本日の沖縄タイムス社会面に、沖縄基地経済に関するインタビュー記事を掲載頂きました。冒頭のサーカスの子象の話は、私が学生に必ずする話です。 サーカスの象は巨大な身体と人並みはずれた力を持っています。少し力をかければ簡単に逃げ出すことができそうなちっぽけな杭に繋がれているのですが、それ を振りほどいて自由になろうとは決して考えないそうです。それは、生まれたばかりの小さな子象の時から杭に繋がれているからです。

心理学的には「学習性無力感」と呼ばれる現象で、現代社会に疲れた大人の姿、情熱を忘れた若者の姿、思考力と自立心を失った沖縄の姿に重なります。

私が学生に伝えたいメッセージは、自分の足を繋いでいるように見える鎖と杭は、子象の頃の記憶を根拠にした幻想に過ぎないということです。自分自身 を縛っているのは、自分が作り上げた記憶であり、その記憶に捉われている限り、現実を直視する力も、分析する思考力も、自分を変える行動力も生まれませ ん。

サーカスいちの巨体を誇る象は、物理的には(あるいは経済的には)大きな存在かもしれませんが、精神的にはちっぽけな子象用の檻に入って暮らしてい るのと変わりません。沖縄の基地経済の最大の問題は、経済でも、産業でも、金融でも、政治でも、軍事でもありません。心と勇気の問題です。

【樋口耕太郎】

今年7月に松本市長から口頭で委嘱を依頼され、その後「浦添市政策アドバイザー(市長補佐)に内定」との報道がなされて以来、浦添市役所からこの件についての連絡がなく現在に至っています。ほぼ半年が経過していますが、政策アドバイザー職の委嘱は受けておらず、その予定(の有無)についても曖昧なままでした。

9月に開催された浦添市の定例議会において、政策アドバイザーに関連する法案が提出され、同期中に取り下げられたこと、現在会期中の浦添市定例議会では政策アドバイザー法案が実質的に廃案になっている様子であることは、善意の第三者から噂としてお聞きしたのみであり、浦添市からはいかなる説明も頂いておりません。

西海岸埋め立てについて、私が反対の立場をとっていたことは、誰もがご存知のことです。正確に表現すれば、私は西海岸の埋め立てに反対している訳ではなく、浦添市と沖縄の将来を破壊する安易な都市計画、事業計画に反対しているに過ぎないのですが。

いずれにせよ、このような私の立場と利害が対立するとお考えの方々を中心に、極めて強い反発があったとお聞きしています。そのような背景があり、浦添市としてもどのように対応してよいのか、苦慮された結果だと想像しています。

そのような事情によるものかどうか、松本市長は何度か私を尋ねていらっしゃいましたが、役職や、政策や、ビジョンなどについて、具体的に言及されたことはありませんし、私が意見を求められたこともありません。

従って、西海岸アセス凍結と解除、10月の宮崎衆議院議員を中心とする保守系議員の連絡会設置、そして、本日琉球新報、昨日沖縄タイムスに報道されてい る、「普天間飛行場の返還について、辺野古への移設を容認した」と報道されている松本市長の決断に関しても、私は関与しておりませんし、その術も立場もあ りません。

私が7月に政策アドバイザーの件で、個人的に相談した方々10人中10人に強く反対されましたが、それでも当職をお受けしたのは、当時の松本市長の政策が、社会的に価値があると思えたからです。私のことをご存知の方々が、ここ数日の報道について、とても違和感を感じられたのは当然だと思います。

本日の辺野古移設容認報道を含む、松本市長の一連の決断が私のアドバイスによる、と誤解された方々から多くの問い合わせを頂きましたので、そのような事実関係はないことを、この場にてお伝えしたいと思います。

【樋口耕太郎】

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1 沖縄に立ちはだかる壁、米軍基地

(1) 避けられない難問
沖縄の経済について考えるとき、米軍基地の問題は避けて通ることができない。社会・経済のいわば毛細血管の隅々にまで米軍基地の問題が絡みつき、見かけの額を遥かに超える複雑な影響力を社会の生態系全体に及ぼしている。このため、沖縄の地域再生を語るためには、まずその前に、基地経済の現状とその弊害の実態をどうしても明らかにしなければならないことになる。

沖縄県庁は、軍用地料、軍雇用者所得、軍人・軍属消費支出の合計額(「軍関係受取」)が、県民総所得に占める割合が復帰直後の15.5%から5.4%へ、金額にして約2,155億円(’06)まで低下し、基地経済への依存度は減少している、と説明する。しかしながら、その数字が事業や生活の実感とそぐわないのは、基地経済を余りに狭義に捉えすぎているためではないだろうか。直接基地関連の補助金でなくとも、沖縄ゆえの優遇・特別措置や振興策は基地経済の一部であるからだ。粗々ながら実際の基地経済の規模を推定すると次のようになる(カッコ内はデータ年度)。

防衛省が管轄する軍用地料583億円(’06、国有地34.4%へ支払われる軍用地料を相殺した額)、基地周辺対策費176億円(’03)、思いやり予算沖縄分540億円(’07)。軍人・軍属の消費支出632億円(’05)。内閣府沖縄総合事務局が管轄する沖縄振興開発事業費2,720億円(’06)、・・・沖縄振興開発事業費には、北部振興、「特別調整費」、科学技術大学院大学、教育振興、農業振興、金融公庫、島田懇事業などが含まれている。総務省基地交付金・調整交付金68億円(’07)、文部科学省などその他9省予算88億円(’03)、以上の合計だけで、年間およそ4,800億円(①)。まずこれが比較的はっきり「目に見える」お金だ。

次に、沖縄県(’06)と市町村(’04)が国から受け取っている地方交付税、地方特別交付税、国庫支出金の合計が5,900億円、全体の歳入1.15兆円の実に51%を占める。全国の平均が29%(都道府県)、26%(市町村)であるため、51%との差額を仮に、沖縄の特殊事情による国からの「上乗せ」と解釈すると、その推定額が年間およそ1,400億円(②)。

その他数量化がむずかしい要素として、揮発油(ガソリン)税、航空機燃料税、国内線空港着陸料、酒税など、国の支出予算を伴わない各種減税措置(③)がある。沖縄のガソリンは本土よりもリッターあたり7円程度安いと言われ、自動車保険にも優遇措置がある。航空燃料税は本土便で50%、空港着陸料は1/6に減額されているため、この影響は経済的波及効果の大きい入域観光客数に直接及ぶ。さらに、約1兆円の融資残高を持ち、毎年約1,000億円の長期低利融資を行う沖縄振興開発金融公庫の金融効果(④)、後述する軍用地の波状的な金融・経済効果(⑤)、その他恣意的に作られた可能性がある有形無形の沖縄キャンペーン、その他(⑥)である。

以上(①)~(⑥)の合計額を大掴みにイメージすると、年間1兆円(から波及効果を含めると最大2兆円)。沖縄の県民総所得約4兆円のうち、25%(~50%)が基地経済ではないかと推定できる。こうなると沖縄県庁が発表する数字の5倍から10倍だが、こちらの方がよほど県民の実感に近い数字ではないか。すなわち、1兆円を越えるハードルに向き合うということが、沖縄が自立するということの本当の意味であり、地域再生において維持すべき目線なのである。

(2) 基地経済の生態系
基地経済がその実力を遥かに上回る規模にまで沖縄経済を膨張させている様子は、以下のような事例からもイメージできる。

土木建築業の産業付加価値を表す07年の沖縄県の建設投資額は約5,500億円。同年度の沖縄振興開発事業費の公共事業費2,400億円がなければ、産業規模はざっと半分になるイメージだ。沖縄の建設業は4.4万人を雇用している。沖縄の平均世帯人数2.6人で単純計算すると、11.4万人に影響を与える重要な産業だが、これだけの産業が基地経済によって倍に膨れ上がっているとすれば、将来への影響は深刻だ。

軍用地料は72年の126億円から一度も下がることなく継続的に上昇し、06年度の合計は約888億円(米軍基地777億円、自衛隊基地111億円)。地権者の約34.3%が国であるため、これを除いた賃料583億円を仮に30倍で評価すると、1.75兆円の金融資産に相当する。その担保掛目が60%としても、ざっと1兆円相当の債権の信用補完ができることとなる。沖縄銀行が日本でもっとも健全度の高い銀行として、全国の上位にランキングされているのも偶然ではない。また、約9,000名の軍雇用員は準公務員待遇で雇用され、平均570万円(’05)という沖縄では破格の安定収入を得ている。彼らの消費が地域に及ぼす効果はもちろんだが、信用力の高いと判断される彼らが住宅ローンを借り、債務の保証人となり、車のローンを借りることによる金融効果は計り知れない。沖銀、琉銀、海邦、主要三銀行の融資残高が2.7兆円であることを勘案すると、軍用地がなければ沖縄の金融機関の規模は大幅に縮小することは間違いない。

仮に軍用地を企業に見立てるとしよう。軍用地料900億円を配当していると考えると、実効税率40%として1,500億円の経常利益に相当する。沖縄全法人の申告所得総額は1,430億円(‘08)、沖縄の全企業が束になっても軍用地料分を稼げない。また、1,500億円の経常利益は、利益率5%として、売上3兆円の企業が地元に存在するイメージだ。この売上規模は東証一部企業のランキングでは30位。三菱重工、シャープ、ブリジストン、JR東日本よりも大きい企業ということになる。金融機関を除く沖縄上位100社の売上の合計が1.87兆円(‘08)であること勘案すると、軍用地料がいかに大きな影響を及ぼしているかが想像できる。

沖縄を代表する「超優良」企業沖縄電力は、沖縄振興特別措置法に基づいて数々の税の優遇措置を受けていることに加えて、売上の約1割弱107億円(’06)が米軍基地に対するものである。沖縄電力の経常利益は100億円前後であり、基地が撤退すれば赤字に転落する可能性が高い。その他、沖縄の申告所得上位企業は、請負工事など軍関係の仕事や、特別措置法に基づく税の減免措置によって利益を確保しているところが少なくない。特に県内で製造販売されるビール、泡盛にはそれぞれ20%、35%の酒税軽減が措置されているが、酒税軽減額は年間36億円(’09)、復帰以来の累計額は1,000億円を超える。およそ230億円(’05)の泡盛製造業、200億円のビール製造業いずれにおいても、酒税軽減額がほぼ利益の額に等しく、業界の育成というよりも実質的に利益の補填に近い。

2 大田県政の皮肉な「成果」

(1) 政治と基地と経済と
誤解を怖れず、単純に表現すれば、沖縄の政治は、「基地を成長戦略に利用しようとする」保守と、「基地なしで自立しようとする」革新の綱引きという図式が存在するが、最大の皮肉は、革新の政策がもっとも「保守」的な結果を招いていることだ。

近年、基地経済の重要な転機になったのが、90年から98年まで2期務めた革新大田昌秀県政時の95年9月4日、米兵による少女暴行事件。この事件に端を発した、日米地位協定の見直し・基地の整理縮小を目指す沖縄県民の大運動は、大田知事(当時)の駐留米軍用地の強制使用にかかる代理署名拒否、8.5万人が集結した復帰後最大規模の県民総決起集会、日本で初めての県民投票など、前例なき運動のうねりとなって日本政府を大いに慌てさせることになる。県民総決起集会から1ヶ月足らずの間に米軍基地の整理縮小に向けた打開策がまとめられ、「沖縄米軍基地問題協議会」「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会(SACO)」が次々と設置。年末に開催された日米合同委員会では、キャンプ・ハンセンの一部など、8施設・10事案の返還が早々に合意された。翌1月、橋本新首相の施政方針演説において米軍基地の「整理統合・縮小を推進する」旨明言され、4月には普天間飛行場の「7年以内」の全面返還が発表されるなど、政府の驚くほど迅速な一連の対応は、政府が県民運動の拡散をどれだけ恐れたかを物語っている。

この事件をきっかけに政府が沖縄に用意した、経済的な「パッケージ」は圧巻である。沖縄の要求はそれがカネで解決のつくことであればすべてを受け入れる、と言わんばかりだ。基地所在市町村38事業に投下された、いわゆる「島田懇談会」事業1,000億円、全国の米軍基地所在地に配分される地方交付税の沖縄への傾斜配当75億円、小渕内閣による「特別調整費」1,000億円、北部振興策1,000億円、現在までに3,000億円を超えるSACO関連経費、などが立て続けに決定された。毎年2,000億円、多い年で4,000億円を超える予算が組まれる沖縄最大の振興策、第三次沖縄振興特別計画が当然のように更新され、その中で新たに、情報通信産業特別地区、特別自由貿易地域(FTZ)、金融業務特別地区の三制度が措置された。那覇空港ビルと那覇新都心に店舗を構えるDFSギャラリア・沖縄は同法に盛り込まれた特定免税店制度によるものである。

観光産業を強力に後押しした2000年の沖縄サミット開催も、95年の事件がなければ検討すらされなかった可能性が高い。ザ・ブセナテラスは、開業直後の苦しい時期にサミットの追い風を大きく受けている。当時、沖縄の「目玉リゾート」の経営が高単価で軌道に乗ったことで、観光産業全体がどれほど恩恵を受けたかは計り知れない。首里城守礼之門を図柄とする2,000円札の発行、首里城跡の世界遺産登録、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』放映、辺野古で撮影された中江裕司監督作品『ホテルハイビスカス』、特別調整費を中心に15億が拠出された沖縄デジタルアーカイブ「Wonder沖縄」、北部観光740億円・北部経済1,300億円の経済効果を生み出していると試算されている美ら海水族館新館、すでに600億円が投下された沖縄科学技術大学院大学、100億円を超える事業費で辺野古に設立された国立沖縄工業高等専門学校なども同様だ。沖縄全島に散在する豪華なスポーツ施設ではプロ野球全球団がキャンプを張る。その中でも最新の奥武山球場は防衛施設庁の予算70億円で改築され、読売巨人軍沖縄キャンプの誘致が決まった。90年代後半以降活躍が目立つ沖縄出身の芸能人、全国に急増した沖縄料理店、酒税の減免措置が適用する泡盛の流行、数々の沖縄キャンペーンなど、息の長い大掛かりな沖縄ブームで多方面から持ち上げられた結果、沖縄への入域観光客数は96年から急増し、わずか15年間で倍増した。「経済振興」という名の有形無形の補助金が沖縄へ大量に降り注いだタイミングと重なっているのは偶然ではない。

(2) 沖縄のジレンマ
つまりは、皮肉にも95年以降の基地反対・自立運動を唱えた大田県政が、基地代償のための「経済振興策」を大量に引き出し(てしまっ)たわけだ。少女暴行事件に端を発した基地反対運動は、そもそも革新大田県政下でなければあれほどの盛り上がりを見せなかった可能性がある。そして、戦後最大規模に拡大した県民大運動が日本政府の強い同化・懐柔政策を引き出し、ただでさえ補助的な開発振興政策に加えて、沖縄に対して大量の補助金の投下、経済援助、キャンペーンが進み、90年代後半以降の沖縄は、補助金に完全に依存する形の歪んだ「経済成長」を遂げることになる。基地からの自立を誰よりも望んだ革新大田県政が、結果として基地経済への依存度を著しく高め、沖縄自身をもっとも「本土化」し、自立を阻む最大の要因を招いてしまったのだ。

3 基地経済が引き起こす弊害

基地の存在は、経済成長にプラスであるという考え方は一般的といえる。基地が存在するために大量の経済的な見返りがあるという意味ではその通りだが、歪んだ経済援助は社会に重大な弊害の数々を及ぼす。その深いマイナス点を織り込んだ後で、どれだけプラスかマイナスかを考えるべきであろう。

(1) 第一の弊害
大きな社会格差を生むことだ。年間「1兆円」を超えるお金が政府から拠出されているということは、県民一人当たり毎年100万円のお金を手にしている計算になるのだが、現実は著しく不均衡に配分されている。沖縄県民の平均所得は日本で最下位であるだけでなく、年収200万未満の労働者比率は49%、全国平均の33%よりも遥かに高い。一方で、申告所得1,000万円以上の(納税者数に対する)割合は全国第9位。沖縄は低所得社会というよりも、日本最大の格差社会なのだ。不均等に分配される大量の補助金と、軍用地主などの存在が大きく寄与していることは間違いない。

(2) 第二の弊害
公共工事に偏重した産業構造だ。沖縄振興特別措置法に盛り込まれた高率補助のために、沖縄県は土木工事の9割以上を国の費用で賄っている。県が予算を組む「補助事業費」の額の10倍以上の公共工事を発注することができるのだ。反面、この予算を、例えば景観整備やデザインや教育などのソフトコストに回そうとすると、10分の1の経済効果しか生み出すことができないため、どうしても公共工事が優先される。9割の補助金を利用して自然の海岸が埋め立てられ、島がコンクリートで固められ、最も重要な観光資源が破壊される。県の農業予算もその実態は大半が農業土木であり、自然の表土を削り、土壌を入れ替え、風土に合わない農産物を大赤字で生産する過程で、大量の赤土を生じ、珊瑚と海と環境を破壊する。

(3) 第三の弊害
資産インフレだ。軍用地料を恣意的な高水準に維持するための法外な評価額は不動産市場を大きく歪め、日本でもっとも県民所得が低い県であるにもかかわらず、沖縄の地価がこれほど高いことの主因になっている。

基地跡地の再利用で、返還前の異常に高い軍用地料に見合う事業を成立させることは、顧客単価の低い沖縄では困難であり、必然的にショッピングセンター、パチンコ、ゲームセンターを中心とした賃料水準優先の開発になりがちだ。実際、近年開発された那覇新都心、宜野湾西海岸、豊見城市豊崎タウンはその通りの乱開発になっている。「成功事例」とされている北谷の再開発も、その実態はコザとの間で地域市場の食い合いをしただけであり、これが原因のひとつとなって、かつて栄えたコザの街は崩壊してしまった。沖縄でこれ以上同じようなショッピングセンターばかりを作るべきではないのだが、反面、商業施設以外の誘致では十分な収益が上がらない。軍用地料を基準に再開発を行う、というそもそもの前提がおかしいのだ。

この資産インフレに目をつけて、財政赤字を埋め合わせようとする地方自治体は、自然の海岸をそれこそ高率の補助金で容赦なく埋め立て、都市計画の整合性や美しさよりも価格を優先して、ファンドなどの投機筋、マンションデベロッパー、遊技場などに高値で売却する。目先の財政は潤うかもしれないが、そこで事業を行い、多額の投資回収のために骨身を削って働くのは、投資家ではなく他ならぬ地元の従業員だ。ただでさえ高い地価に加えて、自治体に支払われた多額の用地購入資金は事業の簿価を押し上げ、もともと利益率の低い沖縄のサービス業の収益を圧迫し、商品の質と原価を下げる。正社員が臨時社員に置き換えられ、従業員の報酬が削られ、街並みが破壊され、現在の沖縄産業構造が生まれた。

さらに、資産インフレはホテルを中心に短期転売を目的としたファンド系の資金を大量に呼び込む。過去10年足らずの間に沖縄の主要なホテルの大半は転売され、現在はその殆どが外資系資本だ。彼らが事業を「再生」して、高値で転売したり株式を上場したりするたびに簿価が大幅に上昇し、事業から回収するべき利益のハードルが上がる。従業員が働いて利益を出せば出すほどホテルは高値で売却され、従業員の利益目標は逃げ水のように高くなる。利益を捻出するために人件費が削られ、原価が削られ、商品とサービスの質が低下する。沖縄のホテルの従業員は、自分自身あるいは仲間の報酬と職を減らすために骨身を削って働いているという、実に皮肉な構造の元におかれているのだ。

(4) 第四の、そして恐らく最大の弊害
自立心の喪失だ。沖縄の基地経済は、どんなに言葉を飾っても、その経済的な本質は沖縄が受け取る毎年「1兆円」超の不労所得である。四人家族であれば400万円、沖縄全体で見れば文字通り誰一人として働く必要のない水準の金額だ。これだけの不労所得が社会に投下されれば、事業へのこだわりは失われ、創造性が欠落し、いいものを提供しようという情熱が失われる。自分の事業を切り開くという意識と自信と意欲が希薄になり、沖縄県内からノウハウと人材が輩出されず、逸材は沖縄に留まらず、または沖縄で活かされない。

4 基地経済の弊害が引き起こした沖縄の現状

(1) 劣化する社会

基地経済は、沖縄経済の「量」を人為的に膨らませる代償として、沖縄の将来にとって最も重要な、観光の質、雇用の質、地域と生活の質、について、目も当てられないほどの低下を招いている。大量に提供される補助金は、原価を上げて商品の質を高めたり、サービス向上のために従業員の報酬を増額したりするためには使われない。基本的に商品の価格を下げて顧客を呼び込むための原資、つまり単なる利益の補填となる。価格を下げれば目先の顧客は増えるが、客層の低下が進み、際限ない価格競争が始まる。利益率が縮小し、原価と人件費が削られる。取引のボリュームは拡大して仕事は増えるが、人は増員されにくい。中途採用社員が正社員になることは事実上不可能といえるほど困難であり、現場は若くて安くて不安定で経験の浅いパートタイマー中心だ。沖縄は今や全国でもっとも正社員比率が低く、もっとも臨時職員の比率が高い県だ。沖縄の主力産業とされているホテルやコールセンターで働く従業員は、手取りの給料12万円が当たり前の水準だが、それでもサービス残業が横行する。キャリアを積み重ねるどころか、結婚することすら困難で、いくつになっても家族の支えがなければ生活できない。人件費が安いからという理由で沖縄へ大量に進出するコールセンターのような業態は、低賃金に押さえられている沖縄の労働分配の歪みを収益源にしているともいえる。

基地経済がもたらした沖縄の社会・経済・産業構造は、結果として、補助金や行政の支援なしでは自立できない企業を量産している。現在の沖縄経済は、実質的に四つの産業・事業モデルしか存在しないように見える。論点をはっきりさせるために敢えて赤裸々な表現を使用すると、

①補助金なしでは存続し得ない依存型事業(製糖、ビール、泡盛、建設など)、
②消費者にコスト転嫁が容易な規制・独占業種(製鉄・電力など)、
③自分のノウハウを持たない経営不在型事業(フランチャイズや提携事業など)、
④低品質高価格のぼったくり型事業(多くのサービス業、みやげ物、県産品など)。

(2) 斜陽の沖縄観光
観光立県を支えるはずのホテルやリゾートでは、一部屋に大量の宿泊者を詰め込んで売上を稼ぐやり方が横行している。目先の利益を確保しようとして商品やサービスの質をないがしろにすると、しだいに客層が低下して安いものしか売れなくなり、埋め合わせに販売量を増やして競合の激しいマスマーケットに訴求せざるを得なくなる。顧客が離れていくのを繋ぎ止めるため、あるいは新規顧客を開拓し続けるために広告宣伝や営業などの追加費用が必要となる。利益が圧迫されるために人件費を大幅に削る必要が生じ、労働環境が悪化し、従業員の質が低下して応用力のある対応ができなくなり、現場で小さな不正が増えるため、経営は業務をいっそう規格化する。そして、人間味を失ったサービスの低下が顧客層を下げるという完全な悪循環に陥る。いったん下落傾向になった質の低下は、どこまでも市場を安っぽいもので満たしている。

沖縄への観光客は600万人に届くといわれているが、すでにそのうちの約半数290万人は、離島への観光客である。本島への観光客は実質的に300万人程度に過ぎず、観光地としての沖縄本島は激しい衰退状態にあると考えるべきだ。主要観光施設への来場数は、海洋博記念公園(美ら海水族館)365万人、首里城公園250万人(いずれも補助金で開発された)。平均で2泊する本島への「300万人」の観光客が、一日北部と美ら海水族館、一日首里城公園と那覇を観光して帰路に着くに過ぎず、実質的に「沖縄観光」と言えるほどの深みと多様性は消滅している。沖縄が誇るリピート率の高さも、過去10年くらいのトレンドとして増加してきた離島観光と、本島におけるレンタカーの普及によって、毛細血管のように訪問先が増加したためであり、顧客は決して自分のお気に入りの場所に再訪(リピート)している訳ではないのである。

観光地の質を近似的に定量化する指標は、「顧客一人当たりの平均滞在日数」だ。この指標は過去30年間、ほぼ一貫して低下し続けている。09年は、延べ宿泊日数1,140万人、来訪者集565万人、観光客は平均で2.0泊しかしていない。沖縄県政は観光収入や来訪者数よりも、この数値を何よりも重視すべきだ。

5 沖縄が目指すべき道

以上、基地問題の弊害や現状を多々述べてきた。基地反対を唱えることは容易だが、それを真剣に実現したいのであれば、1兆円(から最大2兆円)の経済ギャップを埋めることなしには不可能だ。一方、基地を容認して補助金を受け続けることは、自立を阻み、産業を阻害し、社会を壊し、持続性のない量の経済をいたずらに膨れ上がらせ、質の高い社会の実現を遠ざける。沖縄の地域再生を実現するということの意味は、これらの構造問題を解消するということである。その道筋をつけるおそらく唯一の方法を次に提起したい。

(1) 質の経済へ
沖縄の将来を切り開くために、我々がまず虚心坦懐に認めなければならないことは、沖縄が過去38年間追いかけてきた「本土並み」とは、いかに「平均」を目指すかという政策だったということだ。この発想を前提とすれば、大量の補助金を獲得して、平均的な商品やサービスを量産することが合理的であり、実際沖縄は38年間全力でその道を突き進んできた。結果として、世界でオンリーワンのクオリティを有するものが、今の沖縄には殆ど(といって過言ではないと思うが)存在しない。沖縄が誇る「最高級リゾート」も、ハワイで評価されればおそらく30番目にランキングされることもむずかしいのだが、それは政策の「失敗」によるものではなく、「成功」の結果なのだ。日本が世界の経済大国になって25年が経過し、これだけ海外旅行経験者が増え、誰しもが世界中の豊かなリゾートを体験しているため、顧客はこの事実をはっきり認識している。それに気がついていないのは沖縄だけだ。

観光産業の特徴としては、地域でもっとも水準の高いホテル(「一番館」)が提供する商品・サービスが、地域全体の質の上限、地域に訪れる顧客層の上限、地域の最高単価を決定する。逆に、「一番館」の水準を大きく引き上げることができれば、沖縄に来ることを今まで考えもしなかった上質な顧客層が訪れ、顧客滞在日数が増え、質の向上に伴って地域全体の商品やサービスの単価が上がり、顧客一人当たりの消費額が増え、地域全体に及ぼす波及効果は計り知れない。過去の沖縄とは非連続な、世界中で沖縄にしかない、沖縄にしかできない、沖縄の個性を徹底的に生かした、たった一つの「本物」事業が一枚目のドミノとしての起爆剤になり、地域全体を再生することが可能なのだ。

世界でオンリーワンの質を提供し、それを価格に反映することは、見せかけや一点豪華主義では機能しない。本物を作り上げること、そしてまとまった世界観全体のバランスを取ること。どちらかでも中途半端になると、質が価格に反映されず、価格を上げた瞬間に稼働率が減少して売上が下がり、利益率を大きく下げるだけに終わってしまう。重要な点だが、顧客は商品本来の価値そのものよりも、既に経験した価格水準にこだわる強い傾向がある。たとえ最初の価格が恣意的でも、それが一旦私たちの意識に定着すると、現在の価格ばかりか、未来の価格まで決定付けられる「アンカリング」という現象だ。「沖縄のリゾートは1泊2万円が相場」、という認識を顧客が持っていれば、たとえ10倍の価値をもつホテルが単独で登場しても、それだけでは2万円を基準に価格が比較されることになる。

(2) キャンプ・キンザー

沖縄の新「一番館」は、1泊2万円のアンカリングを断ち切り、たとえば10万円のゾーンに遡及する水準が適当で、そのためには現在までの沖縄のリゾートとはまったく異質な世界観を作り出すものでなければならないのだ。顧客はB級リゾートを想起させる雑然とした町並みをできるだけ通らずに、那覇空港から直接、広大かつ独立した、無粋なコンクリートや構築物が目に入らない、異質なリゾート環境へと導かれる動線が確保されるべきだ。統一されたコンセプトによって開発される100ha程度の「新世界」が確保できれば、これまでの「B級リゾート沖縄」のパラダイムから脱し、本当の沖縄らしさに立ち返って、人間関係の質、労働の質、商品とサービスの質に徹底的に向き合うことで、単に高額なものが高級とされ、「量」を常に優先してきた資本主義社会の価値観に挑戦することができる。

このような目線に見合うプロジェクトが、沖縄で、それどころかおそらく日本全体で唯一可能な場所が、14年に返還が予定されているキャンプ・キンザー跡地である。キンザー跡地270haは那覇空港から10分、東アジアから1時間、都市部に残された沖縄最後の宝石である。沖縄の南半分に自然の海岸はもうここにしかない。

海岸線の3分の2は返還を待たず早々に埋め立てられて道路になり、北側850mだけが辛うじて残っている。そして数年のうちには、お決まりの土木工事によって、この海岸線上に120億円の橋が開発されようとしているのだ(ワイキキビーチの真ん中にコンクリートの橋がかけられる姿を想像して欲しい)*(1)。社会全体の質の低下と、崩壊寸前の沖縄観光産業の現状を重ね合わせると、我々がキンザーに描く絵に沖縄の将来のすべてがかかっているというのに、沖縄でもっとも経済価値のある景観を台無しにする無粋な橋が完成すれば、キンザーは那覇新都心、宜野湾西海岸、豊崎タウン、北谷ハンビーのような平凡なB級リゾート都市になり、沖縄が観光地として生き残るためのラストワンチャンスが消える。そのとき沖縄の将来は本当に潰えてしまうであろう。沖縄は復帰以降38年間、コンクリートと補助金で「本土並み」を目指してきた。その結果が現状だ。長年基地返還を戦ってきて、やっと取り戻せる広大な土地。ここでわれわれが何を望むかが、基地返還運動の成果のすべてではないだろうか。これからは世界中で沖縄にしかできないこと、もっとも沖縄らしいこと、沖縄が誰よりも世の中に役に立つことを示すことによって、沖縄の自立が始まる。周回遅れでトップを走る沖縄が、日本の地域再生モデルとして語られるその日のために尽力したい。

金融財政事情研究会編 『季刊・事業再生と債権管理』 2011年1月5日号掲載  【樋口耕太郎】

*(1) 写真は現在の波の上ビーチ。沖縄県と浦添市は、キャンプキンザーの海岸に、実質的にこれと同じことをしようとしている。

盛岡(岩手県)出身の私が、沖縄にとても深い縁が生まれてから6年。沖縄は間違いなく、日本でも最も県民意識の高い地域のひとつで、食事をしても、お酒を飲んでも、人が集まると必ず沖縄についての話になると言っていいくらいです。青い空、青い海、ゆったりした県民性。日本語が通じる「外国」。日本で最も守られた市場。米軍基地の街。政治的に利用され続けた地域。補助金が降り注ぐ経済。模合という巨大金融文化・・・。さまざまな方がさまざまな価値観と表現で「沖縄」を語ります。聞く度に、どの観点も興味深く、それらは確かにそれぞれ重要な要素なのですが、私には、やはりステレオタイプの域を超えず、「沖縄の本質」、と云うべきものとは何か違っているような気がしていました。

このことがずっと頭にひっかかりながらの6年間、「沖縄らしさ」とはなにか、ということを私なりに考え続けてきましたが、沖縄社会の真髄は「人を変えないこと」、ではないかと思い至っています。「社会はかくあるべし」、という規範が人を縛るのではなく、「自分は自分」、という人々の集合体として社会が構成されているような、そして各人の生き方がどのようなものであれ、人の生き方には関知しない、・・・結果として、他人をあるがままに受け入れる(放っておく?)土壌が、社会の本質を構成しているのではないか、と思うのです。コンビニの店員が、スローモーションのようにレジを打っていても、観光客が傍若無人に振舞っても、米兵が夜中に騒いでも、特段注意するでもなく、あるいは、不義理な人が模合を崩そうと、場合によっては詐欺行為を働こうと、そんな人たちでもなんとなく居場所があるような社会は、まさに「真髄」といったところ。

また、沖縄社会は、社会的な地位や肩書きに捉われず、人間性をずばりと見抜く鋭い感性を持つ人が多いことが重大な特徴のひとつです。人を変えようとしない代わりに、自分を変えようとする人には敏感で、その「危険」を感じると、一言も発せずにいつの間にか遠ざかって寄り付こうともしません。

翻って、本土経済、世界経済、資本主義は、人を変え、組織を変え、市場を変えることで成長を遂げてきました。経営者は自分以外の全てを変えることが自分の仕事だと固く信じ、競争に遅れそうな人を叱咤し、指導し、時には誠意と優しさをもって、人の人生に最大限干渉し、影響力を行使します。この社会で成功者といわれ、目覚しい成果を挙げてきた人は、ほぼ例外なく、多くの人や物事をコントロールすることで「生産性」を上げた人物です。

本土復帰以来38年、星の数ほどの本土系企業、あるいは外資系企業が、沖縄に進出してはことごとく失敗し、実質的な意味において、沖縄で成功したと言える企業がいまだに存在しない最大の理由はここにあるのではないかと思います。一般に、沖縄は本土の価値観、すなわち、資本主義の世界観に基づく、コントロール主体の事業経営や、スタイル重視のマーケティングが全くといっていいほど機能しない社会であり、例えば、そば一杯が売れる理由が本土とは本質的に異なるのです。

この事実を素直に解釈すると、沖縄には、資本主義とは異なる、横の人間関係を中心とした「第二の経済」が存在し、その原理を理解するインサイダーと、その原理に気が付かないアウトサイダーが入り乱れて市場が構成されているように見えます。必然的にアウトサイダーには継続性がなく、いずれ撤退を余儀なくされ、結果として日本で最も守られた市場が形成されています。沖縄は、日本最大の、そして恐らく世界最大の「第二の経済」圏である、と云えるのです。

現在、時代が大きな変換期を迎え、社会の構造や価値観が根底から変容し、本土的、資本主義的な経済構造が機能不全を起こしはじめています。今までの常識、価値観、序列、経営理論、事業モデルが破綻し、どのように事業、経営、戦略、人事を考えれば良いのか、についての新たな、そして合理的な実践行動モデルが必要とされはじめていますが、その鍵は、沖縄が最も得意とする、「第二の経済」が握っているという可能性はないでしょうか。

私が試みた当時、本土からは「正気の沙汰ではない」と云われた、サンマリーナホテルの、「人間関係をなによりも優先する愛の経営」が、実践において極めて高い経営合理性を持つのと同様、資本主義的な価値観からは「非効率」で「遅れている」と考えられていた沖縄の社会や人間関係が、今後の全く新しい社会の構造において、もっとも合理的に機能することが、次第に、やがて激流のように明らかになるでしょう。

【2010.8.8 樋口耕太郎】

日本経済全体が失速し続ける中、重要な外貨獲得手段のひとつとして、今後の日本向けインバウンド観光の成長戦略が重要性を増していますが、観光立県を目指す沖縄は、この国家戦略においてて重要な役割を果たす責務を有していると思います。しかしながら、少なくとも私の認識において、観光地としての沖縄は数年前にピークを打ち、かつての熱海、宮崎、グアムなどのように、一時繁栄を謳歌した後に凋落して行った無数の「観光名所」とほぼ同様の道筋を辿っているように思います。「観光立県」沖縄の実態*(1) は、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」の名を付して、質の低い高額商品を観光客や本土消費者に販売する「ぼったくり型」の慣行が定着し、県産品やみやげ物をはじめ、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、低単価の顧客を多数詰め込むリゾートホテルのマーケティング、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、一向に改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応などなど、リゾート事業や行政*(2) などを含むサービス産業全体の劣化傾向は目を覆うばかりです。

日本に限らず、世界中の事例において、観光地が没落する理由は突き詰めると唯一、「質の低下」 だと思うのですが、観光地としての沖縄の質は著しくといって差し支えないほど劣化し続けており、それをもっとも顕著に表す、観光客一人当たりの平均滞在日数は、過去30年間ほぼ一貫して下降し続けています。沖縄への観光客は600万人に届くといわれていますが、既にそのうちの約半数290万人は離島への観光客です。この意味するところは本島への観光客は実質的に300万人程度に過ぎないということであり、このことからも、観光地としての沖縄本島は激しい衰退状態にあると考えるべきでしょう。主要観光施設への来場数も、海洋博記念公園(美ら海水族館)365万人、首里城公園250万人ということは、平均で 2泊する本島への「300万人」の観光客が、一日北部と美ら海水族館、一日首里城公園と那覇を観光して帰路に着くに過ぎず、実質的に「沖縄観光」と言えるほどの深みと多様性は、既に消滅していると考えるべきかも知れません。沖縄が誇る「リピート率」の高さも、過去10年くらいのトレンドとして増加してきた離島観光と、本島におけるレンタカーの普及によって、毛細血管のように訪問先が増加したためであり、顧客は決して自分のお気に入りの場所に再訪(リピート)している訳ではありません。この傾向に持続性はありませんので、時間の問題でやがて量的成長の限界が顕在化するでしょう。

資本の論理と沖縄観光
問題の根源を特定せずに行う、全ての問題解決は対症療法に過ぎません。観光地沖縄の問題を指摘する方々やそれらに対処している人が無数に存在しながら、地域の観光の質が一向に改善しないように見えるのは、それぞれの対処方法が間違っているというよりも、問題の根源が特定されていないからではないでしょうか。観光立県を目指す数々の方策や多大な善意の努力も、我々の社会の根源的なあり方を決定している「資本の論理」に向き合わなければ、対症療法による副作用を地域に蔓延させるだけにならないかと危惧します。

ファンド資本に象徴される「資本の論理」がリゾート地に及ぼす多大な影響について、深く考えるようになったきっかけは、私自身の体験によります。およそ6年前、当時共同経営をしていた不動産金融/投資会社(JASDAQ上場、㈱レーサム)の事業として、恩納村のサンマリーナホテルと、那覇市の元オーシャンビューホテルを買収したのですが、運営が想定していた通りに機能せず、自ら現場経営を余儀なくされました。私はホテル運営に関して全くのど素人でしたが、恐らくそれゆえに、「高級なものほど慇懃無礼に感じる」現在のサービス業のあり方に素直な疑問を投じることができたかも知れません。事業再生の現場で私が直面した三つの問題は、第一に、現代社会で私たちが日常的に体験する、サービス業の現場における従業員の「思いやり」は、どんなに言葉を飾っても、結局利益を上げるための「手段」に過ぎず、その隠れた「嘘」が顧客を小さくしかし頻繁に傷つけるのだ、という私なりの結論に達したこと、第二に、従業員・顧客・業者などを含む、経営環境の一切を可能な限りコントロールすることで生産性を上げようとする現代経営の常識が沖縄の風土においてまるで機能せず、その合理性にそもそもの疑問を抱いたこと、第三に、いわゆる成果主義人事考課制度においては、現場を支えている人たちの無数の善意や、大きなトラブルを未然に防ぐ機転など、本当に大事な仕事を評価することが不可能だと感じたこと、です。

この問題を解消するためには、「手段」であることが常識となっている「思いやり」を事業の「目的」にする必要があると考え、それまでの「目的」、すなわち売り上げ目標、収益目標、顧客満足度、成果主義を文字通り完全に廃止し、サンマリーナホテルでは、全ての人事考課基準を、①人間的な成長と、②どれだけ人の役に立ったか、の二点に集約しました。人間関係を全てに(仕事よりも)優先し、「最も質の高いサービスとは、最も幸福かつ正直な従業員の在り方そのものである」と再定義して運用したところ、私自身の想像を超える莫大な利益が結果として生まれ、短期間での事業再生が実現した経緯があります。

しかしながら、短期間で収益が生まれたがために、当該ホテルは僅か2年で倍の価格で売却され、私はこの売却に反対したためにパートナーに解任される、というちょっとしたドラマがありました。当初私が取得した30億円*(3) の簿価は、既に当時築20年を過ぎていた物件の実質耐用年数が終了するまでの20年間で投資額を回収するために、年間1.5億円の税引後利益が必要という計算(30億円÷20年=1.5億円)ですが、売主資本家が30億円の売却益を手にした後、一夜にして買主資本家の投資簿価は60億円になり、事業から回収すべき税引き後利益は3億円に倍増します。売主資本家が手にした30億円は、あたかも資本家のものであるかのごとく売買されていますが(それが資本主義の基本的なルールです)、本来従業員がこれから何十年も努力を続けて生み出すであろうキャッシュフローの現在価値である、という本質は殆ど問題にもされていません。・・・そして、この原理は、一般的には事業の成功とされている、上場による資本回収であっても全く同様にあてはまります。

私はこのような体験をきっかけに、特に沖縄において(沖縄に限りませんが)、転売目的でホテル事業に大量の資本が投下され、いわゆる資本の論理に翻弄されることで、事業の現場と従業員がとても傷つき続けている現状(ホテルに限りませんが)をいかにしたら改善できるのかということについて考え続けています。現時点における私の結論は、少なくとも資本を軸とした「再生」は答えではないということであり、それが上場資本であっても、プライベートエクイティであっても、資本の論理に基づく「事業再生」は、そもそも構造矛盾を抱えているという認識に至っています。転売によるエグジットは資本家にとっての「成功」なのかも知れませんが(もっとも、そのような事例すら沖縄には殆ど存在しません)、より高い簿価で売却されたホテルは、その翌日から更に高い資本回収額を、同じ事業から賄う必要が生じるため、資本家が「成功」すればするほど、更なる資本回収資金捻出のために人件費が削減され、正社員が自給680円のパートタイマーに置き換えられ、組織のモラルが低下し、従業員の生活が不安定になり、現場が傷み、事業の質が低下するという悪循環に陥り、沖縄の観光産業全体に著しい質の低下を招いています。

「思いやり」を事業の「目的」にした現場で、幸福そうに見えたサンマリーナホテルの社員の殆どは、次の資本家の経営に代わってからことごとく(実質的に)解雇されました。5年経った今でも皆どうしているかとよく考えることがあります。・・・しかしながら、社会を生態系に見立てると、殆どの場合目の前の症状に原因はありません。特定の資本家を批判することは簡単ですが、これが他のファンドや投資会社であったとしても、事情は殆ど変わらなかったでしょう。私も過去資本の論理に基づいて行動してきた経験上、彼らがそうしなければならないと考える理由もはっきりと理解できるからです。

私たちができること
この現状に対抗するための有力な策として、私は、資本の論理の弊害から事業を切り離すために、最小限の資本か、可能であれば資本なしで事業再生を行うべき、と考えています。この発想は一見突飛なようではありますが、例えば、破綻に瀕して資本が大きく毀損している事業を債務負担付で買取る機会を伺い、最小限の資本コストで事業を支える条件を整えた上で事業再生を行うことなどで可能であり、金融的にも決して特別なことではありません。そして、このような「ゼロコスト事業再生」を、沖縄における旗艦事業で実現することで、地域全体への最大波及効果を目指す戦略が有効であろうと思います。

そして、その旗艦事業とは、リゾートではなく、むしろ南西航空(現JTA:日本トランスオーシャン航空)であろうと考えます。幸いに、というべきでしょうか、おおよそ150億円±の債務を有するJTAは、企業価値(時価)が債務総額と大きく乖離しておらず、現在のタイミングであれば最小限の資本によって、破綻に瀕しているJALから、51%超の株式の取得が可能ですし、例えばですが、その株式を那覇空港ビルディング株式会社が取得することができれば、実質的な「ゼロコスト事業再生」のための重要な必要条件を備えることになります。・・・那覇空港ビルディングは第三セクターとして公共性が強い企業の代表格であり、本来県民の会社そのものでもあり、創業以来無配でもあり、実質的に「ゼロコストの資本家」としてのユニークな役割を果すことができるからです。この資本を備え、人間中心の事業再生を実現し、事業収益を従業員と顧客と地域に再分配、さらに利益を配当ではなく事業の質を高めるために再投資し続けることが、沖縄の自立と日本の観光産業の成長へ何よりも寄与すると思います。

【2010.4.9 樋口耕太郎】

*(1) もちろん、素晴らしい面がまだまだ存在する沖縄ですが、ここでは論点を明確にするために敢えて赤裸々な表現を用いることにします。

*(2) 沖縄は1972年の本土復帰以来38年間、本土から8兆円を超える財政補助をはじめ有形無形の援助を受け続け、その財務的な依存状態はもちろん、精神的な自立心を完全に失ってしまったかのようです。県の歳出6,000億円のうち、県税で賄われているのは僅か1,000億円。沖縄振興特別措置法によって、道路工事や公共工事の90%(±)は国からの補助で賄われるために、島はコンクリートの塊と化して、観光資源そのものを破壊し続けています。沖縄県の特殊な県政は、国家を巻き込んだ政治行政の構造問題であり、本稿の範囲を超えます。沖縄県政についての議論は、こちらを参照ください。

*(3) 以下、いずれも推定概算値です。

新年明けましておめでとうございます。

予期せぬ巡り会わせで、沖縄県行政改革懇話会の5名の専門委員の一人に推薦頂き、昨年8月から沖縄県の行政改革の現場に参加させて頂いています。懇話会という組織自体は法的拘束力を発揮するものではありませんので、専門委員の意見が直接県政に反映されるとは全く限らないのですが、少なくとも私個人的には、沖縄の県政・財政全般に関する膨大な資料を詳細に拝見し、10回にわたる専門委員会での検討を通じて、県政のほぼ全貌を理解する最高の機会であったこと、そして、県政の現状分析、根源的な理念に関する議論、次世代沖縄社会のビジョンなど、沖縄県総務部の中核組織である行政改革課に対して自分の思うところを率直にお伝えする機会を頂いた、という大きな意義がありました。

今後どのような事業計画を実現するにせよ、それが社会をよりよくするという目的を果すためには、社会の現状に大きな影響を与えている行政を深く理解することが欠かせませんし、それ以前に、毎回の専門委員会の前に行政改革課事務局の方々から送付されてくる大量の資料はどれも興味深いものばかりで、あれこれ考えながら事細かく読み砕く作業と、専門委員会での議論の時間を毎回相当楽しみにしているところです(2010年1月21日の第10回専門委員会が最終回です)。

沖縄県に(沖縄県に限りませんが)行政改革が必要な最大の理由は、「お金がない」ということですが、それは表面的な問題に過ぎません。沖縄は1972年の本土復帰以来38年間、本土から8兆円を超える財政補助をはじめ有形無形の援助を受け続け、その財務的な依存状態はもちろん、精神的な自立心を完全に失ってしまったかのようです。県の歳出6,000億円のうち、県税で賄われているのは僅か1,000億円。沖縄振興特別措置法によって、道路工事や公共工事の90%(±)は国からの補助で賄われるために、島はコンクリートの塊と化して、観光資源そのものを破壊し続けています。更に、今後年間数100億円の規模で財源不足に陥ることがほぼ確実ですが、これはひいては日本にとっての重大問題でもあります。日本の財政の現状を考えると、これまでのような財政的援助は持続不可能である中、今の沖縄の財政状態、精神状態のまま、本土からの補助が大幅に削減される事態になれば、最悪の場合は国政・防衛を巻き込んだ問題に発展しかねません。これを避けるためには、極めてまっとうに、沖縄が財政的に自立する、そしてそのために始めの一歩を踏み出す、以外の方法はありません。

行政改革のような思い切ったコストカットに際しては、単に数字を議論するのではなく、われわれはどのような社会を望むかという基本理念と、そしてなによりも愛が必要だと思います。以下は、このような考え方に基づき、私なりの「行政改革に対する私個人の基本理念」をまとめ、専門委員と事務局の方々に送付したメール(2009年8月19日)からの抜粋です。

先日、「『新たな行政改革プランの基本理念、指針、基本方針』を検討するための基本観」に関してのコメントをご送付し、我々が取り組もうとしている行政改革は、そもそも何のためなのか、我々はどのような社会を構築したいのか、というビジョンを明確にすることで、各推進項目の個別検討・対応の際の、判断の「ものさし」を持つことができるのではないか、という趣旨を申し上げました。

本日頂戴した第2回専門委員会資料における、「新たな行政改革プランの体系図(案)」、および、「21世紀ビジョンの中間取りまとめ(案)」を拝読し、専門委員会においては上記のような根源的議論に時間を費やすことがその運営上建設的ではないということを、今更ながらではありますが理解した次第です。

一方、・・・これは、したがって、私個人の考え方に過ぎませんが・・・、将来社会のビジョンを前提とせずに、何らかの意見を申し上げることは、特に行政改革において非効率であるという考え方に変わりはありません。そこで、私ができる最低限の作業として、私なりのビジョンを以下に簡単にまとめました。個人的なものであるため、専門委員会や事務局の皆さまや、その他の誰に対する意見、主張でないことはもちろん、これによって何らかの影響力を果たそうとも、皆様の意図に反する変化を生み出そうというものではありません。しかしながら、専門委員会における私の発言の大半はこの「ものさし」を前提としたものになるであろうため、その発言の根拠を明確にすることで、専門委員会の建設的な議論に、多少なりとも資することがあるのではないかと考えました。ご多忙中大変恐縮ですが、以上の趣旨にてご参照頂けると幸甚です。

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第一に、沖縄の自立を助けるものであること

沖縄の「自立」が議論されてから久しいのですが、多くの場合その具体的な意味は曖昧です。一般的には経済的な自立と解する人が少なくないと思いますが、それが仮に、特措法に基づく補助金なしで県政を成立たせるということであっても、自主財源比率を例えば全国平均並みにするということであっても、まして、県税で歳出を賄うということであっても、現実的な目標にはなり得ません。辛うじて、県債を発行せずに歳出を賄うことなどは、可能と言える水準の目標なのかも知れませんが、それとても、地方交付税や国庫支出金に大きく依存する枠組みは変わりません。

この事実から明らかなことは、逆説的ですが、我々が「自立」を目指すのであれば、それは財政的なものではなく(そもそも直ぐには不可能ですので)、まずは我々の事業精神にこそあるべきであり、それは、他者に依存しない産業・事業を生みだす心構えと行動を意味します。

一方、現在の沖縄経済は、実質的に四つの産業・事業モデルしか存在しないように見えます。デフォルメによって論点をはっきりさせるために敢えて赤裸々な表現を使用すると、①補助金なしでは存続し得ない「要介護」事業(製糖・ビールなど)、②消費者にコスト転嫁が容易な規制・独占業種(製鉄・電力など)、③自分のノウハウを持たない経営不在型・他者依存型事業(フランチャイズや提携事業など)、④低品質高価格の「ぼったくり型」事業(少なからず一部のみやげ物、県産品など)。

特に③については、フランチャイズ事業に限らず、本土金融と資本に依存し本土広告代理店がプロデュースするリゾート開発など、沖縄の基幹産業・事業において顕著です。自分の事業を切り開くという意識と自信と意欲が希薄なためか、沖縄県内からノウハウと人材が輩出されず、沖縄に留まらず、沖縄で活かされない現状が生まれています。我々には何が欠けているか、これを打破するために何ができるか、何をすべきか、に正面から向き合うことが課題です。

第二に、観光地としての質を高めるものであること

上記④(低品質高価格事業)は典型的に、世の中に普通に存在する原材料に「沖縄」のブランドを付して、質の低い高額品を観光客や本土消費者に販売する、「ぼったくり型」とも言うべき事業モデルですが、より広義には、県産品やみやげ物に限らず、例えば、価格に到底見合わない品質の食事、夏のハイシーズンに法外なほど高騰する宿泊価格、リゾート地に似つかわしくない雑然とした町並み、日没の1時間以上前から遊泳禁止になるビーチ、広大なビーチにほんの僅かしか設定されない遊泳区域、なかなか改善しない道路標識の分かり難さ、何度も議論されている台風足止め客への対応など、多くのリゾートや行政などのサービス産業においても少なからず顕著といえます。

この問題においても、上記と同様、問題の根源はその現象にはなく、それを実現たらしめている我々の意識の中に存在するのではないでしょうか。我々が向き合うべき課題とは、第一に、地元県民や従業員が、自分自身あるいは自分の家族のために利用したいと思えるものを顧客に提供する心と、それに基づく行動であり、そして第二に、(我々らしくないものを)売れるから売るのではなく、それが一見地味なものであっても借り物ではない自分らしさを純粋に追求する精神だと考えます。・・・私のお気に入りの事例は、北海道旭川市の旭山動物園です。旭山動物園のヒーローはどこにでもいるアザラシやペンギンなど、なんの変哲もない地元の動物たちですが、飼育係の人たちが野生の動物たちの凄みに心底触れて、それを顧客に如何に伝えるかを何年も考え続けた結果として、いまや世界的に有名になった「行動展示」の形態が生まれます。うちなんちゅにとってはひょっとしたら何の変哲もない「沖縄的なもの」に向き合い、それに再び光をあてることで、世界に二つとない観光資源を生み出すことは、どこよりも恵まれた沖縄にとってそれ程難しいことではないと思います。

第三に、沖縄以外の人々へ奉仕するものであること

沖縄は復帰以来、本土から「してもらうこと」に大きな関心を持ち続けてきました。誰に対しても「沖縄のため」が合言葉になり、どれだけ顧客が沖縄で「お金を落とす」か、という発想を頻繁に耳にします。皮肉なことに、人でも会社でも地域でも、その持続的な成功は、「してもらうこと」によってではなく、「してあげること」によってのみ実現するものであり、これが沖縄の自立を長らく阻んできた最大の原因ではないかと思います。

また、観光地として成功するための必要条件は、①継続的な質の向上と、②顧客に対する誠意と奉仕であり、この意味でも、「沖縄の以外の人々に対して我々は何ができるか」、という発想なしに沖縄の将来を豊かにすることはできないと思います。

第四に、隠し事がなく、本質的な矛盾がなく、正直なリーダーシップによる事業であること

行政に限らず、組織運営においては、それが大きなものであるほど「組織」や「仕組み」が実体として捉えられがちですが、どのようにして選抜された、どのような人格を持つ、誰が、どのような環境で実行するか、ということの方が現実的にはよほど重要です。また、リーダーの選別に当たって、有能な不正直者はその有能さが裏目に出ることが余りに多いため、世の中で広く信じられているほど必ずしも効率的な人事にはならないという印象です。事業運営においては正直で誠意あるリーダーの存在が何よりも(しくみよりも)重要だと思います。具体的には、我々が事業の在り方を考えるとき、その事業を運営する上で最も誠実な人財は誰か?「この人に任せて、ダメだったら仕方がない」、と県民が思えるリーダーは誰か?という観点をなによりも優先するということです。

以上を担保するために、隠し事のない情報と、本質的矛盾のない議論の枠組みが不可欠です。例えば、ですが、「天下り人事」が問題の本質でありながら、事業の可否のみが議論されるような状態は、非効率であるだけでなく、行政改革において逆効果を生む決断の原因となりがちです。また、例えば、環境保全と産業振興など、根源的に両立が不可能なテーマについて、それぞれの具体的な対処を明確に定義せず、双方を同時に目標とするなどは、基本方針として全く機能しない可能性が高く、それこそ行政資源を無駄に費やすことになるでしょう。

第五に、人生の質を高めるものであること

本土経済が長い間追求してきたように、経済的な「量」を追い求めることは、沖縄には似つかわしくないもののように思えます。そもそも、沖縄が復帰以来追いかけてきた「本土並み」社会は、本土経済自体が行き詰まりつつある現在において、本当に目指す価値があるものかどうか疑問を感じ始めている人は、沖縄にも本土にも増え始めています。沖縄は本土経済とは異なる人生の質を実現することが可能な、日本で初めての地方中核社会になり得るのではないかと思います。

人生の質を追求する社会は、経済的に成功する社会と必ずしも矛盾しません。経済的に成長を遂げる方法は、量的な拡大と質的な向上の二種類存在しますが、量的な拡大を目指す本土的価値観に従って、例えば、現在のようなコールセンターやホテル業をいくら拡大しても、時給650円の臨時雇用者を増やすばかりで、社会の質が向上することはないでしょう。

質の高い人生の基礎となる、質の高い雇用を実現するためには、質の高い事業を生み出すことが不可欠ですが、それは正に、沖縄が自立し、観光地としての質を高め、他者に奉仕し、本質的な矛盾のない産業・事業を生みだすことによります。質の高い事業によって高い労働生産性を実現し、そのようにして生まれた生産性を、より高い収入のみならず労働形態や労働環境の質的向上に振り向けることによって相乗的に効果が生じます。

今年もよき年になりますように。

【2010.1.5 樋口耕太郎】

皆さま、本年は本当にお世話になりました。年の瀬のあわただしい時期を、いかがお過ごしでしょうか。それとも、大掃除やらご馳走の準備やら万端に整え、紅白歌合戦の開始を待つばかりでしょうか。

本日を持って、1990年のバブルの崩壊以降継続してきた、日本の「失われた20年」が終わりますが、日本の「衰退」はこれから本格化し、新たな試練の20年を迎えることになるでしょう。これまでの20年間はいわば「第一の経済(資本主義経済)」が生み出した金融型バブルの崩壊だと思うのですが、戦後65年継続してきた日本の社会・産業の基本構造は殆ど原型のまま残っています。この本丸の大転換が、昨年のサブプライム危機をきっかけとして、ようやく緒に就いたばかりと言えるでしょう。

私は社会の変動を予想するときには、常に、自分自身の生き方を定め、事業計画を構築し、実行する目的で行っています。すなわち、この想定によって事業の方向性を定め、大量の資本を含む、経営資源を投下する(してきた)という意味でもあるため、自分なりのベストを尽くした調査、分析、思考と根拠に基づく戦略的社会・経済分析であり、私にとっては単純な市場予測以上の意味があるのですが、少なくとも過去15年間、重要な点においてこれらの想定が外れたことはありません(これからはどうでしょう?)。その前提で、新たな20年を迎える区切りのときに際して、今後5年間+αをイメージして私が予測する社会変動のポイントをご紹介しようと思います。・・・『次世代金融講座』でも申し上げていることですが・・・、将来の予測は、人が「馬鹿げている」と感じるくらいのものでなければ、殆ど実現しません。

①2012年~2015年を目処に、アメリカを基点に激しいインフレーションが生じ、世界基軸通貨ドルが実質的に崩壊する。日本でも財政悪化による金融不安を心配する向きがありますが、私はドルの方がよほど大きく、早く問題になると思います。

②同じく、2012年~2015年以降、基軸通貨とアメリカ経済の混乱を主因として、沖縄の基地問題が基本的に解消する。すなわち、嘉手納を含む米軍の大半が沖縄から撤収するという意味です。

③同じく、2012年~2015年以降、ドルの崩壊に伴って日本円が機能不全を起こすため、地域ブロック経済の重要性が著しく見直され、地域通貨が流通し始める。

④「第一の経済(資本主義)」を支える世界基軸通貨ドルが力を失い、「第二の経済」の社会モデルが急速に見直される。沖縄の世紀が急速に顕在化するという意味です。

いつもながら、大半の人に笑われそうな内容に聞こえるとは思いますが、少なくとも私自身は大真面目です。いつもの通り、以上は、これからの社会がこうなると占っているわけでも、この予測が正しいという意味でもなく、私はこの前提で自分の事業と行動を考えているという意味です。この予想が実現するかどうかということもさることながら、より重要な点は、このような社会変動が仮に生じた場合、我々沖縄に何ができるかということでしょう。

すなわち、例えば、「基地反対」と声を上げるよりも、基地が全面的に返還された場合、我々はその資源を社会のためにどのように生かすか、というビジョン作りをとても急ぐべきですし(短絡的かつ既に世界的な潮流に合わないカジノや、「おもろまち」「豊崎」・・・の量産は避けたいものです)、「第一の経済」からいかに取り分を確保するかに多大な労力を割くよりも、「周回遅れの沖縄」が日本と世界をリードする力を持っているという事実に気づき、沖縄が世界の誰よりも潜在力を発揮する「第二の経済」と、その前提となる自らの行動、生き方、人間関係を見つめなおすべきではないでしょうか。我々にはまだ2・3年の猶予があります。

沖縄の世紀が始まる大晦日。皆さま、良い世紀をお迎え下さい。

【2009.12.31 樋口耕太郎】

雑誌『沖縄に住む』に、樋口が沖縄観光事業についてのコラムを連載寄稿(5回シリーズ:「沖縄リゾート産業へのヒント」「従業員は知っている」「海の家」「質の時代」「沖縄的金融」)しています。

現在の沖縄は、今後日本(および東アジア?)の観光地としての地位を確立するか、一時の景気に胡坐をかいて凋落していった日本各地の観光名所の道筋を辿るかの分岐点を迎えていると思うのですが(僕には後者に傾きかかっているように見えます)、県政や観光業界を含め、殆どの人たちにそのような認識はないようです。今後の沖縄の観光産業の転換に有効な4つのポイントを紹介します。

コラムの構成となっている、沖縄が採るべき4つのポイントは、第一に、借り物の施設やスタイルではなく、沖縄らしさを活かすこと。象徴的な例は、海が最高にきれいなはずの沖縄で、余計なものに遮られずに海を横目で見ながらドライブできる海岸道路がこれほど少なかったり(延々と連なる醜いコンクリートの壁と視界にうるさいフェンスはどうにかならないのでしょうか)、ビーチの遊泳区域が砂浜のほんの一部にしか設定されていないことを見るたびに、夏の沖縄を楽しみに来る観光客が気の毒だなぁと思います。第二に、沖縄地元人が沖縄の観光施設をあまり利用しないのは、値段に値するだけの価値がないことを知っているからです。施設の実体をいちばん良く知っている従業員や地元の人たちが喜んで利用したくなる施設や事業運営を行うこと。好調な観光地では典型的にこの現象が生じますが、売上に目がくらんだり、一時期の人気に胡坐をかいて、本当に良いものを提供するという当たり前のことを当たり前に実行する人や企業が少なくなっている印象を受けるのは由々しきことです。第三に、夏のお客様だけに頼った非効率な産業構造を修正し、お客様の数を追いかけるよりもお迎えするサービスの質を見直し、来訪者の季節平準化を目指すべきでしょう。沖縄は長い間夏に偏重した売り方を続けているため、沖縄のリゾートホテルの多くは夏の3ヶ月しか利益が出ないほど産業構造がゆがんでしまいました。結果として、現在の沖縄へのお客様は、大掴みに三種類:夏の3ヶ月に訪れる夏の沖縄のお客様、週末にいらっしゃる2泊3日のお客様、修学旅行生、しか存在しない状態です。ゆったりできる1週間の休暇の目的地としての沖縄は既にお客様の選択肢からはずれているのです。現在のように観光客の季節変動が大きすぎると、どうしても島全体が「海の家」状態となり、一見さん相手の一発商売(「ぼったくり」とも言いますが)の傾向が強まり悪循環を生み出しています。反面、来訪者の季節平準化を行う方が、ハイシーズンの顧客数と単価を増加させるよりも、よほど地域の収益に寄与しますし、顧客の負担も減り、環境にも圧倒的に優しい政策となるでしょう。第四に、観光地の質の変化が最も顕著に現れる統計は、観光客の一人当たり平均滞在日数であり、観光政策にとって来訪者数や観光収入よりも重要な指標だと思うのですが、沖縄に訪れる観光客の平均滞在日数は、過去30年間一貫して低下し続けています。なぜ「もう一泊して行きたい」と思う人の数がこれほどの長期間にわたって減り続けているのか原因を理解し、お客様が「もう一日滞在したい」と思える環境を整備することが何よりも重要だと思います。

沖縄が「観光立県」を目指す意思が本当にあるならば、来訪者数の数値目標や新たなエンターテイメント施設の誘致やハコモノ建設に注力するのではなく、上記4点を戦略の柱に定め、これを実行する上で有効なハードは何か、という順番で物事を考えることが非常に効果的です。しかしながら、現実は、県政、第三セクター、観光業界が率先して上記の問題を生み出しているように思えます。