こんにちは。
連休前に台風が通り過ぎ、秋の気配が強まってきました。

昨日は敬老の日でしたね。おじいちゃん・おばあちゃんとお過ごしに
なられましたでしょうか。
この敬老の日、私の大好きな聖徳太子が悲伝院というお年寄りの救護施設を
設立したことにちなんで作られた国民の祝日です。
お年寄りへの感謝と尊敬を思い出させてくれる日でもあります。

先日意外な方からお電話をいただきました。
なんと!私の小学生の時の担任の先生から。
「末金さん、こんにちは。お元気になさっておられましたか?
覚えてくださっているかしら? わたくし、あなたが小学生当時に、
担任をさせていただいた植田でございます。」
もうビックリ!!! 大好きだった、憧れだった、お優しくて、お美しくて、
お上品で、とにかく素敵だった植田先生。当時は30歳ぐらいだったから、
今はもう、ええっと…65歳?! わぁ、想像できない、今の先生。
小学校教育一筋に、ずっと独身で…なんていうウワサを聞いたこともある。
でも、お声も、お話のなさり方も、今も変わらず、とてもお優しくて、
すごくお上品。
先生のおうちに何度かお招きいただいたこともある。
お友達数人とバスに揺られて、伺った先生のおうち。とてもきれいに
してらして、本を読んでくださったり、つくしを取って、それをたこ焼きに
入れて焼いてくださった。今でも忘れられないのが、帰る時には
「これバスの中でいただきなさいね。」とお土産に持たせてくださった
綺麗なレースのハンカチに包まれたキャンディ。
叱る時も厳しく叱るけれど、とにかくたくさん優しく褒めてくださる。
「とてもステキにご本が読めましたね。」「今のはとても立派な態度でしたね。」
と。もう男子などは、先生に褒められると、真っ赤になって、
木にもピョ~ンと登る勢いで喜び勇び、ついついいい子になっていたものだ。
その先生からのお電話、だ。
当時の私は今と違って(?!)、お転婆な女の子だったので、とてもよく覚えて
くださっていたのだろう。
生徒会副会長になって、実にたくさんの「みんなでやろう運動」を
立ち上げたっけ。
(例えば、学校近くの駅で“重い荷物を持ったお年寄りの方をおうちまで
送ってあげよう”“雨降りの時に傘を持っていない人がいたらおうちまで
送ってあげよう”なんて具合)なんだか今思うと気恥ずかしい。
先生は今回沖縄にいらっしゃることが決まると、私が沖縄にいるという
風のウワサを思い出され、レストランをしていた母に尋ねてくださり、
お電話をくださったというわけなのだ。

たくさんお話しすることができた。たくさん私の小学校時代が蘇ってきた。

私は子どもの頃から、百科事典まで愛読するほどの典型的な文系人間で、
今もって数学心のない人間。
私と同じような人の話をよく聞くけれど、私も最初から数学がまるでだめだった
わけではない。すくなくとも「さんすう」の段階までは、まだ何とか息があった。
テストでも単純な計算問題の部分はむしろ解くのが楽しかった。が、これが
設問形式となると、もういけなかった。たとえば
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、
10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」
というような問題があったとすると、私はその“ある人”のことがひどく
気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。
家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7こしか買えないと
わかった時に“ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりで
あったろうか――。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまう
ことさえあり、(“ある人”ったら、うふふ……)などと想いを馳せて
いるうちに、「はい、鉛筆を置いて!」という先生の声が響きわたって
しまうのだった。

理科の時間には、みんなでお花を育てましょうということになり、私の班は、
ペチュニアにしようと決まった。しかしペチュニアには天敵がいた。
ナメクジだ。奴が夜のうちに花びらだけをきれいに齧りとってしまうのだ。
私の怒髪は天を衝いた。殺ナメクジ剤「ナメキール」を撒いてみたが効果は
なかった。私は同じ班のお友達と真夜中に学校に行き、懐中電灯を持って
花壇で『八つ墓村』のごとき憤怒の形で一匹ずつナメクジを割り箸で
つまんでは捨てた。「後にも先にも、ナメクジに対してあれほど強い殺意を
抱いたことはありません。」と今回その思い出話をしながら私が言うと、
先生は「おほほほ…」と笑いながら、「あなたは子供の時からおもしろい
お話のなさり方をしていたけれど、今もちっともお変わりありませんねぇ。」
と言われた。

もっとも、そういう私を育て導いてくださったのは、先生であり親なのだ。
先生も母も、偉大な国語学者であり教育家の大村はま先生の教えがいつも頭に
あったようだ。
「言葉が貧しいということは、心が貧しいこと。“読む”ことは
読むことによってしかのびないし、“話す”ことは話すことによってしか
“書く”ことは書くことによってしかのびない。」と。
それがどう私に活かされたかはわからないのだが……。

その先生も母も、もう「おばあちゃん」と呼ばれる年なんだなぁ。

おばあちゃんやおじいちゃんと接すると、彼らはいつの時も、鋭い洞察力で
時代を分析し、人生に対して優しくあたたかな眼差しを注いでいた。

彼らは、私たちの人生の大先輩。長年の経験をもとに紡がれるその言葉には、
人生を豊かで実りあるものにするためのステキなヒントが宿っている。
私がいただいた大きなヒントはこれ。
「幸せとは、生きることを楽しむこと。」
どんな時もゆとりを忘れず、喜びも悲しみも受け流す彼らはまさに、
人生の達人。

普段は忙しさにかまけて、あまり交流のないおじいちゃんやおばあちゃんの話に
耳を傾け、その思い出話やライフスタイルから、毎日を快適に過ごすための
知恵を学びとる日にしたいものだ。
そして、その深みのある人生に触れ、忘れてしまった大切なものを、
生きることの旨みを、教えていただきたいと思う。

【2007.9.18 末金典子】

お元気ですか?
沖縄は久しぶりに台風が直撃しましたが、あなたは大丈夫でしたでしょうか。
金曜日はさすがにバスも終日運休しましたので、仕事もお休みさせて
いただきました。
昨日は本土で大きな地震もあったりと、天災続きでたいへんな連休に
なってしまいました。お見舞い申し上げます。

さて、昨日は海の日でしたね。あいにくの雨で海水浴も叶わず、
お部屋の窓から雨模様の海を眺めてすごしました。

太陽系の惑星の中で、海があるのは地球だけです。生命が存在するのも…。
そして、青い惑星と呼ばれるように、私たちが住むこの地球の70%は海です。

地球ができたのは今から46億年前。ごく小さな惑星同士が衝突・合体を
繰り返して、しだいに大きな惑星ができあがったと考えられています。
衝突の熱のため、当時の地球は、1700℃くらいの高温。ドロドロに溶けた
マグマが地表をおおい、水蒸気や窒素、二酸化炭素などを含むガスが上空に
立ち込めていました。その後、地球の温度が急速に下がると、ガスの中の
水蒸気が冷え、雨となって地上に降り注ぎます。これが海の始まりでした。
今から43億年ほど前のことです。

この雨にはガス中の塩化水素が多く溶けていたため、最初の海水は
塩酸のようなもので、とても生命の住める環境ではありませんでした。
しかし海に接する岩石から、ナトリウムやカルシウム、カリウム、
マグネシウムなどさまざまな無機物がしだいに溶かし出され、
大規模な中和反応が起こります。その結果として、今のような、塩辛くて、
ほぼ中性の海ができあがったのです。

この海の中で、炭素化合物の一種であるアミノ酸が自然合成され、
そのアミノ酸が集まって作られたたんぱく質から、最初の生命体が生まれました。
アミノ酸の生成は化学反応の一種であり、水の分子のないところでは
むずかしかったと考えられます。またオゾン層の形成されていなかったこの時代、
強烈な紫外線が降り注ぐ地上に、生命体が住むことは不可能でした。やがて、
少しずつ進化した原始的な海中植物の中に、二酸化炭素を取り込んで酸素を出す
「光合成」を行うものが現れたことは画期的でした。この酸素を取り入れて
呼吸する「動物」が出現。その後長い進化の歴史を経て、私たち人間が
生まれたのです。

このように、海は、私たち人間が生まれるずっと前からこの地球に
存在しています。私たちが知りようもない遥か昔の記憶がそこには刻まれて
いるのです。
生命の誕生と死、地球上で繰り返される闘いと破壊、人間の豊かさと愚かさ、
海はすべてを見ています。
私たちは昔から、海に対してある種の浪漫を抱いてきました。
見ることのできない海の彼方に想いを馳せ、様々な夢や伝説を創り出して
きました。
私たちの想像力をかきたてる未知なる海は、たとえて言うなら、母なるガイア
(地球)の羊水。私たちの生命の源がそこにはあるのです。

不思議なことに、お母さんのお腹の中で赤ちゃんを育む羊水は、
ミネラルバランスなどの組成が、古代の海水と大変似ているそうです。
広い海を眺め、波の音に耳を傾けていると自然に心が癒されるのは、
海が私たちのふるさとだからなのかもしれません。

そんな海は、誰もが普段身につけている鎧を脱ぎ捨て、裸の自分に戻れる場所。
そこでは自分を偽ることができません。子供がどんなにウソをついたり
ごまかしたりしても、お母さんには全部ばれてしまうのです。
私たち子供は、母なる大自然には何ひとつ勝つことができません。
今回の台風や地震の爪痕ひとつとってもそうです。
どんなに虚勢を張ってみても、いえ、虚勢を張れば張るほど、ちっぽけな自分が
浮き上がってしまいます。
この夏、そんな自分の弱さを認めて、海に思いきり甘え、私たち生命の源に
帰って、その大いなるメッセージに耳を傾けてみませんか?
夏はエネルギーが解放される季節です。じっくり自分を見つめる時間を持ち、
あなたの内面に手をかけてあげてくださいね。

【2007.7.17 末金典子】

こんにちは。 お元気ですか?
じとじとじと~っの梅雨ですね。
梅雨で雨がたくさん降るのに、6月のもう1つの名前は「水無月(みなづき)」。
実は旧暦の6月は、新暦では真夏の日照りが始まる7月に当たり、暑さで水が
涸れそうな様子から「ミズナシ月」と呼ばれたのが、由来といわれています。

いつもはうっとうしく思うこの梅雨。毎年、よくまあ規則正しく
やって来るものだと、地球のリズムに感心するのは私ばかりでしょうか。
お部屋がじめじめしたり、お洗濯物が干せなかったり、鬱陶しさは
ぬぐえないけれど、農家にとっては恵みの雨。この雨が、さまざまな作物たちの
豊かな実りを助けているのです。

でもその作物にも限りがあります。それが自然です。だからこそ、今ある大地の
恵みに感謝したいものです。
最近は、サプリメントがもてはやされています。ゴクリと水で流し込むあれです。
安易にこれに頼るのはどうでしょう。これも食文化? 今の日本の教育は、
知育・徳育・体育の三本柱ですが、今こそ「食育」が必要なのかもしれません。
幼いころ、時間を忘れ夢中で遊んでいる時に、お母さんから「ご飯ですよ~」と
呼び掛けられ、家族がみんなで楽しく食卓を囲んだものです。
こういう団欒のひとときに、この食物はこんな味でこんな栄養があるなど、
食体験や料理を通して、子供達に「おいしい」や「楽しい」を伝えていくべき
なのではないでしょうか。
著名な料理家が、「スローフード」という食習慣を直訳すると、「団欒」が一番
ふさわしいとおっしゃっておられましたが、地場の伝統食を話題にしながら、
皆が楽しく食事をすることもとても大切なことなのだと思います。

以前にも書きましたが、やんばるのブドウ狩りで感じたことです。

お客さんの足で踏み固められた地面に、一生懸命根をのばすブドウの木。
見た目はよい漆黒の粒でも、農薬の霧がその美しさに陰をさしていました。
ブドウの木が苦しそう。
昔のもこんな味だったっけ?
種無しにするため成長調整剤を使い、人工的な処理をほどこしたブドウ。
種ありブドウの強烈な甘さを知る、私の口にはまずく感じました。
あらためて考えてみると、山も畑も、昔と変わらず、深い緑で覆われています。
でも、見かけは同じ緑色でも、本当に中身まで同じものなのでしょうか。

まっすぐなキュウリ。真夏の白菜。虫を殺すジャガイモ。漂白剤で洗った真っ白な大根。自然の中ではありえないものが、当然のように存在する時代。
腐らないおにぎり。栄養のない野菜。石油から作られた食品。
添加物だらけのハンバーガー。人口の甘味料や香料。保存料、着色料…。
食べ物は私たちの体の中に直接入ってくる大切なもの。なのにウソやごまかしだらけの食べ物が世の中に溢れているのです。
祖母と母が同じ台所に立ち、その日買ってきた食材を使って、代々の嫁が
教わってきた知恵と味を、また伝えていく。「そんな生活があたりまえだった時代はもう過去のこと」、そうしてしまっていいものなのでしょうか。

梅雨に、大地の恵みに感謝しつつ、地面に跳ねる雨の旋律に耳を傾けながら
そんな思いにひたっていました。

【2007.6.8 末金典子】