お元気ですか~?

今月はハロウィンの月ですね~!
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには子供に帰って遊ぶという気持ちは大切なことかも
しれませんね。

私の子どもの頃の気持ちをちょっと振り返ってみると…

私の叔母という人は、フランスでデザインの仕事をしていただけあって、
それはそれはモダンで、本名が山本富士子というだけあってとても美しい人で、
私が子どもの時から「おばさん」などとは決して呼ばせず、フランス語で
「タンタン」と呼ばせていた賢く気品のあるステキな女性で、
お洋服のセンスから、しゃべり方、香りや、身のこなしに至るまで
全てが私の憧れの人でした。
だから、独身のタンタンのお部屋でお留守番などしたあかつきには、
今がチャンスとばかりに小学生の私は、タンタンの香水を自分にもふりかけ、
母には似合いようもない「シャネル」なんていう口紅を塗り、
タンタンのフランス製ワンピースを引きずるように着て、
タンタンのクロゼットの中にうずくまり、しばしタンタンの香りに包まれながら、
大人の女性であるかのようなお洒落な気分にひたったものでした。

そのタンタンが、私が小学校にあがるころ
「これ、大人になるまで大事にとっておいてね」
と、ピンク色の小さな壜を私の手に握らせてくれました。それは、当時、
子どもの目にはまだ珍しかったマニキュアの壜でした。
ときめくようなあのときの気持ちを、いまも忘れることができません。
家に帰った私は、子ども部屋の本棚の上に、ピンク色の小さな壜を飾りました。
そして、それを眺めては、大人になったら、と思うのでした。
タンタンの贈りものは、マニキュアではなく、大人になることをたのしみに待つ
気持ちだったと気がついたのは、ごく最近のことです。

私も、こども達に大事なものをそっと手渡せる、そんなひとになりたいものです。
そう願わずにいられないのは、子どもが、大人の姿をうつす鏡のような存在
だからかもしれません。
たとえば、得する生き方をしようと躍起になっている大人を間近に見た子ども達は、
そうかそれが大事なんだな、と思うでしょう。
たとえば、人との間に信頼関係をつくろうと努力をする大人を間近に見た
子ども達は、そうかそれが大事なんだな、と思うでしょう。

また、子どもの頃の気持ちに帰る…とは、「やりたいことをやる」ということ
なのではないでしょうか。
大人になってしまうと、何かをするには理由がなくてはならないと思い込んでいる
向きがありますよね。目的は何か、というわけです。
それってばかばかしいですよね~! 本当は、やりたいことなら
何をやってもよいし、やりたいことをやるべきなのです。
理由は一つ、やりたいからやるんです。他に理由はありません。
自分のやることなすことに理由はいりません。何事にも理由を見つけようという
考え方をすると、新しい、心はずむ経験からは遠ざかってしまうことになります。
子どもの頃は、ただ好きだからというそれだけの理由で、一時間もバッタと
遊んでいたのではありませんか? 山登りや森の探検にも出かけたことでしょう。
その理由は? 「したかったから」なのです。
でも、大人になると、ものごとにはちゃんとした理由をつけなくてはならないと
思ってしまいがち。理由をつけたがる気持ちが強いと、なかなか心を開いたり、
成長しにくくなってしまいます。自分自身も含めて、誰に対しても、
どんなことでも、もう二度と理由づけしなくていいとわかったら、どれほど
自由な気分でいられることでしょう。
自分がやることは、何にでも理由がなければならないという気持ちを
捨ててみませんか?
なぜかと聞かれたら、相手の気に入るようなもっともらしい理由をつける必要は
ないのだということを思い出してください。
自分が決めたことは、ただやりたいからという理由だけで、やればよいのです。
そうしたいから――それだけの理由で、やりたいことは何でもやればよいのです。
こう考えると、経験に新しい展望が開け、
自分のライフ・スタイルとなっているかもしれない「未知への恐れ」を
なくす一助となるかもしれません。

さて、ここまで、子ども…子どもの気持ち…と書いてきたのですが、
わたしは子どもを持つ機会には恵まれませんでした。(まだいけるかも…?!)
でも、お腹を痛めた子どもがいなくても、子どものような存在のお友だちを
たくさんもつことができました。
お腹を痛めることは、神秘です。
でも、神秘があっただけでは、話ははじまりません。また、嘆いていても
しかたのないこと。
それよりも断然私が大事にしたいのは、世代の異なる人同士、お互いに
育ちながら生きていくということです。
この実感にたどり着くことができたのは、今までに出会った
お一人お一人のおかげです。心から、感謝を捧げます。

さてさて、今月は子どもの気持ちに帰って、ハロウィンをわいわい
楽しみましょう!

「遊びに来てくれなきゃイタズラするぞ!」

【2008.10.17 末金典子】