今までの議論を前提に、リーダーの唯一の役割が「人の役に立つ」ことだとして、どうすれば「人の役に立つ」ことができるのでしょう。この難しさであり面白さは、第一に、「人の役に立つか」どうかは、その「行為」で定義することが困難だということでしょう。例えば、ある人が事業に窮しているとき、資本を無償で提供する「行為」は同じでも、その経営者と事業を真に助けるかも知れませんし、会社を根本的にダメにしてしまうかも知れません。そして、第二に、(目先の)利害を提供することや、(見かけの)問題解決を手助けすることが、必ずしも「人の役に立つ」こととは限らないという点です。宝くじで大当たりした人の大半が「不幸」になると言われますが、同様に、補助金を大量に受け取る産業や自治体は、栄えるどころか自立する力を失って財務的に弱体化するだけでなく、文化的・社会的な質の低下を招く傾向が強いような気がします。

「人の役に立つ」ということ
何が「人の役に立つ」かは、行為によるよりもその動機と行動原則とによって定義する方が機能的かも知れません。トリニティ経営のフレームワークでは、人間関係の接点において、「いま、愛ならなにをするだろうか?」を自分に問いながら行動を選択するということ、すなわち、①うそをついたり隠し事をしない、②誰にも一切要求せず、皆のあるがままを受入れて裁かない、③ありのままの自分でいながら、人のためになることを、できることから実行する、という行動原則で人と接することが、最も「人の役に立つ」と解釈します。単純に考えても、愛をもって人と接するときに最も人の役に立つのは当然のことでしょう。愛をもって接する人が最も人の役に立ち、人の役に立つことがリーダーとしての唯一の役割であり、リーダーは愛の行動原則のみによって選別され、この行動原則と事業の目的と経営理念が三位一体を構成する経営構造は、非常にシンプルかつパワフルです。

「人の役に立つ」ということの意味を愛の行動原則で定義するということは、結果を手放すということでもあり、経営者にとっては、人の役に立とうとする従業員の具体的な行為よりも、その行為の前提となる行動原則とプロセスを優先するという概念に繋がります。このため、「いま、愛ならなにをするだろうか?」という原則に基づいて、どのような「行為」が「人の役に立つ」のかという具体的な判断は各従業員の自由に委ねられ、それが結果として「誤った」判断であったとしても尊重されることになります。この発想において、「人の役に立つ」ということの意味は、愛の原則を現実の人間関係に適用する思考錯誤と試行錯誤という自由なプロセスを含むことになります。個々人の自由なプロセスを理論として一般化することはできませんので、次善の策として、僕個人の試行錯誤の事例をお伝えしようと思います。個人的な事例ですので、これが正しいとも、唯一の方法だとも、まして模範事例だという意味でもありません。以下は、ホテル経営者という立場で最大限「人の役に立つ」ということはなんだろう、という個人的な解釈であり、その解釈に基づく試行錯誤の具体事例です。思い返してみると、僕がサンマリーナにおいて行った(行おうとした)経営行為の全ては、突き詰めると以下の四点に集約すると思います。

1. 不安を取り除く、愛を伝える
米国で出版され、スピリチュアルな知識層を中心に多大な影響を与えて続けている『A Course in Miracles』(邦訳未刊)によると、人間の感情を突き詰めていくと「愛」と「怖れ」の二つしかなく、「愛」とは全ての人がもって生まれたもの、「怖れ」とは人間の頭で創りあげたものだということです。「怖れ」とは「愛」の存在が感じられていない状態のことだともいっています。ある研究によると、人間の精神的なメカニズムは、ポジティブな感情とネガティブな感情を同時にもつことができないとされています。仮にこれらの原理の通りだとすると、従業員の怖れを取り除くことができれば、愛の行動原則はより効果的に機能する筈で、実際サンマリーナではその通りになりました。

サンマリーナでのあるパートさんとの面接での会話です。パートといってもサンマリーナでは勤続10年という方は珍しくなく、仕事の質は正社員となんら変わりありません。この方も60歳を過ぎて依然として現役で働いていらっしゃいました。詳しいことはあえてお聞きしませんでしたが、サンマリーナの近くにマンションを買われ、お一人で暮らしているとのことです。面接の中で、「私はいつまで働けるのでしょう」と質問されていました。パートのお給料で一人暮らしをされ、マンションを維持するのは楽なことではありません。年齢も60歳を越え将来のことがとても気にかかるのだとすぐわかりました。この方はご自身で車を運転なさらないので、実質的にサンマリーナ以外で働く人生を想定されていないことは明らかでした(沖縄のリゾート地域は公共交通機関の少ない土地柄です)。サンマリーナでパート職員の労働年齢に関する制限を撤廃したのは、この方との面接がきっかけでした。その方には、「サンマリーナでは74歳の方が現役で働いていらっしゃいます。つい最近72歳の嘱託の方を採用しました。このような方々が働いていらっしゃることは、サンマリーナにとってとても大きなプラスだと考えていますので、どなたでも働く意思をお持ちである限りにおいては、おいくつになるまででも働いていただいて全く構いません」とお伝えしました。

従業員の勤務意欲や創造性や主体性や責任感、ひいては生産性の向上に頭を悩ませる経営者は少なくありません。一般的な対応として、人事を見直したり、業務マニュアルを整備したり、事業目標を明確化して厳しく進捗管理をしたり、労務管理を強化したり、インセンティブを工夫したり、企業理念の浸透をはかったり、社員研修の導入・拡充など、それこそ莫大な時間と費用が費やされています。更に、「会社のため」「従業員自身のため」という題目で、従業員の不安をかきたて、危機感を醸成し、信賞必罰の恐怖によって厳しく規律を保つ経営者が「切れ者」とされていたり、「従業員を安心させるため」に、事業の実体を隠すことが「誠意」と考えている経営者がむしろ一般的です。経営者自身が自覚しているか否かに関わらず、これらは経営者の個人的な怖れを従業員に転嫁する行為であり、皮肉なことに、従業員の怖れを取り除く行為とは正反対です。従業員を最大限活かすためには、従業員の不安を取り除くことの方が遥かに効果的で、従業員の不安がなくなれば、何の指示や管理もなく自主的かつ効率的な活動が組織の各所で勝手に生まれるだけでなく、費用も比較にならないほど安価(ほぼゼロ)です。人は自分の在るがままを受け入れてくれる環境では恐れを抱きにくいため、従業員を受け入れて不安を取り除くことができるリーダーは非常に機能的と言えるのです。

2. 心からしたいことのために「背中を押す」

エリート君は、人生の様々な局面において、「それをしなければならないから」、あるいは「それができるから」、という理由で常に物事を選択してきました。…徹夜でこれを仕上げなければならない、日曜日に出勤しなければならない、この商品をこの顧客に売らなければならない、明日は買い物に行かなればならない…。それらが本当にしなければならないことだったかと誰かに聞かれたとしても、今まではあまり考えたことがありませんでしたし、そんな現実味のないことは考えないようにしてきました。エリート君は、自分の偏差値で合格できるからという理由で一流大学を志望校とし、自分の学歴で入社できるからという理由で大手会社に就職を決め、自分に振り向いてくれるからという理由で家柄の良いお嬢さんと結婚を決めました。長年の働きづめが祟り、厄年に大病をして長期療養を余儀なくされたエリート君は、自分の人生を振り返る最高の機会を得、人生半ばにして、実は今までの人生において、自分が心からしたいことを殆ど選択せずに生きてきたことに気がついて愕然とします。

フォレスト・ガンプ君は、生まれつきちょっと頭の回転が遅いせいか、複雑に見える世の中の雑多な現象に細かく注意が回らないため、物事をとてもシンプルに考えることしかできません。自分が置かれた社会の現状や、人が「制約」「条件」と呼ぶ社会のルールがあまりよく理解できないため、いっそこれらを仮に完全に無視して(つまり、望めば全てが叶うという前提で)、自分が心からしたいことを考えることが大好きです。それが実現したらどのような気分になるかを想像すると毎日が楽しくなりますし、そもそも自分のしたいこと以外のことをする理由なんて、まるで思いつきません。徹夜してでも仕上げたい仕事に熱中し、日曜日にワクワクしながら出勤したくなる仕事を引き受け、自分のことを最も理解し最も信頼してくれる大事なお客様に是非買ってもらいたい、そして末永く使ってもらいたい商品を手作りし、どうしても買いに行きたい、一日も早く手に入れたいものがあれば喜んで買い物に出かけます。一度きりの青春時代を過ごしたいと閃いた大学に、その難易度も知らずに願書を出し、寝食を忘れて心から熱中できる仕事ができる会社の入社試験を受け、毎日のどの瞬間も一緒に過ごすことの幸せを感じる女性と一緒に暮らしています。

…エリート君もフォレスト・ガンプ君も同じ大学から同じ会社に入り同じような年恰好の女性と暮らし、外見は全く同じような人生に見えるのですが、実質的に全く異なる人生を歩んでいます。更に、この10年後にもう一度二人の人生を比べることができたら、外形的にも驚くほどの差になっていると誰でもが考えるのではないでしょうか。フォレスト・ガンプ君は生まれつき思考がシンプルなので、幸運で生産的な人生を送ることができるのですが、エリート君にとっては、したいことだけをするような人生は、何かいけないことのようで罪悪感を感じますし、誰に相談しても親切に「上司から目をつけられるぞ」「そんなリスクはとるな」「理想で飯が食えるか」「痛い思いをしないうちにやめておけ」「今の生活のどこが不満なのか」「経験もないお前にできるはずがない」とアドバイスされることばかりです。エリート君に限らず、人生を一生懸命送っている多くの人にとって、自分の心からしたいことを選択するのはとても勇気がいるだけでなく、最も怖ろしいことのひとつで、そもそも自分の心に正直に生きるなど、到底不可能だと考えるのがむしろ普通でしょう。それでも、どんなに小さなことでも、自分が心からしたいことを選択したいと思う人生の局面は、ひとそれぞれにやって来るものです。その瞬間、少しの勇気を出して一歩を踏み出すときに、その人の背中をそっと押してあげることができたら、その人の依存心を強めるのではなく、自立を助ける方法で支えることができたら、自分が心からしたいことを選択してもいいんだと応援してあげられたら、その人の人生のクオリティが大きく向上する手助けができるのではないでしょうか。

僕が経営を担当した当初のサンマリーナでは、カラオケルームを改装した本当に狭い場所を、エステサロンを経営する個人事業主に賃貸していました。「大手経営」のリゾートホテルと小さな個人事業主という立場の違いもあってか、彼女はホテルに相当遠慮気味ではありましたが、リゾートホテルのスパブームがはっきりしてきた時期でもあり、是非業態を拡大したいと申し出てきました。彼女のイメージは、もう一部屋スペースを増やしたい、というくらいだったと思います。僕が彼女に伝えたメッセージは、「まずは、改装・新築の費用や契約条件などの一切を忘れて下さい。自分がサンマリーナホテルのオーナーになって、1.8万坪の敷地と施設の全てを自由にできるつもりで、また、人材を含めて必要なサポートがホテルから十分に受けられるという前提で、自分が心から実行してみたいプランを提案して下さい」というものでした。その結果には驚かされました。彼女が提案してくれたプランは、一部に修正は必要だったものの、基本的には、僕を含め、社員は誰も気が付かなかった、しかし言われてみると最高のロケーションを発掘し、ホテル全体との事業バランスも良く、改装コストも実に効率的なものだったのです。まして、彼女は改装プランの作成・見積り、ホテル運営、事業計画の作成などに関しては全くの素人でありながら、本質的なプランを直感する力を証明してみせたのです。

その後間もなく、ほぼ彼女のプランどおりのスパを開業しましたが、仕上がりの良さに比較して、初期投資があまりに小額で済んだため、あっという間の資金回収が完了し、現在このプロジェクトに関する投資利回りは、恐らく年率100%を優に超える水準になっているのではないかと思います。しかし、事業投資の水準よりも何よりも、このプロジェクトが生んだ効果は、第一に、彼女の心からしたいことの少なくとも一部を引き出し、彼女の潜在的な可能性を形にすることができたこと、第二に、彼女との契約はホテルにとっては「社外の業者さん」との取引にあたりますが、「ホテルの経営から比較的「遠い」彼女のような立場であっても、心からしたいことを優先することで、資本の提供を含めた経営的な手助けが実現する。まして社員の提案であればどれだけのサポートが実現するだろうか」、というメッセージを全社員に伝える機会が生まれた点です。これらの効果ははっきり形に現れるものではありませんが、僕の実感としては社員の勇気を後押しするという意味で、相当効果のあったもののひとつです。また、このプロジェクトにおいて、もう一つ重要な点は、彼女との賃貸借契約の条件を以前よりも厳しくし、不用意に彼女の依存心を造成しない、しかし彼女にとっても結果として大きくメリットが生まれる内容に改定した点です。ホテル側が資本を投下するということの経済的な意味は、実質的に彼女に対して現金を手渡すことと同等です。確かに彼女のプランは光るものでしたが、プロの仕事としては非常に未熟でしたし、ホテル側からの人的サポートや、プロジェクトを公開コンペにしなかったこと自体もホテルが彼女に提供した無形の大きなメリットです。このような状態で単に彼女に「現金を渡す」契約内容を実行するだけでは、彼女にとって「たまたまの幸運な出来事」で終わってしまい、彼女の事業を強くすることにはなりません。反面、「この機を利用してホテル側により有利な条件に改定する」、というような意志は全くありませんでしたし、それどころか、如何にして彼女の依存心を育てずに最大限利益を提供できるか、ということしか考えていませんでしたので、このバランスをどのように取るか、厳しい条件を彼女に提示しながら彼女との信頼関係をどのように維持するか、そして、それを具体的な契約内容にどのように落とし込むか、という点が最もテクニカルかつ重要な点だったと思います。

3. 真実を語る機会を提供する
僕の個人的な経験ですので、業界の傾向として一般化できるとは限らないのですが、沖縄で、300人を超える従業員を擁する2件のホテル経営に携わることになり、それまで金融業しか知らなかった新米経営者(僕)がホテル業界で直面した現実は、ホテルという職場は意外に「犯罪」が多いということ、更に組織内でそのことがそれ程大きな問題とされていないことに驚きました。社内備品・食材の私物化や横流し、記帳を伴わない社員の飲食などは「犯罪」という認識すらないようでしたし、社員によるロッカー・寮・自販機荒らしや置き引きなどは可愛らしい方で、在庫の虚偽報告と事実上の粉飾記帳、仕入れ業者との癒着やリベートのやり取り、中には役職員が関連するトンネル会社からの大量仕入れや業務発注など…。僕の感覚ではこれだけの情熱を仕事に向ければよほど簡単に成功するだろうと思えるのですが、人それぞれ感じ方は異なるようです。(もっとも、業界ごとのコンプライアンスが整備されるまでは、どの分野においても似たような経緯を辿っているため、ホテル業界がそれ程特別とは言えません。今でこそ投資銀行と言われるかつての「株屋」も、利益相反、無断売買、損失補填、インサイダー取引などは日常的な出来事でしたし(バブルの頃までインサイダー取引は合法でした)、消費者金融業界の過剰貸し込み・過剰取立て、不動産業界の荒っぽさから比べると、むしろ相当穏やかな業界といえるかも知れません。)

その中でも非常に軽微な出来事でしたが、ホテルでアルバイトをしていた高校生2人がゲームセンターの小銭を盗んだという「事件」がありました。行為の一部始終が防犯カメラに写っていたので犯人はすぐ特定されましたが、本人と会話をする前にどのように対処すべきかの相談を含め、現場から報告がありました。「犯罪」という基準からすれば軽微なものかも知れませんが、高校生という年齢を考えると、この出来事においてホテルが彼らに伝えるメッセージは、彼らにとっては社会からのメッセージとほぼ同義であり、彼らが社会というものに対して、今後長期間持ち続けるであろう基本的な認識を強く規定する重要なメッセージになると感じました。この件に限りませんが、僕がサンマリーナで自覚的に選択する行動の全てにおいて最も重要視した点は、「その行動によってどのようなメッセージを伝えたいか」を明確にすることであり、 メッセージの伝達を何よりも重要視し、メッセージと矛盾しない対処を行うことです。このケースにおいてもまず考えたのは、僕は、すなわち、彼らの目から見た「社会」を代表するものとして、彼らにどのようなメッセージを送りたいか、ということです。 (i)犯罪の局面においても(すなわち無条件に)彼らを愛し、常に贈り物を用意する者が社会のどこかに存在する、 (ii)正直に告白する勇気と、自分の行為の結果と責任を受け入れる覚悟が人生を豊かにする、というメッセージを託し、これを最も効果的に伝えるために、彼らとどのように向き合えばいいかという、具体的な対処を決めます。(i)のメッセージを伝えるためには、会社の彼らに対する対処自体が、彼らへの具体的な贈り物であることが好ましいのですが、僕は、可能であれば、この機会を通じて彼らに「正直に告白する機会と勇気」をプレゼントできないかと考えました。もし、この機会を通じて彼らが自分たちの行為を正直に告白する勇気を発揮することができたら、彼らの今後の人生がとても豊かなものになるかも知れない(『トリニティのリーダーシップ論《その6》』参照下さい)と思えたのです。ですから、呼び出していきなり防犯カメラを見せ追求するのではなく、正直に働くということについて彼らと話し合う中で、彼らが自分から告白するための、僅かな瞬間を贈ることを担当者に提案しました。もちろん、その贈り物を彼らが受け取るかどうか(すなわち告白の勇気を実行するかどうか)は彼らの自由な選択です。なお、以上は世の中で一般的に言う「自白を促す」というニュアンスのものとは根本的に異なるものです。両者はほんの僅かな違いのようですが、この機会を単に「自白をすれば罪が軽減される」という趣旨のものにしてしまえば、「社会は常に取引をする場所である」ということが彼らへのメッセージになってしまいます。

4. 人を育てる
以上の3点は試行済みの事例ですが、4点目は現時点で実現半ばのテーマです。僕は、経営者としての最大の成果は「どれだけ多くの優れた経営者を育てたか」で計測されると思っています。リーダーの仕事は「人の役に立つこと」ですが、この中でも最高のマスターは、最も多くの部下が追随する者ではなく、最も多くのマスターを育てる者であり、より多くの人を自立させることであり、自分が存在しなくても成長し続ける組織を作ることであり、更に、これらが短期間で実現するほど優れた仕事なのです。言葉を変えると「リーダーの究極の目的は、自分自身を、組織において一刻も早く無価値にすること」、とも言えるのです。最も大きなものを捨てることができるマスターが最も機能的な経営者である、という所以です(『トリニティのリーダーシップ論《その7》』参照下さい)。リーダーシップをこのように理解すると、優れたリーダーほどとても損な役回りだと思う人が大半かも知れません。しかし、これを実行できるマスターは、育てた組織を手放すことで、誰よりも恵まれた大きな機会と幸せが自分に訪れることを疑いませんし、実際その通りになるものです。

「経営者やリーダーを育てる」ことは、組織全体の人事から独立した作業ではなく、結局社員全員の役に立とうとする試みの中から効率的に生じるような気がします。経営者を育てる最良の方法は、全ての社員の成長のために力を尽くすという、一見迂遠な作業なのですが、実はこの作業こそが経営者の最大の楽しみのひとつであり、人間関係の最高の醍醐味を味わえるプロセスではないかと感じます。従業員一人ひとりに将来の可能性を見出し、埋もれた人材に光を当てる「人材発掘」は、僕にとって経営の最大の楽しみのひとつです。サンマリーナでは、通常の人事とは別に「人材発掘会議」を計画していました。従業員一人ひとりの個性を思い出し、その人の長所を探し、現在とは違った業務や役割を担った姿を想像しながら、新たな責任分野の可能性を探る作業です。この作業の第一のポイントは、現在の人物イメージを当てはめるのではなく、(それが空想であっても)今までとは全く異なった水準の潜在能力を発揮した姿を頭の中でイメージし、それが現実に起こりうるかどうかを頭の中で検証していく、非常に創造的なプロセスである点で、これはとても効果がありました。本人も気がついていない、新たな水準まで成長した本人像を想像(創造)し、そのイメージに沿った登用をするとき、人事は退屈な管理業務から非常に創造的な、驚きと感動を伴ったイベントになるのだと思いました。第二のポイントは、一人ひとりの従業員の人間性を理解する努力です。人は自分のことを理解してくれる人のためには大きな力を発揮できるものです。すなわち、人を理解することは人に力を与えるということであり、経営者が従業員を理解するという行為そのものが、従業員一人ひとりの力になる最良の方法のひとつだと思います。特に、正直でありながら社会の成果主義人事に迎合できずに傷ついている人材、能力がありながら保守的な価値観に押しつぶされて自信を失っている人材、「要領の良い仕事」よりも「実質的な仕事」を優先してきたために人事的に取り残されている人材などに光を当て、本人が見違えるほどに息を吹き返す姿を見る楽しみは最高ですし、同時にそれらの人材が光を取り戻す姿を見て、周囲の人たちやひいては組織全体が活力を取り戻す現象は、本当に感動的です。第三のポイントは、「繰り返し」です。サンマリーナでは、人材を活かす目的で、本人との面接(半年に一回、一人当たり30分)はもちろん、従業員の名簿を何度見返したか判らないくらい繰り返しくり返し眺めながら人事をイメージしました。それでも見直すたびに違った発見があります。全員の名前と顔と人となりを知っていても、全員の潜在力を知ることができない以上、どこかに必ず見逃している人材がいるものです。

【2008.3.16 樋口耕太郎】