カレンダーも残すところもうあとひと月ちょっととなりましたね~!
本当に月日の経つことの早いことったら!
今年の麗王は女性のお客さまが多くて、カウンターのお客さまのほとんどが女性
なんてことも少なくありませんでしたし、
男性でも以前のように既婚者が圧倒的というのではなく、
バツイチや(マルイチと言ったほうがいいのでしょうか)、
独身の方も多かったように思います。
そんななかでよく耳にした言葉が「出あいがない」という悩みについてでした。
でも、実際私達は毎日のように、なにかに出あっています。
それが「運命の恋人」のようなものでなくとも、道端で見かけた新しいお店や
季節の移り変わりを教えてくれる花達、はっとさせられるような誰かの優しさなど、
さまざまなものに出あい続けているわけです。
出あいは「単体」ではなく、一連の小さな出あいの連鎖が、
最終的に大きな出あいに結びついていきます。これは、特に珍しいことでは
ありません。
例えば、友達に出あうこと、親戚に会うこと、好きな仕事に出あうこと。
それが、結婚や出産などの縁に結びついていくことが、実際、非常に多いわけです。
小さな出あいを大切にすくいあげていくうちに、それらが飛び石のように、
私達を特別な出あいの場所にいつのまにか、導いてくれるのです。
私は星占いも好きなのですが、この世界では2013年の後半から来年の夏までは
「水の時間」と言われています。
水は、霊的な世界とこの世との触媒になるらしく、
だからなのか私は夏場でも毎日お風呂にしっかり浸かっていますし、
住んでいる自宅は海の真ん前にあって、海沿いの道は車にも遭わず、
途中には何本かの川も流れているなど、日課である夕方のランニングに
ちょうどいいコースになっていて、水に近いそんな暮らしを
私は結構気に入っております。
海の波が寄せては返し、川の水が流れているという景色は、
取るに足りないことですが、私にとっては、日々のささやかな癒しになっています。
気持ちが落ち着かないときや、何かあって悲しいとき、気分がすっきりしないとき、
水辺をぼんやりと眺めながらゆっくり走るのです。
あなたには、何かあった時、ぼんやりできる場所があるでしょうか。
川の流れを見ていて、いつも心に浮かぶ好きな言葉があります。
「流水不争先」(流れる水は先を争わない)という中国の教えです。
水はかたちも無く、どんないれものにもこだわりなく入ることができます。
傾ければ下に流れるようになすがままです。
自分自身が、水のように自由自在で、ゆるやかで流れるようであれという教えです。
川の流れをぼんやり眺めていると気づくのです。
まっすぐまっすぐ流れようとしがちで、頭でものごとをあれやこれやと考えて、
いつも先を争って、流れる川になることができない自分がいることを。
力を抜こうよ、
素直さや、心の柔らかさを取り戻そうよ、
何でも受け入れようよ、
と川の流れは教えてくれます。
また、星占いの世界では、水は、感情、すなわち、喜怒哀楽を表します。
感情を表に出すことを恥ずかしがる人は大勢いますが
(特に沖縄は多いような気がします)、人と人とを結びつけるものは、まさに
感情でしかありません。
もし、この先大切な出あいを望むならば、今出あったもの達に感情ゆたかな
レスポンスを返していくことこそが、心から望むものにたどり着くためのコツ、
と言うことができるかもしれません。
つまりは、出あった相手にしっかりと向き合い、恐がることなく喜怒哀楽を
しっかりと伝え、また相手の感情もしっかりと受け止め、お互いの心を
触れ合わせていくという作業です。
そして、水のようにいつも透明であり続け、流されるのではなく、
自分自身で、自由自在にゆるやかにさらさらと流れていきたいものですね。
さぁ、明日は今年のボジョレーヌーボーが解禁となる日。
日々いろんなものに巡りあい、新たな気づきを得て成長を続けている
あなた御自身への御褒美に、人生を豊かにしてくれる今年の新しいワインを
プレゼントしてあげてくださいね。
(麗王では今年もJAL国際線ファーストクラスで唯一採用された
EUオーガニック認証ボジョレーヌーボーを御用意いたしております。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりください。)
【2013.11.20 末金典子】
| 麗王だより 2013年
今回の台風は来るような来ないような、のろのろ・ゆるゆる台風ですが
なんだかもう大丈夫なようですね。
そして季節は秋へ。
来週はハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
このハロウィンといい、クリスマスやバレンタインデーといい、
もう日本のひな祭りやこどもの日のような「年中行事」になりつつありますね。
私の祖母や母は、関西人ということもあってか、とにかく「年中行事」や
「お祝い事」を大切にしていて、五節句やお誕生日やクリスマスなどはもちろん、
1月はお正月にやるべきことはひと通り。松の内があけると同時に七草がゆ、
11日は鏡開き…などとしきたり通りに行事を次々にこなし、
それだけでとても忙しい家族でした。またそれをいつも生き生きと楽しそうに
こなしているようでもありました。
もともと前向きでエネルギッシュな関西女達だからそういうことを楽々と
こなすことができるのだろうとずっと思っていたのですが、ある時ふと
それはまったく逆ではないかと思うようになりました。
つまり、毎月毎月確実に訪れる行事を、ひとつひとつきちんとこなすごとに、
ひょっとしたら命を浄化して、生命力を高めてくれるような作用が
あるのではないかと、そう思い始めたのです。
言うまでもなく年中行事は、そもそもが神さまをまつるために宮中で始まったもの。
宗教的な意味合いがとても強いものの、民間では豊作を祈るものだったりして、
どちらにしても人が生きるうえでの重要な意味を持たされていました。
その語源は、毎年恒例の行事を忘れないように書き記された表に
由来するということで、そこはとても人間的。でも宮中の人々はそれらを次々と
こなすことを生きがいにしていたのではないでしょうか。これほど「退屈」を
回避し、「達成感」を得ることができるものもないから。
人生の「節目」は、苦悩や試練を伴うこともあるけれど、
人はそれこそ「節目」がないとうまく生きることができません。
節も何もない1本の棒を登っていくのは不可能で、「節」があるからこそ
それを足掛かりにして、危なげなく上へ登っていくことができるのです。
だから「節目」の多い人ほど高みに昇ることができるのだと私は思います。
何のひっかかりもないつるりとした平坦な人生を生きている人は、
うっかりすると同じ場所にぼんやり居続けたりしかねません。
上へ登る気力も体力も必要ないから、身も心も生き方も脆弱になっていく。
何もない退屈な日常をただぼんやりと生きていると、前向きさもエネルギーも
いらないから、人間が輝かないのです。
だとすると、朝昼晩、1ヶ月1ヶ月、そして春夏秋冬と区切りをつけ、
別々の時間としてきちんきちんと生きる人が、生き生きしていて幸せなのでは
ないでしょうか。
その区切りもただただ暦を眺めているだけでは少しも区切られません。
そこは昔人の知恵。人をぼんやりさせないため、それぞれに意味もしきたりも
違う「年中行事」が生まれたのでしょうね。それは人間が生き生きと1年を紡ぎ、
1日1日を幸せに営むための意外な手段なのでしょう。
また、年中行事は「ひとり」でやるものではなく、そのたびに家族が集まって
お互いの無病息災を願い合います。当然のことながら絆が深まって、
その「特別な食卓」を囲むとき、人は無情の幸せを感じます。
だから「年中行事」をきちんとやる人ほど、忙しいけれど生き生きとしているし、
決してぼんやり年をとらないから、いつまでも若々しいのでしょうね。
さぁ、月末のハロウィンはあなたも子ども心に戻って楽しんでみてくださいね。
私も魔女の扮装であなたをお待ちしております!
え? 扮装しなくても魔女ですって?
麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!
| 麗王だより 2013年
猛暑の夏も少し落ち着き、お盆も過ぎて、
今月は重陽のお節句や十五夜のお月見、敬老の日・秋分の日の連休と
もう秋の訪れですね。
あなたは夏のお疲れなど出てきてはいませんでしょうか。
私はといいますと、先月の旧盆の時にお誕生日を迎え、あたたかなお誕生日会を
開いていただき、思い切って4連休の夏休みも取らせていただきました!
4日間もお休みがあると、心身ともにほっと落ち着いて、
日頃の疲れが日を追うごとにゆっくりゆっくりと出てきます。
いつもなら短い睡眠時間でもぱっと目が覚めるのに、4日間もお休みして
のんびりしているにもかかわらず、どこまでも毎日たっぷり眠れてしまうのですから
もうびっくり! 知らず知らずのうちに疲れって溜まっているものなのですね。
で、その4日間一体何をしていたのかといえば、いつものお休みの時と
なんら変わらず、たっぷり眠って、ランニングして、お風呂にゆったり入って、
手の込んだディナーを作って食べて、後はもう、観たかったDVDと
読みたかった本を心ゆくまで…の繰り返しでした。
でもそうしてのんびり過ごしていると「ぼうっと」する時がしばしばあるのです。
人間って誰しも「ぼうっと」する時がありますよね。
たとえば、会議やセミナーなどの席で話がわかりにくい時や、好きな人ができた時、
何かしら衝撃的なことが起こった時、ついつい飲みすぎてしまった翌日などには、
ぼうっとしている人が多いのではないでしょうか。
私など子供の時からいつも空想の世界に入っておりましたので、
頭の中は動いていたとは思うのですが、傍から見るとぼうっとした子供に
みえたかもしれません。
人間は一日の三分の一の時間は空想にふけっているそうですが、
ぼうっとした外見で判断してはいけないそうですよ。
心理学の研究から、脳はそのような時に休んでいるのではなく、
活発に動いていることがわかっているそうです。
私もよくランニングで海べりを走っている時やお風呂に入っている時などに
とてもいいアイディアが浮かんできたり、何かを思い出したりします。
英語では、物思いにふけっていることを「デイ・ドリーミング」、つまり
昼間に夢を見ているといいますが、夢同様すぐに書きとめておかないと
いつの間にかその時に思いついたことを忘れてしまうという事実も興味深いですね。
たとえ脳が一所懸命に回転していたとしても、傍から見てぼうっとした状態を
「心ここにあらず」とも申しますが、それでは心はどこにいるのでしょう。
脳や理性に対して心、気や魂が別に存在するのなら、ぼうっとした時に、
この心や気、そして魂は休息をとるのでしょうか。
もしかしたら、どこか素敵なところに出かけてしまうのかもしれませんね。
問題を引き起こすのも、希望を現実に変えるのも、共に同じ心の働きによるのだと
考えるとこれもまた興味深いことですね。
最近は心の病に苦しむ人の話題があとを絶ちません。
ぼうっとしたあとに「我に返る」、呆然としたあとに「気を取り戻す」などと
いいますが、心や気、魂という無形の存在にも、身体の一部分である脳と
同じように元気でいてもらわなければなりません。
あなたも秋の爽やかな青空を眺めながら、ぼうっと考える時間をつくり、
それが「良い時間の使い方ですよ~」と訴える心の声に耳を傾けるところから
ぜひ始めてみてくださいね。
私はそんなふうに夏休みの4日間をぼうっと過ごして、
ふと浮かび上がってきた言葉がありました。
「毎日ひとつ、心が躍ることをする。」
「私が82歳まで生きながらえた秘訣」とオノ・ヨーコさんが言われた言葉です。
自分自身、もしくは誰かの心が躍ることを三ヶ月間、毎日続ける。
すると、だんだん身体の調子がよくなってくるのがわかるそうです。
「そうやって、私は、82年かけて健康になったのだと思います。」と
おっしゃるのです。
あなたは心躍ることがありますか?
今ワクワク、ドキドキしていますか?
「生きながらえる」という言葉もオノ・ヨーコさんはよく使われます。
ここまで生きながらえたことが、素直に嬉しいと。
やりたい仕事がまだまだある。まだまだ知らないことがある。毎日毎日発見がある。
もっともっと生きたいと。
長生きしたい。幸せになりたい。カッコよくなりたい。健康でありたい。
それは人の根源的な願いであり、人として輝くことにほかなりません。
あなたは、その願望にきちんと向き合っているでしょうか?
あなたが輝くことが、周囲を、そして世界を変えていきます。
毎日ワクワク、ドキドキして一緒に生き続けましょう!
生きるって楽しいことですよ~。人生はいいものです。
まずそう信じること。そこからすべてが始まります。
あなたもどうぞいい人生を。心からそう願っています。
【2013.9.12 末金典子】
| 麗王だより 2013年