今月投開票された衆議院選挙において、沖縄選挙区で自民党が全敗した。知事選や衆院選での辺野古移設への反対派の勝利は、どのような沖縄県民の民意を代表しているのか、多くの人はその意味を量りかねているように見える。

沖縄選挙区の特徴であり問題点は、常に「基地撤去」か 「経済発展」かという二者択一に論点が矮小化してしまうことだろう。論点が常に単純化されてしまうのは、政治家が票を取るためであり民意とは無関係だ。かくして選挙のたびに、沖縄にはあたかもそれ以外の民意が存在しないかの様相となってしまうのだが、これは誤りだ。選択肢が二つしかないもののひとつを選んだからと言って、それが選択者の望みとは限らない。争点の支持・不支持は有権者の「表現のひとつ」 に過ぎず、往々にして民意は争点とは別のところにある。

一般に、「革新系」に票が投じられるのは、現県政に対する不満による。どれだけ「経済発展」を遂げても、一括交付金を獲得しても、基地返還跡地を開発しても、沖縄の社会問題は悪化する一方だ。一向に所得が上がらず、共同体は解体し、労働環境が悪化し、教育が劣化し、健康が悪化し、環境が破壊され、街並が美しさを失い、沖縄らしさが失われ、閉塞感は増し、県内格差は拡大し続けている。今回の選挙結果は、社会に対して漠然と違和感を持つサイレント・マジョリティが辺野古移設反対の流れに合流したことの結果ではないかと思う。

象徴的なのは、先の知事選で普天間飛行場を擁する宜野湾市の投票結果が翁長氏21,995票、仲井真氏19,066票であったこと。宜野湾市にとって普天間飛行場の「危険性除去」よりも重要なことが他に存在したということになる。大半の沖縄県民が基地返還を望んでいるのは当然だが、どのように返還を望むか、そして返還ということの優先順位はけっして一枚岩ではない。・・・争点が単純化されすぎることで見失われがちな民意を理解するためには、このような現象を冷静に見つめることが有効だ。

辺野古移転の推進派(前知事、自民党ら)の敗北の主な理由は、彼らが宜野湾市の、そして沖縄県民の民意を読み違えたことだろう。本当に社会を良くするための真っ当な政策を望んでいたサイレント・マジョリティ(民意)が、「危険性除去」という選挙スローガンに嫌気がさしたとも言えそうだ。

単純な二者択一の視点から離れ、保守革新の立場と政策を超え、普天間移設問題には何らかの発想の転換が必要だろう。「辺野古移設撤回」が実現しても「経済発展」を遂げても、それだけで県民は幸せにならないからだ。むしろ県民が幸せでないからこそ、基地反対運動が高まっているのではないか?

例えばよく選挙公約に上げられる、経済成長、安定した仕事、生活費の確保、待機児童ゼロなどの実現は不幸の解消には役立つが、県民を幸福にすることはない。「人の不幸を解消することと、人を幸福にすることは、 まったく別の要素である」。経営心理学の世界ではフレデリック・ハーズバーグが唱えた「二要因理論」という概念がそれで、人間の不幸を解消しても、それだけで人を幸福にすることはできないのだ。

不幸を解消することの最右翼が「お金」である。経済成長で貧困を脱して豊かになれば、不幸は解消するが、決してそれだけで社会は幸福にならない。政治や行政に関わる方々は、この心理学的社会学的事実をぜひ理解してもらいたいと思う。

県民の幸福とは、ひとりひとりの生きがいに関わる変化から生まれる。例えば月曜日が楽しみな仕事であり、柔軟な労働時間であり、家族とのより長い時間であり、家族が一緒に食べる健康的で安全な食事であり、人の役に立つ役割を持つことだ。

一見無関係のようだが、単なるスローガンでない県民の幸せを、具体的かつ徹底的に追及することが、沖縄の基地問題を含む、多くの問題を解消することに繋がるだろう。

*本稿は、沖縄タイムスデジタル版に掲載された。【2014.12.24 樋口耕太郎】