新年明けましておめでとうございます。

・2008年は世界金融危機が本格化した年として歴史に刻まれると思いますが、今回の金融危機で最も大きな試練を迎える経済圏は、アメリカや欧州ではなく日本でしょう。アメリカや欧州が、経済的に相当大きな打撃を受けることは避けられませんが、その範囲はあくまでも、金融機関と個人のバランスシートの大調整と、それに起因する投資・消費の大幅調整に限られます。これに対して、日本では戦後60年間積み上げてきた輸出国家の基本構造自体が機能不全を起こしはじめている可能性があり、場合によっては一転貿易赤字国家に転落するかも知れません。国家経済の根源的変化から派生する影響は、金融・経済を超えて、労働、家庭、教育、医療、社会福祉、食糧などの社会全般に及ぶことになると思います。麻生首相が年頭所感で、不況から最初に回復するのは日本だと表明されましたが、そのちょうど反対になる可能性の方が高いのではないでしょうか。

・年初から、政治主導で景気対策が検討・実行されると思います。しかし、それは対症療法に過ぎないため、国家の基本構造を再構築する、という本質的な治療行為を却って遅らせることになるでしょう。日本政府の景気対策は、恐らく大恐慌時代の政策を参考にした、ケインズ主義的な財政政策を中心としたものになると思いますが、これは治癒どころか、対症療法としても処方を誤っている可能性があり、更に状況を悪化させることになるかもしれません。これら対症療法の副作用は、主として為替の歪みと国家財政の悪化という形で、エネルギーがマグマのように蓄積されていきますが、永続性がないため、どこかの時点で破綻をきたす可能性が高いものです。発火点がどこになるかは分かりませんが、財政、為替、金利あたりが有力な候補です。少なくとも、2009年以降景気の大減速が長期化して税収が大幅に減少し、財政問題が再燃するでしょう(財政)。長期間に亘って蓄積した為替の歪みに起因して、1ドル50円台といったような極端な円高が進行する可能性があるのではないかとも懸念しています(為替)。また、あまりにも長期間に亘って未曾有の低金利が継続しているため、何らかのきっかけによって日本の金利が上昇し始めると、想像を超える影響を多方面に及ぼすことになるでしょう(金利)。

・2009年は日本社会が構造変化を迫られるはじめの年になるのではないでしょうか。変化すべき構造とは、60年以上の年月と国家政策のほぼ全てを傾けて構築してきた、文字通り国家の根幹を成すものです。しかし、一般論としても、それが特に重要なものであるほど「構造を変化」させることは事実上不可能です。異質な機能が新たに生まれ、それが社会的に広まってゆくという現象が、社会全体では「構造変化」と呼ばれることになるでしょう。

・構造変化によって達成すべき経済の重大課題は、究極的には食糧・資源・エネルギーの確保、すなわち、今後の貿易赤字をいかに縮小し、減少する外貨をいかに獲得するかというものです。同時に、この大きな課題をクリアしながら、①少子・高齢化社会、②崩壊しつつある家庭と教育、③労働の質の低下、④環境と食、という四大社会問題とバランスさせるという、戦後最大の難題に直面することになります。

①少子・高齢化社会は、国家財政で増加する一途の医療・社会福祉費と、破綻に瀕している年金制度、という経済的な大問題を伴います。このテーマは国家財政と年金システムの問題として議論されがちですが、日本が直面している激しい人口動態の変化を前提とすると、これらはむしろ対症療法に過ぎません。われわれが根本的な治癒を望むのであれば、増加する費用をいかにカバーするかという発想ではなく、社会全体の医療ニーズそのものをいかに減らすか、つまり、社会全体をいかに健康にするか、という医療本来の目的に立ち返る必要があります。具体的には、生活習慣(ライフスタイル)の見直しを中心とした予防医学が社会に広まり、医療コストそのものが大幅に削減されること以外に、国家財政と年金の破綻を回避する道筋はないような気がします。特に若年層にも急増しつつある痛風、リウマチ、糖尿病、更年期障害など、社会負担の大きい生活習慣病がいずれ医療分野を超えて社会・経済的な大問題に発展する可能性があります。対症療法ではない根本治療のためには、生活(つまり社会)そのものを変える以外に方法はありません。予防医学は医療者のお金にならない活動であり、医療の利用者(まだ「患者」ではない場合が多いので)にとっては生活を変えるという、一見大きなコストを支払う必要があります(本当はコストではなく利益なのですが)。治癒に際しての最大のネックは、現在の医療システムそのものと、それに従事する人々と、そしてなによりも、経済的な社会生活(つまり、お金)を優先しようとする利用者自身の価値観でしょう。

②家庭と教育の問題はあまりに大きなテーマですが、恐らくその中でも最大の問題は、病理が特定されていない、すなわち問題が何かが分かっていない、という大問題でしょう。病理が特定されなければ、いかなる対策も対症療法に過ぎず、治癒を遅らせる効果しか生じません。病理が特定されない最大の原因は、病理は子供ではなくわれわれ大人にあるからでしょう。少なくともいえることは、毎日の食卓に添加物だらけのコンビニ惣菜を並べ、子供のお弁当に500円玉(買い弁)を渡し、職場や人間関係で自分と社会に対して嘘をつき続ける大人たちが、自信を持って子供を叱ることができないのは当然のことでしょう。われわれ大人の生き方そのものを治癒することなしには、家庭と教育が大きく改善することはないと思います。金額の多寡にかかわらず、お金をなによりも優先する大人の価値観が、本来、どのように生きるか、どのようにすれば人の役に立つか、幸せとはなにか、を伝えるべき教育の現場を、いかにしてよりよい職業と収入を得るか、という職業訓練校に変えてしまいました。この病理の治癒は、両親や教育者自身の人生が、子供に対して胸を張れるものであるかどうかという問題に収斂するでしょう。

③労働の質の低下の問題は、数十年に亘ってボディブローのように効いてくる大問題ですが、そろそろそれが本格的に顕在化しはじめているように見えます。バブル期以降の失われた15年で企業が雇用を拒み続けた若年層の問題が、企業において本来最も活力を生み出す若手・中堅層の、量・質・経験の不足という大問題に発展しつつあります。若手層の活力不足は、30代~40代の中堅社員への負荷を増加させ、管理・収益責任と過剰なストレスなどに起因する鬱などの精神的な病理や、心療内科的な疾患を急増させています。この傾向は今後も増加すると思いますが、間もなく企業が独自で対処できる範囲を超えることでしょう。これは、単に企業人事や事業効率や福利厚生や医療の問題ではありません。経営者・従業員・資本家の根本的なバランスが崩れて、労働環境が持続性を失っているという重大現象であり、企業と社会の構造問題として捉えるべきでしょう。団塊世代の大量引退で、視野が広く、バランスの取れた価値観を有する世代が企業から退出し、この問題を増幅しているようです。日本では依然として、アルビン・トフラーの云う「第二の波」、つまり工業化社会時代の発想から抜けきれず、この大問題に対して、労働の流動化、労働の機械化、外国人労働者や移民の受け入れ、女性の社会進出、高齢者の社会復帰などの対症療法で対応しようとしているように見えます。この問題の治癒は、労働の質、つまり労働の目的、時間、意味、評価、組織などを再定義し、企業と従業員の関係そのものを根本的に見直すことでしょう。パタゴニアセムコなど、世界にはそのようなイメージに近い企業が生まれ始めています。労働の質の概念は抽象的で一見分かりにくいようですが、どこかで明確な成功事例がひとつ生まれれば、社会に浸透するのはあっという間となるでしょう。

④先進国の食糧が農薬・化学肥料など、実質的に薬品と石油によって生産されるようになってから約50年。現代の子供たちは母子間の生体濃縮の第三世代にあたります。生まれながらのアトピー、花粉アレルギー、化学物質過敏症、若年化する認知証、増加する鬱などの原因は不明とされており、近い将来も原因が特定されることはないと思いますが、一因がわれわれの食事にあるのかも知れない、と疑う人は増えています。仮にこれが真である場合、あるいはこれが真であると信じる人が一定数に達した場合、あるいは生体濃縮の第四世代、第五世代と進むにつれて問題が深刻さを増す場合、世界の食糧生産の方法自体が、最大の環境問題として認識される可能性があります。これは、20世紀の前半で既に解決済みと考えられていた農業生産の問題が、現代の環境・経済・社会の大問題として再浮上するという大事件であり、そして、その問題が最も顕著に現れるのは、自給率が先進国中最低水準で、農薬消費量が世界的に高く、農産物の(すなわち、窒素と水の)最大輸入国である日本においてでしょう。

・重要なことは、別々の構造による別々の問題と考えられがちな、国家財政、社会福祉、予防医学、家庭の食事、道徳を優先する教育、社会の労働環境、食糧自給率、農業生産、環境保全などの問題は、別々どころか全てが深く関連しており、同一の病理によるものであり、同一の治癒が有効であるということでしょう。社会の生態系のバランスが、お金優先の価値観によって大きく崩れたことがこの病理の根源であり、質を優先する価値観によって社会の免疫機能を復活させ、人間関係を豊かにする社会のバランスを再構築することのみが、本質的な治療となるでしょう。西洋的な対症療法中心の医療から、東洋的な統合医療による治癒へ移行するイメージと重なります。そして、これらの全ては、今後経営者が事業的に直面せざるを得ない経営問題になるでしょう。逆に考えると、経営者の発想の大転換と、新たな価値観次第で、経営者が社会的に果たす役割が高まることを意味します。

・日本の構造変化は、長く深い不況を伴いますので、何年で回復するかという楽観的な事業予測は致命的になるでしょう。これほどの構造変化において、不況を「耐えしのぐ」という戦略に出口はありませんので、根本的に発想を転換し、全く新しい社会構造に適応する事業戦略を選択するべきでしょう。既存の仕組みは、事業的に成功していたものほど、収益を生んでいたものほど、効率的だったものほど、それが資本的にも組織的にも大きいものほど、大都市圏ほど、社会的に影響力を持っていたものほど、常識的であったものほど、大きなハンデを抱えることになります。既存の仕組みを追加・補強・補修するよりも、構造変化後の社会で本当に必要とされるもの(質)を残し、その他を徹底的にそぎ落とすことが戦略的に有効です。不況期には特に、商品の価格帯に限らず、殆どの企業が商品やサービスの質を低下させるため、いかに質を高めるかという課題に正面から向き合うことに成功した一握りの企業のみが、この構造変化を大躍進の好機にすることができるでしょう。

・事業の質が再定義されるでしょう。質を高めることに総論で賛同する人は少なくありませんし、経営者は自分の事業の質に自信があるといわない人の方が少ないのですが、現実には、この構造変化において戦略的に「質の高いものとはなにか」を定義できる事業者は、殆ど存在しないといって差し支えないくらいかもしれません。既存社会の専門家は、いかに事業規模を拡大し、大量の商品を販売し、大量の資本を調達し、費用を削減し、事業効率を高め、ブランド価値を高め、収益を最大化するか、という意味におけるプロであり、いかにして事業の質を高めるか、それ以前に、そもそも「質の高いものとはなにか」、という、一見のんびりした課題を突き詰める余裕もなかったと思います。反面、既存社会において、本当によいもの、質の高いものを一筋に追求してきた一握りの人々は、それが経営者であれ、職人であれ、ビジネスマンであれ、教員であれ、主婦であれ、ほぼ例外なく、自分が好きな仕事をしており、正直で、非効率で、貧乏で、ほぼ無名で、組織や社会において割を食っていて、一般的にカッコいい存在ではありませんでした。構造変化後の社会において、事業の質が再定義されるとともに、このような人々に少しずつ、やがて大きくスポットがあたることになるでしょう。

・情報化社会の発展によって、口コミを妨げる壁が消滅しつつあります。ひょっとしたら、インターネットなどのテクノロジーが社会にもたらした最大のインパクトは、この点にあるかもしれません。結果として嘘をつく、隠す、オープンでない(オープンにできない)、ということのコストが急増しています。近年企業の不祥事が急増していますが、これは企業のモラルが最近になって低下したというよりも、企業や経営者の嘘が顕在化しやすくなったと考えるべきでしょう。この傾向は益々高まると思います。これが意味することは、第一に、「情報管理」の概念が消滅に向かうということです。今後の社会において、企業が情報を隠すことは益々困難、恐らく事実上不可能になるため、「情報が漏れないように管理する」という発想では対応不能になるためです。このような次世代情報化社会において唯一有効な対策は、「情報が漏れたとしてもなんら差し障りのない経営を行う」ことであり、企業や経営者や社員に隠し事や嘘がある程、企業は高いリスクを抱えることになるでしょう。このことは第二に、経営者の正直さや人間性が事業的に重要になるということです。企業を成長させていれば、経営者のプライベートにおける人格と行動の全てが許容された時代は終わり、経営者の人格、言動、夫婦関係、家庭やコミュニティでの人間関係、友人関係、不倫・愛人関係、お酒の飲み方、個人的なお金の使い方、センス・趣味・嗜好、小さな約束事に関する言動、正直さ・誠実さ・社交ではない思いやり、すなわち、経営者の生き方の質が、事業の質と成果を大きく左右することになるでしょう。成果を上げた順に昇進する従来型の組織は非効率となり、人格の順にリーダーが登用される組織は、経済的・事業的な効率を大きく高め、企業価値向上の源泉となるでしょう。

・結局のところ、100年に一度といわれる未曾有の大不況とは、正直で、人間関係を大事にし、心からしたい仕事をし、物事の質を徹底的に追求することが、社会で本格的に機能し始める時代のはじまり、つまり人が社会の奴隷であった時代から、社会が人の幸せに寄与する時代への構造変化だと思うのです。

皆様にとって、今年も幸せな年でありますように。

【2009.1.1 樋口耕太郎】