梅雨でじとじととする毎日ですが、あなたはお元気にお働きでしょうか。

先月には母の日がありましたが、この週末は父の日ですね。
いつもそうなのですが、母の日にはお花屋さんもカーネーションいっぱいに
埋め尽くされ、デパートでも母の日のプレゼントのお品がたくさん並びますが、
父の日は、と言いますと、なんだか盛り上がりに欠けるような感じが
いたしますね。
子供にとってのお父さんの存在ってちょっと不憫なような…。

先月の母の日には、例年なら母への想いを麗王便りに綴るのですが、
昨年母を亡くしましたので、病気で麗王をお休みしていたこともあって、
何も書かずにおりました。
父は透析は受けているとはいえ幸いにも元気にしてくれておりますので、
今週は父の日ではありますが、書かずにいた母のことをやっぱり書いてみようと
思います…

講演会での語りかけや、音楽の演奏会や、映画鑑賞などは、
その場限り、その瞬間限りで、虚空に消えてしまいますね。
でも、語る内容に強く共感した瞬間のことや、
演奏に激しく心を揺さぶられた瞬間のことや、
映画のストーリーに涙が出るほど感動した瞬間のことは、
心にしっかりと刻まれて、いつまでも記憶に新しいものです。
そのことを、作家の柳田邦男氏は「瞬間の永遠性」という言葉でとらえ、
大事な考え方だとされています。

私も昨年母を亡くした時に、本当にその通りだなぁという気づきが生じました。
母が亡くなった直後は、ただ悶々として在りし日のことを
思い返すばかりでしたが、ある日、その回想の中でハッと気づいたのです。

確かに母は、いなくなりました。
でも、思い返している私自身の中で生きているではありませんか。
しかも漠然と思い出しているのでなく、ある日私と語り合った時の表情や語り口、
沖縄に遊びに来てくれた時に一緒に見た海の美しさに感動した母が
つぶやいた時の様子など、瞬間瞬間の情景が数限りなく生き生きと
甦ってきます。
そういうかたちで、母は私の心の中で生きているのだと、
心の底から実感することができたのです。
それこそが、「瞬間の永遠性」と言うべきものなのでしょう。

もちろん母を喪った悲しみや心の苦しみは消えるものではありません。
遠く離れて暮らし、娘として十分な親孝行もできなかった自分を
責める気持ちはいつまでも終わることがありません。

でも、自分は母の魂を容れた器であり、自分は母の喜びや悲しみや苦悩の
瞬間瞬間を消すことなく灯し続ける聖火台のような存在なのだと気づいた時、
私の心の中には、どんなに悲しく辛いことがあっても、それらのすべてを受容し、
自分の人生を肯定的に考えて生きるのだという意識が生まれていたのです。
愛する者との魂のつながりというものは、おそらくそういう自覚によって
揺るぎのないものになるのだと思います。

あなたの御両親が御健在でしたら、どうぞ今のうちにたくさんの「瞬間の永遠性」
を紡がれますように。

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麗王
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末金典子