心がこわれるほど苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
さがしたけれど
どこにもいない。
ふと思う 
さがすような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい

八街少年院生活詩集より。
(薬師寺執事の大谷徹奘著「『愛情説法』走る!」)

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多くの人と接するほど、深く関わるほど、自分が苦手だと思う人に正面から向き合うほど、心から実感すことがある。

・・・それがどれほど非道い振る舞いに見えても、どれだけ自分を傷つけてくるような人であっても、怒りを覚えるようなずるい生き方であっても、すべての人は例外なく、どの瞬間も、愛情を求めて生きていると思う。

好きの反対は嫌いではなく、無関心だと言われる。なぜ、心を尽くした思いやりに対して、これほど酷い仕打ちをするのかと、恨みたくなる気持ちは山ほど経験したが、あるとき、ふと、そんなすべての人たちは、人間的な関わりを心から欲している、と思えたのだ。

私たちは、誰でも、愛情という名のハリネズミだ。人と接して、人を愛して、人に認められたい。しかし、人間としての不器用さが、自分に近づく人を傷つけてしまう。自分が関心を持つ人を怒らせてしまう。自分が愛する人を遠ざけてしまう。

周囲を見渡しても、みんなハリネズミ。なんて冷たい社会なのだと恨みたくなる。そんな中、時おり、ハリを持たない愛情ネズミを見つけると、近寄っていって抱きしめるつもりが、相手をいじめてしまう、裏切ってしまう。相手が傷つきいて遠ざかると、やはり、人は自分から離れていくのだと絶望する。

だから、「やさしさを探す」生き方をすれば、人生が辛くなるのは、実は当然なのだ。他人に「やさしさを探しても」社会はハリネズミばかり。運良く本当にやさしい人と出会うことができても、そのやさしさをつかもうとすれば、自分のハリで傷つけてしまう。

また多くの場合、私たちは、自分に最も思いやりで接してくれている人に、ほとんど気がつかないでいる。このため、自分にとって最も大事な人物を、最も傷つけている自分にも気がつかない。知らぬ間に、意識もせずに、思いやりで接してくれる人物を遠ざけ、気がつくと、お互い相手に踏み込まないハリネズミ仲間と薄い人間関係を持続するようになる。

私たちの誰もが心から望んでいる愛を掴むためには、「やさしさを探す」のではなく、やさしさを人に与え、贈与的に生きる以外に方法はない。「ハリネズミの法則」による必然である。

あなたが、自分のハリを放棄して、愛情本位で生きると、愛情に飢えた多くのハリネズミが、あなたの魅力に惹き付けられてやってくる。多くの人にとって、実は、これはとても恐ろしく感じられることだ。あなたはガードのないボクサーのように、さんざん殴られ、傷つけられることになる。

自分が傷つけられるたびに、自分の生き方に疑問を持ったり、人の心を疑ったり、無力感を味わったりすることになるだろう。

しかしながら、この場合、あなたが傷つけられているのは、あなたが憎まれているからではない。あなたのもつ愛の魅力ゆえである。そして、恐らくより重要なことは、ハリネズミがあなたを傷つけるのは、ハリの奥に隠された愛が、あなたの愛を見つけるからだ。

あなたが苦手な人の心の奥に愛を見よう。むずかしいことかもしれないが、それでもきっと、あなたを傷つける人の心の底に愛が見える筈だ。あなたがその愛を見つめれば、ハリネズミははじめて自分の本当の目的に気がつくのだ。自分は人を傷つけようとしていたのではなく、愛そうとしていただけなのだ、と。

ハリネズミは、本当は、人を傷つけたくなどないのだ。彼のほんとうの目的は、人を愛することなのだから。

【樋口耕太郎】