有名な「六人の盲人と象」の話は、日本では「群盲象を評す」という諺になっていますが、もともとは「六度経」というお経から出典しているそうです。六人の盲人が自分が触れた箇所をもって象を説明しようとするお話です。・・・昔、インドパキスタン地方のある王様が6人の盲人に象を観察して報告するように言いました。盲人たちは、各々象の異なる部分・・・それぞれ象の耳、鼻、足、尻尾、牙、胴に触り、異なる報告をしました。「象は団扇のように平たくて大きい(耳)」、「象は大蛇のように長い(鼻)」、「象は太くて大木の幹のようだ(足)」、「象は細長くて紐のよう(尻尾)」、「象は槍のように硬く尖っている(牙)」、「象は壁のように平たく大きい(胴)」と表現します。それぞれの説明は全て正しいのですが、いずれの情報も特定のバランスの元に統合されなければ全く実用性を持ちません。

経営の現場においても同様で、どんなに優れたビジネスプランも、新商品も、経営理論も、人材も、適切な「経営バランス」とリーダーシップの元に統合されなければ、企業価値を向上させるどころか大きく毀損する可能性が高く、企業経営の多くは実際にその通りの状況にあると思います。この「経営バランス」を見出すことは一見困難なことに思えるのですが、例えて言えば初めて自転車に乗るときのようなもので、未体験のときは二輪でバランスをとることは曲芸のような気がしますし、二輪で走行できなければ自転車は無用の長物です。しかし一度体得してしまえば自在に移動できる手段としては格別で、もう二度と徒歩で買い物に行く気にはなりません。経営バランスが取れている事業体も最小の経営作業で最大の事業効率と成果を生み出すことが現実となります。本稿では一般にその重要性が過小評価されていると思われる「経営バランス」の概念についてコメントします(「経営バランス」の実現を担保するのが『トリニティのリーダーシップ論』ですが、このリーダーシップのあり方も「経営バランス」の一部を構成するため、他の全ての概念との調和が不可欠です。この議論については別の稿に譲ります)。

「経営バランス」という概念
統合された概念を伝達しようとするとき、我々はしばしば盲人のアプローチを取らざるを得ないときがあります。「象という統合された概念」が共通認識であれば、それは「象」であると言うだけで事足りるのですが、情報を受ける側が「象の概念」を持たないとき、六人の盲人のように、各部所ごとに情報を分解して伝達することになります。重要なポイントは、それぞれの盲人が表現する六つのパーツはそれぞれ独立しているものではなく、統合された象という一つの概念の各部分である、という前提を同時に理解してもらうことでしょう。この前提を理解する人に対しては情報の正確な伝達が容易になるためです。

『トリニティ経営理論』 『サンマリーナの人事考課に関する経営方針』 『トリニティの企業金融論』の三稿、およびこの三稿を補足するトリニティアップデイトの各種コメントは全て、「経営バランス」という一つの概念を表現する試みでもあります。この経営バランスは「象の3Dジグソーパズル」のようなもので、今まで紹介した、例えば、「売上論」「マーケティング論」「サービス論」「マーケティング論」「ホテル金融論」「性善説の経営観」「人事論」などはジグソーパズルのピースに該当します。ジグソーパズルのピースはそれぞれ独立している概念ではありながら、最終的には全てによって一つのものを表現しようとしています。一つのピースで全体像を表現することは不可能ですし、全てのピースを個別詳細に理解・実行したとしても、ピース全体の「組み合わせ」が適切に行われなければ、最終的な効果を生むことは非常に困難です。

「経営バランス」は、3Dパズルの「組み合わせ」に相当する概念ですが、その特徴は、①「組み合わせ」というモノは存在せず、目に見えないこと、②「組み合わせ」はピースとその配列によってしか説明できないこと、③「組み合わせ」はピースとは全く異なる概念であること、そして、④「組み合わせ」はピースを統合するという目的において、最も重要な概念であること、です。例えて言えば西洋絵画に対する水墨画のようなイメージで、絵の中の空白が水墨の箇所以上に重要な意味を持つ、感じでしょうか。一般的な経営理論では「マーケティング」「財務」など、目に見える「ピース」がよく研究されがちですが、これに対して「経営バランス」の概念とパワーは過小評価されている印象です。逆の発想では、経営的にこれほど重要なポイントが過小評価されているのであれば、この概念を応用することで大きな事業効果が生まれる可能性があります。

事業という生態系
この「経営バランス」の概念は、事業を生態系として捕らえる考え方とほぼ同義であり、『ホテル事業という生態系』『生態系を理解する』のエントリーは「経営バランス」に関する議論でもあります。事業の生態系に関する議論で表現しようとした重要なポイントは、①経営の一般的な現場において、殆どの経営判断は個別に正しい、②個別の「正しい」経営判断の積み上げが企業価値を必ずしも最大化しないばかりではなく、場合によっては企業価値を大きく毀損する、と言う点ですが、この問題の解を導く作業は、効果的な「経営バランス」をとり、事業価値を顕在化させるプロセスでもあるわけです。

個別の「正しい」経営判断が必ずしも事業価値を高めないことの事例は、今までのエントリーで数多く紹介したものがそのまま当てはまります。サンマリーナホテルにおいて、僕がアトリウムの窓を開放するよう指示したケース(『生態系を理解する』)、データベースマーケティングの導入(『トリニティのマーケティング論《その2》』)、「悪い売上」を増加させる経営手法(『売上論《後編》』)などなどがその事例ですが、これらは目の前の問題対処方法として一定の効果を生むことがむしろ一般的であるため、必ずしも「間違った」判断とは言いきれません(ただし非効率な判断ではあるとは思います)。このような個別判断のいずれも、目の前の問題に対する対症療法に過ぎず、事業の生態系に対して、長期的(かつ本質的)には決定的なマイナス要因となりがちです。例えて言えば、対症療法を繰り返すことで治癒を遅らせ、病状を却って悪化させてしまう医療や、目先の経済効果を優先して、環境を決定的に破壊する経済行為や、利便性と収益を優先して食品を添加物だらけにすることで、健康と生活の質を決定的に低下させている食品事情に似ています。共通点は、システム全体に対して「非効率」な作業を繰り返しているにも拘らず、誰もがこれらの作業は「効率的」であり「成長性」と「付加価値」をもたらす、と理解(誤解?)している事実が問題を大きくしている点でしょう。本質的に非効率なものに価値を見出し、「ビジネスは戦争」「生き残りをかけた真剣勝負」「勝者のみが君臨する」「きれいごとでは飯は食えない」というフレーズの基に多大な人々を巻き込み、目に見える短期的な成果を継続的かつ多大に積み上げることが社会一般には評価の高い経営手法とされています。

「経営バランス」の概念を理解し、事業を生態系として捉える経営を実践することは、事業における多様かつ多大な個別の努力を、事業価値として顕在化するか水泡に帰すか、の分かれ道と言える程重要性の高いテーマだと思います。

【2007.7.30 樋口耕太郎】