お元気ですか~?

今年はちょうどいいことにクリスマスが週末にあたりますね。
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたため、なのだそうですよ~。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。
もしも「おひとりさま」でしたら、麗王でクリスマスのケーキとともに一緒に
お過ごしくださいね! 今年は沖縄で一番美味しいスイーツ&パンのお店
「ザズー」さんの特製デコレーションを御用意させていただきます!

さて、こんなふうに季節の暦の折々に麗王便りをお送りさせて頂きましたが、
今年も最後のお便りとなってしまいました。
毎回お読みいただき本当にありがとうございました。

この2010年も随分たくさんの方々に麗王にいらしていただくことができました。
本当にありがとうございました。
初めてお会いさせていただいた方、お久し振りにいらしてくださった方、
いつも変わることなくいらしてくださっている方…。
一生のうちに出会う人の数を考えると、私の場合仕事柄、他の人より少しは
多いかもしれません。以前は毎日の新しい出会いに戸惑ったり、
悩んでしまったり、考え込んでしまったことも多々ありました。
それでも人との出会いの中から学ぶことは圧倒的に多く、
出会えるチャンスがある私は恵まれているのだとだんだん思えるようにもなり、
今では人と出会うことが新鮮で楽しい毎日です。

沖縄に住んでちょうど20年。
沖縄では出会いのひとつひとつが、なんというか、濃いのです。
特に沖縄に住む人はいい意味で何か一癖ある。
そういう自分もどこか変わっているとは思います。
またよく言われます。
「麗王に集まる人達ってインテリが多いからか、変わってる人が多いよねぇ。」
でも麗王のように変わっている人達が集まれば、それが普通であり、
むしろ普通の人のほうが変わって見えるのだから面白い。
じゃあ何をもって「変わっている」と「普通」を見分けるのか、
それを突き詰めて考えてみると、人間一人一人、顔も個性も姿形も
みんな違うのだから、本当はみんなそれぞれが変わっていて当たり前
なんですよね。それが社会的な規則やモラルや教育によって
何となく画一化されているから、一人一人の個性があまり表に
出ていないだけのこと。
でも麗王のようにただみんなでお話をする場、ということになると、
しっかり個の発言ができる方が多いから、必然お一人お一人の個性が
全面的に出てくる。
結果、「変わっている」ということになるわけなのでしょう。
でもそれは言葉を変えれば、「自分らしくある」ということなのでは
ないでしょうか。
つまり、「普通ということは、変わっているということ」なのです!

さて。
本当にあっという間に、一年の終わりということになってしまいました。
なぜとはいえない気ぜわしさと、街の賑わいとはうらはらに一抹のさみしさも
おぼえる時です。忙中に閑あり。
ここのところの麗王では、お馴染みのみなさんが、しみじみと一年の無事を
振り返る夜咄の会となっています。
あなたもどうぞ御自分らしい、あなたならではお話をなさりに
お寄りくださいね。決して「変わってるぅ!」なんて申しませんから!

そして。
今年も本当にありがとうございました。
女の子もいなくて、カラオケもなくて、オープンもおそくて、遅れて!
そんな店であるにもかかわらず、今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、また来年もがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

さすがの沖縄もひ~んやりとしてまいりました。
あなたは油断してカゼなどひいておられませんか?
どうぞお気をつけくださいね。

さて、
先月のお便りで、大人になると1年が早く感じる理由について書いたところ
「なるほどね~。」「非常に納得感がありました。」
「なんだかホッとしちゃいました。」…などのお声をいただきましたので、
今月は「ド忘れする」のは歳のせいなのか?について書こうと思います。

「ド忘れ」――あなたにも経験がおありでしょう?
物忘れは仕事上で困るだけでなく、精神的にも不快なものですよね~。
あまりにド忘れを連発すると「私ももう歳かなぁ」などと自己嫌悪に
陥ることさえあるものです。
ところが、私が大好きな、脳の研究者・池谷裕二さんの本を読んで
なんだかうれしくなっちゃいました。

「ド忘れは大人の脳だけに特有な現象ではない。」のだそうです!
大人になると、物忘れが増えたように感じるのは、
「歳をとると記憶力が低下する」という通俗的な思い込みがあるせい、
らしいのです。
あなたの周囲にいる子どもたちをよく観察してみてください。
子供も日常的にド忘れをしていることに気づくでしょう。
ただ、子どもたちは物忘れをいちいち気にしないのです。
一方の大人は、「歳のせいだ」と落ち込む。
人によっては歳のせいにして逃げているのかもしれません。
ド忘れして落胆する前に、まず心に留めてほしいことは、
子どもと大人ではそれまでの人生で蓄積した記憶量が異なるという点です。
100個の記憶から目的の一つの記憶を探し出すのと、
一万個の中から検索するのでは、かかる労力や時間に差があって当然と
言うもの。大人のほうが多くの記憶が脳に詰まっているのだから、
子どものようにすらすら思い出すことができなかったとしても
仕方がありません。これは大容量になった脳が抱える宿命なのです。
ド忘れしたときには
「それだけ私の脳にはたくさんの知識が詰まっているのだ」
と前向きに解釈するほうが健全ですよ~。

さらに解説いたしますと、
「いつでも思い出すことができる記憶」と「ときどきド忘れする記憶」の量を
比べてみると、はるかにド忘れの量のほうが少ないと思います。
私たちは好きな芸能人や歴史についてや、食べ物やスポーツの話もできますし、
歩き方やボタンのはめ方だって知っています。
脳に蓄えられている記憶は、よく考えてみれば実に膨大で、
私たちはその記憶を自在に活用しながら生活しているのです。
たまたまあの人の名前が出てこないといった「ド忘れ」は、
些細な量にすぎません。ですから、何かをたまに忘れてしまったからといって
落ち込む必要なんかありませんし、本来ならばむしろ、膨大な情報を
記憶している自分の脳の素晴らしさに目を向けて、「わーっ、すごいなあ」と
思ったほうがいいのです。健全だし、正しいわけです。

とにかく、ド忘れは、誰でも当然するもの。
脳は常に「ゆらぎ」を持っていて、たまたまタイミングが悪いときに
名前を訊かれたら出てこない、たまたまよいタイミングのときに訊かれたら
名前が出てくる、ド忘れとは、ただ、それだけのことなんです。

また、「人の名前がでてこない。なんという人だったっけ。」というときに
他の人から「それは○○さんでしょ。」と言われると、「あっ、そうそう。」
とその名前が今時分の探そうとしていた人であるかどうかがすぐにわかります。
つまり、「ド忘れ」は本当に忘れているわけではないのです。

本当に記憶がなくなってしまって、脳から消え去ってしまう場合は、いわば
病気で、「認知症」がそれに当たりますが、
ド忘れなどの「健忘症」は、記憶を呼び出すことができない状況をいい、
あくまでも呼び出すことができないだけです。
「健忘」とは、読んで字のごとく、「健やかに忘れる」こと。
つまり、ド忘れは健忘の証。記憶はちゃんと脳に残っています。
健忘なんて起こってもいい、ド忘れだってしてもいい、
怖れる必要なんかありませんよ~。

さぁ、ほっとしたところで、木曜日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日。
オーガニックな真新しいワインを愉しみながら、
あなたのステキな記憶をゆっくり辿ってみてくださいね。

【2010.11.16 末金典子】

なにやら明日か明後日には大きな台風が来そうな感じの沖縄ですね~。
もうじき11月だというのに。

そして、誰かが「ええ~~っ? 今年も残すところあと2ヶ月なの~~っ?」
などと言い出すのがこの頃。
「早いね~」「子供の頃は1年が長かったね」などと後に続けるのが、
一種のお約束かもしれません。

私は今でも疑っているんです。
小学校の6年間がじつは9年間だったんじゃないかと。
あれほど長く感じた1日。あれほど遠く感じてた1年。
たまに遠足や運動会や参観日があろうとも、いっこうに生活は変化せず、
よどんだ川の流れのようにゆっくり過ぎる時が流れていました。
学校が終わるとランドセルを置くやいなや誰かの家に集まり、
リカちゃんごっこや、着せ替え人形や、人生ゲームや、ゴム飛びなどをして
日が暮れるまで遊んだものです。
リカちゃんのお洋服を何百回着替えさせたかわかりませんが、
なかなか1年は過ぎませんでした。
「子供のころは忙しくないからなかなか時間がたたないのよ」と、
お母さんは言ったけれど、大人になると1年が早く感じる理由については、
なんと、正式な学説が立っているそうです。
ひと言でいえば、「大人と子供では、人生における1年の割合が違うから」
だそうです。
たとえば10歳の子供の1年は、全人生の10分の1。
でも40歳の人の1年は全人生の40分の1。
大人の1年間は、自分の全記憶に対して比率が低い=印象が薄い=短く感じる、
ということなのだそうです。

さて今の世の中は、不況や犯罪や天災など波乱に満ちています。
それに伴い、私達の生活や気持ちにもいろいろな影響を及ぼしています。
波乱に満ちている時というのは、起きることそれぞれが印象深いもの。
さきほどの、印象が薄い=短く感じる、という説から考えると
今を長く感じる人が多いかもしれません。
「いつまでこの状態が続くの?」
「こんなことで悩んでいるのはきっと私だけ。」……。
あなたはこんなふうに思い詰めたりはしていませんよね?
もしもそんな気分なら…、あなただけではありません。
どうぞ元気を出してくださいね。

そして、多分台風も過ぎた後であろう週末のハロウィンの日には、
ゆっくり時を感じた子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょうよ!
私も週末は魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

【2010.10.27 末金典子】

まだまだ暑さの続く毎日ですがお元気にお過ごしですか?

私ごとで恐縮ですが、先月の19日に40代最後のお誕生日を迎えました。
えええ~~~っ、もう? っていう感じです。
あなたも自分の年齢ってそんなヘンな感じがしませんか~?

で、約半世紀の自分のこれまでの人生ってどんなだったかしらと
ちょい振り返ってみました。

私の人生とは……なもの!

あなたなら……には何を入れられますか?

私にとっては、「すべてが、今この瞬間の積み重ね」であったように思います。

例えば、人生の何かに立ち向うとき、自分を奮い立たせるためには、
今やるべきことに集中して一生懸命やるだけしかありません。
過ぎてしまった過去や、まだこない未来を思い煩っても仕方ありませんものね。
でも、たま~に孤独や寂しさを感じた時などは、逆に「何もしない」ようにも
しています。今必要だからあるんだと、敢えて感じ、受け入れるように
しているんです。
どちらも今を大切にすることだと思います。

そして…、今を積み重ねていって、いつかは、どの人の人生にも最後には
「死」がやってきます。

NHKのドキュメンタリーで「無縁死」という現象が取り上げられ、大反響を
呼びました。番組では、家族も友人もなく孤独に死に、無縁仏として葬られた
人たち、あるいはそんな最後を予期して怯える人たちの人生がクローズアップ
されていました。すると、30代、40代のまだ若い世代が「無縁死」という
キーワードに敏感に反応しました。日本では、この世代に独身者が圧倒的に
増えています。親が死ねば一人になってしまう。血縁、地縁から切り離されて、
都会の片隅でたった一人、死を迎える人の姿が「他人事じゃない」と、深刻に
受け止められたわけです。

私も含めお客さまの女性達や友人も、アラサー、アラフォー、
アラフィフの独身者だらけ。そういう人たちに、無縁死について聞いてみると…
これはまた意外にも数人から、「そんなのあたりまえ。別に恐くない」という
答えが返ってきたのです。
たとえば私の友人に、トルコ大学で教鞭をとっている同級生がいるのですが、
彼女には恋人もいるにはいるけれども、違う国に住んでいて、会うのは
三ヶ月に一度程度。二人の間に将来の話は全く出ないという状態なのです。
でも彼女はそれをよしとしていて、相手を縛る気も頼る気もないし、
今のままでいい。好きなことはやってきたし、いつ死んでもいい。――
そんなふうに言うんです。実際、何年か前トルコ大地震があった時、
何日か連絡が取れず、周囲を冷や冷やさせ、一ヵ月後に帰ってきて
「それで死んじゃったら、それはそれでしょう」とケロっとしていました。
そんな彼女のことを考えていたら、「無縁死」っていうのは、
実に主観的な言葉だなとすら思えてきました。
つまり、予期される自分の死を、「孤独で寂しい死」と捉えれば、それは
「無縁死」になりうるのですが、そう捉えなければ、そうではない

いうことですよね。

また、家族・親子という縦の繋がりを失っても、人には横の繋がりが残ります。
友人、知人、ご近所との、ささやかといえばささやかな繋がり。
家族を持たず、あるいは家族を失って年老いたとき、友人と濃く深い繋がりが
持てればそれに越したことはありませんが、たとえ淡いものであっても、
人との横の繋がりを大切にして、自分なりにその中で居心地良く生きられれば、
人は自分を孤独だと感じないですむのかもしれません。
98歳で天寿をまっとうされた宇野千代さんが、晩年、新聞のコラムの文章に、
「愛はいたるところにある」と書いておられました。
近所の人が朝、自分に挨拶してくれる、その気持ちの中にも愛はある。
隣の夫婦が月に一度くらい自分の髪を切りに来てくれる、その行為の中にも
愛はある。その愛に感謝しつつ生きていきたい」と文章は綴られていました。
たくさんの人が独身のまま老いを迎えるであろうこれからの日本では、
人との横の繋がりが何よりも大事なことであると思います。

そして、やっぱり最後には、自分を救うのは、自分自身の心でしかないのでは
ないでしょうか。
今、家族のいるあなたも私も、もしかしたら死ぬ時には一人かも
しれないのだから。
それまでに、周囲にあるささやかな愛を大切に育み、
心豊かに生きていけるように、今この瞬間の積み重ねを大事にしてゆきたいなと、
誕生日にあらためて思ったことでした。

心で手を繋いでくださるあなたに心からの感謝と愛をこめて。

P.S. 連休の敬老の日には、周りにいらっしゃるお年寄りに温かな気持ちを
注いであげてくださいね。私も昭和一桁生まれの両親を労いたいと
思っています。

【2010.9.17 末金典子】

夏本番!太陽ギラギラの毎日の沖縄ですが、お元気になさっておられますか?

サッカー・ワールドカップだ、参院選だと、飲食業界は不況に輪をかけて打撃を
受けていますが、世の中全体も、選挙の度に政権がコロコロ変わるし、
首相だってあっという間に変わるし、悲惨な事件は相変わらず多発しているし、
うつやノイローゼの心を病んだ人がどんどん増えてきているし、
どころかもっと深刻な事態を引き起こしそうな、不眠症の人がすごい勢いで
増えてきている今日この頃です。
とにかく今の世の中の事件や問題を見ていると、
極悪な人が増えているというよりも、人自体が病んできているように感じます。
あまりにも度を越した幼児虐待や育児放棄、親や友達を殺す少年少女。
サラリーマンの自殺や、過労死。生活に困窮する人々…。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょう。

朝から晩まで働きづめで、のんびり休みも取れない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠い。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。

子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。

自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。

人を本当に癒せるのは、じつのところ本人だけなのかもしれません。
誰にでも、自分を癒す力が生まれながらに備わっています。
ありのままの自分を取り戻し、肩の力を抜いて自然に生きる。
周りの意見なんて気にすることはありません。その人が、その人らしく自然に
幸せに生きることこそが、何より強い力となるのです。

そこで、ありのままに生きるお手本となるのが、
いつの日も人間を見守ってきた大自然。
自然はただそこにあるだけです。
人の目を気にしたり、誰かに好かれようと思って海や山はそこにあるわけでは
ありません。本能のままにそこにあるだけ。
そして、人間も自然界の一部なのです。

だから、この連休の海の日には、ぜひ沖縄の美しい海や自然に抱かれて、
その力強さを感じましょう。
そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、
きっと思い出す時がくるはずです。

目を閉じて聴いてみてください――寄せてはかえす波の音。
いのちのリズムを聴いてください。

寄せてはかえし、かえしてはまた打ち寄せる波の音。
そのリズムにすべてを委ねたら
人生にも満ちる時と引く時があるのだと
優しい波は教えてくれるでしょう。

例えば失敗してもいい。
落ちこむ日があってもいい。

ある日幸福が
あなたから離れていくかに見えたとしても
再び波は満ちてくる。
何度も何度も打ち寄せる。

【2010.7.15 末金典子】

毎日ドシャドシャとよく降っている今年の梅雨です。
本土でも次々に入梅している今日この頃ですが、
あなたはお元気ですか?

梅雨といえば、紫陽花の花。
灰色の曇り空と、雨に打たれる花を見ていると、
本当に日差しは戻ってくるのかしらと心配になったりもしますが、
必ず太陽は顔を出し、本格的な夏がやって来ます。
夏が来ると、なんとなく心がざわつくという方、
落ち着いて何かを考えるなら今のうちかもしれません。

例えば。
いつも忙しい毎日の内に、心の片隅に放っておいてある、
忘れたいのにどうしても忘れられない…なんていう、
過去と決別できない何かしら心に引っかかっている問題。
ならばいっそ、そのことだけを考え続けてみてはいかがでしょう?
つまり「逆療法」のようなことをするのです。
ひとつのことを考え続けるには限度があります。いいかげんこんなことにも
飽きた~と思ったとき、辛い過去とも自然と決別できるかもしれません。

例えば。
恋愛をしていて想いが伝えられない、
夫婦の間で伝えたいことがある、
仕事関係の人に思いきって言いたいことがある…なんていう問題。
想いを伝えずに後悔するなら、ちゃんと気持ちを伝えて、答えを得るなり、
燃え尽きたほうが幸せではないでしょうか。
当たって砕けろの精神こそ「人間道」の本筋だと思います。
だからこそアプローチに失敗したときは、思いきり傷ついてよし。
「自分は大丈夫、もうなんとも思ってないもんね。」なんていう強がりは、
立ち直るスピードを遅らせるだけ。
「ダメな場合は思いきり傷つく。」
そうすれば、時間が全てを解決してくれ、新しい自分に向かう元気を取り戻し、
再びキラキラと輝くことができるはずです。

とにかく、「憂うつ」って、いつも心の片隅でチクチクとしているもの。
いつまでも放っておかずに、その「憂うつ」をまず目の前にグイッと
引っ張ってきて、すぐに片付けてしまったり、とことん向き合ってみるんです。
すると意外に簡単に事が運んだり、あっという間に片付いてしまったりして、
早く心がスッキリして後がラクですよ~。
私はいつもこれを信条としているんです。

でもまぁ、ちょっとした憂うつならともかく、重い悩みなどは、
向き合うのも結構辛くって、そう簡単にはいかないのものですけれど…。

それでも、やまない雨はありません。
これは、自然の雨と、人間の心に降る雨に、共通の真理なのですね。

さて。
日曜日は父の日ですね。

お母さんには「ありがとう」とすっと言える方も、なぜだかお父さんへとなると
言いにくいという方が多いのですが、私もその一人でした。
その経緯は去年のお便りで詳しく書かせていただいたのですが、
親子の問題を抱えているという場合も、実はじっくり向き合ってみると、
心の澱が流れていくかもしれません。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、私の父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれ、自分も成長することでしょう。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。
だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。

したことの後悔は、日に日に小さくすることが出来る。
けれども、していないことの後悔は、日に日に大きくなっていくもんだよ。

悩んでいる時に父からもらった言葉をあなたと分かち合いたいと思います。

いっぱいお話してくださいね。あなたのお父さんへの想い―。

【2010.6.17 末金典子】

楽しいゴールデンウィークをお過ごしになられましたでしょうか。

わたくしはと言えば、1日に黄砂アレルギーとカゼを併発し、高熱とひどい咳で
ダウンしてしまい、2日からお休みの予定を1日早くお休みした挙げ句、
昨日までお休みすることになってしまいました。
みなさんには大変御迷惑をおかけしてしまい本当にすみませんでした。

今回の私もそうなのですが、いつの時も、ものごとには必ず良い面と悪い面の
両方が現れるもので、悪い事が起こっているようでも、後になってみれば、
実はそれが後の良い事につながっていたとか、あなたにもそんな経験がきっと
おありではないでしょうか。

今回の私は先週から病気でお休みせざるをえなくなり、
病気の辛さや、みなさんに御迷惑をおかけした不甲斐なさを味わった半面、
みなさんの温かさや御人柄の素晴らしさを改めて知ることができ、
人の優しさをたくさんいただくことができました。
1日にいらしてくださる予定だったみなさんにお断りのメールやお電話を
させていただいた時のみなさんのお優しかったこと。
私のいたらなさを責めるどころか、メールの文章の行間から立ち上ってくる
温かい思いやり、お電話の声や言葉から伝わってくる労わりの気持ち、
それらがどんなに心強くありがたかったことでしょう。
病気の時って、なんだか自分がとっても情けな~く弱く感じるもの。
そんな時だからこそ、お一人お一人の温かいお気持ちがじ~んわりと心に
沁みました。あ~、私はいつもこんなに優しく温かい人達とご縁を持たせて
いただいているんだなぁと。
おかげさまで回復することができ、また今日から元気に仕事を
再開できることとなりました。本当にありがとうございました。
また、名医と誉れの高い西平医院長先生、的確な診療をありがとうございました。

さて、
日曜日は母の日ですね。

前々回の季節の便りでは母から学んだ「謝ること」について
書かせていただいたのですが、今回は母から学んだ「働くこと」のイメージを
書こうと思います。

私の母は本当にいつも働いている人でした。
今でこそ夫婦共働きが当たり前になっていますが、私の子供時代は、
お母さんは家で家事をしている人、つまりは主婦が主流でした。
でも私の母は実家が老舗の洋食屋さんで、母の弟妹はそれぞれ好きな仕事に
就いているというのに、自分だけは両親を手伝って結婚後も
70歳になるまでずっと洋食屋さんを切り盛りして働いていました。
毎朝8時から夜は10時まで。
子供の私はというと、小学校低学年の頃までは洋食屋さんの2階で宿題を
したりして過ごしていましたが、高学年になるとお店の隣の駅の自宅で、
弟と二人で父の帰りを待つという「鍵っ子」生活が続きました。
子供心にはやはり寂しく、家に帰ればお母さんが「お帰り」と言ってくれて
手作りのおやつが出てくる同級生のみんながすごく羨ましかったものです。
でもその半面、女性が働くということが、そして人は働いて生きていくもの
なのだということがごく自然に心に焼き付いたようです。
また、私達の時代では学生生活を終えれば就職して社会人になるというのが、
ごく当たり前の人生のコースのように考えられていて、フリーターやニートなる
言葉や価値観はまだ登場していませんでした。

今の世の中は、学生を終え、いよいよ就職となっても厳しい就職難。
就職してからだって、その出世争いの厳しいことったらもう。そこでもまた
頑張ってある高みに上り詰めたと思ったら、やれリストラだ倒産だ吸収合併だ
敵対的買収だ、では正直やる気も出ませんよね。こういう先輩世代を見て
真面目に就職するなんてバカバカしいとニートになってしまう若者達も…。
なんだか働く意味を失いがちな社会になってきています。

どうしたらいいのでしょう。
一体どうしたら世の中がもっとハッピーになるのでしょうか。
よく「モチベーションを上げて働こう!」などというセミナーがありますが、
そもそもモチベーションを上げないと人は働いたり能力を発揮できないもの
なのでしょうか?

じゃあこんなふうに考えてみたらどうかなと思うんです。
「お前さんねえ、はたらくってのは傍が楽になるからハタラクってんだよ」
という落語の一節にもなっている仏教の法話の中にその答になる大きなヒントが
あるのではと。
みんな働くのは自分のためだって思うから辛くなりますよね。
でも自分の身の回りの人を楽にさせるために働くんだって考えたら、
やる気も出ませんか? つまり好きな人のために頑張るっていうのが
人間一番元気が出るものではないでしょうか。
自分のために頑張るのは限界がありますが、好きな人のために頑張ることに
限界はありませんよね。愛のエネルギーは無限なのですから。
確かに私の母も、働き詰めでろくに休みもなく相当疲れているはずなのに
「みんなの喜ぶ顔が見たいから」といつも生き生きと楽しそうに、
ひとさまのためにばかり心を尽くしていた人でしたっけ。

そういえば、最近、面白いマーケティングの分析を見ました。
右肩上がりの経済成長が見込めなくなってしまった今、
人は「幸せ」をどのようにして感じることが可能か、というお話。
「格差社会」という言葉の提唱者として有名な山田昌弘氏と大手代理店の
分析では、幸せのイメージとしては「他の人の役に立っている」という
感覚にあるそうで、その感覚を消費するスタイルが人気になってきているそう
なんです。実際、パッケージ化された途上国へのボランティア旅行が
人気プランになっているんだとか。人間には必ず「善意」が存在するから
だそうです。
また、阪神大震災で大被害に遭われたオリックスさんの池田支店長にうかがうと
震災後、トイレ掃除から仕出しから、池田さんも含め本当にたくさんの方々が
無償で黙々と、決していやいやではなく生き生きと働いておられたそうです。

さぁ、ゴールデンウィークも終わりまたお仕事ですね!
願わくば、みんながその善意のもとに楽しく働くことができますように。
そして、私達のその善意がこの世界に対して小さくとも何か温かなものを
プレゼントしてくれますように。

最後に。
少し長くなってしまうのですが、私が高校生の時に出会い、
29歳の時に沖縄に引っ越してきてすぐに、偶然また逢い、
覚えてくださっていたというお坊さまの法話を写しておきたいと思います。
この方も私に
「自分の幸せは一切考えなさるな。「人を幸せにする」そのことこそが
幸せへの道ですぞ。」
と言われたのでした。

だまされたと思って、ぜひ声に出して読まれることをお薦めします。
この文章には言霊が宿っているので、必ず心が清らかに洗われ、働く力が
漲ってくるはずです。

「私共の日常生活の言葉に、はたらく(働く)という言葉がありますが、これは
はたがらく(楽)になるということです。はたというのは人さん、御近所さま、
世間さんのことです。近所に迷惑をかけることを、はた迷惑と言います。
このはたさまが楽しく幸せになってくださるためのお手伝いを
させていただけることを喜んでさせていただくのが、即ち働く(はたらく)で
あります。はたらくとは宗教的な温かい言葉です。
私たち一人ひとりがこうした気持ちで自分の仕事に励ませていただくなら、
世の中はどんなに明るく楽しくなることでありましょうか。
仕事は事にお仕えするということですね。ですから仕事はするものではない、
させていただくものです。働くのではない、働かせていただくのです。
私共がどんなに仕事をした、働いたと言っても、世間さまから、社会の人々から
うけている無量のおかげにくらべれば、何程のことが出来たと言えましょう。
生きているのではない。生かさせていただいているのです。
私共がどんなにそのうけているおかげさまにおかげ返しをつとめても、
お返ししきれるものではありません。
「つとめても なほつとめても つとめても つとめたらぬは つとめなりけり」
です。労働だけになってはいけません。はたらく気持ちを忘れてはなりません。」

この気持ちで、また今日から元気に、みなさまにお目にかかれますのを楽しみに
しております。

【2010.5.7 末金典子】

お元気ですか?
沖縄じゅうのあちらこちらの海開きももう終わり、夏本番に向かって若葉も
生き生きしていますね~。

前回お送りさせていただいたお便りの後に、選抜高校野球大会で沖縄県代表の
興南高校が見事に優勝を飾り、今やもう沖縄県のどこの高校が出たとしても
優勝できるのでは…と思うほど沖縄も強くなったものだな~と感慨一入でした。

その高校野球。
私には必ず思い出すゲームがあるんです。
それは昭和62年7月1日に岩手県営球場で、地方大会の開会式直後の2試合目に
行われた試合。岩手県の強豪・盛岡商業高校と無名の岩手橘高校との一戦でした。

結果は53対1という大差の5回コールドゲームで盛岡商が勝ちました。

勿論、私はその試合を目撃していた訳ではありません。翌朝、新聞の朝刊に
「歴史的大差」というトピックスとして小さな記事が載ったものを読んで
知りました。ただこの時私は、新聞に載ったこの試合のスコアボードの
写真を見て極めて強く興味を惹かれたんです。
いえ、53点の方ではなく1点の方にです。
今でも時々、地方大会の話題にこういう大差の試合が報じられることが
ありますが、ほとんど大差で負けた方のチームの得点は0点です。
力の差とはそういうものです。でもこの試合では、相手にたった5回で53点を
奪われるほど弱い岩手橘が何故か1点を奪っています。しかも、その1点は
なんと4回裏に得点していたのです。一体どうして得た1点なのでしょうか?
お情けで貰った点なら却って侮辱だし、哀れ過ぎます。
歴然とした力の差のある戦いでは考えられないほど重い「1点」ですよね。

野球が大好きな、さだまさしさんも、この試合に大いに興味を惹かれたそうで、
岩手の親友に無理を言って頼み、この試合のスコアのコピーを手に入れ、
マッチ箱を4つ、塁に見立ててテーブルの上に配置し、マッチ棒を
動かしながら、この試合を机上に再現してみられたそうなんです。
その時の感動を
「心が高鳴り、わくわくする様は上質のミステリーを読むようだった」と
表現なさっておられます。
その様子を雑誌に掲載なさっておられましたので、引用させていただきたいと
思います。あなたもぜひとも思い浮かべてみてください。

1回表、盛岡商は岩手橘の投手・藤原を攻め、
9安打7四球7盗塁に8つのエラーがからみ、打者25人で21点を奪う。
2回表、更に2安打と1エラーで2点。岩手橘はこの裏2安打を放つが0点。
既に23対0。
3回表は、15人の打者、6安打2四球5エラーで11点。岩手橘は3者凡退。
ここで34対0。手を抜かない盛岡商も立派だ。
4回表、3安打2エラーで3点を奪い、この回で既に37対0となる。

そして、いよいよ僕のこだわった4回裏が来る。岩手橘、1アウト後、
投手藤原がこの日盛岡商の記録した、たった一つのエラーで出塁する。
ここで5番セカンド下村が右中間3塁打を放ったのだ。後で聞いたことだが、
この時、球場全体がどよめき、大拍手が起きたそうである。それはそうだ。
正々堂々たる1点だ。僕も珈琲をひっくり返しそうになって拍手をした。
涙がこぼれそうになる。こいつら、ちゃんと出来るじゃねえか、と。しかし
5回表、盛岡商は13安打6盗塁に3エラーがからんで16点を加え、ついに
53対1というコールドゲームが成立した。
本来遊撃手だった藤原君はこの日、投手のいないチームにあって、
度胸が良いと言うだけで初登板し、5回で260球を投げた。
被安打33四球12奪三振2だった。神様は意地悪なのか優しいのかわからない。
投手がいなくて急遽登板した18歳の少年、藤原君をこれほど虐めなくとも
良いではないか、と思うが、それでもたった1点だけ返したホームを
踏んだのはその藤原君だった。

この暫く後、この一戦を揶揄する記事が週刊誌に出た時、私も激怒しました。
揶揄した筆者は余程野球を知らぬか冷酷で残忍な人です。繰り返しますが、
53対0なら凡戦です。でもこの、37点をリードされた後の4回裏の1点の重みは
野球好きでなくとも人間なら分かる筈なのです。この1点によってこの試合は
名勝負となり、私の胸に深く刻まれたのですから。

実はこの頃の私は、会社に入ってようやく仕事を覚え始めた時期で、
人間関係やら仕事のことやらいろいろなことで重みを感じ、途方に暮れていた頃
だったんです。だからこの岩手橘高校の1点は、何より「最後まであきらめるな」
という私への強いエールに思えました。37対0でも、たった1点を
取りに行こうとするのが「生きる」ことだよ。「捨てるな」と。

高校野球。それは、只の一度も負けなかったたった一つのチームと、
たった一度しか負けなかった4千幾つのチームで出来ています。
私は苦しい時いつもこの53対1のゲームを思い出します。
そして自分に言うのです。結果でなく中身だよ、と。

ゴールデンウィークの最終日はこどもの日。
童心に戻って、純粋な自分に返って、今のあなたの人生の中身を見つめてみて
くださいね。
そして忙しい毎日で磨り減った感性を取り戻し、
豊かな日々をお送りくださいますように。

【2010.4.27 末金典子】

お元気ですか?
長雨続きから晴れた~と思ったら、また今日から雨降りが続くようです。
それに先日の99年ぶりの大きな地震! みなさん大丈夫でしたでしょうか。

さて、明日は桃のお節句ですね。
このお節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、川原や海辺で
干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

私も子供の頃、おばあちゃんと母が、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。

大阪に住む母は今でも毎年私の代わりに、家に代々伝わるお雛さまを出して
飾ってくれていて、何年か前にその様子を写真にとって送ってくれました。
毎年その写真を見ながら思い出すのは、母や、亡くなったおばあちゃんのこと。
去年はおばあちゃんの「さよなら」の話を書きましたので、
今年は母との思い出を書こうと思います。
きっとどなたにでもあるような出来事ではないでしょうか。

思い出の焦点を合わせると…ぼやけている母の輪郭。次第に32歳の母の顔が
見えてきます。

母と一緒に百貨店に行った、私が5歳のときのことです。
私が迷子にならないようにと、ずっと母は私の手を握りしめて、
離しませんでした。
母がものすごい力で私の手を握りしめているものだから、私は痛くて、
ときどき母の手をふりほどきました。ふりほどくとなんだか嬉しくて、
私は走り出す。でもすぐに母に捕まえられて。まるで手錠をかけらるかのように
ガチャンとまた母の手におさまることになるわけです。
とにかく、じっとしていられない私は、ムズムズしていました。
だって、百貨店ってなんだか、わくわくするし楽しそうなんだもん。
おもちゃ売り場にも行きたいし、屋上には遊園地もあるし、大食堂で大きな
ホットケーキも食べたいし、本売り場で絵本も見たい…。
でも結局は、母とずっと一緒にいるはめとなり、母のお買い物をしただけで
帰ることとなりました。
母が売り場に忘れ物をしたことに気がつき、走って取りに行ってくるからと、
正面玄関のすみで「ここで待つように」「どこにも行かないように」
「ぜったい動かないように」と母は私に何度も念をおしました。
動かないように、と言われても、動かないワケがありません。
ずっとじっとしていた私の体はムズムズしていたんだもん。
母が走って行くうしろ姿をみながら、私は「自分一人で家まで帰ろう」という
大冒険を思いついてしまいました。
そこからの帰り道は、5歳の足をもってして30分ぐらい。
家路は、勝手知ったる線路沿いのまっすぐ道。私の名前を呼ぶ母の声が
聞こえたような気がしたけれど、大冒険に魅せられた私は、
その声をふりきるかのように家路へと歩を進めました。

無事家に辿り着いた私は、玄関先にちょこんと座って、母が帰ってくるのを
首を長くして待っていました。母は、きっと褒めてくれるに違いない。
私はあの長い道のりを一人で帰ることが出来たのだから。
そうこうしているうちに、母がすごい形相で走ってきました。
母は「良かったあ!」と笑ったかと思うと、「なにしてたん!」と怒ったり、
「ごめんなさいは?」と叱ったり、震える手で私を抱きしめたり。
母の矢継ぎ早の言葉とコロコロ変わる態度についていけず、私は固まったまま、
母を眺めていました。
私が消えた、そのあとの百貨店では大変な騒ぎとなり、母は気が狂わんばかりに
私を探したのだといいます。だから、近所のおっちゃんやおばちゃんたちや
百貨店の人や、おまわりさんまでもがうちの玄関先に集まっていて、
私は目を丸くして、母とみんなを交互に見つめていました。
だって最初は、みんなが私を褒めてくれるために集まっているのかとも
思ったんだもの。
でもそうではなくて、母はずっとみんなに頭を下げて謝っていました。
泣いたり笑ったりしながら、謝っていました。

私の記憶の中で「謝る」という光景を見たのは、このときが最初だったような
気がします。
母は自分も頭を下げながら「ほら、みなさんに謝んなさい!」と、
私に言いました。
褒められるはずの期待の光景が、全く違ったものとなり、私はかたくなに
言葉が出てきませんでした。なぜ謝らなければならないのか、
ちっとも分かりませんでした。
集まっていた人達がみんないなくなり、私は母と二人だけになりました。
母は「一人で帰ったら危ないやろ」「どんだけ心配したか」
「みんなに迷惑かけたんやで」と、まだ私を叱っていました。
自分がどんどん悪者になっていく。こうも叱られているところをみると、
どうも私はいけないことをしたようだ。
なんだか泣いているようなワケがわからない母がかわいそうになってきました。
さいごに母は
「ごめんなさいは?」
と、また私に言いました。
だから私は、
「ごめんなさい」
と、低い声で呟いたのでした。

その後も母は私が何か失敗するたびに、
「ごめんなさいは?」
の連続です。
私は、素直に「ごめんなさい」を言うときもあれば、口を一文字にして、
大粒の涙をポロポロと流すだけの時もありました。
そんなときは、
「言いたいこともあるやろうけど、まずはごめんなさい、をゆうてちょうだい」
と、母は厳しく私に言ったものでした。
たとえ子供といえども、なぜごめんなさいが言えないのか、
自分がいかに悪くないのか、理屈を言いたいものです。自己主張の始まりでも
あるのですが。
でも母は、謝ることの出来る大人になってほしいと、
かたくなにそこは譲りません。
そのかわり、言い訳をしたいのなら、謝った後で聞きましょうという具合です。
5歳の大冒険を「ごめんなさい」のあとで聞いてくれたように。

思い返せば、新入社員時代。
ここでも「謝る」ということを徹底的に教わりました。
たとえ自分に非がなかったとしても。まず、謝る。
それでも、謝る内容が理不尽なときは素直に謝ることのできない自分もいました。
でも上司は私にどんな理由があるにせよ、とにかく謝れといううわけです。
そのおかげで、私は実に様々なことを学ぶことが出来ました。
謝ることで、相手の気持ちを想像することが出来る。
なぜこの人は怒っているのか? なぜそれはいけないことなのか?
それらを想像することによって、自分自身にとって実のある訓示が
山ほどあることに気づきました。
なぜ?という疑問を持つ習慣も身につく。
謝ったことで知らないうちに相手を傷つけていたことを知るときもある。
人の痛みを知る、ということも知る。
いかに自分が井の中の蛙であったかを思い知ったりもする。
つまりは、「ごめんなさい」や「すみません」という言葉は、
その人の負けを意味した言葉ではなく、責任を追及しただけの言葉でもなく、
自分をより成長させてくれる言葉なのだということを、
私に気づかせてくれたのでした。

乳幼児教育の先駆者、井深大さんの著書に
「感謝や尊敬や謝罪は理屈で覚えるものではない。
親が率先してお手本を示しながら、くりかえし人間社会のルールや約束ごとを、
身につけさせていくこと。これが、しつけの根本的発想」だとありました。
母のしつけも、上司の教えも、理屈抜きでした。
その有無を言わせぬ「謝るということ」は、私の礎になったと感謝しています。

でも、大人になるほど「ごめんなさい」が言えなかったりしませんか?
子供の頃にはなかった見栄やプライド。そして凝り固まった思考回路。
それらが「謝る」ということに歯止めをかけている場合が多いものだから
でしょうか。
大人になればなるほど理屈っぽくもなっていくから、
大人ほど心してかからないといけないのかもしれませんね。
本当は、大人になるって、いらないものを剥ぎとって、
スマートな心になるってことでしょう?
それを怠ると、なにかにしがみついて、頭の固い、融通のきかない、
大人になってゆき、終いには「がんこおやじ」「おばちゃん化」とかと
言われてしまうんでしょうね。
そんなことを考えると、これからも、柔らかい理性を持ちたいと思うし、
いつもまっさらな自分でいたいと思います。

あなたにとっての、まっさらな自分ってどんな人ですか?

素直な心。
優しい気持ち。
謙虚な態度。
そして謝ることの出来る人。

そんな人に、私はなりたい。

長くなってしまいましたが、
明日は古式ゆかしく、まっさらな気持ちで、ひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ御一緒にお祝いくださいね。

【2010.3.2 末金典子】

お元気ですか?
寒くなったり、ゆるんだり、じとじとしたりの毎日ですが、
体調を崩されたりなさっておられませんでしょうか。

明日は立春の前日で、節分ですね。

私はこの日がくるたびに、偉大な童話作家・濱田廣介の「泣いた赤鬼」という
名作を思い出し、いつも御紹介しているのですが、このお話を知らない人が
意外に多いと聞いて吃驚するんです。
私はこのお話がもう大好きで、毎年毎年この日がくると、自分の心に
思い起こさせるためにも、このお話を読み返すことにしています。
あなたも御存知であるかもしれませんが、是非新たな気持ちで
お読みいただけたらと改めて御紹介させていただきます。

「鬼」と言えば人間を苦しめる「悪」の存在、のイメージですが、
濱田廣介の鬼はそうではありません。
人間と仲良くしたくて仕方がないんです。
それで、
「私はやさしい鬼ですからどうぞ皆さん遊びに来て下さい。美味しいお茶を
用意していますよ」
という立て札を立てるんですが、そうなると人間は疑り深く、却って誰も
寄ってこないんです。一旦嫌われると、人間社会というものはそんなふうに
徹底して冷たいものですよね。
この悩みを親友の青鬼に相談すると、青鬼は赤鬼のために一役買おう、と
言いました。僕が人間を虐めるから、そこへ君が来て僕をやっつければ、人間は
君を信頼するだろう、と青鬼は言うのです。
赤鬼のために自分が悪者になることを提案する。
赤鬼はそれでは君に申し訳ないと言うのですが、青鬼は、君がそれで人間と
仲良くなれたらそれは僕も嬉しいと言うんです。
それで言われた通りにすることにしました。
青鬼が人間の村で暴れているところへ赤鬼が駆けつけて、青鬼をやっつける。
「痛くないように」殴ろうとすると、青鬼は本気でやらなきゃ駄目だ、と諭す。
赤鬼が「本気」でぽかぽか殴ると、予定通り青鬼は逃げ出しました。
そしてこのことで赤鬼は人間と仲良くなることが出来ます。
ところが、人間と仲良くなって嬉しい日々が過ぎてゆくと、今度はふと、
自分のために犠牲になってくれた青鬼のことが気になりました。
そこで山を越えて青鬼に会いに行くと、青鬼の家は空き家になっていて、
立て札が立っていました。青鬼からの手紙でした。青鬼は赤鬼がきっと
自分のことを気にして訪ねてくるだろうと分かっていたのです。
でも、万が一、二人が仲良しでいるところを人間に見られると、
赤鬼はまた疑られる。だから僕はずっとずっと遠いところに行きます、と
書いてありました。
そして最後に「ドコマデモキミノトモダチ」と結んでありました。
それを見て赤鬼はおいおいと泣き出すのでした。

この話は何度読んでも感動します。私は同じ所で泣いてしまうんです。
その理由は「情」なのだと思います。なさけに溢れた話だからです。
「義」もあります。「自分が考える正しい行いをしよう」という誠意に
溢れているからです。
「感謝」もあります。赤鬼の涙は青鬼への感謝と、これほど自分を
思ってくれる友達を失ってしまった後悔の涙なのでしょう。

まず、青鬼は自分が赤鬼のために悪者になろうと決めたとき、既に赤鬼との
決別を決意した筈です。そして自分を犠牲にした後も、決して赤鬼に
「自分がしてやった」などという高慢な恩を着せることもなく、最後の最後まで
赤鬼の立場に立って物事を考えます。
相手のために本当に何かをする、ということはここまで考えて行動することでは
ないのでしょうか。
また、青鬼は赤鬼が自分の思いを必ず分かってくれる、と信じているから
自分を犠牲に出来るわけです。
相手がきっと自分の真意を分かってくれる、という信頼感は一朝一夕には
生まれません。長い時間をかけてお互いの人間関係の中で練り上げてゆくもの
です。自分の都合ばかりで人を恨んだり疎ましがったりするのはエゴでしか
ありませんよね。

実は今、日本に一番欠けているものは、こういった「情」なのだと思います。
暮らしの根幹が揺さぶられるような時代に、私達は生きています。
資本主義は疲弊し、アメリカの問題を日本が一番被り、10年以上も続くであろう
という不況の風が吹き荒れています。
それとともに、たくさんの人々が職を失い、異常な犯罪が増え続けている
今の世の中です。
私は「泣いた赤鬼」に出てくる「青鬼」の赤鬼への真の友情を思うたび、
泣けて泣けて仕方がありません。そして、鬼が悪だと誰が決めたの?と
思ってしまうのです。そうですよね。余程今時の人間の方が「鬼」より
悪いのではないでしょうか。

でも、そんな世にあっても、友情や善意は必ず存在するのです。
いえ、こんな時代だからこそ「情」や「義」や「愛」といった心を大切に
しなければならないのです。

確かにこんな世の中だからと、不安になったり、イヤなことが起こるような気が
したりしますよね。
それが世の常であり、人生とはそんなものですから。
でも、よくないことと同じくらい素晴らしいことが起こることも確かです。
ついては、建設的なことに焦点を合わせ、物事の明るい面を見たいものです。
青鬼のように、許し、思いやり、寛大になり、信じましょう。

私は青鬼ほどにはまだまだ「無私の心」で友人や多くの方々と
向き合うことが出来てはいないけれど、こんなふうにありたい、
と思うか思わないかでは、相当な違いがあると思っています。
私、今日はちゃんと周りの人に優しくしていたかなぁって、思う毎日です。

さあ、明日は節分。

立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
この日に、いり豆をまいたり、年の数だけ食べたりする風習は室町時代に広まり
豆が「魔滅」に通じ、邪気を祓うからとか。
また、「まめに=健康に」とか、面白い説がいろいろあります。
折りにふれ、季節にふれて、健康を願う昔の人の豊かな心が感じられますね。

「鬼は外、福は内!」
この日は、子供の頃、そう言いながら、縁側から炒った豆をまいたことを
昨日のことのように思い出します。
「今日からは暦の上では春よ。」という母の言葉に、
なんでこんなに寒いのに春なの? と思いながらも、その言葉の柔らかさには、
妙に胸がわくわくしたものでした。今私に子供がいたら、母と同じ台詞を
投げかけるだろうと思います。
私、この「暦の上では」という言葉が好きなんです。
どんなに寒かろうが、そう声にするだけで、何だかあったかくなる美しい日本語
ですよね。

明日はあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・西南西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを心から願って。

【2010.2.2 末金典子】

お正月はいかがお過ごしでしたか?
私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、ぐっすり眠って初夢も
見たお正月でした。

そして毎年していることといえば、大阪で暮らしている両親におめでとうの
電話をすること。
母性そのものといった母と少し長話していると、天才バカボンのママを
思い出しました。
真に母性あふれる女性とは・・・、そう思ったときに浮かんでくるのは、
「天才バカボン」のバカボンのママだからです。特に男の人にとっては
そうなんじゃないでしょうか。
このバカボンママって、はっきり言ってふつうじゃありません。
バカボンが外でいたずらしても、バカボンパパが「バカ田大学」の同級生を
夜中に連れてきて馬鹿騒ぎしても、ほとんど怒らない。
一見まともに見えるけど、あそこまで容認できるなんて、実はある意味
一番クレイジー。家族は誰も気づいてないけれど、バカボンパパよりはるかに
ウワテです。
でも、それがあるから家族みんながつながっているし、家に帰りたくなる。
究極の母性かもしれませんね。男は言うなれば、みんなバカボンママが
理想なのでは・・・。そして自分はバカボンパパになりたい。でもって、
「これでいいのだ」とか言っていたいんですよね、きっと。

なんてことを考えていたら、このバカボンパパがいつも言う
「これでいいのだ。」っていうこの言葉が、実はお釈迦様以来の真理の発見とも
いえるかもしれないなぁなんて思ったんです。
「すべては空なり」に繋がるような・・・。

現実はままならない。
うまくいかないことばかり。
毎日のほとんどは、これでよくないのだ、の連続です。
自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
そして、やっぱり自分を責めて。

だけど、ためしてみる価値はあります。
「これでいいのだ」という言葉のちからを。
信じてみる価値はあります。
あなたが、もうこれ以上どうにもならないと感じる時があるのなら、余計に。

胸を張る必要はないし、
立派になんて、別にならなくたっていい。

「あなたは、あなたでいいのだ。」

あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれます。

人生は、うまくいかないことと、
つらいことと、つまらないこと。
そのあいだに、愉快なことや楽しいことがはさまるようにできているから。

どうか、あなたのこの2010年を、あなたの人生を、大事に生きてくださいね。

私もあなたを優しさや楽しさで包むことができますように。
そんな気持ちでスタートをきりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

まずは、明後日は七草なんですよ~。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

【2010.1.5 末金典子】