資本主義の第一の幻想: 「金融・資本市場は効率的なしくみである」、は資本主義を支える金融・資本市場のメカニズムが、著しく、といって差し支えないほど非効率であるという大問題の裏返しです。

金融とは、資本を余分に保有している人から、資本を必要とする人に融通する、お金の流通機能です。効率的な金融とは、流通コストが低く、投資ニーズと運用ニーズがうまくマッチングする仕組みであるべきです。突き詰めて考えると、世の中の金融資本の大半は個人が保有しており、その資本を最終的に運用する主な主体は企業ですので、1,500兆円といわれている日本の個人金融資産を、できるだけ流通費用をかけずに、可能な限り直接企業に提供するしくみが、最も効率的な金融市場のイメージといえるでしょう。これを前提とすると、例えば、社会的に効率の高い証券取引市場は、個人投資家が極小額の売買委託手数料、運用委託手数料、投資顧問料(および税金*(1))で、株主利益を享受できるものといえます。別の表現では、企業の税引き後利益の額を、可能な限りそのまま個人株主に分配するメカニズムが、効率の高い、社会的に理想的な金融機能です。世の中の金融専門家が喧伝する株式投資の「常識」とはかなり結論が異なりますが、(i)専門家に運用を任せず、(ii)流動性が極小で、(iii)超長期の、(iv)直接投資・保有を行う個人投資家が増加するほど理想的な金融機能を果すわけで、逆説的ですが、現在の金融機能そのものの極小化が最も金融効率を高める、ということを意味します。・・・この件は後に詳述します。

40%の手数料
上記(i)~(iv)は、金融業の常識を知る人にとっては馬鹿げた議論に聞こえるかも知れませんが、現実に投資家と企業が実質的に負担している巨額の金融流通コストを直視すると、それ程非常識な論点ともいい切れないことがご理解頂けるかも知れません。現在の証券取引市場のメカニズムでは、企業の税引き利益が個人投資家に届くまでに・・・非常に大掴みの推定ですが・・・ざっとその40%*(2) 前後が金融専門家の手数料として消えてなくなるイメージです。例えば、5億円の税引き後利益(当期利益)を生み出す上場企業A社があります。A社の株価が、ごく平均的に、当期利益の20倍(PER20倍、益利回り5%)で評価されるとすると、株式時価総額は100億円(5億円×20倍)です。このとき、A社株式の年間売買回転率が100%、平均売買手数料が往復1%とすると*(3)、株主が支払う株式売買委託手数料の合計額は年間1億円です。更に、生命保険、損害保険、年金、投資信託などにお金を預けている人は、恐らく自覚もないままに、金融専門家を通じてA社株式を保有しています。運用報酬を毎年投資額の1%支払うとすると*(4)、ここでも株主全体で年間1億円。先の株式売買委託手数料と合計して2億円が「流通」費用として資本市場に吸い取られるイメージです。金融専門家たちに支払われる2億円という額は、A社が1年間の事業活動で稼ぎ出した税金支払後当期利益の実に40%に相当し、個人投資家に渡るお金は残りの60%に過ぎません。

・・・株式投資でお金持ちになる人は殆どいない、あるいは「個人投資家の9割は損をする」と言う人もいますが、個人投資家には始めから「40%」のハンディがあるとすれば、むしろ当然と言えるかも知れません。株式投資は「高リスク」という一般的な認識は、全く正しいといえるのですが、これは必ずしも株式という資産がリスキーなのではなく、資本市場というメカニズム(あるいは金融専門家)が株主のリスクを高めているだけなのかも知れません。そして、既存の資本市場がこれほど非効率であれば、新たな概念でより効率の高い市場を生み出すことは、実は容易なことではないかと思うのです。

株式の流動性について
現在の株式市場は出来高の多い(つまり売買回転率の高い)銘柄や、機関投資家が上位株主を占める銘柄が優良とされており、上記の議論とは文字通り正反対の価値観が市場参加者の常識とされています。しかしながら、一般的事実として、誰が株主かということ、すなわち株主の質は企業経営に非常に大きな影響を与えます。出来高が高いということは、毎日大量の株主が会社を離れていくということを意味します。本来最も重要な事業パートナーである株主が、毎日頻繁に入れ替わり、事業を深く理解せず、短期的な株価の変動が最大の関心事であるような会社と、事業に誠実な関心を持ち、長期的な企業の成長を応援する会社では、根本的な点において何かが決定的に違う筈です。これは未上場企業であれば常識的な発想なのですが、上場会社に同様の原理が適用すると考える経営者は意外なほど少ないようです。上場会社であっても、株主の質に注意深く意識を払い、好ましい株主と長期的で良好な関係を維持することは重要な経営課題ではないでしょうか。このような考え方に基づくと、もちろん無条件ではないにせよ、事業的な観点からも、株の売買は活発でない方が好ましい、流動性は少ないほど好ましい、という発想が可能です。常識はずれの考え方のようですが、世の中には大成功事例が存在します。バークシャー・ハサウェイ社(ニューヨーク証券取引所にて上場)はその時価総額(株式時価総額は約20兆円超)に比較して著しく売買高が少ない企業です。その株主は、驚くべきことに毎年その98%が前年と同じメンバーであり、株主の恐らく90%はバークシャー株式が最大保有銘柄である投資家によって所有されており、実質的に大半の株主は個人であり、機関投資家の保有比率はこの規模の他者と比べても例外的に小さい、という特殊な株主構成を有しています。個人投資家が長期株主になることを選択するのであれば、機関投資家を通さずに直接の株主になった方が、圧倒的に経済効率が高いということは言うまでもありません。この件に関するより詳細な議論は2007年4月1日のエントリー『トリニティの企業金融論』31~40ページ(VII. 株価、時価発行増資、配当政策、IR)を参照下さい。

金融主権社会の弊害
金融が実体経済よりも重要視される社会は、尻尾が胴体を先導する犬のようなものです。企業の事業活動と付加価値の創造に直接寄与しない金融専門家が、事業活動から生まれた最終果実の「40%」を受け取るような市場メカニズムは、金融が本来果すべき、事業の黒子としての役割を完全に逸脱しています。米国では、2007年時点で全民間労働人口の5%を占めるに過ぎない金融セクターが、企業利益全体の40%、株式時価総額の20%を占めています*(5)。一義的に富を生まない金融セクターが、全米企業利益の40%を占めている現状は、企業の税引利益の「40%」を流通手数料として吸い上げる資本市場の姿に呼応するかのようです。

金融専門家に税引き後利益の「40%」を支払うということは、企業にとっては「40%」余分に収益を、しかも税引き後の収益を上げなければならないということを意味します。より高い事業収益を迫られた多くの企業は、(i)M&Aや事業の拡大再生産など、資本の力を借りて収益を押し上げようとするか、(ii)労働者の賃金を減らし、より濃度の高い労働を要求し、正社員を減らし、労働分配率を下げることで事業収益の帳尻を合わせようとします。マッキンゼーが2001年に米国で行った調査では、ウォルマートが「経営革新」の模範例とされていますが*(6)、後者(ii)の典型例でしょう。組み立てラインの運転時間を短縮し、仕事量を倍にし、休憩時間を短縮すれば、確かに名目時間当たりの生産性は上がります。つまり、より少ない賃金で、より多くの労働力を引き出す「鬼」のようなやり方が、優れた経営として評価され、権威ある「識者」によって礼賛されているのです。そのような経営手法の社会への広まりなども寄与して、全人口の5%が60%の富を保有する反面、全労働人口のほぼ30%が時給8ドル以下で働く(1998年経済政策研究所のデータ)格差社会構造が生まれ、かつて世界中の羨望の的であった米国の中産階級は壊滅状態となりました。中産階級の平均所得の増加が止まってから久しく、米国の世帯は長い間、共働きと持ち家価格の上昇によってこの状況に対応してきました。僕も、少なくとも1990年代前半に、米国では専業主婦が女性にとって相当のステイタスであることを知って驚いた記憶があります。1997年7月以降のサブプライム危機は、大恐慌以来の金融危機であるとして世界中から注目されていますが、それ以上に、米国中産階級の息の根を止める最後の決定打になったことが、より本質的かつ重大な点であり、遠からずその事実が痛みを伴って顕在化するでしょう。

【2008.6.25 樋口耕太郎】

*(1) 税金は本来社会に還元されるものと考えると、各種税金(株式売買に付随する委託手数料への消費税、登録免許税、譲渡益税、配当課税など)の支払いは、社会全体から見ると必ずしも市場の効率を下げるものではありません。その意味で括弧にて表現しています。最も昨今の税金の使われ方を見るに、括弧ははずした方がよかったか、とも思いますが・・・。

*(2) 本稿で表現している通り、企業当期利益の「40%」という比率は、非常に大掴みな推定値です。市場環境によっても大きく変動するなど、正確な算定は事実上不可能と思い、乱暴に推定しましたが、そのためカギ括弧にて表現しています。僕の感覚では、当たらずといえどもそれ程遠からず、わずかに誇張気味かもしれませんが、現実のイメージを、おおよそ伝える水準ではないかと思います。税引き後利益に対する比率は、高PER銘柄については過小評価されることになります。なお、PER20倍は日本の株式市場の長期的推移から勘案すると、比較的保守的な水準ではないかという感覚です。

なお、株式のような変動商品に関する「40%」に対して、銀行預金、MRF、生命保険、年金などの確定利回り商品は更に非効率です。例えば日銀が発表している2008年4月の国内銀行の平均貸出金利1.92%に対して、5月末の店頭表示預金金利は、最も金利の高い1,000万円以上10年物定期で0.86%となっています。預金には多様な期限がありますので、銀行全体の平均預金金利がこの利率ということはあり得ませんが、仮にこの数字を採用しても、企業が銀行へ支払う金利費用の65%以上、平均預金金利を大掴みに0.5%と推定すると、実に74%が銀行への対価として支払われていることになります(もちろん銀行は預金者に対して流動性と確定利回りを保証しますので、考え方としては、銀行が受け取る収益の中には、債務者の信用リスクを銀行が負うことの対価も含まれていることになりますが、ここではその点は無視しています。また、低金利環境化においては金融専門家に対する分配「比率」が高めに算出される傾向はあります)。

また、6月23日現在の野村證券のマネー・リザーブ・ファンド(追加型公社債投資信託)は、予定利率0.378%に対して、信託報酬1%が請求されるため、単純計算では、やはり約73%(1%÷1.378%)が金融専門家への手数料として支払われます。それにしても、分配利率0.378%の投資信託の運用報酬が1%というような商売が存在すると言うこと自体驚きです。恐らくこれ以上金利を高くすると、銀行預金から大量の資金流出が生じることを防ぐための、一種カルテル価格ということだと思いますが、良い悪いは別にして、既存の金融市場の非効率さを象徴するような商品だと思います。

*(3) 証券取引市場で支払われる売買コストは、取引金額(出来高)×手数料によって決まります。株式売買委託手数料はネット証券の登場によって、著しく低下しましたが、市場平均出来高は近年急上昇していること、などを勘案して大掴みに推定したものです。

*(4) A社株主の大半がこのような機関投資家だとした想定ですが、もちろんこの想定は現実的ではありません。ただし、生命保険、年金、更にこれらの機関投資家がヘッジファンドやファンド・オブ・ファンズ経由で投資する株式などを勘案すると、金融専門家への委託報酬は投資額の1%を遥かに上回るケースも少なくありません。これらをざっくり織り込んで、時価総額の100%に対して1%と便宜的に推定しました。

*(5) “Wall Street’s Crisis” The Economist, March 19, 2008 print edition.

*(6) 『クーリエ・ジャポン』2008年3月号、バーバラ・エーレンライクのコラムより。本稿では、別途彼女の著書『ニッケル・アンド・ダイムド』も参照しました。