木曜5校時(16時20分〜17時50分) @樋口研究室 3-505
4月14日 第1回
4月21日 第2回
4月28日 第3回
5月12日 第4回
5月19日 第5回
5月26日 第6回
6月2日 第7回
6月9日 第8回
6月16日 第9回
6月30日 第10回
7月7日 第11回
7月14日 第12回
7月21日 第13回
7月28日 第14回
8月4日 第15回

履修のルールと評価基準について

履修のルールと評価基準など(4/10午後1時にアップデイトしました。はじめに必ずお読み下さい)

国際観光入門 月曜4校時(14時40分〜16時10分) @3-304
▶課題図書:沢木耕太郎著『深夜特急〈第一便〉』(文庫本では1・2巻に該当します)。
レポート:提出期限 6月17日月曜日午前6時。
第1回 4月8日「イントロダクション」
第2回 4月15日
第3回 4月22日 リッツ・カールトン沖縄、ブセナ・テラスを訪れてレポートする。見方にもよるが、両ホテルは現在沖縄本島を訪れる最も高級な顧客を迎えるリゾートである。そのリゾートの施設を見、サービスを体感し、雰囲気を感じた上で、この商品(リゾート)を評価しなさい。提出は原則として5月7日。
(ゴールデンウィーク)
第4回 5月7日(火曜日) 沖縄から貧困がなくならない本当の理由(6)「貧困の本質」を読んで、意見、感想、異論、疑問などを論じる。論ずるとは、例えば、自分で疑問を呈し、その答えを論理的に導くことである。
第5回 5月20日 日本の端の沖縄から地域再生を考える を読んで、意見、感想、異論、疑問などを自分の言葉で論じる。
第6回 5月27日 沖縄から貧困がなくならない本当の理由(3)「低所得の構造」を読んで、意見、感想、異論、疑問などを自分の言葉で論じる。
第7回 6月3日
第8回 6月7日(金曜日)
第9回 6月17日 レポート提出期限 沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)「貧困の合理性」を読んで、意見、感想、異論、疑問などを自分の言葉で論じる。
第10回 6月24日 ポリタス「沖縄から貧困がなくならない、本当の、本当の理由」を読んで、意見、感想、異論、疑問などを自分の言葉で論じる。
第11回 7月1日
第12回 7月8日
第13回 7月11日(木曜日)「日本の観光地はなぜ『これほどお粗末』なのか」を読んで、意見、感想、異論、疑問などを自分の言葉で論じる。
第14回 7月22日
第15回 7月29日

問題発見演習I(1年次ゼミ)月曜5校時(16時20分〜17時50分)@3-307
▶課題図書:ショーン・エイカー『幸福優位7つの法則』
レポート:提出期限7月11日(月)午前6時。
第1回 4月8日
第2回 4月15日
第3回 4月22日 図書館オリエンテーションほか @3-101
(ゴールデンウィーク)
第4回 5月7日(火曜日)
第5回 5月20日
第6回 5月27日
第7回 6月3日
第8回 6月7日(月曜日)自然派生活のすすめ
第9回 6月17日
第10回 6月24日
第11回 7月1日
第12回 7月8日
第13回 7月11日
第14回 7月22日(木曜日) レポート提出期限
第15回 7月29日

幸福論 火曜4校時(14時40分〜16時10分) @3-307
▶課題図書: ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』(新版)
レポート:6月18日(火)午前6時提出期限。
第1回 4月9日 「イントロダクション:なぜ、あなたはここにいる?」
第2回 4月16日 「幸せを選択する」
第3回  4月23日 「ところで、しあわせって何だ?」
(ゴールデンウィーク)
第4回 5月14日 「瞑想の科学・その1:瞑想の概念と意味」サム・バーンズ のVTRを見て、サムの「解釈」について、あなたの意見をまとめる。これまで、「恥」または「罪」で解釈してきた出来事を振り返り、新たな解釈をしてみる。サムのように、問題を直視した上で「できること」を行動してみる。
第5回 5月21日 「瞑想の科学・その2:瞑想の実践」
第6回 5月28日 「ポジティブ心理学・その1:概念」 TED:デヴィッド・スタインドル=ラスト「幸せになりたいなら感謝しよう」 スタインドル=ラストの考え方を、自分の日常生活に当てはめて、行動して見る。
第7回 6月4日 「ポジティブ心理学・その2:幸福の実践」Meghan Trainor “All About That Bass” スティーブ・ジョブズスピーチ 「VIA強みテスト」www.authentichappiness.org(200 国、180万人が登録しているペンシルベニア大学の公式サイト) ☞ Select Languegeで「日本語」を選択 ☞ 「測定テスト」 ☞ 「Register」をクリックして登録・ログイン(PCからでないとうまく登録ができない時があるので注意) ☞ 「短縮版強みのテスト」の質問にすべて答える ☞ 自分の一番の強みを理解する(一番のみで良い)。自分の一番の「強み」を使う行動プランを明確にまとめる。例えば、自分の強みが「創造性」の場合、詩を書くために2時間確保する、「希望/楽観性」 の場合、宇宙計画の未来についてのコラムを沖縄タイムスに投稿してみる、「自己コントロール」の場合、テレビを見る代わりにジョギングに出かけてみる、 「審美眼」の場合、通学を徒歩に切り替えて遠回りの美しい道を選んでみる、などなど。自分の強みを生かした行動の結果をまとめる。
第8回 6月11日  「習慣の科学・その1:習慣の科学」Lady Gaga “Born this way”
第9回  6月18日 「習慣の科学・その2:習慣を変える」 レポート提出期限 Queen “Bohemian Rhapsody”
第10回 6月25日 「嫌われる勇気・その1:アドラー心理学」尾崎豊「僕が僕であるために」
第11回 7月2日 「嫌われる勇気・その2:自分に向き合う」槇原敬之「どんなときも。」 ジャ・ジャン@TEDxMtHood「100日間拒絶チャレンジで学んだこと」(日本語字幕は、画面右下の「設定」から、日本語を選択できます)を観て、行動してみる。
第12回 7月9日 「つながりの科学・その1:つながりの科学」Pharrell Williams “Happy” wearehappyfrom.com
第13回 7月16日 「つながりの科学・その2:つながりの実践」荒井由実「やさしさに包まれたなら」
第14回 7月23日 「贈与的に生きる・その1:贈与型人生とは?」中島みゆき「糸」
第15回 7月30日 「贈与的に生きる・その2:贈与型人生で生産性を高める」“Seasons of Love” from Musical “RENT”

観光と食 火曜5校時(16時20分〜17時50分) @3-307
▶︎課題図書:佐藤初女『おむすびの祈り』
▶レポート①:(追って掲載)
▶︎レポート②: 7月9日(火)午前6時提出期限
第1回 4月9日 「イントロダクション:私たちは食べるものでできている」
第2回 4月16日 「食品添加物」食品の裏側を見て意見をまとめる。参考資料:「野菜ジュース」の成分は”満足感”だけ!」東洋経済オンライン
第3回 4月23日「質の事業は可能か?」キング・コーンをみて、意見、感想、異論、疑問などを論じる。論ずるとは、例えば、自分で疑問を呈し、その答えを論理的に導くことである。
(ゴールデンウィーク)
第4回 5月14日 「究極のリゾート」  フードインク を見て、意見、感想、異論、疑問など論じる(携帯画面からは見られないことがある。その場合はPCで視聴すること)。
第5回 5月21日 いのちの食べ方1/3 いのちの食べ方2/3 いのちの食べ方3/3 を見て、意見、感想、異論、疑問など論じる。
第6回 5月28日 「牛乳の真実」中洞牧場の自然牛乳を見て、意見、感想、異論、疑問などを論じる。牛乳一瓶千円!それでも売れる理由
第7回 6月4日 「慣行農業の現実」 トリニティリゾート事業計画書 8ページ(【1.食品添加物】以降)〜17ページを読んで、意見、感想、異論、疑問などをあなたの言葉で論じる。
第8回 6月11日 「農業の構造」
第9回 6月18日 「おいしい料理!」
第10回 6月25日  「食育・経皮毒」おいしいレジスタンス・自然派生活のすすめ
第11回 7月2日 「農業と社会」
第12回 7月9日 「自然農の世界」 レポート②提出期限 「農業の未来2」を読んで意見、感想、異論、疑問など論じる。りんごは愛で育てる(木村秋則)福岡正信 自然農法家持続可能な農業「自然農」(川口由一)
第13回 7月16日 「種を考える」遺伝子組み換え戦争を見て、意見、感想、異論、疑問などを論じる。
第14回 7月23日 「次世代援農プロジェクト」 次世代援農プロジェクト を読んで質問などを論じる。
第15回 7月30日 「農業の未来」佐藤初女『おむすびの祈り』 を意見、感想、異論、疑問などを論じる。

専門演習ac(3・4年次ゼミ)木曜4・5校時(14時40分〜15時50分) @3-307
▶課題図書:ショーン・エイカー『幸福優位7つの法則』
レポート:提出期限 7月18日木曜日午前6時。
第1回 4月11日
第2回 4月18日
第3回 4月25日
(ゴールデンウィーク)
5月9日 (休講)
第4・5回 5月16日
第6回 5月23日 サム・バーンズ のように、問題を直視した上で「できること」を行動してみる。
第7回 5月30日
第8回 6月6日
第9回 6月13日
第10回 6月20日
第11回 6月27日
第12回 7月4日 国際コミュニケーション学会+講演会 @同窓会館
第13回 7月18日 レポート提出期限
第14回 7月25日
第15回 8月1日

【2019年前期 樋口耕太郎】

履修のルールと評価基準など(はじめに必ずお読み下さい)

問題発見演習I(1年次ゼミ)火曜4校時(14時40分〜16時10分)@3-301
▶課題図書:岸見一郎著『嫌われる勇気』
レポート:提出期限6月26日(火)午前6時。
4月10日 第1回
4月17日 第2回
4月24日 第3回 図書館オリエンテーションほか @3-101
5月1日 第4回
(ゴールデンウィーク)
5月8日 第5回
5月15日 第6回
5月22日 第7回
5月29日 第8回
6月5日 第9回
6月12日 第10回
6月19日 第11回
6月26日 第12回
7月3日 第13回
7月10日 第14回
7月13日(金) 第15回 13:00〜14:30 本館同窓会館にて、『武藤杜夫講演会』

国際観光入門 火曜6校時(18時30分〜20時00分) @3-306
▶課題図書:沢木耕太郎著『深夜特急〈第一便〉』(文庫本では1・2巻に該当します)。
レポート:提出期限 6月19日木曜日午前6時。
4月10日 第1回「イントロダクション:学ぶということ」
4月17日 第2回「一流を考える」
4月24日 第3回「グランドホテル」リッツ・カールトン沖縄、ブセナ・テラスを訪れてレポートする。提出は原則として5月8日。日程が合わない場合は、多少遅れても構わない。
5月1日 第4回 「日本のクラシックホテル」
(ゴールデンウィーク)
5月8日 第5回「サービス業の生産性」
5月15日 第6回「フォーシーズンズホテル」
5月22日 第7回「沖縄の基地経済」
5月29日 第8回「沖縄の観光を考える 1:都市開発」
6月5日 第9回「沖縄の観光を考える 2:社会の質、観光の質」
6月12日 第10回「沖縄の観光を考える 3」
6月19日 第11回「なぜ沖縄から一流が生まれないか?」
6月26日 第12回「沖縄社会を考える」
7月3日 第13回「沖縄らしさとは何だろう?」
7月10日 第14回「ハワイ! 1:沖縄との対比」
7月24日 第15回「ハワイ! 2:食と農業」

専門演習a(3年次ゼミ)木曜4校時(14時40分〜16時10分) @3-305
▶課題図書:加藤諦三『自信と劣等感の心理学』
レポート:提出期限 7月26日木曜日午前6時。
4月12日 (休講)
4月19日 第1回
4月26日 第2回
(ゴールデンウィーク)
5月10日 第3回
5月17日 第4回
5月24日 第5回
5月31日 第6回
6月7日 第7回
6月14日 第8回
6月21日 第9回
6月28日 第10回
7月5日 第11回
7月12日 第12回
7月19日 第13回
7月26日 第14回
8月8日 第15回

専門演習c(4年次ゼミ)
▶課題図書:加藤諦三『自信と劣等感の心理学』
レポート:提出期限 7月26日木曜日午前6時。
4月12日 (休講)
4月19日 第1回
4月26日 第2回
(ゴールデンウィーク)
5月10日 第3回
5月17日 第4回
5月24日 第5回
5月31日 第6回
6月7日 第7回
6月14日 第8回
6月21日 第9回
6月28日 第10回
7月5日 第11回
7月12日 第12回
7月19日 第13回
7月26日 第14回
8月8日 第15回

沖縄観光論 木曜5校時(16時20分〜17時50時) @3-307
▶課題図書:影山知明『ゆっくり、いそげ 〜カフェからはじめる人を手段化しない経済』
レポート:提出期限 7月26日木曜日午前6時。
4月12日(休講)
4月19日 第1回 「愛の経営」
4月26日 第2回 「事業再生は人の再生である」
(ゴールデンウィーク)
5月10日 第3回 「あなたが大切」
5月17日 第4回 「愛のエネルギー」沖縄から貧困がなくならない本当の理由(1)を読んで、「対症療法」の原理を理解する。意見、反論、感想、質問などを自分の言葉でまとめる。
5月24日 第5回「パラダイムと心の杭」
5月31日 第6回 「失敗は存在するか?」
6月7日 第7回「贈与の経済」
6月14日 第8回 「人のためにお金を使う」
6月21日 第9回「経済の成長で豊かになったか?」
6月28日 第10回 「人生はどこへ行った?」
7月5日 第11回 「行動の概念」
7月12日 第12回 「ひとりで変える、ひとりが変える」
7月19日 第13回 「ペイ・フォワード」
7月26日 第14回 「人格に向き合う」
8月8日 第15回「いま、愛なら何をするだろうか?」

幸福論 金曜4校時(14時40分〜16時10分) @3-102
▶課題図書: ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』(新版)
レポート: 6月22日(金)午前6時提出期限。
4月13日(休講)
4月20日 第1回「イントロダクション:なぜ、あなたはここにいる?」
4月27日 第2回「幸せを選択する」
(ゴールデンウィーク)
5月11日 第3回 「ところで、しあわせって何だ?」政治が社会問題を解決しない理由を読んで、あなたも、今、幸せを優先してみる。
5月18日 第4回「瞑想の科学・その1:瞑想の概念と意味」サム・バーンズ
5月25日 第5回「瞑想の科学・その2:瞑想の実践」
6月1日 第6回「ポジティブ心理学・その1:概念」
6月8日 第7回「ポジティブ心理学・その2:幸福の実践」「VIA強みテスト」www.authentichappiness.org(200 国、180万人が登録しているペンシルベニア大学の公式サイト) ☞ Select Languegeで「日本語」を選択 ☞ 「測定テスト」 ☞ 「Register」をクリックして登録・ログイン(PCからでないとうまく登録ができない時があるので注意) ☞ 「短縮版強みのテスト」の質問にすべて答える ☞ 自分の一番の強みを理解する(一番のみで良い)。自分の一番の「強み」を使う行動プランを明確にまとめる。例えば、自分の強みが「創造性」の場合、詩を書くために2時間確保する、「希望/楽観性」 の場合、宇宙計画の未来についてのコラムを沖縄タイムスに投稿してみる、「自己コントロール」の場合、テレビを見る代わりにジョギングに出かけてみる、 「審美眼」の場合、通学を徒歩に切り替えて遠回りの美しい道を選んでみる、などなど。自分の強みを生かした行動の結果をまとめる。
6月15日 第8回 「習慣の科学・その1:習慣の科学」
6月22日 第9回 「習慣の科学・その2:習慣を変える」
6月29日 第10回「嫌われる勇気・その1:アドラー心理学」
7月6日 第11回「嫌われる勇気・その2:自分に向き合う」
7月13日 第12回「つながりの科学・その1:つながりの科学」
7月20日 第13回「つながりの科学・その2:つながりの実践」
7月27日 第14回「贈与的に生きる・その1:贈与型人生とは?」
8月3日 第15回「贈与的に生きる・その2:贈与型人生で生産性を高める」

【2018年前期 樋口耕太郎】

☞4月2日、3日は渡嘉敷島にて、沖縄大学国際コミュニケーション学科新入学生の宿泊オリエンテーション(「オフキャン」)でした。約25名の上級生スタッフが約半年前から準備を重ねて、約80名の新入生、留学生、編入生たちを迎えます。新年度からの生活と学習についてのできるだけ分りやすいプレゼンテーション、資料づくり、そして当日の進行、説明、指導、レクリエーションまで見事な運営でした。

☞私は2年続けてオリエンテーションの担当教員の仕事をさせて頂いたのですが、主に2つのねらいがあります。第一は、学生主体のボランティア活動が、沖縄社会における組織とリーダーシップのダイナミズムを観察できる貴重な機会だからです。一般に、沖縄社会はリーダーにとっては茨の道です。フォロワーたちはコントロールされることを嫌うため、トップダウン型の運営が機能しにくく、かといって自由に任せるだけでは、組織が崩壊して生産性が一気に低下してしまう、というジレンマを抱えています。いわゆる「本土型」のリーダーシップが沖縄ではなかなか機能しないのです。リーダーが生産性を上げようとして組織に対するコントロールを強化すると、それに表立って異論を唱えるフォロワーは沖縄ではほとんどいませんが、フォロワーの心が離れて組織内部の目に見えないコストが著しく増加するのです。多くの場合リーダーはその因果関係に気がつきません。

会社の従業員やアルバイトと違って、学生のボランティアスタッフになんら義務はありません。リーダーとフォロワーを繋ぐ唯一のものは人間関係であり、リーダーの裸の人間力が問われます。フォロワーの気持ちや事情や人間関係に細やかに配慮して、チームの前向きな気持ちを維持しながら、タイミングと状況を見計らってしっかりと規律を維持しなければなりません。いわばやじろべえの重心を見つけるように、最小限のコントロールで大きな効果を生む人間関係の独特のバランスを見つけにいかなければならないのです。私の見るかぎり沖縄で生まれ育った沖大生は、人の感情の動きと人間関係のバランスに極めて敏感で、この「バランス」をとることの重要性を直感的に理解しています。彼らが組織をまとめるために試行錯誤するときのやり取りは、私にとって経営のヒントに溢れているのです。

このために私にできることがあります。ひとつはリーダーの人選。恐らく担当教員としての最大の仕事はこれで、イメージとしては8割くらいの比重があると思います。ポイントは私が選ばないこと。昨年度参加した学生のチームメンバーから誰がリーダーに相応しいか教えてもらえば良いのです。こんなこと、と思われるかもしれませんが、これを誤ると後の仕事が10倍になり、成功するとその後の仕事が激減します。例えば実社会の選挙活動には多分に候補者自身の誇張や噓が含まれているため、投票者は誰が適切なリーダかの選択を誤ることも少なくありませんが、幸いなことに、学生には妙なセールスマンシップがありませんので、この方法は機能しやすいと思います。

1991年8月、かつてウォール街の雄として隆盛を誇ったソロモン・ブラザーズで米国債の不正入札が発覚した事件がありました。この金融スキャンダルによって存続すら危ぶまれた時、大株主だったウォーレンバフェットは、専門外の証券会社の経営をフルタイムで担当し、9ヶ月間でトラブルをほぼ完全に収束させたのです。彼がはじめに行ったことは、経営メンバー一人一人と面接をし、誰が経営者として相応しいか、そしてその理由は何かを聞き、従業員がもっとも信頼する者を選別して、自分の専門外である証券業務の現場を任せたのです。

私ができることのもうひとつはバランスの維持です。組織が巡航速度で前進しているときは、ほとんど何もしていないかのように見えるのですが、いったん組織がバランスを失うと、急速に運営コストが上昇してリーダーの仕事が膨れ上がります。このようにバランスを崩す要素を特定して未然に防ぐこと、またはリーダーがバランスをとりやすいように手助けすることが重要な仕事だと思うのです。現に、昨年はこのバランスが崩れて、一時組織が混乱しかけたことがありました。

何よりも重要なのが、一人一人の学生に対する深い関心と、観察力と、人間関係への洞察力でしょう。特に「組織をまとめたい」という私の都合(エゴ)をいったん捨てて、一人一人の学生の気持ちに寄り添う覚悟が必要です。この力をはじめから持っている人は存在しませんので、深い思いやりを持って人に接する訓練を重ねるしか方法はありません。

☞二つ目のねらいは、食のことです。日頃からとても気になっていることのひとつが、学生(に限りませんが)が毎日食べている食事です。私の主観も入りますが、それはそれは劣悪と言って差し支えない状態で、こんなものを食べ続けていたら毎日の生活が辛くなりますし、力も発揮できず、情熱も湧き出ず、なによりも時間の問題で体を壊してしまいます。現代社会では食の重要性があまりに過小評価されていると感じているのですが、このことは、言葉で表現してもほとんど人には伝わりません。そこで、120名近くの学生と教員が参加するオフキャンの野外炊飯で、可能なかぎり高品質な(といっても、私はこれが「普通」だと思いますが)食材を調達し、調理し、実際に食べて、その違いを実感することは、とても価値があると思うのです。

今回用意した食材と一人分の分量は以下の通りです:

北海道産有機じゃがいも 100g
北海道産有機たまねぎ 100g
熊本県産有機にんじん 30g
宮崎県産無投薬刀根鶏もも肉 100g
オーサワの無添加カレールウ
40g
創健社の化学調味料・着色料無添加福神漬け 40g
熊本県産特別栽培米 160g
オーサワの一番搾り菜種油 適量

有機じゃがいも、有機たまねぎ、有機にんじんは大八産業、カレールウと福神漬けはグリーンリーフから納品頂きました。

☞オリエンテーションの二日目、台風4号接近の影響で渡嘉敷島から那覇泊港への戻りの便の出航がなんと5時間早まり、とかしくビーチのキャンプ場で予定していたお昼の野外炊飯がキャンセルになってしまいました。いったん諦めかけたのですが、学生スタッフの強い意思で、用意した食材をすべて引き取って急遽大学に戻り、調理実習室で「究極のカレー」をみんなで作って食べました。

☞興味深かったことをいくつか。調理実習のキッチンが6つあったので、6つのグループに別れてカレーを作りましたが、まったく同じ材料でありながら、料理する者の個性やチームワークによって、ほとんど違う料理と言えるほどのバリエーションが生まれたことです。改めて、料理人の意識や気持ちやチームの雰囲気が料理に与える影響力の大きさを実感しました。

私はいつも経験していることですが、質の高い食材で作った料理を食べると、急速に体温が上がって汗だくになります。ふと横を見ると、案の定、学生たちもみんな汗だくになっていたのがおかしいくらいでした。必ずしもあたたかい料理や、辛い料理でなくても同じ現象が起こるのですが、これは恐らく、ハイオクガソリンを給油したような状態なのではないかと想像しています。燃焼効率が高くエネルギーが大量に生じる一方で、エンジン(体)への負担が少ないだけでなく、すぐに燃え尽きるために多く食べても太りません。私は、量を管理してダイエットをするくらいなら食材の質を圧倒的に上げた方が良いと思っています。効果はゆっくり生じますが、無理なく、確実に減量でき、リバウンドがありません。

おいしい料理はほんとうに食が進みます。みんな過去の野外炊飯のときとは食べる量がまるで違っていました。例年野外炊飯の後は残り物が大量に生じるものですが今回はほとんど残りません。持ち帰り希望者も多く、食材も含めて一切がなくなってしまいました。食材の質の違いに驚きながら楽しそうに食べる学生の姿を見るのは嬉しいものです。やっぱり、おいしいものは誰もがちゃんとおいしいと分るのです。

みなさん、お疲れさまでした。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

先日、ある組織の命運を議論するような重要な会議に出席していて「組織の力学」のことを考えていた。恐らくこの組織が、致命的な過ちを犯そうとしているその瞬間に立ち会ったのだと思う。このパターンは過去に私が何度も目にしてきた、組織衰退のあるいは破綻の典型的な様相のように感じられたからだ。そして、それはなぜ、世の中のあらゆる組織で、くり返し生じているのかを、ずっと考えていた。

*   *   *

一般論だが、経営者が組織全体の最善を最優先しているケースはそれほど多くない。これは、経営者が不誠実、あるいは善意であっても無知だから、あるいは怖れに負けて保守的になりすぎている、ということもあるのだが、それ以上に、これを妨げる原理が人間関係と組織内に(初期設定として)存在するからだと思う。

バークシャー・ハサウェイ社のウォーレン・バフェットはこの原理をThe Institutional Imperative(組織の力学:1989 Chairman’s Letter - 以下参照)と説明している。「組織の力学」は初期設定で存在する原理であるから、このメカニズムが起動しないように注意深く組織設計を行うことが、ガバナンス(企業統治)の本質であるという考え方だ。

「組織の力学」  (日本語は私の超訳)

①組織はいかなる変化にも抵抗する。
②時間がある限り業務は増えていく。同様に、資金がある限り新規プロジェクトや買収も増え続ける。
③経営者の望みは、それがどれほど愚かなものであれ、部下が迅速に用意・分析した「収益率」や「戦略性」によって正当化される。
④業界他社の行動は、拡大、買収、幹部の報酬など、どのようなものであれ、自動的にコピーされる。

知的で有能で経験ある経営者が合理的な判断をするとはまったく限らないのだが、原因はこの「組織の力学」によるものであり、「組織の力学」が現れると、組織から合理性は消失する。

バフェットは世界でもっとも成功した「投資家」として知られているが、私は彼の成功の本質は、組織と人間とリーダーシップに対する深い洞察に基づいた「経営者」としての力量にあると思っている。彼は「何がうまくいくか」ではなく、「何がうまくいかなくなるか」を考え、間違いを起こしそうな要素を特定し、排除するアプローチをとった。経営者を「正しく導こう」とすると、運用ルールが複雑になりすぎるし、コントロールが利かずに機能しない。このため、「組織の力学」を生み出す要素をあらかじめ排除することで、「組織の力学」が生まれにくい経営環境を提供する、という発想に至ったのだと思う。

一見、バフェットは子会社の経営には殆ど干渉していないようだが、実際には空気のように関わっている。細部を支配するのではなく、「個体間の相互作用」のバランスを設計するのが彼の仕事だ。

長年にわたって、実に様々な企業を買って経営してきましたが、チャーリーも私も、企業の難問を解決する方法はいまだによくわかりません。ただ、そう言う問題を避ける方法は学びました。   (ウォーレン・バフェット)

賢く制御できている状態は、まるで制御していないように見える。だからこそ、賢い制御なのである。  (老子)

*   *   *

私はこのような非コントロール型の経営概念を「経営バランス」と呼んでる。「ボイド」は「経営バランス」をうまく表現できる事例だ。ボイドは1987年にアメリカのアニメーション・プログラマー、クレイグ・レイノルズが考案・作製した人工生命シミュレーションプログラムである。名称は「鳥もどき(bird-oid)」に由来する。

鳥の群の複雑な行動パターンは、それぞれの鳥の相互作用によるもので、群れ全体の動きを集中的に管理するリーダーは存在しない。レイノルズは、鳥の群れの行動は一見複雑に見えるが、実はそれぞれの鳥は、いくつかの簡単なルールにしたがって行動しているだけだと見抜いて、複雑な行動パターンの背後にあるシンプルな原則を特定した。

それぞれの個体は、物理の基本法則に加えて次の3つの簡単なルールに従うものとする:

①分離(Separation)他のすべての個体や障害物と最低限の距離を保とうとする。
②整列(Alignment)近くの個体と速さを合わせようとする。
③結合(Cohesion)前進しながら、個体が集まっているところの中心に向かおうとする。

レイノルズがこの3原則を入力して鳥の群れをランダムに再現すると、プログラムは驚くほど自然な動きを見せた。彼は、単純な規則を用いながら、複雑な群体の振る舞いを再現できることを示したのだ。以後、改良されたアルゴリズムが映画のCGアニメーションなどに応用されているという。

*   *   *

これが私が認識しているバフェットの経営モデルである。現象をコントロールすることによって経営を「正しく導こう」とすると、経営はモグラたたきになる。膨大な作業に追われて、毎日が辛くなり、経営者は心と体をすり減らして、思うように行動しない従業員を恨むようになる。このような世界観に生きる経営者は、コントロールを失うことを何よりも恐れ、毎日が不安で心の安らぎを得ることができない。

やがて主流となるであろう非コントロール型の次世代経営モデルでは、経営現場における無数の変数の中から、組織を動かす本質的かつ少数のルールを特定することが経営者の重要な仕事になる。少数の原則のみを管理してその他の一切を手放すことで、個人が活きる自由な組織と、全体的な統合性を両立することができるのだ。この原則を、膨大な時間と学習と経験と試行錯誤と洞察によって見つけることが、経営者の最優先事項であろう。

あるイギリスの政治家が、この国が19世紀に偉大な国家だったのは、「見事に何もしない」政策のお陰だと言っています。歴史家がこの戦略を賞賛するのは簡単でも、それを実行するのは相当に難しいことです。(ウォーレン・バフェット)

*   *   *

何が本質的な原則かは、経営者ごとに、組織ごとに、市場ごとに、産業ことに異なるのかも知れないが、共通点もある。多くの場合は人間性に関するもの、価値観に関するもの、経営の優先順位に関するものである。バフェットはこれらの原則を、彼独自の企業金融言語に翻訳してコミュニケートすると同時に、小会社の社長たちとの資本のやり取りに関する厳密なルールを運用しているように見える。例えば、

(i)子会社の経営者が自己管理によって「オーナーのように行動する」こと: バフェットは報奨制度に慎重で、会社を買収するとその部分だけは変えることが多い。バフェットは、子会社の経営者が自己管理によってバークシャーの「オーナーのように行動する」ような最小限のルールを注意深くデザインしている。利益の額や成長率よりも資本収益率を重視する、成長しないことにペナルティを課さない、最適な資本を全額調達し超過分を親会社に返金する、物質的な利益(結果)よりもオーナーのように行動するという動機と行動の方が重視される、など。

すなわち、経営者たちが、株主の利益のために行動することで、満足を得る環境が作られている。「組織の力学」がもたらす誘惑に勝る満足が得られる企業文化が形成されてあり、これがバークシャーの強さの重要な源泉のひとつになっている。

(ii)経営者たちを信頼し、公平に扱うこと(そして、経営者たちが公平だと感じること): バークシャーで通常の経営手法を放棄したとき、唯一残したのが信頼と公平さと相互依存に基づく支配だけだった。彼らの内面からの動機に働きかける。彼らに仕事の大半を任せ、勤勉さ、誠実さ、努力に報いることで、彼らが本能的にそれに答えてくれることを望む。お金のために働く必要がない(しばしば既にお金持ちの)誠実な人とだけ働く。誠実な人を惹き付け、不誠実な人を遠ざけ、誠実な人の忠誠心を維持する。そのために、自分が誠実であること。

(iii)計画しないということ: 事業計画は「組織の力学」の元凶である。企業の計画、予算、予想、管理などは、本来不確実な世界を確実なものと考えようとする幻想であり、不確実なことに対する経営者の怖れを、社員に転嫁しているだけである。タイミングと状況によっては、部下が「何もしない」ことを、上司が、経営者が、最終的には株主が承認しなければならない。「することがないときは、何もしない」ことは、いかなる行動よりも難しい。ここで生じる「組織の力学」は強力だ。他社に顧客をとられる感覚は、心理学的に「好きなものが取り上げられる、または、好きなものを手に入れる寸前で逃す」ような感覚と同じ。人は手に届く仕事を我慢しろと言われると、それに固執したり、奪い取ったりしたくなるものであり、実際殆どの人はそうしてしまう。

*   *   *

Excerpt from “Chairman’s Letter” in Berkshire Hathaway Inc.’s 1989 annual report.
後半「Mistakes of the First Twenty-five Years」セクション4つ目の ○ 参照

My most surprising discovery: the overwhelming importance in
business of an unseen force that we might call “the institutional
imperative.” In business school, I was given no hint of the
imperative’s existence and I did not intuitively understand it
when I entered the business world. I thought then that decent,
intelligent, and experienced managers would automatically make
rational business decisions. But I learned over time that isn’t
so. Instead, rationality frequently wilts when the institutional
imperative comes into play.

For example: (1) As if governed by Newton’s First Law of
Motion, an institution will resist any change in its current
direction; (2) Just as work expands to fill available time,
corporate projects or acquisitions will materialize to soak up
available funds; (3) Any business craving of the leader, however
foolish, will be quickly supported by detailed rate-of-return and
strategic studies prepared by his troops; and (4) The behavior of
peer companies, whether they are expanding, acquiring, setting
executive compensation or whatever, will be mindlessly imitated.

Institutional dynamics, not venality or stupidity, set
businesses on these courses, which are too often misguided. After
making some expensive mistakes because I ignored the power of the
imperative, I have tried to organize and manage Berkshire in ways
that minimize its influence. Furthermore, Charlie and I have
attempted to concentrate our investments in companies that appear
alert to the problem.

大学経営の最近のトレンドのひとつは、リベラルアーツ(Liberal Arts: 教養)教育への関心が高まっていることだろうか。就職率100%で有名になった秋田の国際教養大学など、教養教育をウリにしている大学の急成長が各種メディアで取り上げられていることがその一因だろう。入学者の大幅な定員割れが大問題になって久しい大学経営の現場にあって、学力の高い学生をヤスヤスと集め、入学定員をラクラク確保し、就職氷河期においても名だたる大手企業から引く手あまたという事例が、経営難に喘ぐ学長、理事長の関心を引くのだと思う。 多くの大学で、「国際教養」を冠した名称の学部・学科が新設・強化されているが、早稲田大学や上智大学が新設した国際教養学部、法政大学のグローバル教養学部などもこのスタイルで、典型的に100%英語教育、留学必修などのプログラムが導入されている。日本におけるこれらの動きは、学問や教育についての本質的な議論によるというよりも、大学経営の「成功事例」を起点にしているように見える。

アメリカ社会におけるリベラルアーツ大学は、学士限定、少人数で、全米に150校程度 存在し、個別の専門分野に偏ること無く、社会の全体最適のために学問を指向する。オバマ大統領の卒業校として話題になったオクシデンタル、スティーブ・ ジョブズが入学したリード・カレッジ、ヒラリー・クリントンやクリントン政権で国務長官を務めたマデレーン・オルブライトの出身校ウェルズリー大学など、 リベラルアーツ大学は社会に大きな影響を与える逸材を少なからず輩出している。リベラルアーツ大学の卒業者数は、全大学の僅か1〜2%でありながら、歴代大統領を12名も輩出しているし、最近10年間のノーベル賞受賞者53名のうち、実に12名がリベラルアーツ大学出身である。「教養教育」のパワーに目を見張らざるを得ない。

そもそも、教養教育とは何だろうか?私も教養教育には、専門教育以上に大いなる価値があると信じている一人だが、私の超解釈では、「世の中は見かけと違うから」ではないかと思う。物事が見かけ通りに機能するのであるならば、専門教育が全体最適を導くはずなのだが、現実の人生や社会の法則は、まったく正反対と言って良い。最悪に見える出来事が人生最高の転機になったり、合理的だと思った処置が想定外の要因によって非効率になってしまったり、ある目的のために 行った行動が、まったく異なる結果をもたらしたりすることは、誰もが、そして何度も経験していることだ。見かけと違う、真の法則を導くために、そして、実社会において直面する様々な問題を乗り越えるめには、物事に対する深い洞察が必要で、その洞察を得るためには、多様な知識や、深みのある解釈や、物事のつながりや、因果関係の広がりを理解しなければならない。変数を繋ぎ合わせ、視点を変え、思考を深め、行動を通じて、現実社会で応用しなければならないの だ。逆に考えると、ちょっと乱暴な言い方だが、「世の中は見かけと違う」というメッセージを発するものであれば、教養教育と言えなくもない。

教養教育は社会のエリートのために施されてきた歴史があり、教養とはエリートのものだという常識が強固に存在するのだが、私はそれはまったく根拠のないことだと思っている。先日も沖縄大学で教養教育の可能性を議論していた時に、ある先生が、沖縄大学の学力水準ではとても教養教育は不可能だと断言していたが、世の中が教養教育をどのように定義しようと、取り敢えず私には関係ない。

その意味で、私は私なりの「教養教育」を試みている。もう4年半くらい続けている「次世代金融講座」も、沖縄大学での講義も、あるいは事業再生の現場でも、私が基本的に行っていることは一つだけだ。「事実」と「その解釈」。皆が共有できる事実を挙げ、これを「常識」とはまったく異なる視点から解釈することは、「世の中は見かけと違う」ということを思考するプロセスだ。事実はひとつでも、解釈が異なれば問題解決のための合理的な道筋が異なる。人にとっての 合理性が変われば行動が変わり、後は皆が勝手に人生を変えて行く。これは、教養を学ぶということの一つの形だと思うのだ。

このアプローチの素晴らしさは、異なる解釈を提示するだけで後は相手の思考に委ね、人をコントロールする必要がないということだ。人の意見や行動を変えようとすることほど、無駄なエネルギーを要し非効率なことはない。人は「事実」を変えようとするが、「解釈」を変えた方がよほど効率と生産性が高い。だから 本当の意味で教養を学んだ「エリート」は、自分に向き合う習慣があり、生産性が高いのではないだろうか。

【樋口耕太郎】

友人から、「限られた沖縄という地域に複数の高等教育研究機関が混在する意義とはなんでしょう」というご質問を頂きましたので、私なりの回答を試みます。

*   *   *   *   *

私の個人的な考え方に過ぎませんが、そもそもいかなる高等教育機関であっても、それだけで存在意義が生じることはないと思います。私は、沖縄という地域に1つであろうと、10件あろうと、存在意義とは無関係だと思います。

この議論は、例えば、まずいそば屋が、地域に一件しかなければ、本質的な存在意義が向上するのかどうかということに似ていないでしょうか?どんなにまずかろうと、そばが食べられるという事実に意味を見いだす世界観を前提にすると、存在意義が生じることになります。

一方で、まずいそばを食べるくらいなら、別のものを食べた方が良い、という世界観に生きる場合、・・・すなわち、人生において質を重視する考え方と言えると思いますが・・・ 情熱のない、創造性のない、緊張感のない、高等教育機関に通わせるくらいなら、本土や海外に子女を送った方がましだ、と考えるでしょ う。

この議論は、地域格差などの社会問題とリンクして議論されることも少なくないと思います。「おらが村にも学校」という考え方ですが、私は正にこのような考え方が、現在の沖縄を悪くしていると感じます。たとえば、すべての村にも似たような病院、ホテル、野球場、公民館、ショッピングセンター・・・、という考え方でなされる都市開発は、まったく無個性な地域社会を生み出しています。

地域社会に特定の施設が無かったとしても、それがハンディどころか強みになることが珍しくありません。例えば、宮古島ややんばるなど、かつて貧しかった地域の出身者やその一族が、現在の沖縄社会で活躍し、重要な役割を担う人物を多く輩出しているなど、地域に教育機関が存在しなかったことが、却ってその地域 の出身者の心を鍛え、より広い世界に目を向け、ひいては社会に寄与する人材を輩出しているという事実があります。すなわち、教育機関が存在しない地域ほど 教育熱心だというパラドックスです。東京でも、活躍している人は、地方出身者が多いという印象です。

結局、「おらが村にも学校」という世界観は、教育問題ではなく、土木と補助金と雇用という本音を、表面的な教育議論にすり替えているだけなのではないでしょうか。

別の角度から表現すると、存在意義と数量を切り離すという考え方は、人生において、質を重視する生き方でもあります。私は、「数を追う」という価値観に支えられた社会(典型的には資本主義社会そのもですが)は持続性を持たないと考えています。唯一永遠の成長が可能な概念は質でしょう。その意味で、我々の社会を永遠に向上しようと考えるのであれば、質を選択する以外にないと思うのです。

さらに、逆の発想においては、たとえばある地域に「過剰」と思われるボリュームの高等教育機関が存在していたとしても、必ずしもその存在意義が薄れるとは限らないと思います。たとえば、欧米の大学都市などでは、まったく何もないほどの小さな村に、世界レベルの大学が存在する事例が珍しくないことを考えると、地域内の需要と高等教育機関の供給量は殆ど相関性がありません。むしろ、過疎地域に教育機関を誘致することで、学習環境を整え、教育の質を向上させる ことが可能です。日本でも、秋田の国際教養大学や、大分のAPUなどの事例があると思います。

地域的にも、例えば京都は人口あたりの大学数が、確か日本一だったと思いますが、地元の経済規模に対して「過剰」な高等教育機関を擁しながら、地元では「学生はん」と呼ばれて、外部から京都に学ぶ学生がとても大事にされていると聞きます。

要は、世界から人を惹き付ける魅力ある事業力の有無が、存在意義を生み出す唯一の源であり、オンリーワンの個性を発揮する魂がなければ、どのような大学であろうと無意味だと思います。

特に、既に拡散しているインターネット上の教育プログラムは、極めて優れたものが多く、価格もただ同然で、学習効果も高く、単に知識を提供するだけの教育は、完全に陳腐化すると思われます。まずは英語圏から始まっていますが、日本語圏にその影響が及ぶのも時間の問題でしょう。沖縄大学のことを振り返って、 イメージで表現すれば、我々は琉球大学や沖縄国際大学と競合しているのではなく、TEDと競争する時代が既にやってきているという認識を持つべきでしょう。「TEDには到底かなわないだろう」と考える前に、そのうえでいかに独自性を発揮するかという、まったく異なる次元のパラダイムが必要なのであり、これが、事業力の本質の一部であり、現在沖縄大学が(というより、日本の大学全般ですが)必要とする経営力だと思うのです。

この問題は、旧パラダイムでは到底不可能に感じられますが、パラダイムを転換することで、すなわち自分自身の世界に対する見方を変えることで、実は、容易に実現が可能なのです。

【樋口耕太郎】

バブル最盛期の野村證券の営業で地獄のような3年間を過ごした後、27歳で初めて米国へ。日本では肩で風を切っていたが、島国での営業成績が何の自慢にもならない世界で、自分がいかに金融を知らないか、いかにビジネスに無知であるかを、嫌というほど思い知らされて愕然とした。

昼間の仕事がどれほど膨大にあろうと、私には、夜学に通って、一刻も早く金融知識を身につける以外の選択肢はなかった。ウォール街では学位はともかく、MBA同等以上の知識がなければ、そもそもスタートラインにすら立てない。

日本の親会社から派遣されても、現場で役に立たなければ、完全に「お客様」扱いだ。表面上は礼儀正しく接してくれはするものの、ビジネスでは完全に子供扱い。6時間続く契約交渉の席に呼ばれはするが、英語は理解できても、一言もその意味が分からない。

丁々発止、知的なボクシングを続けるプロたちの中で、6時間、ぽつんと自分だけが異空間に存在する惨めさは、当時の私には本当にこたえた。日本では「飛び抜けた」英語力も、当然ながら米国では当たり前。自分の過去がまったく評価されない場所では、前を向く以外に生き残る道はない。

お陰で、学ぶということが、当時の私には本当にリアルだった。なぜ学ぶのだろう、という迷いも曖昧さもないことは幸福なことだ。昨晩授業で学んだことが、翌日、ダイナミックな現場での理解をまた少し深める。このことの繰り返し。新しい知識の一つ一つが、宝石のように感じられた。

正直なところ、日本での学部生の頃は、おもしろいと思える授業に一度も出会ったことがなかった。あるいは、出会っていたとしても、自分がまったく気がつかなかったのかも知れない。学ぶということは、楽しみというよりも、自分に課した大事な課題のようなものだった。

それが一転、NYUでは学ぶということを純粋に楽しむことができた。私は、その時から、学ぶということの意味と目的が、学ぶことの内容以上に重要なのではないかと考えるようになっている。

そんな経験をしたのは、もう20年近く前の話だが、期せずして自分が沖縄大学で教える立場になり、この想いが蘇ってきた。

現在大学が直面している最大の問題の一つが、意味と目的を失っているということではないだろうか。高度経済成長期から現代までの学生は、学ぶということそのものに迷いがあっても、学位を取得すれば、ある程度将来が約束された。

誰にとっても、学ぶ理由は、学ぶことそのものも然ることながら、学位とキャリアがもたらす、実質的な結果によって明瞭だったのだ。

しかしながら、今や誰しもの目に明らかなように、そんな社会は既に存在しない。どれだけ良い大学の良い学位を取得しても、どれだけ資格を持っていても、それが生活や地位を殆ど保証しない。

確かに、この変化は重大なものだが、一方で、私たちにとって、近代において初めて、学ぶということの本当の意味に向き合う、最高の機会が到来していると思うのだ。

日本の高等教育の現場は、今まで、学ぶということの本質に向き合わずに来たのだが、その裏返しとして、今後先端を走る大学とは、偏差値の高さも然ることながら、学ぶことの意味を見いだし、形にし、伝えることのできる大学だろう。

それはすなわち、生きることの意味、考えることの意味、人と関わることの意味、事業ということの意味、経営ということの意味・・・人の役に立つということの意味、自分であるということの意味、地域を豊かにするということの意味・・・に向き合うということだろう。

立場がリーダーシップではない。規定が運営ではない。組織が人事ではない。取得した単位が学びではない。科目が専攻ではない。財務が経営ではない。私たちの未来には、新たな大学教育のパラダイムが必要とされている。

【樋口耕太郎】

沖縄大学に来てから約6ヶ月。大学内部で働くことは、私にとって初めて見聞きすることばかり。考えさせられることが山ほどある。誤解していたこと、とても見直したこと、興味深く感じること・・・。お陰で毎日がとても新鮮だ。

日本でも極めて特殊な沖縄という地域の中で、最も特別な立場にある(と私は思うのだが)沖縄大学は、物理的にも、社会的にも、経営的にも、教務的にも、日本の大学教育システムと、私立大学経営の問題点が、最もデフォルメされる場所でもある。

周知のことだが、沖縄県は本土に比べて最も大学進学率が低く、いわゆる偏差値という物差しで測れば、国立私立を問わず全国最低水準であり、特に私立大学においては、定員充足率、退学率、就職率、GPA、奨学金滞納率、いずれも急速に悪化する傾向にある。

沖縄において問題が先鋭化している面はあるのだが、この現象は日本の全国的な現象だ。18歳人口は10年前(1992年)にピークを打ち、205万人から、120万人まで4割以上減少する一方で、大学の数は1985年の450校から実に1.7倍増えて780校を超える。

需要が激減する市場環境で、供給が1.7倍になれば、経営が悪化することは明らかだ。現時点で全国の私立大学605校のうち、264校が定員割れを起こしており、この状態は改善されるどころか悪化の一途である。

近年では、大幅な定員割れにより、募集停止を行う大学が出始めた。それでも、これほど急激な需給ギャップが市場に生じながら、2003年、2009年にそれぞれ(わずか)3校、5校に留まっているのは、全国的に大学への進学率が急増してきたためだ。

1990年代の初めまでは、おおよそ25%前後で推移していた大学進学率は、18歳人口の激減を「相殺」するかのように急上昇し続けており、右肩上がりに現在の約55%まで一直線に倍増し、今後も(少なくとも暫くは)上がり続ける様相だ。

結果として、驚くべきことに、18歳人口がこれほど減少する中で、少子化がこれほど大きな社会トレンドである中で、大学への入学者数は、いまもって増加傾向にあるのだ。

つまり、バブル崩壊以降、現在に至るまでの約20年間、それまでの時代には大学進学を考えなかった高卒就労者、専門学校生、短大生が、一斉に大学に入学し始め、増え続ける大学の定員を辛うじて埋めてきたのだ。

それでも18歳人口の減少率には追いつかずに、大学の定員倍率は下がり続け、大学進学希望者=大学入学定員枠、すなわち、選り好みさえしなければ誰でもが大学に入学できる、「全入時代」が到来した。

以上の必然的な結果として、日本が過去全く経験したことのない規模で、高等教育に急激な質の変化が生じている。悪く言えば、乱立した私立大学が無理矢理定員を埋めるために、学生の(学力の)質をとことんまで落とした結果とも言えるし、前向きに捉えれば、高等教育の裾野が大幅に拡大したとも言える。

明治維新以降、日本の高等教育は、いわば「エリート」のために設計・運営されてきた。学生の学習意欲、IQ、知識量の水準の高さは所与であり、教員は「最高」水準の学生に十分な注意を向ければ、無条件に生産性が生まれた。社会の中で極めて特殊な属性を持つ「エリート」だけを相手にすれば良かったのだ。

日本の大学経営は官公庁並みに守られ、破綻することなどほぼ考えられず、したがって、経営機能は長らく、というよりも、大学の歴史が始まって以来、一度も必要とされたことはない。結果として、大学内部には、教員・職員を含め、経営的な視点と経験を持つ人材が殆ど存在しない。

経営リスクがゼロで、経営機能を必要としない組織が、官僚化、形式化することはことのならいであり、実際大学の「運営」とは、統合的・戦略的な視点を持たない、対症療法の連続であり、戦略的な結果を生み出す要素が組織内部にほとんど存在しない。

それでも、経営的に余裕がある時代においては、組織に多少の窮屈さはありながら、盤石な経営が揺るぐ要素はなかったのだが、ここに来て、人口動態と市場と学生の質的な変化が急激に生じている現実に対して、大学は対応すべき糸口を掴めずにいる。

学生数が定員数を下回り、学生の選択肢が増えると同時に、定員充足率、退学率、平均学力、就職率などの基本指標が悪化する。大学は目先の数字を埋め合わせるために、学生に迎合的になる。教育はサービスになり、学生はお客様だ。教員は学生からの評価を気にし、職員は退学予備学生を腫れ物扱いする。

入学希望者を増やすために、「人気」学科を設立したり、「目玉プログラム」を導入するなどの対症療法を繰り返す中で、教職員の負担は増加し、一人当たりの業務量は増加する一方だ。

学生の学力が低下し続けているため、学生には大いに情熱を注ぎ、一層の意識と時間をかける必要があるのだが、現場の教員の時間と自由度は減るばかり。そもそも、「エリート」のためではなく、「高等教育の大衆化」に合致した教育ビジョンと、具体的なプログラムの開発が必要なのだが、そのような本質に取り組む余裕はまるでない。

仕事が窮屈になり、人が減り、一人当たりの業務が増え、その中で過去誰も経験してこなかった急激な質の変化に対応しなければならないのだが、経営機能が存在しないために、組織的なバックアップは存在しない。大学における「リーダーシップ」とは往々にして形式論の管理者であり、現場の教職員はしばしばはしごを外される。

形式が尊重されると、真実が隠され、人が欺かれ、傷つき、心が折れ、最も重要な現場の活力が失われ、実際に大学の現場では鬱や休職者が増加傾向にある。大人(教職員)が元気でいられなければ、学生が活き活きと学ぶことなどできるわけがない。学生が手本とすべき大人が皆暗い顔をしているのだから。

組織の根源的な問題を特定し、それを治癒する行為以外の一切の処置は対症療法に過ぎず、疲弊した組織内部に報われない仕事を量産することになる。それでも努力しようとする現場の職員は、まるで日露戦争で二百三高地を戦う日本軍のようだ。

重要な点は、その「根源的な問題」とは、例えば生活習慣病と同じで、ひとつのことが原因ではないということ。言葉を変えれば、全てが原因であるということであり、経営の全ての要素について全体のバランスを変える必要があるのだ。

学生の裾野が急拡大したことで、学生の基礎学力の低下が著しく、現場では以前よりもすべきことが増えている。退学を減らすために学生の相談にも乗る、一緒に食事や旅行にも行くが、肝心の教育が手薄になり、授業の魅力が乏しくなり、学生も教員も意欲が減退する。

GPAは上がらず、基礎学力も伸びず、退学者は増え、大学は社会が必要とする人材を育てきれず、就職活動にも大いに支障が生じる。就職率が下がり、「出口」が不安定な大学と看做されれば、入学希望者を減らすことになり、定員がさらに割れていく。

大学の「経営陣」が焦り始めると、学科を増やしたり、減らしたり、組織を改編したり、増やしたりするのだが、目に見える形をいくら変えても、治癒にはならない。それらの全ては、結局本質を外しており、現場に無為な負担を強いる。

教育の質を高めることは、確かに本質に近い重要課題だが、殆どの場合、大学が得意とする形式論の域を出ることができず、外形的なプログラムやしくみの議論に矮小化されてしまい、形を作るのが「経営」、その他全ては現場、という分担になるだけだ。

また、仮に首尾よく教育の質を幾分高めることができたとしても、同期間において入学者の質がそれ以上に低下し続ければ、ネットの成果はマイナス。ハードルは上がる一方である。どこかでこの悪循環を断ち切らなければならず、それが経営が果たすべき役割だろう。

問題は、運営費用を削り続け、人への投資を怠ってきた結果、現在教職員のキャパシティが限界に近い状態だと言うことだ。人事、法務、戦略企画、事業開発などの機能は事実上存在しないに等しい。経営者も事務に忙殺される有様で、同時に授業も担当している。つまり、経営機能を必要としていなかった時代の構造のままなのだ。これでは、竹槍で大戦を戦えと言っているようなものだ。

このように、組織の体力が消耗している状態で、化学療法(対症療法)を施せば、効果が出る前に衰弱して、それこそ立ち直れなくなるのだが、それ以外の対処方法、すなわち本当の意味での経営を理解し、実践するものが存在しない。

私が今までに経験してきた、事業再生案件は、どれも似たような状態だとも言える。お金なし、人材もなし、アイディアもなし、意欲もなし、再生が必要な企業なのだから当たり前だ。

「何かが足りない・・・」という発想をした瞬間に再生など不可能だし、「やってみなければ分からない」ことを悠長に試す余裕は再生企業にはない。確実に、短期間で、資源を(殆ど)使わず、現場の負担を増やすのではなくむしろ減らしながら、全くゼロから付加価値を生まなければならない。

しかも、大学という組織は、最も上意下達が機能しない組織のひとつだ。無理矢理物事を変えようとすると、歪んだ政治力の行使になり、人間関係が嘘にまみれ、現場が傷つく。実は、大学とは、現場に限りなく奉仕するサーバント・リーダーシップが最も機能する組織でもあるのだ。

さらに、大学のような知的作業中心の事業体は、教職員の意欲と情熱が、生産性に著しく影響を及ぼすという重大な特徴がある。経営が指示をして現場に何かをさせるのではなく、現場が元気になるために経営資源のすべてを活用する。

大学が「学生を元気するしくみ」であるならば、教職員が最も元気でなければならず、現場教職員の悩みや怖れに真摯に耳を貸し、それがどんなに小さなものであっても、受け止め、理解し、できることから対処することがなによりも重要なことなのだ。

会議を追加するくらいなら、組織を増やすくらいなら、決まりをもう一つ作るくらいなら、一人でも多く、少しでも長く、できるだけ深く、現場の声に耳を傾けるべきだろう。そのために、自分の時間の全てを空ける。これが今必要とされる経営機能の本質であろう。

私の感覚では、贔屓目に見ても、現在のままで沖縄大学が20年後に存続している確率は10%程度だと思う。10年後であれば40%位だろうか。・・・この予測が当たるかどうかはあまり重要ではない。そういう前提で、経営機能のすべてを見直す、程よい緊張感と真摯な姿勢が重要なのだ。

そのような危機感の中から、組織に必要な、ほんとうの優先順位が見えてくる。カギは常に人であり、人の心に火をつけるのは、正直なメッセージと、愛に裏付けられた情熱でしかない。 そんなリーダーが求められている時代なのだ。

【2012.10.26 樋口耕太郎】

最近は教育について深く考えさせられています。例えば、昨日の新入生の演習(注:沖大は一年生からゼミがあります)。図書館の使い方の共通オリエンテーションを終えて、ミニテストをするのが学科の基本プログラムです。

オリエンテーションのときにとったメモは、ミニテストに持ち込んで参照して良い旨伝えてあるのですが、一人や二人はそのメモを忘れてくる生徒がいます。必然的に、ミニテストの20分間は、彼にとってとても非生産的で、少なからず惨めな時間を過ごすことになるわけです。

私も、学生の頃は宿題を忘れる常習犯でしたので、課題をしていない状態で、いつ先生から指名されるか怯えながら、クラスにぽつんと存在するときの惨めな気持ちが、いかに最悪なものかよく解ります。

昨日は思わず、今の私がメモを忘れた彼の立場だったら、どのような20分を過ごすだろうか?と考えざるを得ませんでした。どのような事情があろうと、メモ を忘れてしまった事実は変えられませんし、メモがなければ殆ど回答することはできず、このままでは人生の20分間をどぶに捨てることになります。

私が彼に(そしてクラスに)提案したのは、自分が理解する回答を終えた後の、「空虚な」時間の使い方です。どんな時間の使い方をしても、20分間はミニテ ストのために、そこに座っていなければならない。メモがなければ、点数も大してとれない。たとえ自分が招いたことであっても、ここまでは現実。

思考実験をしてみたらどうだろう、と。あなたの人生が、仮にあとその20分しかないとして、その20分では、かならずこのミニテストを受けなければならな いとして、あなたはどのような時間を過ごすだろう?人生最後の20分を、惨めに終えるのか、それ以外に時間の過ごし方はないのだろうか?

このような思考(問い)を経ることで、あなたの人生の貴重な20分間を、全く異なる意味において過ごすことはできないだろうか、と。

「私が、メモを忘れた君の立場だったら、この20分間で、自分が沖縄大学の図書館長だったら、生徒の立場で利用し易い施設にするために、どのような運営をするかを考えて、それを回答として記述するけどな」・・・

・・・「確かに、大半の回答は誤りになるかもしれない。点数はろくなもにはならないかもしれない。そして一方で、惨めな白紙の解答用紙を提出しても、結果としての点数は同じだろうと思う。」

・・・「両者の生徒にとって、20分ミニテストをしなければならないという人生の制約は同じ、点数も同じ(最悪だろう)、外見上は全く相違なく時間が流れて行く」

・・・「確かに外見上の現象は全く同じかもしれないが、対照的な20分の過ごし方をした二人の生徒が、全く異なる人生を歩むであろうことは断言できる。ど うせ20分この場所にいてミニテストをしなければならいという、制約は同じ、しかし全く同じ環境においても、全く異なる人生を選択できと思う。」

・・・「この20分には、そういう意味があると思う。多分、ミニテストで学ぶことよりも、このような思考実験を経て、自分の人生を選択することの方が、よほど重要な学びなのではないかな?人生、20分で学べることは、意外に多いものだよ。」

【樋口耕太郎】

沖縄大学のOBを中心に強い要望があった講座シリーズが、
加藤彰彦学長のリーダーシップで実現しました。

「社会教養セミナー」は新任教員とベテラン教員がペアを組んで、
各自の専門分野のテーマについて語ります。
今週木曜日(4月26日)は、五回シリーズの第一回目。
午後6時半から8時半の講義の後、懇親会が予定されています。

シリーズトップのスピーカーは私と、なんと新崎盛暉先生との組み合わせ。
新崎先生は、東京大学文学部を卒業後、反戦運動家として活動された
沖縄研究の第一人者です。

1995年の米軍人による少女レイプ事件に端を発した沖縄県民集会と、
大規模な反戦、反基地運動を「危険視」した日本政府は、
多様な手段を駆使して、大々的な「火消し」を行います。
その一環として、沖縄出身の学者たちが日本政府の意を汲んでまとめた、
基地肯定的なプロパガンダ「沖縄イニシアティブ」に対して、
沖縄タイムズ紙面で展開した新崎先生の反論が印象的でした。

沖縄大学で学長を務めた後、名誉教授として現在も各方面で御活躍中です。
是非御参加下さい。

参加無料、どなたでもご参加頂けます。
那覇市国場、沖縄大学本館1階の同窓会館にて。

【2012.4.24 樋口耕太郎】

沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科専任教員(准教授)就任に伴い、挨拶文を添付致しました。ご高覧頂けると幸甚です。

【2012.4.14 樋口耕太郎】