前稿の論旨をまとめます。現代社会では、経済成長がなければ資本主義が成立しないと信じられています。経済成長は、人口増加と一人当たり消費の増大によって生じますので、経済が成長し、資本主義が維持されるためには、人々が消費を拡大し続けなければなりません。人々が自分の持ち物に不足を感じていなければ、活発な消費活動が生じないため、我々の社会は、人々が常に不満足でなければ経済成長を持続することができないという構造になっているのです。つまり、経済成長は幸福を作り出すものではなく*(1)、不幸によって維持され、また、このような資本主義を維持しよう思えば、人々を常に不満足なままにし続けなくてはなりません。経済成長が内包する最大の矛盾はこの点にあるのですが、資本主義の第三の幻想、「経済成長は社会を豊かにする」が、この矛盾を包み隠す役割を効果的に果たしています。

お金はなぜ増える?
さて、経済成長にはもうひとつ大きな、恐らく前稿の議論よりも数段根源的な大問題があります。それは、実体経済の成長と対比される、マネー経済の成長です。米マッキンゼー・グローバル・インスティチュートの報告書*(2) によると、1980年から2006年までのおよそ25年間、実物経済がおよそ5倍に拡大する間に、金融経済は14倍に膨れ上がっています。1980年から2006年の成長率は、世界GDPが年率6.2%に対して、金融資産は年率10.7%*(3) の勢いです。

しかし、実体経済の3倍近くのペースで拡大した金融資産とは、そしてお金とは、そもそも何でしょうか?金融資産はなぜ、どのようなメカニズムで増えるのでしょうか?会計では事業(借方)とお金(貸方)がバランスするのに、マクロ経済では、なぜお金が実体経済の何倍もの規模になり得るのでしょう?「お金」の本質を問うということは、バブルがなぜ生じるのか?社会になぜ富と権力の集中が生じるのか?そして、なぜ社会が現在のような姿なのか?という社会の根源を問うことでもあります。・・・そう考え始めると、この半年間あまり、「お金とは何だ?」という問いが、私の頭から離れなくなってしまいました。関連と思われる書籍を買い漁り、様々な論文・資料を読み、この問いを昼夜考え続けます。そして、当たり前のように聞こえるのですが、「お金には利子が付いている」という、本質のひとつに辿りついた気がしています。お金と利子の問題は、経済学の範囲を超えて、歴史、宗教、社会学、文化人類学、数学、やや意外なところでは、労働とはなにか、というテーマとも不可分に関わっており、見かけよりも相当深いということがよく分かりました。ちょっとした世界旅行の気分です。

利子という怪物
『ネバー・エンディング・ストーリー』『モモ』などの代表作で知られるドイツの童話作家、ミヒャエル・エンデは、お金の本質に関する研究にも熱心でした。彼はお金がお金を生む金利(複利)のパワーについて、次のように説明しています*(4)

『ちょっと意表をついたたとえ話をさせてください。ある人、ヨセフでもいいでしょうが、西暦元年に1マルクを預金したとして、それを年5%の複利で計算すると、その人は現在、太陽と同じ大きさの金塊を4個所有することになります(筆者注:太陽は地球の33万倍の質量を有しています)。一方、別の人が西暦元年から毎日8時間働き続けてきたとしましょう。彼の財産はどのくらいになるのでしょうか。驚いたことにわずか1.5mの金の延べ棒一本に過ぎません。この大きな差額の勘定書は、いったい誰が払っているのでしょうか。2,000年という時間は少々おとぎ話めくかもしれませんが、今お話したたとえは、20年という短い期間をとっても同じ結果が生じるわけで、本当に大問題だと思うのです。』

実際にエクセルで計算して見ると、西暦元年に100円を預金して、年5%、年4%の複利で運用したとき、2009年のお正月の預金残高はそれぞれ、

【5%】    336,452,092,272,630,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000円
【4%】          1,534,305,962,100,480,000,000,000,000,000,000,000円

になります。その膨大な額もさることながら、長い期間では僅か1%の金利の違いがこれほど、・・・このケースで、両者の預金残高の差は約22万倍です・・・のインパクトを生じるという事実に驚かされます。因みに、世界最大の銀行は日本のゆうちょ銀行ですが、総資産は「僅か」

230,000,000,000,000円

230兆円に過ぎませんので、この膨大な預金を受け入れることができる銀行は、地球上において到底存在し得ませんし、人類がどれほどの経済成長を実現したとしても、この利息を賄うことはできません。この単純な算数が明らかにすることは、私たちが依って立つ資本主義社会の経済システムが、いかに荒唐無稽なものであるか、そして、我々が当たり前と思っている、「利子」の存在自体が、社会においていかに持続性を持たないか、という重大な事実です。

また、時給1,000円で年間3,000時間働くと年収は300万円ですが、西暦元年から2008年間のこの労働者の合計賃金は、

6,024,000,000円

約60億円、5%でお金を運用した「資本家」の預金額との差は、実に、55,851,940,948,311,800,000,000,000,000,000,000倍であり、これは労働者と資本家の所得の差でもあります。特に1990年代以降、世界の先進国では社会格差の問題が表面化していますが、お金の原理で社会を構築する資本主義が強烈な格差を生み出すのは、このような、利子のメカニズムに付随する構造的な問題と考えるのが自然ではないでしょうか。世界の主要な宗教が長い間、お金に利子をつけることを禁じてきたのは、恐らく金利のこのような性質を洞察していたからではないかと思いますが、スピリチュアリティに基づくインスピレーションの鋭さには時々驚かされます。

超資本主義の進行に伴って、金融が経済を主導する「アメリカ型金融社会モデル」が世界に広まり、社会格差が拡大している現象は、このようなメカニズムによってうまく説明できるような気がします。・・・社会格差の問題は、一般的に批判されているようなまずい政治の舵取りの結果、という要素も確かにあるかも知れませんが、この仮説を前提とすると、政治批判・論争も対症療法についての議論に過ぎません。単純に政治を批判しすぎるのも、政治に期待しすぎるのも、本質的な病理の特定と治癒を遅らせることになるのではないかと思います。現在の日本で言えば、政権が変わっても変わらなくても、対症療法の処方箋が変わるだけではないかと懸念します。

利子の「常識」を再考する
お金が利子を生むことは、現代金融においては常識以前の常識ですが、実はその「常識」が社会の「常識」になってから、せいぜい100年+くらいの歴史しかありません。人類の歴史において、現代のような利子、それも複利による経済が堂々かつ大規模に行われるようになったのは比較的最近のことです。キリスト教、イスラム教、仏教の世界三大宗教では、1,000~2,000年以上お金に利子をつけることを禁じてきましたし、イスラム金融においては、現在においても利子が禁止されています*(5)。シェイクスピア(1564-1616)の『ヴェニスの商人』に典型的に描かれているように、お金を貸して利子を取る金貸し業は、社会から強い非難を受ける卑しい行為であり、不労所得は、人の道義に反すると考えられていました。

前述の通り、このような宗教的・社会的戒律には、その道徳的な理由に加えて、社会とお金の構造問題に対する警鐘が含まれていたと考えるべきかも知れません。複利のメカニズムによって、等比級数的に増加するお金という存在は、ウィルスの増殖パターンにも似て、有限な自然界、あるいは実体経済と共存することがそもそも不可能であるように見えます。1999年に大ヒットした映画『マトリックス』は、知能を持ったコンピュータープログラムが人類を支配するというストーリーですが、コンピュータープログラムの代理人(エージェント)が、人間(モーフィアス)に対して印象的な台詞を吐きます(翻訳筆者)。

I’d like to share a revelation that I’ve had during my time here.  It came to me when I tried to classify your species and I realized that you’re not actually mammals.  Every mammal on this planet instinctively develops a natural equilibrium with the surrounding environment, but you humans do not.  You move to an area and you maultiply until every natural resource is consumed, and the only way you can survive is to spread to another area.

There is another organizm on this planet that follows the same pattern.  Do you know what it is?  A virus.  Human beings are a disease, a cancer of this planet.  You are a plague, and we are the cure.

君たちの種を分類しようとして感じたのだが、君たちはどうやら哺乳類ではない。地球上の全ての哺乳類は、環境とバランスするための本能を進化させているが、君たち人間は違う。ある場所に住みつくと、そこにある資源を食いつぶすまで増殖に増殖を重ね、種が生存を続けるためには、次の場所に拡散する他はない。

地球上には同様のパターンを持つ生物がある。ウィルスだ。人間とは伝染する病、君たちはこの惑星の癌なのだ。そして、我々が治療薬だ。

「エージェント」が指摘する人類の姿が、資本主義社会における我々の生息パターンだという事実は否定しがたいのですが、我々が知らず知らずのうちに隷属しているお金と、お金の持つ金利メカニズムが、そのパターンを規定しているとは考えられないでしょうか。

利子について、再考すべき第二の「常識」は、利子の「支払い」に関するものです。殆どの人は、お金を借りると利息が生じる、と考えています。しかし、商品やサービスの提供者は、例えば機械や建物を調達するために銀行からお金を借りているので、モノの価格には、銀行への支払いが既に含まれています。・・・農家は耕運機や農薬購入のために農協からお金を借り、収穫した小麦を農協へ売る際に金利費用を小麦の売却価格に上乗せします。農協は一般販管費に加 えて、借入金利や支払配当などの資本コストを上乗せしてパン屋さんに卸します。パン屋さんの店舗やパン焼き機器の購入代金は地元の信用組合からローンを組んでいますので、パンの売上でこのローンに対する金利を賄う必要があります。こうして消費者が購入する「クロワッサン」には、相当額の金利が含まれます。資本主義社会のメカニズムにおいて、世の中の取引という取引、事実上全ての消費活動に利息の支払が伴います。世の中では、消費税率を引き上げるべきかどうかで議論がなされていますが、我々は既に、資本主義社会に広範囲に存在しながら、目に見えない、利息という「消費税」を、自分たちが気が付かないうちに、日々大量に納税しているのです。後述しますが、この「税率」は恐らく価格の40%程度に相当し、納付先は上位数%の「資本家」、ということになります。

環境建築と都市計画の専門家で、ドイツのハノーバー大学でも教鞭をとったマルグリット・ケネディ博士は、彼女の論文*(6) の中で、このような「目に見えない」金利費用を、我々がどれ程負担しているかについての調査を紹介しています。1981年・1989年ドイツのアーヘン市における、一般的な商品・サービス価格に含まれる利子支払分の比率は、ゴミ回収 12%、上水(飲料水) 38%、下水 47%、公共住宅家賃 77%、です。労働集約的なゴミ回収における比率が低く、資本集約的なインフラを必要をする商品やサービスについて、比率が上昇することが分かります。

別の身近な例は住宅ローンでしょう。金利の水準にもよりますが、例えば5,000万円のマンションを購入するために、銀行から4,000万円の住宅ローンを借りたとすると、30年間の総返済額は金利元本を合わせて8,000万円近い額になります(平均金利が5%前後の場合です)。つまり、この不動産オーナーは、1,000万円の頭金を合わせて実質的に9,000万円の買い物をしたことになりますが、そのうちの約4,000万円、実に購入額の44%が金利の支払に充てられることになります。そして、このオーナーが、この物件を賃貸に出すとすると、これらの費用は全て賃料に転嫁されることになりますので、テナントは家賃という形で金利を支払わされています。

サラ金からお金を借りる生活をはじめると、金利の支払額が雪だるま式に(複利で)増加し、元本を返すどころか金利の支払だけのために働かざるを得なくなり、やがて所得の大半が金利の支払に充てられるようになります。誰もがおぞましいと思う借金漬けの人生ですが、しかし、現実には、サラ金からお金を借りていようと、いまいと、生活における支払の大半が既に金利費用であり、その事実に気が付いているか否かに関わらず、資本主義社会では誰もが借金返済のために大半の労働を強いられているのです。このようにして、資本家が受け取る金利、・・・エンデが問う、「太陽4個分の金塊と、1.5mの金の延べ棒の、差額の勘定書」・・・は、社会全体が負担しています。

反対に考えると、仮に、この世の中から金利というものが消滅すれば、大半の人の可処分所得は倍増する可能性があります。マルクス主義の社会主義運動は、利子や賃料など余剰価値(不労所得)の廃棄を目標としていましたが、その思想の根拠はこのようなところにあったのではないでしょうか。また、マルクスが予言した、「資本主義の崩壊」は、このようなお金(資本)と金利の根源的な性質を洞察していたのかも知れません。

利子の「常識」を再考する、議論は次稿に続きます。

【2009.2.2 樋口耕太郎】

*(1) この議論において、経済成長を無条件に問題視しているわけではありませんし、成長を止めろと主張しているわけでもありません。ある程度裕福になった社会において、追加的な経済成長が人々の幸福に大きく寄与しないのは事実といって差し支えないと思いますが、それでも多くの人々は物質的な豊かさを得ることで(幸福かどうかはともかく)、一定の満足を得ています。また、世界の底辺の50数カ国に集中している貧困を解決するために、恐らくもっとも有効な手段は経済成長です。反対に、経済が急速にマイナス成長へ向かうと、1989年以降の旧ソ連や、紛争が生じているアフリカ諸国のように、健康や平均寿命の水準が激しく低下するという傾向もあります(前掲、ダイアン・コイル著『ソウルフルな経済学』などを参照しています)。

*(2) Mapping Global Capital Markets, Fourth Annual Report, January 2008, McKinsey Global Institute. 1980年の全世界の名目国内総生産(GDP)と金融資産は、それぞれ10.1兆ドル、12兆ドル(比率は 1 : 1.1)とほぼ均衡していました。ところが、両者は1990年以降目立って乖離し始め、2000年には31.7兆ドルに対して94兆ドル(1 : 2.9)、2006年には48.3兆ドルに対して167兆ドル(1 : 3.5)と急速に拡大しています。

*(3) 年率10%を超えるスピードで世界の金融資産が増加し続けると単純に仮定すると、現在167兆ドルの世界金融資産は、30年後には実にその21倍、3,525兆ドルにまで拡大する計算になります。現在日本の個人金融資産の総額が1,500兆円といわれている中、30年後に、例えばゆうちょ銀行の総資産が現在の21倍、すなわち4,830兆円になるなどということは、ハイパー・インフレーションでも起こらない限り不可能でしょう。特に過去約30年間の金融資産の成長は、持続性を失っており、国際金融危機の発生は時間の問題だったといえるでしょう。

*(4) 坂本龍一、河邑厚徳編著『エンデの警鐘』、2002年4月、NHK出版。お金について考え続けたミヒャエル・エンデの思考の道筋を辿りながら、お金の本質を根源から問う、という構成のNHK番組『エンデの遺言』(1999年5月)は大きな話題になりました。同名の書籍が2000年2月に出版され、その後も現在に至るまで、日本における地域通貨活動などに多大な影響を与えています。本書はその続編です。ミヒャエル・エンデは童話作家として知られていますが、そのモチーフは深い社会的洞察に基づくもので、とくに『モモ』に登場する「時間泥棒」、「時間貯蓄銀行」は、お金がお金を生む金利の本質を、童話という形で表現した秀逸なアイディアです。

もっとも、本書はテレビ番組を基礎として構成されていますし、エンデ自身も経済・社会学的な強い裏づけをもつ研究者ではありません。本稿のエンデのこのコメントは、彼自身マルグリット・ケネディの論文を引用したものです。お金と社会についての書籍としては、ベルナルド・リエター著『マネー崩壊』小林一紀・福元初男訳、2000年9月、日本経済評論社、が秀逸です。

*(5) アリストテレスはその著書『政治学』の中で、「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」 と述べています。旧約聖書においても「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)、あるいは「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記23:19)と記されています。しかしながら、旧約聖書は貧者と同胞への利子を禁じているだけという解釈や、イタリア・ルネサンス時代の大スポンサー、メディチ家が大銀行家であったり、教皇庁が別名目で実質的な金利を認めるなどの事例が存在し、また、イスラム教の教義に基づいて運営される銀行は、実際には「投資」による「利潤」は許されるという解釈に立ち、事業を成立させているなど、利子を取る金融がいつの時代にも存在したことは事実のようです。

*(6) マルグリット・ケネディ『金利ともインフレとも無縁な貨幣』小森和男訳、自由経済研究、1996年11月(第8)号、ぱる出版。