お元気ですか?
ゴールデンウィークだというのにまだひんやり気味の毎日ですね。

3・11の大地震で被災された方はもちろんのことなのですが、
被災されなかった人までもが、気分が落ち込んだり、体調が悪いなどの
心身の不調を感じておられる方が多いそうですから、
今週から始まるゴールデンウィークであなたも少しのんびりなさってくださいね。

大地震から被災地の様子などのニュースをずっと観ていますと、
東北の方々のめげない頑張る力や、道徳心や、助け合う心などに
本当に胸をうたれます。
また世界中から駆けつけているボランティアの方々、
避難所で無償で働く人々など、みんなが助け合い、いたわりあっている様子には
頭が下がる想いです。

こういう映像や記事を見ていて私が思い出す人が二人いるんです。

まず、アーランド・ウィリアムズさんというアメリカ人です。
お仕事は銀行の監査官で、お亡くなりになられた時は46歳。
1982年1月にワシントンDCで、エア・フロリダの航空機が寒波の悪天候の中で
ポトマック川に墜落したのを覚えておられますか?
衝撃で乗客の大半が落命されましたが、6人が水中に投げ出されました。
ウィリアムズさんもその一人でした。
ヘリコプターが救助に駆けつけ、衰弱の激しい彼のそばにロープを下ろしましたが、
ウィリアムズさんは隣のスチュワーデスに順番を譲りました。
ヘリコプターは少しして戻って、再びロープを下ろしましたが、
彼はまた別の女性に順番を譲りました。
酷寒の夕方で、水面は氷結し始めていました。次にヘリコプターが戻った時、
そこにはもうウィリアムズさんの姿はありませんでした。
水温の低さに耐えきれなかったのです。川に投げ出された6人の内彼がただ一人、
帰らぬ人となったのです。
ウィリアムズさんは死後その行為を讃えられ、事故現場近くの橋は、
「アーランド・ウィリアムズ橋」と改名されました。
その英雄的な行動に世界中の人が感動しました。私ももちろん感動しました。
でも個人的に思うことなのですが、それは英雄的というよりも、
彼にとってはむしろ日常的、習慣的な行為だったのではないでしょうか。
常日頃からマナーというだけではない「お先にどうぞ」という心からの優しさを
示していた人でないと、急に事故に遭っていきなり英雄的に振舞うことなど
きっとできませんよね。

もう一人が、かの有名なアインシュタインです。
アインシュタインが住んでいた場所は、大学の人以外はほとんど
知らなかったそうですが、たまたまその近所にある小学校の先生は
知っていました。そしてある日、自分のクラスの算数があまりできない女の子に、
「あなたの家の隣に算数がよくできる人が住んでいるというのに、
どうしてあなたは、きちんと勉強しないの。」と言ったそうです。
子供はもちろん、それが誰のことなのか知りません。ですから、
「なるほど。隣の家のおじいちゃんに宿題を教えてもらえばいいんだ!」と
思って、早速隣の家のチャイムを鳴らしたのです。
ドアを開けたら小さな女の子が立っているものですから、アインシュタインも
「まあ、どうぞ。」と家に入れました。すると、その子は、
「おじいちゃん、学校の先生が、隣のおじいちゃんは算数が上手だ、
と言ったのよ。だから、これを教えてちょうだい。」と頼んだのです。
アインシュタインはとても忙しい人でしたし、すでにアメリカの国宝のような
存在でしたが、彼女になんのことなくぜんぶ教えてあげました。
しばらくして、その女の子があまりにも算数ができるようになったので、
先生が不思議がって
「あなたは、最近すごく算数ができるようになりましたね。」と言うと、
「先生は言ったでしょう? あのおじいちゃんに聞いて、
教えてもらいなさいって。」と言うのです。
それを聞いた先生は驚いてしまいました。そしてその子の母親に
「たいへんなことになりました。私は別にそういう意味で言ったわけじゃなくて、
ただ、隣にアインシュタイン博士が住んでいることを知っている、ということを
言いたかっただけなのです。」と言いました。これは困ったことになったと
いうことで、先生とお母さんはアインシュタインの家に
「大変、御迷惑をお掛けしました。」と謝りに行きました。
ところがアインシュタインは、
「いいえ、なんのこともないのです。私は何も教えていません。
反対に、いろいろなことを教えてもらいました。
教えてもらったのは、私の方です。」と言ったのだそうです。
相対論を発見した偉大なる人なのだから、この小学生の子供とは比べものに
ならないほど智慧があるはずです。
それなのに、「いろいろなことを教えてもらった」と言うのです。
私は、アインシュタインがウソを言っているとは思いません。
常日頃から、子供のように純粋に学び続けている人だからこそ、
子供からもいろいろなことを学ぶことができるのだと思います。

つまりは、毎日毎日を、心から親切に謙虚に生きていくことが、その積み重ねが
自分のよき人間性や人格を形成することに繋がっていくのだと思うのです。

私にはお二人のようにとてもそこまでの生き方はできそうにないけれど、
でもこうやって文章を書く時には、少しでも読みやすく、
理解しやすい文章にして、できるだけみなさんに対して親切であろうと、
ない智慧をしぼり、力を尽くそうと思いますし、
目の前の方が私の家族だったらという気持ちで、
お話をうかがうのなら、音を耳に当てるのではなく、心でしっかり聞こう。
お話をさせていただくのなら、誠意を持ってちゃんと自分の気持ちを伝えよう。
そういつも心がけています。
でも実際にやってみると、これは決して簡単なことではなくて、
落ち込む気分に陥るときもあります。
そんな時に私はウィリアムズさんのことを考えるのです。
猛吹雪の中、ポトマック川の氷混じりの水に浸かりながら、まわりの女性に
「お先にどうぞ」と言い続けるウィリアムズさんに比べれば、私のことなど
別に大した問題じゃないよねと。

さぁ、週末からゴールデンウィークが始まります。
人に優しい気持ちになるには自分の気持ちにも余裕がなくては。
いつもの忙しい毎日から、のんびりモードに切り替えて、
まずは自分に優しくしてあげてくださいね。

【2011.4.27 末金典子】

ぐんと暖かくなってきた今日この頃ですが、
お元気にしていらっしゃいますか?

2月のお便りで、急逝なさった沖縄銀行の長松さんのことや、
脚本家の下島先生の亡くなられた弟さんへの想い、
奇跡的に助かられた男性の手記などを御紹介させていただき、
もしも今日が人生で最後の日になるなら今日をどう生きますか、
と書かせていただいたのですが、そのお便りに宛てて、
ユニバーサルスタジオジャパンの立ち上げで社長をなさっておられた
現・EPソリューションズ㈱代表取締役の山本さん(アメリカ在住)から
とても長いメールをいただきました。ぜひあなたとも分かち合いたいと思い
山本さんに了解をいただきここに御紹介させていただきたいと思います。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

末金様、ご無沙汰いたしております。

新年のご丁寧なメッセージはじめ、今回節分の「鬼は外、福は内!」も
テキサスの自宅で1月15日前後に拝見しました。
実に不思議さを感じているのですが、今回去る1月7日の夕刻テキサス州ダラスの自宅で発症した
極めて致死性の高い「大動脈解離」の体験をし、1週間の入院から戻って来て、
この末金さんからのメールを読ませていただいたので、殊更強烈なインパクトを感じるものでありました。
ひょっとして、1月7日あたりが私の人生で最後の日になっていたかもしれないのです。

日本から12月22日にテキサス州ダラスに戻り、翌日車で20時間かけてアリゾナ州
フェニックス郊外のメサに家内と息子の3名(および2匹のボクサー)で義理の母、娘、
義理の妹を訪ねての長旅でした。途中、睡魔が襲えば車をレスト・エリアか
ガソリン・スタンドに止めて1時間2時間と睡眠をとりながらですが、今回のように
日本から戻った翌日の早朝には出発という、今から考えれば「異常な強行軍」で
自分の体も相当に疲労困憊も極限に至っていたのではないでしょうか。
無事クリスマスをアリゾナで終え、29日の早朝にはアリゾナからテキサスへ向かって
1600キロメートルを超える長旅にまた出発したわけです。
さらには、30日午前中には息子の彼女が遊びに来るに加えて、娘と彼氏も31日午前中に
アリゾナから二人で1600キロメートルを踏破して、ダラス(正確にはKeller)まで正月を
一緒に迎えるため戻ってきました。ならば、今年こそは、
「おせち料理を少し真面目に準備しよう」と思い、Plano にある韓国系の
大型ショッピングスーパーHI Martに材料を仕入れに出かけ、30日の午後からは
「黒豆」「なます」「二色卵」「伊達巻」等々、かなりの品目をそろえるべく、料理人に早変わり。
結局は、31日の夜まで掛かって準備完了!
これも、毎年欠かさずに守ってきた「おせち料理」なのです。(なかなかやめられないのですね。)

仕事のほうはというと、昨年はアジア市場の開発をかなり積極的に展開し、
特に台湾、中国、タイ、インドネシア、韓国での事業戦略の再構築と代理店組織、
特約店組織の再組織化を推し図ってきました。特に台湾の元代理店をEPソリューション(EPS)の
中に吸収合併し、二人の若いセールスエンジニアの兄弟(中国語、英語)をEPSの
日本国外のアジア総拠点に変更して、アジア市場でのEPのソリューション販売戦略を
かなり詳細に作成しなおしました。
日本を除くこれらのアジア市場での事業総進捗表を1月5日までには作成して、
これで正月明けからはしっかりした事業開発がすすめられえると、ほっとしていました。
しかし、この作業も毎日早朝まで一人で作業し、睡眠は1日平均3~4時間程度という
過度の睡眠不足状態でした。余りにも自分の体力に過信していた自分が今思えば
情けない限りです。

こうした状況でとうとう7日の夜7時半に仕事をし始めてしばらくすると、
突然右の下腹あたりから「ドクッ!ドクッ!ドクッ!ドクッ!」と左寄りに立ち上がり、
同時に今まで経験したこともない痛みが襲いかかってきました。
そこで、まず、頭に浮かんだのが心筋梗塞ではないか? なら、まず、ニトロを
処方して貰っている家内の寝室に這うようにしてたどり着き「一錠」を
舌下に含みましたが何らの変化がありません。息子に「911」に電話して救急隊を
呼ぶように指示しました。何分経ったでしょうか?5分もたたないうちに救急隊員が
駆けつけ、心電図を撮ったりしましたが、心筋梗塞ではなさそうだが、15分ほど
離れたところに有名なベイラー医大のGrapevine病院があるので、まずはそちらに移送して
CTスキャンをとるという指示が本部から出たようです。私自身は救急車の中での会話、
それにCTスキャンのところまでは意識もありました。このCTスキャンの結果分析の結果
「心臓発作、心筋梗塞」ではなく、「大動脈解離Aortic Dissection」なので、
専門外科医のいる同じベイラー医大のPlano Heart Hospital へ、ヘリコプターで
緊急移送することになり、このヘリに乗せられたところまでで記憶は途絶えています。

それにしても一刻も早く専門医のところへ移送しなければ、「命を落とす」ことに
なったそうです。あとは、翌週の11日(火)の午後、ベッドで目が覚めるまでは
9時間の大手術も、何も記憶がありません。開胸手術だったのと、肺の中の洗浄や
新しい動脈の装着など、かなり細かい手間のかかる手術だったようです。
いずれにせよ、初めて「入院・手術」という体験でしたが、アメリカの病院は
今回のような大手術でも一週間程度しか入院させてもらえません。ご承知の通り、
医療費が莫大な金額掛かることと保険会社側も出来るだけ最小の入院日数で対応を
希望しているので、何にせよ非常に短い入院期間です。後は自宅療養で、2週間後に
執刀医を訪問して更なる診断をしてもらうことになるのです。今回何とか「存命」できたのは
「奇跡」だとしか考えられません! これが、東京であっても今回のように順調に
専門医による手術を手遅れでなく受けることができたかは、分かりません。また、飛行機の中
出張先、いずれにしてもまだ「奇病」と言われる「致死率の高い」「大動脈解離」への対応は
99.999%不可能だったと思います。つまり、とっくに絶命していたに違いありません。

このような体験をした2011年1月が終わり、2月1日節分に末金さんからのお頼りが
届いた時には、本当に「ドキッ」としました!
何故なら、そこには「人生最後の日」の人々の思いが紹介されていたからです。
私の場合は、不思議と「死んでしまうのか?」
という思いがなく、すべてを関係者に託してその結果を甘んじて受け入れようという
気持ちでした。手術直前にいつの段階化は覚えていませんが、誰かが
「Mr. Yamamoto、開胸手術して、心臓周りもメスを入れますよ。良いですね?」と言ったのを
かすかに覚えており、私も「どうぞ、最善の措置をお願いします!」と言ったのを
覚えています。

それにしても、末金さんからのメールを読ませていただいて、今回自分の命といえども
「与えられている命」であることを痛感しました。60歳の誕生日を直前にして、
「新しい命」を授けて頂いたのであり、これからの「生き方」をどのように生きるようにしようか?
今までもっと声をかけて話をしたかった人々に間違いなくお話ししたい。
この会ってうんとお話ししたい人のリストが頭に浮かんできました。
命を与えられている今日一日を大切に精一杯、正直に生きていきたいと思います。
今回のお便りは、偶然ではないと思いますが、私にも非常に貴重なメッセージとして
大事に読ませて頂きました。本当にありがとう!

麗王にお越しになっていらっしゃる色々な方々とももっと仕事を離れてお話ししたいと
思っています。自分なりに構想してきた「沖縄の独自性と10~20年社会経済開発ヴィジョン」
のようなものもお話ししてみたいですね。今は、未だ飛行機に乗っての移動にも医者からの
制限がありそうなのですが、夏ごろには再会をさせて頂きたいと願っています。
今までの人生でやはり「ある力」を頂いたことに感謝しています!
何だか、未だ頭の回転が100%元に戻っていないためか、
メールの内容が理解しづらいかもしれませんが、悪しからず。

ではまた、

山本 洋司

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

山本さんのお誕生日はあさっての3月3日。
今年もまたお祝いの日を迎えられることができた喜びをうんと味わわれることと
思います。心よりお祝い申し上げます。
この山本さんのメールを拝読させていただいて、2月のお便りにも
書きましたように、いつ終わりの日が来ても悔いのないよう、今この時を
大切に精一杯生きよう、そう改めて思いました。

湯船に浸かり、ただこれだけ、と自分の身体を確かめることがあります。
ほら、これが私の手、これが腕、胸。ただ、それだけ。どんなにあがいても、
「今、ここ」にしか在りようがないのです。
あの世へは、お気に入りのスプーン1本持っていくことさえできないのです。
今、ここで、ありのままの自分と、大切な人の笑顔、それだけでいい。
そんな風に感じることができれば、それこそが人生最良の時なのでは
ないでしょうか。
人生は禅の修業のようなもの。一回りして、何気ない日常に還った時に、
初めて生きとし生けるものの慈しみが判り、ごくささいなことでも有り難いという
感謝の気持ちが湧いてくるものなのでしょう。

さあ、あさっては桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。
麗王でも、無添加の白酒や、手作り海鮮ちらしずし、無添加のひなあられ、
菜の花のおひたしなどで、古式ゆかしくひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ一緒にお祝いくださいね。

【2011.3.1 末金典子】

ようやく寒さがゆるんできましたね~。
お元気ですか。
週明けはヴァレンタインデーですね!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

昔、女の人は、恋人からの手紙をきものの帯揚げの間に隠して、肌身離さず
持っていた、ということを読みました。なんて艶やかなことでしょう。
ところで今の男性は、女の人が持ち歩きたくなるようなロマンティックな恋文を
書いてくれる人がいるのかしら?

最近のお客さまはなぜだか女性が圧倒的に多くて、いろいろな恋愛話にも
なるのですが、「パートナーとの間でロマンティックなことが少ない」、
「彼が何もしてくれない」、そんな相談をよく受けます。
でも、ふたりの間のロマンティックというものは、もし彼がロマンティックな
ことをしてくれないのであれば、女性のほうがロマンティックな雰囲気を
つくってあげる、そういうものなのではないかしらと思います。
彼に望んでも無理、今の男の人にはそれだけの余裕も土壌も
ないかもしれませんよ~。(ナーンテ!男性陣ごめんなさい!)

ただ、女性は男性を立てるほうが平和だと思います。これは日本に限らず
どこの国でもそう。絶対にそうです。
私の生まれ育った関西では、まず男性を立てて、実権は女性が持ちます。
おばあちゃんや母がよく言っていたものですが、
「妻が実権をぐっと握っていても、夫を心から尊敬していれば、
男性はいい気持ちであなたに任せてくれるものよ。」と。

また、アメリカ合衆国憲法の基礎を作ったといわれるインディアンの
イロコイ族は、現在でも母系社会で、女性達が会社でいう取締役を固め、
トップの男性の罷免権を持ち、調停者の役割を担う、という社会を、
千年間もの間築き上げています。

例えば、世界中の大統領や総理大臣が全員女性であれば、世の中から戦争は
なくなってしまうかもしれませんよね。

男女の間では、女性は女性なりに、優しさや包容力をもちたいものです。
強くならなくていいんです。賢く、ただし「静かに」賢くなればいいのでしょう。
パートナーに対して、あまり強すぎたり賢すぎたりすると、相手が疲れますよね。
どんな時代でも女性こそ、優しくないといけません。
だって本来は男性のほうが優しいものなのですから。
会ったときにほっとするそんな女性になりたいものだと思います。

まだ運命のパートナーに出会っていなくて、焦っている人もいるでしょう。
でも大丈夫。必ず二枚貝の片割れのような相手がいるのです。
出会うということは、これはもう自分の力だけではありません。「縁」という
日本語には深い意味があるようです。
きっとどの人にも今までにいろいろな恋愛の経験があることと思います。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれた言葉。彼女の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えませんか。
恋愛は面倒なもの。だからこそ、きっと残してくれるものも大きいのでしょう。
それらの出会いによって今の自分が作られているのです。
そしてまた次の自分へと導かれて行くのです。
縁とはそういうものなのかもしれません。

愛するパートナーがいらっしゃる方はその幸せをうんと噛み締めてくださいね。
そしてその愛する気持ちをちゃんと伝えてあげてください。
パートナーの方はきっと幸せな気持ちでいっぱいになられることと思います。
最も身近な人を幸せにすることは、最も難しいことであり、
それ故に最も価値のあることなのだから。

さあ、週明けはヴァレンタインデー。
どうぞあなたが愛いっぱいの、幸せいっぱいの日でありますように。

【2010.2.9 末金典子】