暑い毎日が続いておりますが、お元気ですか?
(いつもより少し長めの麗王便りですので、お茶でも飲みながら
おつきあいくださいませ。)

私事で恐縮ですが、実は、先月6月8日に麗王に出勤したものの、
あまりの激痛ですぐに自宅に戻ることとなり、
そのまま麗王をお休みさせていただくことおよそ2ヶ月。
その間に麗王に折角いらしてくださった方や、「今から行くよ~」とお電話を
くださった方などには大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
本当にすみませんでした。
わざわざ足を運んでくださったお気持ちや、労力や、費用のことなどを思うと
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
たくさんの温かい励ましやお見舞いのメールやお電話など
本当にありがとうございました。
心に染み入るようにありがたく温かく感じ入りました。
おかげさまで、ようやく回復し今週いっぱい体調を調整して、
また今日から元気に再開させていただくこととなりました。

何の病気に罹ったかと申しますと、過労死の前兆ともいわれる
「後頭部神経痛」で、あまりの激痛で救急車で運ばれるような方もいるそうです。
なんだかぞっとしました。過労死する人って意外と自覚がないんだそうです。
病気の間はかなりの激痛の毎日を過ごしました。もう痛いなんてもんじゃありません!
ちょうど麻酔せずに歯を削られているような、高圧電流をバシバシッと
流されているような、そんな鋭い痛みが右耳から後頭部に4秒ごとぐらいに24時間
襲います。
漢方薬とビタミンB12を呑んでひたすら休むか横になって安静にするという
日々でした。
この病気、今増えてきているそうです。麗王にいらしてくださる方々もみなさん
働き盛りの方ばかり。どうぞくれぐれもお気をつけくださいね。

ちょうどそのお休み中に、よく麗王にいらしてくださる40代の女性からメールをいただき
「くも膜下出欠で救急車で運ばれ8時間もの手術を受けましたが
ようやく退院しました。」とのこと。彼女の無事退院に心から安堵したことでした。

他方で、麗王でおなじみ樋口先生の大学の親しい同級生の方が
山登りの途中で心筋梗塞で亡くなられたりもして生と向き合う機会となりました。

そしてこうも思いました。
今回自分はこの病気になったからこそ、自分の身体のSOSに
気づくことができたんだと。もっと大事に至っていたかもしれなかったんだと。
「痛み」ということだって、イヤなことだけれど、仮に、人がもしも「痛み」というものを
なくしてしまうことができたとするとどうでしょう?
ストーブなどに触ってしまっても、痛みがなければ、そのまま手を焼き続けて
しまいます。体をケガしても病気をしても、痛みがなければ、気づかなかったり、
放っておいてしまったりして、腐ったり、死んでしまったりするのではないでしょうか。
そう考えると「痛み」を感じるということはとても大切なことですよね。

あなたも痛いところはありませんか?
心は悲鳴をあげていませんか?

しっかり感じてあげてください。
しっかり耳をすませてあげてください。
自分の感覚を感じることができたり、自分の声を聞くことができるのは、
自分だけなのですから。

ところで。
このお休みの間はひたすら安静の毎日でしたので、随分いろいろなことを
考えました。
私の場合、病気になって気弱な気持ちになると、決まって必ず始まるのが
「反省する」こと。

「どうしてこんな痛い病気になっちゃったんだろう。」
「きっとこれは普段私が人に痛い想いをさせてしまっているからその罰なんだ。」
「あの時のあれが返ってきたのかも…。」
「あの人にこう誤解されているのかもしれない。」…
というようにいろいろな想いが頭をよぎります。

私は、反省するうえで大切なのは、自分のしたことを振り返り、確かめることだと
思っています。それをしてよかったのか、悪かったのか、あらためて考えることに
意味があるのだと思います。
自分が悪いことをしたと思うなら、いったい何がいけなかったのか、
どうすればよかったのか、考えます。
そして、ああすればよかった、ここをこうするべきだったと自分なりに答えを出したら、
次の機会にはそうしよう、と教訓を胸に叩き込み、その話はそこでおしまいにします。
もう過ぎてしまったことですから、それ以上思い悩まず、恨みや悔いや怒りなど、
マイナス要素はすべて、捨ててしまうのです。
反省の「省」は「はぶく」という文字。振り返って、事の善し悪しを確認して、
マイナスな必要のないものを心から捨て去るということなのでしょう。
つまり反省とは、人生の復習であり、生きるための知恵だと思うのです。
過去の自分にとらわれることはやめて、今の自分をしっかりと見つめる。
変えることができるのは、未来のほうですものね。

また反省する時には、大局的に考えることも大切なことだと思います。
手鏡に映る自分の姿だけを見ていたのでは、自分のアップの表情しか見えません。
自分が他人からどう見えているかを知るには、等身大の鏡に全身を映す必要が
あります。
つまりは、沖縄にいる時分、日本の中の自分、世界の中の自分と枠を大きく広げ、
グローバルな視点で自分を俯瞰してみることもしてみます。

そうやって今回の自分の病に倒れたことを考えてみての反省は、
「何事も過ぎないように」ということでした。

働き過ぎると今回のように病気になる。
人間関係に深く入り込み過ぎると相手も自分も傷つくことがある。

同様に、食べ過ぎるとメタボ。飲み過ぎるとダウン。遊び過ぎるとお金がなくなり、
言い過ぎると友達をなくす。
見過ぎると目が疲れるし、知り過ぎると他人が信じられなくなりそうだし、
信じ過ぎると自分が見えなくなる。
歩き過ぎると足が張るし、寝過ぎると体がダルイ。
好過ぎると後が辛いし、悪過ぎても辛すぎる。
若過ぎると相手にされないし、年寄り過ぎるとついていけない。
クール過ぎるとつまらないし、ホット過ぎるとうっとうしい。
空気を読み過ぎると何も発言できなくなるし、空気を読まなさすぎると馬鹿にされる。
将来を考え過ぎると暗くなるし、過去を振り返り過ぎると今を生きることができない。
勝ち過ぎると負けが怖くなり、負け過ぎるとやけくそになる。
暇過ぎるとロクなことを考えないし、忙し過ぎると他人のことを考えられなくなり
やさしさも忘れてしまう。

要するに、過ぎてはいけないということ。
過ぎそうになったとき、それに気づくことができる自分でいられるかどうか?
それが他人とのかかわりの中で生きていくやさしさってものなのかもしれないなぁと
思いました。

自分の気性として、とにかく世話好き、お節介なところがあって、
人にどんどん自分の正義で入り込んでいってしまうのですが、そのことが時には
人との摩擦を引き起こし、自分もまた傷ついたりしてしまうことがあります。
その原因は、たいていの場合、私と相手を同一に考えていることに起因するのだと
思います。
他人は他人、自分は自分なのですよね。
温室で肥料を与えなければ咲くことができないバラもあれば、野原でのびのび育つ
タンポポもあります。バラとタンポポは、初めから違う生き物です。バラの育て方を
押しつけられても、タンポポはうれしくありません。
相手の生い立ちや育った環境経済状況から教養、モノの考え方や感じ方まで、
全部推し量ってみると、なるほど相手の言い分も、わかるような気がしてくるものです。
相手は、私とは全く違う個性の持ち主。私と意見が何もかもぴったりと合うはずが
ないのです。

相手の立場に立ってみる。
大きな視点に立ってみる。
違う角度から考えてみる。
そうやって反省してみると、これから先の人生を充実させるための、前向きな作業が
できた気がして、潔く生きていくことができるような気持ちでいっぱいになりました。

人づきあいは「腹五分くらいで」とよく言われますが、私には「腹八分くらい」でも
何か物足りない気がまだまだしちゃいます。
でも「何事も過ぎないように」の反省を活かし、8月の始めからまっさらに
またがんばります!

それに20代の時からずっと「睡眠時間が短くても深く眠れば大丈夫!」なんて
「二足の草鞋」で突っ走り続けてきたものの、もう50代。
無理がありますよね~やっぱり。
身体のサインに気づいて、しっかり労わってあげなければ。

自然も時には休息します。土だって休ませる必要があるし、熊や蛇は冬眠する。
魚さえ目を開けたまま眠る。私達もこの姿勢から学ぶことができるはずです。
いったん立ち止まってみることです。休息し、振り返り、よく考え、
時にはただそこにいるのです。それも必要なことなのです。
休息をライフスタイルの一部にすると、休ませた後の土と同じように、
次に活動したときの生産性がぐっと高まるんだと思います。

誰もが愛される大切な存在です。
あなたも自分の身体を、心を、存在を、慈しんであげてください。
感謝して大切に扱ってあげてください。
そしてどうか心のどんな小さな声も聞き、大切に、大切にしてあげてくださいね。
いつもあなたがお健やかでいらっしゃいますように。

今日からまた麗王をよろしくお願いいたします。

*****************************

* 樋口先生のタイムスプラスの記事
「沖縄から貧困がなくならない本当の理由1,2,3」が
人気記事上位を独占していました! 大反響を呼んでいます。
是非御一読を!

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(1)対症療法
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49998

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(2)連鎖
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49997

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(3)低所得の構造
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49977

沖縄から貧困がなくならない本当の理由(4)変化
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/55242

またポリタスの記事「政治が社会問題を解決できない理由」も好評です。
併せてお読みになってみてくださいね。
http://politas.jp/features/10/article/497

.。・:*:‘★、.。・:*:・‘☆、.。・:*:・‘

麗王
トリニティ株式会社
末金典子

ゴールデンウイークの連休中の方も、カレンダー通りに出勤なさっておられる方も
いらっしゃることと存じますが、春の爽やかな気候を味わっておられますでしょうか。

熊本や大分で地震による恐く不便な思いといまだに闘っていらっしゃる皆様、
被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申しあげます。
まだ避難所にいらっしゃる方々が一日も早くおうちに帰ることができますように。
どうぞ被災地が一日も早く復できますようにと願わずにはいられません。

******************************

さて、今年のゴールデンウイークの最終日は母の日ですね。
毎年この時期には母との想い出を書かせていただいているのですが、
あなたの胸にあるお母さまとの思い出はどんなことでしょうか。

私は沖縄に住んで26年になるのですが、人生で一度だけの入院という体験を
30代の頃にここ沖縄で経験したことがあります。
肺炎手前のような症状だったのですが、その病状よりも、地縁血縁のいない
この地で入院ということが心細くて不安な思いを経験しました。

幸いなことにあっという間に退院できそうでしたので、
大阪でレストランを営んでいる母が「これから沖縄まで行くわね」と
電話をくれたのですが、「お店を休んでまで来なくても大丈夫よ。」と断って、
自宅で3日ほど休んでいました。すると速達で母からお見舞いの封筒が
届きました。水彩画のように繊細なタッチで、淡い色とりどりのの花々と
四葉のクローバーがかわいらしい封筒で、そこには、ひらがなで「こころばかり」と
書いてありました。最初は、家族なのだからこんなことしなくてもいいのにと
思いましたが、母らしいと思い直し、「ありがとう」と心でつぶやいて
受け取りました。

私が子どもの頃、母は挨拶にとてもうるさい人でした。その頃には頼られることも
多かったので、今もこういうことをきちんとする母を嬉しく思いました。

その母がまたいつも私にうるさく言ったことは、
「何かをしていただいた時には、そのありがたい感謝の思いを必ず言葉にして
文字にして、お伝えしなさい。」ということでした。
私がこうやっていつも麗王にいらしてくださるあなたに心を込めてお手紙を
書き続けることができているのは、母の影響に他なりません。

はるばる母が届けてくれたお見舞いの封筒は、今も私の手元にあります。
ときどき眺めては、母の「こころ」を思い出しています。

日曜日の母の日は温かな感謝を伝える日にしたいですね。

【末金典子】

また大きな地震が日本を襲いました。
麗王にいらしてくださるお客さまのなかにも被災された方がいらっしゃいます。
自分にできることは何だろうと思わずにはいられません。
被害に遭われた地域の皆様には、心よりお見舞い申しあげます。
被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。

****************************

今年は春になってからもまだぐずぐずとした雨模様が多い毎日なので
今週からいよいよ始まるゴールデンウイークにはすっきりとした晴れ間が
続いてほしいものですね。

さて。
先日、麗王にいつもいらしてくださっている若手男性弁護士の方から
メールをいただきました。
内容は、以前より麗王にも一緒にいらしていた「彼女と別れました。」
ということでした。
彼女と少々の違和感を持ちながらも、良い人だし一緒にいて楽しい人だったので
特段別れる理由もなくずっとつきあっていたのだとか。
でもこのままズルズルいくのは申し訳ないし、彼女もお年頃でもあり
そろそろ別れた方がいいのかもと考えていた矢先、ちょっとしたことでケンカし、
悩んだ結果、別れを切り出しだということでした。

今年は激動の年と言われていて、この弁護士先生に限らず
麗王でも毎日のように「会社を辞めました」「結婚します」「会社を設立します」
「留学します」「転職します」……などと人生の大きな節目を迎えられている方が
続々と御挨拶にいらしてくださっています。
そういう転機には必ず人との出会いと別れがつきもので、特に別れは、
悲しくもありつらいものです。

ただ、私は人間関係にも「消費期限」のようなものがあると思っています。
全ての人といつまでもお付き合いするのは無理があります。
人間関係をいつ終えてよいかわからなくなってしまった時、私はいつも
花瓶に生けたお花を思うのです。
お花を何回水切りをしても、もうここから先はダメだなとわかる線があります。
水切りをすればもちろんお花は日持ちするけれど、ここから先はさよならだなって
わかるときがあります。
もうここから先は自分が決めたことじゃないなって。
もちろんそこにくるまで愛情をかけ心を尽くして真剣に向き合ってきたからこそ
自ずと関係が終わったり深まったりするのだと思います。
別れは、それぞれが正しい人に向かうためにお互いの手を離し合うこと。
今までの出会いと別れはすべて、この人と出会うための準備だったんだ、
それどころか、この人と出会わなければならないからこそ、今までの恋愛は
実らなかったのだ、と思うこともできるぐらいの出会いが
次に必ずあるはずなのです。

よぉく物事を見ていくと、一つ一つの事柄がどれほど繋がり合っているか
ということに気づいて、ぞっとしたり、びっくりすることがあります。
たとえば、コーヒーをどういうタイミングで飲み終わるのかとか、
もし私がコップを倒したとしたら、その本当の原因がどこにあるのか、
それはもしかしたら、今朝起きたときの目覚まし時計を止めたときの感じから
来ているんだとか。それくらい繋がっているんです。
だけど、そういうことをいちいち意識していたら、それこそ、本当におかしくなっちゃう!
だからこそ一瞬一瞬を雑にしないということが、唯一自分ができることなのだと
思います。
「このコーヒーをいつ飲み終わろうかな、そしたらその後どうなるんだろう」と
気にするのではなく、自分は完璧なタイミングで完璧なことをしているんだって
自信を持つことが大事なのだと思います。
つまりは、ネガティブなことにもすべて意味があると考えると、人生は一瞬たりとも
無駄になりません。
どんな恋愛も、自分の人生の必然だったと思えるはずなのです。

結婚なさっている方ならぜひ自分の結婚の意味を見直してみてほしいのです。
なぜ自分は今の夫や妻と結ばれたのか?
あるいは結ばれなければならなかったのか?
もちろん、自分たちの子供を授かるためにこそ、この相手と出会ったのだと
考えてみるのもいいでしょう。
でもそれだけじゃなく、もっと自分自身の人生においての、大きな意味を
見つけてみてほしいのです。
たとえば、自分に与えられた使命を全うするために、そのパートナーとして、
そのサポーターとして相手がどうしても必要だった、みたいに。
あるいは、自分の親に対する相手の優しさを見つけて、なるほどそのために
自分はこの人を選んだのかもしれないというふうに。
後からその意味に気がつくのも、また素敵なこと。
必ず探し出せます。まさに宝探しみたいに、とても大切なモノを
ようやく見つけた喜びに心が震えるはず。

みんな同じボートに乗っています。
すごいバランスのもとで、私たち一人一人がこの世に、そして同じタイミングで
生きているのです。

このゴールデンウイークはパートナーやお友達や御家族と出会った意味を
噛みしめながら尊びながらどうぞ楽しくお過ごしくださいね。

かけがえのない時間の中でお読みいただき、ありがとうございました。

あ、因みに、件の弁護士先生ですが、彼女と別れた後で、
東京に結婚式に行かれた折にビビッときた女性と出会い、
早や結婚が決まったとか! お慰めメールまで送ったというのに。もうっ!

* GW中、麗王はカレンダー通り営業いたします。(日、祝祭日お休み)

【末金典子】