企業や経営者の「本心」が、同じ気持ちの顧客を惹きつける、という考え方は非科学的で根拠がないと考える人も少なくないと思いますが、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、生活の知恵として昔から人々が直感的に感じていることでもあります。トリニティ経営理論の考え方は、「理論の構成と内容が正しい(証明できる)か」どうかよりも、「実際の経営で機能する考え方(現実認識)は何か」を重要視するものです。この例では、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」という「現実」を前提として経営行動を起こす、という意味ですが、このような前提が「正しい」かどうかは必ずしも重要だとは考えません。これが「正しい」ということを証明することは不要ですし、そもそも不可能です。「企業は、企業の『本心』と同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことが事実かどうかを証明する方法はありません。

経営において重要なテーマは、ある「現実認識」を前提とした時に、どのような事業行為が合理的かを明らかにし、それを実行し、その結果を観察することです。事業的な成果が生じる場合、このような現実認識は「正しかった」と推測することができますが、このような経営的行動が汎用性を持つ限り、実質的な経営手法として機能することは明らかです。つまり、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつける」ことの証明は不可能であり、理屈の上で否定することもできますが、「企業や経営者の『本心』が、同じ気持ちの顧客を惹きつけることを『現実』として経営行動を起こす」ことで事業的な結果が生れる場合、その利益と合理性を否定することはできません。別の言葉では「経営者の現実認識がそのまま事業の現実になる」、「事業の現実は経営者の数と同じだけ存在する」という意味でもあります。

このような発想を僕は勝手に「量子論的経営観」と呼んでいて、トリニティ経営理論のひとつの特徴でもあるのですが、本稿のテーマから逸れてしまうため、詳細は別の稿でご紹介いたします。少なくとも、この発想が示唆することのマーケティングにおける意味合いは、このような現実認識(価値観)には実体があり、特定の現実認識自体が経営の目的のひとつであるというものです。

顧客は企業の鏡(再び)
不思議なものですが、「感じること」を意識しながらホテルやレストランなどを数多く利用すると、お店を利用するだけで経営者の「本心」や気持ちの変化がだんだんと理解できるようになってきます。ホテルやレストランの経営者の方と直接お会いして人となりを知ったり、その経営者の右腕や現場のリーダーや主要な従業員の性質を理解したり、それ以降も何度かお会いしながら、経営者の意識の変化を「定点観測」したり、グループの同一または複数のホテルやレストランを定期的に利用しながら観察すると更に効果的です。

自分で商売(特に小さな商売)をなされている方はより恵まれた環境にあります。自分の気持ちとお客様の様子をじっくり観察することを一定期間辛抱強く続けると、自分の気持ちや意識の変化に合わせて、顧客層や顧客の反応がはっきり変化するのが感じられるようになります。更に、この現象を応用して、「今、自分がどのような意識で『在る』のか」、「今、お客様にどのような気持ちで接しているのか」、「今、お客様はどのような気持ちか」を意識するように努め、自分とお客様を知るための試行錯誤を一定期間行います。すると、自分が集めたいイメージのお客様を呼び込むために必要な自分の意識と、必要なお客様への接し方が分かるようになります。このような努力を継続すると、実際に、来店する顧客層をある意味「コントロール」することができるようになってくるのです。・・・このように表現すると、とても特別なことのようですが、長く続いているお店の中には、このような原理を直感的に理解している店主や経営者が散見されます。ただし、これは顧客を選り好みすると言う意味ではありません。特定のお客様がいらっしゃった時にいやな顔をしたり、「来なければ良いのに」と念じる、などと言ったこととは根本的に異なります。

「従業員は経営者の鏡、顧客は企業の鏡」とよく言われます。鏡の中に映っているものに満足できないとき、鏡を叩いてもこすってもそれを変えることはできません。自分が変わることでのみ鏡の中を変化させることができるということだと思います。この原理を体験するためには、大企業での経験よりも、店主一人で仕切る小さな接客商売を経験したり、そのようなお店を長期間じっくり観察し理解することの方が遥かに有益です。企業の事業再生が社会的な課題になり、ターンアラウンド・マネジャー(事業再生を担当する経営者)の不足が業界で語られるようになっていますが、僕は(i)大企業の経営力と、(ii)先端金融と、(iii)一人で仕切っているおでん屋さんの経営バランス、この三つの要素を理解する人材が理想的ではないかと思っているのです。現状は三つ目の要素を兼ね備え、あるいは経験している人材が最も不足している印象です。ひょっとしたら事業再生能力を身につけるためには、ビジネススクールに留学したり、ファンドで働いたりするよりも、個人で飲み屋さんや焼き鳥屋さんを経営してみる方が本質的に近道かも知れないと思うことがあります。お店を始めることが現実的でないビジネスマンの方でも、仕事帰りにどうせ飲みに行くなら、個人経営の、長く続いている個性的なお店に長期間通い詰めることで、非常に有益な経営感覚を学ぶことができると思います。

サービス業の運営が破綻するとき
以上を意識的に理解することができるようになると、売上などの財務に現れる前から、事業の本質的な変化や従業員や顧客の変化を察知することができます。反対に、自分の気持ちと従業員の気持ちと顧客の気持ちに無関心なまま、売上や財務諸表や顧客満足度(パーセンテージや変化率)などの数値に頼り過ぎた経営(つまり、ビジネススクールで教えている経営ですが・・・)を行うと、事業の現場における重要な変化を見失うことに繋がりかねません。この原理を利用して、サービス業が破綻するパターンを非常に良く説明することができます。例えば・・・

① 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→広告宣伝、キャンペーン、タレント起用、特典の発行、資本投下による店舗デザインの変更や改装など、事業の本質(人間関係)とは異なる販促を行う→目新しいこと、「得」なこと、ミーハーなことを好む顧客層(流動顧客)を大量に呼び込む→顧客満足度の上昇→この商売が好きだった顧客が離れる→広告宣伝費等の増加による損益分岐点の上昇→売上増により販促費の増加を吸収し一時的に利益が増加する→財務的に好調になり事業の危機が去ったように感じられる→流行の変化や競合他社の登場により、流動顧客が離れる→より大きな危機感とあせりと自信喪失→より大規模かつ効果の少ない販促→破綻への悪循環。

② 一時的な売上の落ち込み→経営者が恐れを抱いて自分の商売に弱気になる→事業の価値を高めることよりも目先の売上を追う気持ちが高まる→価格のディスカウントや特典による販促→単価の低い顧客層(商売自体よりも「得」なものに強い関心がある顧客層)を大量に呼び込む→もともとの商売に愛着を持つ顧客が離れる→回転率の増加によって一時的に売上と利益が増加する→回転率の増加に伴い従業員の実質負担が増加→「業績好調」である限り従業員は何らかの納得感を持つことが一般的→競合他社の登場により、流動顧客が離れる→売上の減少に伴い利益率の大幅低下→従業員のモラルの低下→破綻への悪循環。

③ 優れた商品(例えばうまい料理)の開発や好調な売上→経営者の慢心とおごり→顧客に対して「売ってやる」という意識の芽生え→自尊心の低い顧客を多く呼び込む→顧客満足度の上昇(世の中には失礼な店主に怒られながら食事をすることが好きな人もいるのです)→この商品や店主の純粋な熱意が好きだった顧客が離れる→自尊心の低い顧客が口コミで同様タイプの顧客を連れてくる→顧客属性の変化により店に活力と「華」がなくなる→緩やかな売上と単価の落ち込み→破綻への悪循環。

以上のように、経営者がサービス業の運営を「把握」する際、財務諸表や顧客満足度などの係数データに頼りすぎることは非常に危険である場合があるのです。後者については、現場で多くの時間を使い、現場を良く理解する努力はもちろんですが、それに加え、単なる「大変満足」のパーセンテージだけではなく、コメントの量の変化、コメントの質(場合によってはお客様の筆跡なども含む)から示唆される事業的な意味を、感性によって補いながら現場を把握・理解することが有効です。同様に、「どの商品が売れるか」、「どのような販促が効果的か」、「どのような内装が顧客に受けるか」に意識を注力し過ぎるよりも「自分の気持ち(本心)はなにか」、「顧客が誰か」、そして「自分の在り方と顧客との人間関係はどのようなものか」に深く向き合う方がより本質的な「マーケティング」のテーマと言えるのではないかと思います。

【2007.3.9 樋口耕太郎】