え~~っ、今年ももうはや忘年会シーズン!?
なんと一年が過ぎるのの早いことったら!
わたくし的にもこの11月はネットショップ「ダイハチマルシェ」をオープンし、
先週末は米空軍とのファーマーズマーケット開催と、
コザでの「空中タウン」出店が連日続き随分とドタバタしておりましたので、
明日の勤労感謝の日の祝日はほっと一息でなんだかうれしい感じです。

そのファーマーズマーケットの日はあいにくの雨模様でしたが、
米軍内で前もって大きく宣伝してくださっていたおかげで
たくさんのアメリカ人の方達がいらしてくださいました。
エアフォースのアメリカンはオーガニックに対する意識がとても高く、
お野菜の価格も見ずにお買い物カゴにばんばん入れて購入してくださり、
1個410円する有機無農薬りんごが飛ぶように売れました。
私の「プレミアム紅豚しょうが焼きお弁当」も好評で、ある御夫婦などは
「ごはんはいいからしょうが焼きだけおかわりください」
「このソースはどうやって作るの?」「じゃあ、そのしょうがも買いたい」
などと言ってくださりとてもうれしかったです。

また、次の日は麗王でもお馴染みの沖縄美少女図鑑を立ち上げた西原くん達の
プロデュースによる「コザ空中タウン」がパルミラ通りであり、これまた
すごくたくさんの方達がいらしてくださいました。沖縄テクスファームさんの
御尽力には本当に頭が下がる想いでした。
こちらでもお野菜はたくさん売れたのですが、私のお弁当がわずか2時間で
限定32食分売り切れてしまい、急遽自宅に戻り追加の仕込みをし、また2時間で
完売してしまうほどの好評をいただきました!
お休みの日にわざわざ寒いなかをいらしてくださったみなさんの
温かいお気持ちに胸が熱くなりました。
本当に本当にありがとうございました。
初めての街頭での調理や販売でしたが、いつもの仕事では味わえない「働く」
ということのとても大きな学びや気づきをいただくことができました。

さて、明日は勤労感謝の日ですね。
一昔前は、「親の決めたレールにのるなんて絶対イヤ!」という言葉にまだ
リアリティがありました。とくに世襲制の仕事が多く残る関西で生まれ育った
私にとっては若いころ、この言葉を叫んでいたお友達が何人もいます。
かくいう私だって母が大阪で老舗のレストランを家業としていたために
子供の頃からいつも家に帰るとお手伝いばかりさせられて
「私は大きくなったら絶対商売人になんてならない!」と決めていたものです。
今から考えてみると、なんと幸福な時代だったのかしらと思います。
要は、まだ子供の人生の「レール」を親の世代が決めることができると
信じられていて、反抗することもできたのですから。
それが今は終身雇用制もアテにならず、伝統的な産業を支える産業構造も、
がらりと変わっていて、親が考えるような安定した「レール」など
存在しなくなっています。
つまり、好むと好まざるとにかかわらず、一人一人が自分自身のキャリアを選び、
進んでいかなければならない、そんな時代になった、ということなのでしょう。
キャリアとは生涯の仕事とか経歴というような意味ですが、
その語源をさかのぼると「車輪のついた乗り物」という意味があるそうです。
これは、とても面白いなぁと思うのです。
人の運命とは車輪のついた乗り物に乗って運ばれて、
浮き沈みを繰り返すのだなぁと。
日本語の運命という言葉をみても、「命を運ぶ」のが運命ということに
なっていますよね。
前の世代がひいてくれるレールなど存在しなくなった今、私達のキャリアを
導いてゆく運命の車は、列車や高速道路のようなものではなく、むしろ、
海を進む船のようなものなのかもしれません。一度一度の舵取りは大変かも
しれないけれど、それだけに私達は自由に、そして思い切った方向へと自分の
キャリアを進めてゆくことができるのです。

ただ、自由になったらなったで、何をしたらいいのかわからないという人達が
増えてきてもいます。
大学教授であり「日本はなぜここまで壊れたのか」を書かれた作家の
マークス寿子さんはこう警告なさっています。

地方の高校を卒業して東京や都会の大学へ入ろうという子供の数が
減っているという。特に勉強のできる子供達が、高校を卒業したら
大して勉強しなくても入ることのできる地方の大学に入ればいいと考える子が
多いという。親元を離れて、知らない大都会で暮らそうという意気込みが
なくなっている。無理しなくてもいいよ、楽にやろうよ、と考えている。
若い時の冒険心や向上心を刺激するものが生活から失われてしまったことも
理由にある。東京にあるものは何でも地方にある、テレビかケータイで
何でもわかる、見える。「便利」を基準にする限り、親元を離れる理由も、
独立する理由もない。
また親の方も概して「放任」で、子供に「自由にやらせます」
「好きなことをやらせます」ということもあり、勉強しなくても入ることが
できる大学に入り、楽に単位をとることができる授業をとって卒業して、
そのあとの就職は地方でするわけで、フリーターや派遣の人もいる。
親の家があり、車も買ってもらえて別に食うに困るわけじゃない、
そんな生ぬるさの中で何かをしようなどという意気込みや好奇心はどこから
生まれるのだろう。生まれるわけがない。
がんばって、苦しくても負けずに、歯を食いしばってやりなさい、などと
親や先生に言われる子供はラッキーな子供なのだ。多くの子供はぬくぬくと
育てられ、お腹いっぱい食べて、何の努力も要らない生活に慣れて、
そんな生活を失うことは恐い。それでいて、心は、気持ちは満たされずに、
もっと何かあるはずだ、興奮してワクワクすることがあるはずだと思っている。
それがプロ野球やサッカーチームの応援であるうちはいいが、
そこに落ち着くのはもっとあきらめが積もってからだ。
東京にはふるさとがないとかつて人は言った。人々がふるさとをすてて
東京へ働きに出た時代、そんな時代はとうに終わった。今や、地方にも田舎にも、
ふるさとがない時代になった。愛する村、田圃、山、川が失われた。
「愛する場所」がなくなっただけでなく、「愛する人」「愛する家族」も
なくなったようである。自分の家族のことを「唯一愛する人々」
と言えない人間が増えて、居場所と人間の絆とするべきことを失ってバラバラに
流動していく人が増え続けている。

折角レールなんかない時代に好きなことをできるのだもの、
がむしゃらに、がんばって、努力して、精いっぱい自分の道に邁進しなければ!
ふにゃふにゃのわびしい人生になってしまいますよ~。
レールがないのだからお手本がないのは当たり前。
自分自身の人生を創造的に生きるのみ!なのです。
疲れたらたまに休憩すればいいんだから。
不安と創造性は背中合わせ。
あなた自身の運命のキャリアを大胆に築いていっていただきたいと思います。

そして。
「働く」とは、はた(周りの人々)が、らく(楽)になるということ。
労働だけにならず「はた・らく」気持ちを忘れたくないものですね。

少し寒くなってまいりましたがどうぞお身体御大切に――。

【2011.11.22 末金典子】

爽やかな秋晴れの毎日ですね。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

週明けはハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

さて、この童心に戻るということは、初心に帰ることにも繋がります。
私はいつも自分のモットーである「初心の気持ちを忘れずに」仕事をしている
つもりでいたのですが、先日とても大きな学びの機会を得ることができました。

沖縄一のクラブである「絹」のナンバーワンと評判の高い、私のお友達でもある
郁子さんはよくお仕事が終わった後に麗王にお顔を見せてくださいますので
御存知の方も多いのではないでしょうか。
その郁子さんが先週お誕生日を迎えられました。
いつもお世話になっている私としてはこんな時ぐらいにせめてもの感謝の
気持ちをと想い、この日は郁子さんに何十もの花束が届くのですが、
その中でも一番大きく品のある花束を贈ろうと、昨年は沖縄一のお花屋さんと
呼び声が高い「ディテイルフル」さんからお贈りさせていただきました。
でも今年は、麗王のお客さまで親御さんのお花屋さんを継がなければ
ならないことになった女性に、彼女への応援の意味も込めてお願いすることに
したのです。
その女性は初めての特大の花束を作製するということで、プロの方にアレンジを
相談されたり、郁子さんのイメージを実際会われた印象やお写真などから
膨らませ、旦那さまと一緒に仕入れに出向き、一生懸命花束を作って
届けてくださいました。
ところが私への領収書は贈りたかった金額よりも5000円安い金額。
訳をおうかがいすると、私への思いやりのお気持ちから少し少なめに作製し
おまけに値引きまでしてくださったとのこと。ありがたいなという気持ちの半面、
郁子さんへの想いの表現が小さく届いてしまったな、どうしようという気持ちが
半面でした。そこでその女性に感謝の気持ちと共に、残念の気持ちも正直に
お伝えしました。するとその女性は怒るどころか私の説明を冷静に
受け止めてくださり、
「典子さんへの感謝の気持ちを優先して考えてしまい、その先にある典子さんが
感謝したい郁子さんへの思いやりにまで考えが及んでいなかったと思います。
申し訳ありませんでした。」
との大変意識の高いメールまでくださり、逆に私もまた自分のコミュニケーション
不足を反省しお詫びをしたことでした。
すると、お花を贈った次の日のこと。
郁子さんが「典子さん、昨日はお誕生日のお花をありがとうございました」と
メールもくださっていたのにわざわざ麗王に5人でいらしてくださいました。
私は正直にお伝えしようと思い、
「郁ちゃん、昨日はごめんなさい。いつもの感謝の気持ちを特大の花束で
表したかったのに、善意の気持ちの行き違いから小さめの花束に
なってしまいました。本当にごめんなさい。」
と謝りました。すると郁子さんがこう言ってくださったのです。
「とんでもないことです。典子さんのイメージより小さくとも、充分に大きな
花束でしたし、何より、今回のお花、何故だかすごく感動してしまいました。
ありがとうございました。」と。
つまりは、いつもの一流店なら値段どおりの手馴れたプロらしいものを
作ってくださったのでしょうが、今回お願いした女性は不慣れではあっても、
一生懸命郁子さんをイメージし、仕入れも郁子さんのためにわざわざ出向き、
思いを込めて作製し、その工程をずっと見守っていた旦那さまが届けてくださった。
その想いが花束にプラスアルファとなって郁子さんに届いたのではないかと
思うのです。
私もつい想いの表現を値段で、と安易に考えていたのです。
このお花屋さんの女性のように「想いを込めて仕事をすること」の大事さを
改めて学んだ出来事となりました。

仕事には、「勤め」と「努め」という二つの意味があるとおもいます。
「勤め」とは、いわゆる会社や、何かしらの団体や組織との契約によって
与えられる仕事を、一生懸命やりとげること。
ここには必ず契約というやりとりがあるので、金銭が発生します。
わかりやすくいえば、社会との関わりのなかで、お金のために健全に働くことが
「勤め」ということ。一般的にいわれている職が「勤め」です。
「努め」とは、日々の暮らしと仕事を支えるべくして、自分から創造し、
精いっぱい果たすこと。
金銭は一つも発生しない行為です。たとえば、家庭の主婦の育児、家事などは
「努め」です。また、社会の一員の役割として、健やかであること、
いろいろなことを面白がったり、しっかり休息をとること、すなおで勤勉で
あること、見返りを求めず人をおもいやるといった心の働きも「努め」
でしょう。
つまりは、誰にとっても「勤め」と「努め」があるのです。

でも、人それぞれで「勤め」と「努め」のバランスは違うもの。
一般的なサラリーマンは「勤め」が7割、「努め」が3割くらいでしょうか。
専業主婦なら「努め」がほとんどで、「勤め」はわずかかもしれません。
そしてこの二つは、均等にはなかなかできません。
ただ、大切なのは、「つとめ」の空白を作らないことではないでしょうか。
たとえば「勤め」が5割で、「努め」が1割、どちらでもない空白が4割
というのはよくありません。やることがひとつもない。うっかりすると
そうなりがちだから恐いのです。

たとえば、今、職を失っている人もたくさんいらっしゃいます。
そんなふうに「勤め」がおもうままにいかなくても、「努め」はあるでしょう。
そこで自分の「努め」とは何だろうかとしっかり考える。
そんな自分の「努め」を大切にして一生懸命に果たしていれば、
今はなかなかうまくいかない「勤め」の補いができますし、
いつかまた来るであろう「勤め」の時のために何かを学ぶこともまた
「努め」なのだということになるのだと思います。

もしくは逆に、必要に迫られて仕事漬けになってしまい、
家庭や自分の暮らしを犠牲にせざるを得ない人もいらっしゃいます。
「努め」が果たせなくても、今は「勤め」の時なのでしょう。
そういう時期は誰にでもあるものです。休日に、少しでも「努め」を果たそうと
すればいいのではないでしょうか。

自分にとっての「勤め」とは何か。「努め」とは何か。
それを一度考えてみましょう。
そして、今の自分の「勤め」と「努め」のバランスを冷静に自覚することが大事
ではないでしょうか。
「勤め」と「努め」。どちらも生きてゆく上で大切な「つとめ」です。
何があろうとも元気を出して「つとめ」ていきたいものです。
しっかりと「勤め」、ていねいに「努め」を果たしたいと、今回の花束の一件で
初心に帰ったことでした。

さぁ、週明けのハロウィンの日には、子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょう!
私も魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

【2011.10.27 末金典子】

折角の連休でしたのに、なんだか中途半端な台風がちょろちょろしていて
計画がだいなしになってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
とにもかくにもあなたはのんびりお過ごしになられましたでしょうか?

ここのところは暑さも随分マシになりようやく秋の気配がしてきましたね。
私の住む北谷のアラハビーチ前のアパートメントは、真夏以外なら冷房いらず、
扇風機いらず。海側の西の窓とベッドルームのドアを開け、
東側にあるリビングルームの窓を開けると、気持ちのよい風が、サーッと一気に
吹き抜けます。風通しのよさは快適性に欠かせないものです。
圧迫感のあるものをなくし、風の通り道をつくると一気に風が通り抜けて行きます。
片方の窓だけ開けても風は入りません。
どんなことでも出口を作らないと入り口から入ってこないのです。
道をつくってあげることが風を感じる第一歩。

そこでふと思い出したのは、水泳のレッスンを受けていたときのこと。
昔私が泳げなかったのは、息継ぎが上手にできなかったからなのですが、それは、
息を吸うことばかり考えていたせいでした。
息継ぎのポイントは顔を水面に上げると同時に口で息をふっと吐くこと。
そうすると自然と息を吸うことができます。息継ぎは吐くことだけを考えれば
できるようになる。これは大きな発見でした。
これもまた風と同じ、何事も出口がないと入って来ないのです。

手に入れることばかり考えていては何も手に入らない。
きっと何でもそうだと思います。
私がよく使う喩えなのですが、
両手に荷物を持っていては、次なる新しい荷物は拾えない、と。
つかんでいるものがあったら手放してみましょう。
空っぽになった手の中に次のものが入ってきます。
捨てること、出すこと、デトックスをすること…。それはとても大切なこと。
運気もお金も健康も、風通しを良くすることが重要なのだと思います。

またそうなると人生がどんどん変わり始めます。
私はよく思うのですが、人生というものは、突きつめていくと
いつも二者択一の連続だな、と。
どうすべきか迷ったとき、答が見つからないときは、その悩みを分析していくと、
結果、ふたつの選択肢に突き当たるはず。
その何かと何かのどちらかをチョイスすれば前に出られるようにできています。
そのひとつひとつの選択が、パイ生地のようにミルフィーユケーキのように
層になって未来を大きく決定づけていくのです。
すべては自分で決めたことの積み重ね。
そう思うと、やはり大切なのは小さな毎日の決断。そして今この瞬間、なのです。

それから、何事も自分の意思で決めていくこと。
自分の小さなプライドや決め事、他人の視線などにとらわれず、
自分の心がのびのびとできるように、自然体で風通し良く、快適に生きることを
日々大切にして、迷ったときには自分で考えながら選択していきたいものです。
そうすればどんな未来も後悔しないはずです。

明後日は秋分の日。
あなたの心にやさしい秋風を通してみてくださいね。

そして、
今日を人生の最高の日にしてくださいますように。

【2001.9.20 末金典子】