本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね~。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

1月も終わり、2月に入ると明後日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

でもふと思うに、年の初めには「今年こそ幸せに」とか、
「もっと幸せになれますように」なんて祈ったりするものですが、
あなたにとっての幸せって一体何でしょう…?

私は毎日のように家の前のアラハビーチをランニングしているのですが、
公園の遊歩道脇にクローバーがいっぱい生えているんです。
少し前のことですが、ふと目をとめると、なんと四つ葉のクローバーが!
これを摘むと、幸せになれるという言い伝えは有名ですよね。
それで麗王にいらしてくださる方々にもさしあげたいなと
捜索を試みてみたんです。
いざ這いつくばり目を皿のようにして探してみると、みつかりません。
幸せって、こんなものかもしれないですね。
探してもみつからない…。
ただ、この公園には、みつからないだけで、何枚か四つ葉のクローバーは
あるんですよね、きっと。
誰のものかなんていうことじゃなく、ただそこにある幸せって、
なんだかいいなぁ、と思ったことでした。

昨日の麗王では、東北大震災の被災地の子供達を沖縄に招いてあげようという
支援の会「ティーダキッズ」を立ち上げられた作家の奥野先生を中心に、
昨年の大震災からそろそろ1年になろうとしていますねという話となりました。
沖縄に住む私達はニュースやネットでしか状況がなかなかわからないものですが、
それでも被災された方々がどれほどの困難に立ち向わなくてはならないのかを
その度にあらためて実感します。
一瞬にして親を失った子供達。それだけでも受けとめるにはあまりに酷い事実
なのに、その両親を囲んでみんなで過ごした家、自分の大事な机、勉強道具、
自転車、一切合財津波はなぎ倒し、破壊し、海へと引きずり込んで、
すべてを奪っていきました。被災地のそうした子供達が笑顔で頑張っていたりする
映像などを見るにつけ、この子供達がどうやって生きていくのか想像も
つきませんでした。

それでも人間は生きて行きます。
ご飯を食べ、眠り、起きてその日の作業や仕事、もしくは勉強をします。
なんと強靭な存在なのでしょう。
生命があるかぎり、居なくなってしまった人の分まで生きようと決意し、
前に進もうとします。
どこから手をつけていいのか途方にくれるガレキの山にとりつき、
わずかに残った思い出の写真を探しだし、泥をぬぐって大切にポケットに
しまう人々。
たちはだかっているガレキを除き、道を確保し、泥を掻きだす人々。
子供達にはせめて勉強できる環境をと、すぐに学校を再開させました。
毎日の暮らしがままならない中での学校の再開は世界の人々を驚かせ、
感服させたのです。
身体の不自由なお年寄りは、体育館の凍るように冷たいであろう床に
じっと耐えて横たわっておられました。ひたすら静かに耐えて、
迷惑をかけまいとしておられたのです。それぞれが生きていくために
できることを精いっぱいしておられました。
生きるために自分にできること。生きているからできること。
そうしたことを誰もが直感的に感じ取って、
懸命にそれを果たしている。前に進もうとしている。
そのことに私は深く心をうたれました。
人間は苦難のどん底にあるとき、その苦痛とひきかえに本来の気高さを
とりもどすのでしょうか。

あれから一年ほどが経った今、誰しもが大なり小なりの不安をかかえています。
その根本には先の見えない福島第一原発の事故と放射性物質の飛散による
環境汚染があります。
東北や関東の方々は地震が今でもあり不安な毎日を送られています。
こんなに離れている沖縄の私達だって、野菜やお米は大丈夫なのかしら…など
不安はあります。
この先日本がどうなるのか分からない、というストレスだって。

でも生きている、のです。
だから生きている私達は、生きるために自分にできることをしなくてはならないし、
生きているからこそできることをしなくてはならないと思うのです。
なぜならば、生きているという事実そのものがすでに幸せなのだから。
津波で家族を流された初老の男性が
「いっそ自分もいっしょに流されてしまったほうが幸せだった…」と
おっしゃっていました。「生きるも地獄、死ぬのも地獄」とも。
これまで代々大切につないで、つくりあげてきた家族、家、畑。
すべてが一瞬にして奪われれば、「いっそ…」とも思われたのでしょう。
でも、きっとあの人は時間はかかるかもしれないけれど、顔をあげて、
生きているからこそできることをし始めておられると、私は信じています。
波にのまれていった家族の想像を絶する無念さと苦しさに思いが至った時、
絶対にあの人はそうされるのだと信じています。
なぜならあの人は生きておられるからです。

私は、生きていること、それこそが幸せなのだとあの震災を通じて知りました。
これまで、生きていることは当たり前で、そのうえでどう生きるかに
多くの時間とエネルギーを使ってきました。
でも生きていることはけっして当たり前のような安いものではないのです。
だからそんな暮らしは大きく転換すると思います。まずは生きていることの幸せに
感謝して、今日を誠実に生きることにしたいものです。
先が見えないから夢が持てない、何かを計画しようにもそんな気にならない、
そういう声もたくさん聞きます。
だったらいいではないですか。今日を生きていることの幸せをあらためて
かみしめてみてはどうでしょうか。そんな生きることへのまっとうな畏敬の念と
感謝の気持ちの積み重ねで、私達は必ずこの危機を乗り越えていくことが
できるのだと思っています。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方の北北西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。

【2012.2.1 末金典子】

あなたはどのようなお正月をお迎えでしたでしょうか。
私の方はといいますと、去年は目まぐるしくいろいろなことが立て続けに起こり、
年末にその疲れがどっと出てきたものか、なんと天皇さまもお患いになられた
という「マイコプラズマ肺炎」の軽いものに罹ってしまい、あともう少しで
お正月休みという時に麗王をお休みしてしまうという不祥事となって
しまいました。
ありがたいことに名医と噂に高い頼れる私の主治医の西平先生の
丁寧な問診と触診による診断で即座に治していただきました。
驚くほど注射の上手な看護師さんやハートフルな看護師さん達にも
とても感動しました。
心で働いておられる西平医院のみなさま、この場をお借りして
心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

ということでしたので、今年は例年のように普天間神宮までランニングで初詣へ、
というのはひかえて車で行ってまいりました。それでもあとはオーソドックスに
大晦日には年越しそばをいただき、紅白歌合戦を観て今やもうついていけない
流行歌のお勉強をこなし、おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともに
いただき、大好きな読書とDVDと思考と睡眠三昧で初夢も見たお正月でした。

さて、去年という年は、いつもの年よりも本当にいろいろな想いを経験し、
たくさんの学びを得ました。
辛いことや哀しいこと、悔しいこともありました。
もちろんたくさんの喜びも。
その中で私の性格からいってとても難しい学びとなったのが、
誤解されてもなじられても、言い返さず弁解せずにじっと相手のことを想い
思考し、時を待つということでした。
かなり落ち込みました。自分も責めました。なにより哀しかった。
そして経緯を辿りずっと考えました。
なぜなら以前にも書きましたが私のモットーは、悩みは心で悩まず、
頭まで引きあげてしっかりと考えることだったからです。

そして年が明けたある爽やかな朝、私は突然に悟ったのです。
「自分の人生は自分のものだ」と。
人のために、人のお役に立ちたいと生きているつもりになっていても、
結局それでさえも自分のために生きているのだと。当たり前のことなのですが。
愛と善意による自分の気持ちから発したことであっても
いろいろな要素で複雑なことにもなってしまう。けれどその結果もまた
全部自分の責任であり学びなのです。ならば、その責任を負うために
必要なことがたくさんあるけれど、ひとつづつでもクリアしていけばいいのだ、
それが自分のためなのだ、そう決心したのです。

自分の生活について、どこまでが外から思い込まされているものなのか、
そうでないのか。
私は時間をかけてひとつひとつ考え、今も考えています。
備えすぎてもだめだし、見ないように目をふさぎすぎてもだめなのです。
自分だけのためにカスタマイズする自分の人生。
今回その過程で気づいたいろんなことに私ははげまされました。
筋肉といっしょで、心も毎日鍛えれば、強くなっていくのです。
人に力をあずけてはいけません。
力は合わせるものであって、あずけてはいけないのです。
どんなに尊敬する人でも、愛する人でも。

一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのか
わかりません。
このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかも
しれません。
かといってぎゅっと握っていたら、なにもできません。
そのさじ加減。風に乗る、波に乗る。判断する。
そんな本能をいつでもとぎすませておきたいものです。
ぎらぎらと、あるいはたまにはのんきに。

プーケットで津波があったときにそこにいた方のお話なのですが、
その津波の朝バス停でチケットを買うときに、ふと思ったそうです。
「昨日も海を見たから、なんか、やっぱり、今日は山にしよう。」
そしてチケットを変更して、助かったそうなんです。
そんなふうに、行き当たりばったりに、野性の力はふってきます。
もし判断を失敗して死んじゃうときが来たら
「あちゃ~、はずしたか。自分もここまでだったか!」
とだけ思えるくらいに、せいいっぱい生きたいものです。

あれを食べなさい、これを食べなさい、
これを買いなさい、これを捨てなさい。
ありとあらゆる情報のあふれる海を、私達は泳いでいきます。
あくまで現実的でありたいなと思います。
なんでも想いや念じる力で解決したりするのもいやだし、
お金の力で解決するのはもっといやです。
目の前にお年寄りがいたら手伝い、小さい子がいたら大事にしてあげたい。
多少合わないなと思う人でも話を聞いてあげたいし、うるさすぎたら
「うるさいよ~。」と普通に言いたい。

あの爽やかな朝、確かに感じていた気持ちを裏切らない人生にしようと思います。
スタートは遅くとも、何歳からでもどんな状況でも取り戻すことはできるのです。
夢物語ではありません。
同じことをしようとしている仲間はきっと世界中にいるし、
動き出せばいきなり出会い始めるはずです。
人生は思い通りになんかなりません。
だったらその苦しい流れの中で泳げばいいのです。
意外なことがやってきたら、自分がどういうふうに対応するか、興味しんしんで
見ればいいのです。
泣くのか、笑うのか、あきらめるのか。
それが新しい自分なら祝ってあげればいいのです。
今日から、ひとつだけのことからでも、はじめられます。
命はひらかれているのだから。

さぁ、新しい年です。
新しい自分も始まります。
一緒にお祝いいたしましょう。

あけましておめでとうございます。

【2012.1.10 末金典子】

一時の寒さも少し和らぎましたね。
あなたはいかがお過ごしでしょうか。
今年もこうしてあなたに、一年最後のお便りをお届けできることを
心より嬉しく思います。ありがとうございます。
今年もなんとか一年を乗り越えられました。一歩一歩ゆっくり歩むこと。
このような歩みが麗王にいらしてくださるあなたと共にあることを
心からお祈りいたします。

去年の最後にお便りを書かせていただいた日からあっという間に
もう一年が経とうとしているんだなと、今日はことさらに感慨を深くしました。
大地震と津波、それに原発事故のことなど誰も思いだにしていなかった平和な
昨年の暮れの日々が確かにあったのです。

1970年代にオイルショックというものがありました。
そのとき、トイレットペーパーや洗剤などの物資不足、省エネ対策、節電など
今と変わらない現象が起きました。当時も社会のいろいろな仕組みに対しての
戒めだと感じました。けれど、そのときの気持ちを私達は忘れてしまって
いたのではないでしょうか。神様は、人の行くべき方向が間違っていると、
バランスをとるかのように向かう道を変えさせるのでしょう。
ですから、神様からの試練のような出来事に直面したら、とにかく知恵を
働かせて何か行動することが大切です。誰かが助けてくれることを
待っているだけでは何も始まりません。今いる場所から少しでも前へ。
たとえ失敗したとしても、いつか次のステージにたどりつくことができると
思います。そしてそれがきっと美しい未来につながるのだと信じています。

私の場合の何か行動することとは、「食を守る」いうことでした。
農薬、化学性の添加物、放射能など私達の体を作る食がどんどん劣悪なものに
なっていっているなか、ご縁あって立ち上げた有機無農薬野菜を生産・販売する
会社が「ダイハチマルシェ」でした。大八産業さんの事業再生も無事終えた今、
この会社は来年から玉城勉さんにバトンタッチされ運営されることになります。
その会社の入社式にお招きした大城さん御夫妻から記念のプレゼントとして
サボテンをいただきました。
ほんの少し前まで、私の最も好きなお花といえば白バラでした。
真っ白な凛とした美しさが大好きでした。ところがこの日以来、サボテンの
存在感に心を奪われるようになりました。
サボテンは健気です。人の手をわずらわせることなく、たとえ水分が少なくても
自力で生き、雨が降ればきっちり水分を蓄え、ときにはきれいな花だって
咲かせてしまう。実に力強く、一生懸命な感じがしませんか?
人からいろんな面倒を見てもらわないと生きていけないような華麗な花は、
今の私の気分にフィットしないのです。生き方だってそう。
誰かをあてにして頼って生きていくような生き方は少しも素敵ではありません。
誰もが自分のことは自分で守る。そして周りの人をも助けられる人に
なりたいものです。

自然災害、経済恐慌、国際紛争、テロ…何が起こるかわからない今、この時代に、
私達はどう生きるかを問われているのではないでしょうか。何が起ころうと、
覚悟を決めて生き抜かなくてはなりません。
なぜなら、それは今私達が生かされているから。なぜ自分が生かされているのか、
どう生きるべきなのか、それを一生懸命考えることです。
生き物としての緊張感を持って生き、何が自分にはできるのかを問うこと。
生きにくい時代ですが、それを社会のせいや政治のせい、誰かのせいにしても
何も生まれないし、答は出ないのです。自分ができる範囲のことから、
まず何か行動を起こすことです。
私は、何事も前倒しに行い、すべきこと、できることは後回しにせず、
何かあっても後悔しないように生きようと思っています。

さて、今年の初め、「麗王」という店がいらしてくださる方々にとって、
どのようなものでありたいかをあらためて考えました。
ひとつはお話をじっくりと心で聞いてさしあげること。
小さな心の機微にも気づいてあげることができること。
少し肩を押してあげることができるように。
そして、なによりも愛を持ってあなたの心をあたためられるように。
いらしてくださればくださるほど、安らぎとあたたかさを感じられる場所で
ありますように。
今は人の集う場所はたくさんあります。そういった中での「麗王」の役割は、
日々のちょっとした折にいらしてくださったときに、ほっとするような、
少しだけでも世の中の騒音を忘れさせてくれるような空間でありたい。
あなたの心をあたためられる場所でありたい。
そのような想いをこめて、今年一年「麗王」で立ってまいりました。
今年も本当にありがとうございました。
会社設立などいろいろとバタバタしオープンが遅くなったり大変御迷惑を
おかけしてしまいました。それでもなお今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、来年はまた軌道修正しがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

来年こそ平穏な年でありますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2011.12.21 末金典子】