1930年、コーンフレーク製造大手ケロッグ社は、1500名の従業員の大半の労働時間を、これまでの8時間から6時間に変更した。ケロッグの狙いは、ワークシェアリングによる雇用の確保も然ることながら、「大量生産と大量消費による幸福の追求」という価値観に組しない経営を実現することだった。

ケロッグの社員はこの「2時間」を喜んで受け入れた。例えば朝9時出勤して、午後3時以降が自分の時間になる、という毎日を想像してみれば、ハタラクということの意味や人間関係や生活が根本的に変わることがわかる。

ケロッグ社員たちにとっても、家族や友人と共に過ごすことはもちろん、あたかも1日を2度楽しむような人生になる。女性は裁縫やガーデニングを楽しみ、隣人を訪ね、一緒に料理を作るようになった。男性は仲間たちとスポーツや狩りを楽しみ、図書館に行き、趣味に没頭した。

更に、ケロッグの6時間労働によって、社員が幸福になったというだけではない、労働生産性が飛躍的に向上したのだ。時間あたりに箱詰めされるビスケットの数が83箱から96箱になるだけではなく、間接費や事故も減少した。

この偉大な試みは70年前のことである。その後第二次世界大戦が勃発し、8時間労働を復活せざるを得なくなって現在に至るのだが、そもそも、1日の労働時間が8時間であるということの根拠はなんだろう?少なくとも生産性と全く無関係であることは明らかだ。

大戦によって6時間労働が中止された後にケロッグが実施した従業員アンケートでは、男性の77%、女性の87%が、賃金ダウンになるとしても週30時間労働を選ぶと解答した。

8時間労働が復活した後で、ある従業員はこう語ったそうだ「8時間労働になった時には、賃金が増えて皆が金持ちになると思ったけど、結局はそれほど変わらなかった。余分に働いた賃金も何かに消えてしまった。」

Kellog’s Six-Hour Day“, Temple University Press (1996/10/29)

【樋口耕太郎】