こんにちは。
お元気ですか。

読んでくださったかもしれませんが、17日の琉球新報朝刊に、
前回『今日は清明』で書いた「あきらめないで声をあげよう」が掲載されました。
うれしかったのは、北谷町がすぐに次の日から、毎日しつこく繰り返していた
意味のない町民放送を控えてくれたことです。ちゃんと声をあげてよかったなと
思いました。

そこで思い出したのが、幸田シャーミンさんも推薦しておられた、
William Uryが書いた「The third side」。
冒頭のストーリーからすっかり魅了されてしまいました。

マンハッタンの交差点で、若い黒人男性の運転する車が、歩いている白人夫妻と
ぶつかりそうになります。怒った夫の方が拳でボンネットを叩くと、運転手も
出てきて、あわや大喧嘩。人だかりができたとき、通りかかった年老いた
黒人男性が「落ち着きなさい」と言わんばかりに手のひらを地面に向けて
ゆっくりと上下させた。それを見た運転手はぐっとこらえて車に戻り、
立ち去っていった……

老人は一言も発しなかったけれど、最も必要なときに、「第三者」として必要な
介入をしたのですね。
何か争い事が起こると、私たちはどちらかの側につくか、あるいは無関心な
態度をとりがちです。でも、第三者という立場をとることで、
争いのエスカレートを回避できるかもしれません。家庭内でのケンカから、職場
地域、ひいては国際紛争まで、誰もが例外なくその役割を担える立場にあります。
この本は、それを身近な例とシンプルな言葉で教えてくれています。

最もよくないのは無関心。どうせ何もできないと自分を否定するのではなく、
私でも何かのお役に立つことができるかもしれないと考えてみては
どうでしょうか?
そんな素敵なメッセージに後押しされての今回の記事でした。

さてさて、
早いもので、もうゴールデンウィークがやってきますね。
昭和の日、メーデー、八十八夜、憲法記念日、みどりの日、立夏と続き…そして
こどもの日。
菖蒲の節句とも言う、この子どもの日。
昔は、菖蒲など季節の薬草で厄払いをする宮中の行事だったそうです。
その後、武士の間で菖蒲を尚武(武を尊ぶ)と解したことから、
男の子のお祝いとして定着。
兜や鎧を飾り、子ども達がたくましく育つようにと願いを込めたようです。

こんな世相ではありますが、それでもやっぱり子ども達って、とっても純粋で、
天真爛漫ですよね~。
「わっはっはー」「ぎゃはははーっ」
道行く子ども達の笑い声の元気なこと!

「わっはっはー」
あのどこまでも高い空に届くほどの大笑い、してますか。
今日は、何回笑いましたか。

この「笑う」という当たり前の行為、実は、健康に密接な関係が
あるのだそうですよ~。
1964年、アメリカ・サタデー・レヴューの編集長ノーマン・カズンズ氏は、
喜劇やコメディなどを患者に観せて大笑いさせ、不治の病を治してしまった
そうです。世界中の注目を浴びたこの出来事以後、日本中の学者達もこぞって
研究し、「笑うと免疫力がアップし、自律神経も活性化、自然治癒力も
強くなる」などの成果を出しました。
笑いは、身体にいいんです。
そして、自分も他人もしあわせになります。

そう、笑顔って光なんですね。私達は皆、この体のなかにいのちという
優しい光が灯る電球を宿しています。
恋をするのも、仕事で開運するのも、健康になるのも、皆、よい運は光から
やってくるといわれています。
逆に、苦しかったり、何かがうまくいかない時というのは、
そこに光がないんです。
だから、どんな時でも、光をもたらせば、そこに優しいものが流れ始めて、
私達の人生の中の幸福があたたかく息を吹き返してくれます。
そして、大事なことは、光とは誰かにもらうものではなくて、
自分の中にそれを見つけ、点火することなのです。
そして点火するスイッチこそが「笑顔」だったり、あたたかい「言葉の力」
だったり…。
そのスイッチを入れれば、必ず幸福はあなたのもとに流れてきます。

さあ、いよいよゴールデンウィーク!
新緑に包まれる清々しい季節です。
家族揃って、また大好きなあの人と、げらげらしましょう!

【2008.4.25 末金典子】

お元気ですか?

4月といえば本格的な春の訪れ。
学校や仕事、いろいろなことがスタートして気分も一新、そんな季節ですね~。

私が子供の頃おじいちゃん・おばあちゃんが住んでいたところには
山桜がたくさん自生していました。毎年桜の季節になると
家族やたくさんの人達と一緒に、お庭でお花見を楽しんだものです。
つぼみがふくらんで桜の木全体がほんのりと桃色に色づき、三分咲き、五分咲き、
満開と、山の色が移り変わっていく様子は毎年見ていて飽きることが
ありませんでした。
この桜の花。あっけなく散ってしまうので以前はそこまで好きな花でも
なかったのですが、歳を重ねるにつれて、大好きな花へと変化してきました。
このパッと散るのが潔いというか、儚いというのか、あまりに美しくて、
さすがは国花だけあるなぁなんて思います。

さて、なぜ日本人がお花見を楽しむようになったのでしょうか。
いろいろな説があるのですが、私がいいなあと思うのがコレなんです。

春になり、稲(サ)の神様が里に降りてくる場所を座(クラ)ということから、
その場所をサクラといったそうです。開花は神様が降りてきたしるしといわれ、
その神様と一緒にお祝いをするのが「お花見」の始まりで、元はおはらいの行事
だったそうです。花の下に座ることで花の精気を吸収する健康法(!)でも
あったとか。

沖縄ではこの季節は、お花見というよりは今月いっぱいあちらこちらで行われる
清明祭(シーミー)の季節、という方がぴったりくるかもしれません。
今日はその清明。草木とともに春の花が咲き乱れ、すべてがきよらかで
すがすがしい頃。
清明とは「清浄明潔」の略なのだそうです。

足元に目を向けると、草花たちが元気でいっぱい。
子供の頃は、シロツメクサで花かんむりを編んだものです。オオバコの茎を
引っ張り合う草相撲や、タンポポの茎の風車…。
春の思い出とともに子供たちにも手渡していきたい遊びですね。
腰を下ろして初めてわかるのは土の上の気持ちよさ。日頃の疲れがいつの間にか
とれているはずです。

ところで、サクラというと思い出すのが、私が社会人になりたての頃に新聞で
読んだある記事なんです。

福岡市檜原に、樹齢60年ほどにもなる桜並木があります。
今から20年ほど前、その中の1本が切り倒されました。
もう10日もすれば、満開の花を咲かせただろうに、道路拡張のため、
伐採されてしまったのです。

次の日、残された桜に、こんな歌が結わえられていました。
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」
開花を目前にしての伐採を悲しんだ住民の一人が、歌に託して、
桜たちの命乞いをしたのでした。

詠み人知らずの歌の噂はすぐに広まり、新聞にも掲載されました。
それを眼に留めた当時の市長は、すぐに担当者に再調査を指示。
計画は変更され、桜並木を生かした道が作られることに。
桜の木は、その年の開花を許されただけでなく、人間よりも長いその寿命を
全うできることになったのです。

後日、市長は、桜に返歌を結びました。
「桜花惜しむ 大和心のうるわしや 永久に匂わん 花の心は」

桜を惜しんだ一人の人間のちょっとした行動、勇気が、周囲の人の心を動かし、
行政をも動かしたのです。
自分が何を言ったって世の中はかわらない…
そう、あきらめていませんか?
大切なのは、まず、声をあげてみることではないでしょうか。

確かに、私だって何度もあきらめたことがありました。
選挙の時の選挙カーなんてうるさいだけで、お金の無駄遣いだから
立候補する人全員でやめた方がいいのでは、と新聞にも書きました。
北谷の意味もなく思いやりのない塩川橋について、行政にも、新聞にも
業者にも抗議したこともあります。
老舗○○○のパンで化学性添加物食中毒で倒れた時は、業者さんと
企業のあり方について何度も話し合いました。
全ては徒労に終わりました。

…かのようにみえました。
でも、後になって決してそうではなかったことに気づいたのです。
例えば、私が化学性添加物を食べ続けることの恐ろしさや、
合成界面活性剤で作られたシャンプーやリンスや食器洗剤を使い続けることの
恐さや、無意味な行政のあり方、なんていう話題を経験的にお話ししたり、
またみなさんからもいろいろなお話をしてくださるということの中で、
私の考えも改められたり、より詳しく教えていただいたり、
また逆に、みなさんも御自分の生活にそれぞれ当てはめて考えてくださったりと
いうことが起こってきます。
非難や中傷であってはいけませんが、
正しいことは正しい、NOはNOと声をあげる、これは素晴らしいことでは
ないでしょうか。
そして何より、誰もが持っている、誰もが望んでいる、みんなの温かい想いや
愛を、もっと世の中に広げるべきなのではないでしょうか。

とてもありがたくうれしいことに、ここには本当にたくさんの業種のリーダーの
方々が集ってくださっています。
私は一人でもなく、あなたも一人ではないのです。思いを伝えることで、
いろいろな企業の社長達が社員の方達に何かしら伝えてくださるかもしれないし、
お医者さんの先生達は患者さんやスタッフに、学校の先生達は生徒に、
政治家は庶民に、芸能人やテレビ関係の方ならブラウン管を通して、
記者ならペンの力でというように、ウソのない温かな想いで、
小さなことからでも世の中が変わっていくかもしれないのです。
実際に、翁長市長を囲んで「飛び出せ!市長室 夜の社交会編」を催したり、
新聞記者と経済界の社長達の「ぶっちゃけトーク大会」で盛り上がったりという
イベント的なことも仕掛たりしましたが、基本的には、毎日毎夜、
お一人お一人がお話してくださるいろいろなお話の中に、大きな気づきや学びが
散りばめられているように思います。

あなたもお話くださいね。あなたの想い。

【2008.4.4 末金典子】

お元気ですか?
今日は桃の節句ですね。
この節句は中国から伝わったもので、この日に川で手足を洗って心身の穢れを
祓ったといいます。
日本では、穢れや邪気を、身代わりの人形に移し、川や海に流し、
川原や海辺で干し飯やあられを食べて楽しんだのだとか。

子供の頃、おばあちゃんと母が、飾ってくれたお雛さまの前で、
どうしてひな祭りの日には、はまぐりの潮汁・白酒・ひし餅・などを食するのか
という話をしてくれたことを思い出します。
お膳にはその他、ちらしずし・桜餅・桜漬け・鯛の尾頭付き・ひなあられ・
菜の花のおひたし・白酒などが並んでいましたっけ。
今日もぜひそうやって古式ゆかしく、ひな祭りを祝おうと思っています。

さて、ひな祭りの時期といえば、卒業式があちらこちらで行われていますね~。

私がちょうど40歳になる頃に、あとにも先にもこれ1回きりだけど、
同窓会に出たことがあります。
私の高校は男女共学の公立高校だったのですが、大学進学前の3年生になると、
選択科目コース別クラスに分けられ、文系でなおかつ生物&地学を選択した私は
12クラス中唯一の全員が女子の「女組」へ。
(因みに理数系で物理&数Ⅲを選択した子は12クラス中これまた唯一男子ばかりの
「男組」というのもありました。)
つまり、私の高校3年生時代は、教室の中だけ女子高だったわけです。
その「女組」の同窓会に出てみると……ちょっぴり太ったり、シワを作ったりした
女性たちが御堂筋のホテルに集まって、ちょっと壮観でしたね~。
でも、みんなの話題は「うちの主人は○○に勤めていて」「息子は○○中学なの」
といったふうに、卒業写真の中にはない、自分に加わった価値を競い合っている
ようにみえました。
私の青春時代の教祖さまともいえるユーミンが50歳を過ぎた時に
書かれていたことを、その時ふと思い出しました。
「40歳はまだ生乾き。まだギラギラした部分がいっぱいある。50歳を超えると
幸せが形でないことに気づくから、目に見えるものでは競い合ったりは
しないもの」。と。

「人ごみに流されて変わってゆく私を、あなたはときどき遠くでしかって」。
ユーミンは30年前そう綴っていたけれど、今、学生時代の自分と向き合うと、
愛おしい半面、あの頃の自分をぶっちぎったから今の私がいる、そうも思うのです。
先週末、お客さまがお話されていたことがとても印象的だったのですが、
娘さんの高校の卒業式に列席なさった時、涙が止まらなかった
そうなのです。娘さんがよくぞここまで育ってくれたという想いや感慨とは
別のところで、子供達の答辞や送辞などを聞いているうちに、これからの夢や
希望に溢れた、真っ白で無垢な飾らない純粋な気持ちに触れ、当時の自分や
今の自分に思うところが大きかったようなのです。
変わることは決して悪いことではありません。でも、ちょっと振り返って、
たまには、変わる前の自分に思いを馳せてみるのも、自分を知るいい機会に
なるかもしれませんね。
私が「同窓会に出よう」。そう思った本当の理由は、友達に会うこと以上に、
自分を知るため、だったように思います。

生まれてきた目的は人によって違いますが、すべての人に共通する目的もあります。
それは、「自分を知る」という目的。人はみな、自分が自分になるために
生まれてくるのです。
「私は誰?」
「私は何のために生まれてきたの?」
「私の役目って?」
それはやっぱり自分にしか、自分でしか分からない。
だからこそいつも自分の心の声を聞き、自分が惹かれるもの、憧れるもの、
感じるものを大切にし、「自分自身」を知っていきたいものですね。

別に同窓会に行かなくとも、自身でそれをする方法があるんです。
卒業写真を開いて、自分と向き合ってみるのです。
――さあ、今のあなた、変わったものは何ですか?
変わらないものは何ですか?

【2008.3.3 末金典子】