6月17日に参議院で開催された、沖縄及び北方問題に関する特別委員会(沖縄北方委員会)において、沖縄振興に関する参考人として意見陳述を行ってきました。映像はこちらからご覧いただけます。以下は、私の発言に関連する議事録です。口語的に意味が通じにくい箇所、小さな言い間違い、意味がわかりにくいところなどを微修正していますので、公的な議事録の内容とは一部異なるところがあります。

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第189回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会会議録第7号
平成27年6月17日(水曜日)午後1時開会。出席者は下のとおり。

委員長 風間直樹君

理事 石田昌宏君
、末松信介君
、藤田幸久君
、河野義博君

委員 江島潔君、鴻池祥肇君、島尻安伊子君、野村哲郎君、長谷川岳君、橋本聖子君、三宅伸吾君、山本一太君、石上俊雄君、藤本祐司君
、牧山ひろみ君
、竹谷とし子君
、儀間光男君
、大門実紀史君
、吉田忠智君

事務局側 第一特別調査室長    松井一彦君

参考人 宜野湾市長 佐喜眞淳君、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授 小川和久君、沖縄大学人文学部准教授・トリニティ株式会社代表取締役社長 樋口耕太郎君、沖縄国際大学経済学部教授 前泊博盛君

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委員長(風間直樹君) 沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査のうち、沖縄振興及び在沖縄米軍基地問題に関する件を議題といたします。

(中略)

○参考人(樋口耕太郎君) 沖縄から参りました樋口耕太郎です。経済と振興の話をさせていただきたいと思います。

沖縄復帰以来43年、沖縄振興開発計画等々、非常に目覚ましい成果が上げられたと思います。本当に多くの方が尽力されています。振興予算だけでも15兆円近くの累積額が投下されていて、件経済の規模は復帰から約8倍。観光産業も振興が目覚ましく、振興計画のみならず、例えば1997年に那覇空港を発着する空港の着陸料、施設料、燃料税、大幅に減免され、あるいは、美ら海水族館の新館、首里城公園世界遺産登録、あるいは二千円札の裏に守礼の門、沖縄を支えてくれる日本国のサポートが本当に感じられるようで、1997年から15年間で観光客は倍増しております。

また、2000年に九州・沖縄サミット、あるいは2010年から中国人の副次ビザ、沖縄で一泊する中国人に関しては、複数回のビザが発行されるという特典。そして、現在は那覇空港の第二滑走路が進行中です。結果、沖縄を訪れる観光客は毎年700万人の声を聞く来訪者数になり、観光収入は4000億円。

観光だけではありません。情報産業、通信産業も目覚ましく、過去10年で、これは2002年から2012年のデータですけど、情報通信関連企業数は5倍以上、コールセンターなどを中心に大量の雇用が生まれ、過去10年間で雇用も5倍弱になっています。

おかげでというべきなのか分かりませんけれども、人口増加も、流入と相まって少なくとも現時点において人口が増えている数少ない地方都市であり、経済成長だけではなく、それに規模の深みが加わって、日本で最も景気の良い地方都市の一つになっています。これは皆さんご案内の通りだと思います。

*   *

ところが、観光の質、労働の質、社会の質。これについては非常に問題が山積どころか悪化しているんじゃないだろうか。観光の質も、一人当たりの観光収入の低下が止まらない。観光客一人当たりの滞在日数も低下傾向。観光客はどんどん沖縄本島を離れて離党にばかり行っているように見える。あるいは、観光立県と言われながら、ホテルで働く従業員の給料は全く上がらず、若者の給料は200万円いけばいい方だ。長年勤めても給料は上がらない。子供を作ることも難しい。日本最低の収入であることも依然として変わらず、情報通信産業がこれほどまで増えているのに、なぜ沖縄はまだ最下位の所得のままなんだろう。

あるいは、経済的なものだけではありません。教育問題、大学、高校とも進学率はいまだに最低水準。大学卒業後の無業者は全国一位、就職率全国最低、就職後の離職率も残念ながら全国一位。

あるいは、社会的な問題としては、いわゆるでき婚率、全国一位であり、若い結婚は生涯年収が低くなる傾向があって離婚率が高く、シングルマザーを大量に生み出す可能性があり、例えば花街で働く女性、ホステスの大多数はシングルマザーです。そうなると家庭の問題が生じる。子供の深夜徘徊、不眠、睡眠不足。早稲田大学のレポートによりますと、1歳から6歳まで、年端もいかない幼児の7割強が睡眠不足という調査があります。

あるいは、死亡率、死亡者数当たりの自殺、これも全国トップ。長寿県から転落し、65歳以上の死亡率は全国の高水準レベルを推移している。メタボ率もトップ。あるいは糖尿病、高血圧、生活習慣病が広がっている。幼児虐待、DV、性的虐待、これも高水準だというふうに報告されています。

*   *

数量的な成果を実現する陰で、産業、労働、生活の質が著しく低下し続けている。これは非常に問題というか、とっても痛ましいことであって、我々の振興計画に何か足りないものがあったに違いない。この点に関して我々は深く向き合って考える時期に来ているんじゃないだろうか。多大な方々の今までの努力を無駄にしないためにも、今ここで発想を変えて、全然違ったアプローチでこの生活と社会の質を上げるような方法はないんだろうかというようなことを考えて、随分長い間たちます。

沖縄は低所得県と言われますが、それ以上に日本最大の格差社会だというエビデンスもあります。振興計画が本土との格差を縮めることを目的として長年実行されてきましたが、それゆえに県内に格差を生み、多くの社会問題の原因となっているのではないだろうか。我々が沖縄にとって良かれと思った補助金が傾斜的に配分され、社会の格差を生み、生活の質を痛めているとするならば、アプローチを変えるべきではないだろうか。

私は沖縄に来て10年、岩手県盛岡市の出身なので、沖縄にとってはよそ者。この地域の社会、文化を知るために、毎晩、松山という那覇の町で、1日5時間、夜の9時半から朝の3時まで、女の子もいない、カラオケもないところで、人の話を聞くために、内外の知識人が集まると言われている店に過去10年通っています。毎日7人のお客さんがいらっしゃって、年間僕300日その店にいますので、年間延べ2100名、10年間やっていますので2万1000人の話を聞き続けて、何かそこから沖縄の社会のような、文化のような、構造のような、問題を解く道筋がないかということをずっと自分なりに考えてきました

*   *

この振興計画は、文化に対する深い理解なしでは無理だというのが私の今の結論でございます。沖縄は本土とは全くと言っていいくらい異なる文化を持つ社会で、よそ者の私だから逆に言えるのかも分かりません。あるテレビ番組でこういうことを申し上げました。沖縄はクラクションを鳴らさないんだと。本土だったら、違法運転とか不届きな運転をしている人間に対してクラクションを鳴らすと、いいぞ樋口、もっと鳴らせというかも知れないけれど、沖縄は、鳴らした樋口の方をさっと見て、なんで鳴らすのかなと僕の方が責められるんです。声を上げた人間の方が問題視される、あるいは加害者だというふうな扱いを受けて、結局のところ、声を上げる人間がなかなか存在しない。

これは言葉で言うだけでは難しいですが、本土の感覚とは随分違うので、なかなか理解することは難しいと思います。声を上げられない社会、ちょっとでも他人と違うことをすると物すごく目立ってしまう。ミダサー、これは物を乱すという意味ですけど、と非難される。

ある有名なミュージシャンが、私はとってもワインが好きなんだ、ウチナーンチュです。でも、これはひた隠しに隠している。自分がワインが好きだということが暴露というか知られると、ウチナーンチュどうしの人間関係がこじれる。

私は大学で教えていますけど、教育の現場でも、文章はしっかり書ける学生でも質問を全然してくれない。声を上げて質問するという行為が、やっぱり周囲の目を気にするということが非常に多いんだと思います。頭のいい子でも、賢い子でも、思考をしている子でも、やっぱり声を上げることが非常に難しい。

人材でも、会社の現場では部下を注意できない。注意をすると、逆にミダサーと言われて、何で、あの先輩怖いよねと、むしろ何か先輩の方が非難されるような雰囲気になる。

雇用でもそうです。例えば経営者が、従業員の給料を上げよう、業界水準以上に上げようと思って努力すると、周りの業界の人たちから、そんなに頑張らないでもねと無言の圧力がかかる。

この手の微妙な感情な動きを物すごい鋭い感覚で感じるセンサーをウチナーンチュは持っているわけです。自分の居場所を確保するための死活問題といってもいいと思います。

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補助金を管理する人間が社会全体に公平に分配しようと思っても、やっぱり親類縁者あるいは自分の側近たちが、そんなことをなぜするんですかと。自分の血縁、あるいは自分の身近なグループを優先して配分しなければ、その人自身が居場所を失うという現象があるかもしれない。補助金が不均等に分配されるのを知っていても、社会全体に対してフェアに振る舞おうとしても、身内が反対することには非常に困難で、ある意味の同調圧力にあらがうことは難しい。

あるいは、既得権益の企業の多くは、複雑な株式の持ち合いなどを通じてお互いを縛りあっているという、こういう環境にあります。

ですから、このような方々に、別に彼らを悪者にしようと言っている意味はないんですが、補助金を投下しても、格差は拡大するばかりではないだろうか。

大原則と言っていいと思いますけれど、沖縄は物を変えてはいけない、声を上げてはいけない、こういった無言のルールがあるように感じています。

結果として、人材が育たない、新しいことをやろうとしている人間、イノベーションを起こそうという人間に対して無言の圧力が掛かって頭抜けることができない。沖縄出身者というのは非常に才能があるんだけれども、結局、活躍している人はほとんど県外あるいは国外です。成功した人間も沖縄に戻ってくるとまた潰される。したがって、社会の中からイノベーションが起こらない、創業者が生まれない、オンリーワン企業がほとんど生じない。結果として、産業の質が低下し、雇用の質が低下し、生活の質が低下し、数々の社会問題が生じているんではないだろうか。

*   *

この分析が仮に正しいとして、さあ、なにをするべきか。社会的、文化的な制約を受けずに実業として成り立つ選択肢、とっぴに思われるかもしれないですけれども、私は、JALの子会社、日本トランスオーシャン航空、かつて南西航空という飛行機会社を沖縄に買い戻して、社会的、文化的圧力から抜けるような独自の経営をして沖縄の人材を育成する、活性化する、そういったドラスチックな方法がこれからの振興に必要なんではないかと思います。

地方創生は、人の創生であり、人が生きないと社会は生きない。人を殺さない事業体が必ず必要で、人を殺さない事業体というのはそれなりの条件が必要だ。それは文化的なものであり、社会的なものと深く関連している、と。

失礼しました。時間が長くなりました。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 格差の解消についてですが、沖縄の一つの難しさは、格差を解消しようとして給料を上げると社会的な圧力がかかるという見えない力があると思います。その力にかかわらずに、実際にどんどん給料を上げていく、従業員たちにどんどんイノベーティブなことをやってもらうためには、外需型の産業じゃないと成り立たないと私は思っています。内需型では、お互い人間関係があり、縁故があり、取引業者があり、その中で株の持ち合いがあった場合、自分は独立して歩むんだということは非常にいいにくい。ところが、東アジアあるいは県外から外資を稼げる事業体であれば独自の経営ができるんじゃないかなと思っています。

また、南西航空というふうに私は呼んでいますが、この会社を沖縄に買い戻して、沖縄は今まで、那覇空港、石垣空港のような「点」ではなくて、離島便をたくさん飛ばすことによって「面」で売る。そうすれば、観光客は滞在日数が当然延びる。那覇に来たらあと与那国に行ってみようかなと。3日、4日延びる。今平均で2泊しかしないお客さんが仮に平均で4泊するみたいなことになれば、すごく単純な算出ですけど、観光収入は4000億円から8000億円になるイメージができる可能性があるというぐらい、一社で物すごく経済的なインパクトをもたらす可能性があるわけです。

伸びるビジネスには人が付きます。人を育てるためにはビジネスが伸びなきゃいけない、新しいことをしなきゃいけない、イノベーションを起こして初めて人が強くなるんだと。イノベーションが起こらない産業からは人が育たないので、会社自体を伸ばすために、内需型、内側に向かうのではなくて、外側に伸びる可能性を探すとなると、消去法でこの会社しか残らないじゃないか。

あるいは、人の心に火がともるというんですかね、俺たちもできるんじゃかないかというふうにインスピレーションを受けることが非常に重要で、変な話ですけど、野茂英雄が近鉄を首になってロサンゼルスで新人王を取った。あのときまで日本人で大リーグで野球できるなんて誰も思わなかったんだけど、あれからあれよあれよと言う間に日本人大リーガーが続出して、あっという間に日本人なしでは大リーグが成り立たないぐらいになっていると。これがインスピレーションの強さであり、このメッセージ性の強さというのがウチナーンチュに向けられて発せられたときに、もうどれだけのパワーが出るかということを非常に楽しみにしたいな、そういう社会性のある沖縄県民だと私は思っています。

南西航空は一民間企業ですが、2010年1月27日、琉球新報の報道によりますと、JTAが合弁会社の南西航空としてスタートした1967年5月、JALと沖縄側の提携先企業が交わした合弁会社契約第7条において、日航は将来適当な時期に新会社の実質的経営権の主体を沖縄企業に移管すると明記されているというふうに報道されています。つまり、創業以来、いずれ沖縄に経営権を渡すということが前提としてスタートした会社であり、現在、JALの子会社として経営されていますが、大量の公的資金が投入され、一民間企業の利益ではなくて、社会全体に寄与するかどうかという非常に公的な視点から今この会社の将来を決めるべきじゃないかなと私は思っています。

ありがとうございます。

(中略)

◯参考人(樋口耕太郎君) 文化的、社会的な制約を受けない外需型のイスピレーショナルな企業というふうに申し上げましたが、だからといって沖縄に全く異物を持ち込んでも成り立たないと思います。ウチナーンチュの心に響くものでなきゃいけない。だから、単に本土企業の子会社という意味では全く成り立たないと思っている。これは、あくまで、とことん、究極的に、沖縄のためでなきゃいけない。

ただ、私は本土の人間として沖縄に10年住んでいて、これよく言われるんです。樋口さん、沖縄のために頑張ってくださいって。正直言って、私、この言葉に多少違和感を覚えるんですね。私、岩手県の出身ですが、岩手にお客さんが来たら、岩手県が何かできますかと、多分そういうふうに申し上げると思うんです。

ですから、沖縄が本当に栄えるためには、沖縄のため何かをするんではなくて、日本の地方、東アジアのために沖縄がお役に立てる方法を模索するべきであって、今、地方経済で衰退をしている各地、沖縄だけじゃない、本当にいろんなところに問題があります。そこに飛行機を飛ばして東アジアにつなぐ、この成長著しい経済を日本に持ち込む、沖縄があるからこそ経済がやってきたというふうに感謝されて初めて沖縄と本土の関係が本当の意味で良くなるんじゃないのかなと。沖縄以外のために沖縄が尽くして、結果として沖縄のためになる、そのためには沖縄内部の制約から解き放たれなければならないと、こういう図式になっていると私は理解しています。

(中略)

沖縄でのカジノ事業についての質問を受けて

◯参考人(樋口耕太郎君) 個人的な感覚的な話になると思うんですが、私、アメリカに暮らしていたことがありまして、カジノをいろいろ見て回ったことがあります。不動産金融をやっていましたので。まず思ったのは、数量的な経済の規模に比べて視覚的な経済の範囲が非常に狭いということですね。ラスベガスも本当に大きな経済規模を持っていますけど、上から見たら、このストリップだけでこれだけ稼いでいるのかと。一歩外れたら、社会的な乱れというのかな、非常に印象が悪くて、僕は個人的には非常に納得感がない。

カジノがどうこうという議論もあるんですけれども、そもそも我々、少子高齢化社会に突入して人口動態が大きく傾斜する中で、70歳、75歳まで小遣い稼ぎじゃなくて普通に働かなきゃいけない。そういうふうな職場としてふさわしいかという観点がとっても必要だと思うんですね。

その意味では、何をつくるかというよりも、どのように経営するのか、どのように運営するのかというふうな観点がとっても重要で、特に地方の議論からすれば、増田寛也さんのレポートじゃないですけれども、これから25年間で出産可能な女性人口が半分以下になる地方自治体が日本で800以上と。それは、どれだけ給料を上げても、どれだけ福利厚生しても、それだけでは人が来ない時代が来るかもしれない。人が働くということの良さを真に追求した企業でなければ、どれだけ給料を渡しても、売り上げがあっても、利幅があっても、黒字で倒産するということが起こるんじゃないだろうかと。労働の概念そのものを変えるような議論につなげればいいんじゃないかなと私は思っています。

国会にて、沖縄経済振興についての参考人意見陳述を行ってきました。

本土復帰以来43年間で沖縄経済は8倍に拡大しました。
補助金を大量に投下して本土との格差は縮小しましたが、
そのお金が不均等に配分されてきたために、
沖縄社会の内部に激しい格差を生んでしまいました。
これを解消するためには、今までとは全く異なる発想が必要です。

6月17日参議院沖縄北方特別委員会にて、参考人意見陳述。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?ssp=21483&type=recorded

私の発言時間は:

樋口参考人意見陳述: 23:00〜34:18
島尻安伊子委員からの質問に対する回答: 50:17〜53:25
河野義博委員からの質問に対する回答: 1:10:10〜1:11:38
吉田忠智委員からの質問に対する回答: 1:45:30〜1:47:10

よりクリアな動画は、参議院のインターネット審議中継のサイトより
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」☞「2015年6月17日」を検索して視聴下さい。

あるいは、上記の私の発言箇所は以下の「発言者一覧」に対応していますので、
クリックするとそれぞれのやり取りの始めから視聴できます。

樋口耕太郎(参考人 沖縄大学人文学部准教授 トリニティ株式会社代表取締役社長)
島尻安伊子(自由民主党)
河野義博(公明党)
吉田忠智(社会民主党・護憲連合)

浦添市のコミュニティFM(FM21・76.8MHz.)で沖縄選出の参議院議員・島尻安伊子さんがホストするラジオ番組「あい子のチャレンジラジオ」、3月7日放送分のバックナンバーがアップされています。

http://www.stickam.jp/video/182416538

3月7日の放送(2月22日収録)にゲストとしてお招き頂き、1時間弱沖縄について、事業再生について、有機農業について、南西航空についてお話させて頂きました。

沖縄を人生の本拠とすることを心に決めてから10年になりますが、この地で起こった一連のできことを通じて、人生における優先順位が180度変わってしまい(あるいは、元に戻ったというべきでしょうか)、それまで持っていたものを文字通りすべて捨てさせられたような気がします。本当に大事なものを見つけるということは、それを探し求めるのではなく、余計なものを捨てるということなのだと、今では理解しているところです。

後半話題になっている南西航空の再生は、こちらもご参考頂けます。

http://www.trinityinc.jp/updated/?p=3145

ホスト:
参議院議員
島尻あい子

ゲスト:
沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授
トリニティ株式会社 代表取締役社長
樋口耕太郎

【樋口耕太郎】

表記スライドのアップデイトバージョンです。

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【2012.7.14 樋口耕太郎】

沖縄振興特別措置法に基づいて、那覇空港を離発着する航空機に対して適用されている、①航空着陸料、②航行援助施設利用料、③航空機燃料税、の各軽減措置(以下、「軽減措置」という。)について、その経緯、現状、意義、考え方などをまとめた。沖縄の航空産業に関して適用される特別措置は、その他にも離島便に掛かる航行費補助金など、上記①~③に限らないが、基本的な考え方は同様に適用すると考えられ、本稿では主たる分析をこれに絞っている。

主な論点は二つである。第一に、「軽減措置」は那覇離発着の航空便を増便させる効果、航空機を大型化する効果、路線を長距離化する効果を生むが、一般的に理解されているような、利用者にとっての航空料金を減額する効果は(少なくともこの要因からは)殆ど生じていない可能性があるということ。第二に、「軽減措置」が発効した97年*(1) は、大量の増便を実現するには(たまたま)絶好のタイミングであった。逆に考えると、今後これ以上の「軽減措置」の拡充を行っても同等の効果が生まれる可能性は低い。

「軽減措置」の効果
沖縄と本土との間の航空機を対象として「軽減措置」が実施されたのが97年度。最近の内閣府沖縄担当部局の資料によると、08年度の那覇空港における「軽減措置」の合計額は、316億円(着陸料102億円、航行援助施設利用料119億円、航空燃料税95億円)である。同08年度の沖縄県への入域観光客数が5,934,300人。そのうち国内旅行者数が5,697,300人であり、観光客一人当たり5,550円(片道一人あたり2,770円)の軽減措置が施された計算になる。・・・しかし、このことは、「軽減措置」の合計額316億円が消費者に移転したことを必ずしも意味しない。

「軽減措置」の実施以降、航空運賃が下落したことは事実だが、これは「軽減措置」によるものというよりも、96年の幅運賃制度の自由化から始まった航空業界の規制緩和の流れが、98年の新規参入の自由化、99年の新規路線への参入自由化、そして、00年の航空法改正と航空運賃の自由化と進むにつれて、国内の航空運賃に全般的な下落圧力を生んだためだろう。「軽減措置」は利用者負担を軽減するのではなく、そのまま企業の利益補填として利用されたと考えるべきだろう。

このことは、航空会社の路線選択において、路線搭乗率が同じであるならば、他の路線から沖縄路線に就航先を切り替えることで、「軽減措置」分だけ路線利潤が増加することを意味する。すなわち、「軽減措置」は沖縄路線の就航数を増加させる効果を有している。実際、96年と00年の比較では、那覇から各主要空港への一日あたりの便数は、羽田8便、福岡5便、伊丹・関空4便増加した。また、着陸料、航行援助施設利用料、航空燃料税は、大型機であるほど、長距離路線であるほど軽減額が逓増するため、機体の大型化と長距離路線の就航を促し、特に前者は沖縄への入域観光客数の増加にも寄与したと推測できる。実際、沖縄への入域観光客数は、97年以降大幅な増加率の上昇を伴って急増した。97年以前には50万人増加するために約6年(90~96年)を要したが、97年以降、僅か2年程度しかかかっていない。

「軽減措置」の政治的背景、市場環境
「軽減措置」に代表される補助金などの政策は、基本的に沖縄離発着の供給増加政策であるといえるが、それが十分な効果を生むためには、他の空港における供給、そして同時期に、同水準の需要が生じなければならない。便数(供給)が増えただけで旅客(需要)が増加するとは限らず、それに伴う旅客需要がなければ、結局搭乗率が下落して収益が相殺されてしまう。沖縄における過去15年間は(恐らく幸運な偶然が重なって)この条件が完璧といえるほど合致していた例外的な時期といえる。

航空会社にとって沖縄路線の利益率が高まることで、大型機(ジャンボ)による増便効果が生まれたが、その一方で、那覇を飛び立った飛行機は、必ずどこかに着陸しなければならない。沖縄にとっての第一の幸運は、「軽減措置」が発効する前後のタイミングで、関西空港が開港し(94)、羽田C滑走路が共用開始された(97)ことだ。これら主要空港における離発着枠の増加が沖縄路線増便の受け皿となった。

そして、沖縄にとっての第二の幸運は、タイミングをほぼ同じくして、これらの大幅供給増に十分見合う需要が生まれたことだ。その要素は二つある。一つ目は、90年代から始まった航空自由化によって航空運賃が大幅に下落し、国内旅客数が大幅に増加したことである。90年代の約10年間で、日本の国内航空運賃は平均で30%下落し、国内旅客数は40%弱増加した。二つ目は、95年以降特に活発化した補助金の大量投下や数々の沖縄キャンペーンによって大量に創出された観光旅客需要である。90年代中頃から現在まで約15年間継続している「沖縄ブーム」は、95年の米兵による少女暴行事件に端を発した革新大田県政下の大規模な基地反対運動に対するいわば「火消し」を目的として、無尽蔵といえるほどに投下された各種補助金等によるところが大きい*(2)。沖縄サミットの開催、首里城跡の世界遺産登録、守礼之門を図柄とする2000円札の発行、美ら海水族館新館、国立劇場おきなわ、DFSギャラリア・沖縄、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の放送などの沖縄キャンペーン。そして97年に発効した「軽減措置」は、沖縄への莫大な旅客需要を生み出し、沖縄入域観光客数の増加に計り知れない貢献をしたものばかりだが、95年の暴行事件がなければ全ては実現していなかった可能性が高い。この「メッキ」は国の財政問題などによって大きくはがれつつあり、これに代替する新たな需要を生み出すことができなければ、沖縄経済は早晩大規模な収縮局面を迎えるだろう。

「軽減措置」の延長は激変を緩和する重要な役割を持つものの、それ自体は辛うじて現状を維持するためのカンフル剤に過ぎない。沖縄にとっての本質的な課題は、「莫大なメッキ」を代替する新たな旅客需要の創出であり、これは、同じ顧客(本土観光客)に対して同じもの(同じ質のサービス)を提供し続けることでは絶対に不可能である。東アジアと日本の地方都市を結び、顧客を多様化し、季節平準化を促進する、新・南西航空が沖縄にどうしても必要な所以である。

*(1) 97年度に発効した「軽減措置」は、いずれも本則に対して、①航空着陸料1/6、②航行援助施設利用料1/6、③航空燃料税3/5、に軽減されるもの。③航空燃料税は99年度に現行の1/2へ拡充され、さらに2010年度から沖縄貨物ハブ計画に対応する形で、貨物航空機が対象に追加されている。
*(2) 金融財政事情研究会編、『季刊・事業再生と債権管理』2011年1月5日号、「日本の端の沖縄から地域再生を考える」(樋口耕太郎)を参照。

【2011.2.14 樋口耕太郎】

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「沖縄のつばさ」をアジアと日本の地方都市に

沖縄でリゾートホテルの経営に携わったことから、同地に骨をうずめることを決めた。現在会社更生中である日本航空の子会社、日本トランスオーシャン航空(JTA、旧南西航空)の独立と今後の事業展開が沖縄の再生、ひいては日本の再生に大きな意味を持つことを確信し、会社のホームページ上で公開している(http://www.trinityinc.jp/updated/?p=2943)。沖縄での会社経営で発見したこと、そしてJTAの再生が沖縄と日本にとって重要と考える理由について語りたい。

レストランの開かない窓
私と沖縄との縁は2004年、恩納村の老舗リゾート、サンマリーナホテルを取得し、経営を引き継いだのがきっかけである。
それ以前の15年間はニューヨークと東京で、証券化や投資などの不動産金融を専門としていた。1990年代以降の不動産金融は国境、業界を超えて激しく変化した。私が取りまとめた案件も、ゼロから開発したものばかりだ。識者を数多く訪ねて無数の質問を浴びせ、文献とデータを大量に漁り、運営のメカニズムを細かく理解し、現場の感触をつかみ、事業全体の立体像を把握して本質をとらえる。未体験市場に切り込んで、自分の比較優位と活路を見出す楽しい知的作業だ。このような作業を繰り返すうちに未知の事業への抵抗がなくなり、どの分野であっても力を尽くせばきっと本質をとらえることができるという確信が生まれてくる。
沖縄でも同じだった。サンマリーナホテルでのはじめの半年間は、熱血ベンチャーさながらの「攻めの経営」を行った。社員を鼓舞しながら信賞必罰で妥協をゆるさず、自分が先頭に立って誰よりも長く激しく働く。世界の現場を経験してきた支配人でさえあまりの激務に吐くほどだったが、私は、それが社員への責任というものだ、と意に介さなかった。
ところが、そうした努力が沖縄では何一つ機能しなかった。最も象徴的だったのが、「レストランの窓事件」である。アトリウムに面しているレストランの窓を常時開放するよう明確な指示を出したのだが、常時開放状態になるまで4週間もかかった。私にとってこの事件はなかなかの衝撃で、窓を開放するという単純な作業が、組織においてはなぜこれほど難しいのかと考え込んだ。
実は社員には社員なりの判断があったのだ。窓を開放していると、アトリウムから風が不必要に吹き込んだり、清掃の後の塩素のにおいがしたり・・・。その割には窓を開けたときの開放感といっても知れている、という判断なのだ。つまり、窓が開放されない原因は「社員のお客様に対する思いやり」だったわけである。
そのような事情を知らない私は実質的に、「お客様への思いやりよりも上司からの指示を優先するように」というメッセージを4週間にわたって発し続けていたことになる。これは明らかに破綻しており、自分がやろうとしていることの何かが根本的に間違っているのではと思い至った。
これまでの経営常識と、自分の生き方に向き合わざるをえなくなったというわけである。

「私はいつまで働けるのでしょう?」
社長に限らず、上司という立場はスポットライトの逆光を浴びて舞台に立つ役者のようなもので、部下の誠意にも、ゴマすりにも、哀れなくらいに気がつかない。にもかかわらず、私は自分が組織内で最も正確な情報を有し、最も優れた判断ができるという前提に立ち、社長である自分以外のすべてを変えることで生産性をあげようとしていた。
それが間違っているというなら、上司と部下の関係を逆にしてみたらどうだろうと考え、直感に素直に従って、それを実行してみた。つまり、上司が部下に仕事を与えて管理するのではなく、逆に部下の仕事を上司が助けるという発想である。
実際に上司と部下の役割を逆転してみると、上司が部下のことを良く知らなければ「部下の役に立つ」という自分の仕事が遂行できないということに気がついた。そこで、私は「社長の仕事」を1.5ヵ月完全に停止し、パートを含む250名の全社員、さらには協力会社や出入り業者と一人最低30分の面接を行い、彼らの話を聞くことから始めた。
開口一番、「私はいつまで働けるのでしょう?」と私に尋ねた勤続10年のパートの女性がいた。会社の都合で正社員になれず、パートのまま60歳を超えていた。ホテルの近くに小さなアパートを買い、一人暮らしをしているが、車がないため、実質的にサンマリーナ以外で働くことはむずかしい。
世の中のほとんどの経営者は、彼女を時給680円のパートタイマーとしか認識しないだろう。一方、彼女にとってのサンマリーナホテルは10年間、いつ職を失うかもしれないという最大の恐れの源でもあったに違いない。
そう感じた私は、まず彼女の恐れを取り除かねばと思い、最近72歳の嘱託社員を採用したこと、社員の最高齢者は74歳であること、そして「貴方が望まれる限り、いつまででも働いて下さい」と伝えた。その瞬間の表情の輝きは、今も忘れることができない。それ以降、彼女にとってホテルで働くということの意味が根本的に変わり、遠くからみていてもまるで別人のような仕事ぶりだった。
これをきっかけに、正社員のみならずパート社員にも生涯雇用を保障した。面接が進むにつれ、一人ひとりと向き合うたびに、250名それぞれの人生からそれぞれの恐れが消え、社員の表情が次々と輝き、会社全体がどんどん変っていった。あれほど楽しそうに働く社員の姿をみるのは、経営者として本当に感動的な経験であった。
一般的な経営者は社員に恐れを与えることでコントロールしようとするが、最も効果的なことは、むしろ恐れを取り除くことではないだろうか。すべての社員の話を聞き、彼らの「直訴」が会社にとっていかに慎ましいものか、そして、その大半がいかに容易に解決できるか、さらに、それがどれだけ長い間放置されていたかを知って、私の方がショックを受けたほどだ。
以上の経験から、私は、経営者が社員に誠実な意識をもつだけで、彼らの人生にいかに多大な貢献ができるかを知り、企業は人間関係そのものであり、思いやりによる良好な人間関係が企業価値を最大化するのだと確信した。そこで、企業理念を「いま、愛なら何をするだろうか?」と定め、正直で、人を変えず、自分に嘘をつかない自然な人間関係を何よりも(仕事よりも)優先して、業務マニュアル、成果主義、収益主義、能力主義のいっさいを組織から消し去った。
時間と気持ちに余裕があってこそ、人は人に対して優しくなれる。夫婦喧嘩を遅刻の理由として認め、仕事に期限を付すことをやめ、希望者がいないプロジェクトは延期した。仕事のルールは「心からしたいことか?」「人の役に立つか?」だけ。人事考課は「どれだけ人間的に成長したか?」「どれだけ人の役に立ったか?」のみとし、売上げ、収益、顧客満足度などの成果指標と完全に切り離した。
個人の給与、賞与、考課などの人事情報を含むすべてをオープンにし、長年凍結されていた新卒採用を再開し、大量のパートを正社員登用し、社員の給与を「限界まで上げる」ことを経営の重要課題と定めた。

事業再生とは心の再生である
まもなく私が指示を出す必要がなくなり、私の労働時間は激減した。続いて幹部、中間管理職と順に「暇」になってゆく。
また、人事考課を全面改訂・施行した月から、顧客のコメントや書き込みが激増し、顧客満足度が前代未聞の水準に上昇した。顧客による「大変満足、満足、普通、不満」の4段階評価の割合は、もともとサービスに定評があるといわれていたサンマリーナでも長らく、おおよそ3:4:2:1 の水準だった。それが一瞬で、6:3:1:0 に定着したのだ。
一般に「大変満足」と答えた顧客の7割がリピートするといわれているため、この数値が倍増したことは経営的に大事件なのだ。売上高利益率5%のホテル事業で顧客のリピート率が5%増加すると、利益が倍増するほどのインパクトがある。
莫大な広告費用をかけてブランドを育てたり、グレードアップのために大改装したり、サービス教育に多大な時間とコストをかけたり、高給でカリスマシェフを引き抜いたり、数々のキャンペーンを行ったり・・・。突き詰めると、ホテル運営のすべては顧客からの評価を高めるためにある。しかし、人間関係に真正面から向き合うことでそれが実現するのであれば、追加資本を必要とせず、事業リスクもない。
2ヶ月後には売上げが予算を大幅に上回り始めた。デジタル情報社会では口コミが広がりやすい。広告宣伝がほとんど不要となり、社員の心の変化が売上げに与えるインパクトとスピードは想像を超えた。顧客から多くの感動的なフィードバックを受けた代理店からは、「サンマリーナは一体何をしたのですか?」という問い合わせが相次ぎ、ホテルの変化に感動した地元のオジイは手塩にかけたブーゲンビレアの盆栽、自称100万円をホテルに何鉢も持ち込んでくれた。
沖縄ではっきりしたことは、事業再生は心の再生であるということだ。いくら優れた「ビジネス」を組み立てても、目にみえる合理性を追及しても、人の心が変らなければ事業は再生しない。心から好きな仕事をするとき、人は自分に正直に生きられる。あまりに嘘だらけになってしまった社会で、正直な人間関係が顧客にとって何よりも意味ある体験となり、結果として顧客満足度が上がり、口コミが広がり、顧客の離反率が減少し、顧客層が高まり、運営コストが下がり、生産性が回復し、事業が再生した。これが経営イノベーションの本質である。
10年以上実質的に赤字経営だったサンマリーナホテルは、価格と売上を伸ばしながら、わずか1年足らずで経常利益1.3億円、営業キャッシュフロー2.3億円の超高収益会社へと変容した。

日本トランスオーシャン航空(JTA)
事業再生が成功し(すぎ)た結果、30億円で取得したサンマリーナホテルはわずか2年後に倍の価格で売却された。私はホテルの売却に反対したために解任され、お陰でというべきか、恐らく生涯で初めて自分が本当にやりたいことは何か、どう生きたいのか、いっさいの制約なく心の声に耳を澄ますことができたと思う。
心から愛したサンマリーナですべてを賭して試みた経営が、やがて世界に広まるイメージが心に浮かび、金融業界のトップを走ること、「輝かしいキャリア」を積み上げることなど、いままで重要だと思っていたいっさいのことに関心がなくなってしまった。生涯の本拠と心に定めた沖縄で、事業再生を専業とするトリニティ株式会社を設立し、東京やニューヨークの現場に戻ることをやめた。
自分が信じた経営方針で事業再生を行うためには、自分自身が「人間的に成長し」、「人のお役に立つ」という条件を満たさなければならない。人の話に心から耳を傾けることがサンマリーナの経営の原点であるならば、私もそこからはじめるべきだと思った。日中の仕事の他に、1日平均5時間強、年間1700時間、利害のない人の話と人生に心を尽くして耳を傾ける「修行」を始めた。6年目の今年、それが1万時間に到達する。
この「修業」の初期のころ、私の日記によると06年4月7日、日本トランスオーシャン航空(「JTA」)の役員の方とお話をしていたとき、サンマリーナで実践した経営をJTAに適用し、新・南西航空として再出発することが、ポスト資本主義社会への答えだという強烈なインスピレーションを受けた。JTAの経営受託を行う前提でトリニティの定款を修正し、事業計画をまとめた。
航空事業は資本集約的で減価償却が激しく、ますます厳しい国際競争にさらされながら大量の従業員を抱え、チームワークのよし悪しが生産性に直結する典型的な労働集約サービス業である。資本の力に頼らないほど、人の力を生かすほど、強くなるのが航空事業経営の本質だ。ホテル経営と同様、人間関係を優先することが、企業価値を著しく高める業態である。

アジアと国内地方都市を結ぶ
JTAは、かつて南西航空と呼ばれた沖縄の航空会社である(93年に現在の社名)。現在は日本航空インターナショナル(「日航」)の70.1%子会社となっている。67年の創業以来、致死事故はゼロ。ボーイング737を15機保有し、09年の売上470億円、総資産300億円、資本金45億円、従業員数825名。本土13都市に就航し、国内線全体におけるシェア3%、沖縄-本土線9.1%、沖縄県内路線65%を占める日本第3位の航空会社である。
JTAが今後果たすべき役割は、東アジアの主要都市と日本の地方都市へ積極的に就航(「内際展開」)し、東アジアと日本地方都市のアクセスを大幅に改善し、東アジアからのインバウンド観光需要、地方からのアウトバウンド観光・ビジネス需要を創出することである。こうしたJTAの展開は、地方経済の活性化に直接寄与するのみならず、地方空港の事業採算に苦しんでいる自治体からも大いに歓迎されるはずだ。
成長著しい東アジアから日本へのインバウンド観光需要の取り込みは、国をあげての重要課題でありながら、国内線羽田、国際線成田の棲み分けが海外から国内地方都市へのアクセスを困難にしている。その結果、海外旅行客の58%が東京に集中するなど、海外からのアクセスの悪さがインバウンド観光のボトルネックになっている。
また、地方在住の日本国民にとって、海外渡航(アウトバウンド)は著しく手間がかかる。JTAと那覇空港を利用することで負担が大幅に軽減されれば、地方企業の海外事業展開や、地方在住者の海外旅行需要が喚起される。

那覇空港を東アジアのハブに
過去10年間、国際ハブ機能を整備してこなかった東アジアの主要国は日本と北朝鮮のみである。ソウル仁川、上海浦東などから日本の地方空港への就航が増加しており、日本の空港はハブ機能を奪われようとしている。
世界的に航空産業は成長分野だが、日本の国内市場が縮小傾向にある以上、競争力のある国際事業を展開しなければ成長シナリオを描くことは不可能であり、日本国内に国際ハブ空港を育てなければ日本の航空産業そのものが衰退する。成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡が総力を上げて国際ハブ機能を分担する必要があるが、なかでも那覇空港ほどの潜在力を有する空港は存在しない。
那覇空港は都市部にアクセスが良く、24時間発着可能で、さらなる拡張計画が進んでいる。内閣府・国交省・沖縄県が中心となって、3000㍍級の第二滑走路拡張計画が設計・工事段階の一歩手前まで進められている。那覇空港ビルディング国際線ターミナルの拡張整備計画も進行中。10年3月には、米軍が独占してきた沖縄本島上空の航空管制権が65年ぶりに日本へ返還された。現在年間2.2万回(全体の約2割)発着を行う航空自衛隊の移転、米軍基地整理縮小に伴う民間空域の拡大など、将来的にも大幅な機能拡張余地がある。
那覇空港の国内ネットワークは、すでに相当充実している。那覇空港から日本国内の各都市へ実に29路線(ただし9路線は離島便)が就航しており、羽田48路線、伊丹32路線に次ぐ第3位である。一方、内際展開の観点から他空港の状況をみると、成田に国内線拡張の余裕は存在せず、羽田が有望であることは間違いないが、世界一高いといわれる着陸料に加え、成田との線引きによって今年10月に予定される第四滑走路供用開始後も需要に完全に対応しきれないと予想される。新千歳はアジアへのハブとして地理的に不適切。関空・中部は都市部からのアクセスが不便で、国内線の利便性が低い。福岡はよい候補の一つだが、東アジアへのハブとしては地理的に日本の中心に近過ぎる。皮肉なことに、仁川・浦東が日本のハブとして有望だが、そもそも日本でないことに加えて、羽田など日本主要都市への接続が弱いという決定的な弱みがある。

東京集中、本土依存からの脱却

国際ハブ空港が機能するためには、その地を本拠とする航空会社が不可欠である。JTAは独立してこの役割を果たすべきだ。
東京一極集中経済は、「ドル箱路線・羽田の発着枠=収益」という事業構造を航空業にもたらした。収益源の羽田発着枠を獲得するために不採算路線を維持するなど有形無形の制約がかかり、大手航空会社はレガシー・コスト(負の遺産)に苦しんでいるが、依然として羽田の発着枠が事業の屋台骨を支える現実が、戦略転換を困難にしている。
JTAの内際展開は羽田の増枠を必ずしも必要としない。日航傘下でレガシー・コストを背負いながら、国際競争を戦うことは非合理的である。
97年と02年、沖縄は過去二度にわたって格安航空会社の設立を計画し、頓挫した経緯がある。JTAの内際展開は、中距離国際線が重要路線になるためにサービスを切り詰めるだけでは成り立たず、国際ハブ那覇空港を拠点とした戦略が不可欠である。また、大手エアラインと対抗するのではなく不足を補い合う事業戦略をとること、市場を破壊するのではなく創造すること、株式上場や資本集約的な「拡大のための拡大」を行わないこと、そしてなによりも、人を生かし、生産性を高めてコスト競争力を生み出し、不用意に人件費を削らないことである。
真のコスト競争力は費用削減によってではなく、生産性を高めることによって生まれる。低価格だけで国際競争を戦うべきではないし、その必要もない。JTA独自の経営バランスを実現すればいい。
最大の制約は、当のJTAと沖縄県が日航なしでは存続できないと固く信じ込んでいることだ。現実は、日航グループの傘から一歩踏み出す方がはるかに発展する可能性が高いだけでなく、内際展開によって取り込んだオフシーズン需要を積極的に日航へ送客するなど、日航の再生を助けることにもなると思う。
沖縄経済にとっても、波及効果を合わせて県民総所得の4分の1を稼ぎ出す観光産業、東アジアの中心に位置する地理的優位性(図表)を勘案すると、観光客の97%を本土に依存する現在の内向き構造を脱して東アジア経済圏と直接つながり、アジアのゲートウェイとして東アジア経済と日本経済を結ぶ役割を果たす以外に、経済的に自立する道筋は恐らく存在しない。
夏の国内観光需要に偏重する沖縄経済は、季節平準化および顧客の多様化が限界利益率の高い収入に直結する産業構造を有しているため、国内外の富裕層やビジネス顧客など多様な高単価需要が生まれるJTAの内際展開は、沖縄経済への寄与度がとくに高い。加えて、国際ハブ機能の大幅な拡充は、旅客滞在時間の拡大、食材や資材の調達、土産物産業など裾野の広い波及効果がある。
補助金と基地経済によって立つ現在の沖縄経済に持続性がないことは明らかだ。沖縄振興特別措置法の期限切れ、基地の返還、グローバル社会の荒波によって基本構造が変化する前に、長年の経済的、精神的な依存を断ち、真の自立へと踏み出さなければならない。南西航空の社名を復活し、オレンジのつばさをふたたび沖縄の空に飛ばすことがその第一歩になる。
だれもが認める豊かな地域性と共同体社会、東アジアへの地理的優位性、都市圏で返還される広大な基地跡地、観光に最適な文化的多様性と自然環境、長年の振興開発で備わった社会インフラ、人間関係を何よりも優先する経営、そして新・南西航空。周回遅れでトップを走る沖縄こそ、次世代の日本を生かすカギを握っている。私は沖縄のつばさが切り開く次世代社会の実現に、残りの生涯のすべてを捧げようと思う。

ひぐち こうたろう
89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年レーサムリサーチ。04年グランドオーシャンホテルズ社長兼サンマリーナホテル社長。06年トリニティ設立。沖縄経済同友会常任幹事。内閣府・沖縄県主催「金融人財育成講座」講師。

『週刊 金融財政事情』 2010年8月30日号掲載 【樋口耕太郎】

JAL再生プロジェクトにおいて最も重要な課題は何よりもグループ再生であることは無論のことですが、JAL再生の全体計画からは一見瑣末にも見える、日本トランスオーシャン航空(JTA: 旧南西航空の行く末が、(i)日本の国政、(ii)日本の航空産業、(iii)沖縄地域経済、の行く末に重大な影響を及ぼす可能性があり、その論点を以下にまとめました。なお、当社および関係各位に関して私は全くの部外者にあたり、いわば人様の会社について外部情報のみをもとに勝手な意見を述べる点、大変僭越であることは明らかで、その点始めにお断り申し上げなければなりません。

議論のポイントは次の通りです(4月23日の稿を修正して再掲します):

第一に、資金は殆ど不要であること: JTAは業績が安定しているときでも当期利益10億円以下の企業ですので、常識的に考えて、150億円前後の企業価値と推測できます。当社にはおおよそ同額の負債が存在するため、債務負担付であれば大きな資金を調達せずに株式の取得が可能だと思われます。場合によってはJALからのセラーファイナンス(売主によるバックファイナンス)などの交渉が可能かもしれません。

第二に、沖縄の経済的自立に不可欠な事業であること: 沖縄は、人と物資の大半が空からやってきます。那覇空港と航空路線の成長は沖縄経済全体のボトルネックであり、このネックを拡大しない限り、いかなる地域経済活動も非効率です。逆に、このボトルネックを開くことの経済波及効果は実に大きいものになるでしょう。特に、国際線の拡大は、旅客滞在時間の拡大、食材や資材の調達、みやげ物産業への波及など、国内線に比較して地域への経済効果が非常に大きいことが知られています。また、決して無視できない精神的な側面として、南西航空の社名とオレンジ色の翼の復活は、沖縄県民が自立へ踏み出す象徴的な出来事と受け止められるでしょう。

第三に、日本全体の観光産業の明暗を握ること: 今後益々日本の外貨獲得手段が縮小する中、インバウンド観光の取り込みは国政で極めて重要な位置づけとなる反面、日本の航空政策が国内線羽田、国際線成田に分離しているために、東アジアと日本の地方都市をつなぐ手段が決定的に欠如し、これが国家戦略上のボトルネックとなっています。翻って、国内のどの空港、あるいはソウル仁川、上海浦東などを含めても、那覇空港ほどこの役割を果たせるハブ空港は存在しません。そして重要なことですが、ハブ空港がその機能を発揮するためには、その場所を拠点とする航空会社なしには不可能であり、南西航空が那覇空港を拠点とすべき所以です。

第四に、沖縄観光の重要な成長戦略であること: 沖縄が経済的な自立を目指す場合、観光産業の観点から最も重要な要素は、①東アジアからのインバウンド観光客(特に富裕層)の取り込み、②季節と顧客の多様化・平準化(季節変動の大きな観光地沖縄は、季節需要の平準化が即、限界利益率の高い収入に直結するという産業構造を持っています)、③質の向上、です。沖縄から東アジアに直接繋がる手段を持たなければ、その実現は不可能であり、また、本土地方都市と東アジアを結ぶことで、「夏の沖縄」以外の、ビジネス客を含む高単価かつ季節平準化された需要を取り込むことができます。

第五に、沖縄経済の重要な「ディフェンス」であること: JALおよびANAはその経営状態に多少の差はあるにせよ、「羽田の発着枠=事業収益」、という規制業種時代の事業モデルに大きな変化はありません。日本の航空産業でオープンスカイが本格的に始まれば、両社とも経営的な危機に直面する可能性は無視できず、それが現実になれば更なる路線・人員削減は恐らく避けられません。沖縄は独自に航空路線を運営する機能を取得し、そのような事態に備えるべきです。

第六に、那覇空港ビルディングの事業戦略に寄与すること: 那覇空港ビルディングは、財務的に健全な見かけとは裏腹に、長い間重要な再投資や成長戦略を繰り延べてきたために、遠からず事業の根源に関わる経営課題に直面する時期にさしかかります。このタイミングがオープンスカイの潮流に重なり、重要な収益源であるJAL、ANAの経営大縮小に巻き込まれれば、事業的に重大な局面を迎えることとなるでしょう。このトレンドは不可避であり、自力で事業力をつける以外の方法はありません。那覇空港を拠点とした南西航空の発展は、なによりの問題解決を提供することになるでしょう。

第七に、資本の論理で疲弊した観光産業への解であること: 沖縄は観光立県を目指しながらも、観光業に従事する従業員の労働環境は劣悪であり、観光地の持続的な発展に最も重要な「質」を長期間に亘って低下させています。原因のひとつは、資本の論理によってホテルが頻繁に売買され、投資簿価(回収するべき資本の額)が上昇するたびに、人件費を徹底的に削減して帳尻を合わせざるを得ないという悪循環が生じているためです。つまり、従業員の努力の大半が資本家へ分配され、沖縄地域経済圏と、労働者の間で循環しないという問題です。この悪循環を断ち切るためには、資本の論理とは別の原理に基づく「沖縄的資本の地産地消」が不可欠です。那覇空港ビルディングを親会社とした南西航空の将来収益の全額は、沖縄地域経済圏県に永遠に再配分することが可能で、この金融構造によって、初めて沖縄に、本当の意味で高品質の観光事業を生み出す土壌が成立します。

第八に、JALにとってのメリットも少なくないこと: 南西航空はJALとの対話を重ねながら、主に国内路線を補完する良好な関係を維持することが前提で、JALのためにも有効な事業戦略を提供するものです。また、本件の実行に際して、例えば、いきなり株式を譲渡するのではなく、経営機能の引継ぎから始めることで、南西航空の詳細な事業計画の策定が完了する頃までには、事業の改善が明らかになる公算が強く、双方のリスクを減らすことが可能です。

第九に、制約は発想のみであること: この事業計画を妨げる最大の要素があるとすれば、それは、JTAあるいは沖縄県自身が、「JTAはJALの傘下でなければ存続できない」と固く信じている点にあります。もちろん経営のあり方次第ですが、多くの資本を使わずに高収益事業として再生し、その利益を従業員と地域に還元する構造を作ることはそれほど難しいことではありません。

以上。

【2010.6.4 樋口耕太郎】

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新・南西航空事業計画
新・南西航空事業計画(pdf版)

ご提案
・ 株式会社日本航空グループの事業再生において、株式会社日本航空インターナショナル(「JAL」)が70.1%保有する日本トランスオーシャン航空株式会社(「JTA」。旧社名は南西航空株式会社。詳細は*(1)参照。)株式の全部または大半部分について、可能であれば、関係者の十分な理解と協力を得ながら、那覇空港ビルディング株式会社(「NABCO」。詳細は*(2)参照。)へ売却を検討するべきだと考える。

・ 当該株式譲渡に関するファイナンスは、JTA債務の引継ぎを前提として、①可能であれば、沖縄振興開発金融公庫、沖縄銀行、琉球銀行、海邦銀行などの金融機関、②NABCOの内部留保資金および株式の売却(第三者割当増資)、③オフバランスを前提としたJALによる(劣後)セラーファイナンス、およびこれらの組合せが考えられる。

JAL再生の観点
・ JALにとって、JTAは以下の理由から、財務的に非効率な事業部門と言える。

① 2009年3月期決算において、経常損失3.7億円の赤字に転落し、JALの連結決算を圧迫している。この赤字決算が一時的な問題ではないと考える場合、JTAが独自の事業課題を解決する姿勢が、結果としてJALへの大きな支援となる。

② JTAが保有する全15機(800億円相当額)の平均残存耐用年数は今年度時点で僅か5年である。短期的にも、JTAが保有する15機(いずれもBoeing 737-400)のうち、2010年にBoeing737-800への置き換えが2機予定されているほか、2010年に3機、2011年に1機が順次機齢20年を超えるため、今後僅か2・3年の短期間で、1機あたり約50億円として合計約300億円の機体置き換えファイナンスが必要となる。

③ 激化する東アジア地域のオープンスカイ環境など、戦略的事業課題が山積している。

④ JALのJTA株式保有比率は70.1%でありながら、JALはJTAのファイナンスの実質的に100%を負担している。

・ JALにとっては、JTA株式をNABCOに譲渡することで、JTAが抱える将来の大きな財務リスクをオフバランスする効果がある。

・ JALがJTA株式を売却した後も、両社は事業提携などの形で現在の協力関係を維持でき、またそうすべきである。JAL自身、譲渡先であるNABCOの主要株主であり、JALにとってもJTAへの資本関係が(間接的にではあるが)完全に消滅することにはならない。JTAはJALと競合するのではなく、JALを補完し、支えあう関係で事業を発展させるべきである。

・ 株式譲渡価格に関して、JTAの赤字決算直後であるなど、JALにとってそれ程高い売却価格を実現できるタイミングではないかも知れないが、近い将来の財務負担を軽減する効果が大きいためそれに勝るメリットが存在する可能性がある。

NABCOの観点
・ NABCOは、約96億円の安定した売上、13億円の経常利益(2009年3月期)を誇り、強固な財務基盤を有する沖縄県最大の不動産賃貸事業会社である。空港施設という特殊事情を勘案しても、不動産賃貸業としては著しく高い運営費用を計上するなど、潜在的に多大な経営余剰と収益改善余地が存在する。

・ NABCOによるJTA株式の引き受けは、JALのJTAに関する財務負担の大半をNABCOが引き受けることであり、NABCOと沖縄県が、長年沖縄に多大な貢献をしてきたJAL再生の一助となる意味合いがある。

・ JALの事業再生に伴い万一JTAの事業規模や路線が縮小される可能性を勘案すれば、NABCOおよび沖縄県民にとっても、JTAの事業を引き継ぎ、積極的にJAL再生の支援を行うことには大きな利点がある。現在JTAの、那覇-神戸、石垣-神戸、那覇-北九州便の廃止が検討されている。

・ NABCOがJTAの親会社になることで、日本で始めて空港ビルと航空会社の一体経営が実現する。オープンスカイを迎えて益々競争が激しくなる東アジア各国ハブ空港との差別化戦略として活用できる。

・ 株式譲渡価格に関して、JTAの赤字決算直後であるなど、比較的低価での取得が可能である。

JTAの観点
・ JTAの経営を東京中心の価値観から離し、沖縄を拠点とし、日本と東アジアをつなぐ新・南西航空として事業展開を進めるべきである。

・ 航空事業は、人の力が大きく事業結果に反映する労働集約サービス業の最右翼である。従業員と顧客の人間関係を重要視し、沖縄の航空会社としての個性を発揮し、運営の質を高め、価格を可能な限り維持する戦略を採用するべきである。質の高い個性を追求するために、JALグループの傘から一歩踏み出し、JTAが持つ南西航空のDNAを見つめなおす作業は戦略上プラスになる可能性が高い。航空業界における「愛の経営」の元祖、サウスウェスト航空のハイクオリティ版というイメージに近くなるのではないか。

・ 売上高利益率の低い航空会社のような業態では、単価を下げずに、リピーターを例えば5%追加的に得ることで、利益が25%~125%上昇するというイメージが成り立つと仮定すると、「今後の3~5年間で、今よりも10%多いお客様にリピートしてもらう」ことが、JTAが自立的に事業を継続するためのターゲットのイメージと言える。個性豊かで長い歴史と多くの顧客を持ち、事業のベースが強固なJTAにとっては、顧客との人間関係の接点を改善することで、意外に容易に達成できる水準と考えられる。

・ 赤字路線に関しては、より大きな観点から経営「合理性」の議論を追及するべきである。航空会社の路線(特に離島便)は、鉄道路線と同様、その存在によって多くの人々が生活を変え、仕事を得、住宅を購入するなど、多大な「簿外資産」によって支えられている。路線の廃止は膨大な「簿外資産」を毀損することになるが、それは航空会社の財務に現れないというだけで、長期的には顧客資産の毀損を通じて思わぬ企業価値の毀損につながる可能性がある。・・・路線を廃止するということの意味と「合理性」を、より大きな視点で検討するべきだということである。

・ 沖縄の地域性、アジアゲートウェイ構想、今後のオープンスカイの潮流を考えると、JTAの個性を発揮するひとつの可能性として、例えば、国際線と国内空港への同時展開(「内際展開」)が有効である。日本国民にとって海外旅行は著しく手間がかかる。例えば、仙台在住の家族が香港旅行を計画したとして、仙台空港-羽田-(リムジンバス)-成田-香港、と大仕事になる。これに対して、JTAによる仙台-《ハブ空港:那覇》-香港の乗り継ぎが可能であれば、大幅に負担が軽減されて需要が喚起される。実際、このような需要は増える一方だが、韓国仁川空港や上海浦東空港などが、このような日本の地方ニーズをどんどん取り込んでいるという現状がある。同様に、成長著しい東アジアの観光需要を取り込むために、東アジアと日本の地方都市を結ぶ機能を果たすことで、収益的にももちろん、日本全体の国策に大きく寄与することができる。

・ 「内際展開」のポイントは:

① 沖縄の産業構造は夏のリゾート需要に偏重しているため、需要の季節平準化がそのまま利益に直結するという大原則があり、日本の各都市の海外需要(ビジネスおよび観光)を取り込むことは、それだけで大きな経済効果がある。反面、沖縄発・沖縄単独でビジネス、海外旅行などの需要を十分に生み出すことは現実的ではない。

② 経済の成熟、少子高齢化、新幹線の延伸と高速化、規制緩和と新規参入など、今後規模と利益率の縮小が想定される国内市場だけでは、JTAの成長戦略を描きにくい。反面、海外からの需要を沖縄に呼び寄せるという発想だけで、那覇から国際線を飛ばしても、不慣れな土地で、メガキャリアやLCC(ローコストキャリア)と正面から対抗せざるを得ず、収益に見合う事業にはならない。

③ 地方空港が開設ラッシュの中、利用者が不足している理由のひとつは、国内線だけでは十分な需要が生まれないためであり、地方空港が那覇を経由してアジア・オセアニアと繋がるのであれば、空港事業の採算に苦しんでいる地方都市からも歓迎される。

④ 東アジアから日本へのインバウンド観光需要を日本の地方都市に取り込む機能を果たすなど、内際展開は、東京・羽田中心の価値観から目を離し、沖縄が個性を発揮しながら、いかにして日本全体の役に立つことができるか、という発想から生まれる戦略であり、沖縄県、NABCO、JTAが日本全国の利用者から感謝されることになる。

⑤ 現在JTAが保有している航空機の規模(いずれも150人乗りのBoeing737)は、東アジアと国内地方都市を繋げる内際展開に最適である。ナローボディとは言え航続距離は5,000km~6,000km、将来的に検討可能な最新鋭ER型では10,000kmを超え、ムンバイへの直通運行も可能である。

⑥ 内際展開戦略によって東アジアへのゲートウェイとして機能する空港の要素は、

1. 日本国内の多くの都市へ就航していること *(3)
2. 国内線と国際線の接続が容易であること *(4)
3. 日本国内に存在する国際空港であること *(5)
4. 空港と航空会社が戦略を一にして経営されること *(6)

が不可欠である。この条件をどこよりも満たす那覇空港と、その那覇空港を拠点とするJTAの強みを活かし、JTAとNABCOが一体経営され、国内便をスムーズに国際線に接続することで、国内の他の空港や韓国仁川空港、上海浦東空港や東アジアのキャリアに対して強みを発揮することができる。

沖縄の観点
・ 本土復帰以来38年が経過してもなお、沖縄の自立は進むどころか依存度を増すばかりであり、政府による沖縄への多大な財政補助が減じる兆しは事実上過去に存在しなかった。この状態に持続性はないため、このまま本土への依存度が拡大し続ければ、どこかの時点で大きな問題を生じる可能性が高い。

・ 沖縄振興特別措置法に象徴される、補助金によって立つ沖縄経済のあり方は早晩限界を迎えることが明らかで、財政的、産業的、そしてなによりも意識的に自立するためには、自立した事業を実現することが何よりも効果的である。JTA、NABCOほど県民に対して「自立」を発信する、メッセージ性の高い事業は存在しない。可能であれば南西航空の社名を復活し、沖縄の翼として再出発する事業計画は、沖縄における強い意識転換を促し、復帰以来の重大テーマである沖縄県の自立への実質的な第一歩を踏み出す基点となる。ひいては、本土から長年に亘って提供され続けている有形無形の多大な補助を大きく減じる重大なステップとなる。

・ 沖縄が将来財政的に自立することを真剣に望むのであれば、①東アジア経済圏においての役割、そして、②日本経済圏とのリエゾンとしての役割、の双方を自ら獲得する以外にない。JTAおよびNABCOはこの観点において最も重要な役割を担う可能性を秘めている。観光を主力とする沖縄の産業構造から考えて、南西航空および那覇空港ビルディングの再出発なくして、沖縄自立のシナリオを描くことは事実上不可能であり、したがって、本件は沖縄が自立する最大の機会である。

・ JTA、NABCO、(および質の高いリゾート事業の実現)は、ここから50年間の沖縄の将来を決定付ける極めて重要な鍵を握っている3大事業であるが、本件はそのうちの2事業を同時に実現するという重大な意義がある。この3事業の在り方と地域と産業の将来を、深く、具体的かつ現実的に考えること、そしてそのアイディアを、意識の高い次世代のリーダーと実現することが、沖縄、東アジアのみならず、ひいては日本の航空行政・観光産業全体のあり方についての有効な青写真を提供することになる。

・ 100億円弱を売り上げるNABCOは単なる事業会社に留まらず、沖縄全体の産業を大きく変える潜在力を有している。例えば、地域農業生産物、加工物、県産品などの有効な「出口」として機能することで、質の高い地域産業を振興する重要な機能を果たすことができる。更には、東アジア地域の高品質商品を集積することで、東アジア各国との繋がりを深め、海外からの前向きな意識が沖縄、そして背後の日本に向けられることになる。

以上。

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*(1) 日本トランスオーシャン航空株式会社は、株式会社日本航空インターナショナルが発行済み株式の70.1%を保有する沖縄県那覇市の航空会社である。1967年に南西航空株式会社として創業。1993年から現社名。資本金45億円、従業員数825名(JALグループの沖縄地区担当社員数は2,200名)。主要な子会社に74.5%株式を保有する琉球エアーコミューター株式会社、100%子会社のJTA商事株式会社がある。本土への就航路線は、仙台、福島、東京、小松、名古屋、関西、伊丹、神戸、岡山、松山、高知、北九州、福岡。2009年3月期の売上は470億円、総資産300億円、自己資本比率39%。2006年のデータでは、本土-沖縄路線(1,161万人)におけるJTAのシェアは9.1%、国内線全体(9,624万人)では3%、沖縄県内路線(254万人)では65%。旅客総数271万人のうち、本土便が37.3%、その他が県内便で、那覇-石垣、那覇-宮古の2路線で全旅客数の約半数49.7%を占める。

*(2)
那覇空港ビルディング株式会社は、1992年に設立された那覇空港ビルディング(国内線および国際線ターミナルビルディングおよび駐車場)を管理する沖縄県那覇市の不動産賃貸事業会社。1999年5月に供用開始した国内線空港ビルディングは、建設費300億円、延べ床面積約80,000㎡。同じく、1986年7月に供用開始した国際線空港ビルディングは、建設費14.7億円、延べ床面積6,450㎡。NABCOが保有する重要な資産は建物、建物付属設備および機械などで、土地は国から借上げており、土地は保有していない。土地に関しては、国有財産法第18条および第19条に基づく使用許可によって土地使用が許され、毎年更新されている(同決算書の一般管理費明細によると、国有財産使用料は6.7億円)。

NABCOの2006年3月31日期決算書によると、総資産300億円(うち現預金44億円)、簿価純資産30億円、総売上90億円、償却前金利前営業利益(EBITDA)27.4億円、減価償却12.9億円、経常利益9.5億円、当期純利益5.6億円(2009年3月期の決算は、売上約96億円、経常利益13億円と報道されている)、従業員190人(パート含む)、取締役17名、株主数13名。那覇空港ターミナル株式会社が保有する41%(14,350株)の筆頭株式は、当社清算のためNABCO(36%・12,576株)と沖縄県(5%・1,774株)による買取りプロセスが進行中。売買価格は20億552万円(額面の2.8倍)。NABCOが一旦買取り自社保有する36%の当該株式については、買受先を選定する方針と報道されている。

*(3)
那覇空港から日本国内の各都市へ29路線(ただし9路線は離島便)が就航している。那覇空港の国内ネットワークは、羽田48路線、伊丹32路線に次ぐ第三位であり、以下、ソウル仁川25路線、新千歳25路線、中部22路線、福岡21路線、関空20路線、上海浦東17路線(参考:成田は8路線)を上回っている(東洋経済2008年7月26日号「エアポート・エアライン特集」による)。

更に、近年日本の地方都市のハブとして機能し始めているソウル仁川空港、上海浦東空港などと比べて那覇空港が優位な点がある。それは、羽田を代表とする主要空港との強い接続である。那覇からは、羽田27便、福岡16便、関空8便(伊丹2便)、名古屋7便、神戸6便が毎日就航しているが、仁川から羽田への接続は毎日8便、上海浦東に至っては羽田便は存在せず、中国国内線専用の上海虹橋から4便があるのみ、香港も2便である。

*(4) 日本の航空行政においては、関東地区の羽田と成田、関西地区の伊丹と関空のように、国内線と国際線の住み分けが基本とされてきたため、国内都市と国際線の接続は著しく不便なままである。国内都市と国際線ハブが物理的に接続可能な空港は、成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡、仁川、浦東、那覇しか存在しないが、成田は国内線を拡張する余裕は存在せず、羽田は成田との線引きによって国際線の就航は長らくタブーであり、2010年のD滑走路供用開始においても、国際線への増枠は年間6万回の発着に限られている、新千歳は経済成長著しいアジアへのハブとして地理的に不適切、関空・中部は国内線の利便性が悪く、その地理的不人気によって逆に国内線利用客が大幅に減少している、福岡は良い候補だが、アジア・オセアニアへのハブとしては国内各都市から地理的に近すぎる、皮肉なことに仁川・浦東が将来的に最も有望だが、現在は羽田への接続が弱い、などの問題が存在する。

すなわち、那覇空港が潜在的に大きな比較優位を持つことがわかる。将来的にも第二滑走路の建設、国際線ターミナルの開発など、非常に大きな拡張余地があり、いずれも具体的に計画が進んでいる。

*(5) 日本の航空業界の発展を考えるとき、国際ハブ空港が日本国内に存在することが重要である。オープンスカイの世界的な潮流においても、以遠権を認めているケースはそれ程一般的ではないため、日本のキャリアが例えば仁川をハブに利用することができない(コードシェア運行などによって緩和する動きも高まっているが、根源的な問題は依然として残っている)。以遠権とは、自国から相手国を経由して、更に相手国の先にある国への区間においても営業を行う権利であるが、例えばJALが新潟-仁川路線を開通したとしても、韓国より先への以遠権を持たないために、仁川から先の国へ就航することができず、新潟の顧客が仁川を経由して世界に繋がるニーズに応えることができない。反面、大韓航空の新潟-仁川路線では、新潟の顧客が仁川を経由して、大韓航空が接続している世界中の都市にアクセスすることができる(因みに、新潟空港は、日本において国際旅客の割合がもっとも大きい(18%)地方空港である)。

すなわち、世界基準としての以遠権の禁止が解かれない限り、日本国内に存在する空港を国際線のハブとして育てなければ、日本の国際航空事業そのものが衰退する可能性が高く、那覇に限らず、本来であれば成田、羽田、新千歳、関空、中部、福岡が総力を上げて国際ハブ機能を分担する必要がある。その中でも那覇空港は最も重要な空港の一つと言える。

*(6) 国際ハブ空港の成否が日本の国際航空事業の成否を決する大きな要因である中、国際ハブ空港はその空港を拠点とする航空会社が成長して初めて実現する。仁川の大韓航空、香港のキャセイ・パシフィック航空、チャンギのシンガポール航空など、空港と航空会社がお互いの事業戦略を理解し、協力し合いながら密接な経営を行うことで、世界的な競争力が生まれるケースが増えている。