ホテル事業という生態系・生態系を理解する(pdf)

オフィス近くのウォーキングコースは安良波(アラハ)ビーチ、サンセットビーチを通って美浜アメリカンビレッジの海岸沿いの防波堤を現在開発中のフィッシャリーナ地区まで抜ける往復およそ5キロのルート。毎日表情が違う西海岸名物のサンセットを見ながらのウォーキングは僕の大好きな日課のひとつです。

テラスレストランとノボリ
このルートは国民年金健康センター「サンセット美浜」のすぐ横を通ります。この施設は第三セクターが経営する(恐らく)複合リゾートで、美浜と言う抜群のロケーションの海岸沿いざっと1万坪くらいの敷地に、プール、テニスコート、レストラン、会議室、宿泊施設を備えた多目的な建物です。特にプールには長さ100mと35mの2本のウォータースライダーが設置され遠目にも迫力満点でシーズン中は地元の家族連れにも大人気。宿泊施設はこの広大な施設にわずか21室と、民間プロジェクトでは決して叶わない贅沢さです(皮肉ではないです、念のため)。海岸の防波堤に視界を遮られない2階のレストランは、西海岸に面した広めのテラスが売り物のひとつで、視界一面の水平線と、夕暮れ時にはすばらしいサンセットを見ながらカクテルを・・・といったことが似合いそうな雰囲気。テラスにはガーデンチェアとパラソルがセットしてあってなかなかの感じです。

先日のウォーキングのこと、テラスレストランにふと目をやると、昨日まではなかったノボリのようなものが三本四本・・・。ノボリの文字を読んでみると「年末年始の宴会受付中」という内容でした。ノボリに罪はないのですが、それにしてもこのロケーションの、このセッティングの、レストランの一番眺めのよいテラスに林立するカラフルなノボリ(確か三色ありました)・・・。

僕の目には確かに違和感のある光景でしたが、半官半民施設では特段珍しいことでもないと思います。このような状態に対して「だから親方日の丸は商売意識が薄い」とか「民間の競争原理が働いていない」とか揶揄されることが一般的なのかもしれませんが、通り一遍の批判よりも、例えば自分がサンセット美浜の経営者だったらどのような行動をとるだろうかと考えることで建設的な意識の使い方ができると思います。

マイクロ・マネジメントによる対応
「あなたが経営者だったらどう対応するか?」というテーマに対して、大方の人はノボリの撤去を指示するところからはじめるのではないでしょうか。実際僕もサンマリーナホテルで同じような対応をした経験があります。それどころか、どうせやるなら徹底的に実行しようと思い、まずアシスタントを伴って自ら全館をくまなく回り、客室、基本設備、廊下、公共スペース、屋外、宴会場、レストラン、海浜、調理場などなどのロケーション別にこのような「ノボリ撤去」の作業リストをこと細かく特定してデータベースの作成を指示しました。具体的には物品の撤去、レイアウトの変更、備品の移動、色の塗り替え、修理・取替え、デザインの変更などを指示する内容で、第一次リストだけでも150項目くらいあったと思います(その後第二次、第三次・・・とリストが追加されていく仕組みです)。そしてそれぞれの項目ごとに詳細なワークオーダーシートを作成し、そのシートには現場のデジタル写真、責任者の名前、作業に必要なコスト、対応期限を特定しました。作業費用の支出の際に現場が混乱しないように運営予算との整合をとり、ワークオーダーシートの当初見積もりの範囲内であれば年間の運営予算に影響を与えないよう調整を加えました。またプロセス管理として、このデータベースを幹部職員で共有し、ワークオーダーシートには現場からの進捗の報告、経営からのコメント、責任者の承認欄を設け稟議形式で回覧しました。

この管理方法を設計し、実行に移した時は内心満足感を感じたものです。これだけの作業を短期間で構築し、自分のイメージどおりに管理が進み、あとは一つ一つ改善されるのをチェックしていくばかり…。少なくとも理論上は、作業内容、作業場所、責任者、予算、期限がきちんと特定されており、その進捗を管理する仕組みが出来上がっているので、全く問題なく作業が完了するはずでした。

アトリウムの窓
150もの作業がリストアップされているものの大半は問題なく消化されていきます。ところが事業の生態系はそれほど単純なものではありませんでした。ワークオーダーの中でもっとも容易と思われた作業のひとつに「アトリウムに面しているレストランの窓を常時開放するように」という項目がありました。レストランの窓際の席にお客様が座ったときに、アトリウムの空気が直接感じられた方が開放感があるのではないかと僕が思ったのです。今考えると特段重要な指示だとも思えないのですが、当時は個人的な趣味もあり、ホテル全体のイメージチェンジのスタートラインであるという気負いもあり、むしろこのようなことからきちんと実行してほしいと強く感じていました。ワークオーダーシートの稟議の承認も完了し、現場にはその方針が伝わっているはずです。

ところが、何日たってもなかなかイメージどおりに開放された状態にならないのです。時には窓が閉まっていたり、開放しているときでも完全に開放されていなかったり、時間によって、あるいは従業員のシフトによって状況がまちまちです。直接指示するのも大人気ないような気がしましたが、こだわりもあったため直接現場に指示をしたり、それでも改善されないので責任者を通じて連絡したり。結局この窓が完全に常時開放状態になるまでおよそ4週間かかりました。

生態系を理解する
僕にとってこの「アトリウムの窓事件」はなかなかの衝撃でした。少なくとも自分がやろうとしていることの何かが根本的に間違っているのだとはっきり感じました。そして窓を開放するという単純な作業が組織においてなぜこれほど難しいのか考えはじめました。ホテルは長時間体制で仕事をしていますので、大体2~3つのシフトに別れています。加えて全従業員のおおよそ1/3~1/4は常にお休みを取っていますので、どのような情報でも伝達するまでに時間がかかるということもあります。しかし最も重要な点は、従業員には従業員の事情があるということです。例えば、窓を開放していると、夕方のアトリウムでの演奏時間には食事をしているお客様の会話がしにくくなったり、アトリウムから風が不必要に吹き込んだり、清掃の後にはうっすらと塩素のにおいがしたり…、その割には窓を開けた開放感といっても知れている、という判断が働いているのです。

つまり、窓が開放されない原因は「従業員のお客様に対する思いやり」だったのです。そのような事情(生態系)を知らない僕は、現場に対してお客様へ不自由を強いる趣旨の指示をしたのみならず、データベースとプロセス管理によって従業員の行動を監視し、更には自らの行動(指示)によって「お客様への思いやりよりも上司からの指示を優先するように」という実質的なメッセージを4週間にわたって伝え続けていたということになります。

サンセット美浜の従業員も「商売意識が薄いから」ノボリを立てたのではなく、商業意識によって、その質はともかくも、売上を少しでも上げたいという責任感においてノボリを立てていたのかもしれないのです。

生態系のメカニズム
以上の前提で、現場のメカニズムについての僕の仮説は次のとおりです。たとえば「窓が閉まっている」、「ノボリが立っている」という問題が起こると、私たちはすぐに「窓を閉めるために何をしたら良いか」あるいは「ノボリを撤去するべき」という解決策を考えようとしがちです。この問題は氷山にたとえると海水面の上に見えている先端部分「できごと」です。水面上に見えている「できごと」は生態系のほんの一部であって、その下には「行動パターン」があります。「夕方以降のシフトでは窓が閉まりがち」といったことです。そしてこの「行動パターン」を生み出すのが「構造」です。たとえば、夕方以降窓が閉まりがちなのはアトリウムで音楽の演奏があること、またその音がレストランに響くなどといったことです。そして、以上の前提として意識・無意識レベルの価値観、すなわち「お客様が心地よい環境を提供するために心配りをしたい」という従業員の気持ちが存在するのです。

さて、テラスレストランのノボリの件、「あなたが経営者だったらどう対応しますか?」

【2006.12.4 樋口耕太郎】