本日発売の「新潮45」に、沖縄の貧困問題についての論稿を寄稿いたしました。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/newest/

特集のタイトルが「沖縄の嘘」というのは直前まで知りませんでしたし、「最貧困県はいかに『維持』されているか」というタイトルは編集長が決められたので、表紙だけをご覧になる方々には随分ミスリーディングだと思います。これでは何だか沖縄批判を目的としているみたいです。

さはさりながら、新潮の編集部の方々は極めて優秀な方々でしたし、編集過程では本当にお世話になりました。原稿自体は政治的なものではまったくなく、沖縄の社会問題を解決する一助となるために、問題の基本構造を私なりの視点で解析したものです。

沖縄の経済問題といえば、本土との経済格差の問題というのが「定番」でしたが、2015年くらいからようやく県内格差に目が向けられるようになってきました。少々唐突すぎるくらいの勢いで沖縄タイムス、琉球新報の沖縄2大紙が沖縄県内の貧困問題を本格的に取り上げるようになり、議論が急速に広がりをみせています。

しかしながら、社会問題への対応が検討されると、ほぼ確実に陥るパターンが存在します。それは、問題の根源を特定して治癒するよりも、対症療法が圧倒的に優先されるということです。沖縄の子どもの貧困問題で現在までに提案されている「問題解決」は、例えば、教育費用の援助、学習支援員の確保、給食費の無料化、ソーシャルワーカーの充実、母子家庭についての生活支援施設の設置や公共住宅への優先入居制度、子どもの居場所作りのための児童館の設置、子ども医療費助成、そして所得保障などでしょうか。

そのすべては重要なものであり、これらの対応が進むことで助けられる人たちが多数存在しますので、その意義は決して軽んじられるべきではありません。しかし同時に、これらのいずれもが貧困問題の対症療法にすぎず、貧困という症状を緩和する短期的な効果でしかないのです。私たちが直視しなければならないのは、例えば給食費や教育費や医療費がすべて無料化されても、あるいは仮に所得が完全に保証されたとしても、それは貧困を緩和するだけであって、決して解決しないという事実です。それどころか、対症療法には副作用が伴うために、長い目で見れば物事を悪化させる可能性が高いのです。

それにも関わらず対症療法が重要視されるのは、そのわかりやすさ故でしょう。問題がわかりやすく定義されていれば、県民からの賛同も得やすく、「実績」 を視覚化しやすい。加えて、対症療法が好まれるおそらく最大の理由は、それが大量に補助金を引き出す手段として有効だからです。

もちろん、ひとりひとりは善意で考え、意見し、行動していると思うのですが、行政を動かすのは政治であり、政治家は良くも悪くも票を意識して行動せざるを得ません。補助金が票を獲得する有効な手法であることは誰も否めないでしょう。予算が動かなければ行政も動けない。貧困問題の「識者」たちもその意を汲んで、行政活動をバックアップする発言をすれば、必然的に対症療法になるのです(逆に、そのような発言をしなければ、「識者」として行政の現場には呼ばれにくいという現実があります)。行政でもボランティアでも教育関係でも、現場で尽力されている多くの方々は、目の前で苦しんでいる人たちに資金を提供できるため、心情的に強く共感できます。手を差し伸べられる貧困家庭にとってのメリットはいうまでもありません。

すなわち、補助金を大量に投下する対症療法は、(少なくとも短期的には)ほとんどすべての人の利害に叶うのです。これが貧困問題の隠れた最大の問題です。結果として、これらの対症療法は、貧困世帯の自立を促すどころか、さらなる依存を招いて、長期的には貧困状態をさらに悪化させることになります。そして、より本質的な問題として、ほとんどの人の意識が対症療法に向けられるため、この問題のほんとうの原因に対する認識が深まらないのです。

本稿は、沖縄の貧困問題の根源的な原因を特定して、対症療法を超える問題解決の道筋を模索するためのものです。ぜひご一読ください。