もうすぐ11月だというのにまだまだクーラーガンガンだなぁと思っていたら
昨日あたりから少し秋の雰囲気が漂い始めました。
季節の変わり目で体調を崩しておられる方も多いようです。
あなたはお元気でしょうか。
過日、教育関係のお仕事に就いているお客さまから、こんなお話をうかがいました。
今は小学校に上がると、まず転び方や飛び降り方を教えるんですよ、と。
不思議に思って詳しくうかがうと、椅子から飛び降りたり、道で転んだりした場合に、
とるべき姿勢を教えるのだそうです。
高い所から飛んだときは、腰を曲げてクッションにすること。
転びそうになったら、手をついて身を守ること。
それができずに、膝を伸ばしたまま着地して骨折したり、転んでも手が出ずに
顔面を派手にすりむく子が多いのだとうかがい、大変驚きました。
私の子供時分は、近所の塀の上を伝い歩きしてポーンと地面に
飛び降りるようなことも、転んで手のひらに細かい砂利粒をめり込ませるようなことも
日常茶飯事でした。
当時は整備された公園などあまりなく、代わりに至る所に空き地がありました。
みんな、ここでゴム飛びをしたり野球をしたりバッタを捕ったり鬼ごっこをしたり
したものです。「ドラえもん」で、のび太たちがよく土管の置かれた空き地に
集まっていますが、まさにあんな感じ。ボールが近くのお宅に飛び込んでしまい、
「すいませーん、ボール捕らせてくださーい」と、お願いすることもしょっちゅうでした。
道は普通に遊び場でしたし、子供達はみんな外で遊んでいたものです。
ところが今は、公園でもキャッチボール禁止、自由に遊ぶことができる空き地は
皆無に等しい。道は車がばんばん通っていて危ない。
これでは、転んだり飛び降りたりする機会もないでしょう。
それどころか子供の声まで騒音として保育園などへの苦情が続出していて
問題になっている。
確かにレストランなどで騒ぎまくっている子を見ると、「むむむ」という時もあります。
幼稚園や学校の御近所は相応に御苦労もあるでしょう。
けれど、町から子供たちの声が全くなくなってしまったら、それはとても寂しいと
思うのです。
ジャポニカ学習帳は花や虫の写真が表紙を飾るおなじみのノートでしたが、
4年前、表紙から昆虫が消えました。親や教員から「気持ち悪い」との
クレームが相次いだからだそうです。
子供たちの声にしても、虫にしても、自分の気に入らないものは
排除してしまう傾向が世に強まっているのではないでしょうか。
荒木経惟氏の写真集に「さっちん」という昭和30年代の活き活きとした子供たちの
笑顔を撮った作品集があります。
紙芝居に真剣に見入る姿、全速力で駆け回る姿、トラックの荷台に乗って
おどける姿。みんな、顔だの、足だの、泥だらけの傷だらけで、鼻水も垂らしています。
生きている躍動感そのものなのです。子供というのは、こんない力強く逞しい
生き物なのか、と改めて感じてしまいました。
荒木氏はこの写真集のあとがきにかえて、語っています。
「少年性っつうのはね、一番の魅力のことなんだ。そんなものはね、十歳とか
そんな頃に、いくらまわりの環境がどうだったって、奪い取れるもんじゃない。
それをね、いまの時代がだめにしたなんていったりしちゃあだめだよ」
そうして、こう続けるのです。
「チャンスがあればいつだって呼び戻すかもしんないよ。もって生まれた少年の
野生っつうのをさ、そういうものを」
子供時分に育まれる「野生」は、大人になって強く生きていくためになにより必要な
創造力であり知恵であり胆力でありコミュニケーション力のもとになるものだ
という気がします。
そしておそらく、ある年齢を過ぎると身につけることが難しくなる力でもあるのでしょう。
それを抑えつけるような社会を大人が作ってはいけないな、と改めて思うのです。
さて、週末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。
私達もたまには童心に戻って、もって生まれ子供時分に育まれた野生を
呼び戻してみるのも大切なことかもしれませんね。
なので、麗王でも賑やかにハロウィンの飾り付けをし魔女に扮してお待ちしております!
「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」
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* 麗王便りのバックナンバーは弊社HPからご覧ください。
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=102
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
今年初めての沖縄本島を直撃する台風でしたが
被害などございませんでしたでしょうか。
秋分の日やお彼岸も過ぎ、もう10月となりました。そろそろ秋ですね。
人恋しい季節でもあります。
さて。
男女が交わって、子どもが生まれます。
今では科学技術が進み、必ずしもHをしなくとも出産は可能ですが、
クローン技術のようなものを用いない限り、
「他者同士が交わって、新たな存在が生まれる」という条件は、
出産という行為の中にいまだ含まれていると考えられます。
ですが、哲学者のプラトンは著書「饗宴」の中で、人と人が愛し合って起こる
「出産」は子どもに限ったことではない、と説いています。
私達の精神はもともと懐妊したような状態にあって、しかるべき相手に出会って
愛し合った時、そこには精神的な「出産」が起こり得るのだ、と言うのです。
男女の交わりに限らず、愛による交わりのもとには必ず「生まれるもの」があるのだ、と。
この「愛」をごく広く捉えるなら、私達は日常的に、この「出産」を
ちゃんと経験しているように思うのです。
誰かとの出会いによって、自分の中に新しい体験や思想、価値観が
生まれるのですから。
私達の人生はすべて、出会いと、それによって生まれた新しい自分の積み重ね
なのではないでしょうか。
沖縄や麗王のように人と人が濃い関係にある場所で生きていると、
非常に広い意味で、「他社との交わり」と「それによって生み出されるもの」の
世界を生きることになります。
人と人とが、あるいは人と「麗王のような場」が交わって、お互いにはらんでいた
何事かが新たな人生に加わることになるのです。
ちょっと占い話をしますと、今年は申年(さるどし)ということもあり、年頭から、
どんな大きな出来事が起こってもちっともおかしくないような壮大な「転機」の年だと
言われていて、それは来年いっぱいまで続くのだそうです。
幾つかの重要な条件が絡まり合って、これまでの環境や人間関係から脱出し、
まるで新しい立場を獲得するような、熱く激しいターニングポイントになるだろうと
言われています。
この転機は自分個人だけのものではなく、むしろ、周囲の人々の転機に
巻き込まれるようにして自分の人生も変化した、という人も少なくないようです。
社会的立場を賭けたような「勝負」であっても、自分の望みでやっているというよりは
周囲の人々の人生を引き受け、いくつもの命を背負って戦っているという意識が
強い人もいるのではないでしょうか。
そうした転機・勝負が続いている人は、今月からはもっと別な世界が
見えてくるのだとか。
私自身も今年は随分といろいろな出来事が押し寄せてきました。
それまでの「闘い」が、実は他者や世界、「麗王という場」との「交わり」だったことが
よく分かりました。
そして、その交わりによってできた子どものような何事かを、「産み落とす」ことに
なるのではないかと思うのです。
たとえば、人によっては、誰かと共同事業を始めて、その最初の利益を得る、
というような展開もあるでしょう。
また、誰かと熱い会話を重ねた果てに、斬新なアイデアを得て活動を始める、
という人もいるかもしれません。
第三者の紹介を通してパートナーに出会う、という場合も、自分と第三者の交わりが
パートナーを「生んだ」と考えることができます。
しばしば、芸術家にインスピレーションを与える「ミューズ」がいるように、自分自身に
何かを生み出させる「誰か」に出会えるのかもしれません。
あらゆるかたちで、誰かとの出会いと「交わり」が、有形無形の素晴らしい出産に
つながっていくのでしょう。
私自身は子どもを持つことはついぞできませんでしたが、「麗王という場」によって
たくさんの出会いをいただくことができました。
そのなかではとても大きな出会いもありました。
そこで、ここに私事で大変恐縮ではございますが、
御報告をさせていただきたいと存じます。
もうみなさん御存知のこととも思うのですが、麗王でお馴染みの沖縄大学の
准教授・樋口先生と私はこの12年間事実婚の関係にあったのですが、
ここのところ新聞などでも読まれたことと思いますが事実婚・同性婚などに対する
認識が変わり、この度行政上にて、夫婦という届け出をいたしました。
麗王は変わらずに続けてまいりますのでどうぞ末永くよろしくお願いいたします。
* 誠に勝手ながら、帰阪と内輪でのお披露目の関係上、
8日(土)~17日(月)までの10日間お休みさせていただきます。
* 沖縄タイムス・電子版「タイムスプラス」の社説・オピニオンのページに
「樋口耕太郎のオキナワ・ニューメディア」というコーナーができました。
大好評拡散中です。是非お読みになってみてくださいね。
http://www.okinawatimes.co.jp/category/tc-s-higuchi
* 麗王便りバックナンバーは弊社HPよりごらんくださいませ。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
台風が来るような来ないようなここのところの沖縄ですがいかがお過ごしでしょうか。
とても暑い今年の夏でしたね。
きっとお疲れになったことでしょう。
でも重陽のお節句も先週過ぎて、明日は十五夜のお月見。
暑さも少しずつですがやわらぎ、連休もありますので、どうぞ無理をなさらず、
気持ちとからだのちからを抜いて、のんびり休んでくださいね。
お仕事はそうはいかないかもしれませんが、家のこと、お掃除やお洗濯、
お料理、ちょっとした用事など、2、3日休んだからといって、どうってことは
ありません。何もしない日をおつくりになってもよいですね。
私はこの夏倒れてしまい2ヶ月も麗王をお休みしてしまったのですが、
あんなにしっかりと運動もしてきて、食事もほとんど外食することなく
添加物も取らず食材にもこだわって手作りしたものをいただき…と
健康に留意してきたつもりがどうして?と自分でも驚きました。
どこかのバランスが崩れてしまっていたのか、加齢によるものなのか、
接客というお仕事のなかで人とエネルギーをやり取りするうちに、
神経がショートしていたのか…。
どういうことだったのか、今はまだわかりません。
でも、50年以上生きてきたなかで、これもひとつの味わいだと思いました。
楽しいことばかりでも、その味覚に飽きちゃいますものね。
どころか、死に至らずに本当にありがたいという思いでいっぱいでした。
それに、病気は私自身の体の中から生まれたもの。
だから、拒絶せずにちゃんと受け入れ体の声をちゃんと聞こうと思いました。
拒絶するだけでは前に進めないような気がしたのです。
もちろん、受け入れるだけじゃなくて、肥やしにするという太さも持ちつつ。
なので今は、いろいろなことがうまくできなくなると、
ああ、自分は疲れているんだなあと思って、ちょっとばかり怠けて休むことに
しています。どうしてもやらなければならない用事があると、気になって
落ち着かないので、ぱぱっと簡単に片付けてから、あとはもう、頭とからだの
ネジをゆるめてしまいます。すみません、何もしません、と宣言して、
本や雑誌を読んだり、TVを観たり、昼寝をしたり、ぼんやりしたりと、
とにかくちからを抜いて、好きなことだけをするようにします。
何もせずぼんやりするってなかなかいいですよ~。
昔のことを思い出してみたり、頭に思い浮かぶことを考えてみたり、
頭のスイッチを切って、ひたすらぼんやりするだけでも、
とてもリフレッシュできるんです。
人間というのは不思議なものですね。そうやってぼんやりしたり、
からだを休めたりしていると、あんなに疲れていたのに、どこからともなく元気が
むくむくと湧いてきて、さーっと気持ちのよい風が心の中をそよいだと思うと、
気持ちやからだがいつしか軽くなっているのです。
元気を取り戻し、にこにこしている自分に気付きます。
そうしたら、新しい気持ちで頭とからだのネジを締め直して、さあ、またがんばろう、
と思うことができるんです。
「生まれ変わる」なんていうと大げさですが、そんなふうに気持ちと体の疲れを
しっかりととると、そんな気分になることができるのです。
疲れを溜めない工夫というか、自分なりの程よい方法を知っているといいですね。
おすすめの、いい休み方がございましたら、ぜひまた麗王でお教えください。
明日は十五夜の月を眺めながら、時にはゆったり力を抜いてくださいね。
あなたの毎日が、どうかいつも健やかで楽しくありますように。
* 麗王便りのバックナンバーは弊社ホームページよりご覧ください。
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