まだすっきりとは梅雨が明けませんが、どんどん夏の趣のここ沖縄ですね。
あなたはお元気にお働きでしょうか。
また今月の麗王便りをお送りさせていただきます。

私は自分でも占いのようなことをやるのですが、学生の時や会社勤めをしていた頃、
幾度か同級生や同僚に誘われて当時評判の占い師に見てもらったことがあります。
恋愛から仕事まで、さまざまな「予言」を受けました。
直後はみんなと、ああ言われた、こう言われた、と盛り上がるのですが、
不思議なことに、いつも翌日には占いの内容をきれいさっぱり忘れてしまうのです。
一緒に行ったみんなは自分の結果はもちろん、占い師から私が言われたことまで
細かに覚えていて、時間が来ると答え合わせをするように「どうだった?」と
聞いてきます。その都度私は「なにが?」と首を傾げて、呆れられることを
繰り返したものです。
それでもたったひとつ私が今でもよく覚えているのは、占い師がたくさんいる
占いの館のような所で、たまたま座った占い師さんに
「あなたは今の彼氏とは自分から別れますね。しかも将来は大阪ではない所で
住んでいるでしょうね。誰よりも自由を愛す人ですから。」と言われたこと。
その時は、「絶対間違ってる~!」と思いました。私は自分から別れようなんて言う
人間じゃないし、大好きな大阪を離れるわけもないし、自由であることが
別に重要だとも思ってないもん、と。
今になって思えば実によく当たっていたわけなのですが。
ま、そんなふうに、自分でも人を占ってみたりするものの自分の人生については
あまり気にしていなかったのかもしれません。

自分に関心がないわけではない…と思います。人並みに、楽しく苦労なく生きたいと
願っているのです。ただ、楽しく苦労なく生きることなんて不可能だろうと
早々に見切っていたこともまた事実なのです。

高校までと社会人になってもハードな運動をしていたことが一因かもしれません。
一日休むと取り戻すのに三日かかる、とはよく言われることで、
実際技術を習得するには毎日休まず練習を続けることが肝要です。
近道も楽な道もありません。ひたすら地道に積み重ねるより他に道はないのです。

それだけやっても、試合の一番大事な場面でミスが出ることがあります。
練習では完璧にできていたことが、本番でできないこともあります。
このときの気持ちを何と表せばいいのでしょうか…。
それは、世界から見放されたような絶望感なのです。

沖縄大学・樋口先生が麗王でも話されているエピソードですが、
岩手県・盛岡一高の野球部時代、夏の甲子園出場をかけてのベスト8を決める
試合で、9回裏、2対2、二死満塁。バッターは、「5番バッター・樋口くん」!
この時バッターボックスに向かう彼の脳裏には、ここでホームランかヒットを打ち、
試合を勝利に導き、明日の新聞で華々しく讃えられるイメージが浮かんでいたと
言います。
そして、その結果は…!
なんと、ショートフライでアウト! 延長戦になり試合自体も負けてしまったそうです。
この試合により「将来はプロ野球選手に!」の夢もしぼんでしまったとか。
今では笑い話のようでも、当時の彼はまさしく絶望感でいっぱいだったことでしょうね。

たとえば野球選手が毎回同じ動作を経て打席に立つのも、力を発揮できるよう
心身を整えるための儀式だったりします。一流選手をしても「いつもの力」を
発揮するのはそれほど難しいことなのでしょう。だから失策をした選手に、簡単にヤジを
飛ばす観客を見ると私は「この人は一度も真剣にスポーツに取り組んだことが
ないのだな。」と思います。努力が裏切られた痛みを知らない人の、軽々しい発言に
思えるのです。これは、スポーツに限らずすべてに共通することかもしれません。

行き詰まることは誰にでもあります。
それを単に理不尽に感じるか、次への糧にできるかで、その後の人生に大きな開きが
出るように思います。挫折を知っている人が強い、と言われるのも、このあたりに
理由があるのでしょう。真剣に取り組んでしくじることは、長いスパンで見た場合、
必ずしも不幸とは言えないように思います。

私の父は昭和8年生まれですが、大のスポーツ好きで、80代の今でこそ
フリーダイビング、テニス、スキー、ゴルフ、野球などはもうできなくなりましたが
今でも毎日卓球は楽しんでいるようです。
私が子供の頃は、高校野球の大会がある時はたまに甲子園にも連れて行かれ、
夜はTVでプロ野球中継ばかり観ていた父の、今も私の心に焼き付いている言葉が
あります。
私が中学のバレーボールの大会で大きな失敗をしてチームに迷惑をかけて
負けてしまった日の夜、落ち込んでいた時に言われた言葉です。

「甲子園大会の優勝校は一校だけやろ。あとの全チームの選手は敗者なんや。
スポーツは敗れることで学ぶことが勝者の何倍もあるんやで。」

なぐさめたり褒めたりということを一切しない人なだけにとても印象に残る
思い出です。

週末は父の日。
あなたのお父さまの想い出はどんなことですか。

* 麗王の階段下にいつも置いていた、20年以上も働いてくれた赤い看板を
思い切って断捨離いたしました。
看板がなくとも2Fを見上げてくださり玄関横の灯がともっておりましたら
開いておりますのでどうぞおいでくださいませ。

* 麗王便りバックナンバーは弊社HPでどうぞ。
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=103

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麗王
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末金典子

爽やかに晴れたゴールデンウイークも過ぎ、また日常が戻ってきました。
あなたはどのように楽しまれたGWでしたでしょうか。

私はと言いますと、まとまったお休みになると必ずと言っていいほどカゼをひいたり
病気になって寝込んだりしてしまうのですが、案の定カゼをひいてしまい、
ひたすら安静にしていた休日でした。
でもそのおかげでじっくりと睡眠と栄養をとり、また元気に麗王を再開しております!

さて、週末の日曜日は母の日ですね。
毎年この月には母との思い出を書かせていただいているのですが、
今年ふと思い出した母とのエピソードは秋の季節の場面です。

私がまだ10歳ぐらいの頃だったでしょうか。
コスモスが咲き乱れる道を車で通りかかった時に、私が、
「お母さん、コスモスの花びらって何枚あるのん?」と尋ねたことがありました。
もうすでに夜遅く、帰路を急いでいたものの、母は運転していた父に車を路肩に
止めてもらい、「一緒に見てみよか。」と私と一緒にコスモスの花びらの枚数を
数えてくれました。
こんなふうに母はいつも「後でね。」「今はちょっとわからへんわ。」とは言わずに
私の好奇心を削ぐことなく、後回しにできることはすべてほったらかしても、
私につきあってくれた人でした。お料理の途中でガスの火を止めて一緒に事典を
見てくれたりというようなこともありましたっけ。
今思えば私の「なぜだろう?」にきちんと答えてくれなければ、「?」が行き場をなくし、
いずれしぼんでしまっていただろうと思います。
日曜日には母に改めて「ありがとう」を伝えようと思います。

さて。
麗王に時折いらしてくださる沖縄人財クラスタ研究会・マネージャーの前関さんは
食にとても気を配っておられる方で、まだお若いイケメン男性だというのになんと!
ぬか床までお持ちで、ぬか漬けを御自分で作っておられるということを数年前に
お話してくださっていましたが今もまだお持ちでしょうか。
御存知のようにぬか床って3日も放っておいたら駄目になってしまうもの。
毎日必ず手を入れてかき回さないといけない手間を必要とします。
私の大阪の実家にも100年以上使い続けている白和えのようにやわらかく、
ぽってりとしたきめこまやかなぬか床がありました。
ひいおばあちゃんが使っていたぬか床をおばあちゃんが受け継ぎ、さらに母へ。
毎晩、家族が食べる分だけかぶや大根やにんじん、瓜などのお野菜を入れて
仕込んでおくのです。こうして三代の食卓を支えてきたぬか床に、おばあちゃんも
母も、毎日、戦争中だって、手を入れてかき回してきたそうです。

ふいにルターの言葉が頭に浮かびました。
「たとえ明日世界が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える。」
この言葉を耳にしたとき、学生だった私は
「明日がないというのに、希望を育てることなんてできるはずがない」と思ったものでした。
いまの私にはリンゴの木を植える強さがあるかしら…。
ただ、どんな明日が来ようとも、私達は「今日、ぬか床をかき回す」ことは忘れないだろう、
と思うのです。お母さんやおばあちゃん達や、お台所に立つ人たちがそうしてきたように。
ぬか床にとっては100年なんてあっという間だったかもしれませんが、
ぬか床をかき回す人の世界には、さまざまなことがあったでしょう。
何もない日なんて一日もなかったはずです。それでもどんな日も、誰かがお台所の床に
膝をついて腕まくりし、ぬか床に手を入れた。家族の食べるお野菜を仕込み、
その先に私達の今日があり、明日もまた来るのだと思います。
ぬか漬けの習慣がない私がこんなふうに考えるのは、とてもおかしなことですが、
誰もが心のどこかにぬか床を据えている気がします。

久し振りに母のぬか漬けが食べたくなりました。
あなたにとってのお母さんの味って何ですか?

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* 麗王でお馴染みの若手実業家で頑張っておられる観光業・WAKON社長の
許田さんが、沖縄大学の樋口先生がコメンテーターで出演されている
QAB「ジョブアンテナ」にカタリストとして登場なさいます。
(5月27日土曜日17時~)
3ヶ月間毎土曜日出演された樋口先生の最終回でもありますので
是非ご覧になってみてくださいね。

* 麗王便りのバックナンバーは弊社HPよりどうぞ。
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沖縄の桜は2月に満開でしたが、本土で今月満開だった桜も
なかなか見事だったそうです。
あなたは桜はお好きでしょうか。
私にとって、桜という国花は子供の頃にはそこまで好きなお花でもなかったのですが
大人になるにつけどんどん好きなお花として変化していきました。

人間が住み始める遥か昔から、この日本列島に自生していたといわれる古き樹木、
桜。
春が兆し満ちるころには、宿した命を産むがごとく、すさまじいエネルギーで咲き、散り、
その曼荼羅のような営みを、何千年と繰り返してきました。
永遠に繰り返す輪廻なのに、ひと春ひと春が桜にとっての全身全霊。
ここに日本人は理想の生き方を見てきたのではないでしょうか。
誰もがたったひとりこの世に生まれ、それなりに複雑な人生を歩んで死んでゆきます。
ひとりひとりに、記念日があり、記念にならない日もあり、ほかの誰とも違う人生を
歩みます。まさか来年の桜を見ることがないなどと、つゆとも考えずにお花見を
していたはずなのに、あるとき人は突然に逝ってしまいます。
人間が生きて死ぬ、というこの運命もまた連綿たる営みなのです。

若いころに「盛りだ」と騒ぎながら見た桜と、
少し成熟した今「美しい」と心から思える桜と、
そして未来には「来年の桜は見られるのだろうか」と切なく眺める桜と。
桜は誰しもの人生に響きます。なぜなら桜は「無情」を知る花だから。

先日弁護士の白先生と李さんの結婚式にお招きいただき、若く凛々しく美しい
お二人に清々しい感銘を受けました。
人間の一生の間に、大きな幸せと呼べるものは数える程しかないものです。
私も昨年結婚パーティーを開きましたが、結婚式当日の幸せは輝くばかりのもの。
でもその後に続く日々は決してその連続ではなく、ある意味平々凡々たるものです。
その中で幸せになるということは、並んで一緒にご飯を食べたり、笑い合ったり、
小さくてもいい、なんでもない時間を「ああ、幸せ」と思うことができる機会を
増やすことにかかっています。

「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」ということばの
意味がわかるように思いました。「今」をたいせつにして生きないと、花は開きません。
「今」をなんとなく生きると、次の瞬間もなんとなくなものとなり、なんとなくな一生しか
送ることができないことになってしまうのではないでしょうか。

桜のはかなさのように、永遠に美しく輝き続けるものなんてきっと存在しません。
生きていれば、つぼみの時期もあり、枯れ木の時期もあります。
でもどっしりとした大きな幹やしっかりとした枝に支えられてこそ、また華やかなお花を
咲かすことができるのでしょう。
繊細な花びらに比べて、対照的なほど力強く堂々とした幹には、畏れを抱くぐらいの
凛々しさが感じられます。
なんだか夫婦のあるべき姿と似ていますね。人も植物も、生き物はすべて
きっとひとりではだれも輝けない。スポットを浴びるようなキラキラした時間は
永遠ではないし、だれにもいろいろな季節があります。
一生懸命吸収して成長する時期もあれば、じっと力を蓄えるべき時期もあります。
でも、どんな季節であっても、家族やパートナー、友達に支えられ、
びっくりするほどのきれいな花を咲かせることができるのではないでしょうか。
私の場合も、いつもどっしりとしたパートナーに支えられていることを感じています。
だから周りの方々のためにしっかりしたいと思うし、仕事でも頑張ることができる。
どんな季節も支え合い、お互いを輝かせる、いつまでもそんな夫婦でいるのが
理想です。
謙虚で美しく、一生懸命な凛々しい桜のように、そういう空気を放てる
思いやり深い夫婦でいたいと、若い素敵なお二人の結婚式に出席させていただいて
思ったことでした。

さぁ、週末からゴールデンウイークですね。
連続したお休みではありますが、どうぞ一日一日を大切に、御家族やパートナー、
恋人やお友達とどうぞ楽しくお過ごしください。

* GW中、麗王はカレンダー通り営業いたします。(日曜祝祭日お休み)

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