本稿は、「デジタル情報革命と企業経営」「マーケティングはどうなる?」に関連するテーマを、マーケティング理論の観点からより体系的に構成したものです。合わせてご覧いただけるとイメージが伝わりやすいかもしれません。前二稿の基本的な論旨は、

『デジタル情報革命後の次世代マーケティング環境では ①企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、②顧客は企業がどう見てもらいたいかとは全く異なる情報によってありのままの企業を知る、という現象が常態化する。同時に、③デジタル情報革命など、環境の変化によって対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。従って、(i)顧客を知る、顧客に自らを知らせる、というマーケティングは非効率になる、(ii)企業のあり方、特にうそのないあり方が最大の「マーケティング効果」を発揮する、(iii)企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』

というものでした。

冗談ぽく聞こえるかも知れませんが、このような市場環境をとてもよく実感できる仕組みがインターネットの出会い系サイトです。この話題を提供することで自分の恥をさらすような感がありますが、出会い系サイトを実際に経験してみることは、デジタル情報革命後のマーケティング環境を体験する極めて有効な方法であるため、恥を忍んでも紹介したいという意識が勝りました。社会的にはなにやらいかがわしいイメージが付きまといますが、内容は玉石混交です。仕組みに問題があるのではなく、運用する各人の問題だと考えるべきでしょう。人を傷つけるような利用方法は決してすべきではないという前提で、マーケティングや経営に関心がある方は是非一定期間試行錯誤されてみることをお勧めします。

「理想的」なマーケティング環境
ご存じない方のために、出会い系サイトの基本的な構成を説明します。もちろんサイトごとに相当なバリエーションがありますし、僕の知識と経験も限定されていますが…、基本的に男性掲示板と女性掲示板の二種類が用意され、女性であれば女性掲示板に男性へのメッセージ、男性であれば男性掲示板に女性へのメッセージを掲載することができます。サイトによってはメッセージを掲示する際に、住居地、年齢、学歴、職業カテゴリー、年収、趣味などの属性を登録することができます。男性は女性掲示板にある多くの女性のメッセージを、女性は男性掲示板にある多くの男性メッセージを、属性ごとに検索・閲覧でき、関心がある相手に対してメールなどでメッセージを送付することができる、といったシンプルなものです。

出会い系サイトの男性と女性の関係は、デジタル情報革命後の企業(男性)と顧客(女性)の関係に非常に似ていると思います。女性の掲示に対しては一日で100通をゆうに超えるメールが集中する反面、男性の掲示に対しては1週間で1通の返信があれば良い方ですので、単純にイメージしても1000:1くらいのアクセス数の差があります。デジタル・ネットワーク環境でのマーケティングは、出会い系サイトで男性が如何にして女性からの連絡を獲得しようかと考えている状態と似ています。

男性は、自分の目的に適ったサイトを選択し、本人の自己申告によって構成される女性のプロフィールを絞込み(セグメンテーション)ます。男性はメッセージを可能な限りパーソナライズして送付します。学歴、年齢、住居地域、職業、趣味、その他個人的な嗜好がこと細かく特定されているサイトも珍しくありませんので、男性は女性の属性を相当程度把握し、サイトの種類、すなわち属性群、を自由に選択し、殆ど費用をかけずに、無制限にアクセスすることができます。一般企業がこのような「マーケティング・インフラ」を整備するためにどれだけの投資や整備を行っているかを考えると、出会い系サイトの男性は、「最先端」のマーケティングに必要な環境をただ同然のコストで利用でき、企業からすれば夢のようなマーケティング環境、ということになります。

マーケティング効率に関する問題点
このように、出会い系サイトでは、マーケティング理論的に理想的なマーケティング・インフラが提供されている筈なのですが、男性から女性にアクセスを試みる上で、いくつかの構造上の問題が存在しています。第一に、顧客属性の絞込みによってマーケティング効率が上がるという幻想です。有効返信は男性が送付したメッセージ100通に対して多くても1通くらいでしょうから1000通出して数通の返信があるというイメージで、メッセージを大量に送付します。メッセージの送付にはコストが殆どかかりませんので、理論的には送付すればするだけ効果が上がるはずです。ところが、女性の属性を利用して返信効果を挙げようと、「有効な対象属性」に対象先を絞れば絞るほど、急速に対象数が減少し、そのためより多くの新規サイトを徘徊しなければならなくなってしまいます。単純に考えて10分の1に対象を絞ると、対象数を10倍に増やさなければならなくなります。企業のマーケティングになぞると、属性が特定された顧客データを入手・構築して利用する戦略においては、そのデータを絞り込むほど、更に何倍もの多くのデータが必要となり、マーケティングそのものよりもデータの入手・構築にかかる労力がどんどん増加するといった、本末転倒の作業に時間と費用が費やされがちです。

第二の問題点は、同報メールなどのマス・メッセージとパーソナライズド・メッセージの伝達効率の大きな格差です。不思議なものですが、メッセージを受け取る女性は、それが本当にパーソナルなものか、大量にコピーして送付されるものかをしっかり感じるものです。ダイレクトメールの宛名だけ替えて送付されるメッセージでは、受信者に何の感動も共感も与えることはできません。このため男性は、女性の属性や掲示されたメッセージごとに、それらしくパーソナライズされたメッセージを書き分けることにします。この作業はある程度効果的なのですが、もともと何百も送付しなければ返信がない確率の中での作業ですので、メッセージの書き分けは全体の作業効率を著しく低下させます。

第三の問題点は、属性情報の根本的な価値についてです。例えばある時点で「音楽が趣味」とデータが示している人がいたとしても、来年も、あるいは極端な話、明日音楽に関心があるとは限りません。個人的な経験を振り返っても、車の種類、出張の頻度、音楽の好み、ライフスタイルなどは比較的短期間で相当な変遷をたどっています。少々大げさに表現すると、数年前に答えたアンケートの内容が自分とは思えない程です。男性・女性の別など、根本的なものを除けば、マーケティングの観点からは平均的な顧客(属性)は5年もたてば別人、と考えて差し支えないのではないでしょうか。僕が経営者としてデータベース・マーケティング(続編で後述します)に投資を考えるとしたら、どんなに甘い想定でもデータの効果は5年で償却されるという前提で収支を計算するとおもいます(実際は2年くらいの想定にするでしょう)。

第四の問題は、対象が「メッセージを掲示している女性」に限定されるということです。これは想像ですが、実際掲示板にメッセージの登録をする女性の数は、このサイトを閲覧する女性の1~10%くらいなのではないでしょうか。仮にこれが事実だとすると、女性の掲示板を見て対象を絞り込むという手法は、絞込みを開始する以前から10~100倍の対象女性を無視してしまっている可能性があるのです*(1)

「待ち」のマーケティング
では、以上のような、男性が女性にメッセージを送付する「攻め」のマーケティングに対して、正反対の発想をしてみたらどうでしょう。女性のメッセージを閲覧したり、属性を絞り込んだり、ダイレクト・メールを送ることを一切止めて、自分のメッセージを男性掲示板に掲載し、後はただ女性からメッセージが届くのを待つのです。このように発想した瞬間、出会い系サイトのインフラは次のような性質を持つことになります。

第一に、対象女性のデータを検索・収集したり、属性を検証・絞り込みなどの作業が一切不要になります。第二に、大量のメッセージの送付作業やパーソナライズしたメッセージを作成する手間、つまりメールを100通出しても一通返信があるかどうか、という環境で、それぞれメッセージをパーソナライズする労力は相当なものですが、この一切が不要になります。第三に、前述の理由から、掲示されている属性が現在も有効であるかどうかは非常に曖昧である可能性があります。これに対して、男性の掲示するメッセージの内容に女性がアクセスする「待ち」の手法においては、逆説的ですが、そのメッセージの内容次第で特定の属性の女性をかなり有効に呼び込むことが可能で、このため女性の属性を誤る可能性が低下します(詳細は後述します)。第四に、メッセージを掲示する女性が、前述の通り仮にサイトを閲覧する全女性数の1~10%だとすると、「待ち」の手法によって男性が掲示したメッセージを受け取る可能性が生じる対象女性数が、10~100倍に増加することになります。

本稿の冒頭で、『デジタル情報社会における次世代マーケティング環境において、企業は顧客を知らないが、顧客は企業を知っている、という現象が常態化すると同時に、対象顧客の範囲が飛躍的に拡大する。』と表現しました。更に、このような環境においては、『顧客を知る、顧客に自らを宣伝するマーケティングは非効率になり、企業が顧客のニーズを理解し、顧客を特定し、顧客のニーズに合う商品を提供するという行為は非効率になる。』とも。これは出会い系サイトの「待ち」の環境と非常に似ているのです。

同じ文章を出会い系サイトの「待ち」の男性に置き換えてみると、『出会い系サイトにおいて、男性はメッセージを送付してくれる女性の存在を知らないが、女性は男性の存在を知っています。そしてメッセージを送付してくれる可能性を持つ女性の範囲は「攻め」の利用方法と比較して飛躍的に拡大します。』。更に、このような環境においては、『対象女性を絞り込む努力、女性に自らを売り込む作業、男性が女性の嗜好を理解(推測)し、女性のフィーリングに合うメッセージをカスタマイズして送付するという行為は非効率』ということになります。

「待ち」が機能するための要素
出会い系サイトの「待ち」の手法で、効果的に女性からメッセージを受け取れるようになるコツの習得は、次世代マーケティング環境で高い効果を生む手法に繋がります。「待ち」の手法で物理的にすべきことは、メッセージを掲げて待つだけですので、「攻め」のマーケティングと比べると、その効率の高さは比較になりません。一部サイトを除き、写真や音声の掲示もありませんし、使える文字のフォントや色や大きさも大方特定されています。すなわち、視覚効果、デザイン、その他の演出では差別化する手段はなく、基本的にメッセージの内容だけが男性掲示板のその他多数のメッセージと差別化する唯一の手段であり、この作業に必要な資本は「知性」と「心」だけです*(2)。男性掲示板には自分以外のメッセージも多数掲載されていますので、どんなメッセージでも効果があるというわけではありません。むしろ、試行錯誤の初期においては、殆ど効果が出ずに諦めてしまう人が少なくないのではないでしょうか。恐らく本当に効果が出るメッセージがどのようなものかを理解するまでに、早くて3ヶ月から半年くらいはかかるような気がします。

掲示するメッセージと返信の関係で非常に興味深い事実がいくつかあります。第一に、ある意味当たり前なのかもしれませんが、掲示するメッセージによって返信する女性の属性が変化するということです。これは単にピアノが趣味だと掲示するとピアノが好きな女性が返信する、といった形式的な属性に加えて、以心伝心がネットの世界でも可能だと感じる時があります。イメージで表現すると、必ずしもメッセージで「ピアノ」に言及しなくても、「ピアノが本当に好きだ」という気持ちでメッセージを作成すると、音楽を心から愛する人が返信してくる、という感じです。

僕が駆け出しの証券マンだったころ、「儲かる株があります」というトーンのセールストークでお客様になって頂けた方と、「僕の将来を買ってください」というメッセージに共感してくれたお客様は、全く異なるタイプのお客様だったという経験がありますが、これも同じ現象だと思います。よく「顧客は企業の鏡」「従業員は経営者の鏡」といわれますが、出会い系サイトでも、本当にその通りだということをはっきり実感することができるのです。

第二に、メッセージに対する返信は、「文字通りの内容」に反応するというよりも、メッセンジャーの気持ち(本心)に反応する傾向があると思われる点です。例えば、メッセージで「高級車」に言及すると、「高級な人」ではなく、「高級に憧れる人」(あるいは大体同じ意味ですが、「高級なものをエゴの表現として利用する人」)が返信する、といった感じです。僕の推測ですが、これは高級車に言及する人の本当の気持ちが、返信者に伝わるためではないかと思います。本当に高級な人は、短いメッセージの中でわざわざ高級車に言及するようなことはしないものです。

この現象が仮に事実だとすると、メッセージを受け取る人(すなわち、誰でも、ということですが)の感じる力は相当なもので、本当は顧客に対して殆どごまかしが効かないかも知れないのです。僕がサンマリーナで経験した顧客の反応は、まさにこのような感覚と符号します。「顧客は企業が想像するよりも遥かに正確に企業の本当の意図を感じる力がある」という前提で事業を行うほうが、よほど現実的な結果が生まれるというのが僕の経験です。

なお、上の例で、「高級車」に言及する人の一定数は、それが本当は「高級なものをエゴの表現として利用する」意味だということを自覚していません。そして、このような表現が「高級だ」と感じる人、つまり「高級に憧れる人」を大量に惹きつけ、返信が目に見えて増加するため、それが本当に高級なことだと誤解してしまうケースが少なくないのではないでしょうか。つまり「目に見える表現」と「反応という結果」が強い相関を伴ってメッセンジャーの経験となるため、「成果を生むマーケティング手法」と理解されがちなのです(この論点に関する詳細も、続編で言及します)。

以上を前提にすると、企業の気持ち(すなわち、経営者と従業員の気持ち)が変わると、顧客の属性が変化する、ということが示唆されるのですが、これが仮に事実だとすると、非常に効率の高いマーケティング手法として応用可能なのです。

【2007.2.5 樋口耕太郎】

*(1) もちろん、積極的に掲示を行う女性は、単に閲覧するだけの女性よりも非常にマーケティング属性が高いという考え方もある程度成り立ちますが、その分対象属性の母集団として偏っているとも考えられます。

*(2) これはすなわち、人の本来の力が、資本や単純労働に圧倒的に勝る、ということを具体化した事業モデルでもあります。そして、人とその潜在能力をこのような意味で事業的に活かす手法では、(金銭的)資本を全く必要としないため、極めて高い収益(無限大の投資効率)を生むという特徴があります。資本主導の事業環境の中で、「人を自由にしながら活かす」経営手法のひとつとして非常に有効だと考えています。