沖縄知事選も終わり、今年もあと一か月と少し。
わぁ~、もうそんな~?  月日のたつのの早いことったら!
それに随分ひんやりともしてまいりましたね~。
ここのところアラハビーチをランニングする際の服装を半袖半パンから
長袖長パンに切り替えました。
北海道の真冬にも半袖半パン姿で旅行されるぜんざいの富士家の
大嶺社長からは「なんとひ弱な!」と言われそうですが…。

さて、秋も深まりつつあり、明日はいよいよ今年のボジョレーヌーボーが
解禁される日! 今年の出来具合はどうでしょうか。

そのワインには美味しいお料理が欠かせません。
私は「食べる」ということを毎日の生活の中で本当に大事にしていますので
今日は愛のある食べものについて書こうと思います。

麗王にはよく女性のお客様がいらしてくださるのですが、そのなかの、
みどりちゃんという女性が随分以前にいった言葉を、
今でも忘れることができません。
みどりちゃんはこういいました。
「ねぇ、典子さん。私のおかあさんは、料理があまり得意でないの。
なんかまずいの。でも、不思議と、おいしいの。
おかあさんの料理は、まずいけれどおいしいの。」
おかあさんの作った料理は、愛のある食べものの筆頭で、いくらおかあさんが
料理が不得意だとしても、「まずいけれどおいしい」ものなんだと思います。
食べものは、エネルギーなのです。

つくり手の、目には見えない、「もわっ」としたもの……つまりエネルギーそのものが、
その食べものに転写されています。
だから、おかあさんの料理を食べるという行為は、おかあさんのエネルギー、
愛そのものを食べるということになる。
いちばん栄養になるのが、この、愛のある食べものだと思います。
誰かが誰かのしあわせを思って、一生懸命つくった食べもの。
ほら、お茶だってそう。淹れる人によって、まるきり味が違います。
おにぎりだってそうですよね。おかあさんが熱々ご飯をやけどしそうになりながら
握ってくれたおにぎりと、売っているおにぎりとでは、全然おいしさが違います。
つくる人のその日の機嫌によっても変わります。
あの味の違いは、エネルギーの違い、なんだと思います。
私は、何かを食べるとき、このことを本当に大事に考えています。栄養よりも。
できるだけ、誰がつくったか、また、つくった人との関係性、など、
愛のエネルギーが高そうなものを選ぶのです。
一番いいのは、体が消化するときにやさしい、体と同じ自然な無農薬で丁寧に
育てられたお野菜などの素材を、無添加で丁寧につくられた調味料で、
愛する人と一緒にお料理して、一緒においしくいただくことだと思います。

逆にいえば、怒っている人、上から目線の人、悲しみでいっぱいの人が
作ったものを私はなるべく食べません。
以前、東京の有名なイタリアンレストランで修業したという人が宜野湾市に
お店を出されて行ったことがあるのですが、残念ながら、あまりおいしいとは
思いませんでした。案の定、お店の空気は冷たくて、
お客さまがいるにもかかわらず、オーナーがお店でスタッフを
怒鳴りつけている声が店に響き渡っていました。人間関係がさびしさで
いっぱいでした。
おいしさは愛の度合いなのです。

手前味噌で大変申し訳ないのですが、わたしの母の実家は代々、
大阪で洋食レストランを営んでいますが、その味がやさしくておいしくて
飛び上がるほどと、お帰りの際にはみなさんが10種類もあるサンドイッチや
フライの盛り合わせなどのメニューの中から持ち帰りされるほど評判店でした。
母の家族がみんなで経営していて、店の二階に居間があって、
おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさん、いとこたち、私…と
大勢で手伝いながらわいわいと働いていました。
おじいちゃんが畑で育てた無農薬野菜や、選びぬいたこだわり食材など
家族に食べさせたいものをお客さまにも、というそのお料理の数々は、
愛のエネルギーがいっぱいだったと思うのです。
「本当においしい」とは、愛のある食べもののことを指す言葉だと
わたしは今つくづく思っています。

あなたも今年のボジョレーヌーボーとともに、「本当においしい」お料理を
愛する人と一緒に召し上がってくださいね。

(麗王の今年のボジョレーヌーボーは、ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ
(シュブラン家)のワイン。  シュブラン家はボジョレー地区南西部で
5世代前から続くぶどう農家です。現当主のフランソワさんは
元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する友人のワインに
感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が
土を耕します。醸造は、ドアットさんと同じ昔ながらの
マセラシオンセミカルボニックを実践。25℃を超えない低温で
ゆっくりと仕上げます。そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の
畑の特長を生かしたミネラル感ときれいな酸味を楽しむことができる
味わいです。酸化防止剤は入っておりませんので安心して
お召し上がりください。)

【2014.11.19 末金典子】

めっきりと秋らしい毎日になりました。
明後日はハロウィンですね~。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。
大人もたまには童心に戻って遊ぶという気持ちって大切なことかもしれませんね。

この世界に「たった一人の自分」という存在で生まれてきた私達。
子供の頃の自分と、大人になった今の自分とでは、どう変わりましたか?
同じでしょうか?
「自分探し」などとよく言いますが、自分ってどんな人でしょうか?
知っていますか?

心だって無限に変化しますよね。
本居宣長は「情」という文字を「こころ」と読ませ「たえず揺れ動くもの」と
規定しましたが、どんな文字を使ってみたところでその本質は無限の変化にこそ
あるのでしょう。だから「ころころ」から「こころ」という和語が作られたのだと思います。
そして、善人だって悪人だって心の中に一緒に住んでいて、
あらゆる可能性が自分という一人に凝縮されているからこそ「只一人」
なのでしょうね。

人類の遺伝子は99.99%まで共通だと言われていますが、これこそ私達の
無限の可能性と見ることができると思います。
そしてそう思ったうえで、問題になるのは目覚めている遺伝子ということになります。
なんでも、普通の大人で目覚めているのは3%~5%程度らしいのですが、
このちゃんと目覚めて情報を提供しているDNAのズレが「個性」などと呼ばれ、
また大袈裟に言えば人間の能力も決定づけているのです。

よく人は根本的には変わらないと言われますが、
生活習慣こそが自分というものを形づくっていくそうです。
だからこそ、生活でのさまざまな試みのなかで、6%、7%と新たな遺伝子を
目覚めさせていこうではありませんか。

つまりは、今の自分の、生活習慣によって勝手に作り上げた輪郭を破りなさい、
ということなのです。
換言すれば、合理的理解の中で判断してやめてしまっては新しい遺伝子は
目覚めないのです。新しい世界にチャレンジすることで新しい能力が
目覚めるのでしょうから、フロンティア・スピリットで楽しむことを生活習慣に
してしまえばよいのです。

自分で自分をみくびらない。
それは幾つになっても自分の無限の可能性を信じることですし、
だからこそ相手の可能性も信じることができるのです。

ただ新しい行為にチャレンジすることは刺激に満ちていますが、
やはり勇気を必要としますよね。
現状維持を破る勇気です。
でも「勇猛心」を奮って挑戦すれば必ずや新しい世界が拓けてきます。
それを、そのまま自分そのものの成長と考えていいのではないでしょうか。
この世でたった一人の自分。ぜひとも成長したいものですね。

さぁ、私も明後日は魔女に変装してまずは童心にかえってみようっと!

【2014.10.29 末金典子】

今月は十五夜、重陽の節句、敬老の日、お彼岸の入り、ともう過ぎてしまって
来週は秋分の日。いよいよ本格的な秋の訪れですね。
日々の雑事に追われているうちに
「え~っ?もう今年もあと三ヶ月ほどなの~っ?」って感じで、
本当に月日の経つのの早いことったら!

「自分はいったい今年何を成し遂げたのだろう?」
「こんなことしていて、このまままで、いいのだろうか?」……
そんなふうに不安な気持ちになったり、将来に対する怖れの気持ちなどで
いっぱいになったりしていないでしょうか。
今日はその不安を取り除くためのお話を書こうと思います。

人間の感情は、突き詰めると「愛」と「怖れ」の二つしかないと言われています。
「愛」こそが私たちの真実で、「怖れ」は人間が作り出した幻想でしかありません。
確かに、自分が怖れや不安に思うことのほぼ90%は当たらないそうです。
であるにもかかわらず、怖れの気持ちでいっぱいでいると、
かけがえのない「いま」この一瞬がおろそかにされてしまいます。

現在、このひとときが幸福であるなら、それを充分に味わえばよいのに、
いろいろなことを考えて悩みはじめると、その幸福は手の中から
こぼれていってしまいます。

世の中はべつに心配事に満ちているわけではありません。
私達は、つねに心配したりおびえたりする気持ちから解放されることが
できるのです。
それには、「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」
ということが心配やおびえから解放される唯一の道のようです。

いろいろな怖れや怒りは心をトレーニングすることによって、
解放し自由になることができると説く国際的に有名な精神科医の
ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士のエピソードを御紹介します。

「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」

このことをはっきりと意識したのは、1945年、私がスタンフォード大学医学部で
インターン三か月目の時でした。医学部では、クラスの三分の一の学生が
そのとき勉強している病気の症状を引き起こしているように見えました。
そしてそのうちの何人かは勉強中の病気に実際にかかってしまうのです。
私が一番恐れていたのは結核で、自分は結核にかかって死ぬのに
ちがいないとまで思いこんでいました。そしてインターンのとき、ついに
結核病棟の担当になってしまったのです。ある朝、目覚めて
一息呼吸したとたんに、そのまま死んでしまう、そんな自分の姿が何度も何度も
目に浮かびました。

ある夜のことです。私は、結核に加え、アルコールによる肝硬変を併発している
55歳の女性患者のことで緊急に呼び出されました。肝硬変を起こすと、
食道に静脈瘤ができやすくなるのですが、この女性患者は、食道静脈瘤が
破裂して吐血し、ショック状態に陥っていました。脈拍は微弱になっており、
血圧は低下して脈拍はふれることができませんでした。私はまず、
食道と気管からあふれ出る血液を吸引した後心臓マッサージを行いました。
ところが、あいにくその日は、酸素吸入器が故障しており、
私はマウス・ツー・マウスの人工呼吸を行わなければなりませんでしたが、
幸いなことにこの緊急処置は、患者の容態を好転させました。

当直室に戻った私は、鏡に映る自分の姿を眺めました。緑色の手術着は
患者の血で、赤く染まっていました。そして、そのとき突然私は、患者の処置に
必死になっている間、ただの一度も恐れを感じなかったのに気がついたのです。

人を助けることに集中しているとき、恐れを感じることはない。

私はこの真実に気づきました。これは猛烈な体験でした。それまでは、
結核にかかるのではないか、と内心おびえていたため、その恐怖にすくみ
動けなくなってしまうことさえあったのです。

人が、与えることだけを考えているとき、恐れを感じることはない。
このことをはっきり教えてくれた体験でした。

これを読んでいて私の子供の頃のことを思い出しました。

それは、幼稚園でのお昼ご飯の光景。
子供たちそれぞれの前には、お母さんの心のこもったお弁当が広げられています。
でもその中でひとり、不安そうにまわりを見ているちずるちゃんという
女の子がいました。
実はその日、ちずるちゃんのお母さんから幼稚園に電話が入り、
「ちずるを送り出してから、使っていた包丁が欠けていたのに気づいたので、
持たせたお弁当は食べさせないようにお願いします」という言伝があったのです。
そこで先生は、ちずるちゃんのお弁当箱のフタをお皿代わりにして、私たちに
語りかけました。
「みんなのおいしそうなお弁当からおすそわけしてくれる人はいるかな?」
すると、いっせいに手が挙がって、それはもうオモチャ箱をひっくり返したような
大騒ぎです。私も一生懸命手を挙げましたが、見ると、
普段は意地悪でいじめっ子の男の子たちまで、割れるような大声を出して、
必死に手を挙げています。私は小さいながらも、「ああ、みんな同じなんだ。
本当はみんな優しいんだ」と感じたのを覚えています。
その時、先生と私の目が合いました。すると先生は、「じゃあ、卵焼きを一つ
分けてあげてね」といって、先生のお箸が、私の卵焼きを拾いあげてゆく…。
その時、小さな私の胸はとても幸せにときめいたのです。
「ああこれでちずるちゃんも、お弁当が食べられるんだ」と、何ともいえない
温かさが湧き、澄んだ喜びが心の奥からこぼれ落ちそうになりました。
お腹がすいているのに、自分の食べ物が減ってゆくことが、何だか嬉しい…。
今思えばあれは「誰かのお役に立てる」という、最初のときめきだったのでしょう。
大人になると、こういう純粋さはついつい忘れてしまいがちですが、
あの日クラスのみんなが手を挙げたように、本当は誰もの中に、純粋で優しい
気持ちが息づいているのだと思います。
そしてそんな気持ちで生きていくことこそが、怖れや不安を感じずに、
幸せに生きていくことなのではと、私なりに感じたことでした。

あなたが秋の毎日をうんと幸せにお過ごしになられますように。

【2014.9.18 末金典子】