お元気ですか?
毎日とっても暑いですね! 伊是名島では過去最高気温を更新したほどです。
風もやみがちで、こめかみに玉のように汗がころがり、ジョギングしていると、
腕や、うしろ頭が、じりじりと焦げてゆくようです。
夏バテなどなさっておられませんか?
暑いのはいや!という方も多いですが、あなたはどうでしょうか。

こういう「ちょっとしたいやなこと」が引き金となって「パニック症候群」や
「うつ」になってしまう人が全国的に増えてきているようです。
のんびりムードの沖縄には「パニック症候群」や「うつ」の人など
いないだろうなぁ…なんて高を括っていたのですが、とんでもないそうで、
沖縄のあちこちでも耳にするようになりました。
ある税理士事務所の若い職員の彼などは、普段からとても真面目でお人柄も
よかったそうなのですが、ある日の朝、いつものようにバイクで事務所に
出勤しようとすると、雨が降っていて、途端に憂鬱で頭がいっぱいに
なってしまったようで、心がそこでプチッとキレてしまって、その後の一ヵ月半、
無連絡のまま失踪。家族や職場はもう大パニックだったそうです。
当の本人は失踪に至るまでのことは全く覚えていないそうで、
いきなり航空券を買って東京まで行き、そこから横浜まで歩き続け、
ネットカフェにずっといたのだとか。
私の好きな作家の白石一文さんも、文芸春秋の編集者時代に、
頭の中が憂鬱や恐れでいっぱいになる発作が突如襲うというこの「パニック症候群」
に罹ってしまい、退社後福岡に戻られ、作家になられた方で、
その頭が狂いそうになる恐怖や苦悩を「すぐそばの彼方」という小説の中でも
書いておられます。
「うつ」に至っては今やもう日本中に蔓延していますよね。

一体どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

理由はたくさんのことが複合的に重なっているのだと思うのですが、
私が思う一つの仮説は、長い時間をかけて学校でつけてしまったクセに
あるのではないかと思うのです。
そのクセというのは「すべてのことに答えを求めてしまうこと」なのでは
ないでしょうか。
当然、出される試験には答えがあり、それはたいがい一つです。
ある人が「私なりの答えを出してみました」と、言ったところで、
それではいい点はもらえませんよね。
そして学校を卒業すると今度は、定期的な試験こそありませんが、
決心や実力の程度を試み、試すための試験が待ち構えています。
それには苦難がつきもので、逃げ出したりするとダメな人ということになって
しまいます。言い方を変えれば、人はダメな人と呼ばれないためにがんばって
いるのかもしれません。
でも、問題なのは、ダメな人は本当にダメなのだろうか? ということです。
そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?
みんなが同じ答えでなくてはいけませんか?
疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシはありませんか?
例えば、仮にこの世に平等ということがあるとすれば、それは人それぞれ違うと
いうことを認めることが平等なのではないでしょうか。
男女の平等にしたって、男が男らしく、女が女らしくなったとき、本当の平等が
あるのだと、私は思います。
自分と違うからといって、ダメかダメじゃないかを判断しているなんて
おかしな話ですよね。

どうやら、試験と違って、生きることに答えはないようです。
それでも答えを出そうとすると必ず頭が痛くなるのがその証拠です。
ないと思えばもう楽ちんでしょう?
だから、いい点を取る必要なんてまったくないんですよ~!

それでも「なんだかむしゃくしゃするな~」と感じるなら、
心持ちに、暑さに、へこたれないように、
体に精をつける食べ物をとるべく、食い養生をいたしましょう!
日曜日は丁度「土用の丑の日」です。
「鰻ごはん」をがっつり食べちゃいましょう!
この土用の丑の日にうなぎを食べるようになったきっかけは、
江戸のうなぎ屋が商いがうまくいくようにと、物知りで知られていた平賀源内に
相談をしたそうです。夏の土用の丑の日は一年のうちでも最も暑い日といわれ、
体調をくずしがちになる時期で、「う」のつくものを食べると病気にならない
という言い伝えを知っていた源内は「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙を
店先に出すことを提案しました。するとお店が大繁盛したのだとか。
その様子をみて、ほかのうなぎ屋もまねをしはじめ、いつの間にか
土用の丑の日には、うなぎを食べることが定着したのだといわれています。
つまりは、江戸時代の平賀源内の広告コピーが功を奏した結果が、
現代まで受け継がれているということのようです。
恐るべし源内。
ま、うなぎが苦手という方でも、「う」につくものであればいいようですので、
「梅干し」「うどん」「うり」などを召し上がってみてはいかがでしょうか。

食い養生、ということで思い出したことがあります。
女には辛いとき、悲しいときに独りで泣くという特技があるものですが、
同じように独りでお料理を作ってがつがつ食べるという特技もあると
私は思っています。
以前、精神的に苦しい時期に、誰の顔も見たくないとか、誰にも自分のことを
話したくないということがありました。仕事が終わるとさっさと帰宅し、
揃えた贅沢な食材や調味料を使って毎晩お料理を作って食べ、
少しずつ立ち直っていったことがあります。
この「食べる」ということは非常に不思議なもので、
お腹がいっぱいになってくると、まずは心身が落ち着いてきます。
すると、ささくれ立っていた気持ちが次第におさまっていくんですね。
身体と心とは本当に一つにつながっているんだなぁと実感したものです。

あなたも土用の丑の日の「美味しい」週末をお過ごしくださいね!

【2009.7.17 末金典子】

こんにちは。
空梅雨?!と思いきや、ここのところ、どしゃどしゃと雨が降ってくれて
ほっとする毎日ですね。

さて。
明後日は父の日ですね。

いきなり重い話題で恐縮なのですが、一昨年に父が脳梗塞で入院しました。
その知らせを母からもらった後、父に対するいろいろな想いが胸を去来しました。

私の父はとても変わった人で、私が子供の頃、大切にしていた物を失くして
ガックリしていると、
「物を失くしても、落ち込んだり、心配しないように。必ず地球の上にあるからね。」
なんて言う人なんです。
また、会社から帰ると詩や小説を書いたりの夢見るロマンチスト。
で、優しい人かというと、
私に素潜りを教えるといって、いきなり日本海の深い海にボートから突き落とす。
スキーを教えるといって、いきなり山の急斜面から突き落とす。
テニスを教えるといって、ボールをバシバシ叩きつけてくる。
まさにスパルタの極み。
躾よろしく小学生の時まではバシバシ叩かれもしました。
父は昭和8年生まれの75歳。会社も5年前に引退し、ゴルフ、スキンダイビング、
卓球、映画鑑賞、カラオケ、読書、文筆活動など趣味三昧の毎日を送っています。
以前、父の湯たんぽのエピソードとともに御紹介させていただきましたが、
3年前に、私が沖縄に住んでから200通目の父からもらった手紙がこんな感じでした。

典子さま
父の日のプレゼントありがとう。とても美しいブルーのウェアですね。
この夏は、このブルーの海に潜ります。ただ、私ももう70代、あちらこちらに
微妙な狂いが出てきております。“コトン”と死にたいですが、そう巧くは
いかないかもしれません。いずれにしても日々好きな事をして
幸せに生きておりますからご安心ください。毎日を神さまの御心のままに
生かされているのです。いつお召しがあろうにも悔いはありません。
典子も決して悲しんだり泣いたりしないように。
生けるものには必ず別れはあるものですから。
日頃からその心構えはしておきましょう。
典子の手紙に、“一緒にも住めず、結婚もできず、孫も見せてあげられない娘で
ごめんなさい。私にできる親孝行は何なのでしょうか…”とありましたが、
親孝行しようなんて考えなくてもいいのです。ちゃんと育ってくれて
十分信用しているから。私はね、素晴らしい妻に巡り逢え、恵まれただけで本当に
幸せです。私達には欲なんて全然ありません。絶対親孝行しなければ!なんて
気負って生きなくていいんだよ。自然体で思う通りに生きなさい。
子供は親を踏み台にして生きてゆくのです。それが進化というもの。
親の方だって、本当はそのことがよくわかっているのです。
自分だって、子供であった時があるのだから。
その代わり、確実に幸福になること。
それだけが、典子にできる私達への恩返しでしょう。
では又…生あるかぎりお便りします。
父より

その父が、脳梗塞、で入院したというのです。

実は、父との思い出は、そのほとんどが、厳しくされた、叩かれた、
叱られた、というものでしかなく、いつも思い出すのは、一緒にスキーに
行った時のこと。
「一緒にスキー」なんていうとステキな思い出であるかのようですが、私にとって、
父とのスキーは「苦行」そのものでした。
大阪の街で生まれ育った幼い私が、スキー「1級」の父に連れられ、
雪深い豪雪地帯の山村のスキー場へ。
小さい身体には、道具があまりに重たく、寒さにガタガタ震え、吹雪に打たれた
頬はヒリヒリ。突風でリフトから振り落とされそうになったり、転倒したまま
ゲレンデの下まで落下したこともあります。
それなのに…。
映画やテレビなどで雪の森の風景を思い出すと、なつかしさと切なさで
胸がきゅんと痛くなるのです。
それはいったいなぜ? 雪の世界のいったい何が、私の心をつかむんだろう?

あなたはスキーをなさったことがおありでしょうか?
今は夏ですが、私も久々に、両足にスキー板をつけて、雪の森の中へと
滑りこんでいった瞬間を思い出してみました。
さあっと視野が開けてきます。
滑りはじめれば、まるで空を行く鳥の気分。
2本足歩行の束縛から解き放たれ、翼が生えたかのように、大胆に自由に、
森の中を進んでいくと、ふと、人であることの不自由さを忘れ、山や木々や雪と
一緒に幸福に溶け合ったような気分に包まれます。
煙のように、宙を舞う粉雪。
凍てついた木の幹。厳冬に耐えながらたたずむ、孤独な樹木を見ると、
その命を心から讃えたくなったものです。「おまえもしっかり生きろ」と、
木の内部から温かい声が響いてくるような気がしました。
新雪の上にウサギやタヌキの足跡も発見。とこ、とこ、とこ、とこと、
木々の間を縫って、どこまでも続く小さな痕跡。
頭上では、鳥の声が響きわたります。
厳寒の銀世界の中にも、いろいろな命がしっかりと呼吸しているんだ。
そのとき、自分自身も雪世界の一員となって溶けこんでしまったような、
そんな不思議な一体感に包まれたものです。

少々手荒ではありましたが、そんな学びを与えてくれてもいたんだなぁ、
父は。
今はそう思えるようになりました。

父が倒れるほんの数日前に手紙が届きました。

典子さま
お手紙ありがとう。麗王は13年になるんだね。2足の草鞋を履き続けてきた
典子のがんばりと強運に敬意を表します。
私と典子との思い出は、貴女が生まれてから、沖縄に行くまで、20数年間も
ありましたのに、それほど多く思い出されません。それはお互いの間が
空気のように違和感がなかったからというようなものかもしれません。
それと貴女が私の手におえないような問題を持っていなかったということ
なのかもしれません。
唯一の思い出は、貴女が2・3歳の頃、母さんが朝、私よりも先に仕事に行き、
寝ていた貴女を置いて行った時のことです。
目覚めた貴女が、なぜか急に泣き出してやみませんでした。
その時私はどうしてよいかわからず、今思えば何故だったのか、
貴女が泣き止むまで叩いた事を何十年たった今でも忘れません。
何の善悪も判らない無力なあなたを叩いた事が、後悔と自責の念で、
今でも私の心に突き刺さって、心の傷となって残っています。
これはおそらく私がお墓の中まで持って行く事なのでしょう。
母さんとお見合いをして、恋愛して、結婚して、50年になりました。
少々のぶつかりはありましたが、母さんが7割、私が3割、我慢して
生きてきたのだと思います。
母さんがお料理が上手だったこと。私に対して怒ったことがないほど
優しかったこと。そのことが最大の幸せでした。
だからいつも書いていることですが、お別れの日が来ても
決して涙などこぼさないようにしてください。
笑って見送ってほしいと思います。
くだらないことをぐだぐだと書いてお許しください。
父より

前回までのような陽気な手紙とは違って、病気を予感してか、気弱になった父を
感じました。
2・3歳の時に叩かれた当の私が忘れてしまっていることでも、父の心には
責めとなって今も残っているんだなぁと不思議な気持ちがしました。

親子の関係とはなんなのでしょう。
なぜ親子として生まれてきたのでしょう。

それは、父の言葉を借りれば、魂の進化成長のためなのかもしれません。
よりいっそう愛に近づくために自分を磨いて、いらないものは落とし、
より優しくなっていくためなのではないでしょうか。

必要があって、深い意味があって、私達はその環境、その家族を選んで
生まれています。自分が学ばなければならない命題が学べる場所、
あたたかい愛に向かって成長できる場所に、私達は生まれているのです。

だから、幸せであっても不幸せであっても……私達は学び成長しなければ
なりません。

例えば親子仲が悪いと思うのなら、それを不幸と思わずに、人との調和を
学ぶために生まれてきたのだと大事に受け入れてみる。そこをクリアできれば、
どこへ行っても、スッと人とハーモニーを創れる、優しい人間関係に
恵まれることでしょう。

明後日の父の日は、今までお父さんと距離をおいていたなと感じたなら、
ぜひ話す機会を持ってみてくださいね。
親にはいつまでも長生きしてほしい。いつまでも元気でいてほしい。
誰もがそう願っているはずです。
私も父が元気に退院することができて本当にうれしいです。
優しさ、強さ、温もり、情熱、笑顔、やすらぎ……。
たくさんの愛をありがとう!とあなたも感謝を伝えてあげてくださいね。
もう一歩だけ照れる気持ちを乗り越えて。

そして、いっぱいいっぱいお話してください。
あなたのお父さんへの想い―。

【2009.6.19 末金典子】

さて、
日曜日は母の日ですね。

私は時々、自分の存在に繋がる果てしない人と人との出会いの糸に、
心を馳せてみることがあります。
もしも、母が働いていたおじいちゃん経営の洋食レストランが、
父の働く会社の近くになかったなら…。そして、そのそばの本屋さんで
二人が度々出会わなかったなら、私は今ここに存在していなかった。
さらに、私のおじいちゃんがお坊さんをしていたお寺に、若かりしおばあちゃんが
お参りに行っていなかったなら、母も伯母も伯父も生まれていなかったし、
もちろん私もいなかった。

何だか小説のプロットのようですが、実はたかが私一人の生命の奥にすら
こんなふうなドラマがある、という話です。
自分の生命は自分だけの物ではないということです。

だから、人と人とのささやかな出会いを想うと、いつも胸の奥がとても温かく
なります。
人は皆、守られているのだなぁと。
自分の中に“先祖の皆さん”がいるのです。だから自分の命は、
決して自分だけのものではないのです。
私はこれまで、人生の中で何度も、一人では開けられそうもないほどの
重い扉の前で立ちすくんだことがあります。それでも意を決して、
その扉を開けようとする時ふと、泣きながら力を入れる自分の手に、目に見えない
優しい御手がいくつも重なっていることに気づくことがあります。
力を入れて勇気を振り絞ろうとしている私に、ふと気がつけば、
「もっと力を抜いて。皆、いるから。大丈夫だよ。」とたくさんの手が
重ねられていて、一緒に扉を押してくれているのに気づくのです。
その降り注ぐ愛の力に助けられ、決して開かないと思っていた扉が、
何度開いたことでしょう。その優しさに何度泣いたかわかりません。
気づいてみてください。こんな愛の力が、あなたのおそばにも存在するのです。
一緒に泣き、一緒に笑って、旅をしてくれる同志が、目には見えないけれど、
いつもおそばにいるのです。心を砕いてあなたを守り続けてくれる、
そんな優しい存在があるのです。

だから母の日・父の日というのは親に世辞を言う日ではなく、
自分に与えられた生命を思う日なのではないかと思います。
辿れば自分に繋がる生命に気付きます。生きるということはそれら無数の生命に
感謝しながら自分に与えられた生命を愛おしみながら大切に生きること。
物語を終わらせてはなりません。

最後に。
人生にはいろいろな出会いと別れがあります。
でも、誰にしても最初に出会うのは母親なのです。
これはいかなる意味があるのか―。
そんな意味も想いつつ、日曜日はぜひお母さんに温かいありがとうを
伝えてあげてくださいね。

そして、お聞かせください。あなたのお母さんへの想い――。

【2009.5.7 末金典子】