GWはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私はと言いますと、大阪の母が入院しているため10年ぶりに帰省しました。
随分久しぶりの大阪は、もうおのぼりさん状態で、見知らぬ商業ビルが
ガンガン建ち、どこの飲食店もいっぱい!
道行く街の人々の会話も漫才を聞いているかの如く。
飲み食いに、会話に、買い物にと、生きることに旺盛な大阪人が
なかなか新鮮でした。

さて、昨日は母の日でしたね。
毎年この日には母との想い出を書いているのですが、
あれは、いつのことだったでしょうか。
私が小学校の4年生ぐらいのことだったと思います。

朝、学校に着いて、給食袋を忘れてきたことに気づきました。
給食袋というのは、給食の時間に着る白衣のスモックと、白い三角巾帽子を
入れた巾着袋で、一週間使い、金曜日になると持ち帰ってお洗濯してもらい、
月曜日にまた持ってくるのが、たしか決まりだったと思います。

そのある月曜日の出来事です。
給食袋を忘れたことに気づいた私は職員室に行って電話を借り、
家に連絡を入れました。母は一駅離れた代々実家で経営している
洋食レストランに出勤しようとあまり慣れていない自転車をこいだ、
まさにそのときに家の中で電話が鳴ったようです。携帯電話などない時代。
借りてまでする電話はいまよりずっとおおごとで、何が起きたかと
震えたことでしょう。
「これから持っていくから。1時間目が終わったら門のところにいなさいね。」
ほっとした私は、アイロンのかかった清潔な白衣を思いながら
少し楽しい気持ちで授業を受け、終わるやいなや門まですっとんで、
母が来るのを待っていました。
考えてみれば、教科書でもないし、たいした忘れ物ではないのです。
白衣などなくても何とかなったでしょうに、真面目一筋の両親に育てられた
子どもにしてみれば、学校の決まりを破るなんてもってのほかだったように
思います。

小さく、道の彼方に危なっかしく自転車こぐ母の姿が見えてきました。
小さいけれど必死な様子が伝わってきます。
その姿が次第に大きくなるにつれ、母が血だらけになっているのがわかりました。
額や手や、レストランでいつも着ている白衣の上着に赤い血がこびりついています。
でも顔は、いつものようににこにこと笑っていて、私は意味がわからず、
呆然と立ちつくしていました。
あわてすぎて自転車ごと転び、車道で顔を強く打ったのです。
「そやけど、典子の休み時間にまにあうようにと必死やったから全然痛なかったよ。
あれまあ、すごい血やねえ。」
おでこをぬぐった自分の手を見て驚いた顔をしながらも、「ほら。」と給食袋を
さしだし、私がそれを抱えたときの母は心から安堵したようにまたにっこりと
笑ったのでした。

愛とは何かとは大げさですが、私は「愛」という言葉を聞くと、いまもこのときの
血まみれの母の笑顔を思い出すのです。
思い出し、そしてちょっと泣きたくなるのです。
今年80の母には、随分前に一度だけ、この思い出を話したことがありますが、
本人はまるでおぼえていませんでした。
母親として、それはあまりにあたりまえのことだったのでしょう。
そう思うとまた、胸の奥に小さな灯りがともるようなのです。

今回帰省することができて本当によかったなと思った昨日の母の日でした。

もう台風が迫ってきているようです。どうぞお気をつけくださいね。

【末金典子】