です。居心地の良い場所を作り、そこで生き生きと能力を発揮する動物を見て人が感動する。その感動から動物や自然環境の問題に少しだけ思いをはせる。それが旭山動物園の考える行動展示なんです。これからも、いわゆるスター動物といわれているようなものではなく、身近な動物たちの魅力を引き出していき、それを見てもらうだけですよ。海にも陸にも生き物がいるんだという、当たり前のことを当たり前にやって見せるだけ。それ、初めて胸が張れる。今の動物園の発想とは徹底的に逆に行ってやろうと思っています。徹底的に普通種で。普通種の動物でも、こんなに魅力的なんだということを追求していきたい。それが認められるようになれば、日本の動物園の考え方も変わってくると思いますから。』(坂東さん)

旭山動物園が問う「事業とは」
以上に挙げた6つの項目が「旭山動物園成功の要素」というつもりはありません。しかし、少なくとも旭山動物園での出来事は、一般的な企業社会の常識を疑い、「事業とは何か」をもう一度考える大きなヒントになるのではないかと思います。

【2007.1.29 樋口耕太郎】

*(1) この年以降毎年のように追加されている施設には新たな予算が組まれています。いずれにしても他施設とは比較にならない程の高収益率であることに変わりはありません。

参考文献・資料:
小菅正夫 『旭山動物園園長が語る命のメッセージ』
週刊SPA!編集部編 『旭山動物園の奇跡』
坂東元著 『動物と向き合って生きる』
旭山動物園監修 『幸せな動物園』
主婦と生活社編 『感動!旭山動物園』
『プロジェクトX 挑戦者たち 第IX期 旭山動物園 ペンギン翔ぶ~閉園からの復活~』

那覇地区のホテル開発ラッシュ(pdf)

ここ5年くらいの沖縄地区のホテル業界で注目される動きは、①那覇市内のビジネスホテルの大量供給、②外資系資本による大量買収、③高級リゾート(を狙った)開発、でしょうか。これらにはそれぞれ理由があると考えられますが、よく問い合わせを受ける那覇市のビジネスホテルについて分析しました。

市場概要: 大量供給が需要増とバランス
沖縄本島のホテル開発は2000年から2004年にかけて約20軒(約3,000室)の供給が生まれていますが、この約7割が那覇市内のビジネスホテルだそうです。全国的に見ても異常事態と言えるくらいの大変な開発ラッシュですが、2005年以降もそのトレンドは継続しています。

通常これだけ大量供給がなされると収益性の低下が懸念されますが、今のところ沖縄ブームを追い風とした強固な需要増加によってかなりの底固さを示しています。那覇市内の平均客室稼働率は、2001年の9.11以降上昇傾向にて推移しており、2003年に過去最高の80%程度を達成した後、2003年から2004年にかけて4%程度低下していますが、ADR(客室単価)の上昇によりイールド*(1) はむしろ微増し、市場全体で見た場合の収益性は確保されているようです。

供給サイドの事情
僕の個人的な市場観では、今後も3~5年くらいの間、那覇市内の宿泊特化型のビジネスホテルの供給は依然として増加し続けると思っています。沖縄への観光客がこれほどの増加傾向にあり、需要が伸びていれば当然のようですが、僕はむしろ供給サイドにその主な理由があると思っています。

沖縄都市部は未だに不動産市場の縮小(不況)が継続しており、底打ちまでには早くとも1・2年くらいかかるのではないかという気がします。東京やその他の地域でも起こったことですが、不動産物件は不況時には好況時とはまた違った意味の売買が増加する傾向があります。不動産不況時には、所有者の、破綻、資金繰りニーズ、事業縮小、テナントの退去による不動産事業収益の減少等の理由によって物件が売りに出され、好況期の時以上に町並みがどんどん変わっていく原因となります。不動産不況期の売買は、一般に、売買後の再開発が前提になっているという特色があります。長い間売買されていない不動産や破綻にともなう不動産はそのまま継続的に利用するよりも、再開発を行った方が資産価値が高まるからです。このとき市場は下降傾向にありますので、売買の買い手が作成する収支計画等は硬めに設定され、それから逆算された控えめな売買価格になる傾向があるのですが、逆にそれが売買市場と賃貸(ホテルの場合は室料)市場価格の下落を招き、マーケットが落ち着くまでの間、スパイラル的に下落を続けます。これに加えて、売買=再開発を意味するため、不況期にかかわらず(というより、上記の理由によって、不況期であるがゆえに)不動産供給が著しく増加します。そして、このように売買→再開発がなされるときはその市場において最も価値の高い不動産が多量に開発されます。

東京では高級マンション、那覇ではビジネスホテル
不況期の東京であれば坪350万円くらいの新築高級マンションがそれに該当し、過去10年間は東京の都心部にこのようなマンションが乱立し、東京都心部で人口が急増した大きな原因となっています。これに対して、人口30万人に対して観光客年間500万人の窓口になっている那覇市の大きな特徴は、上記前提における最高利用不動産はマンションではなくビジネスホテルであり、一昨年くらいから那覇のビジネスホテルがとてつもなく増えている理由はこのように説明できると考えています。

不況時の東京の不動産市場を見て、何でこれほど深い不況なのにさんざん不動産開発がなされるのか始めは不思議でした。不動産金融理論の「常識」では、不動産の売買価格が再調達価格(総開発コスト)を上回る、すなわち好景気のときに新規開発が起こるとされていますので、全く理屈に合わないように見えました(こんな感じで、過去において常識というものが役に立った記憶がありません)。

要は必ずしもホテル事業や賃貸事業が上向くと考えて不動産開発がなされているわけではないのです。そして、不況型の不動産売買が落ち着きを見せるまでこの傾向は必然として継続し、誰もとめることができません。幸い沖縄地区の観光客がこれまた著しく増加しているため、このような供給サイドの理由はあまりクローズアップされず、大量供給がそれほど目立った問題にはなっていないようです。ポイントは、このような供給サイドはゆっくりとしたトレンドとして推移するのですが、需要サイドはテロ、食事や文化のブーム、ミュージシャンやテレビドラマなどをきっかけにしてちょっとした市場の変化で大きく伸縮する傾向があるような気がしますので、このような構造を意識しながら事業計画を構築することがプラスになると思います。

【2006.11.24 樋口耕太郎】

*(1) イールド: RevPAR(Revenue per available room)と言われることもあります。客室単価に稼働率をかけたもの。例えば、客室単価10,000円×稼働率75%=イールド7,500円というような計算で表現されます。一般的に部屋あたりの売上効率を評価する際によく利用されています。概念的には稼働率を100%にするための単価と考えることもできます。