本日沖縄タイムスに私のインタビューを基にした記事を掲載頂いた。経済部の座安記者は、長時間にわたる私の複雑な話を本当にうまくまとめて下さった。

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おおよそ10年に一度、沖縄に津波のように押し寄せる投資バブルが、昨年あたりから再来している。今回の波は、2005年〜2007年のファンドバブル以来。

日米で長らく金融事業に関わってきたが、その間もっとも重要視してきたことのひとつは、「金融とは事業の黒子であるべき」ということ。社会は人が作り上げる事業によって支えられている。人が生み出す本質的な事業価値のために力を貸す、金融は「ブースター」として存在するべきであり、車の舵取りとメインエン ジンはあくまで事業者のものだ。

逆説的だが、金融が「ナンバー2」に徹することで、金融収益も最大化するというのが私の考え方だ。これまでその哲学を貫くことで大きな金融収益が生まれる経験を何度もしてきたし、その度に確信を強めてきた。

ところが、1995年頃からだったと思うが、資本市場を中心に、金融が事業をコントロールし始め、事業はどんどん持続性を失っている。特に2000年を超える頃から、事業会社でも、不動産でも、開発案件でも、資本市場や金融ファンドが社会に大きな影響力を与えるようになった。金融主導で事業が設計され、商品が作られ、従業員が雇用される。こんな社会に持続性はないと思うのだが、この傾向はいまのところ拡大する一方で、それに呼応するように社会の歪みが次々 と顕在化している。

日本において、そして沖縄において、2000年頃を境に生活保護者が急増しているのは、このことと無関係ではないと私は(密かに)考えている。

【樋口耕太郎】