空梅雨の今年の沖縄ですがカラッと晴れるわけでもなく妙にじとじととしていますね~。
今日からはようやく雨模様のようですのでダムに少しでも多くのお水が溜まると
いいですね。

あなたはお元気にお働きでしょうか。

母が2月に亡くなり、残された父はとても楽観的な人なので案外大丈夫でしょうと
思いきや、男性というものは繊細なものなのでしょうね。腎不全が悪化してしまい
透析治療を受けることとなってしまいました。
私は生き方としては母から強い影響を受けましたが、
父からは読書することや文章を書くことの影響が強かったように思います。
いろいろな本を父から薦められましたが、なかでも一番心に響いたのが、
80年前に書かれた本が今の時代とリンクして漫画化され今や200万部越えの
大ヒットになっている吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」という本でした。
この本は1937年に出版された、コペル君とよばれる15歳の少年が叔父さんとの対話を
通して成長していく物語です。
どのエピソードもとても素晴らしいのですが、私は特に「ニュートンの林檎と粉ミルク」の
お話がすごく心に残っています。
まだ読んだことがないという方は是非お読みになってみてくださいね。

さて。
人間は弱い生き物ですから、自分で決定することに躊躇します。
果たして、それが正解なのか、間違いなのか、状況を見極めようとします。
場合によっては、過去のデータを持ち出して確率を高めようとする者までいるでしょう。
あるいは、友達や親や兄弟や先輩に意見を求めるかもしれません。
誰もが傷つきたくないのです。だから、正解を選びたいと思います。
生き方を自分が決定することより、間違えない生き方を選ぶことを優先させようと
思っている人がたくさんいるのではないでしょうか。

コペル君の叔父さんのノートに、「ありがたい」という言葉を考えてみなさいとあります。
「ありがたい」とは、「感謝すべきことだ」とか「お礼を言うだけの価値がある」とかと
いう意味で使われていますが、この言葉のもとの意味は、「そうあることがむずかしい」
という意味であり、「めったにあることじゃあない」という意味だと書いてあります。
自分の受けている幸せが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、わたしたちは、
それに感謝する気持ちになるのだと。

確かにそうですよね。
わたしたちは、生きているだけで「ありがたい」のです。
自分で決定して間違えようが、傷つこうが、遠回りしようが、「ありがたい」のです。
言い方を変えれば、「自分の生き方を自分で決定できること」こそが
生きるということなのです。
「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ」叔父さんのノートには、
そう書かれています。

この「君たちはどう生きるか」が80年経って大ベストセラーになったのは、
誰もがコペル君のように、悩みながら生きていて、心の中に「叔父さんのノート」を
求めていたからなのでしょう。
正解も間違いもありません。
結果より、「わたしはこう生きたい」と思うことが、自分の生き方を決定する
ということなのかもしれません。

「あなたはどう生きるか」

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麗王
トリニティ株式会社
末金典子

GWも終わりまた日常が戻ってきました。
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか?
私はと申しますと、友人の結婚のお祝いに名護での飲茶のお食事会に行ったり、
瀬長島の台湾夜市に出かけたり、プラザハウスのインドネシア料理を食べに行ったり、
モーレツにお部屋の大掃除と模様替えをしたりと、のんびりしようと思いつつも、
結構食べること中心に(!)お出かけの毎日を過ごし、ランニングや大掃除も
したものの体重が⤴⤴⤴ (-_-;)💦

さて。
50歳を過ぎたころから、もの忘れが気になるようになりました。
よく知っている人の顔が浮かんだのに、名前が出てこない。
それまでなら、なんてことのないお店の名前や、どうでもいいケーキの名前まで
よく覚えていて、「ほら、あの」くらいの間があっても、必ず思い出せたのに、
思い出せないまま、うやむやに終わる経験が、間遠だけれども度重なり、
雪が淡く降り積もるように、脳のそこここに「見つけられない」場所が増えていく…
私の脳は、どうなっちゃうんだろう、これが進めば認知症になっちゃうんだろうかと、
そんな不安に襲われてしまったり…。

言語学の先生がおっしゃることには、「あなたが忘れるのは、まだ固有名詞でしょう?
80代に入ってくると、普通名詞を忘れるようになります。固有名詞のうちは、
もの忘れとは言いませんよ。」
そう、たしかに、私は、人の名前は忘れるけれど、「人」という普通名詞を
忘れるわけではありません。
先生は、こうもおっしゃいます。「普通名詞を忘れると、その存在意義も忘れます。
つまり、しゃもじを手にして、その呼び名が分からなくなったときは、
それが何に使うことができるものなのかも見失うんですよ。」と。

人工知能研究者の黒川伊保子さんによると、脳科学研究の所見上では、
ことばは、今を生きることに必要でなくなったものから消えていくそうです。
そして、人は、やがて、この世に別れを告げる準備に入ります。
遅かれ早かれ、人は、いくばくかのことばを失なっていくのです。
多くは、覚えた逆順に、消えていくのでしょう。
そうして、最後は、人の手のぬくもりだけを頼りに、もと来た場所へ帰っていくのです。
その人生の始めに、母の手に何もかもゆだねたように。
なので、その道のりを憂うことはないのです。今とこれからを生きるために
必要でないものを捨て去り、魂はきっと身軽になっていくのです。
誰もが行く道なのです。脳には、その行き方が最初からプログラミング
されているはず。
だって、生まれてからの育ちも、ちゃんとプログラミングされているんだもの。
この世におぎゃあと生まれたら、目でおっぱいを探して吸うことをどの脳も知っていて、
目の前の人の顔の表情筋を脳裏に映し取るようにしてことばを獲得し、
体幹を使って寝返りを打ち、歩きだす…。脳にあらかじめ仕込んであった生体の
プログラムが発動するのです。
最後の道のりもきっと同じなのでしょう。脳に抜かりはありません。

母が逝ったのは、2月でした。
最後の数日、母はまるで、私の子どものようになりました。
私が病院に顔を出すのを、幼子のように楽しみにしてくれたのです。
あるとき、「もうお父さんと暮らすのはいやや。」と母はさめざめと泣きました。
私は、「退院したら、沖縄に来たらどう? 弟ももう大人なんだから、
お母さんがいなくても大丈夫だって。今度こそ沖縄でしばらく暮らしたら?」と
言ったら、母は、幼女のように「ふふふ。」と笑いました。
随分母には支えてもらいました。「親孝行して、恩返しをする」と思っていたのに、
目の前で無垢な幼子のようになっていく母を前に、それをする時間が
残っていないことを悟りました。
もっと生きてほしかった。もっと元気なうちに無理矢理にでも沖縄に呼んでおけば
よかった。私は永久に、母に借りがあります。
母は、急いで幼子になりました。それでも、きちんと幼子になって、最後は、
もと来た場所に戻って行きました。

ところで、先ほどの脳のお話に戻りますが、
「脳の絶頂期でもあり完成期は、56歳から!」ということのようなのです。
脳は、28歳までは新しいことをインプットする入力時期、
29歳から56歳までは入から力出力に切り替わる惑いといらだちの時期、
そして、56歳以降が出力性能の最大期だそうです。
つまり、それまでの失敗・成功事例をもとに、瞬時に本質を見極められるようになる
ということ。
失敗しにくく、成功しやすい状態なのですから、今後の人生楽しくないはずがありません。
黒川伊保子さんいわく、「人の名前が出てこない? まったく問題なし!
脳にとって不要な記憶ということですから。」と嬉しいお言葉。
無駄なものを捨てていくのが、脳の最大のテーマなのですね。

幼子になった母を見送った私は気づくとその56歳になっていたのでした。
そしていつか私も、母のように、幼子になってもと来た場所へ戻って行くのでしょう。
それまでは麗王で、母への恩返しをみなさんにペイ・フォワードするべく、
がんばりたいと思っています。
この日曜日はどうぞ優しい気持ちを贈る母の日をお過ごしくださいね。

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末金典子

ゴールデンウィークが近づくと季節もすっかり春めいてなんだか気分が
ウキウキしてきますね~! さぁ、たっぷりお休みするぞ~っ、という感じ。
あなたはどんな御予定がおありでしょうか。

ところで。

あなたは何歳ですか?

いえ、実際の年齢ではなくて、御自分の感覚として、今何歳だと感じておられますか?

私なんて麗王にいらしてくださる20代・30代の女性達とキャキャーと
恋愛話などしている時には、何の違和感もなく自分は20代!という気分でいたり、
疲れた日の翌日の朝の自分の顔を見て「ひゃぁ~もうしっかり50代の顔だ~」と
どんよりしてみたり…。

年齢観が、今もめまぐるしく動いています。
昔は50代半ばなんていったらもう定年のおじさん、おばさん。
60代70代となるともうおじいさん・おばあさんというイメージでしたが、
今の60代なんてとてもおじいさんおばあさんには見えない方ばかりです。
40代はまだ「女の現役」…そういう新しい年齢観が生まれたのは、
まだほんの10年前のこと。
そして気がつけば今、話題の中心は50代。
50代60代女優の結婚と恋愛が、マスコミを騒がせています。
50代60代という年齢イメージは、やはり結婚とも恋愛とも相容れませんが、
固有名詞で「あの浅野ゆう子さんが57歳で、あの阿川佐和子さんが63歳で結婚!」
となれば、そこには何の違和感もありません。
それどころか、あの人ならばどんな立派な結婚もあり得るという認識に至るはず。
今や、個人の魅力が年齢観を凌駕する時代なのです。
つまり魅力ある女性なら、70代だって80代だって恋ができるということ。
なぜだかこの数年で、そういう意味での年齢のタガが一気に外れた気がします。

背景にあるのは、おそらく岸恵子さんが書いた小説「わりなき恋」の存在でしょう。
70歳になろうとする国際ジャーナリストの女性が、ファーストクラスで隣に乗り合わせた
男性と、文字通りのわりなき恋(どうしようもなく陥ちていく恋)に陥ちる物語。
男は妻子ある12歳も年下の会社役員。50代にしか見えない若く魅力的なヒロインに
一瞬で心を奪われます。二人の高次元の会話やメールでのやりとりは、
読み手に知性がないととてもじゃないが解読不能。
魂レベルの高さが合致した時、そこにはありえないほど崇高かつ劇的な関係が
出来上がることを描いた不思議なリアリティは、とても鮮やかに伝わってきます。
私小説と取られても構わないという割り切りの中で上梓されたこの作品が、
日本女性の恋愛適齢期を無限のものにしたと言われています。

言い換えれば、こうした恋愛は、まさしく岸恵子さんのような女性がいなければ
絶対に成立しないものであるのは確かだけれど、現実に作者のような女性が
存在すること自体、とてつもない衝撃。
そこに私達は大変な勇気をもらうのです。
つまり、今20代の方達が岸恵子さんという女性の存在を知ったとき、その後の人生は
明らかに変わるはず。

例えば、フィギュアスケートでも、楽々と4回転を飛ぶ人が現れてから、
スケートを始める子供たちは当然のように4回転を飛ぶと言いますし、
日本人がアメリカ大リーグで活躍するなんてとてもじゃないけど無理!と
思われていたのに、野茂選手が行ったとなったら、イチローや松井選手と
続々と大リーグに行って活躍したり…。
つまり誰かが既成事実を作ってしまうと、人間にはそれが可能なのだと信じるように
なるからこそ、潜在能力が最初から覚醒するのです。

だからこれからの日本人は、70代80代まで恋をするに違いないのです。
50代の結婚なんてもう当たり前になるのでしょう。

しかも50代60代は今、変革期にあります。
一般企業でもキャリアある人達が長年勤めた会社を退職、結婚や転職、独立、
大学に戻るなど、それぞれ大胆に新しい扉を開き始めたのです。
それも「人生100年」が突然見え、とすれば50代60代はまだ折り返し、
2巡目の人生を始められる年齢。
少なくとも「老後」はやってきません。だって2回目の人生を生きるのだから。

でも年齢を重ねてからの恋愛や人生を素晴らしいものにするためには
絶対必要な条件が一つあります。
ズバリ、知性と教養です。

大人の恋愛は、質の高い会話がないと全く味気なく安っぽいものになりがち。
そもそも関係が深まって行かないはず。お互い感動し合うような時間を持てなければ、
大人が恋愛する意味などないはずで、そのためには言葉と知識と哲学が不可欠。
実際50代から恋愛や結婚に至る人達は、その条件を皆クリアしておられます。
もっと言えば、人間は歳を重ねて、他者とのそういう濃厚な関わりを持つためにこそ、
知性と教養を積み重ねてきたと考えてもいいのではないでしょうか。
人生に一度の究極の出会いをするためにこそ積み重ねてきたものと言ってもいいくらい。

さぁ、あなたも80代までドキドキするべくこのゴールデンウィークには知性と教養を
うんとたっぷりと磨いてくださいね!

* GWはカレンダー通りの営業ですが、5月7日は月曜日ですので
お休みさせていただきます。

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